元旦から大地震

吉川区

いやー、びっくりしました。午後2時過ぎから吉川区内を街宣し、米山(こめやま)で中野正一さん(故人)の句碑の撮影を終え、宣伝カーに乗り込もうとしたときでした。激しい横揺れに襲われました。明らかに地震です。まともに立っていられませんでしたので、これはたいへん大きな地震だと感じました。時間は午後4時10分頃です。下の画像は中野さんの句碑です。地震の一発目の揺れはスマホにて動画撮影し、フェイスブックにアップしました。

あまりにも大きな地震だったので、街宣は中止しました。まずはわが家と地元事務所の様子を確認し、総合事務所にて情報を入手しようと思いました。途中、泉谷、土尻地内では、大勢の人が道に出ていました。みんな、怖くて、家の中には居られなかったのでしょう。事務所に到着すると、上空で雁たちが次々と西の方向に飛んでいました。おそらく、激しい揺れで驚き、朝日池の方に移動したのだと思います。下の画像はその一部です。

事務所では、書類や本がどっと崩れてはいましたが、他に大きな被害はありませんでした。心配していたパソコンも無事でした。わが家では亡き父が大切にしていた大きな甕(かめ)が倒れました。2階の私の部屋は、不思議なことに、積んでいた本や書類は崩れることもなく、そのままでした。

総合事務所に行くと、駐車場には車がいっぱいでした。これまで、中越地震、中越沖地震、東日本大震災を見てきましたが、駐車場が満杯になるほど避難者が多いのは初めてでした。あとからわかったことですが、津波警報が出たこともあって、区内だけでなく、柿崎や大潟からもかなりの人たちが避難してきたようです。駐車場が満杯となったのは吉川小学校も同じです。下の画像は吉川小学校駐車場です。

総合事務所に入ると、職員さんはまだ3、4人でした。保健センター内にも避難者が集まり始めていました。それで、区内からの電話対応や避難所との連絡などで手伝いをしました。保健センターに避難してきた人たちの中には富山石川方面へ行く途中だというお医者さんもいました。群馬大学病院の若いお医者さん、Uさんです。Uさんは、私に、「私は医師です。何か手伝うことがあったら言ってください」と声をかけてくださいました。それで、事務所の幹部と相談し、一番大勢避難者がいる吉川小学校に避難していただき、そこで、体調を崩された人がいたら、対応していただくことにしました。

総合事務所では地元の吉川区内の情報、そして市役所木田庁舎に設置された対策本部の情報が次々と入ってきます。吉川区内の震度は5強でしたが、区内では倒壊などの大きな被害はありませんでした。ただ、下町地内で80代の人が転倒し頭を打ち、救急車で運ばれました。他には、水道管から水が噴き上がっているケースが2件ほどありました。原之町駐在所脇の県道でひび割れ、「陥没」を確認できましたが、地震と関係あるかどうかは不明です。地震前からのものかも知れません。原之町、大乗寺、竹直の一部で停電しました。全市的にも人的被害は数件と少なかったようです。避難所への避難者数は柿崎、頸城でそれぞれ300人を超えているという情報が入ってきました。トップ画像は原之町の震度データです。

今回の地震の震源地は能登半島沖のようです。大きな余震が何度も発生し、警報が鳴るたびに、「来るぞ」という声が出ました。総合事務所では、1時間ほどでほぼ全員の職員が集まり、テキパキと動いていました。私は午後10時過ぎまで総合事務所や近くの避難所で動き、暖房や食事関係の要望をつなぐ仕事をしました。家に帰って、仏壇の中を見たら、ガサガサになっていました。これはなんとかしないといけません。

きょうは街宣の予定ですが、明るい段階で被害がどうなっているかを確認するなど災害対応で動きます。

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