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2011年04月 アーカイブ

2011年04月01日

わが家の雪割草も開花

 昨晩、今晩と夜遅くまで選挙対策の会議が続きました。昼間は昼間で「しんぶん赤旗」の配達などでフル回転でした。この状態はしばらく続きそうです。具体的に書きたいところですが、今回も公職選挙法の改正が見送られ、ネットの書き込みについては依然として制限があります。一番書きたいことが書けないというのは切ないですね。早く改正してほしいものです。

 このところの暖かい天気でわが家の周辺の雪消えが急速に進みました。そのお陰でわが家の庭にある雪割草も開花しました。2、3日前には開いていたものと思います。

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 明日は吉川区総合事務所のSさんの葬儀です。Sさんは源地区出身。長年、地域づくりなどで頑張ってきた人です。「頑張ったね」と声をかけてきてあげたいと思います。

2011年04月02日

Sさんの葬儀、ポスター点検

 午前はSさんの葬儀でした。「しんぶん赤旗」日曜版の配達をいったん中断し、参列してきました。Sさんは現職の市役所職員です。現在の職場である吉川区総合事務所職員をはじめ、大勢の人たちが最後の別れをするために参列していました。喪主を務めているお母さんに代わって挨拶されたSさんのお姉さんの挨拶が涙を誘いました。自らの命が終わることを信じられなかったのでしょう、最後まで「頼むとは言わなかった」といいます。退職後にやってくるであろう「自由な時間がなかった」という言葉も印象に残りました。

 葬儀中に留守電が入っていました。昨日貼ったばかりのポスターが何枚もはがれているというTさんからの電話です。葬儀後、手分けをしてすべての掲示板をチェックしましたが、10枚近くはがれかかっているものがありました。私は画鋲を使わず、大型のホッチキスでとめてきました。今度は大丈夫でしょう。吉川区以外でも昨日、何枚かとれそうになっているものがありましたので、全市域でどうなっているか心配です。

 ポスター点検後は再び「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金です。対話をする中で福島県に親戚のある人が3人ほどおられました。そのうちの一人の方の話によると、親戚の奥さんの実家が石巻市にあり、4、5日前にご両親が遺体で発見されたといいます。報道では火葬も土葬もだめというケースが原発の近くで起きていますが、このお二人は月の半ばに火葬してもらえそうだというお話でした。切ないですね。きょうは、福島県から子どもを連れて避難してきている人の話も聴くことができました。

2011年04月03日

とれかかったポスターを画鋲でとめてくださった市民もいた

 新年度の町内会総会(春常会)がありました。農業委員会から新年度の農作業労賃が提示されていることをうけて、普請人夫賃をこれまでの1日当たり7000円から7300円に引き上げることが町内会幹部から提案されました。これにたいして一人の高齢者の方が、「われわれのような高齢者になると集落の普請に出たくても出られない。出ないからといって、この金額をとられたんでは切ない」という発言をされ、議論がにぎやかになりました。最後は、高齢者世帯に配慮したなかで運用していくことことを確認しましたが、三桁の金額にも厳しさを感じる人たちがいることを改めて知りました。

 町内会総会終了後、家に戻って1枚の写真を撮りました。母が「雪割草のなかにおもしれぇ花が咲いている」と教えてくれたのです。その花はコシノカンアオイでした。母も私も植えた記憶はありません。となると、植えたのは父でしょう。コシノカンアオイは植えてから数年経って花をつけることがあるのでしょうか。調べてみたいものです。

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 午後からは高田の党事務所に行き、実務をしました。夕方の5時頃からはポスターの点検作業です。昨日の日記にも書いたとおり、ベニヤ板に接着できずに「ごめんなさい」をしたり、下の方がパタパタしたりしているわが方のポスターがたくさんあります。高田から保倉地区へ入り、その後、浦川原区、大島区へと行き、大島区の全域をまわりました。うれしかったのは市民の方がはがれたポスターを画鋲でつけてくださったケースがあったことです。大島区大島郵便局から西の方へ100メートルほど行ったところにあるポスター掲示場です。ありがとうございました。きょうは3時間半ほどかけて手直しをしましたが、明日は市内全体でチェックをしようということになりました。夜、家に戻ったのは8時40分になっていました。

 市政レポート1495号「春よ来い」第147回「新しい芽」をホームページに掲載しました。ご笑覧ください。

2011年04月05日

30数年ぶりに大宮さんと再会

 おはようございます。昨晩、家に戻ったのは11時近くでした。パソコンに向かうエネルギーが無くなっていました。

 尾神町内会の80歳の方が一昨日から行方不明になっているというので、昨日の朝、尾神集落へ出かけました。ここは私の出身地です。行方不明の方がどんな方かもよく知っています。寒いなか、大丈夫かと心配しました。でも、消防団や警察の皆さんなどたくさんの皆さんからご心配いただき、協力していただいたお陰で、午前7時半過ぎ無事発見されました。ありがとうございました。

 行方不明の方が発見された場所は尾神から川谷に行く途中にあるトンネルのすぐ近くでした。ノコギリを持って山に入られたといいますが、昔を思い出し、「春木山」にでも行こうとされたのでしょうか。県警のヘリコプターで救出され、病院に運ばれた後の報告によりますと、病院で一晩過ごし、きょうには帰られるとのことでした。怪我もなく、ほんとうに良かった。

 午後からはポスター点検などで暗くなるまで動きました。途中、三和区で元村長の大宮さん宅を訪れました。大宮さんと初めて出会ったのは、私が20代前半の頃です。当時、大宮さんは村議会議長でした。私が三和牧場で働いていた関係で、一緒に車に乗って仕事をしたことがありました。

 家の玄関に入ろうとした時、茶の間のある部屋の戸を開けて、顔を出されました。「吉川の橋爪です」と言うと、すぐに「共産党の橋爪さんかね、懐かしい」という声が返ってきて、私の手をぎゅっと握ってくださいました。うれしかったですね、40年近くも会っていないというのに、憶えていて下さったのです。昔、一緒に車に乗った時に、空に飛行機雲が残っていて、それについて私が解説したとまで言われました。よくそんなことまで記憶しておられたものです。大宮さんは、私が書いた本も買って読んでくださったとのことでした。

 昨日はよく晴れました。米山も尾神岳も絵にしたくなるような美しさでした。写真は下中条の市道から撮った尾神岳です。

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あなたが愛してくれたから

 高田の事務所でアナウンサー原稿を作成している時に、「ポスターがはがれていますのでご連絡します」という電話をもらいました。安塚区総合事務所からです。主要地方道上越安塚柏崎線で山道を走り、安塚区まで行ってきました。ポスターのはがれた掲示板は円平坊(えんたいらぼう)という集落内にあるとのことでした。行ってみると、確かにはがれたあとはありましたが、ここも昨日の大島区のケースと同じく、住民の方が画鋲でとめておいてくださいました。総合事務所に連絡した後、自分で直してくださったのだと思います。こういう丁寧な対応をしてくださったケースに出合うとうれしいですね。円平坊は初めて訪ねた集落です。一回訪ねただけで好きになりました。

 円平坊まで出かけたついでに安塚区の他の掲示板も時間の許す範囲でチェックしてきました。他の掲示板については、はがれたポスターはありませんでした。小黒の専教寺の近くまで行ったので、車から降りて少し歩きました。そこでお寺の掲示板に素敵な詩が書いてあるのを見つけました。

 あなたが愛してくれたから
 あなたが必要としてくれたから
 今、私はここにいる

 
 上越市内在住のポストカード作家、宮越友里さんの詩です。ご住職の岩崎さんとは何度かお会いし、話をしたことがあります。とてもセンスのいい人です。お寺の掲示板に、地元の若い作者の詩を掲示しておられるのを見て、さすがだと思いました。

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 午後からは宣伝カーの先導役です。きょうも北の風景が見事でしたね。青空といい、山の鮮明さといい、最高でした。写真は吉川区名木山で撮影したものです。正面の山は兜巾山です。

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 大島区田麦では急な連絡にもかかわらず、従兄たちが駆けつけてくれました。近所の人たちも真剣に街頭演説を聴いてくださいました。豪雪の視察の時などで顔を合わせたことのある人の姿もありました。田麦や竹平へ行くと、吉川区と同じく親しみを感じます。

 夕方からは選対会議でした。夜9時頃に会議が終わって、家に戻ったら、後援会事務局のTさんから、「橋爪さん、牛が側溝にはまっているよ。どうする?」と連絡がありました。現場に駆けつけてみたら、深い側溝にはまりこみ、身動きがとれなくなっています。私も牛飼い時代、牛が何度も脱走し、大騒ぎをしたことがあります。でも、側溝にはまったというケースは初めてです。牛舎から道路に出て、車でも来てびっくりしたのでしょうか。

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 この牛は9時半頃、無事救出されました。最近は次々といろんなことが起こります。

2011年04月06日

吉川小学校1年生、3年ぶりに2クラスに

 きょうも青空が広がっています。上越市ではきょう、明日と小中学校の入学式です。午前は吉川小学校の入学式に参加してきました。今年度の新入生は54人。1年生のクラスが2クラスなのは今の4年生が入学した時以来です。

 今春から吉川小学校の校長は八島幹雄先生になりました。中嶋前校長と同じく地元吉川区出身です。式前に来賓控室で、八島校長は、「きょうはすばらしい晴れになりました。児童もハイテンションです。担任の先生の名前を告げられただけでも拍手が起きました。卒業式と違って、入学式はまったく練習なしですので、どんなハプニングがあるかわかりませんが、その時はお許し願います」と挨拶されました。行き届いた気配りをされるものだと感心してしまいました。

 さて、入学式本番。担任の先生が先導して新入生が体育館に入ってきました。新一年生がうれしいのはわかりますが、担任の先生も笑顔になって、うれしそうでしたね。

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 お祝いの挨拶にたった八島校長は、新入生に向かって、「おめでとうございます」と声をかけたあと、新1年生にたいして「2つのお願い」をしました。

 ひとつ目は、元気な挨拶をしてほしいということ。「朝起きた時、昼間人に会った時、家に帰った時などちゃんと挨拶をしてほしい。挨拶は人の心と心をつなぐ魔法の言葉です。挨拶で周りの人に元気を分けてあげてください」とのべました。
 二つ目は、学校でやったこと、あったこと、見たこと、家の人に話してほしいということです。「お家の人はみなさんが学校で何をしてきたか楽しみにしています。学校では、自分の気持ちを相手に伝えることがとても大事です。みなさんはもう一年生ですから、自分の口で言ってください」と呼びかけました。

 児童を代表して歓迎の言葉をのべたのは吉藤琴音さんです。昨年の駅伝などで、私は彼女の頑張っている姿を見てきました。きょうもいい挨拶をしていましたね。

 吉藤さんは、「私たちはみなさんが入学するのを楽しみに待っていました。小学校は冒険の森やわんぱく広場などがあります。そこでは、楽しく遊べるし、みんなと仲良くなれます。また、小学校には、運動会・文化祭など楽しいことがたくさんあります。2年生から6年生までやさしいお姉さん、お兄さんがたくさんいます。わからないことがあれば何でもきいてください。明日から楽しみに登校してください」と新1年生に声をかけていました。

 

2011年04月07日

ふたたびチャイムが聞こえてきた

 午前は「しんぶん赤旗」号外の配布活動で大島区へ行ってきました。私が配布した地域は幹線道路から離れた西沢、上達と棚岡の先にある中野という集落です。40数戸ながら、2時間以上かかりました。きょうは午前中、後援会員15人ほどが配布活動に参加、大島区の約670戸の家々に一気に配りました。

 私が配布した集落はいずれも初めて訪ねたところです。菖蒲西からさらに奥に入った西沢では、長野県北部地震の爪痕がまだ残っていました。亀裂ができたところを補修した道路があります。雪で覆われた田んぼや土手には亀裂が広がっています。ある農家の人は、「去年は干ばつでひどかった。そこへこの地震だろ、雪が消えた時、田んぼがどうなっているか心配だ」と語っていました。帰り道、雪原にできた亀裂の中でとても不気味な感じがしたものを掲載します。

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 配布する時に「上越市議会議員の橋爪です」と告げると、「おまんが橋爪さんかね」と言ってくださった方が3人ほどいました。そのうちの一人の方は「チラシを楽しみに読ませてもらっているでね。『のうの』の文英さんとは一緒に仕事をしたことがある」とも。うれしかったですね。

 西沢でも上達でも田んぼの除雪が行われていました。おそらく苗代にするのでしょう。残雪は多いところで2メートル近くもありました。来月の半ばには田植えをしたいといいますが、消えてくれるのでしょうか。写真は上達の田んぼです。

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 午後からは新潟県立吉川高等特別支援学校の入学式に参列してきました。旧吉川高等学校の校舎を活用してスタートした高等特別支援学校の記念すべき第1回の入学式です。改装された体育館には久しぶりに入りましたが、ここでまた入学式が行われたというのは感激でした。入学者は15名。教職員は17人体制です。今後、生徒数は数十名に増えていくでしょう。

 赤松校長は式辞の中で、「みなさんはこの学校が開校して記念すべき一回目の入学生。一という字はとても大切な字です。初めに1年生の1があって、次に2年生の2があり、その次に3年生の3になります。三という漢字は横から見ても一が三つ積み重なって三になります」「スタートにあたり、イチロー選手の言葉を贈ります。いままで生きてきてみなさんに言えることはひとつだけ、それは夢を持ち続けることです。夢を持つことは簡単ですが、持ち続けるということはとても大切。途中でいやになってあきらめたくなることもある。でもあきらめない限り夢は近付いてきます」と激励しました。

 来賓の祝辞は開校支援準備会の小山正昭会長です。「制服すばらしいですね。みなさんの制服姿を見たらほんとによかったなと思いました」からはじまり、「みなさんは初めての土地で、初めての学校ですね。ドキドキしておられるのではないでしょうか。私たちもそうです。3年間ありますので、みなさんと相談し合い、触れ合う機会を多くもって、理解を深めていきたいと思います。3年の間に、健やかに、たくましくなって卒業されることを願っています。保護者の皆さんと一緒に頑張っていきます」来賓控室では挨拶のメモを家に忘れてきてしまったと心配されていましたが、これまで地域の代表として頑張ってこられた思いがにじみ出た素敵な挨拶でした。

 15名の入学者を代表して「誓いの言葉」をのべたのは大平達也さんです。「きょう、待望の入学式を迎えました。新しい学校生活の一歩を踏み出し、希望で胸がいっぱいです。これから様々な行事や体験を通して将来の夢を見つけ、それに向かって精一杯努力していきたい。充実した3年間を送るため、仲間と助け合い、何事にも前向きに取り組んでいきたいと思います」とのべると、大きな拍手に包まれました。

 写真は入学式が終わって、教職員の紹介のときのものです。

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 きょう、初の入学式を挙行した吉川高等特別支援学校の校章や校歌について赤松校長から説明がありました。「吉川」という文字は旧吉川町の町章の一部で、背景の四つ葉のクローバーは、「保護者」「地域」「関係機関」「学校」が生徒のために力を合わせることをイメージしたということでした。校歌はまだ出来上がっていません。11月12日の開校記念式の時に発表予定といいます。ただ、作詞、作曲を担当される方はすでに決まっていて、作詞は吉井出身、国際啄木学会副会長の池田功さん、作曲は横山広一さんということです。どんな歌になるか楽しみです。

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 夕方の5時。わが家に戻ったら、原之町の方角から音楽が流れてきました。吉川高等特別支援学校のチャイムです。長男によると、数日前から聞こえてきているといいますが、私が聞いたのは初めて。旧吉川高等学校のチャイムを最後に聞いたのは3年前の3月でした。流れてくる曲は違いますが、いいもんですね、学校のチャイムが聞こえるって。 

2011年04月10日

ウグイスが鳴き始めた

 ケチョ、ケチョ、ケチョ。窓の外から聞こえてきました。ウグイスの初鳴きです。大急ぎで録音機を持って外へ出ました。そうしたら、今度は別のウグイスでしょうか、近くの森からおなじみのウグイスの鳴き声
が聞こえてきました。いいもんですね。

 ここ2日間、県議選で大忙しでした。きょうも深夜まで動きます。

「にいがたの一冊」で『啄木日記を読む』紹介される

 今朝の新潟日報を読んでうれしくなりました。読書欄にある「にいがたの一冊」のコーナーで山下多恵子さんが『啄木日記を読む』(池田功著、新日本出版社)を紹介してくださったのです。

 池田さんは上越市吉川区吉井出身です。この本についてはこのブログでも紹介させてもらいましたが、山下さんは、「日記からの引用は、その時々の等身大の啄木を伝えて興味深い。意気高く未来を語る啄木もいれば、敗残の身を故郷の風に吹かせてい啄木もいる」と書いています。啄木の日記は拾い読みしかしていないので、山下さんの指摘を意識しながら、今度はゆっくり読んでみたいものです。

 いまひとつ、今朝の日報の読者投稿欄「窓」には吉川区在住の吉田加代さんの「生まれ変わった母校にエール」という文章が掲載されていました。吉田さんは吉川高等特別支援学校のすぐそばにある旅館、万年堂の若女将です。学校の開校を喜ぶ気持ちが、体育館のボールの音が聞こえる距離に住んでいる人ならでは感覚で書かれていていいですね。校舎の脇に大きな桜の木というのはグランドの土手にある桜でしょうか。いつも遠くから観ていたので、今度はそばで観てみたくなりました。

2011年04月11日

残念な結果

 昨日、家に戻ったのは夜の12時過ぎでした。県議選上越市選挙区で当選をめざした伊藤誠候補は、残念ながら2845票どまりでした。選挙戦では有権者の反応はよかったものの、支持票を固め、広める組織戦で大きく出遅れたことが敗因のひとつです。これから選対本部で選挙結果をよく分析して今後の対策を考えていきたいと思います。

 新潟県内では長岡市・三島選挙区の竹島良子さんが議席を確保、新潟市東区の渋谷明治さんが、当選者の得票まで38票差とせまる大善戦をしました。二人とも豊富な活動実績と高い知名度があります。候補者の人柄を知ってもらうことも含め、日常活動の大切さを改めて感じました。

 選挙の中で、原子力災害や食料危機にたいする不安が高まっていることがわかりました。今朝も町内会の春まつりの準備で出かけたのですが、話題はもっぱら地震と原発でした。今後、国、県、市の防災計画が見直されていくことになりますが、市民の皆さんの声をしっかり聞いて反映させていきたいと思います。

2011年04月12日

ソメイヨシノもヤマザクラも

 高田公園のソメイヨシノが開花したそうです。午前に党上越地区委員会事務所に行きましたが、そばにある直江津の御館公園のソメイヨシノも開花寸前でした。きょうの午後には開花したことでしょう。

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 家に戻って、近くの里山を歩きました。そこではヤマザクラも咲いていました。

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 私のホームページに掲載していない春の「野の花」も見つけました。サカキの一種のヒサカキです。白や薄緑色の花をつけていました。花のそばへ行くと独特の匂いを放っていました。

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 きょうは地元町内会の春まつりでした。母が栗入りの赤飯を炊きましたので、一緒に大島区板山の伯母のところまで行ってきました。気分転換も兼ねて親孝行をしようと思ったのです。母を連れて行って良かったです。2人は再会を喜び、とても楽しいおしゃべりをしていました。

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 野の花ではありませんが、わが家の庭にあるベニコブシも開花しました。2年前に父が死んだ日に咲いていたので、忘れられない花となっています。今年はいつもよりも4日ほど遅い開花となりました。

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2011年04月14日

選挙事務所の片付け

 昨日は高田にあった伊藤選挙事務所の片付けでした。といっても、掃除はすでに終わっていて、机やイス、事務機器を借りたところへ返す仕事が残っているだけ。腰を傷めないようにと気を使いながらやりました。設置して1ヶ月近くお世話になった事務所です。落選したこともあるかも知れませんが、がらんとした空間はとてもさみしく感じます。

 平良木議員の車であちこちに事務機などを運んでいる時、目に入ったのはソメイヨシノです。すでに開花して2日目。花が目立ってきました。高田公園は、昼間でもけっこう人が出ていましたね。

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 上野議員が昨日の朝、実家のある岩手県釜石市に向けて出発しました。これまで、3月議会、そしてその後の地震対応、県議選とがんばってくれました。ずっとがまんしていて故郷へ向かう気分は本人でないとわかりません。毎日のように電話をくれた彼が、昨日はかけてきませんでした。「被災地へ入ってみないとわからないことがいっぱいある」と言っていたので、どんな報告があるのか気になります。

松之山へ

 ずっと気になっていた人がいます。十日町市松之山の高橋英一さんです。先月12日の未明、長野県北部地震で発生した地滑りで家ごと流され、救出された人です。高橋さんとは、旧吉川町時代、議員仲間として交流があり、ずいぶんお世話になりました。きょうの午前、見舞ってきました。

 高橋さんは妹さんの嫁ぎ先に避難、その後は旧教員住宅に住んでいます。きょうは妹さんの家で久しぶりに再会しました。地震から1カ月と2日経ちましたが、とても元気で安心しました。家が流された時、軽トラックと除雪機の入った建物も流されたそうです。幸運にも、軽トラックと除雪機は全く無傷で、12日に1カ月ぶりに引き上げることができたといいます。引き上げにあたっては、村山邦一市議が行政側と交渉してくれ、助かったと話しておられました。写真は引き上げたトラックと高橋さん。

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 高橋さんが住んでいた中尾という集落にも出かけてきました。道路のあちこちに亀裂の痕があり、壁が崩れ落ちている家もありました。高橋さんによると、26軒のうち、7軒が危険で住めなくなっていて、旧教員住宅、親戚の家などに移り住んでいるとのことでした。下の写真の道路は中尾、雪原の亀裂は天水越で撮影したものです。

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2011年04月15日

ベニコブシ満開

 雪解けが進み、山間部ではいろんな野の花が咲いてきています。これまで確認できた野の花をいくつかあげると、マンサク、ショウジョウバカマ、キクザキイチゲ、カタクリ、ヤマエンゴサク、雪割草といったところでしょうか。車の運転をしていても、自然と花の色が目に入ってきます。きょうはキスミレがきれいでしたね。

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 昨日に続いて、きょうも一日中、暖かな日となりました。この陽気で高田公園のソメイヨシノは開花が進んだようです。夕方、わが家に戻ると、ベニコブシが満開となっていました。例年よりも1週間ほど遅れました。わが家のベニコブシの写真はこれまで何枚も撮っています。きょうは高い位置からわが家をバックに撮ってみました。

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 満開となったところで、小枝を二枝折って、尾神岳のふもとにあるわが家の墓へと車を走らせました。父に観てもらうためです。墓の周辺はまだかなり雪が残っていますが、雪の消えたところではキクザキイチゲが咲いていました。 

2011年04月16日

寒い一日に

 朝からずっと「しんぶん赤旗」配達をしています。昨日と打って変って寒い日となりました。午前は強い風も吹きました。配達中にいろいろな出合いがありますが、まず、この写真をごらんください。

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 小さな女の子が玄関先にいて、その子とガラス越しに話をしました。その時の写真です。こちらの指で合図を送ったら、楽しそうに反応してくれました。

 山間部はすでにブナの芽吹きがはじまっています。午前中に強い風が吹いたことで、ブナの冬芽の殻が雪の上の落ちて散らばりました。雪の上の黄色と芽吹いて黄緑色になったブナ。この風景はしばらく楽しめます。

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 昨日、きょうの新聞配達は、先日の選挙についてのお礼を言いながらの配達です。何人もの人から、「票が足らなかったね。もっと出ると期待したんだけど」「今回の結果でがっかりしないで頑張ってくんない」などと励ましてもらいました。

子どもたちが中心になり観桜会盛り上げ

 午後からは吉川区総合事務所前広場での観桜会でした。ここのソメイヨシノは吉川区内では一番なのですが、まだ開花したばかり。来週の真ん中あたりまでいかないと満開にはならないでしょう。震災に伴う自粛ムードもあるなか、まちづくり団体の皆さんががんばって観桜会を開催してくださいました。

 今回も、子どもたちが観桜会を盛り上げてくれました。よさこいグループの踊りでは、子どもたちが元気に踊りまくり、最後は、「がんばろう 日本」。大きな拍手が送られました。

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 観桜会での人気は今年も餅つきです。子どもも参加しやすいように、ひと回り小さな臼と杵が用意されていました。私もつかせてもらいましたが、小さな杵でつくのはむずかしいもんですね。ついた餅は、黄粉などをつけて、参加者に無料でふるまわれました。餅はひと臼では間に合わず、ふた臼つきました。

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 餅を食べた人たちは「餅は杵でつくにかぎるね」と言ってました。昼飯を十分たべていた私は、市役所職員のみなさんのテーブルでうどんをご馳走になりました。寒かったのでとても美味しかったです。家へのお土産は佐々木食品のチマキと㈱杜氏の郷のにごり酒、「雪あかり」を購入しました。

 党議員団の上野市議が出身地である岩手県釜石市などの被災地訪問を終え、戻ってきました。生々しい現地報告が同議員の活動日記に書かれています。ぜひお読みください。

2011年04月17日

Hさんの応援に行ってきました

 長岡市議選に立候補したHさんの応援に行ってきました。Hさんとは20代前半からの付き合いです。いつも研究熱心で、頑張り屋。吉川区の有機農業の実際を学びに来たこともあります。演説は、自分が見聞きしたことに基づいて組み立て、聴いている者の心をそっとなでていく。すごい人です。

 今日の第一声は地元町内会のセンター前で行われました。100人近い人たちを前にして、Hさんは、南相馬市から避難してきている人たちの生の声を紹介し、市民に配布されているヨウ素剤もポケットから出して、これまでの活動や今後4年間の公約を訴えました。きょうも惚れ惚れして聴かせてもらいました。

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 第一声が行われた場所は柏崎刈羽原発から12~13キロのところにあります。Hさんと応援弁士を務めた私は、原発政策の見直しと過酷事故を想定した原子力防災計画の策定が必要であることなどを訴えました。選挙事務所での昼休み、Hさんが旧町議会でヨウ素剤の家庭配布を求め実現したエピソードを元町議の方が語ってくれました。旧町役場と集落間を軽トラックで走り、一つひとつ距離をはかるやり方にもHさんの真面目さが出ていたというのです。興味深く聴きました。

 明日も応援に出かけてきます。

2011年04月18日

吉川区総合事務所前は三分咲き

 午前はHさんの応援で長岡市小国町へ。戻ってから、生活相談の関係で岩の原葡萄園の近くまで出かけてきました。長岡市も広いけど、ここ上越市も広い。どこへ行って来たかを具体的にイメージしてもらうには旧自治体名とかよく知られている場所に関連させて言う必要があります。

 16日の観桜会では、いくつも咲いていなかった吉川区総合事務所前広場のソメイヨシノがかなり咲きました。ただ、花の数はやはり少なめです。小鳥たちに芽を食べられたのでしょうか。

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 夕方からは直江津で党会議でした。県議選の総括、いっせい地方選挙後半戦を戦っている柏崎市の党組織支援、震災対策などについて話し合いました。県議選の総括については、もっと有権者の生の声を聞いて、前進面と課題(問題点)をキチンと整理しようということに。

 市政レポート1497号「春よ来い」の第149回「姉と妹(4)」をアップしました。

2011年04月20日

Mさんを激励に新発田市へ

 おはようございます。昨晩は遅く帰ってきてすぐに眠ってしまいました。というわけで、朝の発信となりました。

 昨日の朝、母がコゴミをたくさん採ってきました。今年の初物です。このコゴミを見た時、食べてもらいたいと思った女性がいます。現在、新発田市で市議選を戦っているMさんです。

 約2時間かけて、新発田市に到着しました。選挙事務所に入ってみて、びっくりしましたね。これまで見たことのない素敵なというか、しゃれた事務所だったからです。そこは元喫茶店でした。カウンターがあり、そのなかには厨房があります。「さあさ、橋爪さん、まずコーヒーを一杯どうぞ」と出していただいたコーヒーがまた旨かった。

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 窓のところにはたくさんの寄せ書きも貼ってありました。折り紙で作られたチューリップも飾ってあります。

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 Mさんは吉川区平等寺出身で、私と同い年です。彼女が中学時代から付き合っているお連れ合いの茂さんは私の大学時代の友人。突然の訪問にMさんも茂さんも大喜びしてくれました。コゴミを食べて激戦を勝ち抜いてほしい。写真は茂さんとともに撮ってもらったものです。

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 家に戻ったのは午後3時頃。その後は市議団ニュースを印刷しました。今号は上野議員の岩手県の震災被災地訪問記です。今回は旧上越市地域分も含めての印刷で、しかも表裏の両面とも写真がいっぱい、時間がかかりました。

 夜は県議選の選対総括会議でした。運動員や有権者からの声を聴くなかで弱点だけでなく、「どこどこの地域で初めて集いを開催できた」などこれまでにない前進面も見えてきて、充実した会議になりました。

 きょうは、これから柏崎市のM市議候補の応援に入ります。

異様な「自粛型選挙運動」

 寒い日が続いています。きょう応援に入った柏崎市のMさんの選挙事務所ではストーブが出されていました。ストーブは薪ストーブです。

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この型のストーブには久々に出合いましたが、体全体がよく温まりました。Mさんのところでは、最終盤の訴えが載った後援会ニュースを配布してきました。候補の地元地域ということもあるかも知れませんが、「子どもからも頼まれているよ。がんばって」など受け取りの反応がよく、気持ちが良かったですね。

 ところで、今度の柏崎市議選挙では立候補者の一部の人たちがなるべく音を出さないよう「自粛」しています。ニュース配布をしている途中で出合ったある陣営の宣伝カーらしきものは、スピーカーが付いていませんでした。車に乗っている人たちが揃いのヤッケを着ていて、ポスターを窓ガラスに何枚も貼っている。それだけで、ぐるぐる廻っているのです。有権者にしっかり公約を伝えて、支持を訴える、選挙活動としては基本中の基本の活動をやらないで、どのようにして有権者の支持を得ようというのでしょうか。異様な感じがしました。

 柏崎市は世界で最大級の原発のあるまちです。今回の選挙戦で市民は、原発をどうするか、地域防災計画をどうするかなど大きな関心を持っています。こうした問題で大いに議論していく選挙戦にしてほしいものです。

  

2011年04月21日

震災対策などで質疑

 市議会総務常任委員会(委員協議会も)、月例議員懇談会、議員勉強会と会議続きの一日でした。

 総務常任委員会では現在パブリックコメントにかけられている第4次上越市行政改革大綱(案)について総務管理部より説明があり、質疑を行いました。

 第4次上越市行政改革は今年度から4年間の行政改革の基本方向と取組を定めるものです。行政側が大綱(案)のポイントとして示したのは、①地域主権を生かした自治体改革、②「事務事業総ざらい」で総括した課題の改善、③将来的な財源不足への対応、④第3次行政改革の課題の改善と成果継承、の4点です。村山市長が掲げた「すこやかなまち」づくりを下支えするものとして位置づけています。

 説明後、委員からは、行革大綱の目標、組織機構改革、「新しい公共」などで質問や注文が相次ぎました。

行革大綱(案)に数値目標が入っていないのはなぜ

 私はまず、今回の大綱案には数値を入れた具体的な目標が入っていないことを問題にしました。第3次行革大綱では、単年度収支の黒字化と貯金27億円の維持、土地開発公社の保有土地125億円の削減などをかかげていました。行政側は、「第4次行革では、大綱では記載せず、行革推進計画の中で記載していく」とのべましたが、なぜ大綱にかかげないのかについては説得力のある説明がありませんでした。大綱で大目標も数値目標も掲げないというのは理解できません。合併前上越市の地域事業で解決することになっている土地開発公社問題などがあいまいにされなければいいのですが。

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 組織機構改革に関して大綱(案)は、「13区の総合事務所のあるべき姿や木田庁舎との役割分担を見直す」としています。私は、「東日本大震災を経験して、改めて市役所が市民の命と暮らしを守るうえで大切な役割を果たしていると感じた。災害時などのことを考えると、13区は地元職員が多い方がいい。見直しというが、何が問題なのか」と質問しました。市村総務管理部長は、「(今の状態では)技術職員などが機動的に動けないなどの問題がある。防災のことを考えると、総合事務所職員は地域のことを熟知している人を配置していくことが大切だ。今回、大幅な異動人事を行ったが、4割から5割はそういう人を配置している」と答えました。総合事務所職員体制については、中郷区選出の吉田議員も、「防災については、土地勘がないと対応できない。危機感を持っている」と発言しました。

地滑り対策、万全を期せ

 総務常任委員会の委員協議会では、行政側から長野県北部地震への対応、東日本大震災避難者受け入れ等について報告がありました。長野県北部地震の被害状況ですが、4月14日現在、人的な被害は重傷者1人、軽傷者3人です。建物被害は、住家で全壊1、大規模半壊1、半壊2、一部損壊187という報告がありました。被災者支援に関しては、これまで半壊以上の世帯にたいして見舞金が支給されたほか、住宅リフォーム促進事業を活用した支援などが行われています。

 私は地滑り対策と被災住宅の支援、雇用促進住宅大潟宿舎での避難者の食生活などについて質問や確認をしました。

 まず、地滑り対策です。「大島区の菖蒲や西沢で何人かの住民の方から融雪期を迎えて地滑りが心配だという声を聴いている。万全を期してほしい」と訴えました。馬場危機管理監は、「地滑り対策については、県の関係機関もあるので遂次連絡を取りながら融雪期に備えた対応ということで万全を期すよう連絡体制をとっている」と答えました。

 被災住宅支援について私は、「マスコミ報道では十日町・津南地震という言い方がされている。(上越市の大島区などの)被災者の皆さんは(報道でも、行政側の支援でも)平らに扱ってほしいという思いがある。大島区地域協議会が近々、被災住宅支援策について十日町市と同等にという意見書を提出されるとのことだが、これに応える努力を」とのべました。馬場危機管理監は「一部損壊、応急措置については県の方で同等のものということで動いている。再建支援法についても県の方で同等のものを立ち上げることになっている。違いが出るとすれば、一部損壊の住宅リフォームのところかと思うが、当市としては特別枠を設けて、雪解け後に着手しても枠がなくなることがないように備えをした」とのべるにとどまりました。十日町市では、補助対象工事に要する費用の20%という点は上越市と同じですが、限度額は20万円(上越市は10万円)です。被災者支援という角度から、ぜひ改善してほしいものです。

 雇用促進住宅を避難所とされている人たちの炊事については、党議員団の上野議員が市役所に働きかけ、自炊ができる電気器具などの整備がすすめられることが約束されています。委員協議会では、その点、どうなっているか確認しました。馬場危機管理監は、「新潟県と福島県との協議のなかで、雇用促進住宅を避難所として使われることについては問題ない。その中で食事の提供についても、もしご自分で食事を準備されるので、弁当はいらないよということであれば、それは避難所であっても差し支えないということになっている。ご自分で作られるには冷蔵庫とかガスコンロなどが必要となる。いま、その手配をしているところだ。ただガスコンロはすぐ集まらない状況にある。ご希望されるところを優先に配置をしていきたい」と答えました。

 地震関連では、他会派議員も質問に立ちました。清里区選出の笹川議員は、被災した住宅支援について、私と同じく改善を求めました。また、三和区選出の宮崎議員は、「市独自でも地震計を(菖蒲地区などに)設置できないか」との質問しました。これにたいして馬場危機管理監は、「県の考え方とすり合わせながら、(観測体制は)どうあればいいのかというところから検討していきたい」と答弁しました。

原子力災害時の避難計画など見直しへ

 報告はなかったのですが、原子力災害に関連して質問が出されました。笹川議員は、「上越市内のモニタリングポストは(保健所の)1個所だけでいいのか」「水道水の放射能検査は上越環境科学センターでもできるようにしてほしい」と訴えました。馬場危機管理監は、「今後、検討が必要になる。環境科学センターについても、早めの対応ができるかどうか確認をしたい」と前向きでした。

 番外議員の石平議員は、「上越市は(地域防災計画の中に)原子力災害対策を盛り込んだ自治体だ。他市に先駆けて対応していく必要がある。その辺が見えてこない。県や柏崎・刈羽原発などにたいして、市として、明確な意思表示が必要だと思う。どうなっているか」と追及しました。答弁の中で馬場危機管理監は、「これまでEPZ(防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲)10キロという中で、(地域防災計画の中に)独自に原子力防災対策を盛り込んできた経緯がある。10キロというのは、福島原発の事案とはまったく適合しないという状況になっている。避難計画なり、避難マニュアルの作成が必要ということで内部的な検討に入っている。また先般、県の防災会議の原子力部会の方から声がかかり、19日に会議があった。そこで見直しの必要性について発言してきた。東電の柏崎・刈羽原発の所長さんもおられたので、地震、津波、発電設備の問題についても発言させていただいた」とのべました。

 

 

2011年04月22日

「冬の夕陽」の写真

 早朝から12時近くまで市政レポートづくりをしました。普段なら遅くとも午前9時頃には終わるのですが、パソコンに向かってもうつらうつらしてしまいます。横になったり、コーヒーを飲んだりして、何とか書きあげました。「春よ来い」は35年前の花見会のことを中心に書いてみました。通常なら書いてから一晩寝かせるようにしているので、寝かせないで印刷したものを読んでもらうのははずかしい。文章は、ホームページに掲載するまでにはかなり変わるかも知れません。

 きょうは午後から「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金です。留守の家が多く、集金の方はあまり進みませんでした。

 夕方から生活相談などで動きました。先日、川崎市在住のMさんから手紙をもらいました。きょうは、そのMさんが実家に帰ってこられるというので訪ねてきました。手紙ではシリーズ「春よ来い」の「冬の夕陽」で書いた夕陽の写真があったらほしいと書いてありました。その写真を届けてきたのです。Mさんはボランティア活動として、一人暮らしの老人のところをまわって話し相手になっているとのこと、写真はそうした人たちに見せてあげたいというのです。私の文章や写真がこんな形で役に立つのはうれしいですね。

 Mさんの実家の庭で、トキワイカリソウが白い花を咲かせていました。もう咲いたのですね。今週からしばらく、野の花が次々と咲きます。わき見運転をしないように、気をつけないと。下の写真は、Mさんの実家で撮ったもの。薄暗いなかでも撮れていました。よかった。

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2011年04月23日

しだれ桜祭り2011

 吉川観光協会主催の第2回しだれ桜祭りが吉川区尾神をメイン会場にして行われました。あいにくの雨、寒いなかでの祭りとなりましたが、内容的には昨年よりも充実した取組だったと思います。

 昨年4月のブログでも紹介したように、吉川区の源地区には大きなしだれ桜の木が3本あります。きょうの祭りでは、マイクロバスで3本の桜の木を観てまわることができるように準備されていました。事前に、私が撮影した写真をごらんください。まず、報恩寺のしだれ桜です。

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 次は村屋の村松哲夫さん宅にあるしだれ桜です。

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 そしてメイン会場、尾神のしだれ桜です。

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 いずれのしだれ桜もバックが青空であればもっときれいなのにと思いますが、きょうの天気は曇のち雨でした。でも、曇っていても、雨が降っていても美しいです。

 今回の祭りでは、テントが並び、わんこカフェのコーヒーとケーキ、品和亭の「鳥の唐揚げ」、小浜屋の「花見だんご」「桜餅」などが販売されました。また、紫洲流日本明吟会新潟本部の皆さんが「尾神吹切りに風わたれ」と題した吟詠を披露、地元の太鼓愛好グループ、「鼓舞衆」の皆さんが賑やかな太鼓の演奏で祭りを盛り上げてくれました。

2011年04月24日

やはりバックは青空がいい

 今朝は晴れ。窓の外に見える空が青かったので、直江津・くびきの会の総会の前に源地区のしだれ桜を妻とともに観に出かけてきました。朝の8時台、風がほとんどなく、桜を撮るには最高の条件でした。では、ごらんいただきましょう。最初は報恩寺のしだれ桜です。村松哲夫さんの話によると、幹回りは3㍍66㌢といいます。近くの田んぼではカエルが鳴いていました。

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 次は村屋の村松家のしだれ桜です。この幹回りは2㍍82センチとか。

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 最後は尾神です。この木の幹回りは2㍍92㌢です。

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 市政レポート1498号「春よ来い」第150回「桜」をホームページに掲載しました。

2011年04月25日

地域事業費制度に関する意見書に市長が回答書

 いっせい地方選後半戦、新潟県内の結果は現有議席維持でした。応援に入った長岡市議選では4人が当選し、4議席を回復しました。任期途中に事故で亡くなった石橋さんもホッとしておられることと思います。柏崎市議選は、残念ながら1議席の後退です。訴えていた政策は共感を呼んでいましたので、組織力がどうなっていたかの分析が必要です。新発田市議選、地元で立候補した他候補者への同情などがあって、「今回はいままでになく厳しいたたかいとなっている」と言っていた吉川区出身の佐藤真澄さんはなんとか滑り込みました。なにはともあれ、議席を確保できてよかったです。

 夕方から吉川区地域協議会でした。地域事業費制度の見直しに関して同協議会は2月に意見書を提出していましたが、きょうの会議で市長の回答書が示され、竹田総合政策部長が説明しました。きょうの説明はしっかりメモをとりましたので、次の総務常任委員会の論戦に生かせそうです。部長が旧吉川町時代の総合計画を持ち出し、「同計画で2010年の目標としての人口は5500人だったが、現実は4920人となっている」とのべていました。地域事業費制度の見直しと直接関係ないものの、14市町村が合併したことでどうなったかを検証するうえで、旧自治体の総合計画を参考資料のひとつとして分析する方法があることを学びました。

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 さて、吉川区地域協議会の意見書に対する市長の回答です。回答部分の全文(太字)を紹介します。

 地域事業費制度の見直しは、合併から6年が経過し、合併前上越市が、地域事業費制度を超えて事業を実施しなければならない状況となっていることを始め、事業費枠に起因する様々な課題が見えてきたことから、地域事業費枠の中だけで事業を考えるのではなく、地域にとって必要な事業を適時に実施できる仕組みを作っていきたいと提案しているものです。
 見直し案では、地域の皆さん自らが提案できるような仕組みを導入したいと考えており、これによって、それぞれの地域が輝き、そして市全体が輝くまちづくりを推進していきたいと考えています。
 制度の見直しに当たっては、現在、地域協議会や議会に対して説明し、議論を進めているところであり、様々なご意見をいただいていますが、今後も、これらの意見を整理しながら、一つひとつ丁寧に説明し、地域協議会の皆さんと議論を深める中で、より良い仕組みにしていきたいと考えています。
 また、この度の事務事業の総ざらいは、行政需要が高まる中で、真に必要な市民ニーズに応えながら、次代に引き継ぐべき様々な環境を整備するため、足腰の強い、かつ、柔軟な行財政運営の確立を今から進めていかなければならないという認識に立って、行政自らが行うセルフチェックとして実施したものです。
 このような考え方の下、過疎地域においても、地域の状況に照らし合わせて、真に必要なものであるかどうか、十分検証しながら事業の実施を判断していくことは必要であると考えています。
 

 きょうは午前中に党議員団会議をやり、午後から地元に戻りました。風が強かったものの、晴れていたので、久しぶりに母と一緒に山菜採りに出かけてきました。87歳だというのに、足が達者で、山をどんどん歩くのでびっくりでした。ウドはまだ早く、コゴミを採ってきました。

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2011年04月26日

英国王のスピーチ

 気分転換のつもりで映画を観てきました。観たのは「英国王のスピーチ」です。事前に下調べもせず、映画館で上映されているものの中から選んで観たのですが、これが大当たりでした。吃音症に苦しみ、それを克服していく英国王、ジョージ6世の物語。最後にナチスドイツとの戦い宣言のスピーチを見事に行った時には拍手をしたくなりました。国王の物語というより、一人の人間としての苦しみと努力などが描かれていて、とても親しみを感じましたね。

 私も職業柄、スピーチをする機会が多いこともあって、この映画からは学ぶものがいくつもありました。「まさか、ウソでしょう」と言われるかもしれませんが、じつは、私は長年、あがり症に苦しんできました。学生時代に落語研究会に入り、だいぶ治ったものの、いまでも、「あまりにも素敵な女性」に突然出会った時とか論理の展開がまったく出来なくなった時など、おかしくなることがあります。それだけに、他人ごとではないのです。物語を観て、スピーチは事前によく準備すること、自分のあるがままの姿を見てもらえばいいという割り切りが大切だと思いました。

 きょうは木田庁舎などで吉川区出身の人に何人も会いました。正面玄関から出ようとした時、中山間地対策についての会議を終えたばかりのTさんから声をかけてもらいました。また、市役所の近くにある団体を訪ねた時、「橋爪といいますが」と女性職員に言ったところ、「橋爪さん、何言ってるの、私です」。顔を上げて見たら、よく知っている人です。「なんだ、おまんか」と言ってしまいました。吉川区から車で1時間足らずのところなのに、声をかけてもらうと懐かしくなります。

 写真は昨日、山菜採りに行った時のものです。

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2011年04月27日

田んぼへ行く道はズタズタだった

 伊藤誠日本共産党上越地区災害対策本部長と市議団で大島区へ行き、現地調査を行ってきました。今回の調査の目的は、融雪期を迎えたなかで、田んぼや農道、水路などの農業用施設の被害状況を確認することにあります。大島区総合事務所で被害状況について説明を受けた後、県道菖蒲高原線を通って菖蒲高原まで行ってきました。

 大平から車を走らせ、まずびっくりしたのは川の濁りです。春先は融雪に伴い流量が多くなり、緑っぽい色の流れになるのが普通ですが、私たちが目にした川は泥濁りしていたのです。上流地域で土砂が流れ込んでいる可能性があると見てきました。この濁りは保倉川の本流だけでなく、支流の堀切川もそうでした。土砂の流入は広範囲にわたっているようです。写真は菖蒲東地内の川端橋から撮ったものです。

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 菖蒲高原へ行く途中、2軒に立ち寄り、その後の住宅被害対応などについて聞きました。そのうちの1軒、Iさん宅では、地表面伸縮計・地すべり記録器が設置されていました。Iさんによると、最近、裏山に新たな地割れが見つかった、杉の木も動いているらしいとのことでした。動きが止まってくれればいいのですが。

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 菖蒲集落を過ぎてからすぐのところに県道を横断する地割れがありました。県道の地割れは高原に行くまでに大小10か所近くあります。このうち、5か所で20センチ以上の段差ができていました。最も大きなところは40㌢から50㌢くらいの段差があります。土嚢袋が置いてあったとはいえ、車を誰が運転するかじゃんけんしたくなるほど怖さがありました。写真を2枚ごらんいただきます。1枚目は段差が一番あったところです。

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 もう1枚は車で通る時に一番怖かったところです。みんなに誘導してもらいながら、運転は私がやりました。

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 この県道は菖蒲高原周辺の田んぼを耕作する時にどうしても通らなければならない道です。菖蒲東でEさんが、「橋爪さん、えらいことになりましたわ」と言って話してくださったのはこの道路状況でした。6月上旬には田植えをするべく、すでに生産組合でスジ撒きをしているとのことですが、早急に使えるようにしてほしいと訴えられました。

 田んぼ周辺の農道や水路はまだ雪に覆われていました。でも、雪消えが進んだ所で明らかに被害の出ていることがわかった場所がありました。県道との接続部分です。集水桝から水があふれ出ていましたから、水路もやられているかも知れません。

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 総合事務所の説明では林道でも大きな被害が出ているといいます。きょうは県道菖蒲高原線沿いの視察をするだけで半日かかりましたので行けませんでしたが、菖蒲高原からは林道菱ヶ岳3号線の災害を見ることができました。私と平良木議員のヘルメットの中間あたりがそこです。遠くから見ても分かるくらいですので、かなり大規模な地滑りです。

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 菖蒲高原は久しぶりに訪れました。わが家で牛飼いをしていた当時、何回も菖蒲牧場に出かけていたので、とても懐かしく思いました。

 この高原の雪原に立ち、分かったことがあります。

 ひとつは菱ヶ岳がとても近くにあることです。地図で調べたら直線距離で2キロくらいしかないのですね。キューピットバレイまでの間も3キロくらいです。安塚区の須川と大島区の菖蒲地区で大きな被害が出ましたが、両方とも震源地との距離はほとんど同じくらいなんですね。

 もうひとつ、菖蒲高原の東側の山地でいくつもの地滑り跡が確認できました。中越地震の際の山古志や小国などで起きた山の崩れと同じ光景です。中越沖地震の時には吉川区でも上川谷で同じ光景が見られました。地滑り面の色からいって、今回の地震ではなく、おそらく中越地震の時のものと思います。今度、調べてみます。

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 きょうの調査で、県道の地割れ個所を線でつなぐとほぼ直線になることがわかりました。これが何を意味するか。ひょっとすると、長野県北部地震を引き起こした活断層と関係があるかも知れない。調査に入った仲間の間で話題になりました。ここらへんは専門家でないと分かりません。私のブログは地質の専門家の人たちにも読んでいただいていますので、ぜひ現地に足を運んでもらいたいものです。よろしくお願いします。

2011年04月28日

大島区菖蒲東町内会内で地滑り発生

 きょうの午前3時20分頃、大島区菖蒲地内で地滑りが発生しました。昨日のブログで紹介した川端橋のすぐそばのT字路付近です。国道405号線の山側の、幅30メートルほどの法面が崩落したのです。土砂とともに何本もの杉などが落ちたため、そばの電線などを傷め、町内会の一部が停電しました。土砂が滑り落ちた近くには民家があったものの、ぎりぎりのところで止まってくれました。まず午前7時頃の写真をごらんください。菖蒲地区の方から提供していただいた写真を組み合わせてスキャンしたものです。

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 菖蒲地区の住民の方から連絡を受け、午前10時過ぎに伊藤誠党上越地区災害対策本部長とともに現場へ急行しました。その時、最初に撮った写真です。倒れた杉の木などの伐採が始まっていました。地元の人の話では、人的な被害、建物の被害はなかったといいます。現場は交通止めですが、う回路があります。

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 最後に菖蒲東、菖蒲西の町内会長さんから私と伊藤本部長が話を聴いているところです。地元、菖蒲東の町内会長さんは、地震の時も、今回も未明から動いてくださいました。

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 現場を見て、心配になりました。まだまだ地滑りが起きるのではと。昨日、話を聞いたIさん宅も裏の杉林が動いているのではと心配されていました。民家を襲う地滑りが起きないかどうか、早急に調査をしてほしいものです。大島区には地滑り監視員が配置されておらず、治山防災ヘルパーが2名おられるといいます。こういう人たちの力も借りてすぐ手を打っていただきたい。

上川谷でも地滑り発生

 大島区菖蒲へ行っている間に吉川区でも地滑りが発生していました。場所は、県道大潟高柳線の上川谷地内です。というよりも、2007年(平成17年)6月27日の豪雨災害で地滑りを起こしたところと言った方がいいかも知れません。最初に発見したのは患者輸送バスの運転手さんです。ちょうどお昼ごろのバスを運転していて、濁った水が道路に流れていたことから気づいたといいます。

 私がこの地滑りを知ったのは午後5時半頃でした。大島区経由で現場へ行ってきました。現場では、業者のみなさんがトンパックを使い、滑りを止める作業をやっている最中でした。6年前の地滑りでは復旧まで1年半ほどかかって、関係住民の皆さん方は大変な苦労をさせられました。今回はこれでストップしてくれればいいのですが、まだ、雪が多いので心配です。

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 きょうは、県立吉川高等特別支援学校へ行く予定でした。生徒の皆さんと顔合わせができると楽しみにしていたのですが、災害とあってはやむをえません。次回の公開実習には出たいと思います。

2011年04月29日

伯父が緊急入院

 朝から市政レポートの作成、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金と続け、夕方までがんばりました。午後の配達の際、70代の女性の方が駆け寄ってきて、「共産党の人が国会でとてもいい質問をしていたよ」と教えてくれました。高橋ちづ子議員の質問です。どんな質問だったのか、インターネットで見ようと思います。

 きょうはよく晴れていて、気持ち良かったですね。私はこの時期の「芽吹く木々と青空」の組み合わせが大好きで、何枚も写真を撮りました。そのうち、大島区板山で撮ったものを掲載します。

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 上川谷の地滑り(というよりも崩落と言った方がいいかも)の現場も見てきました。現場にいた作業員さんの話によると、昨晩は夜7時半までかかって、トンパックを積み、崩落したところをブルーシートで覆ったとのことでした。いまのところ、これ以上に大きく崩れることはないようで安心しました。

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 夕方、吉川区内の従妹の家に寄ったところ、「蛍場の父ちゃんが救急車で病院へ運ばれた」と聞き、びっくりしました。伯父は一時、意識不明状態だったそうですが、点滴してもらう中で回復したということでした。私が病院に着いた時は、話すこともでき、トイレへも歩いて行かれるほどになっていました。私は夜9時過ぎに家に戻ってきました。

2011年04月30日

賑やかな夜が戻ってきた

 4月の最終日です。秋の虫たちの鳴き声がしなくなってから約半年間、静かな夜が続いていました。それが先週、カエルの鳴き声がしました。近くの田んぼに水が入ってからは、カエルの数が一挙に増えたようです。夜、外に出て見たら、カエルの大合唱
が始まっていました。これから賑やかな夜が続きます。

 田んぼに水が入ったのは吉川区の小苗代と下中条です。連休の二日目のきょうは、トラクターが何台も出て、代かき作業が行われました。

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 きょうは、コシアブラを採りました。今年は遅いなと思っていましたが、ようやく大きくなってきました。採ったものは義母にあげました。タラの芽も食べ頃になってきました。明日はコシアブラとタラの芽のてんぷらを食べられそうです。写真はコシアブラです。

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 ホームページに市政レポート1449号を掲載しました。いよいよ次週は1500号到達です。連休中に原稿を準備して、たまには余裕を持って発行したいと思います。「春よ来い」151回は、「山菜採り」です。母と一緒に出かけた山菜採りのことを書いてみました。

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