春よ来い(21)
 

第510回 笹かんじょ

 梅雨に入り、笹の葉が大きくなってきました。笹の葉はここ越後の地では、餅、笹団子、チマキ、押し寿司などを作るうえで必需品ですので、笹の葉採りがあちこちで見られるようになります。

 母は長年にわたり笹の葉を採り続け、自家用だけでなく、市内北部在住の私の友人などに頼まれた分も採ってきました。採った笹の葉は、三輪自転車のかごに載せて家に運びました。笹の葉を自転車にどっさり載せて、ギーコ、ギーコとペダルをこぐ姿は喜びにあふれていました。

 ただ、90歳を過ぎてからは、さすがに山に入って採ってくるのはきつくなったようです。笹の葉の量はがくんと減りました。そして昨年からは自分で採りに行かなくなりました。その代わり、どうしても必要なときだけ大潟区に住む弟に頼んで採ってきてもらっています。

 先だっての金曜日だったでしょうか、私が高田の事務所から地元に戻った際、母の様子を見るために、いっとき家に立ち寄りました。母はテレビの前に立っていて、束ね終わった笹の葉をコメの30`用紙袋にしまっていました。

 母が束ねた笹の葉はけっこうたくさんありました。笹の葉の束のひとつには、「○○様。1500枚 47枚」と書いた紙を挟んでありました。合計で1547枚の笹の葉を用意できましたよ、というメモです。どうやら、また私の友人に笹を頼まれたようです。

 数日後、私は居間の南側にある廊下で笹かんじょしている母の姿を久しぶりに見ました。母はコタツのそばに敷いてあった長座布団を2つ折りにし、さらにその上に枕(まくら)を置いていました。驚いたのは、その枕の高さまで背中を倒した姿勢で仕事をしていたことです。

 笹かんじょをするとき、母は両足は伸ばし、その上にコメ袋を載せていました。右手で笹の葉を1枚1枚数え、左の手のひらにぱたっ、ぱたっと載せていく、五〇枚ずつの山が2つできると、輪ゴムを取り出し、100枚の束としてまとめる、スピードはゆっくりでしたが、丁寧に数えていることがよくわかりました。

 母の独特の姿勢だと、少し顔を上げれば、廊下の外の様子や庭の景色などがよく見えます。母は言いました。「笹かんじょしてると、鳥が見えるがど。ツバメは巣の場所ねかとパパッと飛んでくるし、しっぽの長い小鳥が柿ん木から下りてくる」と。

 笹かんじょと言えば、先日、まさかと思うことがありました。

 この日も朝早く、玄関には大きなビニール袋に入った笹の葉が届いていました。弟が採ってきてくれたのです。

 ところが、この日の朝、母の体調はすぐれませんでした。最近、私が3週間ほど風邪で苦しんだこともあって、母にうつしたのかと疑ったのですが、手にしびれがあるなど風邪とは別の症状でした。

 医療機関で検査してもらったら、脳梗塞でした。ただ、思っていたよりも母の症状は軽く、ホッとしました。薬は2週間分もらってきましたので、安静にしているようにと母に言い、私は市役所へ行きました。

 市役所では2時間ほど会議に出て、終わり次第、家に戻りました。居間に入って最初に目にしたのは笹の葉の束です。何と、テレビの脇に山になっていたのです。 「おまん、また、笹かんじょしたがか」と母に聞くと、にこにこ笑っています。休むことを知らないのでしょうか、大正生まれのこの人は……。
   (2018年6月17日)

 

第509回 夢の不思議

 たいがいの夢は見てもすぐ忘れてしまいます。ただ、なかには布団の中に入っているうちは憶えているものがあります。それも少し時間がたてば、あっという間に忘れてしまうのですが。

 5月21日の明け方に見た夢もそういうものでした。ただ、このときは、夢が私の記憶から逃げていかないうちに、枕元にあるスマートフォン(多機能携帯電話)を使って記録しました。

 夢の中では、私は吉川区伯母ヶ沢の山に入っていました。柿崎区東横山に隣接する標高100b足らずの山です。

 ここは、これまでに一度だけ入ったことがありました。いまから24年前、春から雨がほとんど降らず大騒ぎになった年の夏のことです。山に掘った大きな井戸が不足している水道水源にならないかと、見に出かけたのでした。確か、町議の仲間や町役場の担当者と一緒でした。

 何故、伯母ヶ沢の山が夢に登場したのかはまったくわかりません。ただ、きっかけとなったかもしれない出来事がこの頃、ひとつありました。

 母を連れて市内の病院に行ったときに、農協に勤めていたSさんの姿を見かけ、同じ日にSさんのお連れ合いとも思わぬところで出会っていました。そのお連れ合いの実家は、夢に出てきた山の近くだったのです。お連れ合いとは、実家のお母さんの最近の様子や地域のことを話したのですが、それで、20数年前の眠っていた記憶が少し蘇ったのかも知れません。

 夢の続きです。山では、道具で土を掘ったわけでもないのに、私がいたそばの土手に栗の実をいくつか見つけました。少なくとも3個はありました。夢の中では栗の木のことや実について、私が説明をしていました。

 栗の品種や特徴などを語っていたのであればわかるのですが、中身はデタラメなものでした。「ここにある栗は伯母ヶ沢にもともとあったわけではありません。梶のOさんが持ってきて、この地で育ったものなんです」と私が語っていたのです。

 梶のOさんとはしばらく会っていませんが、今年の4月上旬、Oさんの息子さんと大潟区の朝日池総合農場の創業を祝う集いで一緒になっていました。そのとき、「お父さん、元気かね」と言葉を交わしていました。それが夢に影響したのでしょう。

 夢はまだ続きました。夢の中にビニール製の風呂敷が出てきました。栗が数十個も出てくれば、それを入れる物が必要となりますが、ほんの数個なら手に持つだけで十分のはずです。でも、そこは夢なんですね。栗を入れるためのビニール風呂敷が登場したのです。

 風呂敷は先日、埼玉で久しぶりに見かけました。親戚の法事の際、お斎の場となったお店の販売コーナーで、お寿司を包むものとして使われていたのを見たのです。そこにあったのは、昔、愛用した唐草模様のものとか、緑っぽい無地のものとかではなく、もっと賑やかなものでした。三つ葉の緑と赤いイチゴがいくつも描かれたものとか、川の流れをイメージした水色と薄い緑のものなど素敵な模様の風呂敷でした。

 夢に出てくるなら、このときのきれいな風呂敷を見せてほしかったのですが、残念ながら無地のビニール製でした。

 夢を記録したことで分かったことがあります。夢は体験した事実を基にしながら、まったく関係のないこととも結びついて、勝手にありもしない話を創作するということです。うーん、不思議な世界です。
 (2018年6月10日)

 
 

第508回 グーとグー

 急に叔父の顔を見たくなって、叔父が入所しているグループホームへ行ってきました。前回、訪ねたのは2月でしたので、3カ月ぶりです。

 ちょうど、朝ご飯を食べ終わったばかりの時間帯でした。部屋から出てきた叔父は、談話室にいた私の顔を見ると、小さな声で「おーっ」と言い、にこやかな表情になりました。

「顔、見いきたがどね……。顔色、けっこういいねかね」。私にそう言われてうれしかったのでしょうか、叔父はますますいい顔になりました。

 この様子を見ていた厨房内の職員さんは、すかさず、「タナカさん、グー?」と叔父に声をかけます。それに応えて、叔父は「グー」と言いました。おそらく、叔父とこの職員さんとで、「タナカさん、グー?」「グー」といった言葉の交換を普段からやっているのだと思います。

 それから、私はスマートフォンに入っている写真を叔父に見てもらいました。  まずは私の母の写真です。先日、直江津の三八市でチマキを買ってきて、母にプレゼントしたときのものを見てもらいました。写真では、母が右手でチマキを持ち、細い目をさらに細くしていました。

 叔父は「若いねー」とほめてくれました。私はすぐに、「94だでね、おらちのばちゃ」と言いました。写真では、年齢よりも少し若く見えたのかも知れません。ありがたいことです。

 次は野の花の写真です。わが家の近くで撮ったヤマボウシの白い花、緑の葉の上にひらひらした感じで咲いています。そしてもう1枚、その日の朝、撮ったばかりの野ばらも見てもらいました。

 野の花を見てもらえば喜んでもらえるというのは、私の勝手な判断です。いま、どんな花が咲いているかを見てもらうのが季節感を味わってもらうには一番だと思ったのです。叔父は「便利なもんだなぁ」といった感じで見てくれました。

 談話室ではテレビで国会中継がはじまっていました。叔父はかつて政治にかかわったことがあります。いまはどうなんだろうという思いで、「国会中継、見るかね」と尋ねると、すぐに「見ね」という言葉が返ってきました。「相撲は見たかね」と質問を変えると、これにも「見ね」という答えでした。そう言えば、私の父も、大好きだった大相撲中継や水戸黄門の番組をある時期から全く見なくなりましたね。

 今回もコーヒーをいただきながら、話を続けました。テレビを見ないとなれば、退屈に違いない、そう思った私は、叔父にずばり聞いてみました。
「退屈でねかね」
 すると、叔父はすぐに答えました。
「おかげさんで、家にいりゃ、一人だでも、ここにいりゃ、仲間いるすけね。まんまもしてもらえるし……」

 この言葉を聞いて、叔父は思っていた以上に元気で、しっかりしているなと私は思いました。ホッとしました。

 この日、談話室には30分ほどおじゃましました。次の予定があったので、席を立つと、職員さんも叔父もみんなで玄関先まで見送りしてくださいました。

 私と一緒に帰りたいと言い出すかも知れないと心配されたのでしょうか、叔父に、「帰らんねがだよ、タナカさん、ここにいるんだよ」と声をかけた職員さんがおられました。そしてまた、例の厨房の職員さんから、「タナカさん、グー」という声が……。叔父は「グー」と言ってニコニコ顔になりました。
  (2018年6月3日)

 

第507回 真夜中の訪問客

 月曜日の朝のことです。玄関を開け、外に出て車に乗ろうとしたとき、すぐ私の目に入ったのは動物の足跡でした。それも、握りこぶしよりも少し小さめな足跡ですから、けっこう大きな動物です。

 よく見ると、庭にある百日紅の木の下あたりから金木犀の木のそばを通って、玄関の近くまでやってきたようです。途中の土が何ヶ所かほじくられていました。というよりも、重い体重の動物が歩いたことで跡がついたと言った方が正確なのかも知れません。

 動物が歩いたコースはわが家の庭でも、土が比較的軟らかいところです。めくれた黒っぽい土、その土の色の鮮度からみて、明らかに夜中に動いた跡だと思います。深くえぐられた穴の大きさは直径6、7aで、穴の形から判断すると、カモシカの足跡であることはほぼ間違いありません。となると、カモシカが夜中にわが家の玄関のところまでやってきて帰っていったということになります。

 しばらくして、私の地元事務所まで車に乗って行くと、そこでも同じ足跡がありました。大きさもほぼ同じです。カモシカはわが家に来ただけでなく、私の事務所にもやってきたのです。

 実際は、カモシカがたまたま、わが家や事務所にやってきただけのことなのかも知れませんが、そうでないとしたら……。ひょっとすると、カモシカは用があって私を訪ねてきたのではないか。そんな気がしてきました。

 家と事務所に残された足跡は、いろんな想像を掻き立ててくれます。

 500bも離れた建物を行き来したとなると、カモシカの家族に切ない事件があったのではないか。例えば、カモシカの子どもの姿が見えなくなったから、一緒にさがしてくれないか、そういった緊急事態があったのかもしれない。緊急事態というなら、子どもが病気になっていることも考えられます。橋爪さんなら、長年、牛を飼っていた。獣医さんを知っているんではないか。そう思って、訪ねたのかもなどと考えてしまいます。

 ここ数年の間に私は3回、カモシカと出合っています。

 1回目は吉川区と大島区の境とでもいうべき場所です。上川谷から板山に抜けようとしたときでした。私の車の斜め前にカモシカを見つけたので、カメラを持って車を降りようとしました。カメラが何かの武器のように見えたのでしょうか、カモシカは私の姿を見た瞬間、カヤをなぎ倒して、急な土手を下っていきました。

 2回目は、私の地元事務所のすぐそばの杉林でした。このときは、私と目が合ったのですが、私をじっと見ていて、逃げることはしませんでした。おかげで、このとき、初めてカモシカを写真に収めることができました。

 3回目は今年です。ひと月くらい前のことでした。市役所へ行く途中、ちょうど、小苗代の平和橋のたもと付近まで車を進めたとき、何か大きな動物が道をぴょんぴょんと横切り、竹林の中へと消えていきました。以前に見たことのあるカモシカに比べ、細く見えたので、最初は何だろうと思ったのですが、顔がちらっと見えたとき、カモシカであると確信しました。

 今年は私が住んでいる集落や私の事務所周辺でカモシカを見たという人が相次いでいます。このカモシカは、たぶん、私がひと月ほど前に見たカモシカと、そして、夜中にわが家にやってきたカモシカとも同じでしょう。  今夜もそうですが、私は事務所で原稿を書き、夜遅く家に帰ることが少なくありません。夜中にわが家にやってきたカモシカと夜中に出合う日はまもなくでしょう。そのとき、どんなドラマがおきるのでしょうか。
  (2018年5月27日)

 
 

第506回 母へのメッセージ

 母にプレゼントを買わなきゃ、と思ったのは日曜日の夕方でした。毎年のように花ばかり贈っていたので、今年はスイーツをと決めていました。

 買ったのは320円のものと200円ほどのスイーツ2個。どちらも見ただけで甘くておいしいことのわかるスイーツでした。車の助手席に置いて、家に着くまでに形が崩れないようにと気を遣いました。

 居間で電動イスに座っていた母は、私がスイーツをコタツの上のテーブルに出すと、「まあ、うんまそうだない」と言って喜びました。

 母がそう言ったのを耳にしてすぐに、家族の一人が、「ツトムおじさんも、去年と同じくゼリーをばあちゃんにって、送ってくれたんだよ」と言いました。座敷の隅には果物のミックスゼリーが何とふた箱もありました。

 3時間ほど事務所で仕事をしてから家に戻り、コタツのいつもの席に座ったとき、ふたたび驚きました。お菓子入れの中に、大きな袋入りの見たことのない食べ物があったからです。よく見ると、このお菓子は善光寺平特産の杏(あんず)で作った「ゆきげ杏」というものでした。こちらは、隣の大潟区に住んでいる、もう一人の弟からの贈り物だったのです。

 こうして3人の子どもから母に贈られたプレゼントは、中身こそ違ったものの、すべてお菓子類となりました。偶然とはいえ、同じことをそれぞれが考えていたかと思うと、おかしくなりました。いくら甘いものが好きだとはいえ、母はこれだけのものは食べられないでしょう。

 3人のうち一番遠くにいるのは、私のすぐ下の弟、ツトムです。愛知県に住んでいます。この弟が、大量のミックスゼリーが入った箱にメッセージを添えていました。縦横それぞれ20aほどの大きさの白い紙です。

 白い紙には、「母ちゃん 母の日おめでとう! いつまでも元気でいてネ! ※近日帰ります。ツトムより」と書いてありました。字を見て気づいたのですが、この弟の文字は9年前に他界した父の文字に似ていました。

 このメッセージを見たとき、母に弟の声を聞かせてやろうと思いました。「ばちゃ、ツトムと話し、しんかね」と尋ねると、「うん」と言います。私はスマホを操作し、呼び出し音がしている時に、母の耳元にスマホを持っていきました。

 母の耳元では、「もしもし……」という弟の声がし、私のところにも聞こえてきました。

 ツトムかぁ。きょうはもうしゃけねかったねー。うんめかったよ。ありがとねー。イサムも取りに来たよ。

 母は一気にしゃべりました。これに応えて弟が「近いうちに帰るすけね」とでも言ったのでしょう。母は、「うん、道中、気つけて来てくんない。待ってるすけねー」と言いました。

 母と弟が言葉を交わしたのは1分足らず、でも、言葉を交わしている母の表情はとてもうれしそうでした。電動イスに座り、斜め上の天井を見つめながら、はるか遠いところにいる人に呼びかけるような調子で、声をかけていました。また、弟からの言葉は、ひと言ひと言、かみしめるように聞いていました。

 弟のメッセージで思いついた母と弟との電話。遠くを見つめる姿勢でうれしそうな表情を浮かべる母を見て、親子4人がそろう日を早く実現させたいと思いました。
 (2018年5月20日)

 
 

第505回 水が張られただけで

 5月の日曜日の朝のことです。

 少しだけ風が吹き、わが家のそばの木の葉を揺らしていました。軽乗用車に乗って事務所まで行くとき、目に入ったのは田んぼです。きれいだなぁ、と思いました。田んぼのほとんどが代になっていて、周りの景色を見事に映し出していたのです。

 事務所に着いてから、カメラを手に持って、近くの田んぼの周辺を歩くことにしました。水が張られた田んぼの様々な風景を撮りたかったからです。

 事務所から100bほどのところにある田んぼのそばで、まず足を止めました。田んぼは前日に代かきしたばかりなのでしょうね、まだ濁っていました。それでも、よく見ると、水面に杉とミズナラの木が映っていました。

 水面から木の方へと目を移したら、風が見えました。正確に言うと、ミズナラの木の下の方の葉が東側から吹いてくる風で揺らされていました。ゆっくり揺れている葉、せわしく揺れる葉など風の当たり具合によって葉の動きが違っていて面白い。私は、しばらく見入りました。

 道をさらに100bほど進むと、用排水路と水門があります。その水門の隙間から水がこぼれ落ちていました。じょじょじょじょ……。その落ちる音がまた心地よく私の体に響いてきました。

 水門のそばにある田んぼは私と同年代のYさんの耕作田です。近くの畔にはハルジオンが5、6本、ピンク色の花を咲かせていました。静かです。音こそ聞こえてきませんが、田んぼの向こうの畔を見たら、カラスが1羽、盛んに土をつついています。何か虫でもいたのでしょうか。

 このカラスを見ていたときに、白いトラックがスピードを緩め、私のそばで止まりました。Hさんでした。朝仕事をして家に戻る途中だったのだろうと思います。久しぶりに会ったこともあって、田んぼのことや仕事のことなどで話が弾みました。

 Hさんが語った話の中で、印象に残ったのは夢の話です。夢の中で、カレーライスを食べている時に、すでに亡くなっているはずの柿崎の岩手の伯母さんが出てきて、桃を持ってきてくれたというのです。話をするHさんはうれしそうでした。私は、「きっと何かいいことがあるんじゃないの」と言いました。

 10数分後、Hさんと別れてから、私は水門の北西方向にある田んぼに目をやりました。ここでは、田んぼの表面に細かな波が丸い曲線を描きながら広がっている様子が見えました。これも東側から吹く風によるものです。それも強い風ではなく、水面をやさしくなでるような感じの風です。ここの水面もまた、きれいでした。

 波が小刻みに広がっている田んぼの隣の田んぼへ行ってみました。しばらくすると風は止み、水面は完全に鏡になりました。ミズナラ、ヤマボウシ、ケヤキなどの木々の幹の色も葉の緑も映し出されています。目立ったのは藤の花、水面の紫色の花が実物と同じくらい美しく見えました。

 田んぼを観察している最中、近くの雑木林からは小鳥たちの澄んだ鳴き声が聞こえてきます。

 この日は立夏を迎えたばかりです。田んぼの畦に立っていた私を太陽が照らし続け、背中が次第に暖かくなるのを感じました。そして、首の付け根もまた暖かくなりました。再び田んぼに目を向けると、1羽のカラスが降りて、すぐに飛び立ちました。その瞬間、田んぼの中で木々の緑が揺れました。
  (2018年5月13日)

 
 

第504回 母の出番

 「はあーどっこいしょ」。長座布団を南側の廊下に引っ張ってきた母は、気合を入れて座りました。5月の上旬、ある晴れた日の夕方のことです。

 この日の朝、わが家では近くのKさんから筍(たけのこ)をもらっていました。母の頭の中にはその筍が玄関に置いてあることが入っていて、コタツで寝ころんでいても気にしていたようです。 「とちゃ、玄関から筍持ってきてくれ」と言うと、母はコタツから抜け出し、まず台所から包丁を持ってきました。続いて、コタツのそばにある長座布団のひとつを廊下に引き寄せたのです。

 ビニール袋に入った筍は大小5本、ずしりとした重さがありました。筍は母が作業をする廊下まで私が運びました。「はい、持って来たよ」と言うと、母は身を乗り出し、袋から筍をすべて取り出しました。

 そのうち一番大きい1本をぐいっと引いた母は、包丁で手前から先の方へと筍の皮に切れ目を入れました。かなり力がいるようで、ぐっ、ぐっ、ぐっと包丁を押していきます。まさに筍をさばくという感じ。母は切れ具合を確かめた後、再び包丁で切れ目をより深くしました。

 最初の1本に切れ目を入れ終わった時点で、「おまん、何本かまうが」と母に尋ねました。もらった5本、すべてを処理するとなると、たいへんな作業となると思ったからです。すると、母は私が生の筍をほしいと思ったらしく、「おまん、1本ほしい?」と聞いてきました。「別にいらんけどさ」と答えると、「ほしゃ、みんな皮むいちゃうかな。こしゃっちゃう」そう言って、作業を続けました。

 筍の皮に切れ目を入れたあとの作業は皮むきです。母は包丁を脇に置き、両手で皮をむきはじめました。ぱりっ、ばりっという音がすると同時に、薄甘い、生の香りがぷーんと漂いました。

 自分の股に筍をはさみ、先っぽから徐々に根元の方へと皮をむいていく母。むきはじめると、すぐに白っぽい筍の実そのものが出てきます。ほぼむき終わった段階で、母は先っぽから15aほどのところを指し、「こっから刺身だな」と言い、すぱっと切り落としました。

 転がった部分は筍の中でも最も柔らかく、美味しい部分です。「茹でて、ワサビを入んた醤油をつけて食えや、うんめこて」母はそう言って片付けました。続いて、根に近い方からの輪切りです。左手で少しずつタケノコを回しながら切る母の姿を見て、年季が入っていると思いました。

 筍1本の皮むきの所要時間は約10分。むき終わったちょうどそのとき、防災無線から、「春の小川はさらさらゆくよ」と曲が流れてきました。午後5時です。廊下の外ではカエルたちも鳴いていました。

 1本目の皮むきが終わってから、私は少し散歩に出かけてきました。家を離れたのは50分間くらいだったでしょうか。戻ってみると、廊下には皮むきが終わった白い筍が転がっていました。それを見て私が「うわー」という声をあげると、母は「うんまげだねかな。食ってみない」と言って、小さく切った筍の先っぽを私に渡しました。それを口に入れた瞬間、びっくりしましたね。とても柔らかく、お菓子のような甘さがあったからです。

 筍をもらった日、じつは母の体調は芳しくありませんでした。でも、筍を見ただけで母の気持ちにスイッチが入りました。筍料理は自分の出番、まかせておきなさいと。筍には母を動かす力がありました。
  (2018年5月6日)

 
 

第503回 じちゃのカギ

 「ありゃ、じちゃの自動車のカギでねかな」。電動イスに座っていた母が急にそう言ったんですが、最初は何のことかわかりませんでした。

 先日の夜のことでした。母を見ると、母はテレビの上の方にある長押(なげし)を見上げていました。そこは普段、よく見たことがありませんでした。近くまで行くと、確かにカギがありました。

 父が亡くなってから、すでに9年が経過しています。こんなところに父の車のカギが置いてあるとは……。初めて知った私は、なんとも言えない感動を覚えました。

 長押にかけられていたカギは2つです。

 そのうちのひとつはダンプカーのカギでした。ダンプそのものは牛飼いをやめる前の段階で廃車処分しましたので、おそらく予備の合いカギだったのでしょう。

 もうひとつは父が乗っていた軽乗用車のカギです。カギと一緒にしてあった小さな赤いマスコットで父の車のカギであることを確認できました。このカギを見ていたら、父の車をめぐるいくつかの出来事を思い出しました。

 父は70代の後半に入って、何回か自動車事故をおこしました。そのうち、相手のある事故としては、たぶん最後だった事故のことを鮮明に憶えています。

 場所は柿崎区上下浜地内の国道でした。「とちゃ、事故おこしちゃっと」。父は、いかにも申し訳なさそうな声で私に連絡してきました。前方不注意で他人の車にぶつけ、自分の車も傷めた事故でした。人身事故にならなかったのが不幸中の幸いでしたが、私としては、父が弱弱しく見えたのがショックでした。

 この事故の前にも、父がカーブで車道の右側を走るところを見ていましたので、私は、「父はもう、車の運転をやめた方がいいかも」と思うようになりました。

 私が父の運転免許証を預かったのは、それから間もなくでした。車をスタートさせるとき、ペダルを踏み込み過ぎて急発進させるようになったのです。「この調子でハンドルを握っていると、いつか人を傷つけてしまうに違いない」そう思った私は、父の免許証を牛舎のある場所にしまいました。もちろん、父に断った上で。

 長押にあった父の車のカギを私がしみじみと見ていると、車とは全く関係のないことを母が話し始めました。

  「昔は青い豆、一斗ぐれぇ、精米所に持って行って、黄な粉にしてもらったもんだ。そうしると、精米所んしょ、全部、黄な粉にしなるがかね、と聞いてきなった。おらちは黄な粉、いっぺ食ったすけな。ノリカズの弁当もツトムの弁当もまんまの上に黄な粉かけて、端っこに大根やナスの味噌漬け、ふたっきれのせておいた。そうしると、喜んでたな……」

 何で急に青い豆のことや弁当のことをしゃべったのかはわかりません。ただ、この母のしゃべりで、源小学校水源分校時代に、母が作ってくれた弁当のことを思い出しました。

 正直言って、当時の私は子を思う母の気持ちを理解できず、弁当のおかずは同じクラスの人たちが持参したものよりも劣っていると思っていました。ですから、弁当を食べるときには、おかずの入っている部分を弁当のフタで隠して食べたものです。

 この日は父の車のカギを10数年ぶりに見たお陰で、忘れていた昔のことをいくつも思い出すことができました。忘れられていた父の小さなカギ、これは記憶の扉を開けるカギでもあったのです。
 (2018年4月29日)


 
 

第502回 足を鍛えて

 冬の間、柏崎市内の老健施設でお世話になっていた義母が自宅生活に戻りました。といっても、しばらくは義姉夫婦の住んでいるアパート暮らしですが……。

 先日、信越線安田駅の近くにあるアパートを訪ねてきました。「ごめんくださーい」と声をかけて、義母の部屋に入っていくと、義母は部屋の入り口付近で、座イスに座っていました。ほんの2、3か月会っていないだけなのに、義母の頬はだいぶやせ、なんとなく老けて見えました。

 何でこんなふうに見えるのだろうと考えたとき、最初に目に入ったのは髪です。義母は髪を短くカットしてもらったばかりだったのです。義母によると、ステッキカーにつかまりながらも一人でN子美容室まで歩き、カットしてもらってきたとのことでした。

 アパートから美容室までは300b弱です。足腰が弱りつつある93歳の義母が、自力でこんなにも歩くとはびっくりでした。それも交通量の多い国道252号線を横断したのです。よく渡ったものだと思いました。

 美容室にとって義母は昔からのなじみの客だったのでしょうか、義母はお金も持たずに行き、髪をショートカットしてもらい、頭を洗ってもらったそうです。代金2700円は義姉から持っていってもらったようです。

 義母とは老健施設で会って以来の再会でした。「施設での暮らしはどうだったね」と訊こうと思っていたら、こちらの気持ちが通じたのか、義母から語り始めました。「施設はご飯がいいね。それにおやつが楽しみだ。ただ、決まりが細かすぎるのがどうかと思うけど…」そう言って、施設内で「歩きまわる」などの運動が自分の考えているようにはできなかったことを教えてくれました。

 運動が思うようにいかなかった分を取り戻そうと、アパートに行ってからの義母はとても頑張っています。

 ステッキカーにつかまっての散歩は1日に4回もやっているといいます。アパートからすぐ近くの安田駅まで行き、郵便ポストをぐるっと回って帰ってくるだけですから、距離的にはそうたいしたことはないのですが、それでも1回当たり、1700歩前後も歩くそうです。

 それに、部屋に置いてある健康器具の「ペダルこぎ」もやっています。私たちが訪問したときも、話の途中からペダルこぎを始めました。たいがい1回当たり15分ほどぐるぐると回します。これを1日に数回やっているとのことでした。

 この日は義母が長年住んでいた自分の家で、「しだれ桜を楽しむ会」が計画されていました。お昼前に義母の家へと車を走らせました。義母が私の車から降りるときの体の動き、自宅前の坂道を歩く時の姿勢は、まだまだ達者という感じでしたね。

 お目当てのしだれ桜は、義兄の長女が生まれた翌年に植えた木です。空は薄青く、薄い雲が流れている。近くの田んぼではトラクターの音が賑やかで、カエルもそれに負けじと鳴いている。そんななか、樹齢約40年のしだれ桜はちょうど満開でした。

 会では、義兄夫婦などが用意してくれたコゴミの胡麻和え、シイタケの煮つけ、寿司などを食べながら、話がはずみました。「桜のそばにあるモミジ、ビールを飲んだわけではないのにずっと赤くなっている」「近くの道を走るカモシカ姉さんのランニングコースがわかった」など楽しい話ばかりでした。

 義母は義姉やその連れ合いなどとともに食べ、「きょうは、なんたら腹すくのい」と言っていました。3人の子どもがそろっただけで食が進むのでしょう。それと、「ペダルこぎ」が良かったのかも。いいやんべです。 
  (2018年4月22日)

 


第501回 コシノコバイモ

 ここ二週間ほど、探し続けている野の花があります。その名はコシノコバイモ。ユリ科の多年草で、4月から5月にかけて白っぽい花を咲かせます。

 私が初めてコシノコバイモに出合ったのは、10年ほど前です。わが家から直線で1キロほど離れた里山の斜面で偶然見つけたのです。ちょうどキクザキイチゲが花時を迎えていた頃でした。下向きに咲いている花は、何となくさびしそうで、それでいながら美しい。私は一目惚れしてしまいました。

 野の花の美しさにふれると、面白いもので、「もう一度あいたい」と思うようになります。コシノコバイモも例外ではありませんでした。私は翌年も同じ場所へ行きました。もちろん、見つけたときと同じ時期を選び、最初に出合った場所の周辺を探しました。しかし、その年も、さらにその翌年も見つけることができませんでした。

 コシノコバイモと再び出合ったのはそれから数年後です。2度目の出合いは思わぬ形で実現しました。吉川区山方のYさん宅を訪ねたときでした。玄関ドアの外の植木鉢を見た時、私は目を疑いました。縦15a、横20aほどの小さな鉢の中に、十数本のコシノコバイモが整然と並び、見事な花を咲かせていたのです。葉も花も全体の雰囲気も、私が初めて見たものとまったく同じでした。

 そこの家の人に聞くと、近くの里山で見つけたコシノコバイモの種をまいて、育てたということでした。インターネットで調べた時に、私は、コシノコバイモという野の花は数が極めて少なくなってきているということを確認していました。それだけに、種の段階から栽培してふやせることを知り、跳びはねたくなる思いでした。

 Yさんのお宅で再び出合い、私の気持ちにも区切りがついたのでしょう。その後、わざわざ里山に入ってコシノコバイモを探すことはなくなりました。また、山に入って野の花の写真を撮ったり、山菜採りをしても、コシノコバイモと再び出合うことはありませんでした。

 それが先日、安塚区のAさんに会ったことを契機に、無性にコシノコバイモにあいたくなりました。Aさんは、今年、近くの山でコシノコバイモを見たと教えてくださったのです。「山でコシノコバイモを見た」、その言葉は、自然の中で「もう一度あいたい」という私の思いを再び呼び戻しました。

 まず出かけたのは吉川区のYさんが種を取ったと思われる里山です。約1時間、山の中を歩き回りました。目指すは、カタクリとキクザキイチゲの群生地です。山のどこへ行ってもショウジョウバカマがいっぱいありました。ときどきトキワイカリソウ、スミレ、オオイワカガミの咲き始めたばかりのものと出合ったものの、カタクリなどの群生地はなく、コシノコバイモらしい花の姿はどこにもありませんでした。

 数日後、今度は安塚区にある山に登ってみました。こちらも1時間ほど歩きまわったでしょうか。吉川で登った山と違い、カタクリやキクザキイチゲの群生地が何か所もありました。チョウが舞い、ショウジョウバカマ、ミチノクエンゴサク、スミレなどたくさんの野の花と出合いました。それはそれで大いに楽しむことができたのですが、ここでもコシノコバイモの花を見つけることができませんでした。

 コシノコバイモの花言葉は、「母の優しさ」。見つけることが困難であればあるほど花への思いは募ります。今年は花が早く、ここ1週間ほどが最後のチャンスかも。10年ほど前に初めて出合った場所へもう一度出かけてみようと思います。今度こそあいたい。
  (2018年4月15日)

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