おはようございます。今朝は台風一過、青空が広がっています。今回の台風で被災された皆さんには心からお見舞い申し上げます。上越市内では倒木、地滑り、冠水などの被害が出ましたが、人的被害はありませんでした。
昨日は午前に中学時代の同級生、小川茂(旧姓中村)さんの葬儀でした。子ども時代、私は尾神(蛍場)に住み、彼は隣の半入沢に住んでいました。半入沢の神社で遊んだ記憶が少し残っています。口数の極めて少ない人で、余計なことは一切しゃべらない人でしたが、家庭生活でもそうだったようです。葬儀が終了した時、長男のAさんが挨拶しましたが、そこでも無口だった父親を語りました。でも、それだけに、父がしゃべった数少ない言葉はまわりの人に強い印象を伴って残ったようです。Aさんが専門学校へ行くとき、父親の茂さんが柿崎駅まで送ってくれ、そのときに言った言葉が「がんばってこい」でした。それを何度か繰り返したといいます。出棺は激しい涙雨、私も涙が流れました。
葬儀が終わってからは防災服に着替えて、被害状況を確認するため吉川区、浦川原区、大島区、安塚区、牧区、三和区、頸城区、柿崎区と回りました。途中、6つの総合事務所にも寄ってきました。以下写真とともに説明します。
吉川区で最初に出合った被害は倒木です。小苗代から下町へ向かう市道に杉の木が倒れ、電線に引っ掛かっていました。もちろん通行止めでした。そこから川崎と東鳥越を結ぶ橋で上下流を見たら、増水していて、近くの田や畑にのりそうな勢いがありました。写真は上流を見た時の写真です。
川崎から総合事務所に行き、被害状況を聞き、浦川原区へ向かいました。途中、道之下を過ぎたところで県道柿崎牧線の両側の田んぼが冠水していました。玄僧川とその支流が増水すると、ここはいつもやられます。
浦川原では顕聖寺から菱田に出ました。保倉川が大暴れしていましたね。有島では橋の上から写真を何枚も撮りました。すごい勢いで流れ下っていました。車の外でも数枚写真を撮ったのですが、角度的には車の中で撮ったものがよく、掲載しました。
浦川原区総合事務所では小菅所長を先頭に職員が頑張っていました。ちょうどテレビでは、有島の79世帯に避難勧告が出されたことが報道されていました。事務所ではホワイトボードや地図を使っていい動きをしていましたね。
大島区で一番気になっていたのは、田麦川と保倉川の合流地点です。2年前の水害では、ここで流れがぶつかり合い、被害が出ていました。今回は保倉川沿いでの降雨量が多く、田麦川沿いは比較的少なかったようです。そのため、保倉川の流れが田麦川を抑え込んだ形になっていました。
大島総合事務所では災害対策本部のテレビを使った会議が始まるちょっと前でした。西田所長から概略説明を受け、会議が始まると、外へ出ました。
安塚区では小黒川が増水していました。安塚診療所の下流は段差がある場所なのか流れが飛び上がっていましたね。総合事務所では南雲所長がテレビ会議中だったので、竹内総務地域振興グループ長から説明を受けました。
牧区総合事務所では渡辺所長など職員が現地対策本部で頑張っていました。板倉区総合事務所から応援要員2名が派遣され、パトロール、現地確認などをしてもらったという話を聞きました。テーブルの上には地図が広げられ、カラーペンと付箋を使って被害現場をわかるようにしていました。話を聴いている途中、電話が入り、落田と樫谷を結ぶ道路へ落ちてきた地滑りの長さが100メートルにもなったとの報告があり、私も現地に飛びました。今回の水害では一番の地滑りかも知れません。
牧から三和区へと向かいました。県道新井柿崎線を走りながらの視察となりましたが、錦で河川の水が増え、畑にも広がっているところに遭遇しました。その後、頸城区の森本の橋では、保倉川の状況を見てきました。心配になって上野議員にも電話をしたのですが、彼も各地を駆け回っていました。日本共産党議員団は昨日、3人が手分けをして各地を回りました。平良木議員からは本部の動きをメールで次々と発信してもらい、助かりました。
頸城区から柿崎区へ。柿崎総合事務所では、午前中、私の同級生の葬儀で葬儀委員長を務めていた笹川所長が役所に出てきたところでした。ウーロン茶で対応し、職場に「復帰」したとのことでした。いろんなことがあるからたいへんですね。
再び、吉川区総合事務所に戻ったのは夕方でした。職員全体が静かに机に向かったいましたが、これは大きな災害がなかったから。よかったです。「まんまもくわんで回ったら、疲れたよ」とつぶやいたら、所長が紅茶を一杯ご馳走してくださいました。これで疲れはぐんと取れました。
さて、きょうから総務常任委員会です。昨日の予定外の行動で準備はほとんど進みませんでした。でも、これはしょうがないこと、一生懸命やるだけです。