春よ来い(25) 
 

第591回 えご

 「えご」をご存じでしょうか。「自分中心」といった意味のエゴではありません。食べ物の「えご」です。

 先日、従兄の家でお茶をご馳走になった際、久しぶりに「えご」と出合いました。従兄の連れ合いのA子さんが出してくれたのです。「えご」は私の好物の一つ、ちょっぴり醤油をかけていただきました。

 A子さんが出してくれたものは、この「えご」だけでなく、手づくりサラダを含め、みんな美味しかったのですが、そのなかでも「えご」は味といい、少しざらっぽい舌触りといい、最高でした。

  「えご」は子どもの頃から食べてきた郷土料理です。

 わが家では、母が作ってくれました。

 蛍場にわが家があった時代、わが家は柏崎市笠島から赤色の「えご草」を仕入れました。それを母が洗って、カヤとかヨシ、場合によってはワラの上にのせて日にさらしていました。こうすると白くなるのです。家のそばで、さらしているときの、ほのかな磯の香り、忘れられないですね。

 母によると、いくらきれいに洗ったつもりでも、細い棒や屑が入っていることが多かったとか。天日干しした時点で、それらを選別し、捨てたと言います。  その後の「えご作り」は、どこの家でもやっている通りです。水を一定量入れて「えご」を煮る。鍋の底で焦げ付くことがないように、ゆっくりと混ぜながらとろみがつくまでやる。それで、あとは固めて冷やせば出来上がりとなります。

 従兄の家でいただいた「えご」には辛子がのせてありました。従兄の居住地域では醤油と辛子で食べるんですね。わが家では酢味噌でしたが、私はどっちも好きです。

 従兄の家でのお茶会は、A子さんだけでなく、隣集落のJ子さんも一緒でした。「えご」をゆっくり味わいながら、私も時どきしゃべりましたが、おしゃべりの中心は2人の女性です。

 最初はやはり「えご草」をめぐる話題でした。「採る人が少なくなったらしい」という話から始まって、「売っているところも少なくなった」とか「えごを練る人も減ってきているこて……」といった調子で話が弾んでいきました。最近、「えご」を口にする機会が少なくなったのにはそれなりの背景があったんですね。

 続いて、地元の話題です。「おらほでも空き家が増えてきたこて。切ないね。夫婦して施設に入ってる人もいなるし……」、「子どものところへ行っても付き会う人がいればいいけど、いないとね……。また元の所に帰ることがあるすけ、家は残しておいた方がいいかも」。こういった話は、他人ごとではありません。そうそう、近くのお寺の住職さんが交通事故にあったらしいという話も出ました。心配です。

 そうこうしているうちに、従兄が戻ってきて、それからは4人でのお茶会です。田んぼをたくさん耕作している従兄からは、「夏の田んぼの水が心配だ」「最近は九州でも北海道でもうまいコメがとれる」「夏場は空からも水が落ちてこないと等級は下がる」などといった話が出ていました。異常気象で再び不作となることが心配なんですね。

 従兄の家で、「えご」の味をほめたら、A子さんに「おまんちのお母さんも上手でいなる」と言われました。そう言えば、母の作った「えご」、もう5、6年は食べていません。残念ながら、母が作るのはもう無理です。先日、インターネットで調べたら、笠島産の「えご草」を使った「えご」の作り方が動画で紹介されていました。今度は母に食べさせてあげたいものです。   

  (2020年1月19日)

 
 

第590回 母の年賀状

 今回は年賀状をめぐる話。1月5日の夜のこと、95歳の母から不安というか気になることを聞きました。

 95を過ぎて、年賀状に返事を出すだけでもえらいと思って、母に「杉のかちゃにも書いたがか」と訊くと、「書いたと思うな。板山のキイちゃには、バイバイと書いたもん」と答えたのです。

 年賀はがきに「バイバイ」と書いた。考えすぎだと思われるかも知れませんが、その言葉がこの世からサヨナラする言葉のように思えました。「キイちゃ」というのは母の実家の隣で育ち、板山へ嫁に行ったキエさんのことです。

「そう言えば、あの時の年賀状にバイバイと書いてあったもんね」、そんな言葉が出るような事態が起きないようにと願いつつ、私は考えました。「ならば、いまのうちに母をキエさんのところに連れていこう」。年賀状が届いた後に、ちゃんと会っていれば、そういう事態は避けられると判断したのです。

 翌日の午後、会議が早めに終わったので、「よし、きょうのうちに行ってこよう」とキエさんに電話を入れたところ、「まあ、うれしい。来てくんない」という返事でした。急な話ではありましたが、母も乗り気で、すぐに「行く」と、私の誘いに応じました。

 雪は降っていなかったので、吉川区の川谷地区を通って、キエさんが住んでいる大島区板山を目指しました。

 途中の山々は、母にとっても私にとっても懐かしい風景です。わが家の田んぼや畑があったナナトリ(地名)を見た母は、「名木山のミネ(屋号)んしょの林とおらちの田んぼ3枚、物物交換した」と言いました。「音治郎じちゃ、その林で炭焼いた」とも。よく覚えているものです。

 石谷では、タキ(屋号)の和子さんとも会いました。母は「耳遠くなって……」と言うと、和子さんはニコニコして「頑張りましょう」と両手の親指を立てて、母を励ましてくださいました。

 わが家から板山までは車で40分足らずで着きます。「おーい」と呼びかけ、キエさん宅に上げてもらった母は、薪ストーブのそばに座らせてもらいました。

 キエさんは、「いかったじゃ。そこだら背中あぶりになるすけ……。はあ、いかった。あったかいろ、そこ」と言ってから、コタツの長いテーブルの上に次々とご馳走を出してくれました。

 キエさんが「ごった煮だ。年とったら、味、落ちちゃって」と言って出してくれた料理にはセリ、ウインナー、竹輪、ネギ、豆腐、茹で玉子などが入っていました。

 気になっていた年賀状について、私から「おかしな年賀状やったてが、もうしゃけねかったね」と言うと、「なして、いい年賀状だったよ。95にもなってこんがん書けるがすけたいしたもんだ」との言葉が返ってきました。

 キエさんから「こんがん書ける」とほめられた年賀状を見せてもらいました。そこには、「きえちゃん、お元気ですね。年賀状有りがとうございました。雪のない正月でなによりです。風ひかないやうに頑張ってね。バイバイね」と数行書いてありました。何のことはない、バイバイは通常の挨拶の言葉だったのです。ほっとしました。

 食欲旺盛な母は、煮物を黙々と食べ続けました。その母にキエさんは、「風邪ひかんかったかね」と声をかけました。すると、母は、「おら、ひかんよ。コタツにもぐっているもん」。私は、ふだん、ネコのようにコタツにもぐって寝ている母を思い出し、笑ってしまいました。

  (2020年1月12日)

 
 

第589回 高齢者講習

 歳を重ねると、いろんなことがありますね。私は3か月後に70歳を迎えますが、70歳にならないうちに高齢者講習の案内ハガキが来てびっくりしました。

 正直言うと、「まだ、70になっていないのに何かの間違いじゃないか」そう思って、ちょっとムッとしました。でも、間違いではありませんでした。道路交通法にある高齢者講習のことを私がよく知らなかっただけのことでした。運転免許証更新前に高齢者講習を受ける義務があって、更新時には高齢者講習終了済みの証明書が必要だったのです。

 高齢者講習の日は11月28日。ハガキには講習の日時が書かれていて、都合の良し悪しを自動車学校へ連絡することになっていました。「この頃なら予定通り講習を受けられる」と判断し、返事をしました。

 高齢者講習の当日、私は講習の会場である柿崎自動車学校に初めて行きました。免許を取る時に世話になった学校ではないかと思われるかも知れませんが、自動車の運転免許は大学を卒業した1972年(昭和47)6月、個人指導で取得したので、自動車学校に通っていなかったのです。

 講習会場には私のほか、同じ年齢の男性が1人、女性が4人参加していました。女性のうち2人は明らかに見たことのある顔でした。でも、1回会っただけで強く印象に残るレベルの特徴がある人ではなく、どこで会ったか思い出せません。それがずっと気になりました。

 講習会では、まず高齢者が安全運転するためのビデオを全員で見て、その後、2組のグループに分かれ、決められたコースを運転しました。

 私のグループは3人。私以外の2人は女性でした。コースまわりは合格、不合格がつくわけではなかったのですが、やはり緊張しました。というのも、すでに高齢者講習を受けた人から、免許を取る時に苦戦したSクランクや車庫入れもある、そう聞いていたのです。

 コースまわりに使う乗用車は普通車でした。普段、軽乗用車に乗っている者としては、普通車の車体は広く、長いとあって、運転感覚が微妙に違います。でも、乗った時点で、「まあ、ゆっくり走れば問題ないだろう」という気持ちになれました。

 後から考えると、それが良かったのかも知れません。

 まず第1難関、車庫入れ。大きく前に出て、後ろを見ながらバックすると、丁度真ん中にピタリと止まりました。100点です。日頃、曲がったり、ナナメに止まったりするものですから失敗を覚悟していたのですが、杞憂に終わりました。

 もうひとつの難関、Sクランク。これも脱輪することなく、無難にこなしました。

 講習で一番問題だったのは視力です。視力検査では夜間視力、動体視力とも思っていた以上に低い数値でした。特に動体視力は速度30`で0.1であり、がっくりでした。これだから、私の車の前を横断するタヌキに気づかないことがあるんですね。

 目に関しては視野検査もありました。この検査で初めて確認できたのは、左右の目にある盲点の存在です。前方15度ほどの右または左にあるんですね。実際に確認できたことがじつに新鮮でした。

 こうして、高齢者講習は無事修了したのですが、運転免許証更新時に必要だという高齢者講習修了証を同日、紛失して大騒ぎとなりました。どこにしまいこんだのかわからなくなってしまったのです。私が普段使っている机の左の引き出しの中から見つけたのは、何と33日後でした。大事にしまったことをどうして忘れたのか……。     

   (2020年1月5日)

 
 

第588回 12月の凍み渡り

 もうほとんど消えてしまいましたが、今冬は雪が早かったですね。多いところでは、50aほどの積雪となったようです。 「えっ、まさか」と思ったのは、凍み渡りができたという知らせです。

 12月9日の朝のことでした。市内山間部に住むAさんが、フェイスブックで、「初、しみわたり」という見出しをつけて発信してくれたのです。

 おはようございます(^^)
 いや〜 ガリンガリン、つるんつるんの朝
 そして空は青空〜
 だから今朝は一番の寒さかな。
 今年初、しみわたり〜(^^)
 しみわたりってご存じでしょうか?
 さむーい朝に雪がかたくなり、その上を
 歩いていけること。いっときの楽しみな
 んですよ。
 雪の上をウサギかな〜
 足跡も発見。
 しみわたりができる〜ってなったら、
 ワクワクウキウキ……(中略)……
 サクサク、ザクザクって音がまたワクワ
 ク感をアップさせます(笑)

 どうです、素敵な文章でしょう。この文章を読んだだけでも雪の上を歩いたときの楽しい気分にひたることができるのではないでしょうか。たぶん、Aさんは、自宅の近くの田んぼかグラウンドで凍み渡りをされたんだと思います。

 Aさんの発信には、この文章と共に写真も添えられていました。ブーツをはいて雪の上にあがった時の様子を自撮りした写真です。青いスカートの下ですらりと伸びた足とそれをしっかり守っているブーツはまったく埋まっていませんでした。

 改めて言うまでもないと思いますが、凍み渡りとは、凍った雪の上を歩くことを言います。前日は晴れて、その夜は地上の熱がどんどん逃げていき、翌朝は冷え込む。放射冷却現象が起きたときに、雪が凍ってガチガチになるのです。道路はまさに「ガリンガリン、つるんつるん」、大地はすべて「雪コンクリート」、こうして凍み渡りができるようになります。

 当然のことながら、凍み渡りができるためには一定の積雪がなければなりません。少なくても30a前後は積もっていることが必要だと思います。

 それにしても12月に凍み渡りができるとは思いませんでした。やはり異常気象なのでしょうか。雪国で生まれ、雪国で育った人間ですから、ずっと冬を見てきましたが、12月に凍み渡りしたという話は初めて聞きました。

 これまで、私が一番早く凍み渡りできたのは4年前の1月21日の朝でした。この日の日記には次のように書きました。

「冷え込みました。今冬で一番でしょう。おはようございます。今朝はカメラを持つ手が冷たい、というよりも痛いです。雪の上にのぼっても足がうまりません。近くの雪原をゆっくり歩き回りました。1月に凍み渡りができるとは思いませんでした。いつも思うのは、凍み渡りをしているときの解放感。最高です、雪国、最高です」

 今冬の初の凍み渡りが私が体験した時よりもさらに1ヶ月以上早いとなれば、今冬は、長期間に何度も凍み渡りができるかも知れません。

 どうあれ、凍み渡りは冬の間に少なくとも一回はやりたいものです。出来れば、私が育った蛍場の野山をどんどん歩いて、子ども時代の遊び仲間を思い出したい。そしてウサギやヤマドリにも会ってみたい。         

  (2019年12月29日)

 

 
「春よ来い」一覧へ