吉川版ブラタモリ〝長峰台地を歩く〟

吉川区

おはようございます。今朝は6時半にやっと起床しました。まだ、身体がだるいです。それでも、イラストの色塗り、ホームページの更新をしました。外はきょうも晴れです。

昨日、いのちの応援団主催の「吉川版ブラタモリ〝長峰台地を歩く〟」に参加してきました。20数人が参加しました。旧吉川町役場職員だった佐藤一二さん(故人)の労作、小字名とその境界線が入った地図を手に約3時間歩きました。案内人は津南町の佐藤雅一さんなどです。たっぷりと楽しませていただきました。

まずは佐藤さんから日本列島の成り立ちとフォッサマグマ、米山・尾神岳の特徴、長峰台地の形成などについて概括的に説明を受け、県道新井柿崎線に近い農道を歩き、東側から長峰台地を歩きました。「長峰台地のこの高まりは何なのか」「あそこは何でえぐれているのか」など参加者に問いかけ、解説してくださいました。手にしていた地図には「大屋敷」「樋詰」「清水尻」などの地名がありましたが、地名の由来にも触れた解説はとても勉強になりました。

続いて長峰池湖畔を歩き、黒い砂浜、池に面した土手の地質などについて頸北歴史研究会の横田秀夫さんから説明していただきました。「ここの古砂丘は〝いくじ〟と呼ばれている。この中には鉄分が含まれていて、池の水際には黒い帯ができるほどだ。この鉄と木炭を使って近くの長沢などで製鉄が行われていた」などの説明に参加者は興味津々でした。

長峰遺跡の発掘現場は「大屋敷」です。ここでは、上野正町内会長さん並びに佐藤雅一さんから長峰及び樋詰遺跡の発掘の状況などについて説明していただきました。このなかで引き付けられたことの1つは顔面付き器です。「顔面が2面のものはけっこうあるが、4面はめずらしい」とのことでした。もう1つは高さ2.9㌢のミニ土偶の説明です。佐藤さんによると、「長野県で国宝とされている土偶とそっくりだ。その情報を持った人間が作ったものではないか。片手におさまる土偶としては日本でトップクラスのものだ」そうです。びっくりしたのは、遺跡の説明を聴いているときに参加していた小学3年生が縄文土器のかけらを見つけたことです。この子は将来、縄文時代の研究者になるかも知れません。

この他、長峰城周辺も歩きました。その歩きの中では長峰台地のことだけでなく、町田の前方後円墳のことやそれについての私の議会質問、私のブログのことなどを訊いてくる人たちもいて、うれしく思いました。ここには書きませんでしたが、出土品と航海技術、越冬生活と火焔土器のことなどまだまだ知りたいことがたくさんありました。

昨日は、このほか、「しんぶん赤旗」日曜版の配達などで動きました。今年はアケビを見かけないと思っていましたが地元の事務所前で見つけました。こういうもんですね。

活動レポート2180号、「春よ来い」シリーズの第827回、「リンドウの花」をホームページに掲載しました。ご笑覧ください。

きょうは冬囲いなどやります。

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