雪原のめずらしい現象 |
これも3月の半ばの写真である。前日に降った新雪が風に吹かれたのか、一晩で平らな雪原がでこぼこの雪原に変わった。どこかで見たことがある風景だが思い出せない。月の表面のような気もする。雪原の、このめずらしい景色は数時間で終わってしまった。 |
|
退いていく冬 |
3月も半ば。雪はどんどん消えていく。この写真は朝6時半過ぎ、吉川区山方から尾神岳方向を見た時のものだ。オレンジ色の太陽に雪が吸い込まれていく、そんな感じがした。ここまでくれば、春はもうすぐだ。 |
|
幻想的な尾神岳 |
冬だというのに暖かい朝でした。霧が立ち込め、近くの集落の姿も雲の中に浮かんでいるようでした。いい風景だなぁ、そう思いながら車を走らせ、尾神岳を見ました。これまで見たことの無い尾神岳の幻想的な姿が目に飛び込んできました。ふるさとの山がこのような姿を見せてくれるとは……。 |
|
下川谷から見た尾神岳 |
下川谷にミナミダケという屋号の家がある。その前庭に立つと旧川谷校の校舎、グランド、そして尾神岳が見える。いつも西側から尾神岳を見ているので、全く別の山のように見えるが、川谷地区に住む人たちにとってはこれが尾神岳そのものなのだ。雪解けの頃、山肌には馬のような雪形が現れることがあるという。ここ数年、それを楽しみにしているのだが、まだ出会っていない。 |
|
夕陽浴びる棚田 |
6月末の梅雨前線豪雨で大きな被害を受けた吉川区上川谷。初雪が降ってから2週間ほど経ったある日の夕方、訪ねてみた。久保(下坪)から岩野(上坪)へと歩いていた時、夕陽が数枚の棚田を照らし出した。きらきら光る雪、沢を流れる水の音、まもなく春を迎えるようだった。でも、厳しい冬はこれからやってくる。 |
|
雁行 |
ずっとねらってきた風景がある。大潟区朝日池周辺での雁行である。いつか尾神岳か米山をバックに雁行を撮ろう、そう思い続けてきた。これまで、朝の新聞配達時に何回も見てきたが、気に入ったシャッターチャンスはなかなかやってこない。この写真は昨年(2004年)秋のもの。いろんな飛行隊形をつくる雁を見るたびに、どうしてこういう形ができるのかと、つい考えてしまう。 |
|
尾神岳を下る紅葉 |
市道の尾神川谷線は当初、林道として開発された。尾神岳を登り、兜巾山の横腹を通って上川谷に至る道から見える景色は抜群で、カメラを寝かせておくわけにはいかない。この写真は、兜巾山の中腹から尾神岳を見たときに撮ったものである。高いところから徐々に下りていく紅葉の様子にひきつけられ、シャッターを切った。 |
|
兜巾山頂での記念写真 |
1957年(昭和32年)のことである。吉川町立源小学校、中学校の児童生徒が相次いで兜巾山に登った。その理由のひとつは、山頂で行われていたテレビ電波受信試験の見学だった。写真に写っているのは、当時の源小学校4年生の男子児童だが、登山した時はすでに受信機器が撤去されていたという。後ろに見えるのは尾神岳と米山である。撮影者は吉村勝先生、自宅で現像するほどの写真好きだった。写真提供者は旭川市在住の山崎知文さん。 |
|
兜巾山から見た米山 |
上川谷から兜巾山(とっきんざん)の中腹を通り、尾神岳に抜ける市道がある。ここはかつて尾神林道と呼ばれた。これまで年に1、2回通れば良い方だったが、2005年6月の梅雨前線豪雨災害で下川谷と上川谷の県道が遮断されてから、よく通る道になった。秋晴れのある日、兜巾山から尾神岳の方を見て目を疑った。米山の山頂が尾神岳の奥に見えたからである。何か新発見をしたような気分になった。 |
|
真夏の農村風景 |
お盆が過ぎてまもない頃、ある家の木戸先から北側の田んぼを見た。青い空は真夏の空。その下に萱葺き屋根にトタンをかぶせた農家が2軒あり、近くの田んぼの稲はもう少しで実るところまできていた。その田んぼに杉林の陰がかかっていて、涼しそう。何となくホッとする。これこそ真夏の農村風景だと思った。 |
|
田植え後間もない頃の朝 |
田植えが終わって間もない頃。前の晩か朝方に雨が降り、その後、晴れ上がる時がある。こういう日の朝、田んぼへ出てみるといい。説明不要の感動が待っているはずだ。越後よしかわの田んぼは今、どこでも美しい。 |
|
化粧をした山 |
山から小鳥たちのさえずりが聞こえ、田んぼではカエルたちが鳴き始める5月の初旬。わがふるさとの山々は緑色に変わる。その中でほんの数日間、ピンク色をしたヤマザクラの花が盛りとなる。ゴールデンウィークのある日、緑とピンクが作り出すこの風景について、都会からふるさとにやってきたYさんが言った。山が化粧したこの時期が一番いいと。うまい表現だと思った。 |
|
「私の好きな風景」一覧へ トップページへ |