映画「あなたへ」を観終わったとき、観客はみんな心が優しくなったのではないでしょうか。私の場合、妻が定年を迎えたときには早いうちに一緒に旅に行きたいと思いました。悲しい思いを背負っての旅ではなく、生きているうちに楽しい思い出をつくる旅に。
夜9時からの上映だったので途中で眠くならなければいいがと心配したのですが、眠たくなるどころか、はじめから終わりまでずっと惹きつけられた映画でした。季節外れの風鈴の音が悲しく響き、キク科の赤紫の花(後で調べたら、アスターのようでした)がいい感じで部屋に飾ってある。これだけでも私の五感は集中します。そして、「あなたへ。私の遺骨は故郷の海へ撒いてください」という亡くなった妻からの短い手紙に従って車の旅に出る夫……。旅の中で繰り広げられる様々な人間模様が感動的でした。
映画を見て「短い言葉」の魅力をあらためて感じました。2通の遺書の中のひとつは、「あなたへ。私の遺骨は…」で、妻の故郷の郵便局で受け取ったもう1通は、「さようなら」としか書いてない手紙でした。でも短いがゆえに心に余韻が残ります。山頭火の句も良かった。「分け入っても分け入っても青い山」「ひとり山越えてまた山」、旅の中で作った句なのでしょうが、人の生き方、生き様を短く表現しているように思えました。
「旅」と「放浪」の違いは「目的があるかないか」、そして「帰るところがあるかないか」だと、映画の中で車上荒らしの旅人役を演じたビートたけしが言っていましたね。私は一度でいいから「放浪の旅」をしてみたい。主人公が妻の故郷、平戸の街中をぶらぶら歩き、閉館した写真館の出窓に飾られっぱなしとなっているいくつかの写真の中に、妻の少女時代の写真を発見する。ああいう感動を味わってみたいのです。もちろん、旅の中には天空の城、竹田城址に登ってみること、舟に乗ってばかでかい夕陽を見ることも入れて。
私の妻は来春、定年退職を迎えます。