都会から上越市内山間部に移住した人たちの生の声を聴いてみたい。できれば、そこから中山間地域振興のためのヒントを得たい。そんなことから、市議会中山間地対策特別委員会が移住者の人たちが頑張っている地域に出かけて田舎暮らし座談会を昨日、吉川区坪野と板倉区猿供養寺の2箇所で開催しました。
このうち吉川区坪野では、冒頭、宮崎政国委員長が「中山間地域があるから平場、街場がある。私たちは3年かけて中山間地域振興基本条例をつくった。まずは柱をつくり、これから枝葉をつくって中山間地域を振興させていきたい。みなさんから、こんなことに困っている、こんなことができないだろうかなど、忌憚のない意見を聴かせていただきたい」と挨拶しました。
続いて、徃住昭平町内会長が、「挨拶といっても大したことをしゃべれないので町内会の実情をお話しさせていただく」と挨拶。その中身がリアルで、よく整理されているのでびっくりでした。長くなりますが、その概要を紹介しましょう。
同町内会長は、「昔は36戸あったが、いま、町内会戸数は22戸。そのうち5戸の方がたが移住されてこられた。人口は49人。ほとんどが65歳以上で、いわゆる限界集落だ。一人暮らしが5、お二人だけの世帯は13、3人以上は4世帯で、18世帯が年金生活世帯となっている。農家世帯は5で、町内会の外から耕作に入っておられる人が3人いる。耕作面積は10町歩。町内会のみなさんからは毎月1回集まっていただき、常会を開いている。農道普請などは年4回。市が取り組むクリーン作戦のほか、道路に花を植えることもやっていて、昨年はチューリップを植えた。主な行事としては、年始会、祭礼を春と秋に2回、冬はサイの神にも取り組んでいる。水源地域としては体育祭や雪上運動会もやっている。いま、何が心配かといえば、(柿崎)病院までのバス代が片道700円もかかることだ。車を持っていない世帯は7世帯ある。高齢化が進み、普請など町内会の義務を果たせない世帯も出てきている。それと、各種負担金が重い。学校後援会費などの負担金総額は1年間で1世帯当たり8866円にもなる」と紹介されました。
座談会の前には自己紹介もありました。市議会の特別委員に続いて、町内会からの参加者の一人ひとりの自己紹介は個性あふれるものでした。「雪だけが苦になる。あとは苦にならない」「すごい緑に誘われて来た。泣き泣きの妻を連れてきた。(すぐ隣のお連れ合いが、すかさず、いまも泣いています、と発言)。山の中なので、灯りが恋しくてたまらない」「雪が降ったら引きこもっている」「当初、やぶだらけで、こんなとこに誰が住むかと思った。道も水道もなく苦労した。でも、いろんな出会いがあり、楽しんでいる」「田舎育ちだけど慣れるまで苦労した」みなさん、これまでの苦労やいまの思いをにじませた紹介をされましたね。
座談会の中では町内会の参加者から次々と発言が出ました。「県道、市道はまったく問題ないが、そこから木戸先までの除雪が大変だ」「雪が一番多くなったところで除雪機が壊れたがすぐには直してもらえなかった。部品が無いというので、メーカーの本社まで電話をかけた」「いまのデマンドバスは運転側のデマンドであって、利用者側のデマンドとなっていない」「いざという時に、消防署と警察の見解が違うのでまいった」「この間の大雨で宅地が滑った。でも災害で拾ってもらえない」「かなしいのは子どもの姿が見えないことだ」「ものをつくる楽しさをアピールすべきだ。売っている人参と自分で作っている人参とでは甘さが違う」などの発言は、特別委員会の今後の議論に役立つものばかりでした。
板倉区猿供養寺での座談会は午後からでした。宮崎委員長の挨拶の後、猿供養寺の石曽根浩町内会長が、「もう5年、10年経てばどうなるか気にしながら生活している。今回の懇談会を契機によりよい町内会にできればと」と挨拶されました。また、寺野地区連絡協議会の丸山公星会長も挨拶、「ここは黒倉山があり自然が豊富で、歴史もある。たいへんな豪雪地帯で、最盛期には寺野地区で360戸あったが、いまは160余りになってしまった。山菜まつり、盆祭りなどいろんな取り組みをしているが、若い人からお年寄りまで安心して住めるところにしていきたい」とのべました。
寺野地区には「寺野の自然と暮らそうサポートセンター」という組織が昨年の5月にできました。同センターの三浦栄一代表から活動を細かく紹介していただきました。
三浦代表は、「この地域の人口をいかに減らさないようにするかが課題だ。ここ数年、都会からの人が増えてきている。最初から定住をと言っても無理がある。入った人の状況をお聴きすると、都会と生活環境が違う。地域としても集落としてもいいとこ取りでは困る。同じ地域の中でもサポートしないとトラブルが発生して暮らしていけない。来られた方に快く住んでもらい、1戸でも増やしていきたい」「大震災後、都会からの脱出が増えてきている。それに応じた受け入れ体制をとっていく必要がある。議会にはいろいろな制度をクリアーできる体制を整備していただきたい。例えば、農地取得は50アール以上にならないとダメということでは自給自足の生活をやりたくてもやれない」「春先になって4戸の方が急に農業やめたいといってやめられた。やめると田畑は草ぼうぼうになる。外から来られた方にも協力してもらいたい。原発も心配だが、食料も心配だ」と報告されました。サポートセンターは、「農家の自給自足に係る作業への協力」、「日常生活で困っている人への協力」、「住まいの補修作業への協力、住まいの片付け、清掃、除雪など維持保全に係る作業への協力」が主たる活動だということでした。板倉区でこうした取り組みがあることを初めて知りました。
座談会の中では、都会から移住して3年目の方が、ブログを開設して田舎暮らしの良さをアピールしていることが紹介されました。北折佳司さんという方です。北折さんは、「都会では選択肢がありすぎて身につかない。コメをつくる時の『手を動かして得る喜び』がいい。都会の人たちにアピールできればと思っている」とのべました。
議会側との話し合いテーマとなったのは農地の取得制限についてでした。自給自足を希望して移住してきた人たちが少ない面積でも耕作できる仕組みづくりを考えていく点で一致しましたので、これは委員会の大きなテーマの一つになっていくでしょう。このほか、参加者からは、「お年寄りが病院へ行くにも厳しくなっているので、手当(支援)していただきたい」「引き受け手がいるかどうかが問題だが、冬期保安要員をここにも欲しい」「旧寺野小学校の空きスペースの活用を考えられないものか」「過疎地に住むメリットを条例を運用する中で考えていただきたい」などの声が寄せられました。
今回の座談会は市議会が中山間地域振興基本条例を制定して初めての取り組みです。同条例を活かすも殺すも具体的な施策がきちっと打ち出されるかどうかにかかっています。その点から見た時、昨日の座談会はとても有意義でした。
最後にお知らせです。先日の顕法寺城での烽火上げの時の太鼓集団、鼓舞衆のみなさんの太鼓を動画でアップしましたのでごらんください。