おはようございます。今朝もいい天気になりそうですね。事務所の近くのマンサクが開花したことは先日お知らせしましたが、グー、チョキを過ぎてようやくパーの状態になりました。遠くから見ても、黄色くなった木がわかります。写真は今朝の日の出前の尾神岳です。
昨日は「市内の斎場のあり方を考えるシンポジウム」が柿崎コミュニティプラザで開かれ、パネラーの一人として参加してきました。シンポは柿崎区、大潟区、吉川区の地域協議会有志の主催です。参加者は報道関係者をのぞくと50人ほどでした。
最初に草間、武藤、橋爪の3市議がこれまでの経過や斎場問題についての考えをのべました。私は、「昨年10月に市の斎場整備計画を聞いて、かつて浦川原区にあった斎場を思い出した。地元の斎場がなくなって関係住民は不便な思いをしている。何としても頸北斎場は守らなければならないと思い、日本共産党議員団で議論し論戦の準備をしたし、質問してきた。上越市よりも狭い新潟市の斎場は5か所、長岡市は6か所だ。上越はひとつなんてとんでもないことだ。今回の市の方針変更はうれしさと同時に不安もある。というのは『更新時期を迎えるまでは』という言葉があるからだ。何故、単純に『頸北斎場は存続する』という文言にしなかったのか疑問だ」とのべました。
続いて地域協議会の会長さんたちが発言、「斎場までの時間は(長くて)40分だと思っている。頸北斎場を壊すことは逆に税金の無駄遣いになると思う。今回は身近な問題ということで大いに議論した。それが成果となって出てきた」「頸北斎場も上越斎場と同じように建て替えの時期を迎えたら建て替えしてほしいと言ってきた。我々は存続に向けた議論をしていきたいと思っていたが、行政側は避けた。そして、(新方針後については)当該地域協議会と協議していくというが、斎場はみんなが使う施設だ。直江津地区だけでなくみんなの声を聴くべきではないか」などと発言しました。
仏教会の代表は、「葬儀は命の最後を見取り、家族や周りの方々に満足のいくお別れをしていただく場だ。できれば、あわただしい葬儀は避けたい。広域な市においてはカマの数をいくら増やそうと1か所にするのはたいへん無理がある。将来に向かってしっかり検討していただきたい」「斎場は私たちが一番足を運ぶ機会が多いのではないか。印象からすると、頸北斎場も上越斎場も決して老朽化していない。まだまだ、どちらも数十年使えると思う。ただし、炉については更新の必要性が出てくるかも知れない。木田のある住職が、柿崎の斎場は五智よりもはるかにきれい、なぜ壊さなければならないのかと言っていた。仏教会の中では、市長選挙後に再びというのが懸念されるという不信感がある。これは市長に強く伝えてほしい」とのべました。
最後に町内会長連絡協議会の代表からは、「地域協議会のみなさんが頑張ってくれて、結果としてここまで来た。『斎場は生活の中での斎場だ』。改めて頑張ってほしい」「各団体と意見交換会をやり、町内会としても存続を要望してきた。斎場は人生の終焉の場であり、身近な施設。頸北斎場は住民にとって不可欠な施設だ」との訴えがありました。
パネリストによる意見表明、討論が終わってから、会場の参加者とパネリストとの意見交換が行われました。
その中では、「政策監会議のことは初めて知った。議会で経過を訊いてほしい」「頸北は捨てたもんじゃないと思った。うれしくなった。今後どうしたらいいかの議論が大事なので、継続的に話し合いをしていただきたい」「市のやり方は効率第一主義ではないか。こんなことをしていたら、中心部は何とかなるかも知れないが、あとは大変なことになる」「頸北斎場をなくす、なくさないだけの議論ではいけない。その点では、シンポのテーマを上越市の斎場のあり方を考えるとしたのはよかった。全市的な視点で考えることが重要だ。学校や斎場などは地域に密着した、地域の暮らしを支える部分であるので、しっかりと取り組んでいきたい」「地域協議会はこれで一段落なのか。住民を取り込んだ議論を引き続きやってほしい」「頸北斎場のそばに霊園がある。あそこに毎月行くのを楽しみに、希望にしているおばあちゃんがいる。斎場は宗教心を育てる場でもある」などの発言が相次ぎました。
市が新方針を打ち出す中で、主催した人たちの中では一時は迷いも出たそうですが、昨日のシンポはやってよかったと思います。全体として確認できたことは、「斎場は市内に複数必要だ」ということです。私としては、仏教会の方が言われた、「斎場は命の最後をみとる場。満足のいくお別れをしていただく場」という視点など、いままで考えたことのないこともいくつか学びました。これらは議会での今後の議論に活かしていきたいと思います。
きょうはこれから新潟地裁です。いよいよガス水道局所管工事談合裁判の判決がきょうの10時過ぎに出ます。