アヤメの里から見た米山

 上越市頸城区はアヤメが区の花になっている。田植えの頃に咲くアヤメは早苗の植わった田んぼや山とよく似合う。頸城区は私の通勤(?)コースにある。米山、尾神岳だけでなく、妙高山などの頸城三山もきれいに見えることが多いので、ここを通る時はカメラを忘れてはならない。



海に浮かんで見える米山と尾神岳

 糸魚川方面から直江津に向かって車を走らせるとこの風景に出会う。海をはさんだだけでこんなにも違って見える米山と尾神岳。初めてこの風景を見たのはもう何十年も前、遠い島にある山のように思えたものだ。ふるさとの山はどこで出会ってもうれしい。



五月晴れの朝に(3)

 写真の右奥には尾神岳がある。いま、平場の小さな山の雑木林から朝日が抜け出そうとしている瞬間だ。もう1秒遅ければ、この場所にはまったく違った風景が出現する。朝日が全面的に照らし出す直前の風景は何となくドキドキするから不思議だ。



五月晴れの朝に(2)

 「五月晴れの朝に(1)」とほぼ同じ位置から南西方向を見た時の風景だ。この日は朝方、気温が下がった。霧が横に流れているのに惹かれて、シャッターを切った。



五月晴れの朝に(1)

 吉川区の河沢のはずれから米山を見た時の風景。朝の光、それも斜め横からの光がつくりだす風景はどこを見ても絵になる。こんな光を浴びれば、植えたばかりのイネが元気になるのは当然だ。



田植えの頃の久保

 5月も半ば。天明山のふもとにある3軒の家は緑に包まれる。山がせりあがっているせいなのだろうか、空が近くに感じられる。かやぶきだった家があり、田んぼに働く人がいる。吉川区上川谷の久保地区。小さな集落だが、昔ながらの農村らしさが残っている数少ないところだ。写真の中の1軒では、いまも囲炉裏を使っている。

     


植え直しを手伝う子ども

 これまで、学校田で田植えをする子どもたちの姿は何回か見てきた。だが、子どもが自分の家の田んぼで田植えの手伝いをする光景はほとんど見られない。数十年前なら、こうした光景は農村のどこでも見られたものだが、最近は、親が食や財産についてしっかりした考えを持っていないと子どもたちに手伝いをさせない。この家では老夫婦と町場で暮らしている若夫婦が田んぼを管理している。親が植え直し作業をやる時に、3人の子どもたちもついて行き、ひとりは田んぼの中に入り手伝い、残る2人は畦元で遊んでいた。将来、どんな大人になるか楽しみだ。

     


もやの中を朝日が昇る

 5月の上旬の朝5時半。大乗寺から竹直へ抜ける道を軽乗用車で走っていた時だった。太陽は尾神岳と米山のほぼ中間からぐんぐん上昇していく。代かきが終わった田んぼはまるで池のよう。右にうっすらと見えるのは尾神岳だ。

     


ナナトリ春景色

 どんな形をしていようが、最高に良いのはふるさとの山。ここは私が少年時代に過ごした山である。春はカタクリの花でうまり、初夏は緑がとてもきれいだ。秋にはミヤマツやアケビがとれる。この風景を見るたびに気持ちが落着くから不思議なものだ。

     


代石神社のキクザキイチゲ

 吉川区内で私が一番最初にキクザキイチゲを見かけるのは代石(たいし)神社である。花は大きく、地面にどんどん広がっている。道路に近いことから、親子連れで訪ねる姿も見かける。この神社の境内には、自由民権運動で活躍した郷土の偉人・鈴木昌司(すずき・しょうじ)をたたえた石碑が建っている。

     

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