「しんぶん赤旗」日曜版の配達で尾神まで行ってきました。今年は年始のあいさつ回りはしなかったので、尾神へ行くのは初めてとなりました。1982年(昭和57年)秋までわが家があった蛍場(画像)は、同じ尾神でも標高が低く、雪は80センチほど。それでも除雪ドーザによる雪の壁が高くなっていて、雪を飛ばす除雪ピーターが活躍していました。
尾神では大島区から嫁いできた従姉の家でお茶をご馳走になってきました。誰から習ったのか、野沢菜、大根の漬物、コンニャク、人参などの煮付けの味がとてもよくて、お腹がいっぱいになるまで食べてきました。従姉の家では連れ合いのJさんが、山から水を引いてきて、家の周辺の道路の融雪に活かしていました。その様子を写真に撮るつもりだったのですが、お茶を飲んだらすっかり忘れてしまいました。
昼間、自治体研究社から電話がありました。年末に大急ぎで書いた原稿の手直しはないという連絡でした。ひょっとすれば、次の連休にまた原稿書きかと覚悟していたのですが、これでホッとしました。私も執筆した『古里の未来をえがく-持続できる地域づくりの戦略』(仮称)の発行は来月中旬となる見込みです。この本が完成すると私の本は共著も含めて4冊目となります。