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「新しいふれあい社会」の実現めざすシンポ

 とても勉強になりました。昨日、新潟県立看護大学で行われた「東日本大震災ふれあい・きずな応援団inくびき野」のシンポジウムのことです。テーマは、「自助から共助をめざして、いま、私のできること」。東日本大震災を経験して、地域の防災はどうあるべきか、これからの地域社会をどうつくっていったらいいのか、これまで頭の中でモヤモヤしていたものをかなり整理できました。

 パネラーはNPO法人新潟県災害救援機構の梅澤園了さん、新潟県立病院看護師の秋山公子さん、上越市健康福祉部長の野澤朗さん(発言順)、そしてコーディネーターはさわやか福祉財団の堀田力さんです。梅澤さんと秋山さんは被災地へ出かけて救援活動をしてきた経験から、野澤さんは被災者を受け入れた経験から得たものを語り、堀田さんが3人の話のポイントを整理してまとめていく。2時間ほどのシンポでしたが、久しぶりに掘り下げのうまくいった議論を聴かせていただきました。

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 梅澤さんは救援活動の第一線で活動してきた人です。「最近は忘れる前に災害が次々とやってくる。阪神大震災の震源地となった淡路市北淡町では、地域の中での助け合いによって死亡率が低くなっている。(今回の災害でも)地域の中で助け合うことの大切さを学んだ」と話されました。「私を助ける人は隣の人」という言葉が印象に残りました。梅田さんはまた、上越市の避難所対応について、被災者が自力で立ち直っていけるよう改善が必要だったと問題提起しました。

 秋山さんは中央病院の災害医療派遣チームの一員として福島県に2回入った経験を語りました。救命活動は72時間以内が勝負です。1回目は3月12日に出動、みんなの気持ちを一つにして助けられる命を救いたいと頑張ってきました。秋山さんは話のなかで、「死亡者の中にエプロンをつけた人が何人もいたが、これは地震の後、片づけをしようとしていたのではないか。少しでも危険がある限り、避難情報が出される。たいしたことないと甘く見ず、半信半疑であっても避難する事が大切」とのべました。最後に、小学校で講演した内容も紹介してくれました。これは画像でごらんいただきましょう。

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 野澤さんは、被災者受け入れの活動から学んだことをリアルに報告しました。ある日、「何かご不満、ご要望はありませんか」とたずねたところ、ひとりのおばあちゃんから「ご飯を減らして」と言われ、ショックを受けたといいます。この一言で「ご支援させてもらう側の論理」があったこと知ったというのです。絆が切れてしまうとなかなかつながらない。福島から入院患者を受け入れた時、名前がわからない人が2人もおられたことにもショックを受けたとのことでした。野澤さんは、「今回、災害時の対応だけでなく、ふだん、人を支えていく基本を学んだ」「役所というのは意外ともろい。災害の発生する前に起きた時の準備をしていく(ことが重要)。起きたら共助しかない」とも語りました。

 4人の発言メモは私のノートで5ページにもなりました。全部書きたいくらいですが、主催者の話ですと、昨日のシンポなどはDVDにまとめられるそうです。出来上がった段階で紹介させてもらいます。

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2011年09月20日 06:55に投稿されたエントリーのページです。

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