春よ来い(23)
 

第545回 早春の青い花

 何度見てもまた見たくなる。野にある花にはそういうものが少なくありません。早春に青い花を咲かせるオオバコ科のオオイヌノフグリもそのひとつです。

 今月の5日でした。市役所での仕事が午前11時過ぎに終わり、自宅に帰る途中のことでした。ふと、オオイヌノフグリのことを思い出して、隣の集落の農道へと車を走らせました。

 この日は2月とは思えないほど暖かい日差しが大地に降り注いでいました。「こんな日は花がぱっと咲いているに違いない」そう思った私は、何となく落ち着きませんでした。

 目当ての場所に着いて車を降りると、すぐにオオイヌノフグリの花の姿が目に入ってきました。明るい青、コバルトブルーの花があちこちに咲いていたからです。まさに全面開花といった感じの咲き方でした。

 ちょうどお日様の位置が上の方にありましたので、私は、どの角度から花を撮ろうかとカメラを動かしながら、写真に撮る花を特定しようとしていました。

 そのときです、赤紫の花が目に入ったのは……。一瞬、目を疑いました。青い花だけでなく、赤紫の花もある。私には信じられませんでした。私が野の花を意識するようになってからすでに30年近くになりますが、オオイヌノフグリについては、これまで青色の花以外は見たことがなかったのです。

 ひょっとすれば、このほかにも赤紫色のものがあるかも……。そう思って探しましたが、やはり、赤紫色の花は私が見つけた1つだけでした。ただ、よく見ると、隣近所のオオイヌノフグリも明るい青が基本色ではありましたが、4枚の花びらに赤紫色の縦筋が入っていました。これらも同じ色になる過程なのかも知れません。

 私は、ワクワクしながら、カメラでこれらの花を何枚も撮りました。これまで何千枚もの花の写真を撮ってきましたが、今回撮った写真は、間違いなく私の宝物のひとつになります。

 家に戻った私は、さっそくパソコンを立ち上げ、インターネットでオオイヌノフグリについて調べました。でも、まれに白やピンクはあっても、赤紫色の花を咲かせることがあるとは書いてありませんでした。それほどめずらしいものだったのです。

 生物学上、どういう事情で赤紫色の花をつけたオオイヌノフグリが出現したのかはわかりません。ただ、私には、近くで咲いていたヒメオドリコソウの赤い色と関係しているのではないかと素人なりに考えているのですが、どうでしょう。

 私にとって、オオイヌノフグリが赤紫色の花を咲かせることがあることは新発見でしたが、インターネットで調べていて、もう1つ、知ったことがあります。それは雪に耐えるオオイヌノフグリの秘めた力についてです。

 そこには、「寒さに耐えるため、細胞内の糖濃度を高める機能を持ち、葉と茎に生える短い毛で雪と霜を遠ざけて保温する」とあったのです。今冬のように、雪が降っては消え、降っては消える激しい変化に耐えて、オオイヌノフグリが青い花を咲かせ続けるのはなぜか。ずっと疑問に思っていたことが、ようやく解決しました。

 オオイヌノフグリが雪下野菜や雪室貯蔵の野菜と同じように細胞内で糖濃度を高めて、寒さに耐える植物だった。今回、そのことを知って、野の花にはまだまだ私の知らない世界があることを改めて感じました。ますます面白くなってきました。

  (2019年2月17日)

 
 

第544回 三年日記帳

 話には聞いていましたが、三年日記帳というものを初めて見せてもらいました。見せてくださったのは上越市の山間部で一人暮らしをしているK子さんです。

 日記帳はB5サイズ、1ページに横書きで3年分書き込めるようになっています。もちろん、上から1年目、2年目、3年目の順です。左の欄外には、「怒りは敵と思え」などといった故事・ことわざが書いてあって、その横に午前と午後の天気を書きこむことができます。

 1ページは大きく二等分されていて、2日分書くことができます。日記の欄は各年ごとに10行、用意されています。その右には、「収支の覚え」という欄もあって、買い物の記録を残せるようになっているのです。なかなか便利にできています。

 私がK子さん宅を訪ねたのは1月17日でした。兵庫県南部地震が発生し、阪神淡路大震災と呼ばれるほど大きな被害が出た日です。すでに24年経過していますが、テレビは朝から特集番組で関連ニュースを放映していました。

「おらったりでは、たしか、この日、新しい町長さんが初めて登庁した日だったがどね」そういって話し始めたところ、K子さんは2階まで上がって、三年日記帳を取りに行ってくださいました。

 しばらくすると、K子さんは紫色の風呂敷に包んだ日記帳を持って来られました。風呂敷を開けると、何と7冊も入っているじゃありませんか。聞くと、三年日記帳だけで10冊もあるというのです。その前の段階では、昨年2月に亡くなった私の伯母と同じように、農協の「家の光」のものを使って10年ほど書いていたとか。ということは、少なくとも40年は日記をつけているということです。すごいですね。

 さて、K子さんの日記ですが、いうまでもなく個人情報がたくさん書かれています。遠慮しつつ、少しだけ見せていただきました。見せてもらったのは、阪神淡路大震災の前年から3年間の1月17日など数日分の記録です。

 大地震が発生した1995年(平成7)1月17日の日記には、「新聞配達、6時30分。きょうも雪が降り続く。道つけして新聞配達に出る。(中略)ご飯も食べずに内職もって行った。(後略)」などとありました。そして赤いボールペンで、「午前6時より地しん しんげんち(あわじ島) 大阪あたりもたいへんな為、高田へ電話した。無事とのこと」と書いてありました。

 赤いボールペンで書かれているところは、「収支の覚え」欄にもありました。翌年の1996年1月17日の「収支の覚え」欄には、「バス代480円、パーマ2500円 買い物1800円」と赤字で書いてあったのです。どういう事情があったのかはわかりませんが、K子さんにとっては重要なことだったのでしょう。

 驚いたのは、日記のあちこちに線が引いてあることでした。最近は赤や青のクレヨンが使われています。例えば2年前の1月17日の日記、「○▲十一時過ぎに来てくれた。お茶一ぱいのんで、5時迄おひるも食べないで仕事していった」という文章には赤いクレヨンで線が引いてありました。

 どうやら、K子さんは線を引きながら日記を読みなおしておられるようなのです。赤や青のクレヨンで一日一日を振り返り、また次の日も書く。それだけ一日一日を大切に生きてこられたんですね。

 1日も休むことなく、今夜も日記を書き続けるK子さんの姿が目に浮かびます。

  (2019年2月10日)

 
 

第543回 「赤い花」

 夜中にお茶飲みとはびっくり。半月ほど前、母が夜の11時近くになって、台所から急須を持ってきて、「のどが渇いたすけ」と言いながらお茶飲みを始めました。

 私は「なんでこんな遅い時間に飲むのだろう。何か体の調子がいつもと違うのではないだろうか」と心配になりました。でも、それは取り越し苦労でした。お茶を一口飲んだ母がうれしそうに話を始めたのです。どうやら、母は私と話をしたかったようです。

 そのときの母と私の会話を再現すると、おおよそ次のようになります。

「とちゃ」
「なしたてが」
「きんな、家のまわりを、ぐるっとまわって歩いたがど」
「ふーん」
「そんで、前庭んとこへ行ったら、チューリップみていな葉っぱがあってな、そんなかに赤い、まんまるの花がベトから出てたがど……」
「へーえ、そりゃなんだろいね」
「おまん、今度、見てくれ」
「いいでも……」

 その夜の話はそれくらいで、短く終わりました。

 話を聞いていて、私は、「夢を見たときのことと現実のことが、また、ごっちゃまんざいになっているに違いない」と思いました。「また」と書いたのは、最近、母の話にはそう言ったふうに感じられることが何回かあったからです。

 翌日、私は暗いうちに起きて、「しんぶん赤旗」の配達に出ました。配達が終わったのは7時近くになっていました。終わって、玄関のところまでやってきたところで、前の晩の母の話を思い出しました。

 まずは玄関脇にある雪を見ました。母が家のまわりを歩いたというなら、足跡が残っているはずだと思ったからです。ところが、雪の上にはひとつも人間の足跡がありませんでした。ネコやタヌキなどの足跡もありません。 「やはり、夢だったんだな。そもそも、自力で歩くのが困難になってきている者が家のまわりを歩くなんて考えられない」そう思いました。それでも、念のため、庭木が植わっているところから家の脇にある道へ出てみました。母が最後のところで見たというチューリップ状の葉っぱと「赤い花」があるかどうか気になったのです。

 道が農道と出合うちょっと手前のところで止まり、あっと思いました。2bくらい奥に赤いものが見えるじゃありませんか。

 すぐそばまで行くと、緑色の大きな葉に囲まれ、赤い実が5、6個ついていました。大きな万年青(おもと)です。葉や赤く丸い実を手にとってみて、母が「ベトの中から赤いまんまるの花が出ている」と言ったものに違いないと確信しました。

 それにしても、誰が植えたのでしょう。家に入って、母に、「ばちゃ、おまんがそった赤い花は万年青だろね。じちゃ、植えたがか」と聞くと、「ほっか。ほしゃ、じちゃだろうなぁ」と答えました。

 デイサービスの日か医者に行くときでもなければ外に出ない母がなぜ外に出たのか。私にはひとつ思い当たることがありました。稲沢市に住む弟からの電話です。

 正月に帰ることができなかった弟は先日、母のところへ電話をかけてよこしたのです。「かちゃ、サクラ咲いたら帰るからね、待ってないや」そう言ったというのです。母は家のまわりに桜が咲いていないだろうかと、気になったのでしょうね。

 (2019年2月3日)

 
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