春よ来い(26)
 

第618回 通院付き添い

 最近、母の通院に付き添うことが楽しみになってきました。母と一緒に過ごす貴重な時間となっているからです。

 先日は、お世話になっている介護施設に母を迎えに行き、病院から戻るまでの4時間ほどを母と一緒に過ごしました。

 迎えに行ったのは午前8時半です。施設の玄関前まで行って、インターホンを使って声を掛けると、「橋爪さーん、お迎えですよ。きょうは病院に行くんだよ」というスタッフの方の声が聞こえてきました。

 軽乗用車に乗せると、いつもの茶色のヘアネットを頭に着用した母は車の前方をじっと見たまま、黙っています。私から、
「さみしくなかったかね」
 と声をかけると、
「なーんも」
 という言葉が返ってきました。

 母の体調の良し悪しは、車に乗った時の会話の様子で判断できます。こちらから声をかけても反応がないときは体調が悪い。反応があるときはまずまず。自分からしゃべるときは上々の体調です。

 この日はくるみ家族園を過ぎ、カントリーが見える頃になってから、母がしゃべりはじめました。
「穂、いっぱい出てるなー」
「そうだね、五百万石だと思うよ」
「粒、でっけーがど」 「おらちも五百万石、作ってたよね」
「だと思うな」
「そう言えば、おまん、小貫(こつなぎ)知ってるかね、足谷の奥の……」
「知ってるよ、足谷から道あったもんだ」
「おれ、きんな、小貫(出身)の人に会ったがど。おまん、行ったことあるがか」
「あるよ。足谷んちの近くから山越えて小貫に行く道あって行った。何軒もねかったような気がするな」

 こんな調子での会話が病院に到着するまで続きました。五百万石は酒米です。そして小貫は、旧松代町の集落の一つで、旧大島村の足谷の近くにありました。

 病院に着いてからは、それこそ母の付き添い本番です。9時25分から血液検査が始まりました。

 番号札を提示した後、「お名前、言ってもらってもいいですか」ときかれた母は何を思ったのかマスクを外し、「はい、橋爪エツです」としっかり答えました。

 検査用の血液は3本。やせ細った右腕を差し出すと、看護師さんが母の手をとり、アルコールをつけて針を刺しました。1本目の採取では、血液が管の中をシュッーと流れていくのが見えました。

 続いてレントゲン検査。こちらもわずか5分ほどで終了しました。9時40分には内科に戻り、診察へ。入院時からお世話になっているお医者さんから、「貧血は改善されましたね。肺の方も良くなっていますよ」と言われてホッとしました。

 この日は診察、会計が終わるまで3時間半ほどかかりました。前回よりも時間がかかったので母も気になったのでしょうね、ずっと車イスに乗りっぱなしだった母は、
「腰かけてばっかいたすけ、ケツ痛くなっとぉ。とちゃ、オレ、入院しねきゃならんがか」ときいてきました。

 ちょっといたずらっぽく、「おまん、入院してがか」と言うと、「なしてー」。入院しないでいいことを悟った母は、安心したようです。 「何時だか知らんけど、腹減ったな。とちゃ、新井線のヒラサワさんとこ寄って、押し寿司買ってこさ」とも言いました。

 これだけ食欲があれば体調は最高。この日は時間がなく、別のお店で押し寿司を買い、車中で少し食べてもらいました。「どうだね、味は」とたずねると、母は「うんめ」と言って何度もうなずきました。  

  (2020年8月9日)

 
 

第617回 紛失騒動

 先日、母がお世話になった病院の先生から診断書をもらうにあたって必要な文書が行方不明となり、大騒ぎしました。

 「行方不明」と書きましたが、管理していたのは私です。「失くしてしまった」と言った方が正確かも知れません。

 家族の者からは「大事なものを決まった場所に置かないからこういうことになる」と責められました。私は、10日ほど前に文書を手にしたときにさかのぼり、文書を置いたと思われる場所、保管したと思われるカバンや机の中などを数時間かけて探しました。でも、見つかりませんでした。

 私が大事なものを失くして大騒ぎすることは今に始まったことではありません。学校に通い始めた頃から今日に至るまで、大切なものを失くした事例は10本の指で数えることができないくらいあるのです。

 失くしたもののほとんどは、そう長い期間をかけずに出てきましたが、いまだにわからず仕舞いなのがいくつかあります。

 一番忘れることのできないものは小学1年生のときの通知表です。通知表には児童について評価する欄があって、担任の山田利(やまだ・とし)先生(当時。その後、先生は結婚されて小島姓にかわりました)は私について、「仕事はのろいが、最後までがんばる」と書いてくださいました。

 この言葉は、これまでずっと私を励まし続けてくれました。どんな困難にぶつかっても、オレは最後にはちゃんとできる。そう思うと自信をもって何事にも向かうことができました。それだけに先生が書いてくださった通知表を大事にしていたのですが、じつは20数年前、旧源農協の2階で行った同級会を最後にその通知表はどこにあるかわからなくなってしまいました。

 その同級会では、利先生が来賓として初めて出席されました。私は通知表をその場に持ち込み、みんなの前で、「先生のこの言葉のおかげでがんばることができました」と先生に感謝の言葉を伝えました。利先生は、はずかしそうにしながらも、とても喜んでくださいました。先生のその姿を見た私は涙が溢れ出ました。

 その後、お酒に酔って、元の場所にしまい忘れたのでしょうね。私の通知表は現在、小学2年生から高校3年生まであるものの、一番大事にしていた小学1年生時の通知表が欠落したままになっています。

 話を元に戻しましょう。私が病院からの診断書をもらうための文書を一生懸命探したのには他にも理由がありました。文書と共に母の後期高齢者医療被保険者証、診察券も一緒だったのです。いずれも大事なものです。私は、失くしたことがわかった日だけでなく、その翌日も改めてカバンや机などを探しました。どこを探して出てこないことが明らかになった段階で、私はすべて再発行してもらう覚悟を決めて、病院へ行くことにしました。

 病院の駐車場に着いて、私は念のためもう一度、車の中にあるボックスを開いてみました。車検証や車の整備記録、保険証券入れなどを一つひとつめくり、もうないなと諦めかけたときでした。まさかと思いました。探していた文書とそれに包まれていた後期高齢者医療被保険者証等があるじゃありませんか。ボックスの中は前の日もすべてチェックしたはずなのですが、いったい、どこに「隠れていた」のでしょうか。

 何故、見つからなかったのか、いまでも不思議でなりませんが、前の晩、良い結果を予感させることが起きていました。利先生が生前、私にくださった最後のハガキが出てきたのです。「努力は何ものにも勝る」と書かれたハガキでした。このハガキもかなり前に失くしていました。ひょっとすると、20数年前に失くした通知表も近々出てくるかも知れません。 

  (2020年8月2日)

 
 

第616回 タチアオイ

 出合うと気になる花、あなたにありませんか。私にはコブシ、キクザキイチゲなどいくつもの花があります。それぞれ、いろんな思い出とつながっています。

 最近、私が気になっているのはアオイ科の多年草、タチアオイです。それも、吉川区北部にある吉川橋の上流2百bほどの右岸の高台にぽつんと咲いているものです。6月からずっと赤い花を咲かせ続けていますが、民家から離れたところに何故咲いたのか。しかもそこの花はよそのものよりも長持ちしています。そばを通るたびに気になりました。

 7月3日の午後2時半過ぎ、このタチアオイのそばまで行ってみました。

 車を走らせながら見たときは1本に見えましたが、タチアオイは1本ではなく、3本もありました。

 1本1本よく見ると、真ん中のタチアオイが一番背が高く、1b30aもあり、8個の花を咲かせていました。両脇のタチアオイは、1本は2個、もう1本は6個、花をつけていました。握りこぶしのようにぎゅっとしまって、茎に巻きついているつぼみもいくつかありました。これから咲くのでしょう。

 この日は朝方に雨が降ったのでしょうか、花はいずれも下向きで、花の裏側には雨の粒らしきものがいくつも残っていました。降り止んでかなり時間が経っているはずなのに、なかなか落ちないでいる、これは初めて気づきました。

 タチアオイのそばまで行ってわかったのですが、この花のことが気になっていた人間は私だけではありませんでした。タチアオイの周辺の草が少し刈ってあったのです。おそらく、タチアオイが育ちやすいようにと誰かが刈ったに違いありません。

 タチアオイの姿をゆっくり眺めている時に、周りの音も私の耳に入ってきました。

 ひとつは近くを流れる吉川の流れの音です。普段はザーとかゴ―といった結構大きな音がするのですが、この時は、水の玉が破裂でもしたかのようなプチプチという音がしました。

 次に風。タチアオイのそばに行ったとき、風は東から西へとゆっくり吹いていました。繰り返し吹くので草の葉がぶつかり合います。さらさら、さらさら。激しくぶつかる音ではなく、やさしくふれあう音が聞こえてきました。

 そしてウグイスなど小鳥たちやセミの鳴き声も賑やかです。これは市道を挟んで反対側の山の上の方から聞こえてきました。

 3本のタチアオイのまわりには様々な植物がありました。一番多くあって、目立ったのはヨシ、そしてセイタアカワダチソウもそれに負けないくらいに仲間を増やしていました。そのほか、ヒルガオ、クズもありました。薄いピンクの花を咲かせたヒルガオは、花のほとんどが低い位置にあるためにアピール度が弱く、赤いタチアオイだけが存在感を示していました。

 この吉川橋上流の赤いタチアオイは、先日行われた河川の草刈りでなくなっています。でも、19日の日曜日、再びこのタチアオイを思い出しました。

 じつはこの日のお昼過ぎ、吉川区の山間部にあるMさん(故人)宅の脇を車で通り過ぎようとして、ブレーキを踏みました。Mさんが生前から植えていたタチアオイが絶えることなく、何本も生きていて、赤やピンクなどの花を咲かせていたからです。

 それらのタチアオイの写真を撮っていた時、ふと思いました。私がタチアオイを好きになったきっかけの1つは、明らかにMさん宅で何年も見てきたから。吉川橋上流のタチアオイが長く咲いていたのは、Mさんが「おらちも咲いてるよ。見にきない」と私を誘っていたからではないか、と。    

  (2020年7月26日)

 
 

第615回 替え唄

 先日のことです。お連れ合いのT子さんに「歌ってみない」と言われ、居間でくつろいでいたDさんが歌を歌ってくださったのにはびっくりしました。

 Dさんが歌い出したのは、「お座敷小唄」の替え唄です。

♪何もしないで ぼんやりと
 テレビばかりを観ていると
 のんきな様でも年をとり
 いつか知らずに●●ますよ

 Dさんは今年の春から毎週2回、デイサービスに通っています。この替え唄はそこで覚えたようです。「お座敷小唄」の替え唄は「●●ます小唄」と「●●ない小唄」の2種類あるのですが、よほど気に入ったのでしょう、Dさんはどちらも歌ってくださいました。

 もともとDさんは職人さんで、酒の席は何度も経験されていたのでしょうが、私はDさんが酒の席で歌う姿は一度しか見たことがありませんでした。正直言って、歌は歌っても、それは商売上、半ば義務的なことであって、本人は自らマイクを握るような人だとは思っていなかったのです。それだけに居間で歌詞を見ながら歌う姿は新鮮でした。

 私の場合と違って、Dさんが歌う唄はちゃんとリズムに乗って、流れもきれいですし、声もいい。たぶんデイサービスでは、談話室で歌うと、仲間の皆さんや介護士のみなさんなどから「上手いねぇ」「上手なもんだ」とほめられているんだと思います。Dさんは、その延長線上で、これらの替え唄を歌ってくださったのでしょう。とにかく、楽しそうでした。

 デイサービスでの活動についてDさんが歌のこと以上に語ってくださったのは野菜作りです。

 野菜作りをするデイサービスがあることは聞いてはいましたが、実際にその作業に携わっている男性から話を聞くのは初めてでした。Dさんが通うデイサービスでは、利用者の方が元気に頑張れるようにと、野菜作りに本腰を入れているようです。そこでは土起こしもするし、タネまき、苗植え、草取りもする、畑仕事はなんでもするのだそうです。

 Dさんは、「デイサービスに行って、畑仕事するとは思わんかっとぉ」「おれなんか、畑仕事してこなかったすけ、NさんやOさんから教えてもらっているがど」と言いましたが、ニコニコしながら話している姿を見ると、いやいやながらではなく、けっこう気に入ってやっているのだろうと思いました。

 T子さんによると、デイサービスに通い始めた頃、Dさんは靴をはいて出かけていたそうです。でも、外で畑仕事をすることもあることがわかってからはスニーカーに履き替えたといいます。

 いまは梅雨時です。雨が降っているときはどうするのかと思ったら、屋内で手仕事をやるのだそうです。具体的には塩の袋詰め作業です。上越では安塚の塩が有名ですが、このデイサービスではフィリピンから輸入した塩を一定量、袋に入れる作業をやっているとのことでした。

 Dさんは今年になって物忘れがひどくなり、医者にお世話になりました。元の状態への完全復帰は難しいと思いますが、いまは落ち着いてきていて、デイサービスには元気に通っています。

♪年をとっても 白髪でも
  頭はげても まだ若い
  演歌唄って アンコール
  生きがいある人 ●●ません

 Dさんが歌った替え唄の「●●ない 小唄」の最後です。Dさんが歌っているとき、お茶の用意をしていたT子さんの頬がゆるむのが見えました。

  (2020年7月19日)

 
 

第614回 キュウリの佃煮

 親戚のキゾウさんから「ハナはパッと咲いて早死にするぞ」と言われたのはどれくらい前だったのでしょうか。ハナさんは現在91歳。耳がすっかり遠くなり、足腰も弱くなりましたが、まだまだ元気です。

 先日も、ハナさんを訪ねたところ、うれしそうな顔をしてキュウリの佃煮のことや昔話などを次々と語ってくださいました。

 ハナさんがキュウリの佃煮を作るきっかけとなったのは、十数年前の新潟日報の窓欄の記事です。長岡市のYさんの投稿でした。そこには、Yさんの義兄が作るキュウリの佃煮では、どういう材料がどれくらい必要か、どのように作るかだけでなく、作った時の反響まで書かれていました。

「これは私も作ってみよう」、この記事を読んだハナさんはすぐにキュウリの佃煮作りに挑戦します。そしてハナさんは、これまで十数年間にわたり、年4、5回のペースで作り続けてきたのです。

 新聞の投稿記事の中にあった「キュウリは3`」、「タカノツメは3、4本」など材料についての記述は紙に書き写し、それを見ながら作りました。いまでは、「みりん、30シーシー」「酢、150シーシー」などすべてそらんじています。

 ただ、作り方については新聞記事をしっかり読み、料理好きのハナさんらしい工夫をしています。例えば、主たる材料のキュウリ。細かく切って一晩塩で殺し、洗濯機の脱水機能を使ってしぼっています。歳をとって力がなくなった分、頭を使っているんですね。そして、しぼったキュウリは大きなフライパンに入れて、焦げ付く寸前まで汁を煮詰め、冷ましたところでパッとカツオ節を3袋入れているといいます。話を聴いているだけでも佃煮の出来上がる様子が思い浮かんできます。

 出来上がったキュウリの佃煮は美味しく、美味しいからこそ1年に何回も作ります。私もご馳走になりましたが、ご飯のおかずにしてもいいし、お酒のつまみにもいい。もちろん、お茶にも合います。ハナさんは、大量に作ったときはパックに入れて冷凍庫にも保存しています。冷凍しておけば、急に旅からお客が来ることになったときなど、すぐに対応できるからです。冷たくなったキュウリの佃煮もいいものです。

 ハナさんのキュウリの佃煮はハナさん宅の台所にじっとしてはいません。近くの親しい人に届けられます。静岡など遠くの親戚にも渡ります。そして、雲門寺の東堂さんなどお世話になった人のところにも。

 ハナさんは戦中から昭和25年までの6年7か月、埼玉県は桶川市のあるお宅で女中奉公をしていました。そこの家とは現在も交流が続いています。最近も生のキュウリとナスと一緒にキュウリの佃煮を送ったとのことでした。送られた人はうれしいでしょうね。

 驚いたのはキュウリの佃煮を先祖にも「贈っている」ということでした。わが家でも数十年前はそうでしたが、野菜などの初物がとれれば、仏壇の先祖にまず供える、それから家の者が食べるという習慣がありました。ハナさんの家では、いまもそれを続けているのです。

 ハナさんは自分と一緒に住んだ人たちの命日を大切にしています。12日は夫の命日、8日は夫の母親の命日、6日はまだ小学1年生という若さで亡くなった長女の命日、次々と月命日のことが語られました。キュウリの佃煮はこうした人たちにも「食べてもらっている」んですね。

 楽しそうに語るハナさんの様子を見ていて、美味しいものを作るコツは人を大切にする心だと思いました。そう言えば、ハナさんの姉のヒサさんからも正月に囲炉裏で串餅を食べさせてもらったことがありました。この姉妹は顔も心もそっくりです。  

   (2020年7月11 日)
 

第613回 夏のコタツ

 心臓の具合が悪く、入退院を繰り返した母。先週の土曜日、19日ぶりにわが家に戻ってきました。

 病院の看護師さんの話では、母の体調は入院前に戻ったとのことでした、でも、食事ひとつ見ても、以前より食欲が落ちています。顔もいくぶん痩せたと感じました。

 状態がいいときは出されたものの8割は食べる。でも状態の悪いときは3割しか食べない……。看護師さんからそう聞いたのは今回の退院の数日前でした。だから、母の食べ具合が一番気になっていました。

 退院した日、家に戻った母はまずサイダーを飲み、ベッドの上で横になりました。そこまではいままで通りです。

 母の食欲がいままでとは明らかに違っていることを意識したのは、その日の午後からのことです。

 買い物に行くことにしていましたので、母に「何かほしんもん、ねかね」と聞いたら、「アイスクリーム!」という言葉が返ってきました。

 母に食べてもらうにはバニラの棒アイスがいいかなと思っていましたが、お店には、残念ながらバニラの棒はなく、「PINO」(ぴの)という箱入りのアイスクリームを買ってきました。コーヒーのミルク入れくらいの小さな入れ物にチョコやバニラなどのアイスがいくつも入っているものです。

 買い物から家に戻ると、母はベッドから居間の電動イスに移動していました。「はい、アイスクリームだよ」そう言って差し出すと、母はバニラが入ったものを1個口に入れました。

 いままでだったら、すぐに「まあ、うんめがど」と言ったのですが、この日は、口の中にアイスを入れたあと、しばらく目をつむりながら、口をもぐもぐさせて、飲みこみました。そして、こう言ったのです、「もう、いらん 」。

 アイスが思っていた以上に冷たく、それでもう食べられないという意味だったのかも知れません。でも、私は、母の体がアイスそのものを受け付けなくなってきているのだと思いました。

 実際、「いらない」という言葉を発したときに、母は右手でも「もういらない」という仕草をしていました。「こんがにうんめもん、なして」と、私が言おうとして言わなかったのは、母の手を振る姿を見たからです。

 母の体調の変化を意識したことがもうひとつあります。それは、退院して4日目でした。この日は、半日、母と一緒に居間で過ごしたのですが、母は電気ゴタツの中をのぞいてから、スイッチを入れるよう求めてきたのです。

 この日は夏日、気温は25度以上でした。家の中は外に比べて低いものの、寒さを感じるような気温ではありません。
「寒いがか」
 と尋ねると、
「なして……。コタツはあったかい方がいいこて」
 そう言って、母はちょっぴりさみしそうにしました。私からは、
「こんがにあっつい日にコタツはいらんこてね」
 と言って、その場はコタツに電気は入れなかったのですが、夕方、母の手を触ってみたら、手が冷たかったのです。

 ひょっとすると、母は居間で寒さを感じていたのではないか、そう思ったら、申し訳ない気持ちになりました。

 母は96歳。一般的に、高齢になるにつれ、皮膚の温度感受性がにぶくなると言われています。母もそうなっているのかも知れません。でも、アイスとコタツでそれだけではない変化を感じています。

  (2020年7月5日)

 

 

第612回 黄色いサボテンの花

 何でもそうですが、思ってもみなかった良い展開となると心を揺さぶられます。Yさんの場合、サボテンの花がそうだったようです。

 6月の下旬、Yさん宅へ行くと、「橋爪さん、ちょっと見ていってください」と誘われました。Yさん宅の屋敷の前庭から少し歩いたところへ行って、「うわっ」と声をあげそうになりました。杉の木の根っこのところでサボテンの黄色い花がいっぱい咲いていたからです。花の数を数えると、少なくとも70個は咲いていました。

 花には日の当たり具合などで早く咲くものもあれば、遅いものもあります。これから咲く蕾も数十個ありましたから、しばらく人の目を楽しませてくれそうです。

 サボテンはウチワサボテン、サボテンの代表選手と言っていいでしょう。一個だけで見ると、縦12a、横10aほどの大きさです。咲いている黄色の花は直径5aもありました。敵から身を守るためでしょうか、たくさんのトゲもあります。古いサボテンほどトゲは硬く、とがっています。

 ウチワサボテンは横に増えるだけではありません。体の上部から芽が出て、上の方にも増殖していきます。ですから下の方にあるものは古く、上の方にあるものは新しいサボテンということになります。

 Yさんの話だと、このサボテンは最初、家の玄関近くのプランターの中において育てていたとのことです。それを7、8年前、Yさんのお連れ合いが杉の木の下に移したとのことでした。サボテンを移植した場所でトラクターにくっついた土を落としたといいますから、その土に含まれていた栄養が効いたのでしょうか、その後、縦にも横にも広がり、サボテンの数はどんどん増え続けました。まだ畳1枚分には届きませんが、それに迫る勢いがあります。冬囲いをしないで増え続けたというのも驚きでした。

 このサボテンの花、最初はピンクのものがいくつか咲いたそうです。それがいつのまにか黄色い花にかわり、いまは完全に黄色の花となりました。スイカズラのように白から黄色に変化する花もありますが、この花は同じ花の色が変化するのではなく、年度をまたいでの話ですから、なぜこういうことになるのか調べてみたいものです。

 この日は、このサボテンを見る30分ほど前に、別の家でアジサイの花の不思議な咲き方について教えてもらっていました。そこの家の脇には、アジサイの木がありました。毎年、青色の花を咲かせます。そのアジサイから1bほど離れた場所に挿し木をしたところ、赤っぽい紫色の花が咲いたということでした。土質、日当たりなども花の色に影響を与えるのでしょうか。

 Yさん宅のサボテンについては、最初に見た日の次の日にもおじゃまし、2度も見せてもらいました。もう一度ウチワサボテンを見て、細かいところも丁寧に観察したいと思ったのです。

 2回目の訪問の時も青空が広がり、気温は25度を超えて、夏日となりました。前日咲いていた花はいくつもしぼみ、花の数は減っていましたが、花が醸し出す全体の雰囲気はそのままでした。

 カメラを向けると、ハチが1匹やってきて、花の中心部に顔を突っ込み、蜜を吸い始めました。雌しべの柱頭の一番上から脇、さらにその下へと顔を押しつけ、蜜を盛んに吸っています。そして次から次へと飛び回るなかで、体中、花粉だらけになっていました。ハチも必死です。

 私が再度、サボテンを見に出かけた日、Yさん夫婦の娘さんの家では祝い事があったとのことでした。黄色い花は幸せをもたらすと言われています。今年はウチワサボテンの花に願いを託しましょう。

  (2020年6月28日)


 
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