おはようございます。今朝は5時過ぎに起きたものの、書かなければならないものがあって、ブログの発信が遅れました。天気は徐々に良くなりそうです。
昨日は午前が朝日池総合農場の「冬鳥来い恋まつり」とJA吉川支店の「感謝祭」でした。朝日池総合農場は母も私も世話になっていますし、それに今回の祭りのネーミングもよくて参加してきました。生憎の雨で人の出は多くはなく、甘酒をご馳走になりながら平澤社長とゆっくり話が出来ました。農協では、農産物品評会を見てきました。昔ほど数は出ませんが、それでもキャベツ、白菜、ネギなどの自信作がけっこう出ていました。市役所職員さんの名前で、りっぱな「唐の芋」が出ていて、注目しました。
午後からは「川谷もより大交流会2017」でした。地区内の住民だけでなく、交流のある団体やもより出身者など70数名が集まりました。
交流会の途中から心がときめきました。その理由の一つは、川谷もよりの地域づくりが新たな段階に入ったことがびんびんと伝わってきたことです。昨年の3月、川谷もより協議会(曽根倔会長)が策定した地域づくりビジョン、「川谷もより百笑百年物語」の内容は大交流会を通じて、地域住民だけでなく、川谷もより出身者や交流団体などに広く伝わりました。そのことによって、地域ビジョンの実践がさらに進化すると確信したのです。昨日の大交流会の冒頭挨拶で、曽根会長は、「このままだと地域は埋没し、川谷はなくなってしまう。前に向かって進んでいくしかない。地域を何とか元気にしたいという思いから大交流会を企画した。(大交流会は)今年で終わりでなく、継続したい」とのべました。また、天明伸浩さんがスライドを使って、「川谷もより百笑百年物語」の策定のきっかけ、思い、策定に至るまでの経過などについて説明しました。私は、この交流会自体がビジョン実践の上でとてもいい役割を果たしてくれそうだと感じました。
もう一つは、大交流会で上映されたドキュメンタリー映画、「にぎにぎ川谷」。この映画は上越市吉川区の山間地域、川谷もよりでの、ここ数年の出来事を記録したものです。高齢化、過疎化が進む中で、何としても自分たちが住んでいる地域を維持していきたい、人間らしい暮らしをしていきたい、その思いから、住民たちはみんなで真剣に話し合い、「川谷もより地域づくり百笑百年物語」というビジョンをまとめましたが、映画は、このビジョンの策定に至るまで、そして策定後の様々な動きを丹念に追ったものです。
私はこれまで川谷もよりのすばらしいところ、魅力は、『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)や私が毎週書いているエッセイ、『春よ来い』などで紹介してきました。映画には私が紹介したいと思ったことのほとんどが盛り込まれています。それだけじゃありません。私が気づかなかった魅力も随所に入っていたのです。例えば、下川谷の神社での祭りの様子。ここには昔からの祭礼のしきたりをしっかり守って、集落住民の心をひとつにしていくところが出てきました。地域には人間だけなく昆虫から小動物もすんでいます。映画はこうしたところも見逃すことなくとらえていました。そして、何よりもこのもよりに住んでいる人間像が見事に映し出されています。高齢の源市さん夫婦が注意深く農機具を使い、夫婦仲良く、力を合わせて仕事をしている様子、まさに歌手になったつもりでカラオケに興じる隆司さんの様子、一人暮らしの晃一さんがうまそうにお酒を飲んでいる様子などを観て、感心したり、笑ったり……。映画では、ところどころに登場した人の言葉も出てきます。昨年お連れ合いを亡くされたチヨ子さんがぽつりと言った「何ともない生活が一番幸せ」という言葉など一つひとつが心に響きました。
今回上映されたドキュメンタリー映画は約40分の長さですが、まだ完成版ではないということでした。でも、私は映画を観ている途中から、「これは百笑百年物語そのものだ。笑いがいっぱいある。中山間地域での暮らしの夢や希望がある。この映画は『夢は牛のお医者さん』と同じように広がっていくに違いない」と思い、心がときめきました。完成版では、石谷で30数年ぶりに誕生する子どものことや雪の中のサイの神の様子などが加わることでしょう。どうあれ、まもなく吉川区の山間部を舞台にした感動のドキュメンタリー映画が誕生します。完成版がとても楽しみです。
交流会では地元の人、他地域への転出者などが思いを語り、餅つきなどもして郷土料理を味わいながら交流を続けました。料理は文章よりも写真の方がいいでしょう。そして最後は川谷校の校歌を全員で合唱して終わりました。
活動レポート1831号、「春よ来い」の第478回、「牛とともに」を私のホームページに掲載しました。ご笑覧ください。