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日本共産党の活動 への全投稿

2014年12月04日

産廃調査請願、不採択に


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 雨が降っています。おはようございます。寒いですが、雪が落ちてくるほどの寒さではありません。助かります。

 昨日は朝市宣伝に行った後、市議会厚生常任委員会でした。注目は午後でした。三和区宮崎新田地内にある産業廃棄物中間処理施設跡地の産業廃棄物の調査などをしてほしいという請願が市内の2つの団体から提出され、審査が行われました。2つの団体は「三和の水とみどりを育てる会」と「住民自治と合併問題を考える会」。審査の結果、どちらの請願も採択に賛成は私を含めて3人、採択に反対が4人で、1票差で不採択となってしまいました。先日、私も現地を見てきましたが、大量の産廃が雨ざらし状態で、異臭が漂っていました。現地はいま市有地です。このままでいいはずがありません。たたかいはこれからです。詳しくは活動レポートに書きました。写真は「三和の水とみどりを育てる会」の前山忠事務局長です。

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 時間です。きょうはこれから候補者カーの先導です。


2009年10月05日

市民アンケート結果を公表

 7月下旬から市民のみなさんにお願いしたアンケートの結果がようやくまとまり、きょう、発表しました。ご協力いただいたみなさんには心から感謝申し上げます。本来なら、結果を印刷して、アンケート用紙を配布した全世帯にお返しすべきではありますが、ページ数が多いこともあって、全文は私と上野、平良木市議の3人のホームページ、ブログに掲載することとなりました。この点、お許し願いたいと思います。

 お読みいただけばわかるように、市民のみなさんの暮らし向きは悪くなっていて、国政、市政に対する要望も切実なものがとても多くなっています。掲載したものの中では、記述式の回答がたくさんあります。これらは市民のみなさんの文字通り生の声です。私たち日本共産党に対する批判のご意見もそのまま掲載しました。ぜひご一読下さい。私たちはこうしたみなさんの声をしっかりと受け止めて頑張っていきます。

 さて、きょうは午後3時から党上越地区委員長ととともに記者会見を行い、今月18日告示、25日投開票の市長選に関する日本共産党の対応を明らかにしました。この中で阿部正義地区委員長は、「これまで候補擁立に向けて努力してきましたが、残念ながら今回は擁立できませんでした。(党後援会員のみなさん、期待していてくださった)市民のみなさんには心からお詫び申し上げます。また、立候補予定の3人のみなさんから応援要請を受けていましたので、マニフェストを中心に検討いたしました。その結果、私たちと一致できる公約がいくつもありましたが、賛同できない重要な問題点もあり支持するということにはなりませんでした。きょう配布した市民アンケート結果を見ると、市民の暮らしは悪化し、切実な市民要求が寄せられています。これらを実現するために頑張っていきたい」とのべました。

 記者からは「なぜ候補を擁立できなかったのか」「3人の立候補予定者を支持できない理由を具体的にのべてほしい」などの質問が相次ぎ、記者会見は予定時間を大幅に超えました。阿部地区委員長は、候補擁立できなかった要因として、党の力量不足と取り組みの遅れをあげました。応援要請にこたえられなかった理由については、私の方から、「いくつもの箱物建設を公約されている方があるが、財政危機認識の甘さがある」「市の最上位計画である第5次総合計画改定版が市民参加のなかで策定されたにもかかわらず、それへの言及がない」ことなどをあげて説明しました。

 きょうの記者会見にはカメラマンを含め9人のマスコミ関係の方が参加されました。候補擁立を発表する時と違って、擁立断念の発表はつらいですね。今回の私たちの態度表明によって、市長選は三つ巴となることがほぼ確定しました。3者それぞれのマニフェストには、子ども医療費無料化の拡大、通園・通学バスの無料化、介護・医療分野での高齢者支援など評価できるものがいくつもあります。私たちはどなたがトップになられようとも、良い公約は実現に向けて応援していきます。もちろん、問題があることには反対していきますが。


2009年09月28日

会議がいくつも

 朝、雨がパラパラと来ました。きょうは稲刈りは無理と思っていたところ、風が吹きました。それもかなり強い風です。この風が稲を乾かしたようです。きょうも稲刈りが行われ、平場に残っていた稲がまた少なくなりました。ただ、この風でセミは動けなかったのか、それとももういなくなったのか、鳴き声はまったくしませんでした。

 きょうは党議員団会議でした。9月議会中も進められてきた議会基本条例策定検討委員会の途中経過を私の方から報告し、意見交換しました。議会活動の原則、議員活動の原則、不断の議会改革等をテーマに約1時間かけました。いろいろな角度から活発な議論となったのは議会における男女共同参画、議会改革でした。同じ仲間でもこうしたテーマでは考えの違いも出ます。きょうの議論は今後の検討委員会のなかで活かしたいと思います。

 夜は吉川区内で地域協議会と党支部会議のふたつの会議に参加しました。党支部の会議では、秋の味覚がテーブルの上に置いてありました。クリ、アケビです。私は途中参加でしたから、話は聞けませんでしたが、山で天然のサルナシを採ってきた人もいて、楽しい会になったようです。私が参加してからは市長選挙をめぐる日本共産党上越地区委員会の動き、すでに活発に動いている予定候補者のマニフェストなどで発言が相次ぎました。応援できる候補擁立ができるかどうか、できないならどうするか、みんな注目しています。


2009年09月27日

1本の苗から11個の大きな冬瓜

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 朝5時過ぎに起床。「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達、市政レポートの配布と連続して行い、午前11時45分頃、自宅に戻りました。さすがに、6時間もぶっ続けで頑張ると疲れます。でも、何軒かでいろいろな話を聞き、楽しい思いをしました。そのうえ、イチジク、枝豆、冬瓜などたくさんもらってきました。

 写真は冬瓜(とうがん)です。吉川区で多く栽培されている品種は、ほそ長いタイプですが、きょうは丸型の冬瓜を初めて見ました。ここの家では、この品種の苗を1本植えただけなのだそうですが、1本の苗が大きくなって11個もの冬瓜がなったといいます。大きさは直径30数センチといったところでしょうか。自分の家だけでは食べきれないので近所の人などに分けるとのことでした。写真の中の1個は私がもらってきました。

 午後からは葬儀でした。昨日のブログでは故人に最後に会ったのは2か月ほど前と書きましたが、その後、原之町で発生した作業所の火災でも会っていたことを思い出しました。いったんは退院されていたのに、こんなにも早く逝くなんて本当にお気の毒です。きょうの葬儀には、故人のつながりの多さを反映して、町内会の人、猟友会の仲間、同級生、仕事上のお客さんなどが大勢参列されて、ホールはほぼ満席状態でした。

 市政レポート1416号、「春よ来い」の108回、「帰省」を掲載しました。お手数でもトップページからお入りください。


2009年09月21日

敬老の日に

 きょうは敬老の日です。党吉川支部には今年80歳になった党員が2人います。午前は党新潟県委員長から預かった手紙と記念品を持って、この2人を訪問しました。2人ともとても元気です。ひとりは、家の中で忙しく働いておられ、いまひとりは近くの畑でラッキョウとりの最中でした。「申し訳ないね、ありがとね」「よろしく申してくんない」。感謝していただきました。いつも、「しんぶん赤旗」日曜版や後援会ニュース配布で頑張ってくれているおふたりさん、これからもよろしくお願いしますよ。

 さて、わが家の高齢者ですが、父がいなくなっても相変わらず、畑仕事などで忙しく動き回っています。このところの天気つづきで、仕事もだいぶはかどったようです。きょうは、畑でとってきたイモがらを屋根に干していました(画像)。「落ちなんなや」と言っても「おう」と言うだけです。医者から「働き過ぎないように」と言われているのに、まったくおかまいなし。それでも、きょうは敬老の日だというので、遊びに出ました。

 私の方は、母と付き合いをした後、清里区等の中山間地へ出向き、写真を撮ってきました。秋に書くことになっている中山間地対策の文章に添える写真に黄金の棚田をと思って出かけたのですが、今年は長雨でどこの田んぼに行っても稲はべったりと寝ています。しかも、稲は一定方向ではなく、風で掻き回されたようになっていました。田んぼはいい写真が撮れませんでしたが、橋はいくつも撮ることができました。合併直前に竣工した橋、昔は吊橋だった橋、土手に桜並木がある川の近くの橋などです。浦川原区では私を以前見たことがあるという人に出会いました。


2009年09月20日

「ありがとう」がいっぱい

 なかなか時間が取れなくて待ってもらっていた生活相談のひとつにやっと着手できました。長岡市まで出かけてきました。きょうも青空が広がるいい天気となりました。ここまで来たら、ぜひ一度行ってみたいと思っていた山古志まで足を延ばしてきました。

 ゆっくり車を走らせ、山古志へ。以前、小国の法末集落へ行った時もそうでしたが、ここでも「ありがとう」という文字が入った旗がいっぱい立てられていました。写真集などで見た黄色い棚田は少なく、まだまだ復興途上という感じがしました。でも、私の想像をはるかに超える被害を克服してがんばっている人たちが大勢います。「幸福市」で一生懸命案内しているお母さん、市役所山古志支所で「ありがとうまつり」に取り組んでいる青年のみなさんの姿はとても気持ちの良いものでした。

 きょうは幸運にも闘牛のある日でした(画像)。虫亀闘牛場へ行ってびっくりしたのは車の数です。山の中のイベントに県内はもとより関東ナンバーの車がたくさんあったからです。私は道路に駐車して観戦させてもらいました。角と角を激しくぶつからせると「ヅン」というにぶい音がします。血を流している牛もいました。いい闘いになると歓声が上がり、拍手も起こります。興奮しました。闘いの音声はこちらをクリックしてみてください。それにしても牛とは久しぶりの再会でした。牛の鳴き声、匂い。涙が出そうになるほど懐かしかった。

 山古志では、東竹沢にも行ってきました。ここは私の後援会員である細井孝さんが小学校の校長をしておられたところです。地震による地滑りで学校のそばにダムができ、大変な状況となっている様子はテレビで何度も見ました。ここへ行くと、中越地震がもたらした被害の大きさを目で確認できます。地震発生の時は「しんぶん赤旗」の配達中、大きな余震の時は役場の二階の事務室でした。激しい横揺れで味わった恐怖を思い出しました。

 夕方、家に戻ると旧上越市内の人から電話で生活相談が入っていました。生活相談に連休は関係ありません。お急ぎの相談はどうぞ遠慮なく、お寄せ下さい。


2009年09月19日

次男夫婦、1か月ぶりに帰省

 連休初日。次男が約1か月ぶりに顔を見せてくれました。「ただいま」この声を聞くとうれしい。一番喜んでいたのは母、あれ食べろ、これ食べろと声を掛け、朝作った得意の押し寿司をもたせました。もっともこれは、尾神に住んでいたことのある人が遊びに来るので、そのために作ったのですが……。私はというと次男の連れ合いに、家の近くにある野の花を教えてあげたり、イモゴ(山芋のツルにできる)を食べてもらったりと、私ならではの大サービスです。

 妻は次男夫婦とともに柏崎の実家へ行きました。次男の結婚式の時の写真などを両親に見せたかったようです。向こうで写真を広げていたら、柏崎の母が何を思ったのか、私たちの新婚時代の写真を持ち出してきて、次男夫婦に見せたそうです。まだ、私が体重58キロの時代の写真です。当時、髪はふさふさ、体はスマートでした。家に戻るなり「あんたって、やはり詐欺師だ」。「詐欺師」だと言う時はニコニコしていちゃ駄目さ。長年、頭を使えば、髪も減ります、ストレスもたまって太ります。

 きょうは「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達と生活相談でした。昨日に続いて、さわやかな秋の風が吹きました。いい風が吹き、青空も時々見せてくれるなかでの活動は気分上々です。2軒の読者のお宅でお茶をご馳走になり、おしゃべりを楽しみました。一人のお母さんが「今度はいい政治になるかいね」と言ったことをきっかけに民主党政権への期待と不安がいっぱいでました。最後は、良くなるか悪くなるかは私たちの頑張りで決まるということになりました。9月も下旬になるというのに、きょうはミンミンゼミの鳴き声が賑やかでした。でも、秋も進みました。ヤマザクラの葉が紅葉し始めましたから。

 市政レポート1415号、掲載しました。ごらんください。


2009年09月07日

滝沢氏の公開質問状と日本共産党の市民アンケート

 きょう、滝沢一成市議が「上越市トップを目指す3人への公開質問」の回答全文を公開しました。名乗りを上げている人たちがどんなことを考えているかについては、それぞれのみなさんがこれまで市民に配布してきたパンフレットなどでしか知り得ませんでしたが、今回かなり踏み込んで回答していますので、とても興味深く読みました。

 例えば、「13区の皆さんが『合併して良かった』と、こころから言えるのはいつですか?」という質問に対する回答。O氏は、「このたびの合併は、財政改革と地方分権社会に入った今、木浦市長・市議会並びに13区をはじめ市民の皆さんの優れた先見性・勇気・行動の成果であると高く評価しています」と答えているのに対して、M1氏は「そもそもこのような大合併は国の思惑通りの合併でありましたので時期尚早でした。しばらくは不満と絶望の時間が経過すると見て、私は一部の地域にブロック制を導入し、地域の特性を生かした市政運営システムを確立します」と答えています。そしてM2氏の回答は、「任期中に『合併して良かった』との評価が得られるよう誠意を持って努力します」。現在、名乗りを上げている人たちの考えの違いがわかって参考になります。全文はこちらをクリックしてごらんください。

 ところで、日本共産党上越地区委員会が8月にお願いした「市民アンケート」ですが、いま、急ピッチで整理作業を行っています。こちらは、上越市政についての市民のみなさんの考えや想いがたくさん書かれています。アンケート結果はまとまり次第、記述されたご意見も含め全体を共産党議員団ホームページ、日本共産党市議のホームページなどで公表することにしていますのでご期待下さい。私たちは、このアンケート結果を尊重して、来月の政治戦にどう臨むかを決定してまいります。


2009年08月31日

総選挙が終わり、9月議会始まる

 うつらうつらし、目を覚ましたら日本共産党の議席は9となっていました。自公政治への怒りが民主党への投票にという流れがつくられたなかで、よく踏みとどまったと思います。善戦と言ってよいでしょう。でも、もう1議席欲しかった。できれば、北陸信越ブロックの山口さんの議席を。人柄といい、論戦力といい、申し分のない人で、私たちの国政への願いをしっかりつないでくれる人でしたのに残念です。

 きょうから9月定例議会です。総選挙が終わった翌日から議会というのはつらいものがありますが、新潟県は国体がありますからしょうがありません。きょうは、市長の提案理由の説明のあと、総括質疑が行われました。08年度の決算を中心に、市の指定管理者に対するチェック機能、13区の地域振興事業の制度改正、病院の管理運営委託料に係る消費税問題などをとりあげました(画像)。いずれも質問3回という制約の中での追及でしたので、限界がありましたが、常任委員会での論戦につなげることができたものと思っています。この模様は明日、1日の夕方には上越市議会ホームページの議会中継でご覧いただけます。

 夜は地元党支部の会議に参加しました。みんな、選挙で頑張った人たちです。長丁場になった選挙戦を振り返りながら、感想を出し合いました。「支持拡大でもカンパ集めでもこれまでにない大きな取り組みができた。みんながよく頑張った」「大事なのはどんな情勢の変化があっても伸びることができる力をつけること。党勢と日常活動が大事だ」などの声が出ました。会議では、日本共産党中央委員会のホームページを開いて、選挙結果についての幹部会声明も読み合わせをしました。


2009年08月29日

明日は入れさせてもらいます

 行くところ、行くところ、「いよいよ明日だね。頑張ってくんない」と声をかけていただきました。一大政治戦を前にこれほど声をかけてもらったのは議員選以外では初めてです。70代のある女性は、「明日のことを考えるとワクワクしてくるわ」とも。事務所に戻ったら、また留守電が入っていました。こちらは80代の男性から。「ハガキいただきました。明日は入れさせてもらいます」。うれしいねぇ。残るはあともう一日、全力疾走です。

 市政レポート1412号、「春よ来い」107回「最後の手紙」を掲載しました。トップページからお入りください。


2009年08月28日

感動的だった兄と妹の握手

 久しぶりに議員団会議をやりました。9月議会の準備です。総選挙の投開票が行われる日の翌日から議会ですので、ぎりぎりのところで開催し、最低限必要なことだけ確認しました。決算議会なので、どういう視点で質疑をやっていくか、総括質疑を基本に説明し、話し合いました。わずか数時間の会議でしたが、4人の力を発揮するうえで役に立ったかなと思っています。

 午後からは地元に戻って後援会ニュース等の配布をやり、途中から街宣活動をやりました。今回も大勢の人たちが両手を振るなど応援してくれました。
 街宣をやっていて感動的だったのは、ある集落を走っていた時、ひとりの女性が道のそばまで飛び出してきて、旧三和村議と握手をした場面です。事情があって、生まれてまもなく別れ別れに暮らすことになった妹と兄です。妹の姿を目にした兄は、すぐに車から降りました。今度のたたかいでは、まだ一度も会っていなかったこともあって、ふたりの握手は力が入っていたように見えました。二人が交わした言葉は聞き取れませんでしたが、ほんの一分ほどの再会、この握手が兄をどれほど元気づけたことか。

 夕方は「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金、そして最後のお願いでした。「もう入れてきたよ」と言う人がふたりもいて、びっくりしました。期日前投票はいままで以上にたくさんの人たちがされたようです。家に戻ったのは7時過ぎ。留守電には激励電話があり、新潟県委員会経由で支持・応援カードもFAX送信されていました。すぐ、電話を入れてお礼を言いました。


2009年08月27日

頑張ってください。応援していますから

 こちらから声をかける前に相手から応援するよと言われるのはうれしいものです。

 後援会ニュースを配布していたら、元教員の方から、「頑張ってください。応援していますから」と言われました。この方の、いまの政治に対する一番の怒りは後期高齢者医療制度です。「年寄りをバカにしている政治はだめだ」「保険料が天引きされるたびにカチンとくる」。ぜひ支持を広げてくださいとお願いしました。

 夕方、市政レポート印刷用のコピー用紙を買いに出かけました。レジのところで、専業農家の人とバッタリ出会いました。久しぶりの再会でしたが、「たいへんだね。頑張ってくんない」と良い表情で声をかけてもらいました。まわりにいろんな人がいるにもかかわらず、遠慮なく、声をかけてくださる。これは本物です。農家の方々は日米FTAに関する民主党の対応に不安を持っていますね。

 ここ数日、こうした反応が続くのは、ハガキやビラなどが届いているからでしょう。このチャンスに支持のお願いを強めなくては!


2009年08月26日

反応びんびん、休憩時間をとるのも忘れた

 朝8時から半日、宣伝カーに乗り込みました。窓は全開です。流れ込んでくる風はじつにさわやか。そしてきょうは、市民の皆さんの反応も上々でした。

 予定は党地区委員会からスタートして大潟、柿崎、吉川、頸城の各区を回って街頭から訴えることになっていました。この地区は一昨日も回ったのですが、市民の皆さんの手の上げ方、目の表情が日増しに応援の意思を表すものになってきていることを感じました。

 後援会員の皆さんの中には、いつ自分たちのところに宣伝カーがやってくるのかと心待ちにしておられる方もあります。昨日、私の後援会事務局の人に「おらたり、いつ来るがだね」ときく人がいたというので、朝、その人の集落に立ち寄るおおよその時間を連絡しておきました。そしてほぼ予定した時間に行ったところ、驚きましたね。なんと、10数人の人たちが待っていてくれたのです。急遽、そこで予定外の街頭演説です。「どの党が政権につこうとも、良いことは良い、悪いことは悪いとがんばります。大企業などに気兼ねすることなく、国民こそ主人公の立場を貫いてまいります」と言うと、一斉に拍手がありました。きょうは、どこで訴えても反応がビンビンと返ってきて、休憩時間をとるのも忘れるほどでした。

 きょう、宣伝カーの乗員の皆さんが何度も繰り返し発した言葉は「反応、良いね」でした。良い反応を支持に固めていく活動を急がなければなりません。


2009年08月25日

おら、もうこんだ、共産党だわね

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 きょうの私の一日はなかなか予定通りにいきませんでした。「まずは党地区委員会に寄って選挙ハガキを出す」。ちょっと寄って、すぐに移動するつもりが1時間以上もかかってしまいました。ハガキの裏面に「私からもお願いします」という欄があって、そこが空欄だったのです。このままじゃ失礼だと、ボールペンでせっせと私の名前を書きました。

 市役所では総括質疑のヒアリング、いわゆる質問取りです。担当課などが答弁書を用意するために、通告者から通告内容の趣旨をきくというものです。これも午前で終わらせて地元へ帰る予定でしたが、そうはいきませんでした。今回の質疑では初めて代表監査委員に答弁者になってもらいます。監査の仕組みなどある程度分かっているつもりでしたが、まだまだ勉強不足で、こちらから質問することが多くなりました。その結果、ここだけで、1時間も費やしたのです。そして、直江津図書館・社会教育館整備問題では、質問の主たる相手を市長にするか教育長にするかでなかなか整理がつかず、これもかなり時間を要してしまいました。結局、ヒアリングが全て終わったのは午後1時半でした。

 地元に帰ってやりたかったのは後援会ニュース配布です。からっとした天気のなかで尾神岳や米山がとてもきれいでした。何枚かの写真を撮ってから、一年以上ご無沙汰している地域に入りました。何人かの人と久しぶりの対話です。話がはずんだのはいうまでもありません。あるお母さんは、いきなり、「あらまあ、おまさん、じきじきに来てくんなったがかね」「おら、この間、年金から1万円もひっこくられた。もうこんだ、共産党だわね」。それから医者通いの話から年金、福祉と切れ目なしでした。こちらの活動も予定よりもはるかに時間オーバーしましたが、うれしかったですね。

 上の写真は吉川区下町で撮ったもの。酒米、五百万石の収穫はもうすぐです。


2009年08月23日

山間部などで訪問活動

 ラストサンデー。地元支部の仲間たちとともに後援会ニュースの封筒入れ、ラベル貼り、配布活動など一日中忙しく動きました。外で動いていても、きょうは秋のような風が吹いていて気持ちが良かったです。

 お昼過ぎにパソコンを立ち上げたところ、新潟代表の日本文理が2-0でリードしています。夢のような話です。そして、ひと回りしてきて、もう一度パソコンで見たら、すでに決着がついて勝利していました。雪国、新潟の代表が決勝進出、これは快挙です。たいしたもんです。これで明日は午後1時から決勝に臨むことになりますが、この勢いからすると優勝する予感がします。

 きょうは山間部などで100軒ほど訪問、後援会ニュースの配布をしました。久しぶりに会った人も多く、父の最期の様子をたずねてくる人、「レポート、毎回楽しみに読んでます」と励ましてくださる人、ずばり「応援してますよ」と言ってくださる人などがいて、ずいぶん時間がかかりました。
 山間部は高齢化が進み、急に家の灯が消えてしまうこともあります。高沢入のYさん宅では、先日、Sさんが88歳で亡くなりましたが、その後、お連れ合いも体調を崩され入院、留守になってしまいました。150メートルほど離れた家に住んでいる人は、「いつも夜になるとトイレの豆電球の灯りが点いていたのに見えなくなって、こんなに寂しくなるとは思わなかった」と言います。一軒、また一軒と減っていく山村集落に温かな政治の光をあてたいものです。

 市政レポート1411号、掲載しました。トップページからお入りください。好評の「上越市内の橋」シリーズ、今回は大島区板山の不動尊の近くの木の橋をとりあげました。


2009年08月22日

山村交流で実った恋

 自公政権を退場させる日まであと8日。きょうは大勢の人たちがビラ折り、配布などの仕事に精を出しました。私も「しんぶん赤旗」日曜版の配達後はみんなと合流しました。大勢で賑やかにやるのは楽しく、いいものです。

 午後3時からは川谷地区運動会、法政大学結い(ゆい)祭りです。曇り空で暑くなく、ちょうど良い天気。旧川谷小学校グランドには地元の住民、法政大学の学生とOBなどが集まり、すっかり定着したボードレース、ビン釣り、玉入れ、輪投げ、早くいっぱいレースなどを楽しみました。
 初めて参加した人たちが「どんな競技だろう」と関心を寄せる種目は、今年もビン釣り競争でした。きょうのビン釣り競争では山賀源市さんや松浦隆司さんなど地元の参加者が苦戦、初参加組が健闘しました(画像)。おもしろいものですね。来賓参加とはいえ、私も「補欠選手」、石谷・名木山チーム、岩野・川谷チームのメンバーが足りない時にはすぐ声がかかります。きょうは4種目に参加しました。

 運動会の反省会、そして法政大学結い祭はいつもと同じく楽しい交流の場となりました。主催者の人たちからは「一番忙しい時なのに悪いねぇ」と言われましたが、「こういう中山間地など一番困っている地域の人たちと心を一つにすることが大事。あっちの方(選挙)も頼むよ」とお願いしました。
 さて、きょうの結い祭でうれしい報告がありました。数年前に法政大学の学生として川谷地区にやってきて、大学を卒業してもずっと運動会やサイの神行事などに参加してくれた小林朋生さんと一恵さんが今年の5月に結婚したというのです。川谷地区との交流のなかで愛を育み、実らせたことから、きょうの結い祭では二人の結婚式の様子がスライドで紹介されました。それだけではありません。みんなの前で、大きなお盆に山盛りの赤飯をしゃもじカット(ケーキカットではなく)して(画像)、参加者にふるまわれました。さらに、祭りの終わりには結婚記念のタオルも(画像)。朋生さん、一恵さん、良かったね。

 もうひとつ、小林朋生さんは、毎回、結い祭でじゃんけんゲームを取り仕切っています。今回も法政大学の名前入りのバスタオルや湯飲みなどをゲットしようと全員が参加してのじゃんけんが彼の進行で繰り返されました。そして、2Lのシャツをじゃんけんゲームで入手したのはなんと、なんと、私でした。オレンジ色で、「HOSEI」という文字が入っています。「私もホーセです。似合うでしょう」とお礼の挨拶をしました。最後の記念撮影写真(画像)ではこのシャツを着て、写っています。


2009年08月20日

これは宝だ

 市民本位の市政実現めざして日本共産党上越地区委員会がいま取り組んでいる市民アンケート。14市町村が合併して5年目に入っているなかで、市民の皆さんが市政の課題、合併後の市民サービスをどうみているか、「新しい市政の最高責任者」に何を望むかなどを探るものとして注目されています。きょう、上越地区委員会へ行ったところ、すでに500通を超えたアンケートの回答が地区委員会事務所に届いていました。お盆もあって、たいへん忙しい時期なので、寄せられる回答は極端に少ないかも知れないと思っていただけにこれはうれしいことでした。担当者によると、お盆を過ぎた頃から毎日のように回答がきているとのことです。

 アンケートの魅力は何といっても市民の皆さんの生のご意見やご要望を見ることができること。今回のアンケートには、「合併後の市民サービスについてどう受け止めていますか」「あなたは市政の新しい最高責任者に何を望みますか」という問いがあります。また最後に、「お気付きのことや、日本共産党へのご意見・ご要望など自由にお書き下さい」という欄もあります。文章を書いて回答していただく部分ですが、これらは特に見たくなります。

 到着日ごとに束になったアンケート回答(画像)をめくってみると、「懇談会など、各集落に出向いての説明会など、市民との直接的な(懇談の)機会がなくなった」「今後の国を支える〝子供たち〟、その子供たちを〝産んでもよいかなー〟とママが思えるような環境にしてほしい」「住民が、その日の暮らしに不安がなく、先の暮らしに明るさを感じるよう、常に気を配ってくださる人(から市長になってもらいたい)」などいっぱい書いてあります。

 私のそばにいた人も一生懸命読んでいます。「アンケート、取りくんで良かったね。こんなにたくさんの声が見られて」「これは宝だ」「問題はこれをどう生かすかだね」などと二人で話をしました。すでにかなりの数の回答を読んでいる地区委員長もアンケートの回答にいろんな声が寄せられていることに注目して、ニコニコ顔でした。お寄せいただいたアンケートの回答は膨大なものとなります。まとめの作業は時間がかかるので、すぐにとはいきませんが、回答全文はホームページで公開する予定です。お楽しみに。


2009年08月19日

弱い者を苦しめて強い者を助ける政治なんかいらない

 きょうは日本共産党参院国対委員長の井上さとしさんが上越市にやってきて街頭演説を行いました(画像)。この人の話はいつ聴いてもわかりやすく、元気が出てきます。きょうの街頭演説会については上越市北部の党組織には参加要請はありませんでした。参加要請がなくても聴いてみたくなるのが井上演説です。聴衆の中には吉川区だけでなく、頸城区などから参加した人の姿もありましたね。

 井上さんのきょうの演説は、2日ほど前に行われた党首討論の中身から入りました。これまでの党首討論は現在の政権を担っている党首に質問が集中するんですが、今回は違った。民主党の鳩山代表に次々と質問が出たと紹介しました。国民の関心も政権が交代した後の政治がどうなるかに関心が向いてきていることの表れです。そして、新しい政権のもとでどういう政治をつくっていくか、「ルールある経済社会」「憲法9条を生かした自主・自立の平和外交」の話、さらに日本共産党の役割・仕事へと展開させ、日本共産党の躍進の必要性を浮き彫りにする。いい話でした。

 演説の途中、そばにいた上野市議が持っていた紙袋の一部をちぎってもらいました。上野市議も私と同じことを考えていたようで、「いまのフレーズ、メモするんでしょ」。私がボールペンで紙に書いた言葉は、「医療に格差をつくってはなりません」「弱い者を苦しめて強い者を助ける政治なんかいらない」「日本共産党が国民の願い実現の推進力となる」です。ひとつの演説の中にメモをとりたくなるような言葉がいくつも出てくる。井上さんの演説のフアンが増えていくのもうなづけます。

 もうひとつ。井上さんは、きょうだけでも10数回は演説をしているのでしょうが、まったく疲れを感じさせませんでした。明日は私も宣伝カーに乗ります。しっかりと水分補給をして頑張らなくては。


2009年08月18日

御舘公園へ

 いよいよ総選挙の公示となりました。各社世論調査を見てわかるように政治の大きな転換が起きること必至です。この転換で、どういう政治の形ができるのか。アメリカの顔色を常に気にし、大企業・大資産家を優遇する政治はもうごめんです。何よりも若者がまともな形で仕事に就けるルールをつくってほしい。高速道路よりも医療や介護で苦しんでいる人たちを優先してもらいたい。日米貿易協定などで日本農業をぶっ壊すことがないように。公示日の各党首の第一声を聴きながら、改めて日本共産党の役割が大事だと感じました。

 朝早く市役所へ行き、それから御舘公園へ。天地人で紹介された「御舘の乱」の主要舞台のひとつです。ここで行われる第一声を聴きに行ったのです。じつを言うと、国政選挙での第一声を生で聴いたのは今回が初めて。いつも地元で一時も早くポスターを張ろうと頑張り、遠くまで出かけて第一声を聴くことはなかったのです。この場で日本共産党上越地区委員会の阿部正義委員長は、今度の選挙は、自公政治にさよならし、国民が主人公の政治をつくるたたかいだと訴えました。政権交代がほぼ確実となっている中で、大企業・大資産家優遇政治にメスを入れることができるかどうか、日米貿易協定推進や衆議院比例定数の大幅削減など誤った政策に待ったをかけることができるかどうか。これらは日本共産党が躍進できるかどうかにかかっています。

 きょうは猛烈に暑い日でした。ポスターの裏面にセメダインを塗り、掲示板には、念のため画鋲でとめたのですが、背中は汗びっしょりとなりました。事務所に戻ってからは、後援会ニュースを配布するための準備です。お盆の最中に壊れた印刷機も修理してもらいましたので、風が入るように窓を開け、扇風機も回して印刷作業をやりました。


2009年08月17日

ベクトルは上向きです

 きょうは新潟市で県党議員会議でした。明日の公示を前にしてみんなが心を一つにしてがんばろうと、急遽、開催されました。上越市議団は平良木議員の車に乗せてもらって、出かけてきました。お盆前から4人そろうことがなかなか難しく、団会議も開けなかったのですが、きょうは久しぶりに全員集合です。これまでのたたかいでのエピソードなどを出し合いながら楽しく行ってきました。

 会議では県委員長の報告、河邑幹部会員の発言のあと、諸橋長岡市議など6人の議員の先進的な活動報告を聴き、学びました。同じ党員でもみんな個性があって、話し方も様々です。小山新潟市議は、秋葉区のおけるたたかいでは事務局長として頑張っていますが、「みんなで活動する」「みんなで頑張る」ことを重視した結果、同区での活動は広がり、支持拡大の目標が見えるところまで前進してきたそうです。小山市議の言葉を借りれば、「ベクトルは上向きです」。そして事務局長としての任務は弁当の手配が中心となっているので、「私は弁当屋さん」だと言って笑わせていました。いつも決意をみんなの前で披露し、それを確実に行うことで評価の高い渋谷新潟市議は、今後、投票日まで毎日300軒を目標に歩きまわると宣言しました。相変わらず、すごい。

 明日、総選挙が公示されると、このホームページ、ブログでの選挙報道は公職選挙法で一定の制約があります。まわりくどい文章になったりするかも知れませんがお許しください。本当は、候補者同士の論戦の模様などを生々しくお伝えできればいいのですが。早く、公職選挙法を改正してほしいものです。


2009年08月14日

わが家の印刷機はいよいよ限界か

 「あと80枚ほどで日曜版折り込み分の印刷は終わり」というところで、印刷機が突然止まってしまいました。どうもヒューズが飛んだらしい。このところ調子が悪いわが家の印刷機も使用限界かもしれません。こうもトラブルが続いたんではまいります。修理を頼むにもお盆休みで駄目。結局、市政レポート最新号の残りの印刷は上野議員のお店でやらせてもらいました。

 市政レポートの印刷が終わってからは、「しんぶん赤旗」日曜版のポストおろし、配達、盆礼まわりで夕方7時まで動きました。初盆だということで、お参りに来て下さる方の数はいつものお盆よりかなり多くなっています。父も喜んでいることでしょう。明日は親戚の法要です。次男が帰省していますが、この調子だと、一緒に食事もすることなくバタバタとお盆が終わってしまいそうです。

 市政レポート1410号を掲載しました。ごらんください。


2009年08月13日

もうススキの穂が

 青空は昨日一日だけだったのでしょうか。この夏はいい天気がなかなか続きません。

 きょうからお盆です。わが家は初盆ということもあって、2日ほど前からお客が続いています。しばらく会うことのなかった従弟も来てくれました。この春から橋爪一族は父を含めて4人が亡くなりました。家にいてお客を応対するのは母などにまかせ、私は親戚へ出かけお参りするようにしています。

 わが家のお墓は20数年前まで住んでいた尾神字蛍場にあります。車で10数分です。きょうは朝のうちに花たてやロウソクたてをもって墓場まで行き、花を入れ替えてきました。昨日、気がついたのですが、すでにススキが穂を出しています(画像)。それにミンミンゼミがとても賑やかでした。お盆にミンミンはよく似合いますね。

 今年のお盆は総選挙直前です。時間を作っては後援会ニュースの配布の準備などをしています。


2009年08月12日

真夏の火事にびっくり

 梅雨明け宣言後初めてと言ってよいでしょう、真夏の太陽が照りつけ、気温はぐんぐん上昇しました。

 朝8時過ぎ、そろりと家を出ようかという時間に原之町で火災発生という連絡が入って、現場に急行しました。火災はSさん宅の作業場です。わが家から2分ほどでしたので、到着した時は煙が高く上がり、その後、赤い炎がグワッと広がりました。すぐそばの住宅に移りはしないかとひやひやしましたが、頸北消防署、消防団がくい止めました。現場のそばのガードレールは熱風で熱くなり、一時、触れませんでした。放水を受け、作業場から市道へ流れ出た水は水というよりも熱湯でした。指を入れることができませんでした。

 お昼過ぎからは10日に亡くなったNさんの葬儀です。Nさんは元酪農家です。酪農組合のまとめ役としてよく仲間の面倒をみてくださった人でした。30年ほど前、私が牛舎で病気を出した時にはすぐに駆けつけ、仕事を手伝ってもらいました。妻が勤務先から戻ってきた時、Nさんは、「かあちゃんが来れば治る」と言って、布団に入って寝ていた私を励ましてくれたものです。この時の話は『幸せめっけた』(恒文社)にも書きました。酪農をやめても時々わが家の牛舎にやってきては牛たちの様子を見に来て下さいました。根っからの牛飼いでした。行年77歳。Nさん、父に会ったら、おまんちの家族はみんな元気だと伝えてくださいね。

 午後からは3時間ほどかけて選挙ハガキを出す対象者名簿の整理をしました。亡くなっている人、入院した人、介護施設に入った人などがたくさんいるのにはびっくりでした。整理が何とか終わって、夕方から宛名を書いてくださる人へハガキを渡す作業を始めました。お盆休みとはいえ、仕方がありません。「もう少しがんばればよかった。惜しい結果だった」ということにならないように、みんなで頑張りたいと思います。

 トップページの写真、入れ替えました。稲の穂がはっきりとわかるかと思います。ごらんください。


2009年08月11日

議会基本条例検討委員会など重要会議が連続

 朝から夜まで3つの重要な会議が続きました。中山間地対策特別委員会、議会基本条例検討委員会、総選挙決起集会です。

 中山間地対策特別委員会は条文案を持ち寄っての話し合いです。私の所属する分科会の担当は前文と目的、いまひとつの分科会は2条以下全部ということになっていました。これまで数回やってきた話し合いでのキーワードを思い浮かべながら、条例全体がどうなるかにも目を配りつつ、まとめていく。なかなかむずかしいですね。きょうの会議で前文については3つの案のいいところをとってひとつにしぼるよう求められました。なぜ中山間地振興条例(仮称)を制定するのか。よりわかりやすく、条例の全文を読んでみたくなるような前文に仕上げてほしい。この宿題は重い。

 議会基本条例検討委員会。きょうは各章の名前を決め、その中に盛り込む条項の検討作業を全員で行いました(画像)。約2時間にわたる会議の中で一番盛り上がったのは、「市民と議会の関係」という章のなかに「議決責任」を盛り込むかどうかでした。議会基本条例に「議決責任」を最初に書き込んだ会津若松市議会は行政に執行責任があるように議会には議決責任があるとしています。議決にあたっては、与党だから、野党だからと簡単に態度を決めない。市民にきちんと説明できるように責任を持つ。これは重要ですが、どういうかたちで、どこまで責任を持つのかという点はまだ検討が必要だということになりました。

 きょうの議会基本条例検討委員会では市民の傍聴もありました。2つの委員会を終えてから思ったのは、条例原案がまとまってから市民のみなさんの声を聴いて案をまとめることも大事だけれども、条例の制定過程を伝え、意見や注文をもらえるようにする工夫が必要だなということです。きょう、検討した条項で言えば、「広報広聴」という分野です。委員会に提出された資料や会議録を回ごとに市議会のホームページに載せていく。最低限、これはやるべきかと思います。

 夜の総選挙決起集会はお盆前にもかかわらず、大勢の人たちが参加してくださいました。志位委員長の報告をDVDで視聴し、地区常任委員が方針提起。選挙ハガキ大作戦、後援会ニュースの活用などたくさんの課題が出されました。ひとつひとつの課題に取り組むにしても、パソコンなどで行う実務をちゃんとやらないと前に進みません。がんばらないと。


2009年08月09日

地元町内会で草刈り

 お盆前にきれいにしたいところは墓場だけではありません。家の中と外、神社境内、集落内の道路と水路もそうです。

 きょうは地元町内会の草刈りが行われました。朝は7時半から。町内会で都合のついた28人が草刈機を持って参加、ため池の土手、遊歩道、水路、集落内の字道などの草刈りをしました。あいにくの雨でしたが、草刈りの時はお天道様がカンカン照りするよりもありがたい。でも30分くらい仕事をしただけで汗びっしょりとなりました。遊歩道ではミソハギが咲いていました。秋になって咲くリンドウも沢山あります。なるべく切らないように気をつけながら草刈りを進めました。

 草刈りが終わったのは午前10時過ぎ。町内会の会館で懇親会がありましたが、きょうは午後から総選挙に向けた統一行動があるのでガマン、500ccの缶ビールを一本もらって帰りました。午後からは「しんぶん赤旗」の集金とビラ配布でした。久しぶりに訪ねた集落だったこともあって、「今年は初盆でいそがしいだろね」「(共産党の)みなさん、いつも一生懸命なので感心していますよ」などとたくさんの声をかけていただき、対話がはずみました。

 夜、「東本願寺の至宝」というタイトルのDVDを観ました。真宗大谷派のある寺院のご住職からいただいたものです。今春、初めて東本願寺を訪ねていたので、興味深く観させていただきました。この映像の中には明治16年3月12日に発生した尾神岳での遭難事故のことも入っていました。おそらく、今年の3月の報尽碑のお参りのときのものでしょう、知っている人が何人もいてとても身近に感じました。


2009年08月08日

前文(案)の検討

 また、朝の発信となりました。深夜に頑張って原稿を書くことがなかなかできなくなってきています。

 昨日の午前は中山間地対策特別委員会の打ち合わせでした。中山間地振興条例(仮称)の前文と目的の(案)を作成することを要請された委員、3人でそれぞれ案文を持ち寄り検討しました。条例制定の趣旨や目的をわかりやすくまとめようと思っていたのですが、3案とも持ち味があって捨てがたく、他の委員に意見を聞くことになりました。中味をちょっぴり紹介しようと思っていたのですが、資料を市役所に置いてきてしまいました。

 午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達と市民アンケートなどの配布です。雨が降っていて、はかどりませんでした。一昨日が広島への原爆投下の日だったこともあって、二人の人から1945年5月の直江津空襲の日の出来事を教えてもらいました。原之町に住んでいた一人の方は、爆撃機は尾神岳の方までいったん行き、そこから直江津に戻って爆撃したといいます。その日のことをよく憶えておられるのでびっくりでした。

 夕方、雨が上がって尾神岳の姿がきれいに見えました(画像)


2009年08月07日

総選挙本番前の打ち合わせ

 市役所からの発信です。昨日は新潟6区内の日本共産党議員、代表者が集まっての打ち合わせでした。上越市、糸魚川市、妙高市、十日町市、津南町のメンバーが一堂に会しての活動報告、意見交換、そして総選挙本番に向けての方針の確認です。いずれのメンバーも地方選で躍進し、これまでになく勢いがあります。これまで入会してもらった後援会員数は得票目標を越えています。これに自信を持って、みんなで頑張れば躍進できると思いました。それにしても十日町市の村山市議の話、いつも心に響きます。6区内の他地域の組織に負けないでがんばらなくては。

 休憩時間にはいろいろな情報交換ができました。十日町市松之山の仲間の情報によると、同地区内の田んぼは標高400から500メートルくらいのところが相当あるといいます。冷夏の影響、とくに先日の低温が響かなければいいがと心配しておられました。梅雨が明けたといってもパッとしない天気が続いていますので、早くスカッと晴れた日が続いてほしいものです。

 ところで、5日の街頭演説会で弁士を務めた衆院比例北陸・信越ブロックの中野さなえさんにメールを送ったら、さっそく返信をもらいました。そのなかで、上越のみなさんから温かく迎えてもらったと感謝の言葉がありました。そして、もうひとつ、私のHPに掲載している野の花の写真をときどき見ていてくださるということも書いてありました。うれしいですね。じつは、この中野さん、花の絵がとてもお上手なのです。中野さんのHPにはギャラリーもありますので訪問してみてください。

 


2009年08月05日

街頭演説会と囲む会と

 梅雨が明けたというのに、どんよりとした雲。きょうは一日中、むし暑い日となりました。午前は地区委員会から急遽依頼された文書の印刷で約3時間汗をかきました。お陰様で印刷機は何とか復旧できたのですが、いつこわれるか心配しながらも無事印刷を終えることができました。私の事務所の印刷機は購入してから6年目、これまで220万枚を超える印刷をしてくれています。

 さて、午後からがたいへんでした。2会場で「橋爪法一を囲む会」を開催しましたが、この間に直江津での街頭演説会をはさんでいます。最初の会が終わって車を走らせ、直江津へ。かに池公園前の街頭演説で車の上にのぼったのは初めてです(画像)。夕方ということもありますが、すごい車の数でした。今回の弁士は橋本正幸さんとのっぴきならない用ができた山口のりひささんに代わって比例代表の中野さなえさんが務めました。中野さんは国政選挙は何回か立候補されています。「自公政治のお年寄りいじめには義も愛もありません」との訴えには優しさとともに力強さを感じました。街頭演説会後、再び車で移動、二つ目の囲む会の会場へ行きました。夕食は車中でのおにぎり3個。終わって家に戻ったら、9時前になっていました。

 囲む会は、総選挙が近い中での開催です。市政と国政の関係に触れながら話をさせていただきました。そのせいか、懇談のなかでは、「身近な公共事業の中にもこれでいいのかと疑問に思うケースがある。無駄をなくして介護や医療にカネを回してほしい」「国保税が昨年より倍になって、びっくりして市役所に連絡した。もし下がらないようだったら助けてもらいたい」などといった発言が相次ぎました。

 今回、囲む会でスライドに採用した野の花は3日に撮影したばかりのツリガネジンジンです。「これって、何の花?」と訊かれたので「ノノバですよ」と答えたら、「こんなにきれいな花があるんだ」とみんなびっくりした様子でした。今回も、野の花は好評でした。


2009年08月04日

5日午後5時半から街頭演説会

 ようやく本格的な夏になりました。こちら新潟も梅雨が明けたそうです。午前中は首にタオルを巻いてビラ配布、午後からは会議の連続でした。行動中、介護問題などで生活相談が2件寄せられ、その件でも動きました。

 お知らせを二つ。

 明日(5日)は午後5時半から、上越市のジャスコ近くのかに池公園前日本共産党の街頭演説会です。新潟6区の橋本正幸氏と比例北陸信越ブロックの山口のりひさ氏が訴えます。お近くの方はぜひお出かけくださいますようお願いします。

 先日の越後よしかわやったれ祭りの写真、数枚と若干の説明文を日本共産党文化後援会に送ったところ、文化後援会のホームページの「季節の風景」に掲載していただきました。写真はスライドショーでご覧いただけます。訪問してみてください。
 
 


2009年08月03日

橋本さんと街頭から訴え

 久しぶりに青い空を見ました。空気もじつにさわやかです。きょうは午後から衆院新潟6区予定候補の橋本正幸さんの宣伝カーに旧大潟町議会議長の後藤紀一さんと乗り込み、街頭宣伝に出ました。

 宣伝箇所は吉川区、柿崎区、大潟区。選挙になれば時間に追われてなかなか入れない山間部を中心にまわりました。月曜日は病院通いの人が多く、外には人はいないのではと思ったのですが、みんな働き者ばかり、畑仕事、田んぼの草刈に精を出す人がたくさんいました。柿崎区の山間部では共産党の宣伝カーが入ったのは県議選以来です(画像)。手をあげてくださる方が何人もいてうれしかったですね。橋本さんもこうした激励に気を良くして、演説にも力が入っていました。写真は黒岩で撮ったもの。雲がかかっている山は米山です。

 柿崎区の旧下黒川農協前の空き地での街頭演説。橋本さんは、いま話題となっている日米自由貿易協定(FTA)に言及。民主党のいうFTAによって米国の安い農産物が日本の市場に流入すれば、米や牛肉などの価格の暴落は避けられず、農業に壊滅的な打撃を与えることは必至と訴えました。そしてこの問題で自民党が批判をしていることについてもふれ、「そもそも今の食料自給率を40%まで引き下げた根本原因は農産物自由化方針をとってきた自公政治にある」とのべました。

 事前連絡なしの演説にもかかわらず近所の人たちが聴き入り、通行中の人たちが手を振ってくれます。後藤さんは「車を運転している人の2人に1人は手をふってくれた。この反応の良さはなんだろう」と言っていました。演説を聞いていたお母さんが最後に言った言葉は、「もう自民党じゃ駄目さね」でした。


2009年08月02日

ツリガネニンジン咲く中、選挙準備

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 午前中、党支部のみなさん、後援会のみなさんと市民アンケート配布の準備作業に精を出しました。アンケート用紙と返信用封筒をホッチキスで閉じる単純作業でしたが、2時間ほどかけて、総選挙の動き、市長選の動きなどを語り合いながら楽しくやりました。

 午後からは「しんぶん赤旗」の集金、後援会員のところへの訪問活動でした。総選挙が近づいてきて、皆さんの関心もかなり高まってきた感じがします。「おまんたに頑張ってもらわんと、これからは暮らしていかんねくなる。市長選も衆議院も頑張ってくんない」と励まされました。山間部では、私が大好きな夏の花、ツリガネニンジン(上の写真)とソバナ(画像)が咲いていました。


2009年08月01日

また、印刷機トラブル

 また、朝の発信となりました。昨日は予定が次々と狂い、パニック状態になってしまいました。

 最大のきっかけは印刷機のトラブルです。まず、市政レポートの印刷で思うように印刷できなくなり、「しんぶん赤旗」日曜版の配達のスタートが1時間以上も遅れました。印刷機のトラブルはこの時だけではありませんでした。午後、市長選の対応で動いて、私の事務所に戻って別のチラシの印刷を始めました。1万枚印刷予定のところ、6000枚ほど印刷したところでまたトラブルが発生、まったく印刷できなくなりました。業者と連絡がとれたのは午後6時過ぎ、器械が元に戻るのは早くて来週の月曜日とのことです。

 というわけで、印刷できずじまいとなった市政レポートは上野市議のお店まで出かけ、午後7時15分頃までかけて印刷しました。地区委員会から頼まれた印刷物の残り約4000枚は月曜日以降の印刷となります。

 昨日は総選挙関係の会議も夜遅くまで行われました。新潟6区の予定候補の橋本正幸さんもフル回転です。きょうから、街宣、ビラ配布、会議といままで以上にハードなスケジュールとなります。

 きょうは「越後よしかわやったれ祭り」の日です。このまま雨が降らないでいてくれればいいのですが。


2009年07月24日

きょうも橋本さんとともに街頭演説

 なんということでしょう。マイクを持って1分も経たないうちに声がかすれてしまいました。新潟6区から立候補予定の橋本正幸さんと街頭演説を始めた時のことです。22日の総括質疑の時にも声が出なくなり、かすれ声になる場面がありましたが、声が出ないのは頭の回転の鈍さからきていると思っていました。どうもそれだけではないらしい。以前、医者にかかったことのあるのどが具合悪くなったのかもしれません。マイクの調子が悪いときのしゃべりにくさと同じように声がでないときも切ないですね。来週、また、医者へ行ってこようかと思います。

 橋本さんは解散後、ますます気合が入ってきました。きょうは午後から、頸城区で上野議員と交替して宣伝カーに乗り込みました。吉川区では外仕事をしている姿の見える集落を中心に街頭演説です(画像)。私は途中でペットボトル入り飲料を購入し、水分補給しながら軽いスポット流しと街頭演説の司会役をつとめました。久しぶりに私たちの姿を見て手を振ってくれる人がいたり、暑い中、ずっと聴いてくれる人が何人もいる。こういう姿を見ると元気が出てきます。よし!この調子、この調子!


2009年07月20日

後援会ニュースの配布、集金

 案の定でした。後援会幹部の人から「橋爪さんがニュースを配りに行くと生活相談が次々と寄せられて配布は進まないよ」と言われたことが現実となったのです。きょうは午前中、2組に分かれて後援会ニュースの配達をしました。私はご無沙汰している集落を選んで出かけたのですが、雇用問題、生活資金対策等で相談を持ちかけられました。若い人たちのなかに生活苦が広がっていることを改めて確認できましたが、本当に深刻です。

 午後からは「しんぶん赤旗」の集金活動と総選挙での支持のお願いです。ここでも相談が寄せられました。「自分の家のことではないが、ぜひ相談に乗ってやって」と頼まれたのは多重債務問題です。この種の問題は金を借りる人の生き方そのものを直していかないと立ち直れないケースをいくつも見てきました。問題を抱えている人は私よりもはるかにいい車に乗っている人なので、気になります。

 夜は明日の衆議院の解散に備えて、支部の仲間たちと明日以降の取り組みについて話し合いました。宣伝物も次々と到着しています。やるべきことがいっぱいあるなかで元気に頑張るには手伝ってくださる仲間を増やすこと。臨時議会が終わったら、後援会員のみなさんにもお願いして頑張ろうと思います。


橋本予定候補も力強く訴え

 昨日は午後から上野公悦市議の後援会主催の焼肉を食べて語る会に参加してきました。あいにくの雨でしたが、3つのテントの中に70人近い人たちが入ってとても盛り上がった集いとなりました。

 焼肉を食べて語る会には私と橋本正幸衆院新潟6区予定候補が来賓として招かれました。上野市議がコンパクトに市議会報告をし、私が一言挨拶。その後、橋本正幸さんが5分ほど訴えをしました。橋本さんの話は三和村議時代から何回も聞いてきましたが、庶民の立場に立って静かに丁寧に語るところに特徴がありました。きょうの訴えを聴いていたら、それに力強さがプラスされていました。今度の総選挙では自公政権を退場に追い込む。それを決定的にするのも、退場後の政治の中身を国民本位に変えていくことができるかどうかも日本共産党の前進にかかっている。ぜひ大きなご支援を。橋本さんの訴えを隣でほれぼれとして聴きました。

 会場では多くの後援会員さんたちと懇談しました。話題は身近な市政のことから総選挙のことまで広がりました。これまで、どちらかといえば、政党は関係なく上野さんを応援しているという人たちが多かったのですが、話をしてみると、国の政治を変えなきゃだめだという人が多くなってきています。日本共産党の役割、国会での仕事を大いに語っていけば伸びると感じました。頑張らなければ。


2009年07月17日

幹部会声明

 私のパソコンが時々トラブルを起こし、市役所からの発信です。
 
 朝、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達をいまかいまかと待ちました。というのは、昨晩のうちに、都議選の結果を踏まえた幹部会の新方針が示されるという情報が入っていたからです。それが今朝の日刊紙に載ることになっていたのです。妻を柿崎駅まで送った後、直ちに読みました。新方針は幹部会声明という形で明らかにされました。タイトルは、「自公政権を退場に追い込む決定的な“審判”をくだし、新しい日本の進路の“選択”にふみだす選挙に」となっています。悪政と正面から闘う日本共産党を伸ばすことによって、「大連立」などによる延命も許さない決定的な“審判”を下す。自公政権を終わらせた後に、それに代わるどのような新しい政治をつくるのか、21世紀の日本の「進むべき道」についてもすっきりとした内容で示しています。リンクを張ってありますのでぜひ一読してみてください。

 きょうは市政レポートを作成しようとしたところ、これまでのファイルを開くことができなくなるなどのトラブルで半日がかりとなってしまいました。昨晩までは順調に動いてくれていたのに、どうしたのでしょうか。こまりました。連休中にまともな状態に復帰してくれればいいのですが。

 


2009年07月15日

戦没者追悼法要、そして党創立記念日統一行動

 午前の吉川区戦没者合同法要は原之町の福生寺で行われました。お御堂にさわやかな風が流れてくれればいいがと期待していたのですが、きょうはダメでした。午前から30数度の猛暑となりました。吹き出てくる汗をハンカチでぬぐい、ぬぐい、約1時間の法要です。この暑さにはまいりました。戦没者法要は今回で55回目になります。先の大戦などで、吉川区内だけでも440人が亡くなっていますが、参列者は高齢者が多くなっています。いまのうちに、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える努力をしておかねばならないと改めて思いました。法要が始まる前、市長と懇談する時間があり、市長選など選挙のことが話題となりました。

 午後からは柿崎区、吉川区で街頭宣伝行動でした。上野議員と一緒です。柿崎区での党議員の演説は久しぶりでした。市政の話ではなく、国政のことを訴えたのですが、握手を求めてくる人もいてびっくりでした。途中、平成の名水100選のひとつ、大出口泉水を訪れて水分補給をし、さらに演説を続けました。夕方の演説では、涼しくなってきたこともあって、演説を聴いていた人が次々と出てきて、まるで選挙の投票日前日のような雰囲気がありました。いまの政治を変えたい。日本共産党にがんばってもらいたい。その思いを感じることができました。


2009年07月05日

夏空のもとで

 地中にいるセミたちはどういうふうにして連絡を取り合っているのでしょうか。きょうは夏のセミがいっせいに鳴き始めました。鳴き声はこちらをクリックしてみてください。いよいよ、このジージーという鳴き声と付き合うことになります。

 きょうは日本共産党の全県統一行動日です。私たちの仲間たちは街頭から、地域から、国政を変えようと訴えました。私の地元の党組織や後援会の人たちも大勢が詰まり、後援会ニュース配布準備などで奮闘しました。私は午後から消防の市長点検があるため、午前中だけの活動です。「しんぶん赤旗」日曜版を配布しながら日本共産党への支持を訴えました。

 消防点検は市役所の春日野駐車場で行われました。吉川方面隊のみなさんも小型ポンプ操法に出場しました(画像)。今回は2番手。大滝方面隊長などとともに見学させてもらいました。きびきびした動作、スピード、いつもの練習通りに力を発揮できたように思います。出番がくるちょっと前、方面隊長は出場する団員の一人ひとりの肩にそっと手を乗せ、リラックスさせていました。さすがです。

 夕方からは原稿書きでした。今週は市議会の各常任委員会が相次いで視察に出るので、ビラ作りはいつもより早い出来あがりが求められています。明日までに2枚のビラを作らなければなりません。たいへんだー。


2009年07月04日

総選挙間近、たたかう仲間のドラマ

 総選挙近し。きょうの会議では、県内各地でのいろんなドラマを見聞きしました。

 自分の事務所のすぐそばのおじさんが自殺してしまった。S議員の言葉は少なかったのですが、経営難に苦しんだ上での「決断」だったことがうかがわれます。遺言は「返済をどうするかについてはS議員に相談してくれ」でした。長引く不況を打開できない自公政治を何としても変えねばという思いが伝わる発言でした。S議員は朝の街頭宣伝回数は誰にも負けないという人です。他党を寄せ付けない圧倒的な宣伝は学ばなければなりません。
 
 行ったことのないところ、これまで支持が少なかったところへもどんどん行く。昨日、粟島浦村へ行ってきた新潟1区予定候補の武田勝利さんの発言には勝利への執念を感じました。粟島浦村は前回、比例票はわずかに2票だったところです。131世帯全部に宣伝ビラを入れ、対話をしてきました。
 武田さんは、これまであまり交流のなかった様々な団体とも懇談を続けています。先日は建設業協会の幹部の皆さんとも懇談しました。協会の皆さんからは、「我々とゼネコンと一緒にしてほしくない」「共産党が河川改修で応援してくれているとは知らなかった」などと言われたそうです。各地の農業団体との懇談では、「ミニマムアクセス米はやめてほしい」と強く訴えられたとも。一致点での共同を重視していくことの大切さも浮き彫りになった発言でした。

 会場では阿賀野市の党委員会が作成したビラも配布されました。郷病院問題で市長に難癖をつけた「市長への辞職勧告決議」賛成勢力への反撃ビラです。病院の存続と救急医療体制の確立のためには市長も議会も市民も心を一つにしてがんばらなければならないときに「病院を政争の具にしてはいけない」と訴えています。注目したのは、病院経営の困難の根本にある政府の医療削減政策にふれている点でした。二回も閣議決定して医師養成数を削減する、公立病院にたいする地方交付税も1ベッドあたり74万2000円(97年)から48万9000円(06年)に大幅削減する。こうした医療政策を変えるためには総選挙で日本共産党を伸ばしてくださいと書いてありました。地域でのたたかいと国政を変える仕事を結ぶことはとても大事だと思います。

 きょうの会議で得たものは明日からの活動に生かしたいと思います。夕方、地元の仲間と連絡を取り、明日の行動計画について相談しました。がんばらなくては。


これから会議へ

 朝から蒸し暑いですね。二日続けて朝の書き込みとなりました。昨日は、市政レポート作成後、印刷。その後は「しんぶん赤旗」日曜版の配達、生活相談、総選挙対策会議と続きました。夜まで会議などが続くと、原稿書きは睡魔との闘いとなります。きょうはこれから新潟県内で総選挙勝利のための会議です。各地でがんばっている活動家のみなさんの経験をしっかり学んできます。続きは夜に。


2009年06月20日

8中総の学習会は3回目

 関西方面へ研修に行っていた次男が20日ぶりに家に戻ってきました。次男がいなくなって、「はらいね」と言っていた母はこの日を心待ちにしていました。玄関の戸を開けた途端に「〇〇ちゃんか」と母に声をかけられたとか。今朝、母が赤飯を炊いたのには理由があったんですね。勤務の都合で住所を移した次男は、明日からまたいなくなります。

 きょうは午前中に市政レポートの印刷、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をやり、午後から第8回中央委員会報告の学習会でした。支部では全党員に読んでもらおうということで、学習会を開いていますが、きょうで3回目になります。総選挙が間近になる中で、仲間たちも力が入ってきました。でも、きょうは暑かった。軽く30度を越えたのではないでしょうか。アイスクリームを食べながらの学習会になりました。

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達の途中、天気がよかったので、野の花や風景写真を何枚か撮りました。キオンとコシジシモツケソウとヤマアジサイの黄色、ピンク、青色の3つ色の組み合わせの写真をねらったのですが、2つしか入りませんでした(画像)。ウツボグサ、ミヤマヨメナ、イチヤクソウの写真も撮ることができました。「暇だねぇ」と思われる方があるかもしれませんが、こうした写真はチラシづくりに生かされるのです。

 市政レポートNO1402、それから「春よ来い」第105回「寄り添う」を掲載しました。トップページからお入りください。印刷して新聞に折り込んだものをかなり手直ししました。


2009年06月14日

第8回中央委員会の学習会

 午前中は友人のお母さんの葬儀に参列しました。ある議員が父親の時よりも母親の時がグツッとくると言っていましたが、どうもそうらしい。友人は喪主としてのお礼の挨拶の際、言葉を詰まらせました。普段、落ち着いて話をする人ですので、お母さんの思い出が急に浮かんできたのでしょう。亡くなったお母さんは、ここ一年ほど友人のお連れ合いから介護をうけながら暮らしておられました。会うといつも「ご苦労さんです」と声をかけてくださる、とてもやさしいお母さんでした。

 午後からは吉川区の山間部で市政レポートを配布しました。このところ、後援会の仲間から配布してもらっていたので、久しぶりに一人での配布です。「あらー、おまさんだね。ご苦労さん」「テレビで見たよ。ありがとね」などと声をかけてもらいました。
 山間部はいま、夏の花が次々と咲き始めています。ホタルブクロ、ヤマアジサイ、キオン、コシジシモツケソウなどがとてもきれいです。それと、きょうは美味しいキイチゴをたくさん採ってきました。私の近くにもあることはあるのですが、こんなにたくさんあるのはめずらしい(画像)

 夕方からは党支部の学習会です。先日、行われた第8回中央委員会の報告をインターネットで受信し、プロジェクターを使って大きなスクリーンに映して学びました。耳が遠くなった人も多いので、スピーカーもセットして聴いてもらいました。総選挙が近づいてきて、仲間のみなさんの表情も真剣です。視聴が終わってから、少し懇談しました。吉川発の「集い」が全国に広がっていることに確信を持ち、後援会ニュースの配布、支持拡大などで7月3日めざしてがんばろうと意思統一しました。市政レポートの配布の際、採ってきたキイチゴもみんなに食べてもらいました。


2009年05月18日

春ゼミが鳴く

 昨日と打って変わって五月晴れ。気温もどんどん上がりました。暑いから車の窓を開けて走りました。窓を開けておいたおかげで今年初めての鳴き声をキャッチできました。春ゼミです。吉川中学校下の信号機のところで車を停めていたところ、学校の土手の雑木林の中から聞こえてきたのです。時間的には12時35分頃でした。続いて10分後、今度は小苗代集落のはずれの山の中からセミの声が聞こえてきました。こちらは中学校下よりも近くにいたらしく、かなり大きな鳴き声でした。録音しましたので、お聴き下さい。こちらをクリックしてください。
 きょうは午前中に市役所で党議員団会議、午後からは「囲む会」でした。団会議ではいろいろな話をしたのですが、議会改革の先進例を学ぶために団としては初めて遠くへ出向いて視察を行うことにしました。総選挙の日程をにらみながら時期を決めていきたいと思います。「囲む会」は高齢者が多い集落でしたので昼間の開催です。中山間地対策の強化、県道の改修、側溝の安全対策などでいくつも要望が出ました。


2009年05月12日

ツツジが見頃

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写真は吉川区名木山のTさん宅に咲くツツジ。昨日、市役所でツツジの見事な開花に見とれ(画像)、きょうは訪問した吉川区内各所で赤、白、桃色などのツツジを楽しむことができました。ツツジの花はいまが一番いいようです。Tさんのツツジは亡くなったおばあさんが数十年前、平場の農家に頼まれて田植えをした時にもらってきたものだそうです。わずか2本の小枝を挿木したところ、どんどん増えていまや前庭から土手にと大きく広がって咲いています。Tさんは、「ばあちゃんの形見だがね。きれいだねかね」とニコニコ顔でした。
 きょうは午前中にポスター張りをした後、「橋爪法一を囲む会」の準備でした。日程調整、案内ビラの作成と配布などに取り組みました。昨年までは2ヶ月間くらいの間に集中して開催してきましたが、今年からは毎月数か所で開催するやり方に変えることにしました。ここ数カ月は総選挙の前でもありますので、国政、市政どちらも語らなければなりません。日程調整ができれば、衆院候補の人にも参加してもらいたいなと思っています。


2009年05月09日

田植え本格化

 朝早くから「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。田植えが本格的に始まったので、きょうは、自分の配達区域の一部とふだんは他の配達員が配達している区域も配りました。朝早くからにもかかわらず、私の顔を見て、声をかけてきてくださる方が何人もいました。特に、きょう配達を代わった区域が多かったですね。「めずらしいねぇ、本人直々に来てくんなったなんて」といった調子の挨拶から始まって、先週号の市政レポートの復興基金のことや路線バスの変更、父のことなど次々に出てきます。配達を代わった区域の部数はわずか20部ほどなのに、配達終了までなんと2時間もかかりました。
 市政レポート1396号を掲載しました。市政レポートは来月の7日号で1400号になります。長年手書きで協力してくれた池田さんをはじめ、多くの皆さんの支えがあったからこそ1400号に到達できます。記念に、6月議会終了後、ささやかな祝賀会を行おうと思っています。この調子でいくと、今任期中に1500号に到達します。


2009年04月17日

「宗教人と日本共産党との懇談会」の準備

 父の葬儀後初めて、日本共産党の会議に参加しました。きょうの会議は今月27日午後7時から上越文化会館で開催される「宗教人と日本共産党との懇談会」の準備です。何人ものお寺さんや宗教関係者が呼びかけ、党中央委員会から緒方靖夫副委員長も参加して開催されるものですが、10日前の段階での準備状況を確認し合い、今後の取り組みについて話し合いました。上越地域は全国的にみても寺院、神社などがたくさんある地域といいます。どんな話が出るか楽しみにしています。ぜひ成功させたいですね。

 かく言う私も宗教には大いにかかわりがあります。そもそもわが家の屋号、法生(ほうせ)はお寺の名前からきています。どれくらい前からは定かではありませんが、わが家は昔、「法生坊(ほうさいぼう)」という小さな山伏寺だったと聞いています。この「法生坊」が時代の流れの中で「ほうせ」になったのでしょう。私の名前は屋号から一文字をとり、祖父がつけたものです。そしていま、わが家は真宗大谷派専徳寺の檀家でもあります。今回の葬儀も真宗大谷派のやり方で行われました。

 夕方、妻を職場に迎えに行き、ともに帰りました。これまでなら、妻の職場から病院に寄って帰るのですが、その必要はなくなりました。稲田の十字路を直江津方向に曲がらないで車を進めるのが何となくさみしい。そして特別養護老人ホーム「いなほ園」の近くを通った時には、父をショートスティで送迎した時のことが浮かんできました。初めてショートにお世話になった時は母と長女と3人で連れて行ったのですが、帰り際に父は「置いていかれる」ことを察知し、切ない表情を見せました。しばらくの間、いろんなところで父を思い出すことになるのでしょうね。


2009年04月05日

用水路にはシジミがいっぱい

 今朝はだんだん天気が良くなって仕事日和になりました。日が照り始めると小鳥たちの鳴き声がとても賑やかです(鳴き声はこちらから)。きょうは地元集落の普請です。農道の補修、用水路の掃除などが主な仕事ですが、久しぶりにスコップを持って力仕事をしました。私の担当は昨年に続いて用水です。用水路にたまった泥や砂などをスコップでさらって外に出すのが仕事でした(画像)。昨年、たくさんのたなごやシジミと出合いました。今年はどうかなと楽しみにしていたところ、残念ながら、たなごはほとんどいませんでした。その代り、シジミ(画像)が多かったですね。それにドジョウやカワニナもいましたよ。仕事の時間は約3時間でした。スコップを使ってのしごとですから、これが限度でしょう。明日は体のあちこちが痛くなるはずです。
 午後からは上野公悦議員の後援会主催の議会報告会兼観桜会でした。議会報告が終わって、司会者が何か質問とか要望ありませんかと声をかけると、サッと手が上がりました。「あやめバスの料金が100円から200円になった。障がい者のみなさんがこのバスに乗って仕事ををしにきているが、収入は月に5000円くらい。バス代をひくとマイナスになる。なんとかしてほしい」「市道の側溝のふたが壊れた。どれくらいの負担をしなければならないのか」など次々と要望や質問が出ました。
 懇親会の方はいつものことながら、とても楽しい。弁当の他に、手づくりの料理も出て、ご馳走がいっぱい。それと、今回は初めて踊りもありました(画像)。誰かさんが言ってました。「踊り、とても色っぽくて素敵だよね」って。
 


2009年03月20日

ヤマザクラも開花

 きょうは昨日までの暖かさがなくなり、寒さが戻ってきました。柿崎区内の県道脇にある温度計は午後2時半ころで6度でした。でも野山の動植物にとって、2日間の高温は大きな影響を与えたようです。私の牛舎付近のヤマザクラはパラパラと花をつけました(画像)。スイカズラはもう緑色の葉を広げています。そのほか、付近の木々の芽も一気に膨らみ始めています。紫色をしたスミレの花も今年初めて見ました。こうなると、来週あたりから、野山の色がどんどん変わっていきます。楽しみな春が近づきました。
 きょうは午前中、新潟市で全県党議員会議でした。総選挙に向けての幹部会の方針を再確認、気持ちを引き締めて月末までの活動をすすめて行かねばならないと思いました。上越市議団は平良木議員の車に乗せてもらい、全員参加。車中では堅苦しい話はせず、楽しい会話で盛り上がりました。もっとも栄のパーキングエリアで昼食(私は栃尾の大きな油揚げ入りソバ)をとってからは、熟睡させてもらいました。
 地元に帰ってからは「しんぶん赤旗」日曜版の配達と購読のお願いでした。時間があまりなく、残念ながら新読者を増やすことにはつながりませんでしたが、勤務の都合で購読を中止する予定だった方から引き続き読んでいただくことになりました。どんな選挙でも応援してくださる方なので、ぜひ読んでいただきたかった方です。よかった。


2009年03月17日

休会日ではありますが

 3月議会は常任委員会審査をほぼ終了し、明日から一般質問に入ります。きょうは休会日(常任委員会審査予備日)でした。委員会審査をこれまでよりも1日短縮して2日間としたことから予備日にしてあったのですが、各委員会とも時間が少なくなったことを意識して審査したことや夜8時近くまで延長して審査したこともあって、きょうの時間を審査に使う常任委員会はありませんでした。総務常任委員会を2日間でやっての感想ですが、審査を十分やるにはもう半日は必要ですね。
 さて、きょうは党議員団会議で各議案の討論原稿担当者を決めたほか、昨日の総務常任委員会でも問題となった西城スポーツ広場売却についての意見交換と視察(画像)を行いました。私が同スポーツ広場に入ったのは初めてです。思った以上に広く、良い場所だと感じました。話題になったヒマラヤスギはとても大きく、見事というしかありません。「クリスマスツリーに活用したくなる」という声が出るのもうなづけます。高田というと学園都市のイメージが強い。ここは、やはり教育活動に使う空間だと思いますね。大きな公孫樹が見え、ヒマラヤスギもあるこの空間には「高田の魂がある」という主張が委員会でありました。その主張にはいうまでもなく歴史的背景があるのですが、視覚的にもよく理解できます。
 議員団の会議などを終えてからは生活相談です。あらかじめ決めていた時間に相談者から来ていただき、2件の相談にあたりました。不思議なもので、ひとつの相談が終わりそうになると、ちゃんと次の相談ごとが出てきます。
 きょうは、このほか、市内の園芸農家の方から緊急融資制度の創設を求める声を寄せていただきました。また、新潟のテレビ局から私の議会活動にふれて取材の申し込みもありました。しばらく忙しい日が続きそうです。


2009年03月08日

歩いた、汗をかいた

 午前中、糸魚川市能生地区へ。市議選にあたっての政策ビラの配布の手伝いです。党支部の仲間などとともに出かけてきました。幸い、天気良く、権現岳を見ながらのビラ配りは歩け歩け運動にもなります。2時間近くも歩いたおかげで汗をたっぷりかきました。権現岳は海岸から少し奥に入っていることもあるでしょうが、米山よりも真っ白でした。デジカメは現地まで持って行きながら、荷物になるのでビラ配布の時はおいていきました。「きれいだ」と思った時にカメラがないとだめですね。
 家に戻ったら留守電が入っていました。あらかじめ予定していたものを含め、きょうは3件の生活相談で動きました。
 市政レポートNO1387をアップしました。


2009年03月02日

どうしても届けたいんです

 昨日書く余裕がなかったことをひとつ書いておきます。昨日は午後から直江津地区での総選挙勝利をめざす「新春の集い」でした。衆院比例候補の山口典久さんや6区の橋本正幸さんを迎えての集いでしたので、地元の樋口議員だけでなく、私や上野議員も参加しました。
 この集いで挨拶をしたらすぐ長野へ飛ぶという山口さんの話は説得力とユーモアに満ちていて、ひき込まれました。山口さんは、「大失業を黙って見ていていいのか」と切り出し、解雇や雇い止めをくい止めるのが政治の役割だと訴えました。2月4日の衆院予算委員会での志位委員長の質問を傍聴してきたという山口さんは、「大失業は法律に基づいて対応すれば防ぐことができる。大企業の内部留保を1%くずしただけで雇用は維持できるんです。トヨタは1台も車を生産しなくとも、労働者に5年間給与を払えるだけの貯えがある」と強調しました。
 今日の雇用問題では、会社の社会的な責任を問う声が多い。そのなかで、これこそ会社のあり方だ、という例を山口さんは紹介してくれました。地元のあるワイン会社の話です。ここの社長は、従業員は絶対に首を切らないという確固たる信念をもっているといいます。保険や貯金をたたいても切らない。なぜならば、辞めさせられるかもという不安にかられたらいい仕事をしてもらえないから。また、この社長はブドウ農家から買いたたくようなこともしないといいます。そんなことをしたら、いいブドウを作ってもらえないからとのことでした。生きがいをもって働くことの大切さを改めて感じました。
 北陸信越ブロックではこれまで2回の選挙で当選までもう一歩という結果でした。山口さんは、「今度のたたかいは政治の中身を変えるたたかいです。身近な要望を国に届けるためにも勝ちたい。みなさんの声を国会に届けたいんです。どうしても届けたいんです」と結びました。山口さんの「どうしても届けたいんです」、この言葉に応えなくては……。


2009年03月01日

「しんぶん赤旗日曜版」創刊50周年

 政党が発行している新聞の中で一番読まれていて、一番影響力があるのは、日本共産党の「しんぶん赤旗」日曜版でしょう。きょうは、この「しんぶん赤旗」日曜版を創刊した日、しかも50周年です。先週あたりからこの50周年を意識し、「3月1日の当日には必ず宣伝をし、読者も増やそう」と決意していました。
 きょうは、午前中に2つの生活相談で動いたのですが、そこで思い切って読者になってくださいませんか、と働きかけました。そのうちの一人の方から午後電話があり、読みましょうとの返事をもらいました。しかも親戚の人のところにも声をかけてくださるというのです。ああ、良かった。
 「しんぶん赤旗」日曜版は私が吉川町(当時)に戻った時、読者は8人でした。36年前のことです。それから徐々に増え続け、いま吉川区内では5軒に1軒の割合で読んでいただいています。
 30数年前のキャッチコピーであり、購読をお願いする側の合言葉でもあったのは、「子どもからお年寄りまで家族みんなで楽しめる新聞」「暮らしに役立つ新聞」でした。配達すると、すぐ新聞を開き、手塚治虫のマンガ『タイガーランド』を読む子どもがいました。ある病気で苦しんでいる人が掲載された医療記事を頼りに遠くの診療機関まで出かけられたこともあります。毎週、クイズに挑戦し、ハガキを出したら、「当たったよ」と図書券をみせてくれる高齢者の方もいらっしゃいます。いろんな方が「しんぶん赤旗」日曜版と付き合って下さる姿を見てきました。そして、配達していて何よりもうれしいのは、「この新聞に書いてある通りだ。いまの政治、変えなきゃ」という声が聞こえてくるときです。みんなで楽しめて、政治を変えていく新聞としてまだまだ広げていきたいと思います。
 私も活動のなかでは、これからもこの新聞を大切にしながらがんばっていきたいと思います。この日記をご覧になっておられる方のなかでまだ読まれていない方は、ぜひ一度、日本共産党のホームページでどんな新聞か訪問してみてくださいませんか。そこで見本紙(無料)を申し込むこともできます。


2009年02月18日

荒れた天気の中、全県党議員会議へ

 昨日からきょうにかけての天気は大荒れでした。昨日は市役所から家に戻ってびっくり。市役所周辺では降雪量はたいしたことがなかったのに、道路も車庫前も40センチ以上の積雪となっていたからです。そのため、もうこの冬は使うことがないだろうと思いこみ、一度はバッテリーをはずした小型除雪機を出動させました。この冬、小型除雪機を使ったのは初めてでした。
 きょうは朝から新潟へ。全県党議員会議でした。昨日からの荒れで高速道路の路面には雪が残っていて、「低速道路」になっていました。そのため、新潟に着いたのは予定よりも1時間近く遅れてしまいました。路面のひどさはこの冬一番でしたね。
 会議は、3月議会対策が中心課題です。雇用確保、後期高齢者医療制度と資格証明書、国保など重要問題について問題提起や情報提供があり、参考になりました。きょうの会議では、いうまでもなく総選挙対策も重要テーマのひとつでした。小日向県委員長からの報告は、最新の動きに基づくもので毎回聴きごたえがありますが、きょうはめずらしく、小林多喜二のことを書いた三浦綾子の小説、『母』の一節から話がはじまりました。多喜二のことを聴くと、気持ちがしゃんとします。
 会議の休憩時間に、上越市吉川区出身の佐藤真澄新発田市議から市政レポート(ますみ版)をふた月分ほどもらいました。毎週発行を続けてついに100号を突破、私の「『幸せめっけた』の真似をはじめた」(佐藤市議)という「ますみ物語」も105回になっていました。読みやすいビラに仕上がっているとほめたら、お連れ合いの茂さんの協力のおかげだとか。いい父ちゃんもらったなぁ、真澄さんは。


2009年02月17日

信濃町廃棄物最終処分場予定地に断層

 長野県信濃町で動きのある廃棄物最終処分場建設問題で、党妙高市議団の皆さんと上越市議団全員で下流域の水土里ネット関川水系(関川水系土地改良区)を訪れ懇談してきました(画像)
 同ネットは昨年来、上越地方の反対運動の中心になり、農林水産団体をまとめる役割を果たしてこられました。冒頭、太田三男理事長が、「建設を計画している業者は下流域の農林水産業者に対して説明しないでいいという姿勢だった。私たちは連絡協議会をつくって署名活動などの運動を進めてきたが、行政もようやく重い腰をあげた。3月3日に署名簿を持って長野県と業者のところへ行く。向こうの出方がどうなるか、いまのところわからないが、何はともあれ断固反対だ」と挨拶されました。
 続いて同ネットの玉井英一事務局長がなぜ信濃町の最終処分場計画に反対してきたのか、最新の情報も含めてこれまでの経過を説明してくださいました。玉井事務局長によれば、「春先の融雪期の地滑りなどで関川が汚染される可能性があり、ここを一番懸念している」とのことでした。玉井事務局長は元県庁マン、望月妙高市議とは顔なじみです。丁寧でしかもわかりやすい話し方をされるので、好印象を持ちました。
 懇談の中で注目したことのひとつは信濃町が山形大学の川辺孝幸教授に依頼した建設予定地周辺の地質調査結果です。昨日、川辺教授から信濃町に報告された内容によると、建設予定地は数十万年前の地層の上に岩屑流堆積物が堆積し、さらにその上に崩壊堆積物や野尻ローム層が堆積していて、崩壊しやすい地質構造となっています。しかも、いくつもの断層、伏在断層があることが確認されています(川辺教授の地質図・地質構造図)。川辺教授は、「地震動によって大規模な地滑り・崩壊を起こす危険性をもった地域」だとしていますが、これは重大な内容です。
 昨日、新潟県と妙高市、上越市が長野県に申し入れた内容と関連する動きについても話題になりました。この申し入れは、①上越地域の農林水産関係者が意見を表明できるようにすること、②上越地域の農林水産関係者が懸念している事項に対して説明責任を果たすよう業者に指導すること、③建設計画について適宜適切な情報提供をお願いしたい、というものです。このなかで長野県の廃棄物対策課長が、3月に施行される新たな廃棄物条例によって、「県外からも生活環境保全の見地から意見を言うことは可能」と説明しています。また、新潟県内の地元紙報道ではわからなかったのですが、信濃毎日新聞は、建設を計画している業者が、新たな条例施行後に改めて設置手続きを始める意向を示したと報じています。こうした事態を受けて、こちらがわの運動も考えていく必要があると、意見交換をしました。
 
 きょうはこのほか、午後から「中山間地域における集落間連携推進大会」が行われました。清里区櫛池地区農業振興会が取り組んできた集落間連携を全市に展開し、農地と地域農業を守ろうという趣旨です。リージョンプラザコンサートホールには中山間地域をかかえる区内から350人ほどが集まりました。
 清里区櫛池地区農業振興会の小山文男会長と羽深明治事務局長の話は先日の市長と市民の「現場でトーク」でもお聴きしましたが、ふるさとを守ろうとする愛情と哲学に満ちています。すごい取り組みだと思いました。
 市役所農業振興課の笹川肇副課長は、「集落間連携による中山間地の振興」についての市の方針を説明しました。同副課長は、「取り組みの基本は集落にある。どうやったら地域を守っていけるか、その手法のひとつとして集落間連携を考えていただきたい」「櫛池地区農業振興会に行って、パソコンをみてたまげた。中山間のシステムがあり、その横に農地・水のシステムもあった。これからは地域全体で事務能力を持たないと国県の補助事業に乗れない」とのべました。方言丸出し、間をいかした堂々とした語りはますます快調でした。
 会場には市議会の中山間地対策特別員会のメンバーも何人か参加していました。きょうの大会の内容も踏まえて大いに議論していきたいと思います。


2009年02月06日

通学支援制度新基準づくりで市民懇談会

 市政レポートの作成、印刷に手間取り、「見てある記」の更新が遅れました。昨日は視察が終わっても家に帰らず、そのまま党議員団主催の市民懇談会に出席しました。今回のテーマは通学支援制度の見直し問題です。柿崎区の会場には吉川区のPTA役員のみなさんをはじめ、大潟区、頸城区の地域協議会委員さんなど20数人が集まってくださいました。遠くは、牧区からも参加者がありました。ありがとうございました(画像)
 合併前の14市町村の通学支援制度は、大きく分けて、民間バスを利用する場合に補助をするという方法とスクールバスを運行するという二通りでした。しかし、対象とする児童・生徒の通学距離、保護者の負担などは様々で、簡単には統一できない状況でした。それで、合併協議では、合併後5年間は現行通りとし、2009年度までに新基準を作成することを決めたのです。市教委ではこの合併協議事項を踏まえ実務的な準備を進め、昨年の春からは保護者説明会の開催、アンケート調査などに取り組んできました。そして新基準案を保護者などに示し、再び保護者説明会、アンケートに取り組んでいます。
 昨晩の懇談会では、上野議員がスライドを使ってこれまでの経過や党議員団の考えを説明し、その後、意見交換をさせてもらいました。これまで、市教委の説明会に2回参加してきましたが、市教委の説明会以上に率直な意見や疑問が次々と出てきて、とても勉強になりました。
 たとえば、合併協議での合意事項では、補助対象距離については、旧上越市が2校で実施していた「小学校3キロ以上、中学校5キロ以上」で統一することが書かれていますが、2つの学校でこうした補助が出るようになった背景、経過を教えてほしいという質問がありました。統一する元になったところについて詳しく知っていませんでしたので、言われて初めて「確かに大事なことだ」と思った次第です。通学手段について市教委は、民間バスが運行されているところは民間バス、運行されていないところ、または運行されていても利用が困難なところはスクールバスという方針案を示しています。しかし、実態としては、「冬はほとんど使えない」「使うようにすると部活が思うようにできない」などの問題点があることも出されました。市教委主催説明会の持ち方についても注文が相次ぎました。「参加しやすい時間帯にやってほしい」「説明資料は当日配布ではなく、事前配布を」「説明はもっとわかりやすく」等です。
 私が昨晩の懇談会でどういう反応が出るか注目していたのは、「市教委の受益者負担論はおかしい。児童・生徒のバス通学は無料に」という私たちの主張についてでした。一部に負担はあってもいいという声がありましたが、何人もの保護者から「ぜひ実現してほしい。がんばってください」と激励され、喜んでいます。「通学バス受益者負担論」には、「学校統廃合で市には十分『受益』があったはず。市の職員に1週間くらいバスに乗ってもらい、受益があるかどうか体験してほしい」との反論もありました。
 昨晩の懇談会については何人かの市民から問い合わせがあり、「柿崎だけでなく、私たちのところでも開催して」という要望も寄せられています。議員団で、今後の取り組みについて相談して対応していきたいと思います。


2009年01月31日

初めてガス水道労組の旗開きに参加

 昨晩、初めてガス水道労組の旗開きに参加しました。日本共産党を代表しての参加です。参加者数20数人のこじんまりした集いでしたが、初めて出会った組合員のみなさんと市政に関するいろいろな情報交換ができ、良かったです。また、筒井代議士、小山県議、市職労、新教祖の代表など来賓の人たちとも話ができました。とくに、小山県議からは貴重な県議会情報を伝えていただき、日本共産党の竹島県議のがんばりなども確認できました。会場では、秋の市長選をめぐる動きについて関心が高まっているなと感じました。私たちの党としても早めに動きださなければなりません。
 昨日は中心市街地活性化対策特別委員会、文教経済常任委員会と続きました。中心市街地活性化対策特別委員会では旧高田共同ビル再生計画中の市道廃止をめぐり、川沿いの市道の拡幅、ビル南側に歩道を新設する案が市側から示されました。地元町内会での説明会も一昨日、昨日の夜に行われました。結果は後日、報告されるでしょう。文教経済常任委員会は小木直江津航路問題、直江津図書館問題、学校給食、㈱よしかわ杜氏の郷問題と重要問題が目白押しでした。市議団ニュースなどで内容をお知らせしていきたいと思います。


2009年01月29日

昼は県庁、夜は市民懇談会

 久しぶりに県庁へ行ってきました。豪雪対策のひとつとして県内外に知られている冬期保安要員制度の存続と拡充の要請をするためです。竹島県議、武田勝利衆院比例候補、十日町市議、津南町議らとともに担当課長などに働きかけてきました。
 同制度は生活道路の除雪や要援護世帯の除雪、急患対策などを業務とする人を冬期間配置するもので、豪雪地の住民にとってはなくてはならない制度ですが、2年前に実施要領が改悪されて、現在は15地区21人(県単事業として)に減らされてしまいました。国の集落対策の新たな展開のなかで、県も独自の検討に入っていることが今回の要請行動の中で判明しました。参加した議員はそれぞれ、「2年前に削減されたところも市や町で独自に設置して対応している」「保安要員がいるからいまの集落で暮らせる」などと訴え、存続・拡充を求めました(画像)。今後の動きをしっかりと見ていく必要があります。
 夕方からは党議員団主催の「中心市街地活性化を考える市民懇談会」でした。会場には30人を超える人たちが参加してくださいました。スライドで今回の中心市街地活性化基本計画の中身をお伝えした後、懇談会に入りました(画像)。「公金を投入して、かつてのような賑わいを本当に取り戻せるのか」「公共交通との関連が見えない。(中心市街地活性化の)エリアからはずれたところに比較的元気なところがある。そこに学ぶべきだ」「なぜ、いまさら中心市街地活性化を言い出したか」「中心市街地がこうなったこれまでの総括をやるのが前提だ」などたくさんの質問や意見表明が相次ぎ時間が足りないくらいでした。地元の動きとしては、街なか映画館再生委員会の方がとてもいい取り組みを紹介して下さり、まちづくりのあるべき姿のヒントを得たように思います。
 今回の懇談の中で、多くの市民の皆さんが旧高田共同ビル再生事業に関しては厳しい見方をされているなと感じました。これまでの商業政策の総括の必要性も浮き彫りになったと思います。残念だったのは、地元商店街の皆さんの参加が少なかったことです。より良いまちづくりに向けて一生懸命活動されているグループも街なか映画館再生委員会以外にもいくつもありますし、今後は、こうした人たちとも意見交換していきたいですね。


2009年01月28日

印刷4時間、くたびれたー

 昨晩から今朝にかけて冷えましたね。朝、資源ごみを出すために車を運転していた時のこと。うっかりワイパーを動かしたら、ゴムが取れてしまいました。フロントガラスに凍りついていたのです。朝、冷えた時は上天気です。きょうの午前中は米山(画像)がじつにきれいでした。
 きょうは午前10時半ころから夕方まで市役所で市民懇談会の準備などで動いた後、夕方から地元に戻って印刷に熱中しました。まだ、党議員団の12月議会報告を配布してなかったものですから、昨日の団会議で、大至急印刷することにしました。私の受け持ちは2万枚です。いやー、印刷のしがいがありますね。約4時間かけて片面だけ印刷を終わりました。裏面は明日やります。この印刷時間中、じっと印刷機についているのは面白くないので、インターネットで調べものをしながら印刷しました。普段、あまり訪れていないホームページも、こういう時は見ることができます。
 明日、急遽、新潟県庁へ行くことになりました。日本共産党県委員会が冬期保安要員制度見直し問題で県当局に申し入れをするということで、私にも参加してほしいと要請があったのです。明日の夕方には上越市に戻り、市民プラザで開催する党議員団主催の市民懇談会に出ますのでご安心を。


2009年01月24日

何かが雑じると…

 昨日のテレビで、とぎれとぎれの音楽を聴きました。じつに聴きにくい。ところが、このとぎれている部分に雑音を入れるとどうなるか。何とリズム感のある音楽として聴こえたのです。雑音が入ったおかげでよく聴くことができるというのは初めて知りました。これは耳の世界の話です。
 今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でした。久しぶりの雪で、配達時間もいつもよりかかりましたが、夜明け前の時間帯に面白い現象を発見し、カメラに収めました。雪が降っていることによって、防犯灯の黄色い光がどこまで広がっているかよく見えたのです(画像)。何かがまじることによってよく見える。昨日のテレビをみていたから、こんなところに目が向いたのでしょう。
 きょうは午前中に「しんぶん赤旗」日曜版の配達をして、午後からは党支部の新年会でした。都合がつかない人が大勢いて困ったなと思っていたら、党外の人が何人も参加して下さり、良い会になりました。昨年の党創立記念の時の志位委員長の講演をDVDで視聴し、その後は自己紹介、近況報告、カラオケ、スライド上映などで楽しみました。


2009年01月23日

親子が毛布にくるまって寒さしのぐ

 二日続けて解雇問題の話を聞きました。きょうは日本共産党新潟県委員会の幹部が上越市を訪れ、労働基準監督署、市役所に申し入れ活動を行いました。時間の関係で私は、市役所の時だけ行動を共にしましたが、N社に勤務していたHさんの解雇打ち切りの話を聞いてひどいと思いました。Hさんは3月半ばまでの雇用契約だったのに1月上旬に切られました。家庭は子どもさんと二人暮らし、生活は厳しく、寒くても暖房費を節約せざるをえず、親子が毛布にくるまって寒さをしのいでいるそうです。五十嵐完二前県議は、「兼続の義と愛の精神に反するあってはならない行為だ。ぜひ支援を」と訴えていました。まったくその通りだと思います。


2009年01月18日

上越民主商工会の青旗びらき

 今朝は冷え込みました。車の暖気運転をしている間に近くの農道や畑の雪の上を歩いてみました。「サルトコ」(凍み渡りのこと)ができるかなと思ったのですが、そこまでは凍っていませんでした。でも、雪の上を歩く気分はいいものです。ザッ、ザッという音をさせながらしばらく雪上散歩を楽しみました。
 さて、きょうは上越民主商工会の青旗びらきです。午前中に区内での用事を済ませ、病院経由で会場へ行きました。きょうは地元町内会の新年会に出席している上野議員をのぞき、党議員団の3人が参加しました。宮崎会長さんは挨拶で、「今年は民商にとっては正念場の年。消費税増税を許さず、中小業者の営業と暮らしを守るたたかいを」と訴えておられました。私も日本共産党を代表してひとこと挨拶させていただきました。
 懇親会の部では、最初に会員の方の尺八の演奏を聴きました。尺八の音を聴くのは久しぶりでした。新年の会にはムード的にぴたりと合う音ですね。お二方の演奏(画像)はむずかしいものだけでなく、「ふるさと」など身近な曲もあり、とても良かったです(音声はこちらからどうぞ)。会場では、70代の男性の方から、「橋爪さん、お父さん元気かね」と声がかかりました。初めて会う方からです。どなたかと思ったら、30年ほど前に牛の餌を運んでいた運送会社の方でした。わが家でよくお茶を飲まれたとかで、父だけでなく、母のこともよく知っておられ、うれしい出会いとなりました。会員さんからは、経営のたいへんさなどを教えていただきました。参加して良かった。
 夕方、妻から迎えに来てもらいましたが、妻は風邪をひいたらしく、元気がありません。そんなこともあって、12月に覚えた鍋料理を再度やりました。白菜、ネギ、里芋、竹輪、タラなどを入れて、じっくり煮たところで火を止める。そして、母がつくってくれたユズ入り味噌を入れて出来あがりです(画像)。今回もうまくできました。


2009年01月17日

新聞配達そして質問準備

 きょうは途中で床屋さんへ行ったほか、朝から夕方まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。山間部は今年初めて会う人も多く、新年の挨拶をしながらの配達となりました。先日の降雪以来、雪は中休み状態です。尾神岳のふもとの尾神集落であっても積雪は30~40センチほどで思った以上に少なく、びっくりでした。ある読者の人は「このまま春になる予感がする」と言っておられましたが、雪はたいしたことなく、終わるかも知れません。
 夜は上野議員のところへ行き、総括質問の準備をしてきました。すでに質問原稿の素案はできていたので、ふたりで「よりわかりやすく、コンパクトな質問にするために」原稿の整理をしたほか、再質問の組み立てなどについても話し合ってきました。上野議員にとっては初の総括質疑となります。明後日は永島議員、杉田議員に続いて3番目の登壇です。


2009年01月06日

4人の皆さんの活躍、ケーブルテレビで見ています

 昨日は夜遅くまで頑張ったので、今朝はなかなか目が開きませんでした。事実上の目覚めは早朝の電話です。公衆電話からかけてこられ、中身は多重債務についての相談でした。今年はこの種の相談が増えそうな予感がします。
 きょうは、党議員団で13区を駆け巡りました。雪が少なかったこともあって、ほぼ予定通りまわることができました。少ない時間の中でも総合事務所幹部と懇談できたり、住民の方とも意見を交わすことができました。ある区では、スクールバス運行について、どういう歴史的な背景があるのか教えていただきました。その時の保護者との合意を大事にした対応が必要との指摘もありました。こういう声は、今後の議論の中で生かしていきたいと思います。
 うれしかったのはお昼を食べたお店でのことです。そこの主人も奥さんも私たち4人に激励の声をかけてくださったのです。奥さんは「みなさんの活躍、ケーブルテレビでみていますよ。いろいろな問題とりあげてもらい、感謝しています。がんばってください」と言ってくださいました。そして、食後にはコーヒーをおごってくださいました。
 夕方は、妻と一緒に父にところへ。顔や頭の皮膚が何か所もはがれ、少しずつとれていくのが気になり、ピンセットを使いとってあげました。


2009年01月03日

市政レポート新年号作成

 きょうは「しんぶん赤旗」日刊紙を配達した後、ほぼ一日中、パソコンで仕事をしました。明日付の市政レポート、事実上の新年号づくりです。市政レポートは普段、「しんぶん赤旗」日曜版の発行に合わせて作成しているのですが、新年号だけは年が明けないと書けません。年前ですと、どうしても気分が乗らないのです。
 でも、きょうはなかなか書き進むことが出来ませんでした。書けなかったのは裏面です。久しぶりに「春よ来い」を書くことにしていたのですが、組み立てが気に入らず、途中で書き直したりしていたら、午後になってしまいました。一応書き上げたのは午後2時すぎ。タイトルは「指相撲」、義父母と妻の間で起きた出来事をテーマにしたものです。すぐに印刷してもよかったのですが、新聞屋さんのところに持って行っても、明日の折り込みには間に合いませんので、もう一晩、文章を寝かせてみることにしました。
 一日中、家にいたおかげで、新聞をゆっくりと読むことができました。「しんぶん赤旗」日刊紙に掲載された経済同友会の終身幹事・品川正治さんのインタビューを面白く読みました。「労働者と企業と両方あって資本主義。年収200万円で、結婚して、子どもを育て、衣食住をなんてできない。そんな人の使い方をしていいのでしょうか」「共産党さんは、『ルールなき資本主義』から『ルールある経済社会』へとおっしゃいますが、私は次の段階のことも考えるんです。私は『人間の目で見た経済』に近づくため、つきつめて考えていくと、資本主義というシステムそのものにぶつかるんです」。こういう財界の幹部もいるんですね。
 明日は消防団の出初式です。生活相談をしたいと病院で私を待っている人もいますので、帰りはその仕事もしてきたいと思っています。


2009年01月02日

新春街頭宣伝

 新年に入って初めての街頭宣伝に出ました。きょうは市議団での共同行動です。雨や雪がまじった強風の中を頸城区、大潟区、柿崎区、吉川区、浦川原区、安塚区、牧区、清里区、合併前上越市の順で回りました。今回はアナウンサー専属の人がいなかったことから、流しスポット宣伝も自前でやりました。慣れないので、ちょっと力んだだけですぐ声がかれてしまいます。選挙などでいつもアナウンサー役をやってくださる方の苦労がわかりました。
 新春の街頭宣伝は合併後の上越市が範囲となります。新市の面積は「東京都の面積の半分」と憶えていますが、とにかく広いですね。それだけに回るたびに新たな出合い、発見があります。きょうは大島区内の保倉川の上流で、川の中を次々と雪が流れてくる光景(画像)を目にしました。議員団みんなで、「こんなの初めてだ。きれいだね」と話題になりました。安塚区から牧区へ抜ける時に小さいながらも素敵な滝(画像)を見つけました。さらに妙高市との境となる地域に入った時のことです。ここは、扇状地上にできた集落が多いのですが、山からの豊富な水をどんどん道に流して無雪化しているところがいくつもあることを知りました。
 宣伝が終わって上野議員宅でお茶をいただきました。ぜんまいの煮付け、昆布、ジャガイモと栗の入ったきんとんがとても美味しかったです。なかでも昆布はやわらかく煮込んであり、最高でした。「頭の毛の薄い人にはいいんだよ」との「激励」を受けたので、出された昆布の7割くらい、食べさせてもらいました。


2008年12月27日

入院から1年

 このままでは危ない。すぐに救急車を。そう言われて、父を緊急入院させたのが昨年の12月27日の夜でした。その夜が山、翌日の朝までもつかどうかと心配して、病室で付き添った時のことは一生忘れません。夜明けまでの時間は長く、明るくなった時、これで山を越えたととてもうれしかったものです。
 あれからちょうど1年が経ちました。何回か高熱に襲われたものの、おかげさまで父はなんとか生きていてくれます。この間、入院先の医師、看護師さんなどにたいへんお世話になりました。また、親戚の皆さんをはじめ、多くの皆さんからご心配いただきました。心から感謝申し上げます。
 父の病状は、いまのところ安定しているように見えます。何をしゃべっているかほとんど聞き取れないのですが、熱がない時は語りかけると「あぁん」といった言葉で反応してくれます。母や私、妻、長女のことは分かるようです。数日前、久しぶりに39度を上回り、心配しましたが、それも乗り切ってくれました。昨日はいままでのなかでも最高に調子がよく、母と電話でまともに話をしていました(父と母の会話の音声記録)
 きょうは久しぶりに除雪ブルが出動しました。降雪は10数センチです。私は朝から「しんぶん赤旗」日刊紙の配達、市政レポートの印刷、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金、党の会議と続きました。予報で言われたほど雪は降らなかったおかげで、助かっています。ここ数日は集金で大忙しとなります。


2008年12月26日

御用納め

 きょうは御用納めでした。午前は各派代表者会議があり、午後は市に対する新年度予算要求(画像)を行いました。いずれも短時間で終わったのですが、吉川区まで戻って仕事をするわけにもいかず、パソコンを使って、次号の市政レポートの準備をして過ごしました。
 市役所にいたのは夕方5時過ぎまで。さすがに、この日は、控室を訪れるお客は少なく、ほんの数人でした。でも、1年の最後となると、話題はこの1年間どうであったかというところに集中します。ひとりのお客は、党議員団はよくがんばったねとほめてくれました。具体的な話になったのは、図書館問題で議員団として取りくんだ緊急議会報告会、㈱よしかわ杜氏の郷問題での全世帯アンケート、そして12月議会での修正案の提出です。まだまだ不十分さがあるものの、いずれも今後の議会改革に影響を与える出来事だったと振り返りました。これらのことは議員団でも議論し、教訓をまとめておく必要があると感じました。
 きょうは、この冬一番の大荒れでした。夕方の電車は大きく遅れ、運休したものもありました。高速バスに乗って帰宅した妻もダイヤの乱れでたいへんだったということです。


2008年12月23日

ビラを頼りに

 伯母を大島区の家に送る途中でした。携帯電話が鳴ったので出ると、見知らぬ人からの電話です。「親戚のことで相談したいことがあるので時間を作ってもらえないか」ということでした。大島区からの帰り道、電話をくれた人と約束した家に行くと、4人の人たちが私を待っていてくれました。相談内容は書けませんが、「困った時は橋爪法一へ」という1枚のビラを頼りに私に電話をかけてきたことがわかりました。昨晩は眠れなかったという人が、「来てもらってよかったね」。こういう言葉が聞けた時はうれしいですね。年末、いろんな相談が寄せられる時期です。


2008年12月22日

今年最後の地域協議会

 朝から夕方まで市役所で過ごしました。主な仕事は、議員団ニュースの作成と新年度予算要求のまとめの作業です。議員団ニュースは、「しんぶん赤旗」日曜版の発行に合わせて編集していますが、今号は1月4日号との合併号ですので、それにふさわしい編集をしようと4人の議員の新年の抱負も入れました。新年度予算要求の方は、26日に市長に申し入れることになっています。いくつか整理が必要となっていますので、完成するのは24日にずれ込みそうです。
 夕方からは吉川区地域協議会でした。区内にある道の駅の管理はこれまでの指定管理者にまかせていましたが、来年度から直営に戻す諮問が出され、諮問どおり答申することが決まりました。市の施設は1000近くありますが、直営に戻す事例はまだ数例しかありません。今後、財政面での検討から直営に戻す事例が増えそうな気がします。この日の地域協議会では、㈱よしかわ杜氏の郷の新役員体制などの報告も行われました。
 会議が終わってから忘年会でした。今年は地域協議会にとって、改選後、いきなり大きな問題が投げかけられたこともあって、たいへんな1年となりました。会長さんが挨拶の中で、「今年の吉川区内での流行語大賞は『損失補償』でした」と振り返っておられましたが、みんなで労をねぎらい、楽しいひと時を過ごしました。


2008年12月15日

㈱よしかわ杜氏の郷に関するアンケート結果

 日本共産党議員団が吉川区で実施した㈱よしかわ杜氏の郷に関する全世帯アンケートの開封・集計作業(画像)を行いました。その結果、㈱よしかわ杜氏の郷の長期借入金を一括返済するために、市が1億2200万円の増資を行うことに反対の回答が60.8%にもなりました。また、㈱よしかわ杜氏の郷を再建・存続させることについても「やめた方がよい」が61%にのぼりました(集計円グラフ)
 アンケートをとる前に、日本共産党議員団や私の議会報告会を吉川区内11会場で行ってきました。そこでは賛否両論が出され、どちらかというと反対が多かったのですが、まさかこれほど差が開くとは思いませんでした。党議員団では明日中に団会議を開催し、18日の議案採決にあたっての態度を決める予定です。
 今回のアンケートは、吉川区内の全世帯(1551世帯)を対象に区民の意向を確認するために実施したものです。回答は608通寄せられました。回収率は39.2%です。この数値は、これまで私たちが吉川区内で何回か取りくんできたアンケートのなかでは最高記録となりました。それだけ関心が高かったといえるでしょう。今晩の開封・集計作業は吉川コミュニティプラザ3階大会議室で公開で行いました。開封作業は私の後援会の人たちからも手伝ってもらいました。また、緑の会の中川幹太議員からは立会をしてもらいました。ありがとう、幹太さん。マスコミ関係では、新潟日報とJCV(上越ケーブルビジョン)が取材に来ていました。
 
 よしかわ杜氏の郷 アンケート集計

【質問1】市は、㈱よしかわ杜氏の郷の長期借入金を一括返済するために、1億2200万円の増資を行うとしていますが、あなたはどのようにお考えですか。

賛成160(26.4%)
反対369(60.8%)
わからない71(11.7%)
無回答7(1.2%)


【質問2】市は、質問1の増資分を吉川区の地域事業費から支出するとしていますが、あなたはどのようにお考えですか。

賛成74(12.2%)
反対483(79.6%)
わからない42(6.9%)
無回答8(1.3%)


【質問3】市は、1億2200万円の増資のほか、これまでの経営陣の刷新、JA、民間事業者の協力などによって、㈱よしかわ杜氏の郷を再建・存続させたいとしています。あなたはどのようにお考えですか。

存続177(29.2%)
やめる370(61.0%)
わからない53(8.7%)
無回答7(1.2%)


【質問4】市は、㈱よしかわ杜氏の郷の現経営陣の責任の取り方として、現経営陣が、⒜会社への貸し付けや報酬の返還分を含め2100万円を出資する、⒝役員をやめ経営から手を引くなどとしています。この責任の取り方について、あなたはどのようにお考えですか。

責任果たすことになる127(20.9%)
責任果たすことにならない415(68.4%)
わからない54(8.9%)
無回答11(1.8%)
                      

【質問5】自治基本条例では、議会、議員も市民への説明責任を果たすことが求められています。この間、私たちは市政レポートなどで議会の様子をお伝えするとともに、何か所かで皆さんのお考えを聴く場を設けてきました。このことについて、あなたはどのように感じておられますか。

責任を果たしている309(50.9%)
責任を果たしていない133(21.9%)
どちらともいえない142(23.4%)
無回答23(3.8%)
                        


2008年12月07日

除雪車出動

 案の定、雪は降り続き、とうとうわが家の周辺でも除雪ドーザの出番となりました。吉川区内では、先月の19日に山間部で出動しましたから、今回で2度目です。朝の4時前に除雪車の音を布団の中で聞き、「来たな」と思いました。除雪車の動く音はタイヤチェーンの音とバックする時のピッ、ピッという音が聞こえます。来年3月まで、また、この音と付き合いをすることとなりました。わが家周辺の積雪は15センチほどです(画像)
 さて、きょうは午前中、総務常任委員会審査の準備をし、午後から党地区活動者会議に参加しました。久しぶりに妙高市や糸魚川市の仲間の皆さんと会いました。旧能生町の池田さんは現職の新保さんとともに来春の市議選に立候補するとのことで、きょう挨拶されました。市民の暮らしを守る立場に立ち、しかも若さとリズム感のあるとてもいい挨拶でしたので、大きな拍手が送られました。
 夕方からは市内の八千穂地区にあるはまぐみ交流館で「保倉川放水路を考える市民懇談会」でした。主催は党市議団です。始まるまでだいぶ時間があったので、上野議員と野菜ラーメンを食べ、その後、交流館内にあるお風呂にも入りました。懇談会では放水路の河口に位置する集落の人たちが何人も参加して下さり、「国は十分な調査をやっているのか疑問だ。納得できる説明をしてほしい」「私たちは単に反対しているのではない。大学の先生を呼んで勉強もした。保倉川も見てきた。海水の流入など、放水路を造った時にいろんな問題が出てくるのではないか。100年後が心配だ」「肝心の地元町内会で1度も説明会をやっていない。国も市もこわがっている」「市議会の放水路整備促進議員連盟も地元に入ってくるべきだ」などたくさんのご意見をいただきました。参加者の皆さんには、地元町内会での説明会の開催、議員連盟への働きかけを約束して閉会しましたが、やってよかったです。
 トップページの尾神岳の写真を最新のものと入れ替えました。また、市政レポートの12月7日号も掲載しました。ごらんください。
 


2008年12月06日

思わぬプレゼント

 夕方、「しんぶん赤旗」日曜版の配達を終えて私の事務所に着いた時のことです。車のライトで照らした中に白っぽいものが見えました。さて何だろうと思ってそばまで行くと、そこにあったのは、チェンソーで木を削り込み作った仔牛の顔でした(画像)。従弟が制作し、プレゼントしてくれたのです。牛の顔の特徴をよくとらえていて、長年にわたり牛飼いをしていた私にピタリの作品でした。ヤコちゃん、ありがとう。
 さて、きょうは大忙しの一日でした。「しんぶん赤旗」日刊紙の配達、アンケートの配布、日曜版の配達・集金、そして最後は議会報告会と続きました。
 アンケートは㈱よしかわ杜氏の郷問題についての住民アンケートです。市議団全員だけでなく、配布ボランティアとして8人の仲間からも私の事務所に集まっていただき、これまでの配布残、約500枚を一気に配布してもらいました。きょうの午前中は、雨が降らなかったものの、風がとても強く、しかも冷え込んでいました。母にお願いしておにぎりを大量につくってもらい、私の方でトン汁を作って食べてもらいました。台所にあった白菜と玉ねぎ、ジャガイモ、豚肉を入れたところ、「白菜入りトン汁は初めてだわ。おいしい」と喜んでもらいました。みんなで仕事をして一緒に食べると楽しいですね。
 今晩は急速に冷え込んで、この冬、二度目の雪となりました。㈱よしかわ杜氏の郷についての議会報告会は今晩で10会場目です。最悪の天候にもかかわらず、10人近い人たちが駆けつけて下さり、「市が説明会をやっているが会社の幹部も説明に回るべきではないか」「実際の酒づくりを見てもらえるような施設になっているのに、説明や案内をする人がいない。最低限、案内テープでも流した方がいい」などの声を寄せていただきました。終わったのは午後9時少し前、外へ出ると、車のフロントガラスに雪が積もっていました。明日の朝、どれくらいになるのか心配です。


2008年12月02日

短期保険証でなく、一般保険証を高校生まで交付

 うれしいお知らせです。党市議団は先月13日、上越市長に対して、子どもからの「保険証の取り上げは、医療にかかる権利を奪うものであり、憲法で保障された生存権の侵害です。また、上越市子どもの権利に関する条例に照らしても、あってはならないことです。子どものいる家庭はもちろん、すべての世帯で取り上げを中止すべきです。このたび明らかになった実態を踏まえ、子どもからの国民健康保険証の取り上げを直ちにやめ、短期保険証でなく、一般保険証を交付するよう」申し入れていましたが、きょう、高校生まで一般保険証を交付するとの回答が文書でありました。文書(画像)は土橋市民生活部長と池田保険年金課長が党議員団の控室まで持参され、「満額回答です。よろしくお願いします」と挨拶がありました。県内の自治体でも子どもの保険問題がクローズアップされ、方針転換をする自治体が相次いでいますが、上越市の措置はそのなかでも先進的なものとなりました。
 上越市ではこれまで、国保税を長期間滞納し、納税相談にも応じてもらえない世帯に対して、世帯単位で資格証明書を出してきました。この12月1日からは、①18歳に到達する年度末までの子どもには資格証明書又は短期証を発行しない、②子どもには通常の保険証(一般証)を交付する、③現在、短期証を発行している世帯の子どもは、更新時に一般証に切り替えるとした方針に転換しました。今回の方針転換にあたって市は、「滞納は保護者の事情に起因するものであり、子どもには何ら責任がない」「福祉や教育的観点を踏まえ」対応することにしたとしています。11月28日現在、市内で資格証明書を交付している世帯と子ども数は19世帯30人で、短期証を交付している世帯と子ども数は122世帯205人にのぼります。
 きょうは、もうひとつ、うれしいニュースがあります。地元で議会報告を終え、夜9時に夕食の時間となりましたが、テーブルの上に新潟市の地質研究者、O先生から冊子小包が届いていました。先生は、私の随想「春よ来い」が100回になったことを記念して、冊子を2部作成してくださいました。そのうちの1冊を手元に置き、もう1冊を私に送ってくださったのです(画像)。冊子に添えられた手紙には、「傍らに置いておくだけで、雲が湧き上がってくるような気持にさせられます。まさしく読む人に希望と勇気を与えるものです」とありました。ここまでほめてくださる方があるというのは感無量です。先生、ありがとうございました。


2008年12月01日

夜空に笑顔が…

 冷えた夜空に笑顔が見える。きょうの夕方、妻と一緒に父の病院へ行く途中、3つの星が輝いていました。金星と月、もうひとつはおそらく木星ではないでしょうか。車の前方であまりにも美しく輝いていたので、写真におさめました(画像)
 きょうは、朝から市役所で12月議会の準備でした。総括質疑の検討、一般質問の分担、意見書の検討など夕方までかかりました。一般質問については、いまの市政の課題を中心に誰がどの質問をするか話し合いました。私は新地域防災計画と防災体制、防災訓練、裁判員制度を担当することになりました。ひょっとすれば、もうひとつ加わるかも知れません。きょうはこのほか、議員団ニュースの検討と「㈱よしかわ杜氏の郷に関する緊急アンケート」の検討もしました。
 夜は印刷でした。緊急アンケートの用紙、返信用封筒の宛名の印刷です。封筒の印刷がうまくいかず、終わったのは11時近くでした。明日から次の日曜日までに吉川区の全世帯に配布し、13日までに回収できればと思っています。


2008年11月25日

商工会議所との懇談、特別委員会視察、そして地域協議会

 きょうは盛りだくさんです、書くことがいっぱいあって。今朝は8時半頃に家を出て、まず総合事務所へ。途中、平和橋を渡った時に正面に見える吉川中学校が朝日を浴びてとてもきれいに見えました。ここ数日、雨が降りパッとしない天気でしたので、今朝の田園風景はさわやかで気持のいいものでした。何枚かの風景を写真におさめ、記録しました(画像は尾神岳)。いろいろな活動をして、家に戻ったのは午後11時過ぎとなりました。

 午前11時からは上越商工会議所で懇談会です。日本共産党の緊急経済提言を中心にして染谷浩専務理事、田中孝司中小企業相談所長と懇談させていただきました。こちらは、山口典久衆院比例北陸信越ブロック比例候補、橋本正幸衆院新潟6区候補、党市議団(平良木議員は年金者組合の行事に出席)でした。
 山口さんが提言について説明したあと、染谷氏より市内の企業をめぐる状況などを報告していただきました。市内の企業でも海外に進出しているところがあること、昨年10月から始まった責任共有制度(これまで、信用保証協会が保証した事業資金の借入は、原則として、信用保証協会が借入額の100%を保証していましたが、『責任共有制度』の導入により、信用保証協会が保証する割合が借入額に対し外形上80%となりました)が大きな問題になっていることなど教えてもらいました。
 全体として私たちと考えが一致するところが多いのにはびっくりでした。話題の定額給付金問題で染谷氏は、「そんなことよりも定額減税の方が効果がある。安易な消費税の引き上げはすべきでない。中小企業予算というものを早期に実行していただきたい」とも言われました。山口さんと一緒に他団体と懇談するのは初めてでしたが、演説同様、とてもソフトな語りで学ばなければと思いました。

 午後は市議会中山間地対策特別委員会です。合併前上越市の区域にある中山間地、桑取地区を現地視察し、地元住民と懇談させてもらいました。海岸部の有間川からいきなり開拓地へ。たくわんにぴったりの大根がハサにずらりと並んでいます。ハサはいくつもあり、見事な光景でした。道路沿いには用水路があって、きれいに整備されていました。棚田もたくさんあって、天水田では代かきをして水をためています。こういう景色を見るとホッとしますね。
 標高100メートルくらいの棚田の見える場所で地元の篤農家・曽我文隆さんから地域の課題について話していただきました(画像)。農地をどう守っていくかが大きな問題だ。68歳になろうとしている私はまだ若手、あと4,5年経つとどうなるか心配だ。農業がだめになったら集落や地域がだめになる。担い手をどうするかも問題だ。私も新規就農者をひとり預かっているが、資本力もないので、育てていくのがたいへんだ。それに採算がとれるかどうかも不安だ。この辺では10アールあたり15万円ほどコストがかかる。1俵2万円くらいにならないと経営は成り立たない。6年ほど前から自分で作ったものは自分で販売しているが、こういった地区の農産物は差別化して販売しないと成り立たない。行政からもぜひ支援をしてほしい。曽我さんは消費者と直接結びついた経営をされていて、売る米の値段は農協出荷よりも2倍以上高い価格となっています。これを広めたいとも言われていました。話はリアルで、とてもわかりやすかったです。
 桑取小学校のそばにある地域のセンターでは桑取地区の町内会長さんたちや団体のリーダーの皆さんと懇談しました。ここは市議会の若手のホープ、中川議員の地元です。彼を応援した人たちの熱気が伝わってくる懇談会でした。中山間地の直接支払制度は、これまでも農道の舗装など大いに役立った。ぜひ存続させてもらいたい。都市計画の線引きの問題があって家も簡単に建てられない。何とかならないか。今年のコメの生産調整では、平均反収の低いところが増やされた気がする。市長に直接話したがすでに配分が終わっているということでだめだった。19年度の形に戻してほしい。農地・水・環境など事務手続きを簡単にしてもらいたい。次々と要望が出て、すごいエネルギーを感じました。
 きょうの現地視察は市のマイクロバスに乗って出かけました。いつものことながらバスの中は賑やかです。特別委員長に昨日入手したばかりの『限界集落と地域再生』(新潟日報事業社)を見せたら、「おれに売ってくれ」と言われ、手持ちの本がなくなってしまいました。

 きょうの夜は吉川区地域協議会です。連日のように書いている㈱よしかわ杜氏の郷問題についての審議が行われました。
 冒頭、総合事務所からこれまで取り組んできた市民説明会などの結果について報告がありました。7か所で行われた市民説明会の参加者は報道関係者を除くと135名にのぼったそうです。会場でとったアンケートの集計も発表されました。回答を寄せた人数は84名、参加者全体の62.2%でした。吉川区の地域事業費を使い増資により長期借入金を一括返済することについては、「ぜひ存続させたい」が32.9%、「やむを得ない」37.8%、「存続させたくない」22%でした。また、経営者の責任の取り方については、市とJA、会社の3者協議で、2100万円を出資し、総退陣するという方針を出していますが、これで「責任を果たしている」とする人が24.4%、「重すぎる」が12.2%、「今回の負担では不十分」50.0%となりました。経営者責任を追及する声がきびしいのが特徴です。この点について、総合事務所では、「今後、2者協議で詰めていく必要がある」とのべていました。
 審議では、市長が今回の件で地域協議会に諮問しなかったことをめぐって議論沸騰しました。「われわれはいずれ諮問があるということを前提にして勉強会をやり、要望書も出してきた。なぜ諮問しないのか」「1億2200万円を地域事業費から出すことは当初の計画段階(吉川区の地域事業費で何をやるか)では想定外だったはず。ここへきて諮問がないのはおかしい」「私も諮問はあると認識していた。(元議員など)ベテランが地域協議会委員にきているわけではないので、行き違いはあった。地域協議会って何なんだ。これでは次のなりてがいない」等の声が相次ぎました。地域協議会では、最終的に議会での審議を見据えながら、いま一度意見書を出すことを確認しました。
 きょうの会議には市民クラブ、公明党の議員、4名(私も入れて5名)が傍聴に来ていました。これから先がたいへんです。


2008年11月20日

もっと市民の中へ

 午後から長峰町内会で議会報告会(画像)をやりました。長峰は㈱よしかわ杜氏の郷のすぐそばの町内会です。地元中の地元、と言ってよいでしょう。ここの人たちは㈱よしかわ杜氏の郷の問題をどんなふうにお考えなんだろう、とずっと思っていました。急なお願いにもかかわらず、7人の方が参加してくださいました。また、市議会文教経済常任委員会の小関さんと上野さんも出かけてくださいました。ありがたいことです。
 会では、私が報告を行い、その後、懇談に入りました。いまから9年前まで町内会の幹部だった人は、「杜氏の郷は長峰の1等地だったところだ。毎日、地権者会議を開いて話し合い、提供した。それが廃止となると残念だ。何とか存続させてほしい」と発言されました。また、別の人たちからは、「できるだけ存続させてもらいたいが、吉川区の地域事業費を使うというのはどうか」「賞に入ることと別に、みなさんの好むお酒を造っていただきたい」などのご意見を寄せていただきました。報告会をやってよかったと思いました。今月は忙しい日程ですが、区内で数か所やりたいと思っています。
 夜7時からは市議会主催の議会報告会です。17日に続いて今晩は大潟区コミュニティプラザで開かれました。議員や行政の人たちをのぞいて30数人の人たちが参加してくださいました。「年金から住民税を天引きするなんて人権無視だ。滞納が多いから安易に認めたのではないか」「住民税の前にすでに介護保険料などが天引きされている。これらがどうであったか検証した上で賛成したのか」「市長は一度も地域協議会に顔を出したことがない。議長や委員長は出たことがあるか」「こういう会はまったく有意義だ。しかし、議員さんがここに大勢おられるのはもったいない。次回は何班かに分けて報告会を広めてほしい」などたくさんのご意見・ご要望が出ました。
 17日と今晩の報告会を通じて思ったことは、議会はもっと市民の中に入って、市民の皆さんの声を聴くべきだということです。この、ごく当たり前のことをもっと追求してこそ、市民に開かれた議会になると思います。市民の方から出されたご意見の中には、議員が気付かない視点もあります。こうした報告会を重ねることによって、論戦も充実するかも知れません。


初雪

 今朝は市役所からの発信です。昨晩、すっかりお酒をいただいて高田に泊まったからです。
 まずは雪のニュースから。昨日の朝、尾神岳に雪が降りました。そしてきょうは、高田平野にも雪が降りてきました。尾神岳や米山が3回白くなると、平場にも雪が降ると言われてきましたが、今年はそうはなりませんでした。私はタイヤを数日前にスノータイヤに履き替えていましたので、どんぴたりでした。
 さて、昨日のことについて少し記録しておきましょう。昨日は新潟市にて党の全県議員団会議でした。12月議会に向けての研修です。国民の生活苦が一段と深刻化しているなかで、どう議会で論戦し、住民の暮らしを守っていくか、いつ総選挙になってもいいように、運動をどう発展させていくか、を学びました。感心したのは、自治体部長が先日の上越地区議員団研修でわれわれが指摘した、「もっと総合的な対策を提案すべき」との声に応えて、雇用や中小企業対策、医療などの分野で充実した提案をしてきたことです。子どもの無保険の問題や低所得者対策での最新情報はとても参考になりました。
 昨晩は高田で「郷土料理とバイキングを楽しむ会」でした。1年に2回ずつやって、今回で10回目。市内の合併前上越市、13区すべての郷土料理を紹介したことになります。今回は清里区と桑取地区の料理でした。いつものことながら、山菜や地元で採れたものを使った料理がおいしい。それと楽しみなのは、普段なかなか会えない人と再会できるのもありがたいですね。昨晩は元市健康福祉部長のTさんをはじめ、何人かの懐かしい人と会い、話をさせてもらいました。三和区で運輸関係の仕事をしている親戚筋のIさんとも会いました。「応援していますよ」の声に励まされました。


2008年11月13日

質問続出

 今週の議員活動で最も力を入れることにしてきたのは、よしかわ杜氏の郷問題をテーマにした、きょうの党議員団議会報告会です。議員団で議論をしスライドを作成する、参加の呼びかけをする、市民からの質疑に答えられるように資料を読み直す、などの準備をしてきました。なかなか準備万端というわけにはいきません。一昨日、完成したはずのスライドも、今日午後からの予行演習でかなりの修正をしました。実際、映像を映し出し、説明をくわえようとすると、おかしいことに気付きます。それで、きょうは準備作業が午後4時半すぎまでかかってしまいました。

 報告会(画像)は午後7時からでした。先日の地域協議会主催の懇談会では質問が一人の人からしか出ませんでしたので、どうなるか心配したのですが、きょうは質問続出でした。「今度、増資という話が出てきたが、増資は市だけなのか。(会社の経営にかかわってきた)いろんな団体にどれくらいの比率で増資分を割り振るのか」「損失補償契約については町議会、町民にチャンと説明してあったのか」「こうなりましたという説明だけでなく、増資に至るまでの経緯を説明してほしい。いくつかの選択肢があったはずだし、それぞれのメリット、デメリットがあって、こうなったと説明を」「会社を継続していくためには売上をどれくらいレベルアップしなければならないのか」など……。いうまでもなく想定外の質問もありましたので、納得していただけるだけの答弁ができたか気がかりです。

 もちろん、質問だけではなく、いろいろな意見や提案も出ました。「業界全体として取り組みを考えてもいい。もっと連携を」「これまでの会社は住民から離れていた。住民自らがかかわる経営体制にしないと、最後はまた、税金投入となる」。会社の経営再建を願っての、こうした積極的な姿勢にはびっくりでした。今回の懇談会では、私たち議員団も、「私たちの考える基本的な視点」を打ち出し、経営計画が現実的かどうか、自治基本条例に基づいて市民への十分な説明と意思確認がされるかどうか、などを提起しました。参加者からは、「知らないうちに決まったんでは困る。(市は)本当に意見(住民の意思の意味)を聞いてくれるんだろうね」という声がありました。きょうの報告会には総合事務所の幹部の姿もありました。18日に予定されている次回の市議会文教経済常任委員会に、きょうの議論がどんな形で反映されるか注目したいと思います。


2008年11月11日

母を連れて病院へ

 昨日からきょうにかけて市議会報告をB4サイズ1万枚(表裏とも)印刷しました。印刷機の性能は以前のものと比較するとずいぶん良くなってきていますが、写真がいくつもある場合、インクをたくさん使うので、片面を印刷したら、半日ぐらいおいて乾かした方が残りの片面の印刷が楽になります。片面だけ昨日刷ったものは、きょうは快調なテンポで印刷できました。
 きょうは午前9時から歯医者の予約をとってあり、歯の治療が済んでから、母を眼科へ連れて行きました。このところ、「目がぼやっとする」というので、父が入院している病院で診察してもらいました。結果はたいしたことがなく、薬を使い治療すれば通院ですむということでした。母の付き添いで2時間近くかかりましたが、受付、検査、治療、再診予約、支払、薬もらい、この一連の流れを80代の人間が初めての病院でやるにはたいへんだと思いました。
 母の眼の治療が終わってから、父の所へ行きました。母と一緒に父を見舞うのは久しぶりです。「じちゃ、ばちゃだよ。エツが来たよ」そう言う母に父は目を開けようとはしません。おかしいなと思ったら、また熱を出して、水枕をしてもらっていました。熱が上がったり下がったりするのは慣れっこになっていることもあり、母はあまり心配しません。「だめど、目、開けねぇわ」と言って笑い(画像)、10分ほど見舞って、家に戻ることにしました。
 午後は議員団会議でした。都合のつかなかった樋口議員をのぞいて3人で13日夜7時から吉川区コミュニティプラザで開催する杜氏の郷問題についての議会報告会の準備をしました。私の地元の問題ではありますが、市政の重要問題となっていることから市議団4人そろっての報告会としました。約20枚となったスライドもアニメーションをつけてほぼ完成し、あとは最終チェックだけです。総合事務所幹部の話では、他の区の人からも問い合わせが来ているといいます。ありがたいことです。
 父の熱は夕方下がりました。私の顔を見てニコニコするくらい回復しましたから、大丈夫でしょう。


2008年11月10日

加茂市へ、妙高市へ

 2日間、日記を書かずに過ごしました。何も書かないで一日を終わるというのは変な感じがします。
 一昨日は新聞配達を終えてから加茂市に向かいました。加茂市を訪れたのは吉川高校醸造科存続運動で地元の県議の方のところに陳情に出かけた時以来です。市の中を川が流れ、いくつもの橋がかかっている風景は京都に似ているといいますが、落ち着いた雰囲気があり、いいものでした。
 加茂市の党組織と後援会の総選挙勝利総決起集会は会場いっぱいの人でうまり、活気あふれた会となりました。私は、定数1の市議選の経験を中心に語りましたが、関心を持って聴いていただけたようです。会場では、亀山市議のほかに知っている人は皆無と思っていました。でも、参加者の中には、高校時代の同級生が吉川出身だという人がいたり、妙高市議の望月さんのことをよく知っている人などがおられ、すぐに打ち解けた雰囲気の中で交流できました。もう1時間ほど早く会場についていれば、私が学生時代同級生だったNさんとも会えたとお聞きし、びっくりしました。
 昨日は生活相談を1件対応し、その後、妙高市へ向かいました。上越地区の党議員団の研修会に参加するためです。夜遅くまでかかりましたので、一泊し、先ほど市役所についたところです。ということで、この「見てある記」は市役所から発信しています。
 最後にお詫びです。4日付けの日記で善立寺の檀家総代さんのお名前を間違って記載してしまいました。正しくは蓑輪嶸さんです。心からお詫びして訂正します。


2008年10月23日

新潟演説会に1300人

 夕方から新潟万代シティにて日本共産党の街頭演説会でした。弁士は新潟選挙区第6区予定候補の橋本正幸さん、同1区の武田勝利さん、そして党中央委員会書記局長の市田忠義さんです。また、先の知事選で健闘した山崎さんもかけつけました。
 橋本さんは4年前まで三和の村議をしていた人です。大型の宣伝カーからの彼の演説は初めて聞きました。全国から注目されている新潟6区のたたかいの先頭に立つ橋本さんは、「事故米の大もとには輸入米をうけいれてきた農政がある。安心してコメを作れる農政への転換を日本共産党の躍進で」と熱く語りました(画像)。同じ町村議員の仲間だっただけに橋本さんには頑張ってほしい。
 市田さんの演説は今回もさわやかでした。国民の暮らし、アメリカ言いなりの政治について、わかりやすく、心に響く内容で語る。さすがだと思いました。「麻生さんはいま、(国民の暮らしを守るために)痛み止めが必要だとおっしゃるが、必要なのは痛みを押し付ける政治をやめさせることだ」「私たちは大企業をなくそうとしているのではない。共存共栄を願っている。企業だから儲けを求めるのは当然だが、私たちはぼろ儲けのボロをとってほしい、そして若者をモノ扱いにする働かせ方をやめてほしいと訴えているんです」。参議院では議場にいる自民党議員などからも拍手が起きる訴えをする市田さんですが、きょうの演説でも近くを歩いている人の足がぴたっと止まる場面が何度かありました。
 市田さんは、衆院選は遠からずやってくる、自らの力で風を起こすたたかいをと訴えました。元気の出る演説会でした。


2008年10月22日

明日は新潟で市田書記局長迎えて街頭演説会

 きょうも吉川区での活動が中心でした。明日の夕方6時から新潟市万代シティマクドナルド前で市田忠義党書記局長を迎えて街頭演説会が行われます。パンフレットやビラを配布しながら、それへの参加の働きかけなどをしました。
 昨日と同じく、ふだんあまり回らない集落を対象に動いていますので、久しぶりに会う人も少なくありません。道路整備や防犯灯などいろんな要望を寄せていただきました。きょうも2軒でお茶をご馳走になりました。3か月ごとに病院を移らされることへの不満からはじまって、高齢者を大事にしない政治の怒りの声をいっぱい聴きました。
 明日は夜遅くに新潟から戻ることになりますので、これから市政レポート作成にとりかかります。早く終われば、明日も区内で宣伝活動をしたいと思っています。


2008年10月06日

議員団会議

 午前中は議員団会議でした。大きな政治戦の最中ではありますが、市議会の活動は休みなしです。常任委員会の視察があったり、他市議会との交流会、研修会などが目白押しです。上越市議会独自の活動も少なくありません。議員定数の検討委員会、人権都市宣言(案)の検討、杜氏の郷問題、議会報告会などがあるので、議員団の考えを整理、統一する必要があります。
 きょうはまず議員定数問題から議論を始めました。これまでの検討委員会での審議状況を上野議員から報告してもらい、今後の方向について議員団の考えをまとめました。検討の基本は民意をどう反映するかにおくことを再確認し、行革や財政削減の観点からの議論に反論していくことを確認しました。人権都市宣言(案)が先日の代表者会議で示されました。上越市の人権条例の制定10周年などを記念して宣言を出したいという行政側の意向ですが、すでに終結したとされている同和問題をベースにしていることなどから、このまま推進とはいきません。これまでの市議会での議論も踏まえ、対応していくことにしました。注目の(株)杜氏の郷については、市民から様々な意見が寄せられています。きょうは市民の声を聴く機会をつくること、関係住民の意思を確認することなどについて話し合いました。
 夕方からは地元で会議がありました。民主県政を実現させるためにビラ配布や街頭へ打って出ている人たちから元気いっぱいの報告をしてもらい、今後の活動方針について決めました。


2008年09月27日

大きなハガキ

 午前は県内の議員と党機関役員の合同会議でした。昨日、開催された第7回中央委員会の報告と討論が行われました。行きの車の中でざっと目を通し、県委員長の報告を聴いたのですが、改めて勉強しなくても、これまで市議選などで訴えてきたことをそのまま話して支持を広げていくことが可能な情勢であることがよくわかりました。
 家に戻ったら三宅島から差出人の名前が書かれていない大きなハガキが届いていました。裏面は竹かごを編む外国の女性の写真です。表面には、見たことのある美しい文字で、「すっかり秋の気配につつまれました。お変わりありませんか。いよいよ出番ですね…(中略)新潟の稲作は順調でしたか。食の安全が問われる今日、気をひきしめてがんばりましょう」とあります。間違いなく三宅島在住のSさんからです。新潟は吉川区のコメを食べていてくださるというSさんの久しぶりのお便りでした。
 お便りといえば、2日ほど前にも東京から封筒が届いていました。こちらは中に入っていた文面が私以外の人宛の内容なのでびっくり、すぐに差出人のWさんのところへ電話をしました。他人の靴を履いて帰るなど昔からあわて者のところがある人でしたが、おかげで楽しいおしゃべりができました。なお、手紙は結婚報告で、とても目出度い内容でした。
 Sさん、Wさんとも手書きです。どちらもうれしいお便りでした。


2008年09月14日

県活動者会議

 朝8時過ぎに雨。稲作農家泣かせの雨でした。きょうは知事選、総選挙勝利を目指す全県活動者会議に参加してきました。総裁選挙で盛り上がりをつくり、その勢いが失せないうちに総選挙を、という自民党の作戦で、選挙は10月にも行われる可能性が高まってきました。わが陣営も、知事選、総選挙を同時に闘うスイッチが入った。そう感じました。すでに新たなポスターを貼り終わり、追加を待っているのは私の所属支部だけではありませんでした。糸魚川市の党組織もそうでした。総選挙などでの勝利をめざして署名活動で支持拡大の波をつくっている長岡の仲間、「つどい」を連続して開催している仲間など、先進を切る何人かの発言を聞き、じっとしていられなくなりました。きょうの会議で日本共産党の活動のテンポも速くなり、幅も広がるはずです。
 活動者会議では日頃なかなか会えない人と再会できるのが楽しみのひとつです。きょうは新発田市議の佐藤議員に声をかけてもらいました。市政レポートますみ版には、好評の「ますみ物語」が連載されています。彼女がふるさと吉川町で過ごした少女時代のことが面白くつづられていますが、最新号で86回になっていました。同市議からは、うれしい情報も入りました。いまから20数年前に妻が自費出版した絵本『お父さんのしごと』が2冊あったというのです。わが家で自家用として残すことを考えずに次々と販売していたら、なくなってしまい、どこかに余っていないか探していました。佐藤市議からは1冊分けてもらえることになりました。あー、よかった。


2008年08月26日

保倉川放水路整備についての懇談会

 朝から夕方まで党議員団での勉強会でした。昨年度の決算、今年度の一般会計補正予算、契約案件などについてチェックし、議論していく。常任委員会の資料をもとにすすめていくのですが、きょうは、建設企業、文教経済の2つの委員会の分をやりました。明日は、残りの2つの委員会の分をやって、総括質疑の項目を定めていく予定です。
 夜は頸城区の南川公民館で、保倉川放水路整備についての懇談会でした。党議員団主催です。地元住民の皆さんがどんなふうに考えておられるか、生の声を聞かせていただきたい、そんな思いで開催させてもらいました。懇談の中では、「海抜の低いところで、(放水路を)掘って、果たして間に合うのか(はけるのか)」「河川をどうするかの前に山間地の荒れを何とかしないといけない。山や田んぼをこれまでの政府がいい加減にしてきたことが災害を大きくしている」「ある国会議員がサイホン方式を提案したことがあったように記憶している。東京では地下のダムで対応している。(放水路ではなく)別な方法を考えるべきだ」「どうして放水路をつくるしかないとなれば、最終的には補償料の問題となる」など貴重な意見を聴くことができました。きょうの参加者の発言を聞くかぎりでは、国土交通省の整備計画案について説明不足があるという印象でした。
 ここのところ、市民生活にかかわる重要問題がいくつも出てきています。明日は、雇用促進住宅問題で政府交渉を行うために党議員団を代表して樋口議員が上京する予定です。


2008年08月25日

関川上流に近い廃棄物処分場計画予定地を視察

 午後から党妙高市議団の皆さんと廃棄物処分場計画予定地を視察してきました。現場は長野県信濃町ではありますが、新潟県と接している山間地です。
 関川関所の駐車場で信濃町の住民団体の方と合流、総勢8人がジープで現場近くまで行き、そこから山の中を30分ほど歩き、視察してきました(画像)。天候のせいか、セミの鳴き声ひとつせず、歩いている人たちの動く音と話声しか聞こえません。草は生い茂っていたものの作業道らしきものがあり、坂道があっても、たいした苦労もせず、山の稜線まで行くことができました。稜線が近くなって、びっくりしたのは、ゴーッという音がしたことです。急斜面の下の方に流れる関川の音でした。「関川が近いですね」と住民団体の方に声をかけたら、「(処分場からのものが)沁み込むと、稜線のどちら側に行っても関川に入り込むことになります」と言っておられました。
 予定地はかなり入り込んだ山間地で、急斜面もあります。白樺、ブナなどが生い茂っていて、森林浴のできる散歩道にすれば良いところだと思いました。ここに24万㎥もの廃棄物を埋め立てるというのです。信濃町在住の方が、「こんな山奥に埋め立てて、採算がとれるようにするとなると、処分料の高い、物騒なものを持ち込むことになりはしないか」と心配しておられました。
 現地視察が終わってから、党信濃町委員会の事務所に立ち寄り、中村、峯村両議員などと懇談。今後の運動をどうするか相談してきました。


2008年08月20日

全県党議員会議などで学ぶ

 まずはうれしい報告から。足の裏にできた腫瘍(良性)の手術から3週間が経過しました。きょうは、病院で診察してもらった結果、「順調に回復している。お風呂に足を入れてもよい」と言われました。もう包帯もせず、傷口にテープを貼るだけでいいそうです。完全回復にはまだ時間がかかりそうですが、9月の議会までにはサンダル履きから靴に履き替えることができる見通しとなりました。
 きょうは、病院での治療が予想よりも早く終わったので、当初の予定通り、全県の党議員会議、新潟県党学校に参加することができました。10月の県知事選、早ければ年内にも実施されそうな総選挙を前に学習し、頭の中の整理がだいぶできました。党中央委員会の中井作太郎さんの講演テーマは、時代を開く党づくりをどうすすめるかでした。「支部が主役」の活動を軌道にのせていくためには、決めたことを達成したという達成感を持つことが大切だとの指摘はその通りだと思いました。また、会議は事前に十分準備をして短時間で終わらせる工夫を、という話も、日頃長くなることが多いだけにうなづけました。
 最近、マスコミで話題となっている小林多喜二の『蟹工船』のことも話の中で出ました。若者を中心に広がる低賃金、格差打開の道を求めて、この本を買い求める人が多いのだそうです。新潮文庫は今年に入って50万部も売れたとか。私は、まだ文庫版を読んでいないのですが、このブームの基となった東銀座出版社の『マンガ蟹工船』(画像)(600円)を読んでみました。原作に忠実で、わかりやすいので、ぜひご一読を。


2008年08月11日

農業委員会との懇談会

 忙しい一日でした。午前10時からの文教経済常任委員会は杜氏の郷の経営問題が調査対象でした。委員会が始まる前、2人の議員から「どうしたらいいのか」と声をかけていただきました。ありがたいことです。私は11時から地元でグループホームの開所式があり、残念ながら、市側の説明を聞いただけで市役所を離れ、吉川区へ戻りました。
 開所式の方は12時すぎまでいて、その後、再び市役所へ。午後4時からの党市議団と農業委員会との懇談会の準備をしました。
 懇談会では、農業委員会から「農業委員会の任務と実際の活動」について説明していただき、私の方からは、日本共産党が3月に発表した「農業再生プラン」について説明し、意見交換をさせてもらいました。農業委員のみなさんからは、「化学肥料などの高騰がすごい。農業経営はきびしいなんてもんじゃない。やめたくなる」「国策として自給率上げろ、棚田を守れと言いたい。日本人なら少しぐらい高くても自国産のものを食べてほしい。農業を守るには、学校での食糧教育が必要だ」「いまのままなら農地を守れといっても、守りきれない」「緊急を要するのは中山間地対策だ。これは農水省だけの世界の問題ではない。国土を守るという点からいって、(ほかのところからも)真剣に考えてほしい」などの意見や注文が次々と出されました。
 今回は農業委員会との初めての懇談会でした。参加された委員の皆さんは、農業の現場で頑張っておられる方ばかりです。現場で仕事をしておられる人ならではの考えを聞くことができ、とても有意義な会となりました。


2008年08月06日

議員団会議の課題は盛りだくさん

 毎週月曜日にやっていた議員団会議が諸行事と重なり、きょうになりました。衆院選の準備をどうすすめていくか、農業委員会との懇談会の分担、市政の重要課題で「市民のみなさんの意見を聴く会」の開催、第三セクターの視察、議員団ニュースの検討など盛りだくさんでした。
 このうち、「市民のみなさんの意見を聴く会」の開催は保倉川放水路問題、第三セクター経営問題などで連続的に取り組むことにしました。図書館問題などで実施した緊急議会報告会の経験を生かし、市民の中に入ってみなさんの声をお聞きする、議員団としての見解を整理していく。不十分さがあっても、市民の皆さんとともに議会活動をしていくスタイルとして確立できればいいなと思っています。
 明日は県知事選挙のスタート集会です。久しぶりに新潟へ出かけることになりました。


2008年07月30日

集金、生活相談、見舞い

 昨日の雨が効いたのか、ちょっぴり涼しくなったように思います。きょうは、「しんぶん赤旗」の集金と生活相談を中心に動きました。今度の土日もイベントが入っていますので、平日に少しでも集金しておかないとすすみません。
 午後からは2つの病院、市役所などを回りました。従姉のお連れ合いを見舞った際、吉川区の2人の人とばったり出会い、話をしました。そのうちのひとりはMさん、おじいさんが入院されていると聞いてびっくりしました。春の市議選の時はとても元気で動いてくださった方だったからです。
 高熱が続いていた父はようやく平熱になりました。病室に入ると、私の顔を見るなりニコッとし、耳垢をとろうとすれば「いいがど」と大きな声を出す。いつものスタイルが戻ってきました。
 


2008年07月22日

上越地域3市の党議員で泊り込み学習交流会

 昨日は午前中が生活相談、午後からは糸魚川市、妙高市、上越市の日本共産党議員が集まっての学習交流会でした。生活相談でおじゃましたある年配の方の家では、思いがけない収穫がありました。その方は新聞記事などをきちんと整理されていました。私と大違いなので、整理能力と習慣について話をしたところ、1冊の本を紹介していただいたのです。築山節さんの『脳が冴える15の習慣』(NHK出版)です。目次を読むと、「脳を活性化させる朝の過ごし方」「忙しいときほど机の片付けを優先させよう」など読んでみたくなることがずらりと並んでいます。読めば、おそらく、私の生活の仕方に影響を与える、そんな予感がします。

 学習交流会。先頃開催された第6回中央委員会総会の報告を受けて、地方議員として衆院選での勝利に向けてどうがんばるか、6月議会ではどんな課題に取り組んできたかなどを学び、話し合いました。私は地元後援会の行事があって聴けなかったのですが、新潟県委員会から川俣副委員長を迎えての講義はとてもよかったようです。上野議員は、「おもしろくて、とてもためになった」と繰り返し言っていました。夕食時に川俣さんが話しかけてきました。「沖縄県議選での勝利は、上越市議選での実践が生かされた。当分の間、論戦の組み立ては上越でのパターンが続くのではないか」国政の課題を地方議員選挙でも訴えるといったやり方はしばらく続くのかも知れません。

 昨日は鵜の浜温泉で泊まりました。開湯50周年を迎えた同温泉の海岸では、花火が打ち上げられていました。近くで花火を見るのは久しぶりでした。夏本番がやって来た、という感じがしますね、花火は。旅館で出された料理は、朝捕ったばかりの魚の刺身など新鮮なものばかり。温泉には4回も入って、体を休めることができました。そう、そう、昨日は、カナカナゼミ(ひぐらし)の鳴き声をこの夏、初めて聞きました。オニヤンマにも初めて出合いました。


2008年07月19日

梅雨明け

 梅雨が明けたそうです。気温は30度を超え、汗が次々と出てくる。きょうは、いつものようにタオルを首に巻いて「しんぶん赤旗」の配達をしました。特別に意識したわけではないのですが、あちこちで避暑風景が見られました。一番いいなと思ったのは子どもの水遊び風景です。木陰で小さな洗濯用の桶に水を入れてもらい、その周辺で水を汲んだり、流したりして楽しんでいました。すぐそばにはネコが寝そべってのんびりしているというのもいい雰囲気でした(画像)
 
 きょうは市議会報告(6月定例会及び7月臨時会)の印刷もしました。印刷機のある部屋は冷房がきいていないため、窓を開けて自然の風が流れ込むのを期待しながら作業を続けました。印刷機械は順調に動いてくれたので、ほぼ5時間で作業を終えることができました。大量に印刷するのでインクをかなり使います。少しでも長く使いたいというクセがあり、濃度を下げて印刷したところ、私の一般質問の部分は少しかすれたものもありました。午後からは後援会事務局の人からの手伝ってもらいました。ひとりで黙々と仕事をするのはつらいものです。いい話し相手があって助かりました。

 父の様子です。お陰様でここ数日は体温も下がり、安定しています。昨晩、見舞いに行きましたら、とてもうれしそうな表情をしてくれました。視察で留守にしていた間は、妻が毎日通い、父の様子を見てくれていました。この暑さを乗り越えてほしいと願っています。


2008年07月14日

吉川区内の2級河川を視察

 昨日は本当に運が良かったと思います。一昨日の荒れ模様ときょうの激しい雷雨の間にさわやかな晴れがあり、そこで体育祭があったのですから。
 きょうの午前は上越地域振興局の白石地域整備部長、棚橋治水課長がこられ、吉川区内の2級河川の視察をされるということで、それに同行しました。視察箇所は玄僧川の道之下地内、吉川の東田中地内、入河沢川の河沢地内、平等寺川の泉谷地内、大出口川の泉地内などです。白石部長は東田中地内の状況を3年前にも見ておられますが、柳の木の生長のスピードが速いのにびっくり、「いまのうちだね、手を打つのは」。きょうの視察箇所の中で草木が一番大きくなっていたのは、入河沢川の河沢地内(画像)でした。「こりゃ、業者を入れないとだめだ」と言っておられました。白石部長などからは先日の合同陳情の際にも区内の河川を見ていただいています。先日視察していただいたところも、きょう視察していただいたところも、いずれの箇所も大雨になれば、水害の誘因となるところです。早急に手を打ってほしいものです。
 午後からは党議員団会議でした。第6回中央委員会総会幹部会報告を受けて、今後の活動をどうすすめていくか、議員団ニュース、市議会報告をどう編集していくかなどについて話し合いました。会議中、何度も落雷があり、激しい雨も降りました。梅雨明けはいつになるのでしょうか。


2008年06月29日

民商総会、図書館等整備問題市民説明会に参加

 久しぶりにたくさんの雨が降りました。早朝からの新聞配達、集金では、傘をさして飛び回りましたが、時々、強く降り、ひょっとしたら災害が発生するかもしれないと思いました。でも、強い調子は続かず、弱くなったり、強くなったり。この雨で畑の野菜も土もたっぷり水をもらいました。田んぼの稲にとってもいい雨でした。これで、干ばつの心配はなくなったのではないでしょうか。山間部の人たちに様子を聞いてみようと思います。

 さて、きょうは午後から高田でした。午後1時半から上越民主商工会の総会で、日本共産党を代表して挨拶をさせていただきました。私も酪農をやっていた関係で、数年前までは会員でした。何人も知っている人が参加されていて、肩の力を抜いて話ができました。総会の中での発言は都合で2人しか聞けませんでしたが、厳しい経営・暮らしが生々しく報告され、いい勉強になりました。総会後の懇親会では、いろんな出会いがありました。「妻は原之町のどこどこの者だ」「福平に親戚がある」と話しかけてきてくれる人がいました。そういうことを聞いただけで、その人たちとの距離が縮まります。尾神出身のSさんは、私の同級生の弟さん、「市議選では心配になり電話をかけて、お願いしたよ」。こういう人たちもいたから当選できたんだと思いました。

 総会を途中で抜け出して、直江津図書館・社会教育館整備事業の市民説明会に参加してきました。市民の皆さんの生の声を聞きたかったからです。「なぜイカヤなのか、なぜ直江津駅前にこだわるのかそこを知りたい」「いったん白紙に戻して、既存の施設の活用を考えるべきだ」「直江津に住む人間にとっては海と駅が大事。子どもとも話をしたが、図書館は『まちなか』にあってほしい。静かな環境もいいが、にぎわいの中に図書館があってもいい」などたくさんの声を聞くことができました。もし時間が制限されていなければ、もう1時間は議論が続いていたでしょう。

 きょうの説明会に参加してみて、議会での議論まで最大限時間をとってほしいと思いました。市民との対話が不完全燃焼をおこしていると感じたからです。この日記を読んだ人から、「議員も議会も説明責任を果たしてください」というコメントが寄せられました。これも当然です。議員団でもHPの更新をしなければいけないなどと話しています。市長がこうした重要問題で直接市民と対話をする姿を見て、いいなと感じました。自治基本条例が施行されて3か月、今回のような問題で市民も議会も行政も鍛えられていきます。直江津図書館等整備問題でもめたことが、上越市の自治にとって大きな収穫につながっていくかも知れません。なお、木浦市長はこの日、「27日にイカヤの社長と話をした。厳しいけれど銀行団に聞いてみるとの答えだった」と新たな事実を明らかにしました。


2008年06月28日

図書館等の市民説明会開催へ。市長も参加

 昨日の議会で一般会計補正予算が継続審査となったことで、直江津図書館等整備問題についての市民のみなさんの関心が一段と高まっています。浦川原区内で行った地元党支部主催の議会報告会でも、冒頭から、「図書館問題のことも報告してください」と催促されました。今朝、上越市のホームページを見たら、市民説明会を明日、明後日、3会場で開催するとありました。市長も出席するといいます。パブリックコメントについても、寄せられた意見や要望に返答を出すために総力をあげるそうです。自治基本条例に基づいて情報公開を行う、わかりやすい説明をする、パブリックコメントにはきちんと答えてから議会に臨む。私たちが総括質疑などで主張してきたことが実現することになりました。明日は民主商工会の総会で挨拶した後、市民説明会に途中参加してこようと思います。なお、私の総括質疑の模様は「上越市議会」のホームページ中、「議会中継」のなかの「過去の中継」(24日のところ)をクリックすればご覧いただけます。

 吉川区以外で議会報告をするのは昨年の県議選前に大島区、柿崎区で行って以来でした。参加者はあまり多くはありませんでしたが、「いま、みんな必死で頑張って生きている。ガソリンも上がる。肥料代もあがる。年金は介護保険料などが天引きされてたいへんだ。そういう暮らしをしている人たちの立場で議会活動をしてもらいたい。期待している」「限界集落という言葉は後期高齢者という言葉と同じくきらいだ。10年後に集落がなくなる可能性があると言っているようだが、とんでもない。おれたちはそこで生きているんだ」など活発な意見が次々と出て、とても有意義な会となりました。具体的な相談も寄せられました。


2008年06月21日

久しぶりに新潟へ

 久しぶりでした、電車に乗って新潟へ行くのは。朝から暑い日でしたが、柿崎駅のホームは海が近いこともあって、いい風が吹いていました。柿崎は明日まで浄福寺のお引き上げです。プラットホームには70代の女性と50代の女性がおしゃべりをしていて、話が聞こえてきました。「昭和20年から35年頃までに生まれた人たちは、お引き上げが楽しみだったわね。あの頃はお引き上げの時だけだったね、お小遣いがもらえたのは」「そうね、いまとは全然ちがったもんね」。こんな調子の懐かしい話は、きょうだからこそ聞けた話だったかも知れません。

 行きの電車は快速くびき野号です。電車の中で、本を読もうとカバンには2冊の本を入れておいたのですが、開いたものの、すぐに寝てしまいました。朝早くからの新聞配達で疲れがたまっていたのでしょう。帰りは特急北越号です。新潟駅の地下で購入した椎名誠の『風まかせ写真館』(朝日文庫)をゆっくり味わいながら読みすすみました。作者の椎名さんは60代半ばの人、ほぼ同じ世代といってもよいかと思います。くせのない、まあるい文章で見聞きしたことをかいているので、とても気に入っています。写真はすべて白黒で、見ていてもホッとするところがあります。この本を読み始めたら、私も写真エッセーに挑戦してみたくなりました。

 新潟は日本共産党後援会の世話人会でした。ここで上越市議選のことを話してほしいと頼まれたのです。会場へ着くと、会の次第に、私の話を「講演」としてあるのでびっくり。気楽に話すつもりでいたので、電車のなかではのんびりと寝てきたのです。しかし、もう間に合いません。日本共産党の会議などで話したことのないエピソードなどを自由に語らせてもらいました。「橋爪法一と語る会」で使っている黄色い幕はフォークシンガー・横井久美子さんのミニライブ「春秋楽座」で使う幕をヒントにしたこと、最近入党した人が熱心に読んでいたのはレーニンの『唯物論と経験批判論』だったことなどです。きょうの会議は衆院選を後援会としてどう闘うかを話し合う場でしたので、参考になったかどうかちょっと心配です。


2008年06月11日

党議員団が初めて医師会と懇談

 午後から約1時間、上越医師会の幹部の方と懇談させていただきました。介護保険などで個人医院の先生と意見交換させていただいたことはありましたが、医師会とは初めてです。主たるテーマは4月にスタートした後期高齢者医療制度です。医療現場の医師会の方々がいま、何を考えておられるか。ぜひお聞きしたいと思っていました。
 後期高齢者医療制度の問題では、「(老人保健制度は)このままでは維持できないので、何とかする必要があったと思うが、今回の制度は方法論として失敗だった」「何もしないのに報酬をくれる後期高齢者医療診療料(担当医制)はいやな感じだ」「延命治療をどうするかは、どこの医者も患者の家族と話し合っている。これにお金が絡む(終末期相談支援料)がとても使う気になれない」など率直なご意見をお聞きしました。
 地域医療の問題として行政に何を望みますかと質問したところ、いくつも帰ってきました。「中小病院における医師確保対策に力を貸してほしい。大病院と格差がある」「休日夜間診療所はやっても何人も来ない。行政はもっとPRを」「特定健診は現場で混乱があった。吉川区などのように、すでに終わった地区では前年より3割くらい受診率が落ちている。国保関係者でない人たちへの宣伝も、(市民の健康を守る立場で)やってもらいたい」。いずれも大切なことばかりでした。
 医師会の方から懇談会に参加していただいたのは副会長さんなど4名でした。「議会関係者とのこうした懇談はこれまでなかった。今後もこういう機会をつくってほしい」とも要望されました。これは議長にも伝えておかねばなりません。懇談はとても有意義なものでした。樋口議員は自分が一般質問で取り上げようとしたことで生の声を聞けたとうれしそうでした。
 


2008年06月07日

全県の党活動者会議

 加齢による判断ミスというのがあるそうです。私はまだ還暦前ではありますが、最近、うっかりミスとは違ったミスをすることがあります。先日は車のドアを閉める時に、自分の足を挟むという馬鹿なことをしました。幸い、軽い打撲で済んだのでよかったのですが、きょうは、他人の車に乗せてもらうというのに、直前に「あさつき」をぱくりとやってしまいました。たまたま自分の車の後部座席に1個落ちていたのでもったいないと思っただけなのでしたが、食べれば、「あさつき」の強烈な匂いがぷんぷんです。運転をしていた上野議員や大潟区の仲間の皆さんにあやまり、飴をなめたり、高速のサービスエリア売店で口臭防止の清涼菓子を買ったり。「年のせいだよ」と言われてしまいました。

 きょうは全県の党活動者会議がありました。山口典久さん(北陸信越ブロック衆院比例候補)を1回で当選させるためにどういう活動をしていくかを考え、経験交流する会です。党中央の増子典男さんの講演で衆院選勝利のためにどうすべきかを学び、山口さんの決意表明や県内各地で頑張る人たちの発言を聞いてきました。増子さんの講演は初めてでした。21年間、埼玉の党組織を指導してきた人ですが、新潟との関係をたっぷり話して、新潟の良さを語り、それから総選挙勝利をめざす党勢拡大の意義をのべる。ユーモアがあり、わかりやすい話でした。県内の仲間から先の上越市議選の経験を聞きたいという声が強いとのことで、私と上野議員も発言しました。上野議員は頸城区内のほとんどの集落で、参加者の要望や意見を引き出す双方向型の懇談会を成功させた経験を語りました。気軽に懇談会をやり、「しんぶん赤旗」の購読や入党を訴え、味方の陣地をどんどん大きくしていった経験は全県の仲間たちを励ましたと思います。

 私は帰り道、途中で妻と一緒になり、柏崎の義父を見舞いました。昨年の今頃入院し、医師に「暑い夏を乗り切れればいいのですが」と言われたのですが、おかげさまで元気に自宅で療養生活をしています。患部は肺、再び暑い季節を迎えるので、無理をしないでほしいと思っています。


2008年06月02日

議員団ニュースの検討は賑やか

 きょうの議員団会議では議員団ニュースの次号の検討や一般質問をどうするかなどで時間をかけました。また、平良木議員が作成してくれた各議員のスケジュール表の入力方法などを学びました。

 議員団ニュースは、次号の当番の上野議員が原稿を用意してきてくれましたので、賑やかな検討会になりました。「見出しは中身がズバリわかるものにしたらどうか」「(原子力災害発生時に使う)ヨウ素剤はどこで備蓄されているのか」「平良木さんの初質問だから、どうであったかについても読む人は知りたいのではないか」など次々と意見や注文、事実確認の声が出ました。自分の文章をみてもらって、よりわかりやすく、よりいいものにしていく。私もいろんな人にご指摘いただいて、たびたび助けてもらっていますが、こうして集団的に検討するといいものですね。とても勉強になります。

 夕方までに2件の生活相談に取り組み、夜は党支部の会議でした。時々、旬の食べ物を持参してきてくださるのは年配のKさんです。今晩はキイチゴの実(画像)を採ってきてくださいました。「日陰だったから、ちょっと甘味が薄いかな」と言われましたが、美味しくいただきました。


2008年05月26日

ビラの整理

 選挙後早急にやっておきたいと思ったことがいくつかあります。選挙前から選挙最中にかけて発行したビラの整理もそのひとつです。きょうはそれを重点的にやることにしました。発行したビラは市政レポート、吉川民報、後援会ニュースなどですが、そのうち、市政レポートは私の責任編集となっていますので、整理は簡単です。問題は他のビラです。他のビラのほとんどは集団で作成しています。印刷する時点のものは、ワードで作成してあるもの、パブリッシャーで作成してあるもの、イラストレーターで作成してあるものなど様々です。それらを今の時点でチェックし、整理する。簡単のようですが、なかなかはかどらず、夕方までかかりました。きょうの作業でこの整理はほぼ9割終わりました。あと、2日もあれば、ホームページに掲載できるでしょう。


2008年05月18日

久々に応援弁士

 夕方から柏崎市で党演説会でした。よその市町村まで出かけて行って演説会の弁士を務めたのは、おそらく旧大潟町で後藤紀一さんの応援をして以来でしょう。ひょっとしたら、20年くらい前になるかも知れません。それだけに緊張感がありました。「演説時間は10分、長くて15分でお願いします」と言われていたので、一応、10分用の原稿を用意してみました。上越市議選の結果と選挙戦の特徴を国政とのからみのなかで話す、そういう組み立てにしてしゃべり始めたのですが、結局、原稿はそっちのけ、時間は1分オーバーしてしまいました(画像)。訓練が足りません。それでも、聴衆の皆さんは真剣な表情で聴いてくださいました。この経験を来る衆院選に生かそうと思います。

 弁士は私がトップ、あとは武田勝利さんと山口典久さん(画像)です。弁士の控えの席でおふたりの様子を観察することができました。おふたりとも、原稿やメモをしっかり用意されています。山口さんは新聞の切り抜きも持参されていて、演説会が始まる直前まで、どう話をするかの最終チェックをしておられました。演説は聴衆をひきつける話題を出す、話す中身はやさしく、わかりやすくが基本です。おふたりともベテランでとても参考になりました。山口さんは、「忘れることのできない柏崎についての2つの思い出」から語り始めました。子どもの頃、家族旅行でやってきて、民宿に泊まります。そこで出された鯛、しっぽがぴょんとはねて弟が泣き出した。その話はまるで向田邦子のエッセーのようでした。中越沖地震で柏崎市内の山本団地の人たちと一緒に運動したことにふれ、「みんなで力を合わせれば、必ず政治を動かせる」、この大事なことを教えていただいたのも柏崎でした、と続けました。来る衆院選で国民の生活を守るには日本共産党の躍進がどうしても必要です。しかし、まだ日本共産党の実力が弱い。そこで、長野市のある団地で毎月1回、2年間も続いている「お茶飲み懇談会」の話を例に挙げながら、「日本共産党が大きくなれば地域はやさしくなる」「暮らしはこう変わる」という話を語りました。うなってしまいました。

 うれしかったのは柏崎の義父母も義姉も、それに妻まで演説会に来てくれたことです。途中からの参加でしたので、私の話は聞かずじまいでしたが、みんな、いい表情で聞いてくれました。義父は酸素ボンベ持参です。知り合いの人から、声をかけてもらって、にこにこ顔でした。これでまた、元気が出るでしょう。


2008年05月17日

研修会には電車に乗って

 昨日は高田から電車に乗って妙高高原へ。たまには電車もいいもんですね。ゆっくりと走るので、線路沿いの景色を楽しめます。以前、長野から直江津に来る途中、ニリンソウの群落を電車で見た記憶が残っていたのですが、その場所は中郷区内(旧中郷村)であることがわかりました。白い花を咲かせるニセアカシアはいまが満開です。新井や中郷など海岸部からかなり奥に入ったところでも咲いているのは新発見でした。ミツバチたちはここまでおっかけて来ているのでしょうか。

 さて、妙高高原で開催された北陸信越ブロックの党議員研修会、とてもいい研修会でした。井上哲参院議員の国会報告では、大連立の予行演習も行われているという指摘に注目しました。国民の変革を望む声をおかしな方向に持っていかせない努力を意識的にやらないといけませんね。柳浦党自治体局長の話では、「綱領を語り、日本の前途を語り合う大運動」を進めるうえでも、上越の頸城、吉川の取り組みが評価されていることを知り、うれしくなりました。埼玉県議の再選挙、上越市議選挙の選挙結果については、ニュージーランドの平和運動家のオブライエン氏からもお祝いのメッセージが日本の平和組織に届いていることが明らかにされました。各地の取り組みを聞いて、山口典久衆院比例候補を一回で当選させるために、「語る会」「集落懇談会」の取り組みをどうするか、私の支部でも新たな発展が求められていると感じました。

 妙高高原からの帰りも電車でした。偶然、柳浦局長と相馬エイ村上市議も一緒でした。柳浦局長のお連れ合いの実家は旧新井市内とのことで、お連れ合いのお母さんの顔を見ていくとのことでした。相馬さんとは選挙戦のことや昨年亡くなった桑名義夫さん(元新潟県農村労組書記長で、私の初の町議選挙で応援に来てくれた人。村上では、非常勤講師として絵画の指導をしていた)の思い出話をしました。桑名さんの個性あふれた四角い文字を思い出しましたが、小さな日記帳にびっしりと書く人だったといいます。いまから30年前の吉川町でのたたかいの記録を見せてほしく思いました。


2008年05月15日

小国との交流会

 昨晩は市内の温泉で長岡市小国町党組織・後援会との交流会でした。家には帰らず、今朝は電車で市役所に来て、そこから発信しています。小国町の組織との交流会はこれで3度目、細井市議との長い付き合いもありますが、今回は先の市議選で大きな支援をしていただいたことから、選挙戦を振り返るいい機会になりました。私の方で、選挙前から選挙後まで撮影したスナップ写真をスライドにして話をして、その後、いろんな分野でがんばった人たちのスピーチを聞きました。吉川から参加した後援会員さんは芸達者が多く、会の終わりごろになってから、民謡、歌謡曲、民話(画像)が次々と出て、なかなか万歳をできませんでした。みんな生きいきしていて、とてもいい交流会になりました。

 昨日の市議会の動きですが、議長・副議長をめぐって動きが活発になってきました。各派代表者会議が終わってから、私たちの議員団も加わって、2年前に共同歩調をとった4党・会派の代表がどう対応するか意見交換をしましたが、新しい議長が誕生するのか、これまでの正副議長が続投するのか、すぐにはまとまりそうもありません。きょうの昼も昨日の続きの会議を持つことになっています。
 


2008年05月10日

「しんぶん赤旗」日刊紙の学習・党活動版に上越市議選のことが掲載

 今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でした。大潟区にあるポストに取りに行き、きょうは、まず、学習・党活動のページをめくりました。というのは、先の市議選についてこのページで大きく報道してもらったからです。定数1、2の選挙区でどう勝利したかをリアルに伝えてあります。この記事を書くために、赤旗記者が何日も上越市に滞在して取材していました。原稿(案)ができると、現地の党組織にもみてもらってさらに練る。そうした過程を経て掲載されたものだけに、じっくり読みました。集落懇談会の取り組みなどを飾ることなく書いてあるので、「これなら、うちでもやれる」と思っていただけるのではないでしょうか。

 さて、話はがらりと変わって、田んぼのことを少し……。吉川区ではすでに田植えが始まっています。きょうは賑やかでしたね。あちこちの田んぼで田植え機が動いていました。田植えは当初の予定よりも少し早くなっていますが、最近の高温で苗が急速に伸びていることや台風が近づいていることが影響したようです。うれしく思ったのは河沢での田植え風景です。機械に乗っている人、苗を運んでいる人、軽トラで移動している人など作業にあたっているメンバー、いずれも30前後の若い人たちばかりでした。こういう年代の人たちが田んぼ仕事をしているのを見ると、何となくホッとします。


2008年04月30日

睡魔と闘いながら

 夏を思わせるような暑い一日でした。25度は越えたでしょうね。朝から車を長時間運転しました。妻を職場に送り届け、父の病院へ顔を出し、その後、高速道路にのって長岡市小国町へ。じつは選挙の候補カーを細井長岡市議からお借りし、昨日お返ししたのですが、車の中に私の宣伝カーのマイクを入れっぱなしだったのです。小国の帰りには柏崎の義父母のところへ久しぶりに寄りました。お土産は、地元紙に掲載された選挙報道です。「よかったのぉー」と言いながら、闘病中の義父はベッドの上で繰り返し読んでくれました。

 柏崎からの帰り道は小村峠を越えて柿崎へと計画していたのですが、野田から2キロほど行ったところで交通止めとなっていました。雪消えの遅いところでの山菜採り、野の花写真撮影などを楽しみたいと思っていただけに、残念でした。4時間近い車の運転は久々です。これまでの睡眠不足に加え、きょうの暑さも手伝って、運転していてもウトウトする寸前まで行きました。これは危ないと思い、家ではすぐ横になりました。

 午後からは「しんぶん赤旗」の学習党建設版担当記者の取材と生活相談でした。取材は、選挙にかかわるものです。旧吉川町の歴史や集落懇談会の取り組み、選挙戦そのものの展開と特徴などについてインタビューされたのですが、時たま、強烈な睡魔がやってきてまともな対応は出来ませんでした。記者の方には申し訳なく思っています。生活相談は、選挙期間中、選挙が終わるまでお待ちくださいと言ってきたこともあって、きょうは3件もありました。こちらは一眠りしてから対応しましたので、何とかなりました。


2008年03月29日

久々に日本共産党演説会

 朝、久しぶりに朝立ちの場所を変えてみました。土曜日なので、いつも楽しみにしている子どもたちとの朝の挨拶はできませんでしたが、時々、めずらしい人に会います。軽トラに乗って、クラクションを鳴らしてくれたのは、大島区の従兄の親戚で地域協議会のIさん夫婦でした。「がんばれよ。応援しているよ」の声がうれしかったですね。いつも声をかけてくださる方も、久しぶりに見る私の姿で安心したのか、「風邪ひかんかったかね」。土曜日は車が少ないのでどうしようか迷ったのですが、やはりやって良かった。

 午後からはリージョンプラザで党の演説会でした。衆院北信越ブロックの山口典久さんと武田勝利さんを迎えて、市議候補も全員そろっての演説会(画像)です。メインは山口さんの国政の話、いつものようにやさしく、わかりやすい話は惹きつけますね。話のなかには、いま注目の『週刊朝日』4月4日号の「真面目でブレない主張が新しい 志位和夫の新日本共産党宣言」も出てきました。私に与えられた時間は5分間です。3年間の市議活動のなかで感じたこと、農政の転換が必要であること、父の入院などで知ったことを生の言葉で語りました。大勢の前でしゃべるのは緊張感があります。でも、これで一気に走れそうです。


2008年01月27日

元気いっぱい、笑顔いっぱいの女性後援会

 市議選と衆院選勝利をめざす日本共産党女性後援会が市内で開催されました。私にとって女性後援会への参加は初めてです。どんな人たちが集まってくれるのかとても楽しみでした。市議選の予定候補がそれぞれ、これまでどんな活動をしてきたか、どんな政策を訴えていくのかを語りました。私は市議になってから3年しかたっていないけれども、この3年間は水害、大地震、県立柿崎病院問題、品目横断的経営安定対策など市民の暮らしや営業にかかわる重大問題が次々と起きて、そのなかで頑張ってきたことを紹介し、その後、父の入院で見えてきた医療や介護の問題点と改善の必要性を訴えました。私よりも前にしゃべった3人の市議予定候補が個性豊かに伸び伸びと語っていたので、それにつられて元気に話をしてきました(画像)。きょう、集まってくださった女性後援会の皆さんたちは明るく、頑張り屋の人たちばかりです。元気をいっぱいもらってきましたので、また、明日から頑張ることができます。


2007年12月29日

病院と吉川区を往復

 早朝の、まだ暗い時間に病院を出て、「しんぶん赤旗」日刊紙の配達をしました。配達後、家で市政レポートの印刷を済ませ、再び病院へ。長女と交代するまで、妻とともに父のそばにいました。夜中から、いつものように「おい」を連続して発しています。この「おい」を聞いている限りは、父の様態は少しずつ良くなってきているような気がします。

 午前11時すぎに妻と一緒に病院を出ました。家で約2時間の仮眠をとり、今度は「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしました。年末ですので、集金もしなければならなかったのですが、時間的な余裕はなく、ほとんど配達だけで回りました。いまは、また病院です。長女の話では痰が切れるようになってきたといいます。この調子で回復してくれればと願っています。


2007年11月25日

運動や世論が政治を動かしているのが見える

 今年中にもう1、2回あるかどうかという素晴らしい天気になりました。きょうは1年に1回行われる日本共産党上越地区の大会でした。阿部地区委員長や小日向県委員長の報告を聞いて思ったのは、政局が激しく動いていて、我々の運動や世論が政治を動かす面白い状況が生まれているということです。後期高齢者医療制度の実施が先送りされ、被災者生活再建支援法の改正で住宅本体の再建にも支援措置がとられたことを例にあげられましたが、米価下落問題での緊急対策もそうです。このように頑張ったことが目に見える形で出てくるとうれしいですね。

 さて、昨日から、「しんぶん赤旗」日刊紙で大江健三郎さんのインタビューが掲載されています。地区の会議の中でこのインタビューのことを話題にしました。「社会的活動に参加するときは、自分のやることに小さくてもどういう意味があるかを考える」「老年の人間としてジタバタ考えるのをやめた。今の年齢で自分ができる小さいことをやってみようと」思っているという大江さんの発言。いつものことながら心に残る言葉でした。きょうの記事をある人に紹介したら、「昨日もいいのが載ってましたよ」と言われました。沖縄の集団自決問題での裁判準備のために、50年間も毎日欠かさず英語あるいはフランス語の本を1時間読み続けていたのを中断したという話です。50年間続けたことも、ひとつのことに集中する気合も驚きでした。明日は最終回、どんな内容か楽しみです。


2007年11月11日

有坂農漁民局長が講演

 米どころ上越市の頸城区で「農業と食の今と未来」と題する講演会が開催されました。主催は日本共産党上越地区委員会です。市内各地から稲作農家、農業生産法人の役員、農業高校の職員、農業普及センター職員などが集まりました。最近の稲作をめぐる厳しい状況もあって、講演の後の質疑応答は1時間近くにも及びました。

 講師は党中央委員会の農漁民局長・有坂哲夫氏(画像)。同氏はまず、自公政治にたいする厳しい審判が下された参院選挙結果の背景にふれ、「働いても働いても食べていけないワーキングプアは農家、農村でも起きている。構造改革と新自由主義の下で、自公政治は農業・農村を切捨てきたが、その具体的な表れのひとつがコメ価格の暴落だ」とのべました。また同氏は、国民の運動、要求、世論が政治を動かす情勢になってきていると指摘し、日本共産党綱領を紹介しながら、当面する農業危機打開の方向として、①適切な国境措置と価格政策を基本に農政の転換を図ること、②アメリカいいなり、財界本位から脱却する一環として食料主権を確保すること、③家族経営を基本にして、全国民的な結集、統一戦線の立場での政策推進の3つをあげました。

 参加者からは、「農業生産法人の会計をしているが、今の米価では農協から借金でもしないとやっていけない」「中山間地の棚田を守ると言っても、そこで働く農民を国家公務員にでもしないかぎり、担い手は確保できないのではないか」「農家の人たちは怒りを忘れている。もっと怒らなければマスコミや行政を動かせない」などという声が出ました。また、日本共産党にたいしては、「もう一歩踏み込んだ現実的な提案をしてほしい」「政策をもっとわかりやすく説明することが必要ではないか」「来年の市議選でぜひ勝利してもらいたい」などといった注文や激励が相次ぎました。


2007年09月16日

感動をもらってきました

 県内の活動家を集めて総選挙に向けた方針を徹底するための会議が三条市で行われました。日本共産党が活動者会議と呼ぶ会議です。先日行われた第5回中央委員会の報告と当面の方針について小日向県委員長が1時間半ほど語り、その後は経験交流でした。
 活動者会議では毎回いくつかの感動をもらいますが、きょうは、朝日村の貝沼さんの決意表明と上越市頸城区の上野さんの党勢拡大についての発言が特に心に残りました。貝沼さんは先日行われた村議選で無競争当選したばかりの女性です。若くして亡くなった夫の遺志を継いで村議活動をすることにした、しかも村議としての活動期間は村上市などとの合併のため、わずか半年間。短い言葉でしたが、与えられた期間を村民のために全力で頑張るという決意の中に日本共産党議員としての魂を見ました。
 上野さんはいうまでもなく市議団事務局長です。頸城区を舞台にした支部活動を語りました。市議増員選、県議選、参院選と悔しさの残る戦いを続けてきました。すごいなと思うのは、選挙に負けても、次は頑張ろうねと仲間を増やし続けていることです。昨晩も頸城区内外で著名な人を仲間に迎え入れました。私とも交流のある個性溢れる人です。それにしても上野さんのいつも前向きな発言には励まされます。頑張らなくては。

 市政レポートNO1312をアップしました。裏面もあります。


小さな町の幸せ通信