春よ来い(30)
 

第714回 三年ぶりの小旅行

 先日、地元町内の老人会で3年ぶりに小旅行をしました。といっても、車で10分くらいのホテルへ行き、風呂に入り、懇親会をやっただけなのですが……。

 参加者は60代後半から80代までの男女11人。集落のほぼ真ん中にあるバス停までホテル側からマイクロバスで迎えに来てもらい、帰りも送ってもらいました。

 ホテルに着いて、休憩室兼懇親会場となる大きな部屋に入ると、海が見えます。何人かが、「きれいな海だね」「船に乗っているようだ」と言いましたが、会場の北側の窓からは海面を見下ろす感じなのです。

 沖の方では、漁船と思われる小さな船が1隻、ゆっくりと移動していました。後の方に少し黒みがかった浮きのようなものを引いていて、見ていた人たちは、「網をおろしているんだろうか」などと言って眺めていました。

 会場に着けば、たいがいはまず風呂に入り、それから懇親会となるのですが、お風呂は午前11時からということなので、時間がありました。待っていましたとばかりに、楽しいおしゃべりが始まりました。

 まずはカボチャの話から。もうカボチャを食べたという人がいて、「どういう状態になると収穫できるのか」という質問が出ました。S子さんが、「カボチャの実の上のツルがコルクのようになるといい」と言うと、隣のM子さんも、「そこに穴が開いたように点々ができるんだよね」と言いました。

 久しぶりにゆっくりとみんなで話す機会ができたものですから、タヌキを見かけることが今年は少ないとか、ヘビがキュウリの棚の上にいてびっくりしたなど、話は次々と出てきます。

 お風呂に入って、懇親会は正午から開始。男性陣は4人が中ジョッキの生ビール、私がノンアルコールのビール、女性陣は小ジョッキの生ビールで乾杯しました。

 テーブルの上にはアクリル板の仕切りがあり、酒を注いで回ることはほとんどありませんが、他は以前とほぼ同じです。生ビールのジョッキは久しぶりに見ました。料理は刺身、カサゴのから揚げなどが出てきて、宴会ならではの料理に舌鼓を打ちました。

 懇親会でも楽しみの中心はおしゃべりです。参加者の中で2番目に年長のSさんはお寺さんです。お寺の境内にある鐘突きの話に引き込まれました。

「昔は午前11時半に鐘を鳴らしたんだよね。その鐘の音を聞くと女しょは仕事をやめて昼ご飯を作りに家に帰る。男しょは一服吸いつけて、もうひと働きするんだ」

 話を聴いていた人たちは、みんなこの種の体験をしていますから、昔のことを懐かしく思い出しました。

 Sさんは続けて、「鐘の音でも一番いい音は夕方だね」と言いました。「夕方、鐘、突いていたの」という質問が出ると、「突いていないけど、いいと思う」。聞いていた人たちみんなが、夕焼けの中、ゴーンという音が静かに響き渡っていく様子を思い浮かべてニコニコになりました。そうそう、柿崎駅の近くの鉄橋を渡る電車の音も話題になりました。

 参加者の年齢は70代、80代が多いので、どうして話題の最後は人生の終盤のことになります。

「先日亡くなったS子さんは、お連れ合いのやさしい歌の声にひかれて旅から嫁に来なった」
「いなくなる前に整理しておけ、と子どもに言われている。あの植木、どうしるがとも」

 ちょっぴりさみしい気持ちになりました。でも、みんなで小旅行に出て一緒に楽しむのは最高です。満足感は最後に食べたメロンの味と同じ、ベリーグッドでした。

  (2022年7月3日)

 
 

第713回 人に励まされて

 お連れ合いを亡くし、まもなく半年になる女性がいます。Hさん、88歳。現在、山間部で一人暮らしをされています。

 先日、ビラ配りをしていたら、宅地のそばの畑で、麦わら帽子をかぶって草取りをしているHさんの姿が目に入りました。もちろん一人です。

 隣の家の前庭を通って畑に行くと、作業に夢中になっておられたのか、それとも耳が遠いのか、Hさんは黙々と草取りを続けていました。

 私はマスクをあごまで下げ、「どうも。元気でいなったかね」と声をかけました。最初は、「誰だろう」といった感じの受け止めだったのですが、Hさんは、「橋爪さんかね」と言って、私の顔を見てくださいました。

 私がうなずくと、Hさんは、「ああ、いかった。橋爪さんのこと、わかりゃ、まだオレはおかしくなっていないね」と言って、喜びの顔になりました。

 手押し車に座ったHさんをよく見ると、薄いピンクの花柄の長袖シャツにもんぺ姿でした。なかなかのおしゃれです。

 そのHさん、最近、「物忘れ」が進んできたと言います。

「オレ、植えてすぐなるもんはトマトだと思っていたもんだすけ、トマトの苗、買ってきたが。でも、ナスやキュウリ、わすんちゃって」

  Hさんは、雪が解けてから、いつものように自分の家で食べる野菜はそばの畑で作ろうと思ったのだそうです。でも、最初、野菜の苗として購入したのはトマトだけでした。その後、気づいて子どもさんからキュウリなどの苗を買ってきてもらったとのことでした。

 そばにはキュウリの姿は確認できませんでしたが、遅れて購入したキュウリもすでに大きく育ち、収穫できているとか。この間も、「キュウリ、たくさんとれたすけ、とりに来てくれ」そったが。でも、こらんねてがで、冷蔵庫にしまったと言います。

 Hさんは、話を続けます。

「おらったり、空き家が増えて、○○さんちと▲△さんちは動物の棲み処(すみか)になってるが。そんで、なんとかならんかねと区長さんに言ったら、さっそく草刈りしてくんなって。オラの言うこと聞いてくんなったが。うれしかったぁ」
「そりゃ、いかったねぇ」
「オラ、一人になって、だあれも声かけてくんなんねかと思ったら、ありがたいもんだね。Nさんが朝早く、車に乗って仕事に出なるとき、おらちの方をちらっと見て、プッと鳴らしてくんなる」
「そりゃ、助かるね」
「はい、人間にさせてもらってるがでね。おまさんも、こうして、ここまで上がってきて、声かけてくんなるなんて、ありがたいです。ばちゃ、元気かね」
「おかげさんで、元気にしてるでね」

 Hさんと話をしていて、驚いたのは、「人間にさせてもらっている」という言葉がその後も何度か出てきたことです。

 そして、何の話の時だか忘れたのですが、手を合わせて私に感謝の気持ちを表してくださったのです。おそらく、Hさんに声をかけた他の人にもそうされているのだと思います。

 一人暮らしになって半年、Hさんにとって、声をかけられたり、なんらかの働きかけを受けたりすることが生きていくうえで大きな励ましになっているんですね。

 この日は晴れて気温が上昇、30度前後になりました。外に長時間いることは危険です。「もうじきお昼になるし、あっついすけ、家に入ってくんない。オレも帰るし」そう言うと、Hさんは、また手を合わせ、涙を浮かべておられました。    
  (2022年6月26日

 
 

第712回 カエルの変態

 このところ、近くの田んぼでオタマジャクシの観察を続けています。

 きっかけは5月半ば頃のことでした。田んぼの中の数十匹のオタマジャクシを見ているうちに、ふと思ったのです。「このオタマジャクシたちは、いまは水中生活をしているが、そのうち、水中だけでなく、陸に上がっても生活できるようになる。ならば、その成長過程を見てみたい」と。

 私は、子どもの頃からオタマジャクシを見てきました。雪解けからしばらく経って、田んぼの一角にカエルの卵がかたまって浮かんでいたりすると、それにさわってみたり、手ですくい上げてみたりして遊んだものです。

 田植えの頃になれば、水田の水の中をすいすいと動き回るオタマジャクシの姿も見てきました。泳ぐ姿はまさに自由で、楽しそうに見えました。

 でも、その先となると、よく分からない。分かっているのは、小さなカエルとなって道路上にとび出てくる姿、さらに大きくなって草むらにいる姿くらいなもので、その途中の変化についてはまったく見てこなかったような気がするのです。

 水中だけの生活から地上へ移動するとなると、地上でも動けるように体が変わらなければなりません。呼吸方法もエラ呼吸から肺呼吸へと変化していくことになります。いったい、オタマジャクシの体はどうなっていくのか。

 その答えは、突然、やってきました。

 5月中旬のある朝のこと、それまで、数十匹が泳いでいた田んぼの場所からオタマジャクの姿が消えていたのです。「これは何かあったに違いない」そう思って、その周辺の水たまりを探しました。

 数分後、少し離れたところでオタマジャクシを数匹、確認することができました。でも、様子が何となくおかしい。オタマジャクシの頭がいつもよりも大きく見えたのです。そして、体の側面には白っぽい手足が見えました。おお、こんなふうになるのかぁ。72歳にもなって初めて見た手足のついたオタマジャクシの姿、見ていてうれしくなりました。

 こうしたオタマジャクシはその周辺に何匹もいました。水溜まりで泳いでいるオマジャクシを見たら、よりハッキリと確認できました。頭と胴体部分が区別できます。お尻の部分からは長いしっぽもまだついていました。

 その数日後、今度は別の田んぼで体長がわずか1.5㌢ほどの小さなカエルを見つけました。1匹が目に入ってまもなく、他にも1匹2匹と姿を確認できました。

 この小さなカエル、体の色はオタマジャクシの時の色ではなく、薄緑色になっていました。カエルたちは水たまりに入ったり、稲のそばに行ったりしていました。

 注目したのはしっぽがまだついていたことです。しっぽは水中はいいにしても、陸上ではじゃまになるはずです。これじゃ跳びはねるのは無理だな、そう思っていたら、水たまりの中にいた1匹が田んぼから私がいない方を向き、ぴょんぴょんと跳ねたのです。それもしっぽはまったく問題ないよといった感じで飛び続けたのです。私は、しっぽのついたカエルが跳ねる姿を初めて見て、びっくりしました。この姿は記録しておかなきゃ、そう思って、スマホを使って動画撮影もしました。

 オタマジャクシから普通のカエルの体になるように、動物が体の形を変えることを変態といいます。今回はその一部を見ることができました。それだけでもうれしかったのですが、後ろ足と前足はどちらが先か、しっぽはこの先どうなるかなど気になることはまだいっぱいあります。さて、そろりと田んぼに行かなきゃ。    

  (2022年6月19日)

 

第711回 グラジオラス

 見たわけでないのに話を聞いただけで、見た時と同じくらい、あるいはそれ以上に花と作る人への思いがふくらんだ話です。

 先日、自宅の庭や畑でたくさんの花を育てているM子さんから、「近くを通んなったら、私んちの花も見てくんない」と誘われました。M子さんが育てている花は園芸種です。私はどちらかというと野の花の方が好きな人間ですので、園芸種には大きな関心はありません。でも、1人で食堂をやっているM子さんが「自分ちの花も見てほしい」と言うからには、花について、何か特別の思いを持っているに違いない、そう思って出かけてきました。

 M子さんのところに着いたのは午後2時前でした。駐車場に車を止めると、M子さんは砂利敷きをしている最中でした。「いやー、疲れるわ。だれもしてくんねもんだすけ」そう言って、M子さんは手を休めました。そして、すぐに駐車場のまわりに咲いている白やピンク、紫などの花の説明をはじめました。

 そのなかで東側の植え込みにあったピンク色の花が私の気を引きました。名前はゴテチャ。空に向かって大きく手を広げているような花姿がとても素敵です。近くには田んぼが何枚も続いていて、そのずっと向こうには清里や板倉の山々も見える。さらに山の上の方には青空が広がっています。これはカメラに収めなきゃ、そう思って、ピンクの花に焦点を当てて、写真を撮りました。M子さんは、「いいでしょう」と私に声をかけ、ニコニコしていました。

 玄関先で赤やピンク、オレンジ色のバラやジニアなどの花を咲かせているお店に入れてもらってからは、コーヒーをいただきながらM子さんの花人生をたっぷりと聞かせてもらいました。

 M子さんは子どもの頃から花が大好きで、将来は花屋さんになりたいと思っていたそうです。残念ながら、花屋にはなれませんでしたが、ふるさと板倉に戻ってからは、家の玄関や屋敷内にできるだけ多くの花を咲かせました。それでも足りず、畑にも花を植え続けてきました。

 たくさんの花の話の中で、注目したのはグラジオラスの話です。このとき、M子さんの目が一段と輝いて見えました。

 M子さんは数十年前から畑にグラジオラスを植えています。最初は少しだったのですが、毎年増やし続け、現在は30㍍ほどの長さの畝(うね)を何と3列も作っているというのです。

 グラジオラスの花はアヤメ科の園芸種。夏場の7月、8月に赤、黄、白、ピンクなどの花を咲かせます。咲いたグラジオラスは自分の家で使うだけでなく、M子さんが日頃仲良くしている大切な人にあげます。あるときは一番きれいに咲いている1本を、あるときは両手で抱きかかえなければならないほどどっさりと……。

 昨年の夏は、真っ赤に輝くグラジオラスを1本、病気とたたかっている新井の同級生にプレゼントしました。この1本には花が20数個もついていたそうです。

 お盆の少し前には近所の80代のお母さん、Tさんのところへ持参しました。Tさんもまた、花が大好きで、M子さんと競い合って花を育ててきた人です。でも病気を患ってからは思うように花を楽しむことができなくなりました。それで、お盆の前にグラジオラスを抱きかかえるほどたくさん持って行き、これを玄関先の大きな壺の中に入れて楽しんでもらうのだそうです。

 M子さんはいま、70代の後半。数年前に息子さんを亡くし、お連れ合いと2人暮らしです。花を売ってはいませんが、心は花屋さん。たくさんの花をつくって元気をもらい、人にあげて元気のおすそわけをする、M子さんの花づくりは続きます。         

 (2022年6月12日)

 

第710回 忘れられない味

 なんということでしょう。兄弟で同じことを考え、同じ行動をしていたのです。

 先日、近くの雑木林の縁で、今年初めてキイチゴを採って食べました。例年よりもかなり早く実ったので、見つけた時はびっくりしました。その実った様子を写真に撮りインターネットで発信しましたが、大潟区に住む弟もほぼ同じタイミングで同じことをしていたことがわかりました。

 キイチゴにはいろいろな種類があるらしいのですが、私が発信したのはバラ科の黄色いつぶつぶの実をつけるイチゴです。私が住んでいる地域では、キイチゴとかサガリイチゴと読んでいます。正式にはモミジイチゴと呼ぶのだそうです。

 この時期、なぜキイチゴに惹かれるのか。その理由はただ1つ、子どもの頃から大好きな野の食べもので、忘れられない味となっているからです。

 私の記憶は旧源小学校水源分校時代にまでさかのぼります。当時、私は旧吉川町の山間部にある蛍場(ほたるば)というところに住んでいました。いまのように食料が十分にあるわけではありません。学校の行き帰りの最大の関心事は、勉強のことでも遊びのことでもなく、食べられるものがあるかどうかでした。

 春になれば、野草のなかでおやつ代わりになるスイッカシ(正式名はスイバ)、スカンボ(正式名はオオイタドリ)を見つけては食べていました。いずれも適度の酸味があって美味しかったのです。

 わが家の田植えは毎年6月4日と決まっていました。キイチゴはその後1週間ほどで食べられるようになると覚えています。

 野で採れる食べ物のなかで、キイチゴは王様と言ってもよいものでした。大きさは直径1㌢ほどで、甘味もあり、黄色でつやつやした実には上品さがありました。

 私がキイチゴを採りに行ったのは、釜平川を挟んで南側にある田んぼの土手です。ここにキイチゴの木がたくさんあったのです。土手から7、8㍉の太さの茎が2㍍ほどに伸びて、垂れ下がっていました。そこに一枝あたり5、6個の黄色のイチゴが実っていました。多く採れた時は、弁当箱にいっぱいになりました。垂れ下がった姿が影響したのでしょうか、このイチゴをサガリイチゴと呼ぶ人がけっこういました。

 さて、インターネットで発信した反応です。投稿を読んだ人たちからは、「昔良く食べました」「懐かしい。食べたいよぉ」「黄色のが美味しいですよね」「最初、イクラかなと、思いました。食べたい」などといったコメントが相次ぎました。これらのコメントを寄せてくださった人たちのほとんどは昔、キイチゴを食べたことがある人です。この人たちにとっても、キイチゴは忘れられない味だったんですね。

 この日の翌日の朝のこと、高崎市で独り暮らしをしている従姉(いとこ)から電話がありました。「頭がふらふらする」とか言って、自分の娘のところにテレビ電話をするつもりだったのが、間違って、私のところにかかってきたのです。

 たまたま外でテレビ電話をしていたので、ふと思いつき、近くにあった桑イチゴの実やキイチゴの実を見てもらいました。
「えーっ、これって桑イチゴ?」
「懐かしい、この黄色のイチゴ、よく食べたのよ」
 そう言って従姉は大喜びしました。声を聞くかぎり、頭のふらふらは完全にどこかへ行ったようでした。

 従姉は戦中、わが家で疎開生活をしていました。私よりもひと回り以上年上ですので、やはり、子ども時代、キイチゴや桑イチゴなどを食べていたんですね。この忘れられない味、今年はもう1週間ほど楽しめそうです。あなたも食べてみませんか。

   (2022年6月5日)

 

第709回 野に咲く花は

 毎年、5月の下旬になると、ひとつの野の花のことが気になります。白色または薄紫色の花を咲かせるミヤマヨメナです。

 この花のことを初めて知ったのは、いまから20数年前の5月下旬か6月上旬の頃でした。当時、旧源小学校校長の高橋先生が通勤の途中、吉川区米山(こめやま)地内で見つけたと教えて下さったのです。

 私がこの花に強い関心を持ったのは、「ミヤマヨメナ」という花の名前です。漢字で「深山嫁菜」と書きますが、私はこの花に、「奥深い山の中に住む、一度会ったら忘れることのできない美しい女性」というイメージをいだいてしまったのです。もちろん、それまで見たことがない花だったということもありますが……。

 高橋先生から花が咲いている場所をしっかり教えていただいたので、私はその日のうちに現地へ足を運びました。車から降りると、町道(当時)脇の杉林の一角にその花の群生地がありました。

 何本かの杉の根元付近に、数十本の花がひっそりと咲いていました。花の高さは4、50㌢、不揃いでしたが、1つひとつの花はキリリとして美しい。花びらは1枚いちまいはっきりと見え、秋に咲くノコンギクやヨメナと似た感じの花の形でしたので、すぐにキク科の花だとわかりました。そして葉は鋸歯でありながら、優しさを感じました。葉先が上ではなく、横に伸びていたせいかも知れません。

 当時、キク科の花は秋に咲くものという先入観が私にはありました。それだけに目の前にあるミヤマヨメナはとても新鮮でした。花の大きさは直径で4、5㌢。色も私の好きな薄紫色です。「よく咲いてくれた」と一目ぼれしてしまいました。

 以来、私はミヤマヨメナを探すようになります。米山以外で最初に見つけたのは吉川区東田中地区です。ここも杉林のなかでしたが、群生の規模は10坪近くもありました。さらに源地区や柿崎区などでも見かけました。

 驚いたのは、数年前のことでした。地元町内会で草刈りをしていて、ミヤマヨメナを見つけたのです。あちこち探していたのですが、まさかわが家からそう遠くない場所に群生地があるとは思いませんでした。

 今年は5月24日に地元代石(たいし)の群生地でミヤマヨメナの花の姿を確認しました。花の開き具合から言って、開花はその4、5日前頃だったと思います。

 言うまでもなく、私が気になる野の花はミヤマヨメナだけではありません。毎月、その月ならではの気になる野の花がいくつかあります。3月はキクザキイチゲ、4月はコシノコバイモといったふうに。

 6月になれば、吉川区が生育地の北限と言われているササユリです。ピンクや白の花を咲かせ、楽しませてくれます。ここ数年は白とピンクの花の競演を写真に収めることが一番の楽しみになっています。

 このササユリは、私が吉川区の山間部に住んでいたときには知らない花でした。ユリ科の野の花としてはヤマユリとオニユリくらいしか知りませんでした。そしてヤマユリがユリ科の王様だと思ってきました。でも六角山の散策でササユリを見つけてからは、ササユリにぞっこんです。

 ミヤマヨメナを含め野の花のほとんどは人に知られることもなく、そっと咲き、そっと散っていきます。しかし、そうであったとしても、花の時期になれば、野を彩り、至高の美をつくりだします。見事としか言いようがありません。

 あと3日で6月です。そろりとササユリが開花するはずです。ヒメサユリのような派手さはないものの、慎ましく咲く姿には毎年感動しています。今年はどんな花姿を見せてくれるのでしょうか。 ことでしょう   

  (2022年5月29日)

 
 
第708回 ゼンマイ飛行機

 先日他界した叔父にかかわることでもう1つ書いておきたいことがあります。それは3年前の従弟の死についてです。

 亡くなった従弟は叔父にとっては長男になります。亡くなった当時、従弟はまだ62歳という若さでした。叔父そっくりの顔立ちをしていて、頭の回転もよく、都内にある専門学校の教師をしていました。

 生前の叔父は、この従弟の死をずっと知らずにいたと私は思っていました。当時、叔父は93歳。見た感じは元気でも、自分の連れ合いに続いて長男が先立ったとなると、精神的ダメージが大きいのではないか。伝えたことで身も心もガタガタときたら困る。そう思って、家族からも私からも長男が亡くなったことを伝えないことにしていたからです。叔父が入所していたグループホームのスタッフのみなさんにも「叔父に伝えない」考えであることをお伝えし、了解していただいていました。

 ところが、誰も叔父に教えなかったにもかかわらず、叔父は長男の死を感じとっていたようだと、葬儀の翌日、叔父が入所していた施設のスタッフの方から教えていただきました。

 入所以来、叔父は毎朝、施設から見える吉川区のシンボル、尾神岳に手を合わせていました。長男が亡くなった翌日の朝も、尾神岳に手を合わせていましたが、その時間はとても長く、しかもその際、何かぶつぶつ言っていたというのです。ひょっとすると、お経を唱えているのではないか。施設のスタッフのみなさんは叔父の様子を見て、長男の死が直感でわかったのではないかと心が震えたと言います。

 その話を聴いて、これまで不思議に思っていたことが理解できるようになりました。これまで一番叔父のことを気にかけ、叔父の心配をしていた長男が叔父の顔を見に来ない、電話も手紙もよこさない。新型コロナウイルス感染症のことがあるにしても、叔父はいつかそのことに疑問を持ち、自分の子どもたちか私に何か言ってくるのではないか、そう思っていたのですが、長男のことはひと言も言いませんでした。今回、ようやくその謎が解けました。

 叔父の葬儀の中では、いまでは懐かしい叔父と叔母の夫婦喧嘩のことなどの思い出話が次々と出ました。そして、亡くなった長男のことも話題となりました。何がきっかけだったかは記憶していません。話はじめたのは長男の連れ合いです。

「お父さん(連れ合い)が、子どもたちの前で草の飛行機をつくって飛ばし、子どもたちが『お父さん、すごい』と言ってた」

  「草の飛行機」というのはゼンマイで作った飛行機のことです。それまであまりしゃべらなかった長男の連れ合いがうれしそうに話をしたので、私は斎場周辺の道などでゼンマイを探しました。どこかにあるはずだと思ってはいたのですが、5分も経たないうちに手頃のゼンマイを見つけました。

 早速葉をちぎり、かっこいい「ゼンマイ飛行機」をつくって待合室で飛ばしました。無風の中でしたので、なかなかうまく飛ばせませんでした。でも、「ゼンマイ飛行機」のおかげで、亡くなった長男も「加わって」叔父をしのぶことができました。

 初七日の法要が終わってから後生寺に行きました。短時間だったものの、叔父の家の中に入り、仏壇の前で叔母と叔父の写真を並べました。遺骨も仏壇におきました。そして、みんなが叔母に声をかけました。

「かあちゃん、長い間、一人にしておいてごめんね。今度、とうちゃんもあんちゃんも行くから仲良くしてね」  

 叔父が約5年間、施設に行き、その間、留守を守ったのは仏壇のなかの叔母でした。26年前、68歳で旅立った叔母にはみんなの気持ちが伝わったことでしょう。        

  (2022年5月22日)

 

第707回 家に帰りたい

 大きく心を揺さぶられた時がやってきたのは、通夜式後のお斎(とき)が終わり、田中家の控室で叔父の思い出を語り合ってまもなくのことでした。
 
 シゲルさんが突然言ったのです。

「親父が後生寺の家に連れていってもらった写真があるんですよ」

 一瞬、耳を疑いました。叔父が柿崎区芋島のグループホームにお世話になってから、自分の家に戻ることはもちろんのこと、自分の家の現実の姿を見ることは一度もなかったと思っていたからです。

「えーっ、後生寺の家を見たことがあったの?。その写真、おれにも見せて」

 そうお願いすると、シゲルさんは奥の部屋に行き、何枚かのスナップ写真を持ってきました。歩きながら写真を見て、「これです」と言って渡してくれたのは、まだ新しい写真でした。

 写真はグループホームの送迎用ワゴン車の中なのでしょうか、左側に大きく叔父の後ろ姿が写っています。叔父は手を合わせていました。その叔父の視線の先にあるのは叔父の家の玄関でした。グループホームのみなさんが叔父の願いに応えて、後生寺の家に連れていってくださったんですね。

 その様子が確認できてすぐ、涙があふれそうになりました。

「いかったねー。何度か家を見せてもらったの?」と尋ねると、シゲルさんは「この時の一度だけです」と答えました。

 いったい、いつ頃の写真だろうと思っていま一度見ると、右下に撮影日時が入っていました。二〇二一年七月二七日、一五時一五分。なんと、昨年の夏に叔父は自分の家に連れて行ってもらったのです。

 この写真をめぐり、一緒にいたイトコたちと話になりました。

「父ちゃん、車から降りたんかねぇ」
「降りないと思うよ。降りたら、どっかにしがみついて帰らないと言うだろうし」
「そうだよね。降りたら帰らないよね」

 新型コロナウイルス感染症が流行する前、私は、だいたい三か月に一回は叔父を訪問することにしていました。訪問するたびに、叔父は「ゼンマイ採りに行かなきゃならん」などと言っては後生寺の自分の家に帰る話をしました。

 叔父の願いを聞き、一度は叶えてあげたいと思っていましたが、踏み切れませんでした。叔父の性格からして、連れていけば、「もう施設に帰らない」と言いだすかもしれない、そう思ったからです。

 関東にいるイトコたちが帰省して叔父の施設を訪問したとき、一番切なかったのは、叔父は迎えに来てもらったと思い、身の回りのものを風呂敷などにつつんで帰り仕度をはじめることだったと言っていました。ですから、イトコたちも叔父を家へ連れていくことはなかったのです。

 叔父が柿崎区のこのグループホームにお世話になったのは平成二九年九月からです。ですから、叔父は五年弱にわたって、「家に帰りたい」という願いを抑えていた、そう思っていたのです。

 でも、施設のスタッフのみなさんは、昨年、叔父の願いを叶えてくださったのです。生きているうちに、自分の家に一度は帰れたのです。叔父はどれほどうれしかったことでしょう。叔父が手を合わせていたのは、家の仏壇のなかでひとり留守番をしていた叔母にたいしてだと思いますが、施設のみなさんへの感謝の気持ちの表現でもあったと私は思いました。

 葬儀の翌日、荷物整理のため、施設の叔父の部屋に入って、もう一度びっくりしました。叔父はいつでも家に帰れるように、いくつかの大きな袋のなかに身の回りの物のほとんどをしまいこんでいたのです。私は、やっとのことで涙を抑えました。

  (2022年5月15日



第706回 十数年前の世界で

 先日の夜、23時30分頃でした。母の寝室に入ろうとしたら、びっくりしましたね。ベッドで寝ているはずの母がそばまで来て、戸につかまっていたのです。

「なしたが」
「コゴメ採りに行こうと思って……」
「そんな時間じゃないよ。寝ないや」
「ほっか」
「はい、遅いすけ、寝よさ」

 そんなやりとりをして、母の手をとり、ベッドまで戻しました。普通なら、それで一件落着となるのですが、この日の夜はそうはいきませんでした。

 母のベッド脇に布団を敷いて寝る準備をしてから、風呂に入るため洗面所に行っていると、母の部屋から物音がしました。「これはおかしい」そう思って、部屋に戻りました。すると、母はベッドの上で、上半身を起こし、ニコニコしています。

「とちゃ、連休だし、青空市場の方へ行かんねど。車、混んでるだろし。コゴメ採りに行こさ」
「こんな時間に行かんねこてね。それに、おまん、歩かんねよ、山なんか……」
「……」
「はい、寝ないや」
「……」
「お願いします。寝てくんない」

 母はしぶしぶ横になり、目をつむりました。私は、母の胸に電気アンカを抱かせ、毛布、布団をかけました。

 その後、私は風呂にさっと入って、いつもよりも早めに上がり、自分の布団の中に入りました。母を見ると、私が風呂に入るときと同じように目をつむったままです。「これなら大丈夫だ」と私も目をつむりました。

 それから1時間も経たないうちに、「とちゃ」という母の声で起こされました。

「なしたね、しっこか」
「ううん、出ね。きょう、デイサービスで背のでっけぇしょが4人、歩く練習してなっとぉ」

 そう言って母はベッドに腰掛けるようにして足の運動を始めたのです。 「いち、に、いち、に」  デイサービスで運動している人たちの様子が記憶に残っていたのでしょうか。母はしばらく足の運動を続けました。

 明らかに母のテンションは上がっていました。そして、母はしゃべり続けます。

「とちゃ、きょう、粕甘酒、ごっつぉになっとぉ」
「そりゃ、いかったね」
「サクラも見とぉ、ボタンザクラだねかな、でっけぇ木で、ばかいかっとぉ」
「……」
「ありゃ梶かな、とちゃ、行ってみたか」
「うん、見たよ。はい、寝ましょう、寝ましょう」

 この日の夜は、こんなことが2時間おきに繰り返されました。もう1つ、私の記憶に残っている話、三輪自転車のことです。

「とちゃ、おら、自転車買ってもらわんきゃだめどぉ。買ってきてくれ」
「わかった、わかった、寝よさ」
「でっけぜんだろうな、新しく買うてや。おら、どうしても、自転車ねきゃダメだな。どっか、行かんねもん」
「……」
「カゴのついたがは注文しねきゃだめだろな、店に並んでねもん」

 長女によると、母は翌日の朝、牛舎へ行って牛の世話をするつもりでいたとのことでした。母はもう自転車には乗れないし、わが家は牛飼いもやめています。どうやら、母はいまから十数年前の世界で生きているようです。今度、牛を飼う、コゴメ採りに行くと言ったら、どう言ったらいいのでしょうか。「頑張るね」が一番かな。 

  (2022年5月1日)

 


第705回 鈴蘭水仙

 三条市からKさんがときどき来ている実家を取り壊すそうだという話を聞いたのは高田城址公園のソメイヨシノの花がまだ少し残っている頃でした。

 教えてくれたのはYさん。Kさんの実家がある吉川区米山(こめやま)にかつて住んでいた人です。「Kさんは実家を大事にしていなって、家の管理だけでなく近くの畑などもきれいにしてなったんだけど、もうじき80歳になるし、通わんね、という判断しなったがろね」と残念そうでした。

 Yさんは先日、吉川区源地域にある三大しだれ桜を観に出かけ、その帰り道に、米山に寄ったのでした。そのとき、Kさんが実家に来ておられたということです。いまは、家を取り壊す前の準備で、Kさんは、建物の中にある物の整理をされているそうですが、Yさんは言いました。

「一番、時間がかかっているのは古い写真の整理だって。どれを残そうかと考えていると、あっという間に時間が過ぎていくんだよね」

 じつは私も家の引っ越しなどで同じ体験をしたことがあります。

 私の子どもの頃の写真は近所のHさんや原之町の親戚の人などから撮ってもらった数枚しかありません。大量に写真が残るようになったのは、社会人になってからです。特にカメラを自分で持つようになってからのものが多い。何十枚、何百枚とありますから、どうでもいい写真がほとんどなのですが、それでも長年写真を撮っていると、大量の写真のなかに「これは宝物だ」と思えるものがあるものです。わが家の移築のときの写真などがそうでした。

 私はKさんの実家とはKさんのお父さんが健在だった頃から親しく付き合いをさせていただきました。私の父も生前、長年にわたり、お世話になってきました。

 いま残っているKさんの実家の玄関には、貴重な記録写真が何枚か貼ってあります。Kさんの実家には、ひょっとしたら、私の父の写真や源の歴史の重要場面の写真もあるのではないか……。そう思い始めたらじっとしていられませんでした。

 翌日の午前、私は車を米山へと走らせました。運がよければ、Kさんと会えるかも知れない、そう思ったのです。公民館があるところまで行った所で、Kさんの車がないことがわかりました。もちろん、Kさんの姿もありませんでした。

 やはりダメだったかとがっかりしていたところ、前方から歩いてくる女性の姿が目に入りました。背丈、歩き方からして間違いなく、「いんきょ」(屋号)のお母さん、マサエさんです。車を止め、窓を開けると、「なーんだ、橋爪さんかね」とニコニコ顔です。

 マサエさんは先日、90歳になったばかり。数年前にお連れ合いを亡くし、その後、ご自身も体調を崩し入院したものの、今は元気です。マサエさんは、お連れ合いが畑に植えたというゼンマイを左手に10本ほど持ちながら、Kさんのことなどを語りました。そして、言いました。

「この間、Kさんからセリをもらったの。池の中にとてもいいのがあったんだわ。家を壊しなれば、さみしくなるこてね」

 マサエさんと別れた後に、私はKさんの実家の玄関前に行きました。セリが採れたという小さな池や木戸先の花などをゆっくり見せてもらいました。

 私の目にとまったのは鈴蘭水仙(すずらんすいせん・スノーフレーク)です。先日、道之下でも出合った花ですが、白い花びらには緑色の斑点があり、清らかでとても美しい花です。花言葉は「皆を惹きつける魅力」。Kさんの実家にぴたりの言葉です。長年お世話になったことを思い出し、感謝しながら、その場を離れました。

  (2022年4月24日)

 

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