おはようございます。さわやかな朝ですね。今朝はもやがかかっていましたが、晴れになりました。今朝はやっと起きて、活動レポートの修正作業、そして印刷と大忙しです。ようやく、ブログ書きに着手できました。写真は平和橋のそばで撮った朝日とネコヤナギです。
昨日は一般質問最終日でした。高山議員から始まって5人の議員が登壇し、災害対策、子育て政策等について市長の見解をただしました。
私は午後からの登壇でした。ロシアのウクライナ侵略と市の平和政策、豪雪対策などで一般質問をしました。市長が1回目の答弁をしているときに、ぐらぐらと来ました。地震です。11年前も私が所属していた総務常任委員会審査のときも大きな横揺れに襲われましたが、今回は直下型の下からの揺れ、どんときました。議長は会議を中断し、様子を見ましたが、こういうハプニングもあるんですね。
質問では、まず、プーチン大統領の核兵器使用示唆発言を契機に安倍元総理や日本維新の会などがアメリカと共に核兵器を共有すべきだという暴論を展開していることについて市長の考えをただしました。これに中川市長は、「あらゆる核兵器の廃絶を願う非核平和友好都市を宣言した自治体の長として、〝核共有〟は容認されるものではない」と答弁しました。
核兵器禁止条約の批准を政府に働きかけよという質問は、先日の牧田議員の質問でイエス答弁が出ていますので再確認する意味で行いました。
市内中学生の広島記念式典派遣については、式典に参加できない事態となっても、広島へ派遣し、原爆資料館や原爆ドームを訪れ、被爆者の声を聴くことをしたらどうかという私の提案に、市長は、「派遣事業の実施方法等の見直しに関しては、教育委員会、学校関係者との協議も含め、検討してまいりたい」と答えました。今後の動きに注目です。
次に「地域独自の予算」などについて質問しましたが、これは追って報告します。
最後のテーマ、豪雪対策で取り上げたのは、豪雪に対する基本認識、国の豪雪時の災害救助法の適用をめぐる後退姿勢です。
まず、豪雪について、1981年2月の「豪雪それ自体が災害だ」(原健三郎国土庁長官)という政府見解がいま崩されようとしているなかで、市長の考えを訊きました。
市長は、昨年、今年の大雪を経験するなかで、「改めて豪雪は災害であるとの認識を深めた」とのべました。ぜひこの立場で頑張ってほしいと思います。
また、私は、災害救助法適用下にあって、政府が「応急救助として除雪が必要な住家(障害物の除去)」対象をせばめ、「人命にかかわるかどうかの証明を求める」事態となっていること、新潟県内では昨年の5900件の申請のうち、900件がまだ決まっていない」ことを明らかにし、市の見解を求めました。
笠原福祉部長は「上越市では数百件がまだ決まっていない」と答え、中川市長は、「私も、今回の国の判断対応については、非常に憤りを感じている。県と県議会、そして国会議員にも協力してもらい、全力で対応にあたりたい 」と答えました。
夕方、家に帰る途中、青野新田できれいな夕日を見ることができました。写真はいまいちです。このところ、きれいな夕日が続きますね。
家に着いたら、市内山間部の住民から災害救助条例適用と申請をめぐって、具体的な矛盾を告発した手紙が届いていました。もう一日、早く着いていれば、質問で使える内容でした。しかし、手紙を出したのは21日、着いたのは24日です。同じ市内でありながら、こんなにかかるとは郵便サービスは大きく後退しましたね。何とかしてほしいものです。
きょうはこれから、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金です。