学ぶことが多かった防災講演会

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おはようございます。今朝は6時過ぎに起床しました。昨夜のうちにやっておくべきホームページの更新作業を朝からやりました。外は晴れ、稲刈り日和です。

昨日は朝市宣伝に行き、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金、されに活動レポートの折り込み依頼で新聞屋さんへ行ってきました。今朝の商業新聞の朝刊に折り込みされたのは、柿崎、吉川、浦川原、安塚、大島、中郷です。

昨日は上越市防災委員会主催の防災講演会でした。講師は新潟大学災害・復興科学研究所の所長、卜部厚志教授といわきし市の「いわき語り部の会」の石川弘子さん。地震、津波などの災害対策の最新情報を知ろうと参加してきました。会場のくびき希望館多目的ホールは300人を超える人でうまりました。

卜部教授は当初予定していなかった能登半島での豪雨災害についてまず言及、地震で地盤が緩んだ中での豪雨災害の恐ろしさを明らかにしました。そのうえで、改めて能登半島地震を振り返り、対策を強化することの重要性についてのべました。私が注目したことの1つは、「津波避難の見直し」です。災害発生時、上越市では車により避難する人が多く、あちこちで大渋滞が発生しましたが、徒歩避難を原則としつつも、自動車避難で救える命もあるとして、徒歩避難と自動車避難を分ける工夫、地域にしか立てられない避難作戦の検討が重要であるとしました。そして上越市の取組、考え方、具体的なプラン作りは県内外でも先駆的な取組であるとのべました。いま1つ注目したのは、佐渡沖の断層の「割れ残り」についての言及です。新聞テレビのほとんどはこの「割れ残り」が動いた時の備えが大切だと報じていましたが、実際はそこも含めて余震が発生していることが明らかにされました。このほか、津波の海岸までの到達時間が早いので、「大きく揺れたらまず津波」を意識して、短時間でより高いところへ避難することなどを訴えておられました。

石川さんはいわき市久之浜町在住の人です。ご自身が撮影した災害時、災害後の写真、息子さん撮影の動画などをたくさん映し出しながら、震災時の津波の様子、その後の復興に向けた取り組みなどを感動的に語りました。津波は最初3㍍くらいかと思っていたら実際は7.5㍍もの高さのものがやってきて、久之浜町だけで69人もの人の命を奪ったそうです。ご自身は息子さんからの「でっかい津波が来るかも知れない」という電話で高台に逃げて助かったとのことでした。津波に関しては、「一度避難したら、絶対戻らないでほしい」「避難所がある中学校まで行くには歩いた方が早かった。途中、海の底が見えた」「あたり一面、津波で平らになってしまった中で秋葉神社の建物だけが残った。不思議だ」という言葉が印象的でした。地震後の復旧、復興に関しては、地域の人たちの普通の暮らしを取り戻そうと、「みんなが集まる場所をつくろう」と動いたこと、津波で亡くなった69人のことを忘れないために69本の桜の木を植えたこと、原発があることで大きな被害となったので、「原子力発電はいらない」との訴えが心に残りました。石川さんの語りは、短い文章では伝えきれない、ものすごい説得力がありました。トップのイラストは石川さんです。

今回の講演会は撮影禁止でした。とてもいいお話でしたので、できれば動画で撮影し、市のホームページで公開したらいいのになと思いました。

活動レポート2173号、「春よ来い」シリーズの第820回、「カボチャが七個」をホームページにアップしました。ご笑覧ください。

きょうは、これから、ほほ笑よしかわの里の祭りに参加し、その後、柏崎に向かいます。

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