おはようございます。4日連続して遠くに出かけたら、疲れがたまったのか6時半過ぎまで眠っていました。それから下町まで歩いて車を取りに行き、事務所で昨日の写真の整理をし始めました。いま、ようやくブログを書けるところまできました。
昨日は東京吉川会第25回総会がありました。地元からは通常のメンバーの他に吉川踊り隊の女性陣も参加していただきました。出発時は雨模様でしたが、県境を越える頃から徐々に良くなり、ホッとしました。ただ都内に入ってから道路工事による渋滞に巻き込まれ、到着したのは総会開始ぎりぎりとなりました。
総会は東京の麹町のいつもの会館です。第1部では、平山会長がこれまでの25年の歩みを振り返り、「この会はふるさとを同じくする者の心のよりどころになっている。ぜひ引き続きのご支援を」と訴えました。また、来春にはふるさとから都内見学のツアーを計画していることを明らかにしました。来賓を代表して土橋副市長が、「ふるさとへの思いの中で会の運営をされていることに感謝している。市では、高校を終えての動向を調査していきたいと思っているが、提案等ご協力いただきたい」と挨拶しました。また、まちづくり吉川の加藤副会長が吉川の魅力や動きなどを紹介しつつ、思いを語りました。
第2部は交流会です。私から乾杯の発声をさせていただきました。その後、愛たまみさんによる歌とマジック、吉川踊り隊のみなさんによる吉川音頭の踊り披露などが続きました。会場に今回集まったのは私たちを含めて70人余りです。この中にはOさん姉妹のように3人そろって参加してくださった方や毎回必ず参加してくださるNさんのような方が何人もおられました。Nさんは私の母のことを知っておられ、「お母さんが頑張って生きておられるのは息子さんのことが心配だからです」と言われた時にはぐっときました。親せき筋のSさんからは、「また、弟が世話になるかも」と声をかけていただきました。うれしい出会いがいっぱいありました。
交流会では思わぬことがありました。それは吉川会の役員さんが用意してくださった30年ほど前の吉川の動きの上映です。最初、何を上映しているのかわからなかったのですが、東田中の学校らしい建物が出てきて、原之町の「ちんころ」が映された段階で、これは吉川のだいぶ前の風景だとわかりました。そして、私の目から涙があふれ出したのは、尾神のキャンプ場近くで飼っていた梅花鹿に続いて、豆腐づくり、ハングライダーなどが映し出されてからです。ハングライダーの練習場はわが家の牧草地だったところですが、そこが出てきましたし、懐かしい尾神集落のお父さん、お母さんたちが出てきたのです。もうすでに亡くなった人たちもみんな笑顔で写っていました。こういう映像が残っていること自体、知りませんでしたが、こんなに心が揺さぶられるとは思いませんでした。大感激でした。
交流会は約2時間行われました。たくさんの人と懐かしい話が出来ました。終盤には全員で「故郷」を合唱、そして吉川ばやしの踊りと続きました。会が終わってからのみんなの笑顔がよかったですね。
東京を出たのは2時半過ぎでした。途中3か所ほど休憩したこともあって、帰宅したのは午後8時過ぎとなりました。
活動レポート1832号、「春よ来い」の第479回、「シーさんへの手紙」を私のホームページに掲載しました。ご笑覧ください。