春よ来い(19) 
 

第459回 小鳥の演技

 「橋爪さん、おまん、あの鳥の名前わかんなる?」──先日、市で買い物を済ませ、自分の車のところに向かおうとしていた私にそう言って声をかけてくださったのは、店番をしていたTさんでした。

 私が「何?」って顔をしたのでしょう。Tさんはすぐ歩きだし、私と一緒にその小鳥の近くまで行きました。驚きましたね。小鳥から2bほどのところに行っても、飛び去ることなく、親指大の砂利の上をピイピイ鳴きながら歩きまわっていたのです。

 小鳥が遠くに行かなかったのには理由がありました。Tさんから教えてもらったのですが、近くにその小鳥が産んだと思われる卵が3つあったのです。小鳥はそれらの卵を守るために離れずにいたのでした。

 卵の大きさはウズラの卵とほぼ同じでした。結構大きく、1a×2aくらいはあったでしょうか。スズメと同じくらいの小鳥がよくこんな大きな卵を産んだものです。卵の色と模様は周囲の砂利とまったく同じです。だから、いったん卵から目を離すと分からなくなってしまいます。

 私は、駐車場の一角にいたこの鳥の名前を即座に答えることができませんでした。最初はセキレイの仲間かと思ったのですが、黄色い輪で囲まれた目といい、のどの下にある帯状の模様といい、これまで見たことがないものです。「これは初めて出合った小鳥だな」と私は思いました。

 私は自分の車に戻り、カメラを用意しました。あとでこの小鳥の名前をしっかり調べたいと思ったからです。そのためには、体の大きさ、顔や頭などの模様、全体としての雰囲気などをしっかりと記録しておかなければなりません。

 小鳥にカメラを向けると、何ということでしょう、左右の羽を広げて、私を睨(にら)みつける、そんな行動に出たのです。黄色い輪に囲まれた目は鋭く、睨んだときはすご味がありました。Tさんは、「威嚇(いかく)している」と言っていましたが、自分が産んだ卵をとられると、この小鳥に思わせてしまったのかも知れません。

 私はこの日、市役所で会議があり、時間はあまりありませんでした。でも、砂利の窪みに卵を産んだ小鳥がいて、それを守るために一生懸命になっている。その姿を見たら、すぐには離れる気にはなれませんでした。市役所に行かなければならないギリギリの時間まで遠くから観察を続け、気になったことをメモ帳に記録しました。

 この日、私は市役所での会議が終わってから再びこの場所を訪れました。正午近くだったと思います。インターネットや本で名前を調べた私は、この小鳥がチドリの仲間であることを知り、再度、観察するなかで、コチドリであることに確信を持ちました。もちろん、Tさんにも伝えました。

 2度目の観察は、インターネットで新たな知識を得た後でした。最初に見たとき、コチドリが翼を広げたのはなんだったのか気になりました。というのも、コチドリは「自分が傷ついてもがき苦しんでいる様子を演じ、敵の注意を自分に引きつけさせて、卵や雛と反対の方向へ敵を導こうとする」ことがわかったからです。これを「擬傷(ぎしょう)」というのだそうです。この日は確認できませんでしたが、小鳥が演技をするとは思いませんでしたね。

 コチドリの抱卵期間は3週間余り。そして、その後、巣立ちまでどれくらいかかるのでしょうか。これからは梅雨時期で雨も風も吹きます。暑い日もあるでしょう。それにヘビに襲われる可能性もあります。無事に巣立ってほしいですね。
 (2017年6月25日)

 
 

第458回 花に惚れて

 いまから10年ほど前のことだといいます。上越市の山間部に住むアケミさんは実家がある小豆島に帰省したとき、お姉さんの嫁ぎ先に行き、その家の隣の家で咲いていた赤い花に惚れこんでしまいました。

 その花の名はツキヌキニンドウ。北米原産のスイカズラ科のツル性低木で、赤い筒状の花は長さが4aから5aにもなります。これが軒下などで花を咲かせると、縦方向でほぼ一面赤くなるのです。

 上越市に戻ったアケミさんはその後、娘さんが嫁いでいる新津市へ出かけました。新津市には県立植物園があります。そこへ行けばツキヌキニンドウを入手できるかも知れないと思ったのでしょう。でも、残念なことに見つかりませんでした。

 その後、しばらく情報が入らなかったそうですが、数年後、アケミさんは郵便局の通信販売のパンフレットを見ていて、偶然、その中にツキヌキニンドウの写真を見つけたのです。言うまでもなく大喜びし、すぐに申し込みました。1本、980円でした。

 苗木を買い、大事に育てたアケミさんは、自宅の南側の下見のところにツキヌケニンドウのツルをはわせます。そして数年前から、小豆島で見かけたものと同じ素敵な花を自宅でも咲かせることに成功したのでした。

 じつは、私がこの花のことを初めて聞いたのは昨年のことでした。従兄の連れ合いのY子さんからです。でも、そのときはいろいろと忙しいことが続いていて、花を見に出かけることはできず、花期を逃してしまいました。

 今年、Y子さんがメールで教えてくれたのは5月26日でした。そこには、「小豆島の花が見事に咲いていました。赤い花が細いツルみたいな木につたい、赤い雨が降っているようでした」とありました。昨年、私が見逃してしまったことを憶えていてくれたんですね。「今年こそ、必ず見てみたい」そう思った私は翌日、すべての行動予定が終わってから、アケミさんの家に車を走らせました。

 アケミさんの家に着いたときは、すでに夕方です。写真に撮れるだろうかと心配しながら、南側の下見のところへ行って、私の足はぴたりと止まりました。花はすでに最盛期を迎えていて、「赤い雨」というよりも「赤い滝」が目に前にありました。Y子さんが見たときよりも進んでいたのです。花は細長く、ラッパ状で、じつに見事に咲いています。私は、「こんな花も世にあったのか」と信じられない思いでした。

 家から出てきて説明してくださったアケミさんは首にタオルを巻いていました。働き者であることは日焼けした顔を見ればすぐにわかります。

 アケミさんはツキヌキニンドウの花を初めて見たときの感動から、栽培方法まで丁寧に教えてくださいました。話を聴いていて、「この人は、命あるものは何でも大切にする人に違いない」と思いました。

 あとでわかったことですが、アケミさんは20年ほど前まで牛飼いをしていた人でした。「野菜は堆肥を使ったときとそうでないときと甘味が違う。漬物にしてもわかる」、そう言い切るアケミさんはいま、牛飼いで頑張ったときの情熱を畑に注いでいます。

 牛飼いをしたことがあって、花が好き。それだけで私はアケミさんに親近感を持ちました。ツキヌキニンドウは冬に耐えて生き抜くとか。「ぜひ植えて咲かせて」と言われ、もらった枝は挿し木にしました。
  (2017年6月18日)

 

第457回 お寺さんのひと声
 
 強い風が吹いた日の夕方でした。左右に竹直と上直海の田んぼが広がった農道を軽乗用車で走りながら、私は思っていました、「アマイケの上」(屋号)のお母さんの姉のMさんはどうしなっただろうかと。

 この日、私はMさんのお連れ合いであるGさんの通夜式に参列するために大潟区に向かっていました。亡くなったGさんは95歳、父の代からお世話になった方です。風の便りではMさんもGさんも高齢者福祉施設に入っておられると聞いていました。

 式が始まる少し前、「虹のホールおおがた」に着いた私は、式場の一般席の真ん中あたりに座りました。そこにはGさんの家がある集落からこられたNさん、Oさん、Yさんなど数人の姿がありました。そして気になる遺族席を見ると、最前列で車いすにかけたままの姿でいるMさんを確認できました。私は、「ああ、お母さんもきなったんだ」とホッとしました。

 式を執り行うお寺さん、Kさんが入場された後、Gさんの棺(ひつぎ)のまわりに、家族のみなさんが集まる場面がありました。車いすに乗ったMさんも息子さん夫婦に支えられ、Gさんの棺のところへ行きました。そのとき、KさんはMさんの顔を確認すると、目を大きく開いて、「よくここへ来ましたね」といった表情になりました。KさんもMさんのことが気になっていたのでしょうね。

 お経が始まるとまもなく、焼香の案内がありました。いうまでもなく遺族のみなさんが最初です。Mさんは息子さん夫婦に車いすを操作してもらいながら、焼香台のところへ進みました。イスに座ったまま、香をつまんで焚(た)き、手を合わせる姿が私の席からも見えます。Mさんはもともと背が低く、小さく見える人ですが、気のせいか、さらに小さくなって見えました。

 親族のみなさんによる焼香の列のなかには、「アマイケの上」のお母さんの姿もありました。一昨年の秋に会ったのを最後に、会っていませんでした。1、2度電話で話をしただけです。それだけに、とても懐かしく思いました。

 参列者の焼香がすべて終わっても、しばらくお経は続きました。その間、私はGさんの遺影と生花を見ていました。この日はどういうわけか目が冴えていて、大柄で働き者だったGさんの元気だったころの姿を思い出したり、生花の名札を見て、「あれ、Gさんはこの人と親戚だったのか」などと考えたりしていました。

 そして、通夜式が終わって、お寺さんが退場されるときのことでした。普通なら、お寺さんは真ん中の通路をまっすぐ歩いて式場を出られます。ところが、この日のお寺さんはMさんのところへ寄って、ひと声かけられたのです。何を言われたかは聞こえてきませんでしたが、Mさんを慰め、元気づける言葉であることは遠くにいた者でも分かりました。Mさん、とてもうれしそうでしたから。

 それにしても、なんというやさしさでしょうか。お寺さんの、この異例ともいえる行動は私の心を揺さぶりました。もちろん、その場にいた人たちも同じだったと思います。

 通夜式の場を離れたのは午後6時よりも少し前でした。帰りも行きと同じ農道を通って、わが家に向かいました。

 お寺さんの、やさしいひと声と行動を見たことによって、何となくうれしい気分になりました。車に乗っていても、空を見ていても、気持ちがやさしくなります30分後、西の空はオレンジ色になりました。    
   (2017年6月11日)

 

第456回 青嵐吹くなかで

 春がどんどん遠くなっていきます。今年の5月は夏のような暑い日が続いたかと思うと、雨が降り、その後はまた暑い日になりました。雨をもらった山野や田畑は元気になり、草木の緑はいまが一番美しいときとなっています。

 そうしたなか、先週の土曜日、朝から夕方まで動き回って、気持ち良い一日を送ることができました。

 午前9時前から始まった地元の吉川小学校の運動会。幸い雨は落ちることなく、午前10時頃には陽が射すようになりました。私は、この運動会でいい体験をさせてもらいました。

 私は今回、初めて、運動会で「ジャンケンマン」をやりました。1、2年生の「チャンスレース」で、「ジャンケン」をする係として手伝ったということです。

 レースの途中、選手たちが私とジャンケンをするポイント(場所)がありました。選手が私に勝てば前にすすめます。私に負けると5bくらい前の赤いコーンのところまで走ってきて再びジャンケンをしなければなりません。早く負けてやりたくなる場面もあったのですが、そうは簡単にいきません。小さな選手たちは必死でした。急いで走り、ジャンケンも真剣勝負です。子どもたちとこんな形で触れ合ったのは本当に久しぶりのことでした。いいもんですね。

 午後からは高田へ行きました。本町五丁目の内山栄子さん(95歳)のパッチワーク、3人の娘さんたち、そのお連れ合い、子どもさんたちなどの油絵、書などの作品を集めた作品展を観るためです。

 会場のほっとステーション五番館に着くと、栄子さんの次女で、既に亡くなっている美代子さんのお連れ合いの秀二さんに迎えていただきました。

 秀二さんとは、花ロードのときや大島区の新緑祭などでほんの数回会っただけなのですが、ずっと前から知り合いであったような、親しみを感じています。今回は作品の解説をしてもらいました。

 内山家の人たちはどこから作品づくりのエネルギーが出てくるのでしょうか。パッチワークであろうが、油絵であろうが、ものすごく精力的な感じがするのです。なかでも男女の抱擁とキスシーンを描いた美代子さんの作品は人間臭さがあふれていて、強く印象に残りました。

 会場にはアジサイなどいくつかの花も作品として一緒に配置されていて、それがまたいい雰囲気をつくり出していました。作品展には三〇分ほどしかいませんでしたが、私は、とても濃密な時間を過ごした感じがしました。

 この日は午後3時から、直江津の学びの交流館において、ある市民団体の総会がありました。

 総会には会員でない柿崎区在住の女性の方も参加していて、鉄道に乗って移動する自らの体験に基づいて発言されていました。それがとても新鮮で、マンネリ化しやすい総会に刺激を与えました。私もその発言で議会質問のヒントをもらい、参加して良かったと思いました。

 この日は夕方遅くなってからも動き、帰りは浦川原区から朔日峠を通って自宅へと向かいました。その時のことです。青嵐(あおあらし)が吹きまくり、夕日が横からそれらを照らし出したのは。

 吉川区の福平や河沢、片田の山々は金色に輝きました。そのときの景色は、私の人生で初めて出合った極上の美しい風景でした。私だけが見たのではもったいないと写真に収めましたが、最高の気分でしたね。
 (2017年6月4日)

 

 

第455回 一生懸命だから

 まだ5月だというのに暑い日が続いています。田んぼや畑の水のことが心配になりますが、体育祭を企画したところでは、どこでも天気が良くて助かったのではないでしょうか。

 先日は県立吉川高等特別支援学校からお誘いがあり、2年ぶりに同校の体育祭に参加してきました。まだ歴史が浅い同校にとって体育祭は6回目です。でも、学校関係者だけでなく、地域みんなで盛り上げるイベントとして定着しましたね。

 私はこの日、8時40分過ぎに会場となった同校のグラウンドに到着しました。青空が広がっていて、澄み渡っています。周りの木々も新緑が輝いています。まさに体育祭日和でした。

 グラウンドに降りる場所に置いてあったプログラムを手に取り、あたりを見渡すと、すでにグラウンドの土手の上やテント裏にある杉の木の下などにPTAの人たちや地元原之町の人たちなどがいました。みなさん、明るい表情をされていて、体育祭を楽しみにしているんだなと思いました。

 テント内に座らせてもらった私も、同校の小山後援会長さんや吉川小学校長の池田先生などと話をしながら、ワクワクした気分で体育祭の開会を待ちました。というのも、これまでの体育祭では必ずと言ってよいほど心揺さぶられる出来事がいくつもあったからです。

 入場行進。始まったのは8時55分でした。48人の生徒が白軍と赤軍に分かれてグラウンドを一周しました。少し緊張している生徒、落ち着いて行進している生徒など表情は様々でしたが、全体として足が高く上がっていて力強く、素敵な行進だと感じました。特に、白軍の応援団長を務めたIさんの手足の動きがきびきびしていて、見ている方も身が引き締まりました。

 行進でのいいリズムは競技にもつながっていきます。

 私が最も注目したのは、「THE仕事人」という名の競技です。この競技は生徒たちが作業実習で取り組んでいる物流や清掃、接客などを種目の中に盛り込んだものです。ただ、普段と違うのは「走る」という要素が加わったことでした。そのため、清掃用具を使ってサッカーボールを転がすところでも、お盆に水の入ったペットボトルを載せ、それを立てて走るところでも「思うようにはいかない場面」がたびたび出ました。ボールがとんでもないところに行ってしまったり、お盆に載ったペットボトルを起こしても起こしてもすぐ倒れてしまったり……。当然、選手たちは焦り、あわてます。そんなとき、応援の人たちから「大丈夫!大丈夫!」という声が飛びました。

 もうひとつ、ボール運びリレーにも注目しました。この競技は、ふたりの選手が2本の棒を操作してボールを挟み、走るレースです。大きいボールよりも小さいボールを運ぶのがむずかしく、ボールを落としてしまうことがたびたびでした。このときも「大丈夫!大丈夫!」という声が選手たちにかかりました。やっとゴールインしたときの選手たちのホッとした様子、印象に残りました。

 選手も応援の人も一体になって頑張る。こうした様子を目の前で見ていると、時間が経つのを忘れます。セミの鳴き声を聞きながら、私はPTA会長さんの開会式での挨拶を思い出しました。「人の心をつかむということは一生懸命ということ。一生懸命だと、どうしても応援したくなる」。今回も素敵な運動会でしたね。  
  (2017年5月28日)

 
 

第454回 一反の大きさ

 これまでじっくりと考えることのなかったことを誰かから詳しく説明してもらって理解を深めると、とてもうれしくなります。先日、大島区で行われた旭新緑祭の「自然散策コース」に参加したときも、何回かそういうことがありました。

 新緑祭はいつも「山菜採りコース」と「自然散策コース」に分かれるのですが、今回は「山菜採りコース」が人気で、「自然散策コース」を選択したのは地元の郵便局長さんなどほんの数人でした。

 ガイド役はこれまで務めてこられた植木さんに代わって、昨年、田麦に移住してきた若い牛田さんです。「足の具合がいまひとつ」と従兄(いとこ)から聞いていた植木さんも同行してくださいました。

 牛田さんによると、今回、植木さんからデータをもらい、事前に2人で下見もしたそうです。入念な準備をして当日にのぞんだことを知っただけでもありがたかったですね。ただ、自然が相手ですから何が起きるかわかりません。その思いがけないことへの対応をどうするのかも楽しみでした。

 ミズバショウが咲いている小さな池でサンショウウオとイモリの違いなどの説明を聴いてまもなくのことでした。ブナ林に入る階段を上り始めたその時、1匹のカナチョロが参加者の目に入りました。

 牛田さんはカナチョロを捕まえると、左の手のひらにのせて、説明を始めました。捕まえたカナチョロは体長15aくらい。おそらく体温調節をしようと出てきたのだと思いますが、牛田さんはニコニコしながら「カナチョロは日向ぼっこが大好きなんですよ」と言いました。

 私は、牛田さん自身がカナチョロと友達であるかのような心優しい説明を聞きながら、「この人は小さなころからカナチョロと遊んでいるな」と思いました。それほど牛田さんの表情が明るく、うれしそうな語りだったのです。

「自然散策コース」一行(いっこう)はその後、ブナ林の中の道を歩き、1本のブナの木に葉は60万枚もあることやハサ木として活用されたであろう痕(あと)などを牛田さんの案内で確認しました。そして昨年、植木さんから氷河期の生き残り植物であるモウセンゴケの説明を聴き、衝撃を受けた農道を歩きました。

 農道の下の方には、すでに代かきが終わっていた田んぼが広がっています。田んぼのほとんどを見渡せる場所へ移動した時点で、牛田さんが参加者に思いがけない質問をしました。最初に「この大きな田んぼの面積はどれくらいだと思いますか」と訊き、次に「一反の田んぼってどれくらいの大きさだと思いますか」と訊いてきたのです。これにはびっくりしましたね。

 長年にわたり田んぼをやってきた者は、ふだんそんなことは考えません。田んぼの大きさは自分のうちの田んぼでイメージし、判断してきましたからね。一行は、「一反の大きさは幅10b、長さ100bの面積です」「この集落の現在の耕作面積は37町歩ほどです」「かつてこの集落には600人を超える人たちが住んでいました」などといった説明に、なるほどと思ったり、驚いたりしていました。

 散策中の説明では、このほか、旧旭小学校の公認グラウンドの整備のことなども出てきました。牛田さんは旭小学校閉校記念誌も読んでいたのです。これから住み続ける地域をよく知っておきたいという気持ちからかも知れませんが、自然散策の案内人として、ここまで準備してくれたとは……。植木さんもうれしそうでした。
  (2017年5月21日)

 
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