議員提案によるまちづくり基本条例づくりはなぜ成功したか(『地方自治職員研修』公職研発行・2004年1月号所収)


 新潟県吉川町は、人口5500人あまりの小さな町です。当町は中山間地をかかえた純農村地帯で、尾瀬あきらの漫画・『夏子の酒』の中で杜氏の里として紹介されるなど酒づくりの町として知られています。また当町には、新潟県内でいち早く自由民権運動の取り組みを開始するなど、活発な政治活動の歴史と伝統があり、今日に引き継がれています。

 2003年3月19日、吉川町議会は「吉川町まちづくり基本条例」を議員提案し、全会一致で可決しました。まちづくり基本条例は、全国的に見ると、2000年12月に北海道ニセコ町で制定されたのを皮切りに、兵庫県宝塚市や同県生野町、青森県倉石村など10を超える自治体で制定されていますが、議員提案で制定されたのは当町が初めてです。

 当町で制定された条例は、前文と本文34条からなり、住民、議会及び町が情報を共有し、協働して、まちづくりの基本理念と目標を実現するための原則・手続きを規定しています。この条例の主な特徴は、@まちづくりの原則に男女共同参画と子ども参画が入っていること、A住民と町だけでなく、議会もまちづくりの一翼を担うべく規定したこと、B前文だけでなく、本文も「です、ます調」となっていることにあります。

 条例制定後の2003年7月に川崎市で開催された市民立法機構主催の「市民と議員の条例づくり交流会議」で当町の取り組みの経験について発表したことや本誌2003年9月号の巻頭論文で法政大学の小島聡先生が紹介してくださったことなどから、本条例について、いま全国から問い合わせや資料請求、研修視察が相次いでいます。

 本稿では、吉川町におけるまちづくり基本条例制定の取り組みの背景や経過を紹介するとともに、今後の課題や展望についても探っていきたいと思います。

議会改革の動きの中で…

 「吉川町まちづくり基本条例」はどのようにして誕生したのか。このことについて語る時に、まず最初に述べなければならないことは議会改革の取り組みについてです。

 20世紀から21世紀になろうとしていた時、町議会では、これからの時代にふさわしい議会をつくっていこう、そのためにはどうしたらいいのかという話になりました。その中で取り組まれたことは大きく分けて2つあります。

 1つは、町民に開かれた議会にすること。もう1つは、議員立法のできる議会に高めていくことでした。

 1つ目の課題については、特別委員会を設置して検討し、最終的には15項目の改善点をまとめました。そして日曜議会の開催、有線放送による一般質問の実況中継、録音放送、一般質問の質問席の変更などを実施しました。このうち日曜議会や一般質問の放送については、仕事の関係などでこれまで議会を傍聴できなかった人たちに歓迎されました。

 2つ目の課題については、議員の能力や議会事務局職員体制の問題などがあり、なかなか進みませんでした。ところが、2001年の3月議会において、地方自治関係のある雑誌に掲載された記事をたまたま見たことをきっかけに、この課題の取り組みは急展開します。

 その記事というのは、北海道ニセコ町が制定した「まちづくり基本条例」に関するものでした。住民と情報を共有し、行政と住民が協働して「住民が主役」のまちづくりを進めていくシステムと職員研修の取り組みに、私たちは目を洗われる思いがしました。吉川町がこれからやらなければならない取り組みの実例が北海道にある。私たち議員の心は騒ぎました。

 そして同年の8月、全議員が参加してニセコ町での研修を実施しました。当日は逢坂町長自ら約40分にわたって自治はどうあるべきかについて、まちづくり基本条例と関連付けながら語ってくださいました。また総務課長さんなど3人の課長さんも補足説明してくださいました。

 この研修で驚いたのは、行政情報の扱いが当町よりはるかにすすんでいるということでした。ごみ処理などの「迷惑施設」などを例に話されましたが、計画の白紙段階から住民に情報を公開していること、課長会議の中身も公開の対象となっていることなど、私たちがこれまで見聞きしてきた行政情報の扱いと全然違っていたのです。しかも説明してくださった課長さんたちのプレゼンテーション能力もすごかった。逢坂町長だけでなく、説明してくださった課長さんたちは、どなたでも町長になれると思ったほどです。

 ニセコ研修で燃え上がった議員の心は、同年の9月議会で、議長を除く全議員による「住民自治に関する調査特別委員会」(以下、基本条例特別委員会と呼ぶ)の設置につながっていきました。

 議会で初めて取り組んだワークショップは楽しくにぎやかに

 基本条例特別委員会では、何をどういう手順でやっていったらいいのか、ほとんど分かりません。そこで、まず専門家から指導していただこうということになり、当時、中央大学の教授だった辻山幸宣先生から来ていただき、自治基本条例をめぐる情勢や設計の仕方などについて教えていただきました。その後、町もプロジェクトチームを発足させ、議会と町が意見交換しながら試案づくりを進めていきました。試案はバージョン5までつくり、最終案をまとめました。

 これら一連の流れの中で忘れることのできないドラマがいくつかあります。 その1つは、3回にわたったワークショップです。基本条例特別委員会では、みんなで考えを出し合い、一致点でまとめていくことを何よりも重視しました。そのために、委員会審議でワークショップの手法をとり入れたのです。ワークショップは、町の総合計画づくりで経験があるものの、議会の審議で採用するのは初めてのことでした。

 どんな町にしたいか、そのためには何をしたらいいのか、自治基本条例に盛り込みたいことは何か、それぞれの委員がカードに思いを書き込み、発表します。「どんな町にしたいか。何々さんどうですか」「無投票のない町。町議も町長も無競争じゃ活気でねぇさ」「何々さん、あなたが考えているような町にするにはどうしたらいいね」「そうだこてね。与党のない議会運営。みんなでチェックするのが大事なんじゃないの」。一人ひとりが発表するたびに、相槌を打つものもあれば、笑いも起こる。このワークショップをやる中で、議員たちが条例づくりにのめりこんでいくのがよく分かりました。

 ワークショップでは、全委員がそれぞれの思いを自分の言葉で語りました。いま自分たちが住んでいるこの町の姿を多彩な言葉で描いたのです。こうして吉川町がこれまで取り組んできた自治、まちづくりのいい面も悪い面も見えてきました。もし、条例に分かりやすさと面白さだけが求められて、規範性と正確さが求められないとしたら、条例にはワークショップで出された生の声をそのまま使いたかった、というのが私の本音です。

 もう1つドラマを紹介しておきたいと思います。基本条例特別委員会は、2003年2月、条例試案がバージョン3になった段階で、町民のみなさんの声を聞くため、地域住民懇談会を開催しました。町内9会場で196名が参加しました。この懇談会が条例試案をバージョンアップするうえで大きな力になりました。

 じつは、基本条例特別委員会では当初、公聴会か参考人制度などで住民の意見を聞くことを検討していました。町が毎年やっている住民懇談会方式では、今回の問題についてはあまり意見が出ないだろうというのがその理由でした。

 しかし、実際に住民懇談会を開いてみたら、私たちの予想はまったく外れました。一部の会場を除き、多くの参加者が次々と意見や提案を語ってくれたのです。しかも発言する人のほとんどは事前に配布しておいた条例試案を丁寧に読んできてくださいました。

 懇談会で出された意見や提案は、全部で五四項目にもおよび、「いい条例だとは思うが、1条から6条の中で、目標、理念が行ったり来たりしている。7条では『住民の役割』の記述がない」など突っ込んだものも少なくありませんでした。 こうした中で最も衝撃だったのは、ある女性の発言でした。「女性の参画についての文言が入っていない。時代遅れだ」というものです。私たちは、「年齢や性別などを越えてまちづくりへの参画については平等」という文言を「住民の権利」の中で記述すればよいと考えていただけに、この発言はショックでした。

 この女性の発言を契機に、基本条例特別委員会では、まちづくりの基本原則そのものについても見直すことにしました。その結果、まちづくりの基本原則として、それまで考えていた「情報共有の原則」「協働の原則」の前に、「男女共同参画の原則」と「子ども参画の原則」を加えることになったのです。

まちづくり基本条例づくりが成功した要因

 「市民と議員の条例づくり交流会議」に参加した時、「議員提案でいこうとすると各派の意見の違いなどがあって難しいのに、よく成立にこぎつけましたね」と何人もの人から言われました。

 まちづくり基本条例づくりが成功した要因の第1にあげられるのは、全議員が本気になったことです。各議員は研修で得たまちづくりへの高揚感をワークショップで具体的なイメージとして膨らませ、価値のある意見、提案を次々と出しました。そこには、まちづくりへの熱い情熱があり、会派の違いなど入り込む余地はありませんでした。一九六七年(昭和四二年)、吉川町議会は議員提案で「吉川町義務教育に関する住民負担を禁止する条例」を成立させました。これは、新聞各紙や羽仁五郎の『都市の論理』などで紹介され、全国的に話題になりましたが、この経験も条例づくりの自信につながっていました。

 成功の第2の要因は、これまでのまちづくりの取り組みを大事にし、内容的には、それをまちづくり基本条例の土台の一つに据えたことです。条例前文にもあるように、吉川町にはまちづくりの歴史と伝統があります。いまから20年ほど前の第2次町総合計画策定にあたっては、県内の他の市町村に先駆けてワークショップをやり、集落段階からの積み上げ方式で策定したという経験があります。また、行政当局は前町長の時代から、毎年、集落や旧小学校区にでかけて行政懇談会をやってきました。こうしたことは、条例づくりの様々な段階でとりあげ、条例の前文や本文にもできるだけ反映させました。

 成功の第3の要因は、不十分さはありましたが、議会と町、そして住民の連携ができたことです。町のプロジェクトチームは、基本条例特別委員会が条例試案バージョン1をまとめた段階で、行政サイドで作成した「条例試案」を発表し、委員会に検討を求めてきました。ここでのすぐれた構成、内容は、成立した条例の中にとり入れられています。住民懇談会で住民が出した意見、提案も思い切って採用しました。どうしても採用できなかったものについては、議会報特別号を発行する中で、その理由を説明し理解を求めました。

 成功の第4の要因は、自治体法務担当者や専門家の協力、支援があったことです。基本条例特別委員会のメンバーは、条例をつくろうという意欲は満々でしたが、法務に明るいものは皆無といってもよい状態でした。ですから、辻山幸宣先生や法政大学の先生方、さらには当町や近隣自治体の法務担当者の協力がなかったら、「吉川町まちづくり基本条例」は日の目を見ることがなかったと思います。

 これからの時代、議員立法はますます重要になり、条例づくりは活発になっていくでしょう。私は、この場合、議員自身が大いに勉強していくことが必要とは思いますが、法務知識、テクニックなどについてあまり神経質になる必要はないと考えています。分からないことは分かる人に聞く。この姿勢が何よりも大事なのではないでしょうか。

 今後の課題と展望

 さて、今後の課題と展望について少しふれておきたいと思います。 ありがたいことに、議会がまちづくり基本条例の制定に向け本格的に動きはじめてから、町政運営やまちづくりに変化が出はじめてきました。町の予算を分かりやすく説明した文書が全世帯に配布されるようになりました。2003年7月にオープンした特別養護老人ホームの建設にあたっては、計画の初期の段階から情報が公開されました。

 こうした変化の流れは、「吉川町まちづくり基本条例」が10月1日から施行された中で、太く、確かな流れにしていかなければなりません。

 そのために必要な課題がいくつかあります。1つは、施行された条例そのものを住民のみなさんからより深く理解していただくことです。すでに議会だよりの特別号を作成して配布していますが、住民懇談会などを通じてひろめていく地道な努力が求められています。議会では、子ども参画を原則にしたからには、子ども向けの解説書を作成したらどうかという声も出ています。

 2つ目に、条例そのものの検討も必要になってきました。全国から注目されたおかげでたくさんのご意見や提案も寄せていただきました。「子ども参画を原則にしているのに18歳以上でないと住民投票できないのはいかがなものか」「まちづくりの評価を行政だけでやると誤解されやすい文言がある」などです。条例では「施行後四年を超えない期間ごとに」検討、見直しをすることになっていますが、こうした積極的なご意見については速やかに検討すべきでしょう。

 3つ目に、行財政運営、まちづくりが新しい段階を迎えたいま、まちづくりのさまざまな取り組みを基本条例に照らしてどうなのか、たえずチェックしていくことが求められています。とくに、男女共同参画と子ども参画については、条例上の飾り文句にしないためにも具体的な検討が必要となっています。町だけでなく町議会も情報共有や住民参加について責任を持たなければならなくなりました。議会活動のあり方も問われています。

 4つ目に、市町村合併との関連でどうするかです。ある意味では、この問題が一番大きな問題かもしれません。合併すれば、いまの条例そのものがなくなってしまうわけですから。いま、当町を含む14市町村で上越地域合併協議会が設立され、新市の自治基本条例をどうするかの議論もはじまりました。酒づくりと自由民権の町≠フ自治の歴史と伝統をどう引き継いでいくのか。新市の自治基本条例に私たちの条例の基本と精神をどう反映させていくか。私たちの力量がいまほど試されている時はありません。


「まちづくり基本条例」のページへ      トップページへ