朝は雨がパラパラと落ちてきてどうなるかと思いました。烽火上げのことです。吉川区内にある山城、顕法寺城址で昨日、烽火上げが行われました。謙信公祭のイベントのひとつですが、顕法寺城址での烽火上げは伝統があって、今回が17回目でした。
標高182メートルの本丸跡に登った時には雨もすっかりやみました。晴天ではないものの、日本海も米山もよく見えます。妙高、火打の方も見えます。そして春日山城は……、こちらもよく見えました。絶好の烽火上げ日和です。
イベントの開始は午前8時45分から。鼓舞衆のみなさんの威勢のいい太鼓の音がよく響きます。「霜は軍営に満ちて秋気清し」詩吟も披露されました。9時ちょっと前、「おい、もう上がっているど」誰かが春日山城の方を見て言い、顕法寺城址も慌ただしくなりました。竹直の小田喜一さんが法螺を吹き、烽火を上げる会の野呂和男会長が口上をのべ、この日が誕生日だというIさんなどが点火しました。
煙は最初、斜めに上がり、その後はまっすぐに上がりました。柿崎区の小野城址での烽火が見えます。春日山の方では3箇所から烽火が上がっています。私もこれまで数回、烽火上げに参加していますが、遠くの烽火がこれほどハッキリと見えたのは初めてです。感動しましたね。
烽火上げの会場では元吉川小学校校長の加藤大助さんが、吉川町史や頸城村史などにもとづいて顕法寺城について解説してくださいました。1578年に上杉謙信公が亡くなって、その後、景勝と景虎の間で跡目争いが起き、1年ほど争いが続きました。「1579年の春には町田城が落城。その際、顕法寺城も廃城となったようだ」「しかし、顕法寺という寺はその後も続いていて、その後の歴史を記した数々の文書が残っている」ことなどを加藤さんは語りました。興味深かったのは、頸城区の大蒲生田にも顕法寺という名の寺があったという話です。今度、頸城村史を読んでみようと思います。
この日の烽火上げには地元顕法寺、道之下町内会や観光協会の人たち、顕法寺城を学んできた小学生たち、山城愛好家など、50人以上の人たちが参加しました。今回の烽火上げについては、市の地域活動支援事業も活用し、林道から上がる道などが整備され、烽火上げ会場からの見晴らしもぐんとよくなりました。参加されたみなさんは、上越市の北から南まで眺めることができて満足されたのではないでしょうか。記念写真も撮りました。