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2009年09月03日

「平等橋」は「ヘイトウバシ」だった

 市議会厚生常任委員会が終わってから牧区へ車を走らせました。午後4時少し前です。目的は牧区の山中にある平等橋。ところが、事前調査が十分でなかったために道に迷ってしまいました。インターネットで調べた時の、鷹羽鉱泉の近くという印象が強く残っていて、仲入橋を過ぎ、山をどんどん登って行ったら、鉱泉に着いてしまいました。鉱泉の管理人さんに、「ビョウドウバシって近くにありますか」と尋ねたところ、「聞いたこともない」という返事でした。

 深山荘近くの宇津俣橋まで戻り、畑で仕事をしていた女性に、「ビョウドウバシってご存知ですか」と尋ねると、この人も首をかしげます。「平(たいら)」に「等(ひとしい)」と書くんですけど、ときくと、「あ、それはヘイトウです。だいぶ奥に入りますよ」。その場所は、宇津俣橋から南東方向に1.5キロメートルくらい行ったところにありました。「平等橋(ヘイトウバシ)」(画像)。1級県道柳島信濃坂線にある昭和61年12月竣工の橋でした。橋長、約27メートル。これで市内にある「平和」と「平等」と名のつく二つの橋を渡ったことになります。

 きょうの牧区入りで印象に残った橋は、「島之橋」、「藤見橋」、「平等橋」。このうち、「島之橋」は旧上越市と牧区の境にあります。合併前は、橋を渡ると違う行政区になる場所でした。「藤見橋」(画像)は新しくて、とてもきれいな橋なので、車をとめて初めて渡りました。竣工は昨年の10月です。おそらく、市道にある橋としては一番新しい橋でしょう。

 ところで、きょうの最大の収穫は、「平等橋」をさがしている時に出合ったメタカラコウ(画像)です。蕗のような大きな葉を持ち、房状の黄色い花を道端で咲かせていました。感動でした。もちろん、初めて出合った花です。写真は全体を撮ったものがぴんぼけでしたが、接写したものはまずまず。道に迷ったおかげで素敵な出合いとなりました。
 


2009年04月29日

地質調査結果説明会

 民間事業者による長野県信濃町赤川地区内での廃棄物最終処分場建設計画は、3月議会で3人の議員が一般質問で取り上げるなど大きな話題となりました。このなかで、信濃町が山形大学川辺孝幸教授の協力を得て実施した建設予定地周辺の地質調査結果が質問に影響を与えたことは以前のブログにも書いたとおりです。
 昨晩、信濃町で川辺教授による地質調査結果説明会があるというので出かけてきました。同教授は「信濃町野尻赤川地区周辺の地形・地質について」と題して約1時間にわたってプロジェクターを使って報告しました(画像)
 この地区の調査結果概要報告は信濃町が公表した文書で見ていたのですが、こちらはまったくの素人ですから、文書を見てすぐ理解できるというわけにはいきません。川辺教授の報告を聴いて、初めて分かったこと、改めて重要性を認識したことがいくつもありました。
 この地域がフォッサマグマ地域北部に位置していて、第四紀中期更新世以降も活発な活動を行っている地域であること。廃棄物最終処分場予定地に登る林道の切り割りに北東ー南西方向の正断層群が露出していて、断層面に残された擦痕からは断層の北西側が地形的には高い西側に向かって動いたことがハッキリと分かること。そして、いまひとつ、赤川処分場予定地で確認できた活断層が動かなくても、周辺の活断層の地震動が引き金になって、岩手・宮城内陸地震で発生した大規模な地滑り・崩壊が起きる危険性がある。これは新鮮な指摘でした。
 今回の報告を聴いて、いま一度、現地調査をしたいと思いました。昨晩の説明会には上越からも地学団体研究会のメンバーの方が数人参加されていましたので、できれば、この人たちの協力を得て一緒に取り組みたいものです。


2009年02月10日

岡田知弘先生と新潟市で再会

 市役所からの発信です。昨日は、にいがた自治体研究所の創立20周年記念講演会があり、新潟市へ行ってきました。講師は京都大学の岡田知弘先生です。『山村集落の再生の可能性』(自治体研究社)の出版で一緒に仕事をさせていただいた方です。講演前に1時間半ほど時間をとっていただき、これからの地域自治、地域経済のあり方をめぐり、研究所の福島副理事長さん、自治体職員の人と一緒に意見交換させてもらいました。
 この中で、合併して大きくなった自治体の都市政策をつくるうえで、「地域小区分データ」(上越市でいえば、13区、旧上越市となりましょうか)を生活、経済などでとり続けていかないと科学的な分析ができないこと、唐津市などで合併の評価に関する住民アンケートを実施して興味深い結果が出ていることなどを教えていただきました。これらは、今後の議会活動に生かせる貴重なアドバイスにもなりました。
 講演は、「全国に広がる地域・自治体再生のいぶき」(副題は「道州制」・「地方分権改革」への対抗を考える)と題して1時45分にも及ぶものとなりました。麻生内閣の支持率が急落するなかで「起死回生」策として「道州制」「地方分権改革」が前倒しされようとしている情勢や財界などの唱える「道州制」の限界と問題点などについて展開されました(画像)。私が思っていた以上に、「道州制」の動きが急ピッチとなっていることやこれまでの地域政策の失敗が大規模に再現することになりそうなことを知り、市議会でも本格的な論戦をしていかねばならないと思いました。
 記念講演会には関川村の名物村長、平田大六さんも駆けつけ、祝辞をのべられました。吉川町時代に2回ほど平田さんの講演を聴いたことがありますが、「トキが1ヶ月も関川村にいたのは住み心地がいいところだからで、誇りだ。急にトキがいなくなってからは村長が猟師を集めて撃ち落としたのではとうわさされたが、その後、新津で発見されてホッとした」など相変わらずユーモアたっぷりの、聴きごたえのあるスピーチでした。


2008年11月02日

第16回東京吉川会総会

 朝の6時に吉川をマイクロバスで出発して東京吉川会総会・懇親会に参加してきました。吉川区からの参加者は16人。昨年のように雪の心配もしないでよく、きょうは秋晴れ、快適な一日を過ごすことができました。
 会場は今回も四ツ谷のスクワール麹町。参加者は昨年よりも増え、100人近くにもなりました。昨年の総会では、15回という記念すべき総会にもかかわらず参加者がぐんと減り、先行きがどうなるかと思っただけにうれしかったですね。この点は会の幹部の皆さんも共通の思いだったようです。今回の会は、政治経済が大激動しているなかで開催されました。食の安全もきびしく問われている。そういうなかでふるさととのつながりを大切にして生きていきたいという人が増えてきているように思えました。それが参加者が増えてきていることの底流にあるのではないでしょうか。
 今回の会では、いまの政治について語る人が多かったように感じました。関澤英世会長は冒頭の挨拶のなかで「いま世の中、大変厳しい。政治がダメ、経済がダメ、そこに住んでいる国民が一番つらい思いをしている。これに負けていられない。いい方向を見極めなきゃ一生終われない」とのべておられました。「総額2兆円の定額給付金をくれるといっても、その後、消費税増やすんではだめさ」と周りの人に訴えている人もいました。
 私は4年連続の参加です。毎年参加していると顔なじみも増え、いろんな話を聴き、情報交換することができます。今回は昨年初めて出会った東田中地区出身の人が私の顔を見るなり、「姉がいつもお世話になっています」と声をかけてくださいました。いつも遠くから応援してくださる吉川高校醸造科出身の女性陣の皆さんも「また会えて良かった」と私のところに来て手を握ってくださいました。青年団活動を一緒にやり、その後教職に就いた人などとも懐かしい思い出話をすることができました。この日記を時々読んでくださる人も数人おられました。うれしかったですね(画像)
 
 


2008年09月07日

定数1の京都市南区市議補選で党候補勝利

 よし!やった!いいぞ、いいぞ。京都市議補選結果が夜の11時少し前に入ってきました。井上哲参院議員のメルマガによると、日本共産党の佐野候補が自民党候補に圧勝したそうです。
 「22時前に当確の連絡が入り、今、選挙事務所で万歳をしたところ。佐野候補10441票。自民党候補8195票。圧勝です。事務所内は報道陣もつめかけ、興奮状態です。泣きながら抱き合う人。握手ぜめにあう候補者。次々と詰め掛ける人々。ひっきりなしにかかるお祝いの電話。本当にありがとうございました。庶民いじめの自民党政治に加え、福田総理の無責任な辞任に市民の怒りは倍増しました。全国の怒り代弁し、区民の皆さんが見事な審判を突きつけました。(中略)あ、また、万歳がはじまった。万歳、万歳、万歳。そして、総選挙も勝利するぞ!」
 リアルな内容でぐいぐい読者をひきつける井上メルマガですが、うれしいニュースでした。この選挙戦の勝利は間近に迫った感のある衆院選に大きな影響を与えるはずです。良かった。
 きょうは、午前に中学校の運動会があり、1時間ほど参加してきました。本当は半日いて、応援合戦などきびきびした動きを見たかったのですが、朝から生活相談が入り時間がとれなくなりました。柿崎区、浦川原区などで動きました。そう、日本共産党の新しいポスターも10枚ほど張り出しました。


2008年08月18日

「消防の広域化」、いよいよ議論の対象に

 お盆明け。きょうは建設企業常任委員協議会と消防組合議会がありました。このうち、消防組合議会は市議選後初めての議会です。議長に上越市議会の山岸行則氏を選任し、補正予算などを審議しました。
 消防組合議会のきょうの注目点は、定例会後の全員協議会です。第12次の組合消防整備計画(案)、消防組織の広域化などの説明がありました。実質的な審議は次回となりますが、一番の問題は消防組織の広域化です。すでに、国が示す広域化方針に基づいて、新潟県消防の今後のあり方検討委員会が県内を7つの圏域にまとめていくたたき台を提言しています。この提言でいくと、上越地域消防事務組合は糸魚川との統合をせまられることになります。たしかに広域化によってコスト低減はできるでしょう。しかし、どう説明しようと、住民の安全・安心を守る基本の活動が後退していくことは必至です。消防と住民の距離が遠くなり、いざという時に間に合わない。そんなことは絶対許されない分野です。しっかりとした議論をしていきたいと思います。
 きょうは昨日に続いてカラッとした天気になりました。車のクーラーも使いませんでした。


2008年08月08日

化膿?

 午後から足が痛みだしました。ここまで順調に来たと喜んでいたのですが、どうやら、手術か所が化膿してきたようです。じくじくして赤い汁が出るようになっています。昨日、きょうの午前と、歩きすぎたのかも知れません。
 きょうは午前に株式会社よしかわ杜氏の郷で支配人と約1時間懇談、その後、午後2時半過ぎまでかけて市政レポート作成、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、父の見舞いと動きました。
 夜はオリンピックの開会式だというので、テレビの前で横になっていたら、うとうとしてしまいました。


2008年07月26日

第50回自治体学校

 暑い2日間でした。昨日の朝早くに直江津駅を出発、大阪吹田市で開催された第50回自治体学校に参加してきました。吹田市は自治体問題研究所発祥の地です。会場では、昨年、『山村集落再生の可能性』出版でお世話になった自治体研究社の深田さんなどと再会、吉川から持参したトマトをプレゼントしてきました。当初2日間は出る予定でしたが、地元でのイベントと重なり、勉強は初日の講演と3本の報告(リレートーク)だけでした。それでも、参加して良かった。私が学生だった時代から自治体研究の第一人者として有名だった宮本憲一さんの講演を初めて聴くことができましたし、岡田知弘現理事長の歯切れのいい基調講演で、先日、高田で聴いた岡田講演の復習ができました。構造改革路線の破綻の中で、「社会的弱者が生きていけない社会が到来している」ことを改めて意識、いま、議会活動はどうあるべきかを学びました。

 宮本、岡田講演を聴いた後で行われたリレートークは自治の現場での生き生きとした動きを伝えるものとして印象に残りました。宇和島市の市立病院で働く若藤さんのスピーチは、新潟県立柿崎病院のこととダブらせて聴きました。率直に言って、これまで、病院で働く人たちとの連携をあまり意識しないで運動を進めてきましたが、「仕事着」を着て報告に臨んだ若藤さんのスピーチで大事なことのいくつかを再認識しました。「うじうじしていてはダメ。小さくても声を出さないといけない」そのとおりです。長野県阿智村長の岡庭さんの報告は、「集落を基礎にした地域再生と自律の村づくり」。総論ではなく、個々の集落をどう守っていくか、集落に人が住み続けられるようにするためにはどうすべきかが大事である、と言われた言葉が重く響きました。流暢さはなかったものの、自分の言葉で首長としての考えを誠実に語る姿は忘れません。

 今回の大阪行きは自治体問題の勉強以外でも興味深いものとなりました。読み終わったばかりの『里山を歩こうPart2』(岩波ジュニア新書)の現場を、行きも帰りも特急で通過することになったからです。琵琶湖の北部から西部をJR線が走っていますが、青い湖面、湖に近い田んぼ、おそらく湖に注ぐであろう川の源流地帯などの風景を見ながら、本を読み返しました。こんな経験はめったにできるものではありません。田んぼでは、何という品種でしょうか、穂が出そろい、出穂前の田んぼの緑とは違った色の風景をつくりだしていました。もう少し遅いスピードの電車で通れば、本に登場した三五郎さんのような人の姿も見ることができたかも。帰りの特急では、車掌さんが琵琶湖やトンネル温泉などについて短い紹介をするというサービスもありました。これも良かった。


2008年07月21日

柏崎で原発住民運動センター全国交流会

 常任委員会の視察による疲れをとらないうちに連続して会議などがあり、この日記もなかなか書けない状態が続いています。
 昨日は原発問題住民運動連絡センターなど3団体共催による全国交流集会が柏崎でありました。中心課題は史上初の原発震災となった柏崎刈羽原発震災の全容を第3者機関で徹底解明させようというものです。国道上で事故があって大渋滞となり、会場には30分遅れで到着。ちょうど立石雅昭新潟大学教授の講演(画像)でした。地質の専門家の方から立石教授のことをお聞きしていましたが、期待どおりの講演内容でした。設計基準を大きく超えた地震動が原発を襲った、その事実を様々なデータで解明していく。最新の知見を過小評価することなく、国民の安全・安心を守っていくことの大切さを学びました。きょうの講演をもとに『前衛』最新号の論文も読んでみたいと思います。
 講演、全国センターの伊東達也さんの問題提起を受けて10数人が発言しました。私も地元実行委員から「地域防災計画に原子力防災を盛り込んだ上越市の事例報告を」という求めに応じて発言させてもらいました。原発から10キロ以上離れている自治体が世論や議会の議論を重視して原子力防災計画を策定したのはきわめて重要な動きだということで発言を要請されたのですが、6分という制約の中で発言するには原稿の用意が不可欠でした。言わなければいけないことの3分の1ほどしか言えず、実行委員の方々には迷惑をおかけしました。
 昨日の集会は原発震災問題を学ぶ絶好の機会となりました。いただいた資料などを大切にして、しっかり勉強していきたいと思います。


2008年05月27日

第1回吉川区地域協議会

 改選後初の吉川区地域協議会がありました。定数16人のうち、これまでのメンバーは5人、あとはすべて新人です。どんな雰囲気になるのかと注目しながら傍聴させてもらいました。最初の自己紹介のときから、自由に伸び伸びと語るところがあって、とてもいい感じでした。新しく選ばれた会長さんは矢沢源一郎さん、一人ひとりの意見を尊重してやっていきたいと抱負を語りました。副会長は山岸晃一さんと岩井栄子さんです。山岸さんは、「たいへんな重責を担うことになった。会長の後に付いて背中を押していきたい」、岩井さんは、「今回一番うれしかったのは女性委員が5人になったこと。副会長はしんどいと思うが、一生懸命務めさせていただく」と述べました(画像)。きょうの協議の中心は地域協議会の運営と地域協議会だよりの編集でしたが、率直な意見が次々と出て、とても活発でした。今後が楽しみです。

 きょうは久しぶりに本屋をのぞきました。目当ては岩波新書です。市内では高田の春陽館書店が岩波書店の本をバッチリそろえてあるので行きたかったのですが、時間がなく、市役所の近くで間に合わせました。目に入ったのは新刊です。『介護』(結城康博著)という新刊のサブタイトルは、「長生きはするなということか」。父のこともあり、これはぜひ読みたいと買い求めました。また、湯浅誠さんの『反貧困』は、私がいま注目している非正規労働者の問題解決のためにも買って勉強しておきたいと思いました。もう1冊はマンガです。西岸良平の『三丁目の夕日』(続映画化特別編)を求めてきました。本当は映画を見たかったのですが、時間がなく見ることが出来ませんでした。それでマンガで楽しもうというわけです。これから布団の中で読みます。

 明日は郷土料理を楽しむ会です。たまには家には帰らず、高田の町でゆっくりしたいと思います。ということで、明日の日記は休みます。


2007年11月07日

生活相談で旧東頸城へ

 青い空が広がりました。紅葉は最盛期を過ぎたとはいえ、赤や黄色がはっきりしていて、とてもきれいです。わが家の牛舎の近くの山は、ふだん、「きれい」ということを意識したことはないのですが、きょうは写真に撮りたくなりました。ごらんください(画像)

 先月受けた生活相談の件で浦川原区まで行き、そのついでに、旧東頸城のいくつかの区の総合事務所に行き、『山村集落再生の可能性』の宣伝をしてきました。ある区では、集落機能維持の話から身近な情報を行政としてどう発信していくべきかについて意見交換をすることができました。昨年、市の広報・HPについて一般質問でとり上げたのですが、HPの各区のページ、区の広報紙に関してはほとんど改善されていません。このままではいけないなと改めて感じました。

 きょうの新潟日報上越版に吉川区で元町議が立候補を表明とありました。すでに数ヶ月前から自らの広報紙で立候補を明らかにしている人ですが、吉川区内でも初めて知った人がいて、「強敵だよ。負けないようにがんばってくんない」と声をかけてもらいました。ありがたいことです。


2007年11月06日

党県委員会が県交渉

 日本共産党新潟県委員会が県の新年度予算に関して交渉をしました。上越地区からは私と平良木哲也さんと2人の参加でした。あらかじめ要望事項を文書で提出していたこともあって、県側から一つひとつ回答があり、その後、一定の時間以内に参加者が発言するという流れで進められました。私は平常時での除雪費補助制度、佐渡汽船小木直江津航路問題などで発言させてもらいました。1,2分でインパクトのある発言をするには十分準備してこないとダメです。きょうはいい勉強になりました。

 交渉は午前中に終わり、その後、県庁の食堂で定食B(450円)を食べました。キャベツとフライ、白菜のロール煮(?)スープがオカズでしたが、結構美味しかったです。食堂では社民党の小山県議で偶然会い、挨拶を交わしました。食堂を出てから高速バスの乗るまで40分ほど時間があったので、生協の書籍売り場で本を眺めてきました。先日出たばかりの『山村集落再生の可能性』(自治体研究社・1500円)も15冊積んでありました。昨日、20冊ほどおかせてもらったばかりといいますから、順調な売れ行きです。


2007年10月30日

救急車3台が走行距離20万キロ以上

 上越地域消防事務組合議会、13区議員の会、月例議員懇談会、勉強会と続きました。一日中、びっしりと日程がつまっている時は疲れますね。

 消防事務組合議会では妙高市の組合議員が変更になり、新副市長、新議会議長が新たに議員になって参加されていました。私の隣の席には佐藤栄一さんが座られ、少し言葉を交わしましたが、同じ高校の同級生です。世間は狭いと感じました。会議の中では、中越沖地震での救急車の出動状況をたずねたところ、地震が発生した当日、出動要請があったのは柿崎区7件、吉川区1件、旧上越市内1件だけということでした。予想を大きく下回る数字でしたね。小堺消防長は、「あれだけの激しい揺れの中で件数が少なかったのは不幸中の幸い」とのべていましたが、あの地震での重軽傷者は157人で、そのうち重傷者は22人もいましたから、自家用車などで病院に行った人も大勢いたということでしょう。時間があれば、要請があってから到着までの時間、今後に向けた課題などをただすべきでした。きょうもたくさんの資料をいただきましたが、驚いたのは救急車の走行距離です。管内にある11台の救急車のうち3台が20万キロを越えていたからです。このうち1台は26万キロを越え、あちこちの部品を交換して使っているとのことでしたが、今回、消防整備計画で更新対象にあがっていたのはこの1台だけです。これでいいのかと思いました。

 月例議員懇談会後の勉強会。きょうの講師は山梨学院大の江藤俊昭教授です。「都市内分権と住民自治…住民と歩む議会改革」と題する講演は中身が濃くてとても勉強になりました。江藤教授とは東京都内のセミナーで一度お会いしたことがありますが、とても人懐こい顔をされていて、親しみを感じます。講演では、左手で時々マイクをなでおろしながら、「市議会のみなさんはなぜ全国市長会のバッジをつけられるのでしょうか。自治を考えるなら、その市のバッジをつけるのがいいと思うのですが」「住民参加は執行機関の専売特許でいいのでしょうか」「議会は質問の場ですか。議論の場ではないでしょうか」などと「当たり前になっていることに」次々と疑問を投げかけました。北海道栗山町議会の議会改革についてもビデオで見せていただきました。今回の講演を契機に上越市議会をどう変えていくか。それが問題です。


2007年09月15日

新潟市で本の編集会議

 地震で不通となっていた信越線の柿崎ー柏崎間は13日に開通しました。きょう、開通後、初めて電車に乗り、新潟まで行ってきました。行きの電車の窓からは日本海の青い海がとてもきれいに見えました。ただ、電車のスピードはいつもの半分くらいです。青海川駅周辺での減速は理解できますが、そのほかのところではなぜ減速が必要なのか、わかりませんでした。青海川以外のところでも地震の影響で線路の路盤が弱くなっているところがあるのでしょうか。説明がほしいと思いました。

 きょうの新潟行きは、にいがた自治体研究所で本の出版の打合せです。タイトルは『山村集落再生の可能性』に落着きそうです。打合せでは、自治体研究社の出版部の担当の方の司会で、山古志でのインタビュー原稿、長岡市小国町法末集落の取り組み、そして私のルポ原稿について意見交換しました。私の方はなかなか原稿が間に合わず、新潟行きのくびき野号の中でもパソコンを使い、原稿書きをしました。電車の中で原稿を書いたのは初めてです。電車の揺れはほとんど気になりませんでした。3000字くらいは書けたと思います。思った以上に書けたので、クセになりそうです。

 打ち合わせが終わったのは午後6時近くでした。その後、新潟駅に近い「魚金」というお店で懇親会をやりました。お店では魚がとても美味かったです。とくにサンマ、ハタハタがよかった。ビールは中ジョッキで3杯もいただきました。きょうは暑さがぶり返したので、どんどん飲んでしまいました。京都大学の岡田知弘教授と話すなかで、私が学生時代お世話になった横浜国立大学の中村剛治郎教授とは日本地域経済学会で一緒に仕事をされていることを知りました。世間は狭いものですね。


2007年09月08日

ホームページ移転

 いつも「ホーセの見てある記」を読んでいてくださる方はびっくりされたのではないでしょうか。きょう、というより今晩、私のHPを移転しました。写真など容量の大きいファイルをどんどん掲載しても同じサイトで見られるようにしたいと考えていたのですが、ようやく実現しました。それともうひとつ、移転に伴い、「ホーセの見てある記」をブログにしました。これで、読者の皆さんから気軽にコメントをいただけるようになりました。双方向型の通信への脱皮です。15日ごとにファイルをつくる面倒くささからも解放されます。
 慣れるまで、しばらくはミスもあろうかと思いますが、どうか、今後ともご愛読くださいますよう、お願いいたします。
 市政レポートNO1311をアップしました。ご笑覧ください。


小さな町の幸せ通信