おはようございます。まずは悲しいお知らせをしなければなりません。昨日の午後7時28分、吉川区尾神の伯父、山崎清二は病気のため労災病院にて亡くなりました。77歳でした。生前、お世話になりましたみなさんに心から感謝申し上げます。写真は今朝の日の出風景です。
危篤の知らせが入ったのは午前8時半頃だったと思います。後援会長さん宅へ行って3日午後2時からの山菜祭り(主催、日本共産党橋爪法一後援会。会場は吉川多目的集会場)の打ち合わせしようと車を走らせている時でした。従妹の連れ合いから、「東の父ちゃん、今朝、脳梗塞を起こして倒れた。救急車で病院へ来ている」とのことでした。それからいったん事務所に戻り、病院へと向かいました。病院では伯父の家族、親戚が集まり、病状を見守りましたが、時々、痰が詰まり、激しく苦しむ姿は切なかったですね。
伯父の家はわが家の隣にありました。伯母の最初の連れ合いが亡くなった後、14歳年下の弟である清二伯父さんが伯母と連れ添うことになりました。たいへん働き者で、仕事もきちっとした仕事をやる人でした。田んぼ仕事、土方、酒屋者等の仕事を見てきましたが、ていねいな仕事ぶりには定評がありました。糖尿病になってからもよく仕事をし、いつ行っても体を動かしている人でした。今月に入っても畑仕事だけでなく、裏山にある杉林の手入れをしていて、杉の葉などをきれいに片づけていたとのことでした。
私との関係でいいますと。私が28歳で町議に立候補した時、選挙責任者の重責を担ってくれました。その後もずっと私を応援してくれていたのは言うまでもありません。今回の県議選投票日の翌日、伯父と会った時に交わした言葉が最後となりました。「もうちょっとだったがにね」と悔しがっていました。
伯父のお通夜は28日午後6時から、告別式は29日午前10時から、いずれも大潟区にある「虹のホールおおがた」にて行います。
活動レポート1705号、「春よ来い」の第353回、「母の半纏」を私のホームページに掲載しました。お時間のあるときにお読みいただければ幸いです。
きょうは母の通院日です。送迎と付き添いをしたのち、葬儀の打ち合わせに向かいます。時間があれば、三和区の産廃処分場現地視察にも参加してきます。