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盛之助日記の原本


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 おはようございます。今朝は曇り空です。セミの鳴き声の一番はヒグラシ、今朝は賑やかでした。いまはニィニィゼミの鳴き声が続いています。

 昨日は午前に相続などの生活相談が続きました。午後からは3時頃までデスクワーク、その後は取材で大島区大平へと出かけました。旧大島教育長の高橋英夫さんから大島区竹平の屋号「いんきょ」の先祖、内山盛之助が書き綴った日記帳の原本を初めて見せてもらいました。私がこの日記帳の存在を知ったのは今月の11日でした。日記帳は1877年(明治10)から1912年(明治45)までの農作業や日常の付き合いを記録していて、26冊にものぼります。全冊を重ねたら(上の写真)、高さが15センチにもなりました。私が注目したのは1883年(明治16)3月の日記です。この月の12日、尾神岳のコシで発生した大雪崩によって27人の命が失われました。このうち4人はわが家の親戚の人ということもあって、興味深く読みました。筆を使い、すらすらと書かれた日記はまさに「明治期のブログ」と言ってよいでしょう。昨日の取材を基に「春よ来い」の第263回を書き上げました。タイトルは「盛之助日記」です。下の写真は1883年3月12日の日記の部分です。

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 さて、きょうは厚生常任委員会と文教経済常任委員会があります。開始までに何とか市政レポートの印刷を終わらせたいと思っています。

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2013年07月25日 06:40に投稿されたエントリーのページです。

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