3日、4日と上越市牧区の深山荘で行われた「柳川月さんを囲む会」に参加してきました。総勢23人。そのうち月さんとサトノさん、それと樋口さん、この3人の女性だけは会ったことがありましたが、あとは全員初対面の方でした。たくさんの人との出会いがあり、夜遅くまでいっぱいおしゃべりをしてとても楽しい会でした。
会のメインは月さんの「90年の人生を語る」です。夫を亡くし手づくり新聞「ざ・むーん」を書き始めた頃の話、レッドパージにあった家族とその後、全国家族新聞交流会のみなさんとの様々な交流等、初めて知ることが多く、ひきつけられました。この日、月さんは、「ざ・むーん」の創刊号から100号まで(?)を1冊に製本したものを離さず、語り続けられました。「ざ・むーん」は月さんの「宝物」であり、語りの源泉でした。話のなかには苦い体験もあったはずなのに、なぜか、すべての話が輝いていましたね。
「月さんを囲む会」を提案してくださったのは全国で家族新聞を発行し交流しているみなさんです。脇山さん、清水さん、鈴木さん、市川さんなどは、長く家族新聞を発行し、頑張ってこられた人たちでした。参加者のなかには家族新聞や地域新聞を出していない人たちも何人かおられました。けれど、みんな、「ざ・むーん」を読み、月さんを好きな人ばかりでした。参加者全員が「ざ・むーん」との関わり、感想などを語り合いました。私もガリ版時代の月さんのチラシのこと、「ざ・むーん」を通じて励まされたことなどを語りました。みんな、話は尽きず、お風呂の中でも、ロビーでもおしゃべりが続きました。
2日目の企画は牧区原の明願寺の訪問です。ご住職の池永文雄さんとは10数年前に直江津のイトーヨーカ堂で開催された「家族新聞展覧会」でお会いしています。明願寺では、法話をお聴きし、その後、このお寺から全国最初の有線放送を行った当時の思い出などを語っていただきました。それだけではありません。自宅の2階においてある当時の有線放送設備や昭和初期の蓄音機、フィルモンなどを公開してくださったのです。ずっと、ワクワクしっぱなしでした。
フィルモンは、上越タイムスによると、「大阪の工場経営者、小西正三が昭和初期にに開発した当時としては驚異的な36分の長時間プレイができる画期的な蓄音機」「統制をうけたセルロイドなどの材料不足のため、わずか4年で製造中止となった。我が国で今も動くフィルモンは5、6台といわれ、幻のオーディオだ」(1993年10月8日号)ということです。昨日は、このフィルモンで浪花節と思われるものを聴かせてもらいました。動画で記録しましたので、その感動をみなさんにお裾分けしましょう。
市政レポート1517号、「春よ来い」の第168回「いとこ会」を私のホームページに掲載しました。ごらんください。