おはようございます。5時半起床。今朝は起きるのが遅すぎました。布団から出て外を見ると雲が朝焼けしています。着替えて大急ぎで撮影ポイントへ行こうとしたのですが、雲は薄紅色から白へと変わろうとしていました。あと5分、早く起きればよかったです。写真は吉川区にある農協のカントリーエレベーターと吉川中学校です。
昨日は朝早くから「しんぶん赤旗」日曜版を配達し、朝食後は草刈りを約1時間半行いました。お盆以降、まったく草刈りしていなかったので、家の回りも事務所の回りも草だらけだったのです。気になっていたのですが、なかなか時間がとれませんでした。母が植えた柿の木が豊作です。先日、柏崎で今度、この柿をもぎに来る話が出ていましたので、木に至る道も確保しました。これで92歳の母と義母が柿もぎ出来るでしょう。
草刈りを終わらせ、シャワーを浴びてから新潟へ行く支度をしました。久しぶりに高速バスを使っての移動です。スマホを楽しんだり、新聞を読んだりしながら、そして時々、眠りながら新潟まで行きました。
新潟は森ゆうこ参院議員の当選報告集会でした。
最初は「結婚式」、終わりは知事選の総決起集会。新潟東映ホテルで行われた会は喜びの笑顔でいっぱいでしたね。式の始まりでは、司会者が「森ゆうこ参議院議員が入場します」と言ってから、森議員が笑顔で入場すると大きな拍手が起こりました。完全に結婚式と同じ雰囲気でしたね。
来賓などの挨拶一つひとつが素敵で、印象に残りました。オール新潟平和と共生の共同代表の佐々木さんは「一皮、二皮向けて新しい森ゆうこになってください」と激励。民進党の西村ちなみ衆議院議員は「森ゆうこさんを当選させるために一緒に動いたことが大事」と参院選を振り返りました。社民党県連代表の小山県議は、「森さんはへこたれない性格。国会で闘ってほしい。第ニステージも勝利しよう」と力強く訴えました。日本共産党の樋渡県委員長は専ら知事選に言及、「困難はあるが短期決戦を勝ち抜きたい」と決意表明をしました。連合新潟の齋藤代表の「あの日の連帯と熱気、忘れない」のメッセージも良かったです。新社会党や緑の党の代表も「ちっぽけな党だが、対等平等に扱ってもらえたのがうれしかった」などと語りました。
さて、「結婚式」の主役、森ゆうこ参院議員は、今回も力の入ったすばらしい挨拶でした。森議員は「歴史始まって以来の野党と市民が統一した、すばらしい選挙だった。そして劇的な勝利でした。戦争させない、暮らしを守りたいというみなさんの献身的な闘いにささえられた選挙でした。連合の丸山さんから、お姫様にならんきゃダメだよ、と言われるなどいろんな人から力になってもらった」と感謝の言葉をのべました。そして、知事選で米山隆一さんが立候補を表明したことにも触れ、「3つの究明なくして再稼働の議論はしない」という泉田知事の路線を引き継いでくれた。米山さんは医者であり弁護士だ。すばらしく頭がいいが、えらぶるところがない。ただ、ほんとうの選挙を知らない。米山さんにも本物の選挙をしてほしい。ぶっつけ本番の選挙となったが、原発再稼働させてはならない、その思いを選挙で示そう」と訴えました。
米山隆一知事候補も挨拶しました。米山さんは、「参院選で森さんが髪を振り乱していたのを見た。すごい。私は、以前は原発に賛成してきたが、福島の原発事故はいまも収束していない。それを見て、考えを変えた。私は、福島第一原発事故の原因とその発生プロセスの徹底的な究明、事故の健康への影響の徹底的な究明など3つの究明がなされない限り、再稼働の議論は始められないという泉田知事の路線を引き継ぐ。そして新しい、よりよい県政つくりたい。このままでは、将来、県民が医療、介護で途方にくれる可能性がある。実行するのは県政だ。産業、農業でも活力ある県政をつくりたい。未来への責任というと何より教育だ。誰もが、その能力に応じて、質の高い教育を受けることができる環境をつくる決意だ。頑張って、勝つ選挙をやりたい。ニュー米山にしていただきたい」と訴えました。私は米山さんの話を聴くのは今回で2度目ですが、ますます好きになりました。
閉会を前にした「がんばろう」はいうまでもなく、県知事選で米山隆一さんを当選させようというものです。森ゆうこ参院議員と米山さんを真ん中に各党の代表、県議、オール新潟の共同代表が壇上に上がりました。
最後の最後でも森参院議員が、「みなさん、選挙は女性を味方にしなきゃ勝てませんよ。米山さんが女性にもてるようにしましょう」と声をかけ、今度は壇上に女性ばかりが上がって「がんばろう」をやりました。最後は完全に決起集会になっていましたね。
活動レポート1775号、「春よ来い」の第422回、「敬老の日に」を私のホームページにアップしました。お時間のあるときにごらんください。
きょうはこれから妻を柿崎駅まで送り、その後、永年党員証をお二人の人のところに届けに行きます。その後は活動レポートの取材、そして会議と続きます。