書家として活躍されてきた早川大斗先生のお通夜に妻とともに参列してきました。早川先生とは旧吉川高校勤務の時以来、親しくお付き合いをさせてもらってきました。旧柿崎高校へ転勤されてからは妻もお世話になりました。
お通夜の会場には早川先生の作品がいくつか飾ってあって、通夜式後、何人もの人たちがその場で立ち止まり、在りし日のことを思い出していました。
早川先生の書をひと言で言うなら、力強く、そして優しい。旧吉川町総合センターで開催された個展で出合ったのが最初でした。たしか、日本国憲法前文の作品もありました。たいへん感動しました。先生とは初めて会ったのに、すでに私のことはご存じで、親しく懇談させてもらったことを記憶しています。式場での写真をもう一枚紹介します。
いまの市政レポートの前に発行していた吉川民報の題字は早川先生から書いていただきました。勢いを感じさせる題字を見て、「早川先生の書かれたものだね」という人が大勢いました。それだけ、早川先生の書は旧吉川町民の間に広がっていました。地酒の「よしかわ郷」のラベルの字も先生の作です。私の最初の随想集、『幸せめっけた』(恒文社)の題字は、早川先生からお手本を書いてもらい、それを見ながら妻が書いたものです。また、現在も「橋爪法一を囲む会」などで使っている「ふるさとは母 ふるさとは命」という文字が書かれた旗も早川先生にお願いして書いていただいたものです。
遺影は私の旗を書いていただいた頃に撮られた写真だと思います。笑顔の素敵な先生でした。心からご冥福をお祈りします。
明日の早朝、東京へ出発します。そのため、きょうは一日中、「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。途中、蛍場の紅葉を見てきました。