春よ来い(31)
 

第726回 母が笑った

 じつは、母が退院するとき、病院のお医者さんからは、「長く持って1週間でしょうね」と言われました。

 それだけに退院後は一日一日がとても貴重で、母の部屋に入るたびに顔を見て、息をしているかどうかを確認しています。

 夜、一緒に寝ていても大きないびきをかいているうちはいいのですが、呼吸が止まると、再開するまでが心配で、緊張します。呼吸が止まっている時間が10秒くらいのときはまだ良い方で、長いときは30秒から40秒くらい続くのです。口元で静かに呼吸をし始めたときはホッとします。

 正直言って、入院時は、面会した時の数分しか母の様子を見れませんでした。家にいるときは、家族の者が母のそばにいる時間が長いので、いろんな発見があります。

 例えば、こんなことがありました。母がかわいがっていたネコが母の部屋に入ったときのことです。ニャーン、ニャーンと大きな声で鳴くと母は喜び、笑顔になったというのです。もう二度と笑うことはないだろうと思っていただけに、長女から、この知らせを聞いたときは、万歳をしたくなるほどうれしくなりました。元気な頃、いつも電動椅子の上から背中を「イコイコ」となでていたネコのことがしっかり母の記憶に残っていたのでしょうね。

 甘酒を含んだものを口の中に入れたときも母は笑顔を見せたといいます。小さなスプーンでほんの少し、口に含ませる程度だったのですが、それでも母にとっては、最高のご馳走だったのでしょう。

 甘酒は母の好物の一つ。わが家ではいつも冷蔵庫に入っていて、母は時々飲んでいました。ですから、病院で、お医者さんから、「ここまで来たら、飲みたいものがあれば、飲ませてもいいのでは」という言葉を聞いたとき、ぜひ甘酒の味を味わってほしいと思っていました。この願いは、わが家に来ていただいている看護師さんの協力で実現しました。

 自宅に戻り、一番切なかったのは、1週間後の22日の夜のことです。お医者さんから「持って1週間」と言われたこともあり、夕方、家族の者から、「おばあちゃん、おかしい」と連絡を受けたときは、ついにその時が来たかと緊張しました。

 緊急事態に駆けつけて来てくださった看護師さんは母の状態を確認し、帰りに、「明日の朝、8時半に来ます。それまで持ってほしいですね」と言われました。それほど事態は深刻だったのです。

 この日、母は夜の10時ころまで両目を開けていました。その後は目をつぶったままの時間帯が長くなりました。母のベッドわきには私と大潟区在住の弟、そして長女と3人が毛布などを持ち込んで母を見守り続けました。

 母の呼吸が止まっているとき、窓の外からは虫の鳴き声がよく聞こえてきました。母の左手は私、右手は弟がずっと握り続けました。深夜の2時過ぎ、母の手を握り続けるのも疲れたので、手を離し、スマホを使って歌謡曲を流しました。三橋美智也の「夕焼けとんび」「達者でな」です。亡き父が田んぼや牛舎で仕事をしているときによく歌っていた曲です。母からの反応はありませんでしたが、しっかりと聞こえたはずです。

 母の病状は退院後の8日目から、それなりに安定しました。そして数日後、水や甘酒を含んだものを口に入れもらった時、母は何と「うんめー」と言ったのです。まさに奇跡的な出来事でした。ひょっとすると、三橋美智也の「オーラ オーラ 達者でナ」という歌が効いたのかも知れません。容態がしばらく安定していれば、そう遅くない時期に母の「ありがとね」という言葉も聞けるかも……。

  (2022年10月2日)

 
 

第725回 48日ぶりに帰宅

 7月下旬に入院した母が48日ぶりに家に帰ってきました。恢復して退院したのではなく、家で最後を迎えられるようにと退院させてもらったのです。

 病院側との協議では、当日の退院時間は午前11時という約束になっていました。10分前に行くと、すでに準備ができていて、担当のお医者さんをはじめ、看護師さんなどお世話になった何人ものスタッフのみなさんがナースセンター前に集合して見送ってくださいました。

 お医者さんからは、ここまで来たら、「何か美味しいものを食べさせてあげたいですね」と言われました。もちろん、食べられる状態ではありません。できたとしても、好きな甘酒などを何かにしみこませ、口に塗ってあげる程度かと思います。でも貴重なアドバイスでした。見送ってくださった看護師さんの中には、市役所でお世話になっている人のお連れ合いもおられました。何らかのつながりのある人がおられるというのはうれしいものですね。

 自宅での看取りのために退院させるという経験は今回が初めでした。退院までには微妙なところがあって、ほんとうに大勢の皆さんのお力添えがあり実現しました。心から感謝申し上げます。

 病院からは福祉タクシーで帰宅しました。私がタクシーの先導をしたのですが、タクシーの運転手さんは吉川区竹直出身の方だったということでびっくりしました。また、一緒にタクシーに乗り込んでくださった看護師さんは吉川区で勤務をされたこともある人で、私の知り合いでした。偶然とはいえ、うれしかったですね。病院では、「途中でだめになることもあります」と聞いていたこともあって、車はゆっくり走らせ、約50分かけて自宅に無事到着しました。看護師さんの話によると、県道からわが家に行く農道に入った途端、母は目を開けたといいます。感動しました。

 午後1時過ぎからは近所の人や親せきの人、母の友達の人などが次々と訪問してくださいました。私の弟も遠くにいる子どももPCR検査をしてわが家にきてくれました。病院でお医者さんからは、「きょうはいままでで最高に良い状態です」と言われたのですが、近所の人や親せきの人から声をかけられると、母は数回にわたって、目を開けて、口をもごもごさせました。近所のMさんは、「いやー、いかっとぉ。ばあちゃん目を開けてくんなった。それも2回もだでね。ばあちゃんには、また一緒にお茶飲みしようでね、と言ったこてね」と喜んでくださいました。遠くから来た従兄の嫁さんや従姉も母が口を動かしたり、目をぱちくりしたことから、「うれしい、来たかいがあったわ」と言ってくれました。なかには母と記念写真を撮る人もいました。

 病院では面会制限などもあって、なかなかできなかったのですが、母が入院前、電話をちょこちょこかけていた人にも電話をしました。その一人は、いまは要介護状態となっている大島区板山出身のKさんです。Kさんに電話すると、「ばちゃ、おれだよ。じちゃが迎えに来たそってもまだ行っちゃだめだよ。こんだ、お茶飲みしようで」と声をかけてくださいました。母はしゃべれませんでしたが、相手の人の声は聞こえたようで、この時も口をもごもご動かしていました。

 この日の夜は48日ぶりに母と同じ部屋で寝ました。1年半にわたり、一緒に寝ていた部屋です。弟が付き添いを替わろうかと言ってくれたのですが、断りました。最初の晩は私がそばにいたかったからです。深夜に母の頭をイコイコしていると、目をぱっちり開けて私をじっと見てくれました。口も動かしました。それだけで疲れがどこかへ行きました。

  (2022年9月25日)

 
 

第724回 母は目を開けた

 母の病室に入って30秒経つか経たないかという時間でした。母に声をかけようとしてベッドのそばまで行ったところ、母が目をぱっちりと開けたのです。

 先月下旬に、完全に点滴生活になり、眠り続ける生活になってから、17日目のことでした。時刻は午後3時15分頃です。

 すぐに母の顔のそばに行き、「とちゃだよ、見えたかね、とちゃだよ。りんちゃんも来てるよ」と声をかけました。母は私の顔をじっと見てくれました。声を出すこともできない。うれしそうな笑顔になることもできません。でも、目はちゃんと私を見ていて、私には、母が喜んでいることがわかりました。いまにも「とちゃか」と言い出しそうな表情になっていたからです。

 とっさに「長女の顔も見てもらいたい」と思ったのですが、残念ながら、母にはそれ以上目を開ける力は無く、再び閉じてしまいました。

 この時、一緒に病室に入ったのは病院スタッフの女性の方と長女の2人でした。スタッフの方は、母が目を開けたときのことがわかったらしく、「視線が合いましたね」と言ってくださいました。

 じつは、母が目を開けないようになってから12日目にもうっすらと目を開けたことがありました。このときもうれしくて、「ばちゃ、見えたかね。ほら、もっかい見てみない。とちゃの顔、見てみない」と催促すると、母は目を動かし開けようとしました。そのときの様子を動画で撮りましたので、弟たちにも送信しました。

 でも、それきりだったのです。目を開けようとしたのは。その後、2回ほど母と面会し、声をかけましたが、目を開けてはくれませんでした。

 そのかわり、母は長女にたいしては手で反応してくれました。脳梗塞で左手は動かないので、右手はどうかと手を握ったところ、握り返してくれたというのです。

 こういう明るい、希望を抱かせてもらえる出来事がありましたが、母の体力はその後も衰退していきました。変化が見えたのは手です。両方の手がともにはれてきたのです。近いうちに手からは点滴できなくなるのではないかと心配しています。

 この日は、母を自宅で見守りたいということから、おむつの替え方などの実際を病院スタッフの方から教えていただくことになっていました。母は元々体が小さく、介護しやすいと思っていたのですが、なかなか面倒でした。おむつひとつ替えるにも手順があり、コツがあるんですね。

 おむつ替えを実際に行う少し前には、担当のお医者さんも病室に来てくださり、最新の病状について説明してくださいました。一番気になったのは血液検査の結果です。ヘモグロビンの数値がこれ以上低くなってはいけないというところまで下がっていたのです。お医者さんからは、「胃のなかで出血しているかも知れません。お母さんの心臓はよく頑張っています」と言われました。

 こういう病状ですから、目を開けたことで喜んでばかりはいられないのですが、それでもうれしく、今回も2人の弟などにすぐ連絡しました。 「ばちゃ、目、ぱっちり開けたよ。今度は俺の顔わかったげらだ」  私からの電話にすぐ下の弟は、「明日、仕事休みだすけ、そっちに行こうかな」とも言いました。実際には来ませんでしたが、母が目を開けたことの喜びは弟も大きかったんですね。

 看護師さんによると、その後、母は少なくとも一回は目を開けたといいます。その時、おそらく家族の顔を探したに違いありません。今度、目を開いたときには、家族の誰かがそばにいてあげたいです。 

  (2022年9月18日)

 
 

第723回 赤とんぼ(2)

 先日の夜遅くのことでした。仕事を終え、事務所から家に帰ろうと、車のドアを開けて座ったところ、赤とんぼが一緒に乗りこんでいたことがわかりました。

 入ったのは1匹です。翅(はね)を動かし、あちこちのガラスにぶつかっています。「これはめずらしい。夜遅い時間でもいるんだ」そう思って、スマホのカメラを使って写真に収めました。

 写真は私の腕にとまったところで撮影したのですが、車内の明かりの関係からか、翅が左右3枚ずつあるように見えて、ひょっとしたら、珍種かなと思いました。

 そのうち、赤とんぼは私の胸にしっかりとつかまって動かなくなりました。どうしようか迷ったのですが、そのまま車を走らせ、家の玄関前まで走りました。

 わが家に着き、車を止めたところ、赤とんぼは私の胸から離れました。そのとき、ドアを開けたものですから、赤とんぼは外に逃げ出したものと思っていました。

 ところが、翌朝になっても、その赤とんぼは車の中にいたのです。飛び回りすぎて疲れたのでしょうか、ほとんど動かなくなっていました。翅の数が気になっていたので、車の中で赤とんぼをよく見ると、翅は左右2枚ずつでした。やはり、光のいたずらだったんですね。

 赤とんぼは、すっかり元気をなくしているようにも見えましたので、前日、赤とんぼが車に乗り込んだ場所の近くまで行き、草の上にそっと置きました。すると、なんということでしょう、さっと飛び上がり、どこかへ飛び去ったのです。

 赤とんぼは、この数日前から近くの田んぼでその姿を確認していました。ですから、いても不思議はないのですが、ただ、夜に見かけたという記憶は街灯の下くらいで、他にはありません。母の病状に大きな変化が起きたなど、何か、特別に私に知らせようとしたことがあったのではないかと思いました。でも、それは考えすぎだったようです。病院からはその後、何も連絡は来ませんでしたから、ホッとしました。

 それにしても、赤とんぼは何故、私の胸にしがみついたのか。「偶然ですよ」と言われれば何も反論できないのですが、私には偶然とは思えないことがいくつか起きていたのです。

 じつは昨年の秋、何回か、赤とんぼが私の胸にとまることを体験していました。それも1匹や2匹ではないのです。多い時には5匹も私の胸にとまったことがありました。しかも、すぐに飛び去ることもなく、しばらくつかまったままでした。

 この様子は写真にも撮って記録し、全国に発信しました。その時、全国の多くの人から、「もしかして、体にトンボが好きなもの張り付けていませんか」「素敵なバッジを、しかもたくさん!」「不思議な魅力感じるのかな」「すごいですね、女性とんぼの軍団ですか」「これ、珍百景に応募してください。登録は確実です」「露濡れし幼き胸に赤トンボ」などのコメントをいただきました。

 今回、夜中の赤とんぼの様子などを目にして、改めてどういうときに赤とんぼが私の胸にとまったかを考えてみました。

 共通だったことは、いずれも私のシャツにとまったことです。なぜかズボンにはとまっていないのです。そしてシャツは、私が普段着として愛用している縞模様のシャツだったのです。

 赤とんぼは縞模様の柄が気に入ったのかも知れません。でも、この時、私が思ったのは、私の「におい」がシャツにしみ込んでいるからではないかということです。もしそうなら、高齢の体から出る「におい」は嫌なことばかりではないということです。赤とんぼたちよ、ありがとう。

  (2022年9月11日)

 
 

第722回 眠り続ける母

 入院している母と約1か月ぶりに会える、そう思っていたので病院へ行く前日の日曜日の夜はうれしくて、よく眠れませんでした。

 ところが当日の午前10時半過ぎ、市役所で仕事をしているときに病院のスタッフの方から電話がかかってきたのです。スタッフからは、「エツさんはここ3日間ほど食事がとれてなく、点滴をしています。これからMRI検査を行います。検査結果は、こられたときにお知らせします」と言われました。そして、「2年前の心臓手術以外で金属が入っているところはないでしょうか」と質問されました。

 じつは、この日は母の退院にむけて家での食事をどうするか、介護をどうするかを看護師さん、栄養士さんなどから指導していただくことになっていました。

 当初の予定と違った展開に、「ひょっとすると、脳梗塞がまた発生したか、大きくなった脳内の動脈瘤が破裂したかも知れない」そう思い、母との再会についての期待が一気に不安に変わりました。

 病院側と約束した時間は午後2時からでした。長女とともに病棟のナースセンターに行くと、「まずは医師から説明します」ということで、ナースセンター脇の部屋で担当のお医者さんから説明をしていただきました。

 担当のお医者さんは、「新たなことがわかりました」と言って、7月29日に入院した当時の画像とその日の午前に撮ったばかりのMRI画像を比較しながら、脳梗塞を起こした部分が大きく広がっていること、覚醒をつかさどる場所についても、白くなってしまっていることなどについて丁寧に説明してくださいました。

 びっくりしましたね。午前の電話では、「3日間ほど食事をとれず、点滴している」と知らせていただいたのですが、まさか、母が3日間も眠り続け、呼びかけても反応がない状態になっているとは思いませんでした。

 今後の治療について、お医者さんからは、「1週間ほど点滴しても目がさめなかった場合、その時点でもう一度相談させてください」と言われました。端的に言うと、延命治療についてどうするか相談したいということです。

 1か月ぶりに母と会えば、「とちゃ、来てくんたがか。何かうんめもん、持って来てくんたか」と笑顔で話してくれるにちがいない。そう期待していただけに、お医者さんの説明を聴き、私はがっくりしてしまいました。

 お医者さんの説明を聴いてから、長女とともに、ベッドに寝ている母のところへ行きました。母の顔色は悪くありませんでしたが、完全に眠ったままです。

「ばちゃ、とちゃだよ、来たよ。一緒に家に帰ろさ」
「ばちゃ、オレだよ、頑張ってくんない」

 私は何度も母の頭をなで、声をかけました。長女も母の手を握り、声をかけ、励ましました。でも、母の目は開くことはありませんでした。手にも反応はありません。そばに看護師さんがおられたのですが、涙がこぼれそうになりました。

 担当のお医者さんや看護師さんによると、母は意識がなくなる数日前に大きな声で私や家族の名前を呼び、家に帰してほしいと必死になって訴えたとのことです。そのとき、母のそばにいてやれれば、どんなに母は喜んだことでしょう。

 母が眠り続けてまもなく1週間になります。「眠っているようでも耳は聞こえていますよ」という方が何人もおられます。今度、母に会った時には、牛飼い時代の思い出や母の得意料理のことを書いた私の随想を読んで、聴いてもらおうと思います。

  (2022年9月4日)

 
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