おはようございます。今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番、5時半近くになって起きて、大急ぎで配りました。ツクツクボウシやミンミンゼミが鳴いている中での配達、気持ち良かったです。上の写真は下町地内で撮影したもの、雲がいい感じで浮かんでいました。
昨日は午前8時半過ぎに家を出て、上野市議宅へ。ギフト販売をやっている彼のお店から中元用商品を持ってきてもらっていたのです。品物を受け取ってから、直江津に向かいました。ちょうど三八市の日なので、配布用のビラも折って持参したのですが、着いたら雷雨、土砂降りです。お客さんも逃げて行く様子が見えたので、配布は断念し、親戚の家にお中元を届けに行ってきました。
柏崎の義母の介護に行っている妻からメールがあり、雨の中、自力で帰るとのことでしたが、激しい雨の中ではかわいそうだと思い、柿崎駅まで迎えに行きました。たまには点数稼ぎもしないと……(笑)。いったん、吉川に戻って妻を降ろし、大島区熊田へ行きました。熊田町内会が初めて取り組む「ふるさとふれあい交流会」の様子を見に行きたいと思っていたからです。
会場に着いたのは正午過ぎ。すでに流しそうめんも終わり、町内会館で交流会を始めようかという時間でした。町内会長さんのお連れ合いから案内してもらい、まず写真展を観させていただきました。小さな写真展ではありましたが、町内会の歴史を教えてくれる写真が何枚もあり、惹きつけられました。ひとつは嫁入り行列の写真、昭和49年といいますから、私が結婚する前年です。大島区大島の「しまや(島屋?)」というところで披露宴はしたらいいのですが、この時期まで嫁入り行列が行われていたとは感激でした。そのほか、耕運機を使っての代かき作業、牛の品評会とおぼしき写真などもありました。
写真展を見た後、少しおしゃべりをして帰る予定だったのですが、町内会長さんから、「まあ、そう言わんで二階に戻って」と止められ、地元の人や帰省客などとの交流会にも参加させていただきました。テーブルの上には手作りのソバや漬物などが並び、飲み物もたっぷりありました。町内会長さんが帰省客などを前に、「みなさんとのつながりを強めたい」と挨拶されていましたが、地域活動支援事業を活用して何とかしたいとの思い、伝わりました。交流会では関東方面からの移住者のNさんやお連れ合いなどと話が出来ました。また、ほぼ2年ぶりに再会したIさんやKさんなどから、「久しぶりだね」と声をかけていただきました。うれしかったです。遠く離れた所に住んでいるNさんのお連れ合いが町内会長に促され、挨拶されていました。山菜採り、農作業など熊田に惚れこんで暮らしているNさんの様子が良くわかりました。「少し変わりもんですが、よろしくお願いします」という言葉にはNさんも照れていましたね。とてもいい雰囲気だったと思います。
熊田から浦川原区で用を足し、家に戻ったのは午後3時過ぎです。母を乗せて尾神(蛍場)にあるわが家の墓参りに行ってきました。母にとっては1年ぶりだと思いますが、車から降りた途端、「ああ、なつかしい」と言いました。また、墓場に上がってから、中越地震の時にわが家の墓の上部が揺さぶられて地面に落ち、それを当時、蛍場で暮らしていた伯母が元に戻してくれたということも教えてくれました。伯母はよく持ちあげたもんだと思います。
夜、事務所で仕事をして家に戻ると、大潟区に住む弟が昨日の朝、「一日花のサボテンだよ、明日、咲くだろうと思うし」と玄関先に置いて行ったサボテンがきれいに開花していました。お盆の13日に咲くなんて最高です。写真は今朝撮ったものです。
きょうは親戚回りなどで動きます。