おはようございます。今朝は6時過ぎに起きたのですが、ホームページの更新作業などに手間取り、発信が遅れました。外は小雨が降っています。
昨日は、午前が妙高市で党会議がありました。主要地方道新井柿崎線で行ったのですが、1時間弱で到着しました。途中、時間があったので頚城三山などの撮影をしました。頚城三山は近くで見ると、やはり迫力がありますね。下の写真は「はねうま大橋」にて撮ったものです。
会議後、板倉区において昼食をとり、その後、高田世界館に行きました。久しぶりです。高田世界館では、南杏子原作の映画、「いのちの停車場」を観てきました。たった1回だけの上映と聞き、最優先して行ったのですが、行って良かったです。
映画で印象に残った場面はいくつもありましたが、亡くなる寸前の父親のところにどうしても来てほしい息子の姿が見えない中で、診療所スタッフの野呂さんが息子を演じて、「父親」に語り掛ける場面が切なかったですね。実は、私も県立松代病院で似たようなことをやったことがあるのです。東京在住(当時)の従兄に会いたがっていた伯母(故人)が見舞いに行った私を従兄と勘違いして大喜びしてくれたので、私も従兄になり切りました。癌で余命わずかの子どもが「海を見たい」といい、その願いを叶えるために頑張り、実現したシーンでもグッときました。
映画が始まってから最後まで思い続けたのは、昨年10月に亡くなった母のことです。昨年、9月に退院させてもらい、亡くなるまでの23日間のわが家の出来事が映画と重なりました。改めて、在宅医療、介護などを担ってくださったスタッフの皆さんに感謝したと思いました。母の場合、終末期の最終段階を自宅で過ごす選択をしましたが、病院であろうが、自宅であろうが、終末期をどう迎えるか、最後をどう生きるかは人間にとって大きなテーマです。映画ではいくつもの終末期が多様に描かれていましたが、どれも尊く思いました。
上映後の懇談会、「つらいし、悲しい。でも人間の死は自然の中の1つなんです」「自分よりも先に息子を死なせてはならないと、103歳の伯母が食と水を断ち、亡くなった。そこに希望を持っている」「(終末期の最後に)その人の人生で一番楽しかったことを再現することが大事」など登壇された6人の発言にも引き込まれました。
富永プロデューサーは、「映画の最後は観客にゆだねることにした。命のしまい方には、100人いれば100通りある」と言いましたが、率直に言って、「こんなかたちで終わっていいのか」という気持ちが残りました。その思いに応えるように、富永さんは「〝命の十字路〟という次の作品をつくることにした」と発言しました。次の作品が楽しみです。
活動レポート2108号、「春よ来い」シリーズの第755回、「春」をホームページにアップしました。ご笑覧ください。「春」は画像も貼り付けます。
きょうは月末、いろいろとやることがありますし、たまには家庭サービスもしなければ……。
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