| 春よ来い(36) |
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第882回 指紋が消えた 4か月ぶりに中山間地に住むフミヱさんの家を訪ねました。それも2日続けて訪ねることになりました。 前回訪問したとき、すでに90代の後半になられたことを知り、「これは半年に一度くらいは訪ねなきゃ」と思っていました。訪ねた1日目は夕方ではありましたが、家の前で迷わず車を止めました。 いつものように、フミヱさんは私の顔を見ると、「さあさ、入ってくんない」と声をかけてくださいました。その言葉に甘えて茶の間に上がらせてもらうと、フミヱさんの顔がとてもすっきりしています。 「いい顔してなんね。艶もあるし……」と言うと、本人も健康状態が良いことを自覚しておられるようで、「ちょっと死なんね」と言ってニコニコ顔になりました。 フミヱさんは、「お茶、出さんで悪いね。そのかわり、ミカンでも食べてくんない」と言われました。コタツのテーブルの上に出されたミカンをいただきながら、前日、フミヱさんが行ったという床屋さんの話を聞いて納得しました。いつも以上に髪がきちんとしていたので、すっきりしたいい顔になっていたんですね。デイサービスで一緒になるキヨコさんとの楽しいおしゃべりのことも聞きました。 この日の訪問では、フミヱさんから私の最新エッセイ集『母ありてこそ』の注文がありました。それで、翌日にもう一度フミヱさん宅へ行くこととなりました。 翌日の2回目の訪問は午後2時過ぎになりました。この日は強い風が吹き、小正月の行事があちこちで延期になりました。私が参加することにしていたところも同じです。それで、時間の余裕ができました。 この日も茶の間に上がらせてもらい、お茶をご馳走になりました。フミヱさんは「ジャガイモ、美味しいねかね。カレイとジャガイモの煮たもんがあるけど、食べなんねかね」と私に問いました。「ほしゃ、もらおうかな」と答えたら、すぐに冷蔵庫からラップに包まれた煮物を出し、電子レンジで温めてくださいました。ご馳走になったジャガイモとカレイの煮物は双方の味がしみ込んでいて、とても美味しくいただきました。 1日目、2日目とフミヱさんの姿を見ていて感心したのは、96歳という高齢でありながら、身の回りのこと食事のことなどで、じつによく考え、行動しておられることです。最近、体のあちこちに不具合が出ている私には信じられませんでした。 高齢になると、立ったりねまったりがとても負担になります。そして家事から遠ざかる人も少なくありません。でもフミヱさんは、漬物こそ作れなくなっていますが、掃除も料理もまだ現役です。 驚いたのはフミヱさんの両手の指先です。「指の指紋、消えちゃって」と言われたので、まさかと思って、指を見せてもらい、触らせてもらいました。水仕事などの影響でしょうか、指紋はほとんどわからくなっていて、指先がツルツルになっていました。そのため、茶碗を持つにも指全体ではさむようにしておられました。こういう指先は初めて見ました。 ジャガイモとカレイの煮物をいただく中で、買い物についても工夫されていることを知りました。町の中心部には食料品を扱っているお店がなくなったので、保存のきくものはまとめ買いし、冷蔵庫に入れているということでした。フミヱさんは、「一人暮らしだから冷蔵庫は小さくてよいと思ったら、そうじゃなかった」と言って苦笑いされていました。 フミヱさんの誕生日は5月5日だとのことです。私が「ゴーゴーだね」と言うと、また笑っておられました。この調子なら百の大台は軽く超えられることでしょう。 (2026年1月18日) |
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第881回 指先の小さなキズ 指先がこんなにも大事な役割を果たしているとは思いませんでした。右手親指の爪の右端の先にできた小さなキズにより、いま、私は物を持つにもつかむにも不自由しています。 年明け早々の寒波でわが家でも40㌢ほどの雪が降り、除雪作業をしました。除雪機は初出動ではありましたが、作業そのものは順調で、1日目も2日目もきれいに除雪できました。しかし2日目の作業がもう少しで終わるという段階になって、思わぬトラブルに遭(あ)ってしまいました。除雪機が雪の下になっていたブルーシートを巻き込んでしまったのです。 除雪機のエンジンを切り、カッターと大きな剪定ばさみを使って、機械に食い込んだシートを少しずつ取り除きました。でも、軍手をしての作業ではうまくいかず、途中から素手でシートを引っ張ったり、押したりしていました。その際、誤って指先を切ってしまったようなのです。 血が出ているわけでもなく、指先が痛いだけでしたので、最初は雪が降るなかでの作業で手が冷たくなり、凍傷になったのかと思いました。指先の痛みは親指だけでなく、人差し指や中指にも及んでいました。それで、私の地元事務所に入ってお湯で指を温めました。でもすぐには治りませんでした。その日は巻き込んだブルーシートの除去作業をやめて、残りは翌日にやることにしました。 家に帰ってからの夜、お風呂に入っても痛みはひきませんでした。とくに親指が痛かったので、どうなっているのかなと思いながら、親指の先を調べました。親指の先っぽの小さなキズは、長さ、深さともわずか2㍉ほどのものでした。これがアカギレのような割れ方をしていたのです。 ひょっとすると冷たいなかで作業をしていたので、それが引き金となってアカギレになったのかとも思いました。しかし、それならば、人差し指も中指も割れているはずです。そうはなっていませんから、やはり、作業中に傷つけたのでしょうね。 小さなキズとは言え、困ったことが次々と起こりました。 箸(はし)を使うことはできますが、デジカメのメモリーカードを引き出すにも右指の親指と人差し指ではつかめません。お店で買い物をしてお釣りをもらう時、平らな皿の上に硬貨を置かれるときもなかなかつかめませんでした。 机の上の電気スタンドは右の親指を使ってボタンを押し、スイッチを入れたり切ったりしていました。これも押すと指先が痛いので、左の親指を使っています。 私の右手親指と人差し指には特技があります。長年にわたる印刷経験で、コピー用紙をはさむと1枚なのか複数枚なのか判断できます。これもできなくなりました。 一番不自由しているのはワイシャツなどのボタンです。ケガをする前から、ワイシャツの左の襟のボタンをはめにくくなっているのですが、今度はもっと範囲が広がりました。左手首のボタン、ワイシャツの真ん中のボタンまではめにくくなってしまったのです。 右の親指は爪のあるところで幅が2㌢あります。爪の先の部分でも1.5㌢あります。パソコンの入力の時、ボタンをかける時、本のページをめくる時など作業の種類によって、同じ爪の先でも力が作用する場所がずいぶん違います。普段はあまり考えたことがなかったのですが、人間の動きの中で指の果たす役割は実に様々であることを改めて知りました。 親指の痛みは除雪作業をしてから4日目になっても収まりません。長期化したとき、長年の経験で蓄積した指先の能力に狂いが生じないか心配になってきました。 (2026年1月11日) |
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| 第880回 師走の晴れ 師走になり、冬至も過ぎました。一番短くなった昼の時間帯が、これからは少しずつのびていく、うれしいですね。 今年の師走はこれまで、晴れの日が多く、暖かいのが特徴です。先だっての日曜日は20度を超えました。 この時期、晴れの日が1日でもあると、私と同じ年代の人は、「きょうは、もうけもんの日だ」と言います。雪や雨が降るのが当たり前と覚悟しているだけに、青空を見るとうれしくなるのです。 それが2日も3日も続くとどうなるか。朝ドラの『ばけばけ』風に言えば、もうスキップ気分です。私の場合、家でじっとしていることができません。とにかく外に出てみたい。行きたいところへ行きたい。 晴れれば、人間だけでなく鳥だって同じはずだ。そう思って、先日はコウノトリ探しに出ました。まずは吉川区内の主だったところを探しました。でもいませんでした。コウノトリを見つけたのは三和区を過ぎて東中島方面へ向かう農道を軽乗用車で走っているときでした。県道との十文字で一時停止していると、私の目に空飛ぶコウノトリの姿が飛び込んできたのです。 コウノトリは全部で3羽いました。3羽いるだけでもうれしかったのですが、それが空を飛んでいるとなれば、めったにないことです。「これは記録しておかなきゃ」とカメラを構えました。 動画を撮り始めたら、3羽は旋回しながら徐々に高く上がっていきました。上昇気流に乗ったのでしょう。こういう光景を見たのは、今年2度目です。前回はわが家の近くでした。カタカタカタというクラッタリング(口ばしを使って音を出すこと)の音がしたので、その音の方向へ車を走らせたところ、2羽のコウノトリが旋回中でした。青空が広がるなか、数回羽ばたいて、その後、グライダーのように飛ぶ。じつに楽しそうでした。今回も同じです。 晴れると、会いたい人と偶然出会う確率も高まる感じがします。この日は面白いことにあちこちで、日頃会いたくてもなかなか会えない人と再会しました。 コウノトリの撮影が終わってから、直江津で少し仕事をし、その後、ライオン像のある館に顔を出してきました。そこでは春以来、会っていなかった音楽ユニット、「コスモフィッシュ」のみなさんと再会できました。もちろん演奏も聴き、素敵なハーモニーにうっとりしました。うれしかったのはアンコールで地元の歌、『朝市の歌』を聴けたことです。「買っていきないや」「晩のごっつぉ」などの方言がいくつも出てきて、朝市の人たちの様子を見事に表現しています。メンバーの一人からは、「また、イラスト、描いてくださいね」と声をかけていただきました。 数日後、これも晴れの日です。昼食後、従姉が入所している医療型介護施設へ車を走らせました。 検温などの所定の手続きをして従姉の部屋に入ると、目をしっかりと開けています。「これは調子良さそうだ」そう思いながら、頭をなでて、「かあちゃん、ノリカズだよ」と声をかけましたが、返事はありません。それで亡き母の元気な頃の写真をスマホのなかから選んで見てもらいました、「ほら、おらちのばちゃだよ。わかるかね」そう言うと、何と、コックリと頷いてくれたのです。 母が3年前に亡くなっていることは伝えてないので、ひょっとすると、母が元気でいると思ったかも知れません。どうあれ、母の写真に反応してくれたことで、私はうれしくなって涙がこぼれてしまいました。 師走の晴れ、今年はもう1回はありそうです。そのとき、どんなうれしいドラマが展開するか、楽しみにしています。 (2025年12月28日) |
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第879回 いつのまにか 最近、身の回りのことで「こりゃ、親父やおふくろと同じことやっている」と思うことが多くなってきました。 朝から順番に紹介しましょう。まず、布団からなかなか起き上がれない。まっすぐ立てず、少し体をひねって、片腕を杖がわりにしてやっと体を起こしています。 体を起こしたら、次に、布団の脇に置いている洗濯済みの靴下を履きます。太っているせいもあるでしょうが、足を少しひねって、靴下をかぶせ、ひっぱって直す。以前は足をまっすぐ立てて履いたものですが、いまはできなくなりました。 布団から立ち上がるときは気合を入れて、「よいしょ」と言いながら立ちます。ここでも敷布団の上で体を起こすときと同じく片方の腕を使います。 起き上がってからは、パジャマを脱いで、長袖のシャツを着ます。最近、予想してなかったことが起きました。ワイシャツのボタンがなかなかはまらないのです。特に左ボタン、うまくいきません。先日、起きてすぐ外に出たかったのに、時間がかかり、いらつきました。 現在、私が寝ている場所は亡くなった母の部屋だったところです。2階の私の部屋からこの1階の部屋に移ったのは、夜間、母のトイレ介助が必要になってからです。 朝起きると、まずトイレに行きます。トイレには2つのドアがあるのですが、外側のドアはともかく、内側のドアが閉めてないことがあります。父や母が自力でトイレに行っていたころ、朝、トイレのドアを開けると、内側のドアがよく開いていたものですが、2人ともこの世にいなくなったというのに、またドアを開けっぱなしにしてある。これは、明らかに私が夜中にトイレに行った後の行為です。 なんで内側のドアを開けっぱなしにしているのか。ドアの取っ手に触る前に、手洗いをしたいという気持ちが動きます、手洗いをした後、振り返り、ドアをちゃんと閉めればいいことなのですが、どういう訳か忘れてしまっていることが多いのです。 朝食をとって、家から市役所などに行くとき、家の者から「気をつけてね」「何か忘れ物ないかね」と言われます。「おれだって必要なものはちゃんと持っているわ」そう思っているのですが、毎回と言っていいほど何かを忘れています。 一番多いのは携帯電話。出かけて途中で不携帯に気づくと、落ち着かなくなります。続いて多いのは財布、これも携帯電話と同じく大事な持ち物で、無ければ買い物も食事もできなくなります。やはり、無いと落ち着きません。 車の運転にも変化が出てきました。先日も連れ合いを乗せて買い物に出かけたときに、「おじいちゃんと同じだね。道の真ん中に寄ってる」と言われました。白線が真ん中にあれば、左側を意識するのですが、無い場合は無意識のうちに真ん中に寄っている、ともすれば真ん中を走っているのかも知れません。 家に戻ってからは、靴を脱いで、自分の部屋に行きます。そこで普段着に着替えるのですが、スーツをハンガーにかけても、左右のバランスが崩れたままのことがあります。じつは数年前から左手を上の方によく上げられなくなりました。途中で左右のバランスを崩しても、そのままにしておくことが多くなっています。 父は後期高齢者になってから身の回りのこと、車の運転など多くのことができなくなりました。忘れられないのはトイレでお尻を洗浄するウオッシュレットを使えなくなったことです。父ほどではなかったですが、母もいろいろできなくなりました。そしていつのまにか、私も父や母と同じ道を歩み始めています。頑張らなきゃ。 (2025年12月21日) |
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