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2011年01月 アーカイブ

2011年01月01日

今年もよろしくお願いします

 新しい年になりました。今年は一斉地方選挙の年、私たちは新潟県議会で現有議席の確保、さらなる前進を目指してがんばります。上越市においても皆さんの期待にこたえて奮闘したいと考えていますのでどうかお力添えよろしくお願い申し上げます。

 さて、きょうは地元町内会の新年会の後、地元の2つのお寺でお参りをさせてもらいました。最初に訪ねた善長寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。地元集落だけでなく、近隣集落の檀家からも次々と客がありました。ご住職と挨拶を交わす部屋には火鉢がおいてあります。炭火の持つ暖かさは灯油やガス、電気の暖房とは違って、体の内部まで暖まる感じがします。

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 もうひとつの訪ねたお寺は円了寺、こちらも浄土真宗本願寺派のお寺です。このお寺はいつも父母が新年の挨拶に伺っていたことから、私は初めて、元旦にお参りさせてもらいました。ご住職と挨拶した後、お酒をご馳走になり、なんとなく建具を見てびっくりしました。見事な絵が戸に描かれていたからです。誰の作か、いつの時代のものかなどは今度よく訊いてみたいと思います。ご住職からはお御堂の天井絵も見てくださいと言われました。

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 ふたつのお寺はいずれも新潟県自由民権運動の指導者、鈴木昌司とかかわりのあるお寺です。地元のお寺ということで遠慮していましたが、もっと知ってもらう努力をしなければと思いました。

 お昼には次男夫婦と一緒に食事をしました。母はふたりのために赤飯を炊いてくれました。写真は若夫婦がじいちゃん(父)のお参りをした時のものです。父は次男が旅先から帰ってくるのを何よりも楽しみにしていましたので、きょうは喜んでいることでしょう。

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新年のメッセージから

 元日。皆さんのところにはたくさんの新年のメッセージが寄せられたことでしょう。私のところにも年賀状などで寄せていただきました。いずれも新年を元気に生きていく上での励ましになります。ありがとうございました。

 きょう、寄せていただいたメッセージの中で強く印象に残ったものを2つだけ紹介します。

 ひとつは三宅島から届いたSさんの封書です。封書の中には、「車いすに夢をのせて歩む」というタイトルのメッセージが入っていました。400字詰原稿用紙に手書きで書かれています。

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 Sさんは10数年前に右脳大出血で左半身マヒとなり、昨年の5月には左脳出血で、立つことも歩くこともできなくなりました。私とは10年ほど前から付き合っていて下さいますが、昨年の出血は今回初めて知りました。Sさんの素晴らしさは、どんな状況になっても、やりたいことがいくつもあって、いつも前向きに生きておられることにあります。メッセージには、紙おむつをして、お連れ合いや妹さんに介護をしてもらいながら、車いすに乗って元気に頑張っている姿が生き生きと綴られていました。「心臓と相談しながら」、『人生の四季』(日野原重明著)、『アメリカを訪問して』(志位和夫著)、『すてきな田舎 元気なふる里』(田中勝己著)等の本を次々と読む。大正琴を習おうと購入する。新聞に投稿する。本当に意欲的です。そしてSさんは、自分を支えてくれている人たちに感謝しつつ、こうのべているのです。「みなさんも辛いこといっぱいあるでしょうが、ゆめをあきらめずに歩みましょうね」と。たいへん励まされました。

 もうひとつ、大学の後輩のWさんからは宅急便でウサギと花の飾りをプレゼントしてもらいました。私の書く「春よ来い」などに何度もコメントを寄せていただき、交流させてもらっていますが、この人と付き合うとみんな元気になります。Wさん、ありがとうございました。

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2011年01月02日

初の街宣で元気もらう

 新年は2日目。恒例の街頭宣伝を上野議員、後藤紀一旧大潟町議とともに行いました。市内では高田、直江津地区で平良木議員と樋口議員が別の宣伝カーで行動しました。きょう、私たちのグループは頸城区、大潟区、吉川区をまわりました。3区だけでしたが、私たちの声を聞いて家から飛び出してくる人がいたり、大きく手を振ってくれる人がいたりしました。まるで選挙戦の終盤のようです。うれしくなりますね。街頭に出るといつも元気をもらいます。

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 街頭宣伝が終わってから、妻とともに長峰温泉ゆったりの郷で温泉につかり、その後、柏崎の父を見舞いました。楽しみにしていた食事ですが、副食などをかなり残すようになりました。新聞はまったく読まなくなりました。テレビも見ません。イスに座っていてもすぐに眠ってしまいます。年を越しただけで一段と弱ったのが気になります。

 市政レポート1482号、「春よ来い」第135回「初雪」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてごらんください。

2011年01月04日

「にいがた着…尾神岳の麓で」が話題に

 昨晩10時半頃、急に吐いてしまい、そのまま寝ました。私の胃はとても敏感なようで、どうも酢ダコとカレーうどんのカレー粉が胃の中で衝突したみたいです。戦いが収まるまでかなり時間がかかりました。今朝はもう大丈夫、新年会もオーケーです。

 さて、昨日は新年のあいさつ回りでした。親戚を中心に挨拶を交わすなかで話題に上ったことのひとつは県議選です。何人もの人から日本共産党はどうするのかと問われたので、はっきりと「候補を立ててたたかいます」と答えました。市民の期待に応えるために、今週からエンジン全開です。

 いまひとつ大きな話題となったのは、新潟日報の特集記事です。元旦号からスタートした「にいがた着…尾神岳の麓で」は吉川区坪野の通称「ドングリ村」の人たちを紹介しています。どんな経過でこのドングリ村に来たのか、どんな思いを抱きながらここで暮らしているのかについて知りたいというのもあるでしょうが、山里で暮らすことの意味を生き生きと書いていることに共感の声が広がっていますね。身近な記事は一番心に響きます。元旦号の20面、21面で尾神の深田の池の写真を見た時には、キャプションを見る前に「あっ、深田だ」と声を出してしまいました。

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 昨晩は妻と一緒に映画を観に行きました。「武士の家計簿」です。加賀藩を舞台にした映画ですが、親子の関係、地方財政のあり方などいろいろと考えさせられた映画でした。ロケに使われた金沢城の橋爪橋(はしづめばし)は昨年訪れています。この橋は歴史が大きく変わる時に渡る橋です。写真は昨年の金沢訪問の時に撮ったもの。私の姿が見えるでしょうか。

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商工会の新年懇談会

 上越市の賀詞交換会がリージョンプラザで行われました。オープニングは牧区の獅子神楽です。舞台から一番近い場所で観ることができました。

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 「健やかなまちづくり」を中心とした村山市長の年頭の挨拶を聞いた後、広い会場で名刺交換などが行われました。私は市議会議員のテーブルからほとんど動きませんでしたが、目立ったのは県議会議員と予定候補のみなさんの挨拶回りです。笑顔で「吉川のおれの票をとらんでくれ」と言ってきた現職、「おれは負ける選挙はしないよ」と自信たっぷりの新人などみんな一生懸命でした。

 午後からは市役所木田庁舎、教育プラザ、吉川区総合事務所で新年の挨拶回りをした後、地元吉川区内で吉川商工会の新年懇談会に参加しました。この懇談会には商工業者だけでなく、区内の様々な団体も集まります。吉川区の共通課題などをさぐり、意見交換できるのでとても有意義な会となっています。今回は40数人の参加でした。

 荻谷商工会長の挨拶の後、新年の挨拶を求められました。私からは、合併後7年目を迎えたなかでの中山間地対策の新たな展開と地域事業について話をさせてもらいました。新潟日報で「にいがた着…尾神岳の麓で」の連載が始まっていることもあって、中山間地域振興基本条例の制定をめざした動きについての報告には高い関心をもってもらえたと感じました。

 懇談の中では、「住宅リフォーム助成は外仕事ができる時期にやってほしい」「地域事業費は合併時の約束だ。がんばってもらいたい」「おまんの質問はテレビで見ている。同じ吉川の人間としてうれしくなる」などの声を寄せていただきました。地域事業費制度の見直しについては予想以上に関心が高く、今年の大きな課題の一つになると思いました。

2011年01月05日

生活相談もスタート

 昨日は挨拶回りをするだけで精いっぱいでした。きょうは、新年になって寄せられた生活相談の解決のために動きました。事実上の初仕事です。年末に寄せられた相談も残っています。私の活動は議会活動と生活相談が中心となります。どんなささいなことでもお困りのことがあればご連絡ください。

 日本共産党上越地区委員会の事務所にも新年の挨拶に行ってきました。昨日は正副委員長とも新潟で行われた県委員会の旗開き参加のために留守でしたので、きょうになりました。当面の政治課題のなかで県議選については大至急取り組まなければならない課題がいくつもあります。4月の県議選が終わるまで、私も地区委員会の事務所で仕事をすることにしました。したがって、市役所で会議などがある場合を除き、ほとんど地区委員会の事務所にいますので、よろしくお願いします。

 夕方、ホームセンターへ行ってコピー用紙を1万枚購入してきました。市政レポート新年号を印刷するためです。今回は通常よりもかなり多くの枚数を印刷し、配布対象地域も拡大することにしました。

2011年01月06日

党地区委員会事務所で仕事開始

 朝一番に新潟地方法務局上越支局に行ってきました。久しぶりに公図の写しをもらいに行きましたが、昔とずいぶん違ったのでびっくりしました。私が20代で、法務局に通っていた頃、公図の写しをとるには、鉛筆で書き写したものです。いまはペーパーですっと出てくる。コピーすると、コピーであることがすぐわかる表示が出るようになっています。便利になったものです。

 きょうから日本共産党上越地区委員会の事務所で仕事をはじめました。朝から夜までいてわかったことがいくつかあります。まず事務室がとても寒いこと、丸ストーブひとつでよくがんばっているなと思いました。私は寒がりなので、アノラックを足にかけたり、着たりしながら仕事をしました。常任の勤務員は正副委員長二人だけ、いろんな分野の責任者をやっているので仕事ぶりは正にスーパーマンです。伊藤地区委員長のパソコンを駆使して動き回る姿には感心しました。

 事務室は寒くても事務員の心は温かい。夕方、前委員長の阿部さんも加わって、4人で夕飯を食べました。橋本副委員長がご飯を炊き、私がおかずを買ってきて、ストーブを囲みながら食べました。お汁の具は長時間煮た魚、骨まで食べられるほどよく煮てありました。一緒に食事をした後は体が温まりました。いいもんですねぇ。30数年前、八王子市の小澤酒造へ出稼ぎに行った時の食事風景を思い出しました。ちなみに、今晩のおかず代はひとり320円でした。

 明日は人間ドックです。昨年よりも体重が増えているので、どんな結果が出るかちょっと心配です。

2011年01月07日

妻の父、緊急入院

 今晩、柏崎の父が入院したと連絡がありました。肺の機能が低下しているのに肺炎を起こしたようです。2日に会った時、しゃべる声がいつもよりも小さく、気になっていました。何とかもってほしい。

 きょうは人間ドックでした。体重が増えたことによって、腹囲、体脂肪率などいくつかの数値が悪化しました。初めて脂肪肝も確認されました。糖尿病の一歩手前です。栄養指導の先生からは夕飯のご飯を一口でもいいから減らすこと、スクワットなどの運動をすることなどをすすめられました。

 昨日の日記で「八王子市の八木酒造」と書いたのは「八王子市の小澤酒造」の間違いでした。お詫びして訂正します。下剤が効いてトイレ通いが続いています。あっ、まただ。きょうはこの辺で失礼します。

2011年01月09日

無題

 夜遅くなって柏崎から帰ってきました。義父の容態はまだ安心できる状態ではありませんが、奇跡の生還をはたした前回の入院時よりはいいように思います。きょうは川谷の冬まつりに顔を出し、その後柏崎へ行きました。くたびれているので冬まつりの様子は明日の朝に発信する予定です。

 市政レポート1483号及び「春よ来い」第136回「ばあちゃん料理」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてごらんください。

2011年01月10日

第33回川谷冬まつり

 昨日は33回目の川谷冬まつりでした。地元の住民が中心に60人ほどが集まって餅つき、雪上運動会、サイの神等を楽しみました。この祭りは、地域住民が力を合わせて過疎地域で頑張っていくエネルギーを充電する場になっています。まずは威勢のいい餅つきからごらんください。

 つきあがったモチは雑煮にして参加者に配られました。この雑煮づくりは地元の女衆が今年もテキパキとやってくださいました。

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 この雑煮がまたうんまいんだよね。鶏肉、白菜、コンニャク、ゼンマイなどが入っています。

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 杵でつきたてのモチは味も伸びもいい。私の席のすぐそばの源地域づくり会長さん、源郵便局の局長さんの雑煮はほれ、この通り。

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 「わー、美味しそう、私も食べたい」そう思った方は来年の冬まつりにお出かけください。ご馳走は雑煮だけではありません。漬物、豆腐のおからを使った料理、ワラビなどたくさん出ました。もちろんお酒もあります。あっ、金治さん、こりゃ、どうもどうも。

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 体育館での食事を済ませてからはグランドに出て雪上運動会です。雪が降り続ける中での運動会でした。上川谷・下川谷チームと石谷・名木山チームに分かれての勝負はつくり上げた高さを競う「雪積み」、雪を投げてくす玉をいち早く割る「くす玉割り」、「宝さがし」などが行われました。次の写真は「くす玉割り」です。

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 私はすべての競技に参加しました。「宝さがし」では、運がよかったね、川谷味噌をゲットすることができました。

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 川谷冬まつりのフィナーレはサイの神です。今年は材料のカヤが濡れていて、燃え方がいまひとつでしたね。サイの神は動画でごらんいただきましょう。

 今回の祭りはBSN放送がずっとついていました。下川谷の若夫婦、天明さん一家を昨年から放映していますが、その一環です。

伊藤誠さん、新潟県議選出馬へ

 先ほど記者会見を終わりました。日本共産党上越地区委員会は10日午前、党事務所で記者会見を行い、県議選上越市区に地区委員長の伊藤誠さんを立ててたたかうことを明らかにしました。

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 会見で伊藤誠さんと地区委員会幹部は、「いまの県政は県民の暮らしを守る県政になっていない。また県議会も何をやっているか見えない」「そもそも県民の声を反映すべき議会が発言規制を行っていることや、県民への公開が不十分な点は問題だ」「上越市議団がこれまで住宅リフォーム助成制度など積極的な提案を行い、市民から期待が高まっているが、市議団と連携して県政、県議会を変えていきたい」などとのべました。

 伊藤誠さんは阿賀野市出身、36歳。新潟大学理学部卒業後、日本民主青年同盟新潟県委員長を経て、2006年からは日本共産党上越地区副委員長、昨年からは同地区委員会委員長を務めています。伊藤さんは「閉そく感が広がっている中で、市民の暮らしを守るうえで上越市でも共産党の議席が必要だ。6年前から上越市に骨を埋める決意で仕事をしている。がんばる」と決意を表明しました。

 伊藤誠さんの記者会見での訴え、動画もごらんください。逆光のため見えにくいかもしれませんが、お許しください。

品和亭で「謙信勝負飯」を食べる会

 「謙信勝負飯」を食べる会がきょう、吉川区内の割烹品和亭で開かれました。義を重んじた武将で、「軍神」としても知られている上杉謙信公の勝負強さにあやかって高校受験、大学受験を乗り切ろうというのがねらい。主催は市内の飲食店などがつくった謙信勝負飯毘食協議会で、地元の吉川中学3年生とその保護者など約30人が集まりました。

 会では、まず新潟県文化財保護指導委員の小島幸雄さんから話をしてもらい、「上杉謙信公はどういう人か」について学びました。

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 小島さんは、「謙信が生きた時代の戦には『陣を張る』タイプと『城攻め』タイプの2つがあった。謙信は『城攻め』が得意の武将だったが、決して殺し合いを好む人ではなかった。戦績は69戦43勝24分2敗というが、実際にはあまり戦っていない。城を囲み、ドンパチをやるわけではなく、じっと降伏するのを待つ戦をした。自分に対してきびしい人だった」「謙信は殺し合いをするのではなく、己の欲望を抑え、己に克つことによって戦を終結させていった」「受験は人を蹴飛ばすものではなく、自分自身の問題。仲間を人間として尊重し、自分自身をきちんと鍛錬していくことが大切」などと語りました。

 その後、「えい、えい、おー」と気合を入れてから「謙信勝負飯」を味わいました。

 「謙信勝負飯」は上越青年会議所のメンバーが食による地域おこしをねらった料理で、「お茶漬け」もしくは、そのまま食べた後に出汁をかけて食べることが約束事になっています。ほかに、お米は上越産米を使うこと、食後、梅干しを食べることも約束事になっています。食材については上越産米の使用が必須、あとはどんな食材を使おうとかまわないそうです。今回は品和亭特製の鳥の唐揚げ、オニゴショウ、オータムポエム、みつ葉などが入っていました。出汁は、かつお出汁でした。

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 私は小島さんと同じテーブルで「謙信勝負飯」をいただきました。小島さんは、品和亭特製の甘辛の鳥唐揚げを初めて食べたとのことで、「これはいいね」とべた褒めでした。きょうの会は、NHKなどテレビ、新聞記者が大勢取材に来ていて、中学生のみなさんは緊張していました。

2011年01月11日

選挙準備

 朝起きてびっくりしました。夜中のうちに雪が30センチほど降ったからです。道路の路面も圧雪ができました。時間がなかったので、最低限の除雪を行い、市役所へと向かいました。

 市役所では生活相談の関係で動いた後、平良木議員とともに県議選の準備をしました。候補者リーフ、メインの政策ビラ作成などやるべきことが山ほどあります。しばらくの間、県議選中心の生活となりますね。

 地区委員会の事務所へは午後3時過ぎに行きました。そこへ上越市有線放送電話協会のN記者が取材に。N記者が伊藤地区委員長の決意を訊いているところを動画で撮りましたので、ごらんください。今度は逆光とならない場所で撮影しました。

2011年01月12日

スキー伝来100周年

 きょうはスキー伝来100周年の日でした。高田の地において、かの有名なレルヒ少佐がスキーを伝えたのが100年前のきょうです。記念式典、レセプションに参加してきました。

 きょうの式典で心に残った言葉は、大野副知事の「子供たちにもう一度スキーを好きになってもらいたい」です。私の子供時代、冬の遊びといえばスキーでした。山の斜面をスキーで滑る、ジャンプ台を作って飛ぶ、山でスキーをはいてウサギを追いかける、これらの遊びはいま思い起こしても楽しい遊びでした。こうした遊びを知らないで子供時代を終わってしまうなんてかわいそうです。

 式典やレセプションでいろいろな人の話を聞きうれしかったのは、楽しかったスキー遊びの大本にレルヒ少佐のスキーがあったことを確認できたことです。しかも、単にスキーを教えただけではないことも知りました。妙高市からやってきたNさんは、「橋爪さん、レルヒ少佐の考え方の中には反戦思想がありますよ」と言われました。勉強してみたいと思います。

 記念式典のオープニングで児童文学作家の杉みき子さんが「加代の四季」という作品を朗読されました。杉さんご自身が自分で書かれた作品を朗読されたのを聴くのは初めて、感動しました。また、いずみジャズダンススクールの踊りもすばらしかったです。雪国の女性の凛としたイメージが浮かびます。

 きょうはアルコールが入っているので、この辺で。

2011年01月13日

いずみジャズダンススクールの皆さんの踊り

 昨日のスキー発祥100周年記念式典オープニングでの踊り。市内のいずみジャズダンススクールのみなさんが踊っています。動画でアップしました。

 

伊藤誠さんのポスター写真撮影

 演説会ポスターなどで使ういとう誠さんの写真撮影が日本共産党上越地区委員会事務所で行われました。事務所まで出張して撮影してもらうのは、おそらく今回が初めてでしょう。

 いとうさんは緊張していましたね。カメラマンもそばで応援していた事務所スタッフも盛んに「硬いね」「なかなか軟らかくならないね」と言っていました。私もしばらく撮影風景を見せてもらいました。何とか笑ってもらおうと思い、「1たす1は?」を何回も繰り返しましたが、本当の笑顔になったのは、私がうっかり「5引く2は? あっ、違った」と言った時でした。

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 いとうさんのリーフレットも出来ました。まだ手直しが出るでしょうが、まずは、出来立てほやほやのものを「しんぶん赤旗」の読者の皆さんにごらんいただきたいと思います。

2011年01月15日

夜間除雪

 朝の発信です。昨日は印刷機の調子が悪く、困りました。500枚ずつ印刷するのですが、そのうち数枚は白紙という状態でした。そのため、市政レポートを印刷するのに半日もかかりました。最後は、機械屋さんからみてもらいなんとかなおりました。1万1000枚の印刷でこんなに時間がかかったのでは話になりません。

 印刷後は「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。面白くない気持ちを転換させてくれたのはロウバイでした。柿崎区で雪の中に咲くロウバイが目にとまりました。

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 午後からは重たい雪がもこもこと降り続けました。風がなかったこともあって、平野部も山間地も同じような降り方でしたね。途中、母から電話がありました。「雪がどんどん降っていてすごく積もった。早くどかしてくれ」というのです。もちろん、すぐには戻れません。配達は夕方でいったん打ち切り、その後、直江津へ。

 直江津は市職労の旗開きでした。会場には250人を超える人たちが集まっていました。臨時職員も入れると3000人ほど働いている役所ですが、顔はなかなか覚えられません。そういうなかで、何人もの若い人たちと交流できました。

 夜は10時前に到着。それから除雪をしました。近所迷惑にならない牛舎周辺だけですが。確かに、母が電話をかけてくるだけの降り方をしたんですね。牛舎は屋根の雪が落ちてつながる一歩手前まで積もっていました。きょうは、午前に家の周りを除雪せねばなりません。

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長女とともに柏崎市内の病院へ

 朝から「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達です。雪が降り続いているので、対話はほとんどせずに大急ぎで配達しました。日刊紙の配達が終了した時点で、家の周りの除雪もしました。約1時間半の除雪作業で前庭、屋根下の雪のほどんどが片付きました。どんどん片付き、仕事の結果が見えるというのは気持ちがいいです。

 午後3時過ぎに柏崎市内に入院している義父を長女とともに見舞いました。義父の病状は一進一退です。きょうは目を開けていました。「わかるかね」という問いかけにかすかに反応してくれました。でも長女についてはわからなかったようです。

 病院を出てから、柏崎市の妻の実家へ。長女が久しぶりに訪ねたので義母は大喜びでした。お菓子やナシなどを次々と出し、食べてくれとすすめます。先日、長女は東京に出かけました。その様子を妻から聞いていた義母は、「浅草へ行って来たんだって?」と声をかけ、「私も浅草や有楽町が好きだった。私に似たんだわ」とやっていました。

 県議会をめざしているいとう誠さんのリーフレットをホームページにアップしました。下線のついている部分をクリックしてごらんください。

2011年01月16日

地吹雪

 雪が一晩のうちにドンと降って、強烈な風が吹く。最悪のパターンです。昨晩降った雪は60センチほどでしょうか。家の周りも牛舎も再び雪にすっぽりとうまってしまいました。

 朝食前から約3時間除雪機を動かしました。ところが、もう少しで終わりという段階で除雪機の安全ピンが飛んでしまいました。雪を吹き飛ばす部分に無理がかかったのです。同じ場所の安全ピンが飛んだ除雪機は私の機械だけではありませんでした。同じ集落内で3台もありました。雪質が影響したのかも知れません。

 安全ピンを購入するために柿崎区まで行ってきました。予想した通り、すごい地吹雪でした。車のライトを点けていても車の前方が真っ白になると、頼りになるのは道路沿いに立っている電柱だけです。それでも何回も立ち往生しました。昨年の2月6日の地吹雪を思い出しました。こわかったです。

 積雪は今朝の段階で、吉川区総合事務所が112センチ、坪野187センチ、下川谷225センチとなっています。吉川区の場合、災害救助法の適用基準は総合事務所と坪野の積雪量の平均の200センチです。あと50センチですから、もう1回昨晩のような降り方をすれば到達してしまいます。

 市政レポート1484号と「春よ来い」の第137回「いつでも夢を」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてごらんください。

2011年01月17日

19日の市民懇談会会場は福祉交流プラザです

 おはようございます。朝、議員団ニュースを見てびっくりしました。明後日、19日午後6時半から党市議団が実施する市民懇談会の会場を間違えていたからです。市民プラザとなっていますが、正しくは寺町2丁目の福祉交流プラザです。お詫びして訂正します。
 なお、21日午後6時半から開く懇談会会場は頸城区コミュニティプラザ(希望館ではありません。総合事務所の入っている建物です)ですので、よろしくお願いします。

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追加経済対策で40億円

 朝6時20分に家を出ました。一限から授業があるという妻を職場に送るためです。道路状況によっては2時間くらいかかるという想定で出発したのですが、一部ででこぼこ道となっていたほかは除雪状況はよく、1時間15分ほどで着きました。

 きょうは市役所で議員団会議をやり、その後、地区委員会事務所で仕事をしました。議員団会議は24日の臨時議会の議案の検討と19日の市民懇談会の準備です。

 臨時議会には一般会計補正予算など補正予算8件と上越人材ハイスクール条例の一部改正の合計9件の議案が提案されます。このうち補正予算は一般会計と特別会計を合わせると40億円を超えます。補正の中身は追加経済対策が中心です。保育所のエアコンなど各種修繕工事、学校耐震化などの地域活性化で17億6345万円、市道改修、公共下水道幹線・枝線整備事業などの社会資本整備で19億167万円、子育て、医療等の強化(子宮頸がんなどワクチン接種緊急促進事業)で2690万円、小中学校大規模改造事業など市独自の事業で3億2613万円となっています。エアコン整備や子宮頸がん予防ワクチンなど、これまで市民から求められていたものがいくつも盛り込まれました。

 議員団主催の市民懇談会は、こちら側からの報告は短くし、できるだけ市民の皆さんの意見や要望を聴く時間を多くしようということになりました。4人の議員がそれぞれ3~4分にまとめて報告をするというのですが、この時間制限を守るには準備をしないと。明日、どこかで時間をつくらなければいけません。

 きょうはめずらしく3食とも外食でした。朝飯は焼き魚定食380円、昼飯は市役所で定食520円、夕飯は味噌ラーメン650円。家に帰ったのは午後10時半ちょっと前でした。

2011年01月18日

いとう誠さんのブログ

 日本共産党上越地区委員長である伊藤誠さんが数日前から「伊藤誠の活動日誌」という名のブログを始めています。激しい日程にもかかわらず、毎日更新を心がけているそうです。ぜひ訪問してみてください。

 ブログのアドレスはhttp://itomakot.exblog.jp/です。

いとう誠さんの演説に聴き惚れて…

 今朝は家から妻の勤務先まで53分で到達しました。夏場よりも8分ほど余計に時間がかかっただけです。道路の路面状況はだいぶよくなりましたね。

 きょうは朝から夕方まで市役所で臨時議会の準備や県議選についての打ち合わせをしました。私は初めての選対本部長ですが、杉本前市議が選対事務局長をやってくれるので助かります。当面の行動提起、基本政策などについてかなりつっこんだ話ができました。あとは、選対の全体会議の中での議論です。集団の知恵でいいものができそうです。

 夜は日本共産党上越地区委員会の地区活動者会議が行われました。大雪の後で、会場に出かけるだけでもたいへんだと思っていたのですが、予想を大きく超える大勢の人たちから集まってもらいました。いとう誠予定候補の演説は私を含めて聴くのが初めてでした。青年の雇用確保などで奮闘してきた経過やどういう活動をしていくかなどについてとても力強く語りました。しかもよく整理されていて、わかりやすかったですね。私はデジカメを忘れてきたので撮影を上野議員に頼んでおいたのですが、彼も聴き惚れて、写真をとるのを忘れたくらいでした。

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 会議の途中、柏崎市の義兄から連絡が入りました。入院している柏崎の義父の状態が思わしくないというのです。明日も会議の連続ですが、どこかで時間をつくってもう一度、声をかけてきてあげたいものです。

2011年01月19日

地域事業費制度の見直しなどで市民懇談会開催

 中山間地域振興基本条例素案を発表して以来、議会全員協議会や行政などから意見や注文が出ています。「前文に水源保護についての記述を」「中山間地域の振興にかかわる施策についての年次報告は実施状況についても書いた方がいい」「対象区域の基準を明確にしてもらいたい」などかなりの件数になりました。これらについてはすべて中山間地対策特別委員会の作業部会で検討し、その後、委員会で議論しています。きょうはその委員会でした。作業部会でだした検討結果はほとんど了承されましたが、なかには委員会での議論で修正されるものもあります。条例の策定作業というのはたいへんですが、議論によってより良いものになっていくのがわかるのでとてもやりがいがあります。

 夜は党議員団主催の市民懇談会でした。テーマは事務事業の総ざらいと地域事業費制度の見直し問題です。10数人の市民の方から雪の中、参加していただきました。ありがとうござました。

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 懇談の中では、「事務事業の総ざらいをすることになった背景には地方交付税の削減など国の財政運営もあるのではないか。これとの関係をどのようにとらえているか」「今回の市のやり方で上越市の地域自治が試される。地域自治、地域協議会の制度があってよかったと思う」「木浦市政ではまがりなりにも地域事業を守ってきた。地域事業費制度の見直しは、13区で使うべきお金を新幹線駅関連整備に注ぎこもうとするものだ」「村山市政になって、大型公共事業抑制基調をひっくり返し、大型公共事業推進に切り替わってきたのではないか」「シニアパスポートの廃止は介護予防など行政が負っている責務から手を引くことになると思う」などの発言が相次ぎました。これらについては議員団会議で検討し、今後の議会活動に生かしていきたいと思います。

 家に戻ったのは9時半過ぎでした。雪が降り続き、車の腹がするほどになりましたので、また除雪機を動かしました。明日の朝までにかなり積もりそうです。

2011年01月20日

柏崎の義父、死去

 朝の5時頃、柏崎市に住む義姉から義父、竹田敏雄が危篤との緊急連絡が入りました。妻とともに病院に急行しましたが、間に合いませんでした。87年余燃やし続けた命の炎は肺炎と敗血症によってとうとう消されてしまいました。お世話になった皆さんに心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

 義父とは37年の付き合いになります。長年にわたり中小企業を守る活動、平和運動などで頑張ってくれました。また、私が28歳の時に町議会議員選挙に出馬して以来、選挙のたびにわが家にやってきて私を応援してくれました。とても感謝しています。最後に義父と会ったのは昨日の午後です。会議の合間に会いに出かけてほんとうに良かった。

2011年01月21日

通夜ぶるまいの席で

 朝2時に起床。市政レポートを作成しました。昨日の段階では、議員団ニュースは出来ているものの、「市政レポートの作成は無理」と判断していました。でも、よく眠れませんでした。1985年6月から毎週休まず作成してきたので、作成しないでいると落ち着かないのです。

 午前6時過ぎには「しんぶん赤旗」日刊紙の配達に出ました。道路の路面は凍っていて、通常の1.5倍、約1時間40分ほどかかりました。配達終了後、市政レポートを印刷し、総合事務所など一部の地域だけ配達してきました。柏崎へ行かなければならないからです。残りは明日の朝、3時間くらいかけて配りたいと思っています。

 夕方から納棺、お通夜と続きました。お通夜は市内の「シティホール柏崎、あすか」というところで行われました。通夜ぶるまいでは、義姉から、「喪主とともにお寺さんの隣に座って、話し相手になるように」と言われ従いました。幸運でした。興味深いことを喪主、お寺さんからたくさん聴くことが出来たのです。

 お寺さんは法話の中で、柏崎の妻の実家のそばを通ると、春はしだれ桜、夏は百日紅、秋はモミジを楽しめると言われました。そのモミジですが、何本かは亡くなった義父が裏山から移植したり、買ってきたものだそうです。そう言えば、義父は庭の紅葉が自慢でした。昨年11月21日に撮った写真があります。庭の見えるところで日向ぼっこしたり、妻と指相撲したりしているところです。2枚ごらんください。

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 お寺さんからは、「人の命の始まりはお母さんのお腹に入った段階から。年齢はお母さんのお腹にいた10か月も加えるのが正しいのではないか」「柏崎の上軽井川というところは地震に強いところ。大きな揺れがあっても被害はごくわずかだ」「お寺(今回お世話になっている人の寺)は東からの朝日は浴びるが、西日が当たらない。このため花を栽培してもきれいにならない」などの話をお聴きしました。私の父よりも1つ下の方といいますので、現在82歳かと思います。いろんなことをご存じのお寺さんでした。

 市政レポート1485号、「春よ来い」第138回、「再入院」をアップしました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックしてごらんください。

2011年01月22日

義父の告別式の日でした

 義父の告別式の日でした。親戚や業者仲間の人たちなど大勢の人たちに見守られて義父は旅立って行きました。導師を務めたのは曹洞宗のお寺さんです。同じ曹洞宗でも米山峠を越えると葬儀のやり方がちがいますね。柏崎では、参列者の焼香は2回ありました。遺体を火葬している間にお斎をはじめます。骨拾いは全員でやるのではなく、義姉夫婦と妻の、3人だけでした。

 お斎の場ではスクリーンやプロジェクターなどを持ち込み、義父のここ数年の姿、米寿の祝い、家の風景などを映しました。義兄がスライドの説明を行いました。私はパソコンの操作係です。孫たちに囲まれて笑顔でVサインをしているところとか、昨晩、お寺さんから褒めていただいた家の周りのモミジは印象に残ったようです。お骨拾いに行っていた3人と家の留守番役をしていた人たちから、「ぜひ見たい」と言われ、柏崎の家に戻ってからも上映しました。

 妻の実家で親戚の人たちと今後のことを話し合っていた時、吉川区の山間部に住む人から電話がありました。雪がたくさん降ってたいへんだ。若い者が仕事を休むと言っている。山間部の積雪が多い時に、そこだけでも救助の対象とならないのかと訊かれました。午後10時頃、家に戻ってびっくりしました。朝から雪が30センチ近く降り、除雪しないと車を車庫にしまうことができない状態だったのです。明日は山間部の様子を視察してこようと思います。

2011年01月23日

大雪災害警戒対策本部設置

 きょうの午後1時、上越市は木田庁舎及び各総合事務所に大雪災害警戒対策本部を設置しました。吉川区、名立区で災害救助条例の適用基準に近づいていて、今後も降雪が続きそうなので、設置することになったのです。

 吉川区では下川谷や尾神で積雪が3メートルを超えました。山間部住民の方からの情報では、朝、道がついていない老人世帯もあるといいます。また、「消防ポンプ小屋の前は除雪できたが、屋根の雪処理ができていない。若い者がちょっとしかいないなかで、その人たちに頼りたいが、自分の家を守るだけでも精一杯の状況だ」という声も聞きました。明日は豪雪地の住民の要望をもっとつかみ、対策本部につないでいきたいと思います。

 きょうは午後から妻の実家に行きました。葬儀後の後片づけ、整理などがたくさんあります。義母と3人のキョウダイと連れ合いでいろいろな仕事をしてきました。お通夜、告別式の受付名簿を整理していて、義父は生前、じつに広い分野の人と付き合いがあったことを改めて知りました。

2011年01月24日

40億円の追加経済対策関連予算可決

 きょうは臨時議会でした。総額40億円余の追加経済対策で街灯修繕、側溝改良など市民生活に直結する細々した仕事から学校の耐震化工事など大きな仕事まで予算に盛り込まれました。市内の経済状況は、「全体として緩やかに回復しているものの、鈍化してきており、好転し始めた製造業も円高の影響を受け伸び悩んでいる」(村山市長)というのが実態です。市は今回の対策を講じる中で、仕様書で発注出来る工事の上限額を130万円から500万円まで広げるなどの改善措置をとることにしました。今回の対策が少しでも地域経済の好転につながってくれればと思います。一般会計補正予算など関連予算は全会一致で可決されました。

 議案の審査にあたって市が議会に提出した資料は、通常の委員会資料のほか、「追加経済対策の概要」「追加経済対策事業一覧表」だけでした。文教経済常任委員会で小関議員が指摘したように、今回の経済対策を提案するにあたっては、これまでの取り組みの総括や市内経済状況などについての資料も出すべきだったと思います。私も総務常任委員会で、「今回の対策がこれまでの経済対策の延長線上にあるなら、12日の経済対策本部で出した関連資料も出すべきだった。新年度予算でも当然、経済対策が盛り込まれることと思うが、検討してほしい」と注文しました。3月議会では、この点、配慮されることを期待したいと思います。

 総務常任委員会では消防施設について質問しました。今回の補正予算では防火水槽の漏水修繕などを実施するための施設管理費で1566万円、消火栓を多雪式に改良する経費など施設整備で2306万円計上されました。私は、「多雪地帯で大雪になっても消防施設がちゃんと使えるように施設を改良していくことが大事だ。例えば防火水槽は(積雪時に容易に吸水できる)サクションパイプを取り付けていく必要がある。こういうものが必要な個所は何か所あって、どこまで整備されているか」と質問しました。残念ながら、担当課ではこういう数値をつかんでいませんでした。市では昨日、大雪災害警戒対策本部を設置しています。今回の質問を契機に、消防施設についてもいっそう目を向け、多雪地域での消防施設の改良を大きく前進させていただきたいものです。

2011年01月25日

雪を止めてくれ

 きょうも雪となりました。午後から党市議団と伊藤誠上越地区委員長で市内の山間豪雪地を視察してきました。訪ねたところは、23日、災害救助法の適用基準に10数センチと迫った吉川区の山間部と最高積雪を記録した(同日)大島区旭地区です。総合事務所で全体の状況を把握し、高齢者世帯、町内会長さん宅などで要望をお聞きし、激励してきました。

 最初に訪ねたのは吉川区の尾神です。夫婦だけで暮らしているあるお宅では、最初は市道から家まで50メートルほどの道を除雪機で開けていましたが、その道が沢のようになり除雪を断念、カンジキによる道踏みに切り替えたといいます。その家で除雪機用にと用意した越冬用軽油は200リットル。家の周りの雪処理などで時間がかかり、まだ1月なのに半分以上を使ったということでした。

 尾神では町内会長さんとも話をしました。同町内会の19世帯のうち高齢者世帯、一人暮らし世帯は10世帯を超えています。若い者がいても仕事に出ていて、消防ポンプ小屋などの屋根雪処理が思うようにできなくて困っているなどといった声を寄せてもらいました。

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 次に訪問したのは吉川区川谷地区です。ここでは県道の雪庇落とし作業が行われていました。作業は今月末までかかりそうだということです。

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 上川谷では作業中の冬期保安要員さんと懇談しました。毎日連続の除雪作業でくたびれ果てた様子で、何回も「まいった」という言葉を繰り返しておられました。一人暮らしのTさん宅も訪問しました。先日、電話で「元気かね」と声をかけたばかりですが、突然の訪問を喜んでもらいました。

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 大島区旭地区も豪雪地帯です。上川谷から板山間の県道は赤と白のポールがもう少しで見えなくなるほどの雪の壁ができています。ポールが見えなくなれば、どこが道かわからなくなります。竹平の町内会長は私の従兄です。市道から家までの道は除雪機で開けてありましたが、雪の壁はごらんのとおり。雪を飛ばすことがよくできたなと感心しました。竹平町内会の役員さんたちはきょう、共同車庫やお宮さんなどの雪掘りでした。

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 大島区の田麦地内で除雪車と合いました。すれ違う時にオペレーターと補助者の顔を見たら、二人とも従兄です。二人も私に気づいて、声をかけてくれました。朝は暗いうちから作業に当たっているとのことです。「おい、何とかしてくれや。ここは日本一積もっているど。3㍍80センチもある。雪を止めてくれ」と言っていました。オペレーターの疲れもピークに達しています。

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 きょうの視察で気になったのは明らかに屋根雪処理が遅れている民家があったことです。市内全体でこうした家がどれくらいあるのか、どんな支援が必要なのか。市の関係部局と話し合ってみようと思います。

2011年01月26日

自未得度先度佗の心

 義父の初七日でした。義母は昨晩、亡くなった連れ合いの夢を初めて見たそうです。「おれを一人にしておくな」としかられたとか。これまで経験してきた初七日は葬儀の日と同じでした。本来の初七日の法要に参加するのは今回が初めてです。義父の家は曹洞宗です。きょうはお経をあげてもらう前に、お寺さんから過去帳や位牌に義父の戒名などを書いていただく場面に立ちあうことができました。筆ペンを使い、一字一字丁寧に書き入れていく。お寺さんだけでなく、そばにいた私たちも緊張しました。

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 法要後のお斎の時間。お寺さんから「舎利礼文」「修証義」などの経典について教えていただきました。漢文の授業を受けているような雰囲気の中で一行ずつ丁寧に読みあげ解説するお寺さん、元は学校の先生ではないかと思います。とても勉強になりました。「修証義」の解説の中で心に残ったのは、「自未得度先度佗の心」についての部分です。自(みずか)らは未(いま)だ得ていなくても、まず先きに他に得させてあげる。自分のことは後回しにして他人の救済のために全力を尽くすことの大切さを訴えたものです。道元の教えの中にこうしたものがあることを知り、「正法眼蔵」を読んでおかねばと思いました。

 お寺さんを車でお送りしてから直江津へ。午後から県議選の対策会議があったからです。党新潟県委員会の武田勝利政策委員長にも参加してもらい、基本政策の検討を行いました。数人規模で集団検討すると仕事は早いですね。来月発行する政策ビラのラフも出来上がりました。

2011年01月27日

生活習慣の改善及び経過観察を要す

 今月7日に実施した人間ドックの結果が出ました。判定は昨年に続いて「生活習慣の改善及び経過観察を要す」でした。昨年以降、努力してこなかったということです。数値も一部で悪くなってしまいました。生活アドバイスでは、「1日3食バランスよく食べ、腹八分目を心がけましょう」「運動は心肺機能を高め脂肪を減らすために効果的です。年齢・体力・体調に合ったストレッチや家事・スポーツを無理のない範囲で行いましょう」とありました。このアドバイスに従って生活習慣を変えることができるかどうか。今年は自分とのたたかいです。

 きょうは午前中に生活相談に取り組み、その後、市政レポートの原稿書きに精を出しました。もう少しで出来上がりです。

2011年01月28日

積雪が4㍍を超えても「災害地」にならないとは

 午前10時頃に地元の支部事務所を出発して大島区、吉川区の山間部の40軒ほどをまわるのに6時間近くもかかりました。所要時間はもちろん休憩時間をのぞいてのものです。これだけの時間を要したのは、あちこちで雪庇落とし作業が行われていて交通規制があったこと、雪道を歩くことが多かったことによります。

 大島区旭地区へ行ったところ、雪庇落とし作業中の人が、「おらんとこ、積雪が4㍍50㌢にもなった。ひどいもんだ。この調子だと別荘はつぶれる」と嘆いておられました。この積雪は竹平の観測ですが、大島区旭地区の他の集落(板山、角間、田麦、藤尾)でも4㍍以上の積雪となっているだろうとのことでした。屋根や民家周囲の除雪が間に合わなくなりつつあり、空き家の中にはすでに倒壊したものもあります。道路はなんとか確保されていますが、雪崩の危険性が非常に高くなっています。どこの家でも雪とのたたかいでくたくたです。地区全体が4㍍を超える積雪になり、たいへんな状態になっていても県の災害救助条例や国の災害救助法の対象にならない。こんなことでいいのでしょうか。

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 午後3時頃、日本共産党の竹島県議から電話が入りました。31日の午後から県当局に豪雪対策について申し入れるのでぜひ参加して、実情を訴えてほしいということでした。土日はまた天気が荒れそうですが、なんとか都合をつけて参加したいと思います。

 市政レポート1486号、「春よ来い」第139回「不思議な夢」をアップしました。ごらんください。

2011年01月29日

今冬最低のマイナス5度

 今朝は冷えました。鉄の階段を歩くと長靴の底がぺたぺたとくっつきます。除雪車が通った後はツルツルです。車で走っても歩いても危険な状態でした。気温はマイナス5度を記録しました。今冬では最低気温だと思います。

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 朝陽が出るような時間になると靄が発生しました。冷えた雪が温められたということでしょう。私たちの雪国では、これからこういう靄がたびたび発生します。

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 昨晩書き忘れたことがありました。選抜高校野球大会に新潟県から新潟文理とともに佐渡高校が21世紀枠で出場することになったことについてです。じつは昨年の7月18日、私は直江津から小木に向かう船で佐渡高校の選手たちと一緒でした。その時、感心したんです、試合で負けた日、島に帰る船の上でも何人もの選手たちが素振りなどの練習をしていたから。あの選手たちが秋の北信越大会で好成績を残し、春の選抜に出る。新潟文理とともに佐渡高校野球部に大きな拍手を送ります。

中ノ俣へ

 とうとう大島区に新潟県災害救助条例が適用されました。県の説明では、「大島区の平均積雪深は樹齢適用基準に達していないものの、2メートルを超え、かつ基準値の90%を超えているため弾力運用することとした」とのことです。一歩前進です。今朝の段階で、私の地元吉川区では平均積雪量が199㌢で条例適用基準まであと1㌢(災害救助法適用基準まで5㌢)まで迫りました。安塚区でもあと31㌢(同42㌢)まで迫っています。ただ、日中は大雪も一休み。助かりました。

 この大雪の中で市民のみなさんから様々な要望が寄せられています。そのひとつ、「交差点やT字路における高い雪の壁で左右確認ができない。なんとかして」というのがありました。夜になると点滅信号になるという上中田の交差点です。下の写真をごらんください。確かにこれでは危険ですね。

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 きょうは、午後から平良木議員とともに中ノ俣へ視察に出かけてきました。ここは合併前上越市ではありますが、旧東頸城郡と同じくらいの豪雪地帯です。冬期保安要員はこの中ノ俣に3人、吉川区に4人おかれています。

 途中の県道で、カーブミラーが壊れ、雪に埋もれているものがありました。

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 中ノ俣では川崎新町内会長さん宅でお茶をご馳走になりながら、冬期保安要員としての仕事と苦労、和牛(子とり繁殖)農家としての経営状況、土方としての思い出などをたっぷり聴かせてもらいました。今年の雪は昨年のどか雪の時よりは少ないものの、重く危険だと言われました。こういうなかで屋根雪処理に苦労されている民家がいくつかありました。そのうちの1軒です。まず玄関側の写真です。

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 この民家の裏側です。

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 きょうは、水が流れるようにと中ノ俣川を埋めている雪をどかしているバックホーにも出合いました。石川前町内会長さんのお話では、中ノ俣川を埋めた雪によって水害が起きる可能性があるので業者に頼んだとのことでした。この排雪は県の責任でやってくれるといいます。こういうところにも目を向けなければならないことを初めて知りました。やはり、現地に足を運ばないといけませんね。百聞は一見に如かずです。

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2011年01月30日

吉川区でも県救助条例適用基準突破。大島区では4㍍40㌢

 きょうも雪が降り続いています。吉川区では午前9時現在の積雪が総合事務所で125㌢、坪野観測所で278㌢となりました。新潟県災害救助条例の適用基準は、この2つの指定観測所の平均積雪量200㌢となっていますので、ついに県条例基準を突破したことになります。この調子で降り続けると明日には災害救助法適用基準(204㌢)を超えるでしょう。

 私が知りえた積雪情報では、今朝の9時現在、吉川区の上川谷が400㌢、大島区竹平が440㌢、中ノ俣238㌢となっています。これからの降雪が怖くなってきました。きょうの冬将軍は降雪と地吹雪の二本立てで攻めてきています。下の写真は朝8時過ぎに柿崎区内の県道で撮影したものです。

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吉川区に災害救助法適用

 先ほど総合事務所から連絡が入りました。吉川区に本日、災害救助法が適用されたということです。今朝の段階では法適用まで3㌢と迫っていましたから、時間の問題だと思っていました。「一時も早く法適用を」と主張してきたのでよかったです。ただ、要援護世帯への支援、生活道路の確保、農業生産への支援など課題はたくさんあります。がんばらねば……。

 なお、安塚区、牧区、中郷区も昨日の大島区に続いて新潟県災害救助条例の適用を受けたとのことです。

 吉川区では今朝から各地で屋根の雪下ろし、家の周囲の除雪などが行われています。雪の方は断続的に激しい降り方をしています。

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2011年01月31日

新潟駅前で前泊

 県への要請のため伊藤誠日本共産党上越地区委員長とともに新潟市に来ています。昨日は駅前のビジネスホテルに泊まりました。何人かの人と豪雪について情報交換をしましたが、霜鳥妙高市議からは、「たいへんな大雪だ。車は出せないし、バスもとまった。1日だけで1㍍近く降ったのではないか。県庁には行けないが、がんばってきてもらいたい」と激励されました。
 いま、県への要請で使用する豪雪地の写真を整理しているところです。

上越市全域に災害救助法適用

 中郷区総合事務所、牧区棚広、大島区菖蒲の3つの観測地点で、昨日の9時からの24時間降雪量が1㍍を超えました。大島区菖蒲は1㍍17㌢です。昨日の降雪で吉川区上川谷の積雪量は4㍍10㌢、大島区竹平は4㍍60㌢となりました。まさに記録的な降雪、積雪量となりました。

 上越市は中郷区、板倉区で災害救助法適用基準を超えました。全市平均では220㌢で、全市の法適用基準(236㌢)の93%となりました。市では弾力的な運用で全市に災害救助法を適用するよう県に要請したところ、本日午後、適用することになりました。

 私たちは、「ひとつの区でも法適用の基準値を超えたら全市に適用を」と主張してきましたので、今回の運用は正しい判断だったと思います。これで、雪という「障害物除去」にいっそう力が入るはずです。要援護者に対しては1世帯当たり最大で13万4200円の支援ができます。

今回もダンプ、バックホーなど重機支援

 日本共産党新潟県委員会は本日、泉田県知事に対して豪雪災害対策についての緊急要望書を提出し、飯沼克英防災局長などと交渉しました。きょうの要請行動には、竹島良子県議、いとう誠上越地区委員長(上越市区県議予定候補)、長岡市、魚沼市、小千谷市の市議などが参加しました。もちろん、私も一緒です。

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 緊急要望書に盛り込まれたものは、①県災害救助条例、災害救助法の柔軟な運用、②ダンプ、バックホーなどの重機の県借り上げ支援、③空き住宅などの屋根雪処理、④要援護世帯の支援対象を「自らの労力によっては雪の処理ができないすべての世帯」に広げること、⑤交差点、T字路における雪の壁の除去、雪庇落としの早急実施、⑥集落内道路、公民館、神社などの共同施設の除排雪に対する支援、⑦多雪型の消火栓、サクションパイプ付き防火水槽整備をすすめるための支援など10項目です。

 注目の災害救助法適用問題について飯沼防災局長は、「法は基本的には現在の自治体を基準に適用するものとなっている。地域差もあるので、合併後10年程度は例外として旧自治体単位で適用するかどうかを判断している。(合併自治体において、合併前の自治体がひとつでも法適用の基準を超えた場合、合併自治体全域に適用をという要望の実現は)なかなかむずかしい。他県では数字での基準がない。家がつぶれない段階で適用しているのはうち(新潟県)だけだ。杓子定規の数値でやっているわけではなく、数%の範囲で今回も柔軟な対応をしている」とのべました。

 ダンプ、バックホーなどの重機を県が借り上げて町内会の集落内道路排雪などを支援する制度は18年豪雪時に市民から喜ばれました。この制度は今回の豪雪でもすでに取り組みを開始したといいます。飯沼局長は「市町村から要望があれば、レンタル業者に頼んで出来るだけ早く対応したい」と回答しました。18豪雪時には、キャタビラがすり減っていて使いにくかった事例もあったと聞いていますので、この点、チェックして借り上げてほしいものです。

 県単「冬期集落安全・安心確保対策事業」により配置した小型除雪機の更新については、「更新の時期が来ていることは認識している。速やかに市町村に確認して、至急更新したい希望があれば対応したい。集落の機能維持という観点からも柔軟に対応していきたい」との回答でした。これも朗報です。

 空き家住宅などの屋根雪処理では、「全県で60くらいの空き家対策が必要だ。空き家の屋根雪処理は、まずは所有者の責任だ。しかし、所有者がわかっても資力、体力がないということもある。法的な相談は、県でも整備して対応をと考えている。隣接民家が要援護世帯である場合は災害救助法で対応する。すでに取り組んでいる市もある」との回答がありました。

 多雪型の消火栓、サクションパイプ(吸水管)付き防火水槽への改善については、「いまのところ、(県として)直接補助する制度を持っていない。大きな課題であるので上乗せできないかなど、国に要望をしていきたい」と前向きでした。また、県内の市町村における多雪型消火栓の設置、吸水管付き防火水槽の設置状況について調査すると約束しました。

 「豪雪地では長引く除雪作業の影響などもあって、集落内の共同施設の除雪を行う人手が不足している。県の支援を」と除雪のための臨時雇用への支援などを強く求めました。しかし、県の姿勢は、「ボランティアの支援を進めている」と述べるにとどまりました。

 きょうの要請行動については、いとう誠上越地区委員長もブログに書いていますのでごらんください。

 今晩は直江津にて党の会議がありました。ここでも豪雪対策が話題になり、明日の午後1時から地区委員会事務所で日本共産党の豪雪対策本部を設置することになりました。糸魚川市、上越市、妙高市の3市を視野に入れて、現地調査、行政への働きかけ、市民からの相談受付などを行うことにしています。

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