昨日の午後のことを書いておかなければなりません。いまから229年前の11月に柿崎区下黒川地区で起きた柿崎一揆のことを調べようと、フリーライターの玄間太郎さんとともに柿崎海岸や木崎城などを見て回りました。玄間さんは柿崎一揆を題材にした小説を執筆中で、11月の状況をつかみたいと今回、調査に入られたのです。
最初に出かけたのは柿崎海岸でした。歴史資料では、浦浜海岸に400人からの人たちが集結して、角取、下小野などへと出かけて一揆をおこしたとなっています。昨日の柿崎の海は荒れていましたね。玄間さんは風がどう吹くのか、旗持山は見えるのか、佐渡が見える方角はどうか、海岸にはどんな花が咲いているのかなどに関心を示されていました。
一揆で農民らが押し寄せた場所の一つは角取の造り酒屋でした。この酒屋はいまの代々菊酒造さんのようです。昨日は、夕方から夜にかけてどんな感じになるのか、米山さんや尾神岳がどんな風に見えるかなどを調査されました。たぶん、きょうは11月の時点で酒造りはどんな仕事をしているのかなど聞き取り調査されたのではないかと思います。写真は代々菊酒造です。
昨日は野道も案内しました。砂利も敷いていない野道は探したけれど、なかなか見つかりませんでした。上小野から百木へ行く途中でようやく見つけることが出来ました。歩いた時、どんな履き物だったかはわかりませんが、歩くと、足の裏に柔らかな土の弾力が伝わってきます。道端にはノコンギクやミゾソバ、赤マンマなどが咲いていました。こういったことはどう書かれるのでしょうか。
下小野から上小野へ向かう途中に馬頭観音があります。この近辺にヤマイモやトコロのツルがあることが分かり、そこでムカゴを食べたり、ところを掘ったりしました。フキはこの時期でも食べられることを確認できました。229年前はたいへんな食糧難でした。どんなものを食べたのか、玄間さんはイメージを膨らませることが出来たようです。
上小野神社は、小説では農民らがひそかに集まった場所の一つに設定してあるとか。階段の上って神社へ行くと、大きな杉に囲まれていて暗い感じがしました。側からも良く見えなく、会合には絶好の場所でした。市道に出た時、玄間さんは、一揆に参加した農民たちの合言葉として、「米山さんから月が出た」という言葉を考えていると言われたので、「いまの時期、米山さんからは月が出ないのでは」と言っておきました。年が明けると間もなく、本は完成する予定とのことです。楽しみが増えました。