1783年(天明3年)の今夜、柿崎区の下黒川地域で一揆が起きました。きょうは午後3時頃から約1時間、フリーライターの玄間太郎さんとともに現地を歩きました。米山の状況、紅葉が終わった山林の様子、草花などを見てきました。ヨモギやフキが枯れずに残っていましたが、これらは当時も貴重な食べ物になったものと思われます。
一揆を起こした集団は柿崎の浦浜海岸に集結したのち、角取、下小野、上小野、高寺と動いたらしいのですが、どういうルートで動いたかは史料がありません。高寺にある諏訪神社(下の写真)や荻谷から柳ケ崎に抜ける道等を見て回り、玄間さんは小説のイメージを膨らませたようです。
上小野地内に馬頭観世音があります。このそばに1833年(天保4年)に建てられた石塔がありました。天保4年というと、天保の大飢饉が始まった年です。冷たい雨が降り、風も吹き始めると、一気に天保年間にさかのぼった感じがしました。
上小野を流れる黒川で堰を上ろうとするサケの姿を確認しました。強い流れに抗して必死に進もうとするサケ。しかし、流れには勝てず、ついに力尽きて下流へと流されていく。サケの悲しい運命と一揆に立ちあがった人たちの姿がだぶってしまいます。
今夜は地元党組織の決起集会でした。総選挙に勝利するために、先日の党中央委員会の決起集会のビデオを見て、最後は、みんなで「頑張ろう」と気勢をあげました。
市政レポート1580号、「春よ来い」の第228回、「柱時計」を私のホームページに掲載しました。ごらんください。