田村市で視察
今朝は宇都宮市内のホテルからの発信です。外は完全に曇り空です。昨日は上越でも大宮でも郡山でも空にはうろこ雲がありました。きょうの天気は崩れるのかも知れません。写真は昨日の視察地、福島県田村市の船引駅にあった魔よけです。
昨日は朝7時過ぎに家を出て、上越妙高駅で市議会災害対策特別委員会のメンバーと合流しました。今回の視察は原子力災害対策と水害対策について他の自治体の取組から学ぶことが目的です。視察地は福島県田村市と栃木県栃木市です。
お昼少し前に田村市の船引駅に着いた私たちは、駅近くの食堂で、「たむら八彩(やさい)カレー」を食べました。じつは食事ではどんなメニューを頼んでもいいことになっていたのですが、偶然、全員一致しました。このカレーは田村市のご当地グルメプロジェクトでお薦めのメニューでした。地元産の旬の野菜を使って、こういう取組を市内各地でするというのはいいですね。味も良かったです。
さて、視察ですが、2011年3月に福島原発事故で厳しい対応を迫られた自治体のひとつ、田村市で、事故発生当時の避難状況やその後の地域防災計画の見直しの進み具合を学ぶために出かけました。昨年1月に竣工したばかりの庁舎の1室で生活環境課や原子力災害対策課の幹部から説明していただきました。説明にあたっては事故発生から時系列で記録された詳細な対応状況が示されました。説明と質疑の時間は約2時間、市民の命と暮らしに係わる最重要課題の一つだっただけに、濃密な時間となりました。
田村市は東京電力福島第一原発から近いところで20㌔、遠いところで40数キロという位置にあります。原発立地自治体ではありませんでしたので、地域防災計画のなかには原子力災害対策はありませんでした。視察受け入れ先の議会を代表して挨拶した大和田議長は、「(原発事故発生で)当局も議会も困惑した。たいへんだったなと思っている。(5年経過し)震災関連はほぼ回復したが、相双地区はいまだにたいへんな状況となっている」とのべました。また、現在の生活環境課長、当時の課長は、「田村市は20㌔、30㌔圏内に入っていたが、避難計画については特記したものがなく、当時の防災計画でこなさざるをえなかった」とのべるとともに、「(事故の進行に伴い)避難者受け入れと避難が重なり、幹線道路では地元の避難者が使えない混みようとなった」「市民からは『水は飲めるのか』などの問い合わせが相次ぎ、子どもたちと妊婦の水を優先的に確保した」などと生々しい状況を語りました。
いま、議会事務局長をしている事故発生当時の生活環境課長は、検討しておいた方がいいこととして3つあげました。
1つは、半径何キロというときの起点をどこにするか明確にしておくこと。これは災害補償などにもかかわってくると言います。
2つ目は、避難道路がどうなっているかの広報が大事であるということ。主要道は避難者が来るので、地元の人たちが幹線道路に出れなくなった。二重の避難となったとのべました。
3つ目は原発事故では20㌔、30㌔というのは便宜上の目安だ。事故発生当時の気象条件を加味していくべきだということです。
実際に経験した人ならではのまとめだなと、参考になりました。
説明や質疑などが終わってから、田村市の庁舎を見学させていただきました。庁舎は昨年1月に竣工したばかり、木が多く使われている点や明るさが印象に残りました。注目したのは災害対策本部室があること、それから議場に画像を使って質問できるようにテレビ大の装置が2か所設置してあったことです。上越市議会でもほしいです。
いまひとつ庁舎見学をしていて教えてもらったのは放射性物質の飛来状況を調べるモニタリングポストが田村市内には100か所あるということでした。上越市の面積の半分の田村市でこれだけあるというのはショックでした。上越市内はたしか2か所だったと思います。
きょうは栃木市です。
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