ゆったりした時間は海で。3連休の間にぜひ実現させたいと思っていたのは佐渡汽船の直江津ー小木航路で佐渡へ渡ることでした。これまで佐渡へは卒業論文を書く時、旧金井町の町議選支援でそれぞれ1週間ほど行ったことがありましたが、いずれも新潟ー両津航路で渡りました。もう40年近く前のことです。
直江津ー小木航路で佐渡へ行くのはもちろん初めてです。直江津ー小木航路問題が市議会で議論されて以来、乗ってみたいと思い続けてきました。文教経済常任委員会では私も発言してきたのですが、一度も乗らないで議論することに「罪の意識」を感じていました。もう大丈夫です。
カーフェリーに乗っての旅、実に快適でした。何よりも船の揺れがほとんどなかったことが良かった。新潟ー両津航路に乗った時は揺れが激しく、エレベーターに乗って上下する感覚でおかしくなり、吐きました。今回は日本海が湖のように静かだったこともあって、カーフェリーの揺れは自動車並み。それに天候も良かった。デッキに出て、真夏の太陽光線を浴びながら船旅を楽しみました。
直江津の港を出ると火力発電所沖から佐渡へ一直線です。
港を出てから一番うれしかったのは海上から故郷の山々を見ることができたことです。尾神岳、米山が海の上に浮かんで見える、最高でした。
火力発電所の煙突は180メートルくらいあるのでしょうか。直江津の港を出て1時間20分経ってもこの煙突が後方に見えました。写真は小さいので見えないかも知れませんが、写真の中央部に白い煙突が写っています。
小木港に着いたのは午後6時50分。もう20分ほど遅ければ、海の上から夕日が沈むところを見ることができたのですが。小木の町は初めて。尾崎紅葉ゆかりの宿で一泊しました。佐渡は何と言っても魚料理です。刺身であろうが焼き魚であろうが味は抜群でした。
翌日は早朝から港周辺を妻とともに散策しました。大きな白い看板が面白いと言って妻が言いました。「美人多し、運転注意」、その裏には、「スピード違反罰金9000円、佐渡するめ500円」とあります。建物のデザインも工夫してありました。東屋は佐渡おけさを踊る人の傘をかたどったものでした。次にご覧いただくのは第四銀行の建物です。
港周辺にあるものの中で気になることもありました。佐渡おけさを踊っている人の像、たらい舟をこいでいる女性の像、ともにバックがよくないのです。写真を撮ろうとしても、電線だの、コンテナだのがあって、もう少し工夫してほしいものだと思いました。
コンテナと像の間にせめて生垣でもあれば救われるのでしょうに。小木港からの出発は10時20分でした。きょうは観光客がいっぱいでした。港を出てからしばらくはカモメが付いてきて、子どもたちが喜んでいましたね。
船の中では客室に入らず、イベント広場で本や新聞を読みました。この日も波は静かでした。新潟日報の読者文芸欄を見たら、妻の句が選ばれていました。
この句は5月8日、「『五センチ』になった母」の出版記念会後、近藤典彦さんらとともに尾神岳に登り。コシアブラを採った時のことを詠んだものです。選者評が付いたのは久しぶりで、妻も喜んでいました。
小木港を出てからまもなく米山が見え始め、それからずっと米山が左前方に見えました。米山は標高993メートルの山ですが、日本海を航行する船にとっては大事な目印となるなと思いました。それにしてもきれいな山です。
夕方からは、「橋爪法一を囲む会」でした。「県道にかかった橋(八幡橋)が老朽化している。掛け替えの見通しは」「河川の草刈りはカメムシが発生する前にやってほしい」「市道だけでなく、県道についても除雪に伴う雪の山を何とかしてもらえないか。高齢者にとっては、玄関先や車庫前に固い雪の山をおかれていくと切ない」等の声を寄せていただきました。