おはようございます。今朝は冷え込みました。霜が降りています。こんなに寒くても渡り鳥たちは元気で、先ほどは事務所上空をハクチョウたちが通過しました。写真は昨日のものです。柿崎区米山寺にて撮りました。
昨日の午前は「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。まず、いつも私が配達している地域を完了させ、ひと区切りついたところで柿崎区水野の銚子屋さんへ行ってきました。柿崎写真コンテストの入賞作品を中心とした展示が始まったからです。入場者第1号は私でした。会場では、フェイスブックの友達や日頃からお世話になっている人とも会うことができました。作品は、スマホで見たものとは迫力が違いますね。入賞作品は季節ごとに分けてあって、春夏秋冬の柿崎の魅力をとらえた作品を一つの空間で見ることが出来ました。出かけて良かったです。銚子屋での展示会は19日まで。20日から26日までは柿崎地区公民館が会場となります。開会時間はいずれも午前10時から午後4時までです。ぜひ、お出かけください。
コンテスト作品をみてから再び、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。これは、事情で東京へ行っている仲間の代理としての配達です。これも午後1時過ぎには終了しました。
「しんぶん赤旗」日曜版の配達が予定よりも早く終わったので、頸城区の坂口記念館へ顔を出してきました。「坂口博士と和歌について」というテーマで坂口家の菩提寺住職、坂井龍輔さんと陶芸家の齋藤尚明さんが語ってくださる会があったのです。
坂口謹一郎博士は応用微生物学の権威ですが、俳句や和歌を愛する文化人でした。紙と筆さえあれば、気軽にさっと何かを書く人だったといいます。今回は坂口博士と親交のあった坂井さんと齋藤さんが、坂口博士が和歌などを書いた色紙や陶芸作品などを持参し、坂口博士の人物像を浮き彫りにするエピソードを次々と語りました。
坂井さんは、「お酒は高度な文化。坂口先生は酒をスッと飲まない。味わって飲む人だった。先生はよく手紙を書かれたが、私はポストに入れる係だった。(書いた紙のなかで)空間、間のとり方が上手。字はどうかと思う。棟方志功は無茶苦茶の字を書いて、それが何千万もするというんだから、私も無茶苦茶の字を書きたい」などと言って、聴衆を笑わせました。
齋藤さんは、父親の三郎さんと尚明さんの二代が坂口博士と親しく付き合ったことを紹介しました。「坂口先生が帰省すると、父は、どんなに忙しくても博士に会いに行った。年に一度はそうそうたるメンバーで酒の会があった。私の作品が入賞した時、先生は『上には上の……』という色紙を持ってきてくださったが、慢心するなということだった。いろんな意味で先生の偉さと恐さを感じてきた。先生は学者というより、教育者としての力、組織者としての力がすごかったのではないか」とのべておられました。
会場で驚きの声が上がったのは齋藤さんが、坂口博士が父親の葬儀の際に送ったという弔辞を広げたときです。弔辞が書かれた紙の長さは2メートル近くあったのではないでしょうか。
今回の語る会に参加して、坂口謹一郎博士がすばらしい文化人であり、教育者であることを再認識できました。筆で書く文字は美しく、いつでもどこでもさっと書く。羨ましいと思いましたね。そして、これまで以上に身近に感じられるようになりました。
私の活動レポート1849号、「春よ来い」の第496回、「コタツのそばで」を私のホームページに掲載しました。ご笑覧ください。
きょうはこれから直江津の市へ行ってきます。その後、家の用事で飛び回ります。議会の準備もしなければなりません。