« 日米共同訓練参加の自衛隊で新型コロナ感染者 | メイン | 雨風の中、朝市宣伝 »

母を連れて救急外来へ

 おはようございます。今朝は6時40分に起床しました。外は時どき強い風が吹き、カミナリが鳴るなど大荒れの予感がする天候となってきました。写真は、起床して間もなくの時間に吉川区下町で撮りました。

asa201213.jpg

 昨日は午前に「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金に出ました。しかし、途中で母が入所している施設から母の様子がおかしいとの電話が入り、急行しました。朝から立てなくなり、しかも、「ご飯を食べましょう」などという指示を出しても反応しないというのです。これは脳内に異変が起きたかなと心配しました。すぐに病院と連絡を取り、福祉タクシーを使って病院の救急外来へ行きました。でも各種検査をしてもらいましたが、脳内出血はなく、一過性のものだろうという診断でした。その後、母も徐々に良くなってきました。

 診察を待つ時間帯に看護スタッフの方と話をしました。この方は、「柿崎、吉川には橋爪という苗字がありますね」と言われたので、「どなたかご存じなのですか」と聞いたら、「橋爪法一さんを知っているんです」(笑)。この方は前職時代に私のことをこのブログなどで知っていてくださったのでした。マスクをしていると、こういうこともあります。それにしても世間は狭いです。

 診察後、母に「何か食べたいものがあるかね」と聞いたら、「寿司とキュウリ」と言いました。「キュウリなんて、どうやって食べるが」と言うと、「ごっつおして食うがど」と答えていました。母を駐車場において、急いで買い物をしてきたのですが、キュウリはありませんでした。あとは寿司と赤飯をと思い、買い物かごに入れてレジへ行きました。ところが、車の中で、いざ食べる段階になって、買ったのは赤飯と寿司ではなく、「寿司のような感じで詰めあわされていたおにぎり」でした。どうやら、私の頭の方こそおかしくなっていたようです。母は赤飯をちょっぴり、そしておにぎりは小さなのを1個、ゆっくり食べてくれました。

 母を介護施設に送り届けてから、直江津にて、いくつかの用を足しました。最後に喫茶店でコーヒーを飲んだのですが、ここで初めて知ったお客さんたちと新型コロナ禍の中での暮らしなどについて話が弾みました。そのうちの一人は、直江津でお店を出し、自宅は大潟区という人でした。この方が付き合いをされている人がまた私の知っている人ばかりだったので、これまたびっくりでした。夕方、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしましたが、真っ暗となっていました。

 ひとつ書き忘れました。昨日、市内のSさんからメールをもらい、びっくりしました。松之山の小見美晴さんが亡くなったというのです。10日に急に倒れ、病院へ運ばれたことは知っていましたが、そのまま亡くなってしまったんですね。とても残念です。小見さんはまだ70歳です。若かりし頃、『母さん、春はまだ?』(高文研)をまとめたほか、旧吉川町など各地で講演活動をして、地域づくりなどで貢献しました。私は彼女の文章が大好きでした。

 活動レポート1989号、「春よ来い」の第636回、「小春日和」を私のホームページに掲載しました。ご笑覧ください。

 これから、直江津の市宣伝です。その後、生活相談が入っています。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hose1.jp/mt/mt-tb.cgi/6571

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

2022年06月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

About

2020年12月13日 08:05に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「日米共同訓練参加の自衛隊で新型コロナ感染者」です。

次の投稿は「雨風の中、朝市宣伝」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34