残雪のなかのブナ林

 緑がいい。白がいい。2つの色がつくりだす風景に惹かれたのはゴールデンウイーク前の尾神岳に登ったときだった。日あたりのいい南側には雪はほとんどなかったが、北側斜面には残雪がかなりあって、そこにブナの緑が広がっている。車を降りたら、「ザー」という音が聞こえる。雪解け水が急斜面を流れ落ちているのだ。(2004年4月25日撮影)

     


若葉の頃

 山の色は一年に何回も変わる。春、ブナが黄緑色の葉を広げるのを合図に、ケヤキは金色の葉を、クルミは銀ネズミ色の葉を膨らませていく。秋の紅葉ほどの派手さはないが、山はけっこう賑やかな色に染まる。ウグイスが鳴き、キツツキが木をつつく「コココココ…」という音が谷間に響いている。
 この時季、わが家の田んぼの周りの山々は山菜の宝庫だ。フキノトウ、コゴミ、カタクリ、ウド、ワラビ、ゼンマイ、ノノバ、タラノキノメなどが次々と出てくると、じっとしていられないのは母。山のどこに何が出るかを知り尽くしている母は、毎日のように山に出かける。

         


尾神のしだれ桜

 尾神岳のふもと、尾神集落のほぼ真ん中に大きな桜の木がある。20数年前まであった、ムケという屋号の家の木だったことから、「ムケのしだれ桜」とも呼んでいる。
 この桜の花時は、ほんの数日間。木の下から見上げると、桜の花が滝のように流れ落ちてくる感じだ。子どものころから親しんできたこの桜の木、最近では、県内外からカメラマンが訪れている。町内では、村屋の村松哲夫さん宅(電話025‐547‐2120)のしだれ桜も有名で、夜にはライトアップされる。
(写真は2004年4月10日撮影)

    


東寺の大石

 吉川町にも貫入岩体(かんにゅうがんたい)があることを知ったのは、つい先だってのことだ。マグマが地層、岩体を突き破り地上へ出る、そして、冷え固まったものを貫入岩体と呼ぶ。東寺集落の北東500メートルのところにある「東寺の大石」は、長径約50メートル。下部には柱状節理も見られる。
 いまは雑木が生い茂り、あちこちに紫色のスミレが咲く小さな石山だが、「東寺の大石」の魅力は、地球内部から噴出すマグマのダイナミックな動きを想像できる点にある。吉川の大地形成のドラマを学ぶことのできるおすすめポイントの1つだ。
(2004年4月)

     


ナゼがつく

 雪国、とくに山間部に住んでいる人間なら、誰もが待っている日がある。それはナゼ(なだれ)がつく日だ。山々に降り積もった雪がゆるんで斜面から滑り落ちる。茶色の土が見える。このナゼは、冬が終わり春が近づいているいることをハッキリと教えてくれるものだ。「ナゼがついた」というニュースは、大人だけでなく子どもたちの間にも、あっという間に広がっていく。

        


夜明け直前

 午前6時43分、尾神岳南側の方が朱色に染まりはじめた。吉川町における日の出の一歩手前、この時の様子は何回見てもいい。とくに雪が残っている時は絶景である。
 ほんとうはもう100メートルくらい尾神岳に近づいて撮影したかったのだが、この日は凍み渡りができず、断念せざるを得なかった。じつは、左側の3本の木がある場所にはお宮さんがある。ここの鳥居は郷愁感たっぷりで、尾神岳によく似合う。大勢の子どもたちがここで遊び、近くでジイちゃん、バアちゃんが微笑んでいる、そんな懐かしい光景がよみがえってくる。

     


雪がやんで…

 何日も降り続いた雪がやんで青空が広がった。大地の上のあらゆるものにたっぷりと雪が積もっている。杉もケヤキもブナも家も田んぼも、みんな雪におおわれてじっとしている。そこへ太陽光線が注ぐと、すべてが輝きはじめる。
 前の日まで暗く重い空気に支配されていた大地はこの時、喜びと解放感に満ち溢れている。雪がやみ、太陽が照りはじめてからほんの数時間、雪と光がつくりだす清新さいっぱいの風景に出会った時の喜び。これは雪国に住む人たちにしか味わうことのできないものだ。肩の力がすっと抜けてホッとする。どうしてこんなにも気持ちがいいのか。私は、すべてが新しく見え、生き生きしているこの時が好きだ。

     


冬の丸木橋

 丸木橋は春から秋まで。そう思っていたが、先日、私が生まれ育った蛍場へ出かけたら、まだ橋がかかっていた。
 冬、丸木の上に3メートルもの雪が積もればどうなるか。雪の重みに耐えられず、真ん中から見事に折れる
。だから冬が来る前にはずし、春普請のときにみんなで橋をかけたものだ。写真の橋は、叔父が個人でかけたもの。上流の方にコンクリートの橋があるが、田んぼや山へ歩いていくときの近道として利用されている。この冬、橋の丸木をはずさなかったのは暖冬を予測してとのこと。それでも丸木は横並びではなく、縦に積まれていた。
 集落に住む人たちの農作業や暮らしに欠かせない丸木橋。昔は、みんなで力を合わせて橋をかけ、守り続けた。それは人々の心をひとつにした。しかし、いま、丸木橋はほとんど見られなくなってしまった。
 
     


ブナ林のなかの道
 
 ある日、林の中に入ったら一本の道があった。その道は、これまで見たこともなければ歩いたこともない。それなのに、なぜか懐かしい。そればかりか、この世に生を受けてからずっと追い求めてきた道にようやく出会った気さえするのである……こんな体験をされたことはないだろうか。
 私にとって、吉川町の東部にある兜巾山(トキンザン・標高676メートル)のブナ林の中で出会った道はまさにそうした道だった。深まりゆく秋の日、ブナ林をブラブラと歩いていた私は、まさかと思った。目の前に、野の道がまっすぐと延びていたのである。落ち葉が敷きつめられていて、歩くとカサカサという音のする道だった。幅約1、5メートル。太陽の光を受けたその道は、とても暖かく、金色に輝いていた。あまりにも気持ちがいいので、しばらく寝転がってみた。ブナも、道も、空も、私も、みんな一つになった。
 こんな道が自分の町にあるなんてすごいことだ。

 (注)昔、断崖などがあって険しい米山三里を避け、この兜巾山を抜ける道があったと言われています。兜巾山という名前は、奈良時代の僧侶・道鏡がここを通った際、雲の動きからあやしげな気配を察知し、身につけていた頭巾を埋めて祈祷したことからきているという説もあります。もう数百年も前の話ですから、その道が私が見た道であるかどうかはわかりませんが、近くの集落には宿場だったと見られる「西宿(にしじゅく)」「中宿」「上宿」という小字名がいまも残っているところをみると、大勢の人たちが行き来した道がこの山の中にあったことは間違いなさそうです。
 
     


敬徳寺のイチョウ

 まさに絶景である。10月下旬、吉川町山方にある敬徳寺のイチョウの木は黄葉し、人々を楽しませてくれる。木の大きさといい、バランスの良さといい、町内随一のイチョウだ。
 黄葉は約2週間。生物学的には枝と葉の間に離層ができ、葉緑素が徐々になくなりカロチンだけが残るという過程だが、寒暖の差の激しさや黄葉期の天候などによって黄葉にも微妙な変化をもたらす。
 写真を撮った日は快晴だった。青空を背景にしたイチョウはどっしりとしていて、黄色の大きな広がりはまるで花火が開いたようだった。同じ木でも、このような美しさは二度と見られないかもしれない。
 日に映ゆる銀杏の梢天高し (上越タイムスに掲載された妻の俳句)

 (2004年11月更新)

     

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