おはようございます。今朝は霧雨でした。昨日から気温の低い状態が続いていますが、こういうときは景色がいいですね。下は下中条地内で撮った朝の風景です。今年は山の杉と雑木の芽吹きの色のコラボがとても素敵です。
昨日の午前、上越地区労連主催のメーデー集会が3年ぶりに行われました。ロシアのウクライナ侵略という事態の中でのメーデーですので、挨拶では、平和を求める声が相次ぎました。日本共産党からは五十嵐上越地区委員長が挨拶、平和の課題や知事選、参院選での市民と野党の共同の推進などを訴えました。イラストは地区労連の布施議長が挨拶しているところです。
今回の集会では、参加者はいつもよりも少なかったものの、先日再建したばかりの国賠同盟(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟)や誕生したばかりの上越ユニオンの代表が決意表明したのはうれしいことでした。また、上越9条の会の代表の片岡さんは県知事選に名乗りを上げた片桐なおみさんの同級生、教育基本法改悪の流れとともに知事選についてもふれて決意をのべました。全体として、元気の出る決意表明が続きましたね。
昨日はパレードもあったのですが、私は12時半から別の集会があり、メーデー集会だけの参加となりました。
午後からは母がお世話になっている介護施設に行きました。ここでは、運営推進会議が開かれたのです。この会議は、施設の利用状況やインシデント・アクシデント、新型コロナウイルス感染症対応などについて報告し、意見交換する場です。しかし、新型コロナウイルス感染症が広がるなかで、ここ2年間は書面開催となっていました。今回は久しぶりに対面での会議となりました。私は母の状態などについて話をさせてもらいました。書面開催のときは意識しなかったのですが、この会議の構成メンバーには、この施設の関係者だけでなく、地域の老人会や学校関係者なども入っています。介護施設のあり方としてはとても大事なことだと思いました。イラストはこの会議の模様です。
昨日はうれしいことが1つありました。本というものは、面白い運命をたどることがあるんですね。出版から12年も経って、本の中に書いた人の関係者のところへ本が渡り、その人の心をゆらしたのです。
私がエッセイ集、『五㌢になった母』(同時代社)を出版したのは2010年3月24日でした。この本は、牛飼いのことや野の花のことなど50の短い話を入れてまとめたものです。そのうちの1つは、「記念写真」というタイトルでガンとたたかう友人のKさんのことを書いたものでした。Kさんはこの本を出版したときにはすでに亡くなっていました。ですから、Kさんに出版を知らせることもなく、実家の人に本が渡ることはありませんでした。
一昨日、わが家の固定電話に一人の女性から留守電が入っていました。昨日、電話してみたら、その人は何とKさんの実家(新潟市)の人でした。誰が出発点だったのかはわかりませんが、『五㌢になった母』が人から人へとぐるぐる回って三条市のTさんのところへ行ったとのことでした。Tさんは、「記念写真」を読み、Kさんの実家の人に「本の中にKさんのことが書いてあるよ」と連絡してくださったのだそうです。
新潟市にあるKさんの実家の人は、「涙を流して読み、仏壇に報告した。どうしても、橋爪さんと話をしたくて……」と言っておられましたが、涙声でした。私からは、「Kさんが亡くなった頃の思い出はまだほかにも書いてありますので、送ります」と伝えました。本を書いた者としては、こういうことがあると、最高にうれしいです。
きょうは親戚の法事です。