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どこへ行っても原発の話が出て…

 昨日は「しんぶん赤旗」日曜版の配達、党創立90周年の活動、そして出身高校の校友会(同窓会)と続きました。

 私は全く見ていなかったのですが、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしていたときに、何人もの人から「テレビニュースに出ていたね」「すぐ、おまんだとわかった。がんばってなるね」などと声をかけていただきました。テレビニュースというのは、8日の原発ゼロ新潟集会とパレードの報道です。マスコミに載ると反響が大きいものだとあらためて思いました。

 きょうの党創立90周年を前に昨日は仲間を増やす活動にも取り組みました。市田書記局長の講演ビデオを見てもらい、まず、最初に話になったのは柏崎刈羽原発のことでした。一緒にビデオを見てくださった方は、「柏崎の原発でもしものことがあればここで暮らせない。いろんな問題があるが、原発の問題が何よりも心配だ」と訴えておられました。この人の住まいは柏崎刈羽原発から20数キロのところにあります。昨日は3人の人に入党の働きかけをし、1人の方から申し込みをいただきました。

 さて、夕方からの校友会、懐かしい人たちと再会できました。高校時代の同級生は10数人が参加、「何何先生は若いね。高校時代と変わらない」などと出席されている恩師のことや同級生のことなどを話題とし、おしゃべりを楽しみました。約1年ぶりに再会したUさんとは政治の話です。原発再稼働や消費税増税に怒り、雪対策などについても話をしました。この人は原発の住民投票を求める活動でも頑張っていると聞いて、うれしくなりました。

 昨晩の会で約40年ぶりにあったのは、大学時代に一緒に学んだ金津さんです。新潟妙高会の会長をしている関係で来賓として出席されていました。こちらから挨拶もしないうちに私の顔を見てすぐに、「変わらないね」と声をかけてもらいました。金津さんは亀田製菓の元社長さんで、「おばあちゃんのぽたぽた焼き」を開発した人として有名です。私のホームページのことや新潟妙高会のNさんの話などをしましたが、ほんとうにうれしい再会でした。金津さんは会の最後、万歳の音頭をとりました。「若いころのことでいつも思い出すのは高校時代のことです」と言って、最後まで盛り上げてくださいました。

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2012年07月15日 07:53に投稿されたエントリーのページです。

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