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直江津空襲と平和を考える集い2018

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 おはようございます。連休の最終日、きょうもいい天気になりそうです。6時近くまで寝ていて、起きてからは朝の風景を撮りにでかけました。小苗代地内の田んぼは代かきが終わったばかりです。濁った田んぼ、澄んだ田んぼ、それぞれ持ち味があって、いい風景をつくりだしてくれます。下町では、田植えが終わった田んぼがまた美しい。上の写真は下町、下は小苗代の田んぼです。

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 昨日は「直江津空襲と平和を考える集い」がありました。1945年5月5日の午前11時過ぎに行われた空爆で犠牲になった人たちを追悼し、平和への思いを確かめ合う会です。今年もB29が爆弾を投下した時間に合わせ、現場近くの黒井公園で犠牲者を追悼しました。参加者は20数人。小規模ではありましたが、心に残る有意義な集いとなりました。

 主催者を代表して挨拶した関川幹雄さんは、上越市史に書かれた直江津空襲の記事や私が9年前にブログで書いた大潟区在住の女性の体験談を読み上げ、空襲体験を語り継ぎ、平和を守っていこうと訴えました。

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 スピーチのトップは平良木市議、安倍政権が進める憲法改悪など今日の民主主義の危機的な状況を語り、「負の歴史を繰り返してはならない」と訴えました。

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 長年参加していても体験談を語らなかったYさん(91歳)が初めて口を開き、「名古屋で何回か空襲を体験した後、こちらに来た。直江津のステンレスで最初にさせられたのは防空壕掘りの仕事。5月5日は曇りだった。何回も空襲を体験しているので、爆弾の音はわかる。ぱらぱらという音をさせて爆弾が落ちてきた」などと語りました。

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 集いに初参加したT子さんは、昨年亡くなったお父さんが晩年、戦争時のことをようやく語ってくれたことを紹介しました。お父さんは3回も死にそうになったことを初めて明らかにしたあと、「今が一番幸せだ」とのべたといいます。素敵なひと言でした。

 昨日の集いでは、木澤和洋さん、栗田海洋さん、前田旭洋さんが詩吟や歌謡吟で会を盛り上げてくださいました。さわやかな風が吹く中、美しく響き渡りましたね。

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 集いが終わって、関川さんは家族通信、「かんべつうしん」を参加者に配布されました。家族新聞交流会で名前は知っていたのですが、実物を見たのは初めてでした。「かんべ」というのは、「ごめんなさい」という意味ではなく、関川さん宅の屋号だったんですね。通信には、敬老会の案内のこと、柿崎区の光徳寺の作品展のこと、マイナンバーのこと、さらに議会のことまで書いてありました。それも私の発言のことが書いてあり、驚きました。この通信、24年間、発行し続けていると言いますから、すごいことです。

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 集いが終わってから新井の道の駅でラーメンをと出かけたのですが、たいへん混んでいて断念しました。昨日は田んぼ仕事はどこでも大忙しでした。田植えをしているところもあちこちで見かけました。写真は吉川区内です。

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 活動レポート1856号、「春よ来い」の第504回、「母の出番」を私のホームページに掲載しました。ご笑覧ください。「春よ来い」の文章は今朝、新聞折り込みしたものを直しています。

 きょうは活動レポートの取材などで動きます。

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2018年05月06日 08:38に投稿されたエントリーのページです。

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