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市政の動き への全投稿

2013年09月14日

県ドクターヘリのランデブーポイント追加


 おはようございます。今朝もいい天気になりました。昨日に続いて、田んぼはコンバインが忙しく動くことになるでしょう。

 最初にお詫びです。昨日コメントいただいた「ひろ」さんへの返信がどういうわけか出来ませんでした。「ひろ」さんのコメントは、「いつも楽しく拝見しています。お母様が元気になられてよかったです。いつまでもお元気で!」というものです。ひろさん、ありがとうございました

 昨日は建設企業常任委員会でしたが、私の一般質問通告についての関係課長さんたちの聞き取りなど重要なことがいくつもあり、傍聴できませんでした。これじゃ、何も書けないなと思っていたのですが、市の健康づくり推進課の方からうれしい情報提供をしてもらいました。6月議会の一般質問で私は、上越市内のドクターヘリランデブーポイント(ヘリと救急車が合流する場所、離着陸場)を増やすよう求めていましたが、このほど、ランデブーポイントとして9カ所、準ランデブーポイントとして2カ所追加されたというのです。うれしかったですね。

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 ランデブーポイントで追加されたのは、①光が原高原旧駐車場(板倉区)、②光が原高原テニスコート駐車場(板倉区)、③スカイトピア遊ランドグラウンド(吉川区)、④吉川地区公民館川谷分館グラウンド(吉川区)、⑤安塚和田スポーツ公園グラウンド(安塚区)、⑥菱里地域生涯学習センターグラウンド(安塚区)、⑦安塚小学校グランド、⑧安塚中学校グラウンド、⑨棚広新田多目的広場(牧区)です。

 準ランデブーポイント(登録基準に該当しないものの、有効な場所としてドクターヘリに情報提供する施設)として追加されたのは、①大島あさひ荘ゲートボール場(大島区)、②マウンテンリバー川上笑学館(牧区)です。

 上の写真は上越市内に初めて県のドクターヘリがやってきたときのものです。5月2日、旧源小学校グラウンドです。

 さて、きょうは「しんぶん赤旗」日曜版の配達などで動きます。1週間働きっぱなしなので、途中で息抜きもしたいと思っています。


2009年10月07日

誤解のないように

 一昨日、記者会見して、今回の市長選挙については候補を擁立できなかったこと、いま名乗りを上げている人たちについてもマニフェストなどを検討した結果、支持できないことを明らかにしたことはご案内の通りです。ところが、どこでどうなったのか、おかしな話を耳にしました。その記者会見から一日も経たないうちに、「橋爪さんや上野さんなどから○○を応援してもらえることになった」とある陣営で報告があったというのです。今回の選挙では怪文書が飛び交ったりして、何でもありだなと思ってはいましたが、まさか、こんなことまで起きるとはびっくりしましたね。私どもは記者会見したこととは違った発言も行動もしていませんので、誤解のないようにお願いしたいものです。

 さて、きょうは市役所で当面する課題の整理をした後、事務所に戻り、市民アンケートの印刷に精を出しました。このところ、印刷機の不具合が多発していたので、最初はひやひやしながら印刷したのですが、思った以上に順調に印刷できて、とてもいい気分です。印刷の合間に、次の月曜日に京都市で行う出版企画会議の準備も始めました。こちらは、ちょっとの時間でやれる仕事ではありませんので、イメージづくりだと割り切って、いろんな資料をめくったり、メモをしたりしました。私の場合、文章を書くのに、このイメージづくりが十分でないと納得のいく文章は書けません。

 夜は中学時代の恩師の先生などと一杯やりました。先生は英語とテニスを教えていただいた方です。酒を飲みながら話したのは、もちろん、中学時代の思い出話です。英語の授業で忘れられないのは、「go on a picnic(ゴーオンナピクニック) 」。「ピクニックに行く」という意味ですが、先生からは、「いいか、ピクニックに行くには一人で行ってはおもしろくないね。女性と一緒だと楽しい。だから、ゴー女ピクニックなのだ」と教えていただきました。何でも憶えるには関連付けが大事です。楽しいひと時を過ごさせてもらいました。


2009年10月05日

市民アンケート結果を公表

 7月下旬から市民のみなさんにお願いしたアンケートの結果がようやくまとまり、きょう、発表しました。ご協力いただいたみなさんには心から感謝申し上げます。本来なら、結果を印刷して、アンケート用紙を配布した全世帯にお返しすべきではありますが、ページ数が多いこともあって、全文は私と上野、平良木市議の3人のホームページ、ブログに掲載することとなりました。この点、お許し願いたいと思います。

 お読みいただけばわかるように、市民のみなさんの暮らし向きは悪くなっていて、国政、市政に対する要望も切実なものがとても多くなっています。掲載したものの中では、記述式の回答がたくさんあります。これらは市民のみなさんの文字通り生の声です。私たち日本共産党に対する批判のご意見もそのまま掲載しました。ぜひご一読下さい。私たちはこうしたみなさんの声をしっかりと受け止めて頑張っていきます。

 さて、きょうは午後3時から党上越地区委員長ととともに記者会見を行い、今月18日告示、25日投開票の市長選に関する日本共産党の対応を明らかにしました。この中で阿部正義地区委員長は、「これまで候補擁立に向けて努力してきましたが、残念ながら今回は擁立できませんでした。(党後援会員のみなさん、期待していてくださった)市民のみなさんには心からお詫び申し上げます。また、立候補予定の3人のみなさんから応援要請を受けていましたので、マニフェストを中心に検討いたしました。その結果、私たちと一致できる公約がいくつもありましたが、賛同できない重要な問題点もあり支持するということにはなりませんでした。きょう配布した市民アンケート結果を見ると、市民の暮らしは悪化し、切実な市民要求が寄せられています。これらを実現するために頑張っていきたい」とのべました。

 記者からは「なぜ候補を擁立できなかったのか」「3人の立候補予定者を支持できない理由を具体的にのべてほしい」などの質問が相次ぎ、記者会見は予定時間を大幅に超えました。阿部地区委員長は、候補擁立できなかった要因として、党の力量不足と取り組みの遅れをあげました。応援要請にこたえられなかった理由については、私の方から、「いくつもの箱物建設を公約されている方があるが、財政危機認識の甘さがある」「市の最上位計画である第5次総合計画改定版が市民参加のなかで策定されたにもかかわらず、それへの言及がない」ことなどをあげて説明しました。

 きょうの記者会見にはカメラマンを含め9人のマスコミ関係の方が参加されました。候補擁立を発表する時と違って、擁立断念の発表はつらいですね。今回の私たちの態度表明によって、市長選は三つ巴となることがほぼ確定しました。3者それぞれのマニフェストには、子ども医療費無料化の拡大、通園・通学バスの無料化、介護・医療分野での高齢者支援など評価できるものがいくつもあります。私たちはどなたがトップになられようとも、良い公約は実現に向けて応援していきます。もちろん、問題があることには反対していきますが。


2009年09月29日

マニフェスト

 10月25日に行われる市長選挙を前に3氏がマニフェストなるものを発表しました。全体として、とても読みやすくなっています。また、政策的にみても、子ども医療費無料化の拡大、介護にかかわる負担の軽減など市民の暮らしの中で切実なものが盛り込まれていたりして、よくできているなという印象を持ちました。おそらく、3氏を応援する人たちの知恵を結集して作成されたのでしょう。

 ただ、これでいいのかと思ったことがあります。すぐに取り組むことと、4年間の任期中に実施すること、4年間の任期中に検討することを区別せずごっちゃまんざいにしてあるものがあることです。従来型の公約と区別して、マニフェストという言葉を使うなら、少なくともこの点は整理してほしかったですね。ちなみに、マニフェストを辞書で調べてみると、「政策の目標数値・達成期限・財源・工程などが具体的に明示された選挙公約をいう」となっています。

 さて、わが陣営ですが、来月5日頃には市長選挙に向けた対応を明らかに出来そうです。市民の皆さんにお願いしたアンケートの整理、集約も最終段階に来ました。これも同時発表できるでしょう。支援、協力していてくださる皆さん方にはたいへん遅くなって申し訳なく思っています。いま少し、お待ちください。


2009年09月08日

11月に市教委が通学援助費等の新基準(案)

 文教経済常任委員会で注目すべき発言がありました。通学援助費、スクールバス運行等について、教育委員会としての新基準(案)を11月に文教経済常任委員会に示し、関係区の地域協議会に諮問するというのです。これは笹井教育部長の発言です。合併協議では来年4月から新基準で対応することになっていましたので、10月には新基準(案)を示さないと間に合わないと思っていたのですが、やはり、市長選の結果待ちということになりました。すでに市長選に名乗りを上げている人の中には「スクールバスの無料化」を公約に掲げておられる方もありますので、当然と言えば当然です。ただ、地域協議会での議論は十分な時間が保障されるかどうか。ちょっと心配です。

 きょうは一日中、朝から夕方まで文教経済常任委員会でした。私はずっと傍聴したわけではありませんが、課長に電話で聞けば済むようなレベルの質問は少なく、問題点を絞って20年度の取り組みの総括を求めるものなど、いい質問がいくつもありました。文教経済常任委員会は明日も続きます。


2009年09月07日

滝沢氏の公開質問状と日本共産党の市民アンケート

 きょう、滝沢一成市議が「上越市トップを目指す3人への公開質問」の回答全文を公開しました。名乗りを上げている人たちがどんなことを考えているかについては、それぞれのみなさんがこれまで市民に配布してきたパンフレットなどでしか知り得ませんでしたが、今回かなり踏み込んで回答していますので、とても興味深く読みました。

 例えば、「13区の皆さんが『合併して良かった』と、こころから言えるのはいつですか?」という質問に対する回答。O氏は、「このたびの合併は、財政改革と地方分権社会に入った今、木浦市長・市議会並びに13区をはじめ市民の皆さんの優れた先見性・勇気・行動の成果であると高く評価しています」と答えているのに対して、M1氏は「そもそもこのような大合併は国の思惑通りの合併でありましたので時期尚早でした。しばらくは不満と絶望の時間が経過すると見て、私は一部の地域にブロック制を導入し、地域の特性を生かした市政運営システムを確立します」と答えています。そしてM2氏の回答は、「任期中に『合併して良かった』との評価が得られるよう誠意を持って努力します」。現在、名乗りを上げている人たちの考えの違いがわかって参考になります。全文はこちらをクリックしてごらんください。

 ところで、日本共産党上越地区委員会が8月にお願いした「市民アンケート」ですが、いま、急ピッチで整理作業を行っています。こちらは、上越市政についての市民のみなさんの考えや想いがたくさん書かれています。アンケート結果はまとまり次第、記述されたご意見も含め全体を共産党議員団ホームページ、日本共産党市議のホームページなどで公表することにしていますのでご期待下さい。私たちは、このアンケート結果を尊重して、来月の政治戦にどう臨むかを決定してまいります。


2009年09月04日

委員会の議員傍聴席はガラガラ

 市政レポートの作成が遅れ、午前中は市役所には行かずじまいでした。きょうと来週の月曜日は建設企業常任委員会ですが、議員の傍聴席はほんの数人だけ。これほどガラガラなのは明らかに市長選挙のためです。予定候補のところで、あいさつ回りなどの活動をしているのでしょう。

 昨日は市長選予定候補の陣営で動いている2人の市議会議員から、「共産党からも応援してもらいたいんだが、どこへお願いに行ったらいいか」などと声をかけられました。私たちの市長選擁立がここまで来ても定まっていないことを見ての声掛けです。どう対応するかは地区委員会で決めていくことです。

 総選挙も終わって、市長選もいよいよ本格的な動きとなってきました。私たちの対応も早く決めたいものです。


2009年08月21日

市職労の大会で

 祭りであろうが集会であろうが、参加すると、そこでは人との出会いがあります。きょうは市職労の大会に来賓として参加したのですが、十日町松之山、浦川原区、大島区出身の役員さんと話をする機会がありました。そのなかには日本共産党議員だった人の家の近くの集落に住んでいる人がいたり、私がよく知っている集落の出身者がいたり……。大島区の役員さんは、「『のうの』(母の実家)の文英さんにはいろいろと教えてもらいました」と話してくれ、親しみを感じました。世間は狭い。

 来賓席の隣に座っていたのは自治労県本部のSさん。現在は新潟市に住んでいるとのことですが、どこですかと聞いたら、何と渋谷明治市議のすぐそばでした。「雨の日も風の日も毎日街頭宣伝している。他人の面倒見がじつにいい」渋谷市議は党内でも有名人ですが、党外の人が身近な共産党議員をこんな風に見ていてくださるなんてうれしいですね。「この出会いをブログに書きましょう」と言ったら、「すぐに見ますよ」。これまたうれしい。

 大会後の役員さんたちとの懇談で注目したのは民主党の政策に対する不安でした。外交、平和の問題では、「自公政権よりも強引なことをやりはしないか」、憲法問題では「憲法改悪の動きが急速に進みはしないか」という声がいくつも聞かれました。それともうひとつ、衆院比例定数を80にするという公約、「こんなことをやったら少数政党はなくなってしまう。民主主義の危機だ」という声もありました。しっかり見ている人がいますね。


2009年07月21日

衆院解散の日に

 やっと衆院が解散しました。麻生総理にとっては何ひとつプラスになることがない中での解散ですから、やぶれかぶれといったところでしょうか。夕方、市役所から家に戻ってニュースや各党へのインタビューなどを見ました。さらに、日本共産党中央委員会のホームページで志位委員長の解散後初めての街頭演説を視聴しました。委員長の演説は、声がかれないかと心配になるほど力が入っていました。

 きょうは各派代表者会議、月例議員懇談会、議員勉強会と続きました。このうち、各派代表者会議では中山間地対策特別委員会がまとめた市長への提言書をめぐって、賑やかな議論となりました。これからの委員会活動は行政のチェックだけでなく、条例づくりや政策提言などを大いにやっていくべきだと思っています。この場合、委員会の自主性を最大限尊重していくべきです。私は、こういう立場から、「行政への提言をまとめるには委員会で十分審議し、全議員の意見を聴く場を設ける。こうして決まったものは議長名で出すべき」と発言しました。話し合いの結果、今後、この種の提言を提出する場合は、委員会で十分審議したうえで、議会全員協議会または各派代表者会議で意見を聞いて提出することとなりました。これで議会はまたひとつ変わっていくはずです。

 夜遅くなってから、明日の総括質疑の準備にかかりました。質疑の項目は、追加経済対策に関する政府関係機関への働きかけ、重点テーマの設定をどのような考えの中できめたのか、総合計画との関連性などです。私は5番目ですので、おそらく午後1時から2時頃の時間帯に登壇することになると思います。


2009年07月18日

炬火採火式

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 雨がいっぱい降りました。増水した吉川を見たのは久しぶりでした。雨はお昼頃まで降り続けましたが、その後、静かになり、ホッとしました。

 トキめき新潟国体に向けた炬火採火式(きょかさいかしき)が午前9時からリージョンプラザの2階の広場で行われ、参加してきました。
 秋に行われる国体では、県内の各市町村で独自に採火された炬火(きょか・たいまつという意味)を集め、総合開会式の会場で灯されることになっています。火おこしの方法としては主にユミギリ式、マイギリ式、モミギリ式の3つのやり方がありますが、上越市ではマイギリというやり方を採用しました。しかも目立つように、大型のマイギリを作って火おこし(画像)です。
 大型のマイギリは10数人の炬火ランナーのみなさんがロープで動かしました。最初はなかなか呼吸が合わなかったのですが、何回かキュッ、キュッとやると煙が立ちました。写真は火が点いた瞬間です。この火は大会旗とともに30数人の若いリレー走者の手で文化会館まで運ばれました。走者の中には吉川区の片桐悠人さんの姿もありました。

 午後1時過ぎ、次男が1か月ぶりにわが家へ帰ってきました。新しい会社での研修などがあり、まだ落ち着くところまではいってないようですが、元気そうなので安心しました。次男の帰省を一番喜んだのは母です。ほら、これ食べろ、これ飲めと、いつも通りにやっていました。上の写真は母が手作りしたトコロテンです。固めたものを細くしないで包丁で薄く切るだけのトコロテンでしたが、結構いけました。

 次男はその後、嫁さんの実家へ。私は大島区まわりで吉川区の山間部へ「しんぶん赤旗」日曜版の配達と総選挙の支持のお願いをしに出かけてきました。山間部の道路を車で走ると、前の方からオニヤンマが次々と飛んできます。とくに大島区板山と吉川区上川谷間はオニヤンマがたくさんいました。いよいよ夏本番です。


2009年07月14日

病院で母の付き添い

 1週間ぶりに市役所に行きました。市役所近くの大通りでは、早朝からハンドマイクで宣伝している自民党の高鳥代議士の姿が見えました。各陣営は昨日の解散報道でしまった感じがします。私たちの党でも改めて対策会議を開き、明日の党創立記念日の宣伝行動をはじめ、今後の方針を詰めました。明日は上越市北部にて後援会ニュース配布、街頭宣伝等をやることになりました。吉川区には午後3時半過ぎに入る予定です。

 きょうはいったん市役所から離れて、病院へ行った母に付き添いました。じつは先月のMRI検査後、病院から検査結果について説明したいという連絡が入りました。検査当日、医師から異状なしと聞いていたものですから安心していたのですが、動脈瘤が2個見つかったとのことでした。1個は4ミリくらい、もう1個は1ミリほどの小さなものだそうです。母の、頸部のこわばりや平衡感覚の不調はここに原因があったのかも知れません。高齢なので手術はむずかしく、脳神経外科の医師からは、塩分を多く摂らない、仕事などで無理をしないことなどを日常生活で意識するようにと言われました。3か月後には再度MRI検査を行うことになりました。脳動脈瘤が破裂する可能性は一般的に1%ほどですが、破裂した場合はくも膜下出血ということになりますから、気をつけてほしいものです。

 母を家に送り届けて市役所に戻ったのは午後3時過ぎでした。その後、22日から2日間行われる臨時議会の議案の中身について検討しました。まだ、市議団で詰めてありませんが、明後日には総括質疑の通告をする予定です。市役所では、党議員控室のパソコンで一昨日の都議選結果の報道などを検索して見ました。そのなかで法政大学の五十嵐仁教授のブログを興味深く読みました。なかなか面白い分析をされていますね。

 夕方、家に戻るとヒグラシが鳴いていました。今年初めてです、私が聞いたのは。鳴き声はこちらをクリックしてお聞きください。


2009年07月07日

七夕

 きょうは七夕です。総選挙の支持のお願い等でまわると、あちこちに七夕飾りをしてある家があります。短冊に願い事が書いてあると、つい読みたくなります。「おばあちゃんが長生きしますように」お孫さんを大事にしているおばあちゃんへの思いなのでしょう。「ゆうひが大きくなりますように」というのもありました。私は夕陽大好き人間ですので、はて、どういう意味だろうかと考えてしまいました。ひょっとすると、ここの家の子どもさんの名前かも。

 昨日に続いてきょうも蒸し暑い一日でした。午前は歯医者。朝方、夢を見ました。4月に亡くなった父が初めて夢に出てきました。尾神で、耕運機だかトラックでワラ運びをしていた時に、ワラの中に父が乗っていたのですが、体はずぶぬれです。「どうしたのか」とたずねたところ、「歯がばらばらになっちゃって」と切ながっていました。何かおかしなことを言うものだなと思っていたのですが、歯医者から市役所へ向かう途中、私の部分入れ歯が割れて真っ二つになってしまいました。ばらばらになったのは私の歯だったのです。

 市役所では生活相談で動いたほか、原稿書きなどに精を出しました。きょうの新潟日報に、「村山副市長が市長選に出馬へ」と報道されていたことから、マスコミから取材があったり、市政に強い関心を持っている人たちから電話をもらいました。これから市長選に関する市民の関心がどんどん高まっていきます。こちらも準備を急ぎ、市民本位の市政をつくることができるように頑張りたいと思います。

 明日から3日間、総務常任委員会の視察で、九州方面へ出かけてきます。家に帰るのは10日の夜9時前頃となります。留守にしますので用事がある方は私の携帯に電話をお願いします。「しんぶん赤旗」日曜版の配達もいつもよりも遅くなりますが、よろしくお願いします。


2009年07月01日

市内3区でバス実証運行スタート

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 きょうから7月。市内では安塚区、頸城区、吉川区でバス路線の変更などに伴う実証運行が始まりました。これは、バスの運行間隔及び運行時間帯を鉄道との運行時間に合わせる、通勤・通学を重視する、乗車密度を高めることなどの目的で策定された運行計画が利用者の立場から見てどうなのかなどを来年3月末までかけて検証するものです。吉川区の一部区間の一定時間帯では、初めてデマンド型(予約型)運行方式が採り入れられました。市内バス路線のほとんどは利用者が少なく、赤字です。今回の実証運行により、打開に向けて一歩でも前進すればいいのですが。

 バス路線の一部見直しに伴う実証運行、幹線バス・デマンドバスの実証運行が始まった吉川区では、新幹線・交通政策課の職員や総合事務所の担当グループ職員が特別の体制をとってダイヤの点検や利用者案内などにあたっていました。午後3時過ぎ、総合事務所正面玄関前のバス停に行きました。ここからのお客は泉谷・勝穂循環線の1名だけでしたが(画像)、3路線のバスが次々と到着して出発する、その光景はまるでバスターミナルといった雰囲気でした。

 今回の実証運行での注目点のひとつはデマンドバスです。山直海線は尾神(または村屋)と総合事務所の間、合計8便が乗るためには予約が必要となります。最終便は確認しませんでしたが、総合事務所から山直海方面行きは乗車する人がいて運行されたそうです。いままでバスが走っていたのに走らなくなるとさみしいなと思っていましたので、ホッとしました。今回の取り組みでバスダイヤもかなり変わりました。通学のためには便利になったかもしれないが、吉川診療所へ行くには不自由になって困ったという声も寄せられています。具合の悪いところがあったら、遠慮なく指摘してほしいものです。

 写真は高田公園のハスです。昨日の午前、県立北城高校前で撮影しました。まだ、咲きはじめです。


2009年06月27日

手づくり自治区

 上越市主催の地域自治フォーラムが春日謙信交流館でありました(画像)。「身近な地域からはじめよう!わたしたちのまちづくり」がテーマです。私は13区でのまちづくり活動の発展ということも意識はしていましたが、何よりも今秋からはじまる合併前上越市の地域自治区、このエリアでのまちづくりをどうしていったらいいのかという問題意識を持って参加してきました。

 第一部は明治大学の小田切徳美さんの「『小さな自治』がつくる地域の未来」という講演です。小田切さんの講演は中山間地対策をテーマにしたものを一度聴いたことがありましたが、きょうの講演は胸にストンでした。いい話を聴いたと思います。
 いま求められている新しいコミュニティは行政主導、行政の下請け化から自立した自治区。地域の仲間とともに手づくりで未来を切り開いていく手づくり自治区だ。自立した小さな自治づくりは大きな幸せづくりにつながっていく。身近なところで物事を決めていく過程に参加していく、そこに喜び、幸福感が生まれる。この幸福感はそれぞれの住民の参加度によって決まる。 
 この「手づくり自治区」の先発事例として紹介されたのは広島県安芸高田市川根地域振興協議会です。1972年(昭和47年)の大水害で、負けてたまるかと地域の人たちが思いをひとつにして振興会を設立。その後、楽しいイベントにも取り組み、さらに独り暮らしの人たちなどを「お互いさま」の精神で支援する地域福祉組織へと発展させていきました。最終的には、誇りを持って地域に暮らすことをめざしているといいます。
 このほか、スタート時点で大切なのは広報紙と集まる「拠点」だとか、都市と農村の違いを意識した運営が求められていることなどの指摘も参考になりました。

 第二部は市内での事例発表です。地域の宝を再発見して地域づくりに生かしている直江津、高田の取り組み、地道にこつこつとまちづくりを進めている大潟区や浦川原区の事例はいずれも小田切さんの話とかみ合っていましたね。

 小田切さんの講演、事例発表と聴いて、「合併前上越市の地域自治区づくりもいける」と思いました。これまで4年間、13区でがんばってきた地域協議会のメンバーの方たちも自信を深めたのではないでしょうか。春日謙信交流館のホールはほぼ満席に近い状態でしたが、高田、直江津の人たちも大勢いらしたかどうか、ちょっと気がかりです。でも少なくてもいい。参加された方々が、小田切さんの最後のメッセージ、「できることから始めようではないか」に応えて動き始めれば、小さな幸せが大きな幸せをうみ出していく。そう思います。


2009年06月25日

市長選に関する電話相次ぐ

 夕方、市内の友人から2本電話が入りました。いずれも市長選に関連するもので、宮越元市長に続いてある経済人が腹を固めたらしいという情報提供です。政治に強い関心を持っている人であることは知っていましたが、この人がやっておられる仕事上、出馬はありえないと思っていたので、ちょっとびっくりでした。明日、明後日あたりにこの人の動きは目に見えてくるかもしれません。

 きょうは代表者会議でした。中心議題のひとつは中山間地対策特別委員会が提出しようとしていた市長への提言書の取り扱いです。この提言書は中山間地対策の総合窓口の設置などを内容としたものですが、議会の委員会が行政機関に提出する提言書は異例とあって、どうあるべきかをめぐって議論となりました。「議会の委員会としての自主的な活動を前提にしつつも、議会全体の意思であることを明確にする手続きが必要ではないか」との発言がいくつもあって、最終的には会派に持ち帰って検討することになりました。

 代表者会議のもうひとつの議題は議員定数アンケートの結果と今後の取り扱いについてです。まだ最終的なまとめではないですが、議員定数を32人とすべきという人が62%を占め、議員定数34人とすべきという人は24%となりました。私ども議員団が主張していた38人については「その他」というくくりでしかみることができませんが、「その他」は13%にとどまりました。残念な結果です。議長からは、この結果を受けて9月議会に提案していくことになろうと思うが、各派の意向をまとめてほしいと要請がありました。

 夜になっても、市長選についての電話が相次ぎました。日本共産党はどういう動きをするのかという問い合わせ、打診が主たる内容です。私のこのブログでは党人である以上、正式決定したもの以外はほとんど書けません。ただ、これまでの話し合いの中で、無党派で市民本位の市政を推進してくれる人を擁立したい、上越市自治基本条例を意識して市民参加の中で候補擁立作業を進めていこうという方向になっていることはお知らせできます。ますます忙しくなってきました。


2009年06月24日

どこへ行ってもタチアオイがきれい

 さて何から書いてよいやら。朝から吉川区、浦川原区、大島区、柿崎区、最後は高田へと飛び回りました。吉川区では総合事務所の幹部のみなさんとケーブルテレビなど当面する区内の重要課題について意見交換を行いました。昨年は㈱杜氏の郷問題、今年はスクールバス等の運行新基準づくり、来年は……。財政難の中、毎年のように大きな問題が次々と出てきています。

 浦川原区で生活相談があったので、ついでに大島区まで足を伸ばし地域協議会を傍聴してきました。たまには区外の地域協議会に出てみるもんだと思いました。いくつも勉強になることがあったからです。
 ひとつは中越大震災復興基金事業の取り組みについての大島区総合事務所本山次長の報告(画像)。私は、吉川区内では中越沖地震復興基金事業にばかり目を向けていましたが、考えてみれば中越大震災復興基金事業を使って復興につなげていくことも可能です。改めていま現在取り組むことのできる復興基金事業は何か、明日、市の防災局へ出かけて、チェックしてこようかと思います。
 二つ目。09年度の大島区地域事業の進捗状況についての報告です。これも本山次長から報告されました。各事業について、予算額、契約日、受注者、進捗状況と一覧表を作成しての説明、まず、この丁寧さに感心しました。そして今後の問題として、国の緊急経済対策に呼応して地域事業の見直し、前倒しが予想されるので、その時は地域協議会の皆さんからご意見を頂戴したいという発言がありました。これは市全体の問題です。いまから考えを整理していかなければならないと思いました。

 きょうは朝の曇り空が次第に晴天に変わり、車を走らせても気分は上々でした。とくに道沿いにあるタチアオイがきれいでした。妻の言葉を借りるならば、「タチアオイはどんよりした曇り空の下に咲くのが一番似合う」そうですが、私は晴れ上がった時の方が好きです。上越市においては、太陽光線の関係で午前は南葉山、妙高山が美しく、午後になると北部の米山、尾神岳、兜巾山が美しい。夕方、大潟区高橋新田にて撮った「タチアオイと尾神岳」(画像)、「私の好きな風景」に入れようと思います。


2009年05月23日

市長選への関心、一気に高まる

 午前は小学校の運動会でした。曇り空の下のグランドは少し寒く、持参したジャンパーを着て観戦しました。1、2年生の50メートル走の1年生の部。初めての運動会での競技に子どもたちも緊張していました。おもしろかったのは保護者の動きです。ゴール地点では保護者カメラマンがわが子の奮闘ぶりを記録しようと大勢集まります(画像)。こうした光景はわが家の子どもたちが通っていた頃(20年ほど前)にはなかったですね。
 きょうは土曜日。午後からはいつものように「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。市長が昨日の記者会見で正式に三選不出馬の意向を表明したこともあって、行く先々で、「市長選はどうなるね」「おまんたの出番だ。がんばってくんないや」などと声がかかりました。仕事や暮らしで厳しい状況が続いているだけに関心が高いと感じました。
 きょうの新聞配達では運転席と助手席の間にニセアカシアの花を入れておいたので甘い香りが車内に漂い、快適でした(画像)。この香りをお伝えできないのが残念です。また、山間部で初めてアカネ科のクルマムグラと出合うことができました。近々、「野の花」コーナーに載せます。
 市政レポート1397号と1398号をアップしました。トップページからお入りください。


2009年05月20日

あなたの情熱をうれしく思う

 新潟での会議、市議会主催の議会報告会と忙しい一日でした。党議員全員が平良木議員の車に乗り込み、新潟へ。行きの車の中での話題は今朝の「しんぶん赤旗」と新潟日報です。
 まずは赤旗。先日、日本共産党の志位委員長がアメリカのオバマ大統領に送った、核廃絶を訴えた書簡に返書がきました。しかも、「この問題にたいするあなたの情熱をうれしく思う」と書いてあります。樋口議員は何度も「すごいね」と言っていましたが、私もそう思います。アメリカも大きく変わっていく予感がします。
 新潟日報は一面の、木浦上越市長が三選不出馬の意思を固めたという報道です。22日の記者会見で退陣表明するだろうというのが大方の見方でしたから、びっくりでした。「なぜきょうの時点での報道となったのか。今度の記者会見は荒れるかも」「6月、9月の議会での一般質問はどうするか」など賑やかでした。新潟日報の記者からの電話取材もありました。木浦市長については、災害対策などこちらが出した意見や提案を党派関係なく検討してくれたことなど一定の評価をしていること、2期目の選挙での企業献金をめぐって説明責任を十分果たさず、それが契機となって議員などとの信頼関係が崩れていったこと、慎重な対応は理解できないでもないが、重要問題での決断力が欠けていたのではないか、そんなことを話しました。
 市議会主催の議会報告会は三和区での開催です(画像)。市民プラザでの15人前後を大きく上回る55人が参加しました。地元選出の市議が独自に参加を呼びかけたことが大勢の参加につながったようです。市民からの質問、要望は議会関連のものよりも河川改修、農道の舗装などどちらかと言えば行政向けのものが多く出ました。合併5年目の年ということもあって、「合併によってメリットはあったのか」「悪くなったことが多い気がする」など合併評価についての発言も目立ちました。


2009年05月08日

もう1か月

 父が旅立ったのは先月の8日のことでした。あれからもう1か月も経ったんですね。時の流れは本当に早いと感じます。
 人間の気持ちというものは簡単に切り替えができないのでしょうか、いまだに父が死んだとは思えません。父が入院していた当時、市役所の行き帰りに病院へ立ち寄ってきました。それが1年4か月続いたこともあってか、何となく病院へ行きたくなります。病院へ行けば、父に会えるような気がするのです。
 一番さびしがるかなと思っていた母は元気です。毎日のように畑仕事に精を出す。山へ山菜採りに行く。お茶飲みに出かける。以前とまったく変わらぬ生活をしています。父に「早く帰ってこいや」と叱られないですむので、暗くなるまで外に出ていて、家族に気をもませています。

 さて、きょうは市議会の中山間地対策特別委員会でした。市役所の調査報告書、食料・農業・農村議員連盟の提言、特別委員会での調査と議論の3つを対比した一覧表をもとにして、委員会メンバーだけで課題整理をしました。
 一覧表は正副委員長が作成したといいます。こういう表があると、議論不足の分野、項目などが明らかになって便利ですね。きょうの委員会では、雪への対応、住民の健康維持、移動手段の確保、集落機能維持などの課題整理の中で「まだ不足しているところがあったらぜひ発言を」という委員長からの要請があり、これを受けて活発な発言が相次ぎました。
 私が発言したのは、冬期保安要員制度の維持と充実、拡大の必要性、保健師などによる保健集会の継続、防災・安全確保のための緊急通報装置、若者定住対策の強化についてでした。このうち、冬期保安要員制度関連では、「高齢化が進み、木戸先除雪などのへの援助が求められている」と発言したところ、「市道などから入った木戸先や民家周囲の除雪で人手が足りない」など他の委員の発言が続きました。また、合併後の過疎地の人口減対策は各区(旧町村)ごとの若者定住対策が必要ではないかとの私の指摘に、「合併して一番頭の痛いところだ」などと関連発言がいくつも出ました。
 次回の委員会では、きょうの議論を踏まえてさらに踏み込んだ課題整理と具体的な対策を話し合うことにしています。


2009年05月05日

直江津空襲と平和を考える集い

 黒井公園での平和の集いに久しぶりに参加してきました。おそらく10年ぶりくらいでしょう。1945年(昭和20年)5月5日の直江津空襲で米軍のB29は信越化学直江津工場を爆撃目標としました。爆弾は目標をはずれ、黒井公園近くに落ちて3人が犠牲になりました。この集いは直江津空襲に思いを馳せ、犠牲者の鎮魂と平和を考えることを目的に開かれているものです。会場では小さな鯉のぼりが風を吸いこんで元気に泳いでいました。

 集いは地元でこの集いを中心になって準備してきた関川幹雄さんの挨拶からはじまり、児童文学作家の杉みき子さんの講演、地元詩吟愛好会のみなさんによる吟詠、参加者による戦争体験と平和の訴えと続きました。吟詠中、同じ愛好会の方と思われる女性が白い大洋紙に見事な水墨画を描くという感動の場面もありました。

 きょうの集いでは女性の皆さんが何人も発言され、心に残りました。女性の平和を求める思いの強さを感じましたね。

 発言者のひとり、関口サトノさんは90歳、張りのある若々しい声で、「女性に徴兵制が適用されなかったから生き延びてきた。夫は戦友に妻子を頼むという言葉を残しシベリアで亡くなった。私には同級生に20人の男性がいたが17人戦死した。男性はありったけ犠牲になった。私は満洲から引き上げてきて荒れ野原となった日本の国土を眺めてどうやって生きるべきかを考え、二度と戦争をしてはならないと大決心をした。精一杯、平和のために頑張りたい。助けて下さい」と訴えました(画像)

 また、爆弾投下の際、信越化学直江津工場で働いていたという大潟区在住の女性が投下された時の模様やその後どうしたかなどを明らかにし、注目されました。この方は、「会社で石灰窒素の袋詰めをしていた。防空壕掘りもしていた。お弁当を開こうとしたその時に爆風を浴びた。窓が破れたすごい電車に石灰窒素を浴びた汚い顔で乗って、みんなで泣きながら家に向かった。一緒に乗っていた都会の人が『泣いたってだめなんだよ。みんなが頑張ったんだからしょうがないんだよ。都会ではみんなが体験しているんだよ』となぐさめてくれた。(電車から降りてから)家に帰らずに担任の先生の所へ行った。担任の先生は瓦の破片を見せ、おい、みんな、いまこの爆弾がおったんだぞと教えてくれた。いま考えると平和っていいですね。体験があるからこそ二度と戦争はいやですね。平和を守っていきたい。来年も来たくなりました」と語りました。これまで黙って我慢していたことを一気に語り始めた、そんな感じの語りに圧倒されました。
 
 きょうの集いには日本共産党上越市議団全員が参加しました。他会派からは地元の佐藤敏議員も参加されていました。憲法を改悪しようという動きが強まっている中で、こうした平和を求める運動が静かに広まっていく、とてもいいことです。私もがんばらなくては。


2009年05月01日

メーデーの日に

 地区労連のメーデー集会に参加してきました。きょうは五月晴れでまさにメーデー日和でした。メーデーは今回で80回目だそうです。上越地区の集会では、120人を超える人たちが高田の雁木通りプラザに集い、決意を新たにし、そしてデモ行進(画像)をして気勢をあげました。
 挨拶や決意表明などで目立ったのは「非正規労働者」「派遣切り」「雇用崩壊」、昨今の情勢を反映した言葉でした。デモ行進をしていた時のこと、高田駅前で茶髪の青年が行進をしている人たちにハイタッチを求めてきました。また、第四銀行の新築現場では仕事中の若い労働者がこちらのシュプレヒコールに合わせてコブシを空に突き上げています。小さな出来事に見えるかも知れませんが、若い人たちの変化を求める気持ちが高まっているなと感じました。
 集会が始まる前、時間があったので、雁木通りプラザの7階まで上がって景色を楽しんでいたら、管理人さんがやってきて、「屋上に上がりませんか。(閉まっていたドアを)開けますよ」と誘われました。
 屋上からは高田の町並みはもちろんのこと、直江津も、遠くの山々も見えました。四方を眺める時の案内板(画像・左の山が尾神岳)には山々の名前も入っていて、ベリーグッドでした。案内板の下の方には、東京、名古屋だけでなく、ニューヨーク、ワシントンまで矢印とともに書いてあります。どなたが作成したのかな、やりますねぇ。
 管理人さんは戸野目出身の人とか。私と同じく真宗大谷派の人で、東本願寺のことや昔の市のこと、中心市街地活性化のことなどたくさん話をしました。


2009年04月16日

「介護労働実態調査結果報告書」

 久しぶりに高田・直江津地区に出かけました。父が亡くなった8日以来です。きょうから勤務復帰の妻を職場まで送り、その後、父が入院していた病院へ寄ってきました。1年4か月あまりにわたって病院に通い続けていたこともあって、病院へ行くと父に会えるような気がするから不思議です。病院ではお礼を言わないままとなっているある病院関係者を訪ねたのですが、残念ながら仕事中のため会えませんでした。病院から出る前、売店に立ち寄りました。朝飯を食べる余裕がなかった時に、ここで1個150円の大きなおにぎりを買って市役所に向かうクセがついています。今朝も食べていなかったので、いつもの「たらこ入りおにぎり」を買い求めました。

 短時間でしたが、市役所にも寄ってきました。議員向け連絡用のボックスに書類などがたまっているだろうと思ったからです。土日をはさんだ期間でしたので、思ったほど書類はありませんでした。ただ、そのなかに、ずっと待っていたものがありました。上越市が実施した「介護労働実態調査結果報告書」です。概要版は先月10日の市議会厚生常任委員会で出ていたのですが、全文が掲載された報告書はまだだったのです。この調査は、私が一般質問で実施を求めてきたものですが、国の調査データと比較できるところに特徴のひとつがあります。そのなかには興味深いものがいくつもあります。たとえば、きょう読み進んでいくうちに、「現在の仕事を選んだ理由」というところで、「働きがいのある仕事だと思ったから」(56.1%)「資格・技能が活かせるから」(40.8%)に続いて「お年寄りが好きだから」が36.7%にものぼっていることがわかりました。これは国の調査よりも9.4ポイントも高いのです。これはうれしい数値でした。報告書の全文は上越市のホームページに掲載されています。

 家に戻ったのは午前10半過ぎでした。郵便受けをのぞいたところ、見たことのある手書きのハガキが一枚届いていました。『ざ・むーん』の柳川月さんからです。父が旅立ったこと、それについてこの日記などに書いていることを誰かが月さんに伝えてくださったのでしょう。素敵な手書き文字で励ましの言葉を寄せてくださいました。そこには、「紅こぶし 咲く春を逝き たまひしと 人伝てにきく 父君の訃を」という短歌もそえてありました(画像)。月さん、ありがとうございました。


2009年04月03日

竣工式で

 旧高田盲学校を改造してできた福祉交流プラザがオープンしました。きょうはその竣工式です。関係団体や来賓など130人を超える人たちが集まって竣工を祝いました。
 会場へは30分ほど早めに行きました。3階にある顕彰コーナーへ行ってみたかったからです。そこには市川信夫さん原作の映画『ふみ子の海』に関するいろんな資料が展示されていると報じられていました。目にとまったのは大きなファイルです。ファイルには各種新聞に掲載された『ふみ子の海』制作の記事や市川さんへのお便りなどがたくさんありました。
 映画『ふみ子の海』を観た時の感動はいまでも忘れませんが、このファイルの中に2007年9月25日の朝日新聞夕刊に掲載された俳優・森繁久弥さんのメッセージがありました。「映画人のひとりとして『ふみ子の海』の完成を心から喜んでいます…よくぞ作ったとエールを送りたい。…かつてはたくさんあった、あの美しい山や川を思い浮かべ、人の情けについて考えるときではないだろうか。…ラストシーンの浜辺でふみ子と一緒に『砂山』を唄い、失ってしまった日本の心を共有したかった」全文を紹介できなくて申し訳ないのですが、これもまたすばらしい文章でした。
 偶然とは面白いもので、このコーナーを出て2階へ降りる階段のところで市川信夫さんに初めてお会いしました。明るい色のスーツを着た小柄な方でしたが、市川先生の「おはようございます」の声が弾んでいるように聞こえました。きょうの日がうれしかったのでしょう。
 式典では利用者を代表して期待の言葉をのべた加藤C子さんの話がとても印象に残りました。「(出来上がった建物が)とてもきれいで広くてびっくりしています。去年の秋ごろから仕事が少なくなってがっかりしていたところへ(この建物の)お掃除の仕事が回ってきてとても喜んでいます。いままでよりも体を動かす仕事です。たくさんの人たちにこのプラザを利用してもらいたいと思っています」障害を持った人たちをも直撃したいまの不況の中で仕事をもらえた喜びがよく伝わってきました。よかったね、C子さん。


2009年04月01日

新鮮!新年度スタート

 たった一日でこんなにも雰囲気が変わるものでしょうか。きょうから新年度がスタートしました。市役所では新たな部署に着いた人たちの表情がとても新鮮です。毎日、市役所から出て帰ろうとするときに必ず目に入る男性職員がいます。昨日まで窓際にすわっていた人ですが、きょうからは副課長席にすわっていました。何となくうれしそうな感じがしました。議員控室で原稿書きをしていたところへ挨拶に来てくれた職員もいます。まだ20代か30代前半の若い人です。えらいなぁ。顔に緊張感が出ていて、こちらもちょっぴりかたくなりました。
 きょうは午後2時過ぎまで議会報用の原稿や私の議会報告の原稿書きをし、その後、病院に立ち寄り、旧頸北地区へ。独り暮らしの高齢者の生活相談です。耳が遠くなった方で、お連れ合いが入院中とのこと。医療費や退院後予想される通院費のことなどをゆっくりとした口調で話されました。約1時間の訪問の中で、相談ごとだけでなく、世間話も次々と広がりました。独り暮らしのさみしさがよく伝わってくる方でした。


2009年03月10日

上越市の「介護労働実態調査」まとまる

 一般質問で介護労働者問題をとりあげ、市長から「介護労働安定センターが実施されました実態調査項目を参考にしながら、介護保険法で指定された市内の介護サービス事業所を対象とした実態調査の実施について前向きに検討させていただきたい」と約束してもらったのは一昨年の12月議会でした。その調査結果報告がきょうの厚生常任委員会でありました。
 事業者の調査対象は77事業者、労働者調査の対象は96事業所の288人。介護職員の正社員で離職した人の勤務年数は、「採用後1年未満」が31.9%、「採用後1年以上3年未満」が45.7%。介護労働者の平均月収は18万8500円でした。「仕事の内容のわりに賃金が低い」と回答した人は全国平均よりも10%ほど高い58.2%にもなりました。
 馬場介護保険課長が調査結果の概要について報告しましたが、財団法人介護労働安定センターによる全国調査の結果との比較数値が言われるたびに傍聴している議員席から「ウワーッ」という声があがりました。馬場課長は、「調査結果を分析して取りくむべき課題を整理していきたい」としています。調査結果は市政レポート等でお知らせしますので、しばらくお待ちください。


2009年02月25日

資源ごみ当番

 今朝は2か月に1回まわってくる資源ごみ当番でした。私の地元町内会では2人体制で順番を決め、午前6時半から7時までに出してもらうようになっています。
 きょうはプラスチックと紙製容器包装の回収の日です。昨日の党議員団勉強会で「ごみヘルパー」について話題になっていましたが、高齢者世帯の方にはごみの分別はむずかしいことなんだと改めて思いました。たまたま一人の方が持ち込んだ「資源ごみ」が重そうなので中味をみさせてもらったところ、プラスチックのほかに普通の紙ごみなどが入っていたのです。ごみの分別、ごみ出しのヘルパーが必要なことがよくわかりました。
 いまひとつ、ごみとは全く関係ないことですが、当番をやっていてわかったことがあります。目の前にある県道の舗装の切れ目(横断している)があるところは大型車が通ると地震のような揺れが発生するのです。今朝は柿崎方面から観光バスが通過したとき、激しい揺れが起きてびっくりしてしまいました。これでは、近くに住む民家の人たちが切ながるのも無理はないと思いました。
 
 きょうは市役所へ9時までに行き、党議員団の勉強会、上越地域消防事務組合議会に出てきました。消防議会では、08年度の一般会計補正予算と09年度の一般会計予算が中心議題です。消防庁では昨年から、消防機関における新型インフルエンザ対策検討会議を立ち上げ、中間とりまとめを発表していますが、当消防事務組合の予算で初めて新型インフルエンザ対策に関する予算が計上されました。ただ、本格的な対策はこれからという感じがしました。新型インフルエンザ発生時の消防・救急体制を維持するための対策の検討は、消防・救急機関にとって喫緊の課題ですので、早期に対策を確立して中味を明らかにしてほしいものです。


2009年02月23日

新年度予算発表

 市の新年度予算発表の日。国の第2次補正の関係もあって、09年度の補正予算も追加提案されてくるという極めて異例な形になりました。財務部長から08年度の補正、09年度の本予算、09年度の補正の関係を説明してもらいましたが、なかなかむずかしかったですね。
 毎年、新年度予算発表の際には、これまで自分たちが主張してきたことがどうなっているかに関心が向きます。子ども医療費、妊婦健診などで一定の前進がみられました。雇用の問題でも正規職員を前倒しして採用するなどの措置もとられます。その一方で、今回も総合計画の実施計画が示されないなどいくつかの問題点があります。審議にあたっては、市民生活を守る立場から全力を尽くす決意です。
 夕方からは吉川区地域協議会でした。08年度から市役所の健診、保健指導体制が変わり、どうなっていくのか心配していましたが、きょうの健康福祉部長などの話を聞いてすっきりしたというか、今後の取り組みが頼もしく感じられました。
 簡単に言うと、こうです。上越市の介護保険にかかる費用は年間160億円、医療にかかわる経費は約800億円。二つ合わせて上越市の1年分の一般会計予算に匹敵する。要介護者は10614人いるが、そのうちの7割は循環器系の病気に起因する。上越市の健診の結果分析、レセプトの集計と分析をすすめることで科学的な対応が見えてきた。血圧、糖代謝、LDLコレステロールのほか、重要なのは腎機能の糸球体ろ過量(腎臓における血をこす能力)だ。ここに注目して健康づくりにまい進していきたい。医療や介護を要しない健康づくりに向けて、真剣な取り組みが始まっているなと感じました。


2009年02月19日

憲法を守る共同センターの要請活動

 朝、8時45分までに市役所へ行かなければならない。そう思って5時に鳴るように目覚ましをかけたのに、布団からぬけだしたのは何と6時過ぎでした。大慌てで「しんぶん赤旗」日刊紙を配り、着替えたら、もう7時50分。昨日のようなひどい路面でなかったので8時30分過ぎには市役所に到着できましたが、ひやひやしました。
 市役所へ早く行ったのは「憲法を守る新潟県共同センター」の皆さんの要請行動に同席することになっていたからです。党議員団の他のメンバーは風邪ひきさんがいたり、親の介護、胃の精密検査などでそろってだめ、都合がつくのは私だけでした。センターの皆さんと合流したのは8時40分。新潟の川俣幸雄さんが一番乗りでした。
 きょうの要請の場では、中川副市長などが丁寧に応対、上越市役所の雇用と地域経済、平和を守る施策についてくわしく説明してもらいました。緊急雇用対策として採用した臨時職員が50人ほどになったこと、緊急雇用安定対策助成金の支給件数が14件となっていること、市の正規職員の採用の前倒しをすることなどは初めて聴く情報でした。また、私たち議員団や民主商工会などの働きかけで、小規模修繕契約希望者登録制度における対象を「50万円以下」の工事から「130万円以下」に広げたことなども明らかにされました。センターのみなさんによると、上越市の取り組みは他市よりも積極的だという評価でした。おおいに頑張ってほしいものです。
 きょうは要請活動が終わってから、議員控室でビラ書きでした。明日、議会の月例議員懇談会など、いくつかの会議が終わったら京都の東本願寺へ行ってきます。したがって、明日の日記は休みます。


2009年02月17日

信濃町廃棄物最終処分場予定地に断層

 長野県信濃町で動きのある廃棄物最終処分場建設問題で、党妙高市議団の皆さんと上越市議団全員で下流域の水土里ネット関川水系(関川水系土地改良区)を訪れ懇談してきました(画像)
 同ネットは昨年来、上越地方の反対運動の中心になり、農林水産団体をまとめる役割を果たしてこられました。冒頭、太田三男理事長が、「建設を計画している業者は下流域の農林水産業者に対して説明しないでいいという姿勢だった。私たちは連絡協議会をつくって署名活動などの運動を進めてきたが、行政もようやく重い腰をあげた。3月3日に署名簿を持って長野県と業者のところへ行く。向こうの出方がどうなるか、いまのところわからないが、何はともあれ断固反対だ」と挨拶されました。
 続いて同ネットの玉井英一事務局長がなぜ信濃町の最終処分場計画に反対してきたのか、最新の情報も含めてこれまでの経過を説明してくださいました。玉井事務局長によれば、「春先の融雪期の地滑りなどで関川が汚染される可能性があり、ここを一番懸念している」とのことでした。玉井事務局長は元県庁マン、望月妙高市議とは顔なじみです。丁寧でしかもわかりやすい話し方をされるので、好印象を持ちました。
 懇談の中で注目したことのひとつは信濃町が山形大学の川辺孝幸教授に依頼した建設予定地周辺の地質調査結果です。昨日、川辺教授から信濃町に報告された内容によると、建設予定地は数十万年前の地層の上に岩屑流堆積物が堆積し、さらにその上に崩壊堆積物や野尻ローム層が堆積していて、崩壊しやすい地質構造となっています。しかも、いくつもの断層、伏在断層があることが確認されています(川辺教授の地質図・地質構造図)。川辺教授は、「地震動によって大規模な地滑り・崩壊を起こす危険性をもった地域」だとしていますが、これは重大な内容です。
 昨日、新潟県と妙高市、上越市が長野県に申し入れた内容と関連する動きについても話題になりました。この申し入れは、①上越地域の農林水産関係者が意見を表明できるようにすること、②上越地域の農林水産関係者が懸念している事項に対して説明責任を果たすよう業者に指導すること、③建設計画について適宜適切な情報提供をお願いしたい、というものです。このなかで長野県の廃棄物対策課長が、3月に施行される新たな廃棄物条例によって、「県外からも生活環境保全の見地から意見を言うことは可能」と説明しています。また、新潟県内の地元紙報道ではわからなかったのですが、信濃毎日新聞は、建設を計画している業者が、新たな条例施行後に改めて設置手続きを始める意向を示したと報じています。こうした事態を受けて、こちらがわの運動も考えていく必要があると、意見交換をしました。
 
 きょうはこのほか、午後から「中山間地域における集落間連携推進大会」が行われました。清里区櫛池地区農業振興会が取り組んできた集落間連携を全市に展開し、農地と地域農業を守ろうという趣旨です。リージョンプラザコンサートホールには中山間地域をかかえる区内から350人ほどが集まりました。
 清里区櫛池地区農業振興会の小山文男会長と羽深明治事務局長の話は先日の市長と市民の「現場でトーク」でもお聴きしましたが、ふるさとを守ろうとする愛情と哲学に満ちています。すごい取り組みだと思いました。
 市役所農業振興課の笹川肇副課長は、「集落間連携による中山間地の振興」についての市の方針を説明しました。同副課長は、「取り組みの基本は集落にある。どうやったら地域を守っていけるか、その手法のひとつとして集落間連携を考えていただきたい」「櫛池地区農業振興会に行って、パソコンをみてたまげた。中山間のシステムがあり、その横に農地・水のシステムもあった。これからは地域全体で事務能力を持たないと国県の補助事業に乗れない」とのべました。方言丸出し、間をいかした堂々とした語りはますます快調でした。
 会場には市議会の中山間地対策特別員会のメンバーも何人か参加していました。きょうの大会の内容も踏まえて大いに議論していきたいと思います。


2009年01月17日

政策立案過程は公開すべきだ

 昨晩は飲みすぎでダウンしてしましました。昨日は午前中に市政レポートを作成し、印刷後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出かけました。午後からは大島区地域協議会の傍聴です。目的は市長からの地域事業見直しについての諮問の審議状況を見るためでしたが、その前に行われた克雪住宅協調整備事業の復活要望に関する議論を興味深く聴きました。
 克雪住宅協調整備事業については2008年度から廃止された事業ですが、大島、安塚、中郷の各区の住民や地元選出市議などから猛反発が起きました。そして同事業の復活を求める意見書が関係地域協議会から相次いで提出されていました。大島区地域協議会に対する市長の回答は、「本事業に寄せる多雪地域のみなさんの要望の大きさをここに改めて実感しています」「少子高齢化や過疎化が進行する中、屋根雪処理の危険防止など豪雪地における支援の必要性は十分認識しています。このことから、雪の多いところと少ないところの雪に対する負担の違いなども考慮しつつ、全市的に対応を検討していきたい」というものです。
 この回答書をめぐって、委員からは、「どういう内容になるのか」「検討するといってもどこまで進んでいるのか」「議会で決まってからの説明では遅い。もっと早くどうなるかを明らかにしてほしい」などの質問や要望が出されました。これに対する担当課長の答弁は、「まだハッキリした段階ではないので答えは控えさせていただきたい」の繰り返しでした。最終段階で課長は、「新年度予算の発表が2月20日頃になるので、その直近の地域協議会で説明させていただきたいと思っている」とのべていましたが、「なんでもっと具体的なことが言えないのかな。私たちはいま、こんな内容の制度にして皆さんの復活要望にお応えしようと考えております。いい制度にしたいと思っていますので、ぜひ皆さんのご意見をお聞かせ下さいと言えばいいのに」と思いましたね。
 協議会でのやり取りを聴きながら思いだしたのは、自治基本条例の第18条です。ここでは、「市政運営に関する情報を市民に積極的に提供するとともに、市民の意見の把握に努め、市民との情報の共有を図らなければならない」「市長等は、政策の立案、実施、評価及び見直しに至るまでの過程及び内容を市民に分かりやすく説明しなければならない」とあります。この条例をまともに解釈すれば、検討案が定まって予算計上する段階になったら、関係区地域協議会に説明しましょう、というのはおかしい。政策の立案過程を含め公開し、市民の声をしっかり聴いていくことが大切だと思います。


2008年12月20日

定例議会終了後一日目の動き

 定例議会が終わった翌日というのは議会の余韻が残っていて、市民の様々な反応が聞こえてきます。いつの定例会後もそうなのですが、誰々の質問はどうだったかとか、どこどこの会派の態度は理解できないなどです。
 昨日はいつも以上にいろいろな疑問や評価の声が聞こえてきました。そのなかのひとつ、委員会と本会議で賛否が違っていいのか、についてふれておきたいと思います。これは基本的には同じでなければなりません。ただ、委員会終了後、いろいろな動きがあって、賛否を変えざるを得ない事態があれば、変更はありうることです。㈱よしかわ杜氏の郷問題では、私たちが取り組んだアンケート結果を重く受け止めて態度変更してくれた議員もいましたが、これへの批判はあたりません。
 私たちの取り組んだアンケートが思わぬ波紋を呼んでいることもわかりました。住民投票条例についてです。これまで、総務常任委員会などで議論してきましたが、地域限定、例えば、関係する地域自治区内に限定した住民投票を考えてもいいのではないかという声です。今回の㈱杜氏の郷のような問題で、民意をしっかり把握する必要がある時に、こういう規定があれば、確かにいいなと感じます。ただ、地域限定となると、法務上、どうすればいいか十分検討しなければならないと思います。
 昨日の午前、㈱よしかわ杜氏の郷の臨時株主総会があって、その結果をホームページや市政レポートですぐに報道したところ、びっくりされました。報道のスピードがこれほどインパクトのある要素だとは思いませんでした。それだけではありません。新役員の顔ぶれも衝撃を与えたようです。経営再建に向けてのすごい布陣だという評価の声とともに、何でという声も聞こえてきました。どういう評価があろうと、新経営陣にはがんばってほしい。


2008年12月02日

短期保険証でなく、一般保険証を高校生まで交付

 うれしいお知らせです。党市議団は先月13日、上越市長に対して、子どもからの「保険証の取り上げは、医療にかかる権利を奪うものであり、憲法で保障された生存権の侵害です。また、上越市子どもの権利に関する条例に照らしても、あってはならないことです。子どものいる家庭はもちろん、すべての世帯で取り上げを中止すべきです。このたび明らかになった実態を踏まえ、子どもからの国民健康保険証の取り上げを直ちにやめ、短期保険証でなく、一般保険証を交付するよう」申し入れていましたが、きょう、高校生まで一般保険証を交付するとの回答が文書でありました。文書(画像)は土橋市民生活部長と池田保険年金課長が党議員団の控室まで持参され、「満額回答です。よろしくお願いします」と挨拶がありました。県内の自治体でも子どもの保険問題がクローズアップされ、方針転換をする自治体が相次いでいますが、上越市の措置はそのなかでも先進的なものとなりました。
 上越市ではこれまで、国保税を長期間滞納し、納税相談にも応じてもらえない世帯に対して、世帯単位で資格証明書を出してきました。この12月1日からは、①18歳に到達する年度末までの子どもには資格証明書又は短期証を発行しない、②子どもには通常の保険証(一般証)を交付する、③現在、短期証を発行している世帯の子どもは、更新時に一般証に切り替えるとした方針に転換しました。今回の方針転換にあたって市は、「滞納は保護者の事情に起因するものであり、子どもには何ら責任がない」「福祉や教育的観点を踏まえ」対応することにしたとしています。11月28日現在、市内で資格証明書を交付している世帯と子ども数は19世帯30人で、短期証を交付している世帯と子ども数は122世帯205人にのぼります。
 きょうは、もうひとつ、うれしいニュースがあります。地元で議会報告を終え、夜9時に夕食の時間となりましたが、テーブルの上に新潟市の地質研究者、O先生から冊子小包が届いていました。先生は、私の随想「春よ来い」が100回になったことを記念して、冊子を2部作成してくださいました。そのうちの1冊を手元に置き、もう1冊を私に送ってくださったのです(画像)。冊子に添えられた手紙には、「傍らに置いておくだけで、雲が湧き上がってくるような気持にさせられます。まさしく読む人に希望と勇気を与えるものです」とありました。ここまでほめてくださる方があるというのは感無量です。先生、ありがとうございました。


2008年11月29日

議員と語ろうPART5

 午前中に「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金をやり、午後からは男女共同参画センター主催による「議員と語ろうPART5]に参加してきました。
 「議員と語ろう」に参加したのはこれで2回目です。テーマは「防災と男女共同参画」。新潟県女性財団理事長の大島煦美子さんの講演、市危機管理課の宮川副課長の「上越市の防災計画と男女共同参画」報告を聴き、その後、8つのグループに分かれて、「防災において男女共同参画をどう実現するか」についてワークショップ(画像)をやりました。
 大島さんの講演では、中越大震災などにおける経験が生々しく語られました。どこの行政機関か聞きそびれましたが、防災服は男性用しかなかった、防災長靴も男子用ばかりで男性用の一番サイズの小さな24,5センチを履いた、トイレの入り口が男女とも一緒では抵抗感がある、コミュニティがばらける形で避難すると性的ないやがらせが発生しやすいなど、まだ防災分野では人権尊重がこれからだということがよく分かりました。宮川さんの報告では、市の地域防災計画に「男女両性の視点に立った対策」が盛り込まれていることを知り、さすがは男女共同参画都市宣言をしている市だなと感心しました。
 ワークショップは久しぶりです。自分でできることを思いつくままにカードに書き込み、大洋紙に貼って、それぞれの思いを語る。そのカードをグループ化し、グループとしての報告をする。私のグループでは、家庭や職場できること、防災訓練に関することなどで考えをまとめました。時間の関係で2つのグループ報告しか聴けませんでしたが、防災士のなかで女性が3%しかいないことなどが明らかにされ、これまで気がつかなかった点を学びました。時間的にはもう30分くらいあると、もっと充実した企画になったように思います。
 夕方には、長野県須坂市のりんご農家から依頼されたふじりんごの配達をやり、その後、議会報告会を1か所で行いました。明日は午前から夜まで4か所で行います。議会の質問準備もしなければなりません。こりゃ、たいへんだ。


2008年11月24日

私の一般質問が引用された本

 数か月前のことですが、高知新聞の方から電話があり、11月頃に限界集落についての本を出版するので、その中で私の市議会一般質問を引用させてほしい、との話がありました。本になったことは新潟日報のコラムで知っていました。その本をきょう入手し、関連部分を読ませてもらいました。「棚田の維持に迫る限界」という見出しで上越市のことが7ページを使って紹介されていました。その中で私の2006年3月議会での一般質問が2ページほどにわたり引用されています。私の質問は原稿なしでやっていますので、文章で見ると恥ずかしくなるようなレベルですが、それでも著者から「その質問は古里を愛する切実なものだった」と評価していただきました。この本では、上越市議会に中山間地対策特別委員会が設置されたことや市が「日常生活サポートガイドブック」を発行したことなど最新情報も書かれていて、これには驚きました。本の著者は大野晃長野大学教授です。タイトルは『限界集落と地域再生』(画像)、全国の12の地方紙の共同出版ですが、新潟県では新潟日報事業社が発行しています。ぜひご一読下さい。
 きょうは午前中、私用で飛び回り、午後からは市の㈱よしかわ杜氏の郷についての市民説明会に出席しました。参加者は22日に比べていまいちでしたが、住民意思の確認を求める強い意見や「ISOの取得を考えて計画の中に盛り込んでほしい。産業連関をきちんと分析して地域に貢献する企業に持って行くべき」など積極的な提案がいくつかありました。これで計画された7会場での説明会は終わりです。住民が大きな関心を持っているひとつのテーマでこのような連続説明会をやったことは大いに評価できます。あとは出された意見や要望をちゃんと検討して対応することが大切ですね。


2008年11月12日

このときを待っていた

 市役所へ行く時、必ず通る道に1本のイチョウの木があります。吉川区山方の敬徳寺の大イチョウです。この時期になると、いつ一番美しい黄葉になるか楽しみにしています。そして毎年、気に入った写真を撮ろうと構えているのですが、きれいに黄葉して最高の時となっても空は曇り空であるなど、なかなかいいチャンスはやってきませんでした。ところが、きょうは5年に1回あるかないかのチャンスがやってきたのです。もう説明はやめましょう。きょうの写真は「私の好きな風景」に掲載したものよりもよく撮れていますよ(画像)
 市役所では国保運営協議会を傍聴しました。12月議会提出予定の条例の一部改正や補正予算案について話し合いが行われていました。注目したのは、「その他」の事項で市が説明した国保の資格証明書の発行についてです。当市における国保加入世帯数は2万6374ですが、滞納が始まって2年くらいたっても納税相談に応じない世帯に被保険者資格証明書を出しています。その数、234世帯。このうち、子どものいる世帯数は18世帯です。被保険者資格証明書世帯では、保険診療扱いとなっても医療費は10割自己負担です。事実上、医者にかかれません。最近、「子どもが医者にかかれないことになっていいのか」という世論が高まっていますが、上越市では高校生までを対象に短期被保険者証を発行する予定であることを明らかにしました。一歩前進ではありますが、子どもの権利条例を制定した市の対応としては不十分です。党議員団で至急検討し、市当局に最善の対策を申し入れたいと思います。
 もうひとつ、きょうは市役所で興味深いビデオを見ました。先代の柳家小さん師匠と事実上の師弟関係にあった上越市在住の舞踊家との友情を描いた物語です。今年、ある民放で放映されたものだそうです。学生時代、小さん師匠のもとに飛び込んでいったものの、落語界のきまりのなかで弟子になれず、ふるさと直江津に戻って舞踊家になった青年が落語名人会を毎年地元で開催し、文化活動を推進していきます。その名人会には、毎回、小さん師匠の姿がありました。地元で金が集まらず、開催を断念しようとしたときもありました。師匠の病気が進み、医師から上越行きを強行すれば命の保証がないと言われたときも、小さん師匠は上越市にやってきました。命ある限り上越へ、弟子との約束を守るために。事実上の師弟関係にあったその人は何と現職の市議、佐藤敏さんです。胸が熱くなりました。


2008年11月11日

上越市が『戦争体験談集』刊行

 昨日、市役所へ行ったら、発刊されたばかりの『戦争体験談集』(画像)が議員ポストの中に入っていました。総務部の職員から「もうじき出来あがりますよ」と聞いていましたので、楽しみにしていた本です。
 この本には52人の戦争体験談が掲載されています。すべての漢字にふりがながふられていて、ちょっと見たところ、妹尾河童の『少年H』のような感じがします。まだ、ざっとしか読んでいませんが、いくつか心に残る文章に出合いました。
 ひとつは箕輪幸男さんの「和顔に隠された母の思い」です。体調を壊したお母さんが柿崎病院に入院し、付き添うおばあさんや弟さんとともに病院で生活していたある日のこと、父親が戦争にとられるという知らせを聞きます。しかもその日の午前中に、といいます。そこから苦難の生活が始まりました。「母は夜明け前から夕方、月の明かりを頼りに野良仕事」です。男手が必要な農作業をおじいさんとともに一家で支え、時には親戚の援助ももらい、何とかやりとげたそうです。父親のいない生活、どんな苦労も家族が力を合わせて乗り越えていきましたが、お父さんは輸送船とともに海に沈み帰らぬ人となってしまいました。その時、お父さんは36歳、お母さんは33歳という若さでした。その後、お母さんは91歳で亡くなるまで、自分の財布の中に夫の写真を入れていたとあります。戦争が家族を引き裂き、苦難の生活に追い込む様子がよく伝わってくる文章でした。
 いまひとつ紹介しましょう。大竹ハルエさんの体験談です。1945年5月5日の直江津空襲の衝撃のすさまじさを吉川村(当時)で体験したことが書かれています。大竹さんは、当時、軍事工場でもあった柿崎理研工場の電話交換手として働いていましたが、その日は、ちょうど休日で、近くの顕法寺の山に山菜採りに出かけていました。山頂にいた時、見たこともない大きな飛行機が尾神岳のほうに飛んで行き、すぐに引き返し、「まもなく、山々が揺れて木々が波立ち、『ドカーン、ゴーゴーゴー』」。大竹さんは、恐怖で山中の地面に伏したと記しておられます。直江津空襲のことについては、これまで黒井の地元の方から話をお聞きしていましたが、まさか、吉川にいた人たちまで恐怖に落とし入れるものだったとは思いませんでした。
 『戦争体験談集』は、2006年9月議会において、一般質問での私の提案に基づいて検討が約束されていたものです。『戦争体験談集』は、市役所の木田事務所や各区の総合事務所、図書館などにおいてあり、読むことができます。


2008年11月06日

有意義だった「現場でトーク」

 午前は議員団でスライドづくり。よしかわ杜氏の郷の件で20数枚のスライドを作成しました。まだ、今後、どうすべきかについて議論をする必要がありますが、どうにか先が見えてきました。出来はまずまずです。作業中、「ずいぶんわかりやすくなったね。行政側の説明会でも貸してほしいと言われるかも」という冗談も出ました。もうひとがんばりです。

 スライドづくりは、私が個人でしなければならないものもあります。8日に加茂市で行う講演用のものです。吉川区での日本共産党と後援会の活動などについて、こちらも30枚近くのスライドを使ってお話しようかと思っています。こちらの作業はまだ始めたばかり、今晩と明日の夜で完成させなければなりません。間に合えばいいのですが、ちょっと心配です。

 さて、きょうは午後から「市長と市民との現場でトーク」が清里区でありました。中山間地の振興、集落連携による農地保全について、市長と市内の先進的な取り組みをしているリーダーが意見交換するというので参加してきました。

 清里区の櫛池地区農業振興会の報告、市長によるこれまでの市の取り組み報告に続いて、11人のリーダーの皆さんが発言。高齢化が進んで、65歳以上の人たちが集落の多数となっている地域で頑張っている人たちの報告や意見、そして市長とのやりとりに注目しました。

 大島区藤尾の布施正栄さんは、「『限界集落』というレッテルを張られてショックだった。私らのところでは70代、80代の人たちが現役として元気に頑張っている。ただ、若者がどんどん旧上越市へ出てしまって、後継者がいないのが問題だ」とのべました。これには市長が、「地域にはいいものがあるという誇りをもっと持ってほしい」と応じました。吉川区石谷の曽根春英さん(マイクを持っている人)は、「中山間地のコメと平場での価格には差をつけるべきだ」と主張しました。市長は、「所得を確保することが中山間地で生きていくために最低必須条件だ。あらゆる手だてを考えながら、具体的にやっていく時だと思っている。個人的には値段の格差をつけていくことも有効だと思う」と答えました。また、えちご上越農協の常務理事の石澤正親さんも「中山間地のの特産品はおいしいコメが最高だ。卸業者の中には集落を指定してきたり、棚田を指定する業者も出てきている。地域の営農指導員と相談してコメづくりをしていきたい」とのべました。

 意見交換の最後に発言したのは櫛池地区農業振興会の小山文男会長です。小山会長は、「『限界集落』と呼ぶのはもうやめよう。これからは『新しい集落』と呼ぶことにしよう。いまある条件の中で最大限できることをやってみよう。また、(これからも住み続けるためには)付き合い方まで考え直す時期に来ている。新しい付き合い、新しい習慣が必要ではないか」と提案しました。市長は、この提案を評価し、「これからは意識改革も必要」とのべました。

 「現場でトーク」はこれまで13区で行われてきましたが、「現場での陳情会でいいのか」「もっと市民と話し合うスタイルにしないと意味がない」など厳しい意見が出ていました。今回から新たなスタイルのトークにするということも聞いていました。正直言って、3時過ぎには退席する予定でしたが、トークに引き込まれ、とうとう最後まで付き合いました。良い意見がいくつも出て、市長も生の言葉で語る。たいへん有意義でしたね。新スタイルの「現場でトーク」は成功と言えるでしょう。


2008年09月26日

事故米の影響、上越市内でも

 いったいどこまで広がるのでしょうか。事故米を使って製造したでんぷんが使用された可能性のある卵製品は上越市内の幼稚園、保育園、小中学校の給食でも使われていました。また、ディサービスセンターなどの8つの高齢者福祉施設で、メラミン混入の可能性のある加工品も提供されていました。きょうの夕方、上越市は、市議会の文教経済常任委員会と厚生常任委員会の合同委員協議会で、これらの実態について詳細に説明しました。
 幼稚園、小中学校で事故米使用の可能性のある手づくり厚焼玉子などの卵製品を使用していたのは、平成15年から今年の5月までに市内76小中学校のうち66校、市立幼稚園2園にものぼります。小中学校ではこの間、23万7184食で使用していました。保育園は公立保育園45園のうち1園、私立保育園17園中1園で、平成15年から平成19年1月の間に延べ1624食使われていました。でんぷんの配合比率は0.6%から1.2%でした。市の説明によると、健康被害の報告はないということですが、該当園・校の保護者にお知らせし、引き続き情報収集していくということでした。
 今回の問題の発端は、農水省から事故米を購入した長岡市の島田化学工業(株)がでんぷん加工の原料として使ったことにあります。食用には回らない担保がない中でなぜ販売したのか、国の責任は大きい。島田化学工業については、新潟県が同社に農薬試験米を販売していたことも明らかになっています。
 合同委員協議会は市民の怒りを代弁する発言が相次ぎました。卵製品を使用した学校が統一献立、一括購入をしている合併前小中学校やセンター方式をとっているところに多いことや自主的調査が弱かったのではないかとの発言がありました。わが党議員団の上野、平良木議員は、新潟県が直接関与している農薬試験米についても徹底的に調査するよう県に働きかけるべきだと訴えていました。一連の発言を聞きながら思ったのは、食品が競争原理に支配された時の恐ろしさです。学校給食の民間委託は絶対に広げてはいけないと思いました。


2008年07月29日

合併前上越市の区域に地域自治区設置することで新方針

 合併した上越市には地域自治区が設置してあり、そこに総合事務所と地域協議会がある。地域協議会委員の選任にあたっては公募を基本にすえ、定数より多かった場合は選任投票が行われる。これでいま、上越市は全国的に有名になりました。しかし地域自治区は編入された旧町村部だけであり、合併前の上越市の区域に設置することが重要な課題となっています。きょうの総務常任委員会では、「合併前の上越市の区域への地域自治区の設置について」、これまでの経過や今後のスケジュール、検討項目などについて市側が説明し、議会側の意見を聞きました。

 昨日の日記でも一部紹介しましたが、市側から、来年3月議会で「地域自治区の設置に関する条例」の改正を行い、市長選が行われる来年10月に施行することをめざすとの説明がありました。そのためには、市民への周知・説明をこれまで以上に丁寧に分かりやすくやって、条例改正案についてのパブリックコメントを今年の12月頃を目途に実施したいとしています。この問題では昨年、16の地域自治区設置案を示し、市民説明会をやったものの、市民から十分理解してもらえなかった、議会内でも実施は時期尚早との意見が大勢を占めて、事実上の先送りをしたという経過がありました。

 きょうの委員会では市側の今回の提案に反対論こそ出ませんでしたが、「これを実施しなければ、市が持たないという覚悟での市長の姿勢が大切だ」「今年の県知事選が導入時期かと思っていた」などの声が出ました。私たちの議員団では昨日、検討会をやり、市側の方針案については基本的に賛成する方向を確認しました。町内会と地域協議会の違い、地域協議会と議会の違いなど、市民の皆さんから十分理解していただくためには最低これくらいの期間を確保する必要があると判断したからです。ただ、きょうの委員会で市側は、合併前上越市に設置する地域自治区については昨年示した16の数と区域を基本とすると説明しました。この点は議論を深めないといけないなと思っています。

 夕方からは「上越市の学校給食を考える会」が久しぶりに開催されました。市議選などでバタバタしていた時期に重要な動きがあったりしましたので、事務局からこれまでの経過説明が行われ、今後の運動をどうすすめるかについて議論が交わされました。これまでの運動で、民間委託の動きにブレーキがかけられ、今年度新たに派遣による学校給食調理(これは直営にあたる)という事態も生まれています。市教委では派遣で一定の経験を積んでもらい、民間委託に持っていこうという方針ですが、この方針の問題点などについて整理する必要性が指摘されました。会が終了後には懇親会も行われ、楽しいひと時を過ごしました。


2008年07月14日

練習したチームは強い

 昨日は吉川区体育祭、くびき野地域問題研究会と続き、深夜に帰宅しました。体育祭は昨年に続き、屋外での開催となりました。一昨日までの梅雨空はどこかに行き、青空が広がりました。時折、さわやかな風がグランドに流れて、最高の体育祭日和でしたね。参加者も次第に増え、会場の吉川小学校周辺の駐車場は車でうまりました。ある町内会長さんが「例年の倍は来たね。とにかく大勢だった」と言っていました。

 体育祭では本部テントでずっと競技を見学させてもらいました。地域対抗競技は玉入れ、綱引き、大玉・小玉おくり、障害物リレー(画像)の4種目。7つの地域づくり会議のチームのなかで群を抜く強さを発揮していたのは源地域づくり会議でした。本部テントのなかでも、この強さが話題になりましたが、この日のために9日と11日の2度にわたって練習を重ねてきたのだそうです。練習には選手メンバーの100%が参加したわけでもないけど、みんなで力を合わせて勝つ訓練をしてきたチームはやはり強かった。

 夜は市民プラザでくびき野地域問題研究会の報告と講演会(画像)でした。京大の岡田知弘先生とは約1年ぶりの再会でした。岡田先生の講演テーマは合併後のまちづくりをどうすすめるかです。いつも興味深い話の展開とデータの紹介があるので引きつけられますが、今回もそうでした。「合併の動きはまだ終わっていない」「あらたな地域間格差が広がりつつある」「民間化推進政策の中で、周辺部を中心に住民の生存の危機が広がっている」などの指摘に注目しました。今後のまちづくりをどうするかについては、①まちづくりの目的を明確に、②合併に伴う必然的な影響を予め把握しておく、③失敗例から学ぶ、など5つのポイントは参考になりました。

 後援会が終わってから、直江津の居酒屋で岡田先生を囲んで何人かで懇談会をやりました。私も執筆に参加した『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)出版のご苦労さん会も兼ねての開催でした。「新潟日報の山村集落の連載ルポもよく調べて書いている」「道州制の案がいくつかでたけど、いずれの案でも新潟ははずれ」「地方新聞各社は会社の存続にもかかわる問題なので多くは道州制に反対している。新潟日報はどうなっているんだ」「町内会は自治組織なのに町内会長が市からの仕事をうけているので下請け機関化しているのではないか」など、話題は転々とし、議論が賑やかになり、お開きになったのは12時過ぎでした。


2008年07月05日

「時間切れ行政の必勝」

 きょうは上越市自治基本条例施行記念フォーラム(画像)の日でした。第一部で基調講演をした辻山幸宣先生は、旧吉川町時代からたいへんお世話になった方です。自治基本条例をまちづくりにどういかしていくかが講演テーマでしたが、直江津図書館等整備問題を頭に浮かべながら、聴かれた方がたくさんおられたのではないでしょうか。市民の権利はどうだったか、市長や議会の責務はどうであったか等など。それぞれの持ち場でこの条例を考えると、とても勉強になる講演だったと思います。

 辻山先生は政策形成過程への市民参画のひとつ、パブリックコメントについてふれ、「これからは以前よりも1か月前倒ししなければなりません」と語られました。そのとおりです。第二部の自治基本条例を語る会で山岸議長は、今回の直江津図書館の件でいくつかの会派から議会として議会報告会をやるべきだと提案があったとのべました。そのひとつは私たちの議員団です。今後、定期的に議会報告会を開催していきたいと議長は市民に約束しましたが、議会内にいくつかのチームをつくって全市をまわればよいと思います。

 この日のフォーラムが6月議会前に行われておれば、直江津図書館等の問題は違った展開をしていたはずです。まず、パブリックコメントの扱いの状況からいって、6月議会に提案できなかったと思います。議員の質疑や質問を市民にわかりやすくするために委員会での議論にプロジェクターを持ち込む委員も出てきたかも知れません。議会報告会、あるいは市民の声を聞く会を開く会派は私たちだけでなく、複数にのぼったでしょう。どうあれ、自治基本条例をもっと意識してこの問題を考えたはずです。講演が終わって休憩時間に辻山先生と言葉を交わしました。先生いわく、「レジュメを送ってから図書館問題を知ったけど、『時間切れ行政の必勝』と書いていたのでびっくりしたよ」。もし、7月4日の契約期限が延長されていたら、どうなっていたでしょうか。

 夜、久しぶりにテレビをゆっくりみました。NHK衛星で放映されていた黒澤明監督の『醜聞(スキャンダル)』です。画家役の三船敏郎と弁護士役の志村喬の見事な演技に酔いました。黒澤監督作品はこれまで『七人の侍』しか観たことがなかったのですが、映画作成のテーマ・ねらいをはっきりさせていること、映画の構成、流れがしっかり練られていて、俳優もベストの人を持ってくる。変に凝っていなくて、わかりやすく、心を打つ。議会の質問でもこうしたことをやれるようになりたいものです。そうそう、最近では、人間をモノのように使い捨てにする派遣労働の深刻な実態を告発した、2月の志位和夫共産党委員長の質問がそうでした。


2008年06月29日

民商総会、図書館等整備問題市民説明会に参加

 久しぶりにたくさんの雨が降りました。早朝からの新聞配達、集金では、傘をさして飛び回りましたが、時々、強く降り、ひょっとしたら災害が発生するかもしれないと思いました。でも、強い調子は続かず、弱くなったり、強くなったり。この雨で畑の野菜も土もたっぷり水をもらいました。田んぼの稲にとってもいい雨でした。これで、干ばつの心配はなくなったのではないでしょうか。山間部の人たちに様子を聞いてみようと思います。

 さて、きょうは午後から高田でした。午後1時半から上越民主商工会の総会で、日本共産党を代表して挨拶をさせていただきました。私も酪農をやっていた関係で、数年前までは会員でした。何人も知っている人が参加されていて、肩の力を抜いて話ができました。総会の中での発言は都合で2人しか聞けませんでしたが、厳しい経営・暮らしが生々しく報告され、いい勉強になりました。総会後の懇親会では、いろんな出会いがありました。「妻は原之町のどこどこの者だ」「福平に親戚がある」と話しかけてきてくれる人がいました。そういうことを聞いただけで、その人たちとの距離が縮まります。尾神出身のSさんは、私の同級生の弟さん、「市議選では心配になり電話をかけて、お願いしたよ」。こういう人たちもいたから当選できたんだと思いました。

 総会を途中で抜け出して、直江津図書館・社会教育館整備事業の市民説明会に参加してきました。市民の皆さんの生の声を聞きたかったからです。「なぜイカヤなのか、なぜ直江津駅前にこだわるのかそこを知りたい」「いったん白紙に戻して、既存の施設の活用を考えるべきだ」「直江津に住む人間にとっては海と駅が大事。子どもとも話をしたが、図書館は『まちなか』にあってほしい。静かな環境もいいが、にぎわいの中に図書館があってもいい」などたくさんの声を聞くことができました。もし時間が制限されていなければ、もう1時間は議論が続いていたでしょう。

 きょうの説明会に参加してみて、議会での議論まで最大限時間をとってほしいと思いました。市民との対話が不完全燃焼をおこしていると感じたからです。この日記を読んだ人から、「議員も議会も説明責任を果たしてください」というコメントが寄せられました。これも当然です。議員団でもHPの更新をしなければいけないなどと話しています。市長がこうした重要問題で直接市民と対話をする姿を見て、いいなと感じました。自治基本条例が施行されて3か月、今回のような問題で市民も議会も行政も鍛えられていきます。直江津図書館等整備問題でもめたことが、上越市の自治にとって大きな収穫につながっていくかも知れません。なお、木浦市長はこの日、「27日にイカヤの社長と話をした。厳しいけれど銀行団に聞いてみるとの答えだった」と新たな事実を明らかにしました。


2008年06月05日

平成の名水100選に大出口泉水

 今朝の新聞に、尾神岳のふもとから湧き出ている大出口泉水が平成の名水100選に入ったという記事が大きく掲載されていました。うれしいもんですね。早速、デジカメを持って大出口へ行ってきました。先客は一人。大きなポリ容器を持っての水汲みです。私の目的は「きょうの大出口」の様子を写真に撮ることです。新聞各紙に掲載された水の湧き出ているところ(画像)もいいですが、そこより少し下ったところ(画像)で、水が勢いよく流れ落ちていく場所が気に入りました。黄色い花はダイコンソウでしょうか。市では「公の施設の統廃合計画(案)」で大出口公園施設を平成26年度に廃止予定としています。今回の名水100選入りでどうするか。財政効率だけで決めてはいけません。

 市役所では午前中、教育委員会の質問取り、議員団の学習会と続きました。「学校評価の充実・改善のための実践研究」事業について総括質疑することになりましたので、質問の趣旨などを説明し、事業の要綱、事業計画書などの資料も求めました。上越市では昨年、総合教育プランを策定したばかりです。それとも関連させながら、現場の学校、児童・生徒にとってどうなのかを明らかにしたいと思います。学習会では配布された委員会資料を読み、意見交換しました。今定例会では、文教経済常任委員会と被災者対策費、ごみ処理費などを審議する厚生常任委員会で議論が盛り上がりそうな感じです。

 午後は柿崎病院後援会の役員会でした。昨年度の事業取組結果と決算、本年度の計画と予算が承認されました。今年度の予算額は55万1000円、医師の招聘活動、後援会ニュースの発行などに使われます。注目の病院の行方ですが、単年度では赤字となっているものの、県内の県立病院のなかでは健闘しているとの評価の声が出ていました。病院関係者は、「国の政策のため、病院経営が難しくなっている。近くに病院があることが地域住民にとっての安心、安全につながる。地域医療病院としてだけでなく、呼吸器系の病気の専門病院としても力を入れている。公立病院改革ガイドラインもあるので、ぜひ利用していただきたい」と訴えていました。

 ところで、市役所から柿崎区へ向かう途中、農産物直売所「あるるん畑」に立ち寄ってみました。何が出ているか、時々、のぞいているのですが、外に並べてあった鉢植えの野の花などのコーナーで知り合いのものが出ているので、ゆっくり見せてもらいました。きれいな花をつけたホタルブクロ、ヤマアジサイなどを出したその人は昨年お連れ合いを亡くしたばかりです。以前から生活力のある人だとは思っていましたが、花もやっているとは驚きでした。


2008年05月01日

第79回メーデー上越集会

 きょうも暑い一日となりましたね。午前はあいさつ回り、午後からはメーデー上越集会、病院、原稿書きと忙しい日でした。あいさつ回りのなかでは、初めて聞いた市議会議員選挙に関する情報がいくつかありました。若い有権者のなかで、「今度は共産党だね」という動きが起きていたというのです。どの程度の広がりかはわかりませんが、労働環境の改善や子育て支援強化を訴えた者としてはうれしいことです。選挙期間中、高齢者のみなさんからは、「年金と後期高齢者医療制度で頭にきた。もう自民党はたくさんだ」という自民党支持者の声を聞いていました。有権者のなかでは大きな変化が起き始めているように思います。

 メーデー集会とデモは高田で行われました。今回は日本共産党を代表してあいさつするようにと頼まれていました(画像)。事前に頭の中で考えていたのは、市議選に関することと、市内の非正規雇用に関して実態をあきらかにして正規雇用を増やすたたかいを呼びかけることでした。ところが、途中からまったく考えてみもしなかった内容へと話が展開していきました。たぶん、車の中で「綾小路きみまろの爆笑トーク第3弾」を聞いたのが影響してしまったようです。デモでは先頭で横断幕を持つ役目を仰せつかりました。初めての経験です。シュプレヒコールをやるにも気分が良かった。

 一日の仕事が終わって、久しぶりに「ゆったりの郷」で温泉につかってきました。デモなどで汗をかいていたので、全身をよく洗って、風呂にゆっくりと入る。いいもんですね。温泉を出たのは午後9時過ぎです。駐車場では、カエルの大合唱が聞こえてきました。明日は雨が降るのかも知れません。


2008年04月29日

全国的に注目された選挙結果

 夕方、日本共産党中央委員会のホームページを見てびっくりしました。市田書記局長が28日の国会内の記者会見で上越市議選の勝利の意義についてのべていたからです。「しんぶん赤旗」の報道では、「市田氏は、定数一の埼玉県議選西5区(ふじみ野市旧上福岡市)の再選挙で、自民、民主の候補者を抑え党候補が当選し、上越市議選では、定数一の吉川区と、定数二の頸城(くびき)区でも当選した意義を強調。国の悪政に堂々とものを言える政党・候補者でなければ、市民の暮らしも地域経済も守ることはできないことに共感が広がったと指摘しました」とあります。「この市議選で私が勝つことは、後期高齢者医療制度を廃止させる動きにつながる」と言ってきただけに、改めて、今回の勝利の重さをかみしめました。

 きょうの「しんぶん赤旗」日刊紙で(関東地域などでは昨日)、私の勝利が一面で報じられました。私の当選が一面で報道されたのは前回の市議増員選挙に続いて2度目、今回は小さな母をはじめ、一緒に頑張ってくれた面々も写真に入っているので、みんなが喜んでくれることと思います。地元紙である新潟日報では、上越地域版で、「変革への期待 鮮明に」という見出しで上野公悦さんの当選や私のことが書かれていました。昨日の当選証書授与式のあと、新聞記者が3人、私たちの議員団控室に来て、コーヒーを飲みながら懇談しましたが、そこで議案提案権獲得と議員団の姿勢について私がのべたことがそのまま上越タイムスに載りました。「新しい改革の歴史が始まる。議員同士の論戦がいよいよ始まる」と書いてもらった以上は、頑張らなくてはなりません。地元新聞がこのように注目してくれたのもうれしいことでした。

 きょうは親戚の法事でした。私を今回も推薦してくださった真宗大谷派専徳寺住職の松村公雄さんをはじめ、吉川区内の大勢の人たちと一緒でした。お酒の席では、選挙結果が最大の話題でした。「当選は信じていたけど、どうなるかと心配した。いつも早く寝る父ちゃんが、寝ないで結果を待っていた」「やっぱり日頃が大事だね。これからも頼むよ」「この次はガラガラポンだね。絶対落ちないでくんないや」などとたくさんの言葉を寄せてもらいました。吉川区外の人たちも含め、親戚筋の人たちがこんなに心配してくださる、ありがたいですね。法事ではウーロン茶で通しました。終わってから、あいさつ回りをしたかったのと、街宣車に乗っていて気になっていたエチゴルリソウの花写真(画像)を撮りたかったからです。


2008年04月28日

父も万歳をしてくれた

 昨晩は2時間ほどしか眠れませんでした。興奮して眠れなかったわけではありません。やるべきことがいっぱいあって眠れなかったのです。まず、全国から寄せられたメールに返信したい。親戚、同級生、これまで取材に来られたことのある記者の方、党議員などたくさんのお祝いのメールが届きました。学生時代の友人からは、「このところ少し風が変わってきている気配を感じます。共産党の政策提言が受け入れられる下地が出来てきているような」というメールがきました。また、メールのなかには公明党支持の方からのメールもありました。うれしいですね。

 HPはスピードが大事ですね。千葉県に住む従弟から、「市役所のHPよりも私のHPの日記の方が選挙結果報道が早かった」とありました。市のHPよりも早くなったのは、新聞記者のインタビューをすませてすぐに、パソコンに飛びつく時間をつくったから。勝利を確信して投票日の夕方、日記の原稿を書いておいたこともよかった。何人かのメールを読み、一秒でも早く選挙結果を知りたがっていることを改めて知りました。「ホーセの見てある記」には久しぶりにいくつかのコメントが寄せられました。沖縄の方からも初めて寄せていただきましたよ。ご覧ください。

 昨晩から電話もたくさんいただきました。電話は選挙事務所の2つの臨時電話を含めると6台あります。後援会長さんや妻などに手伝ってもらいましたが、それでも対応しきれませんでした。多々失礼があったことと思います。その点、お許しください。区内からのお祝いの電話がほとんどですが、区外からもたくさんいただきました。「あなたの、共産党としての柔らかさが評価されたんだから、それをふまえて活動してくんないや」とは学校の元先生でした。自民党のある県議さんからは、「いや見事なたたかいだった。最後は人間(が大事)だね」と激励されました。

 きょうは、父の入院している病院へ行ってきました。私の顔を見るなり、「トチャか」と言ってニコリ。会いたかったのでしょう。父には地元新聞で報じられた、万歳をしている時の写真(画像)をみせ、「じいちゃん、当選したよ。ほら、載ってるよ」と言うと、涙を浮かべて万歳を何回も繰り返してくれました。一緒に出かけた妻も、「私も万歳してないから、一緒にやろうね」と言うので、病室では3人で万歳をしました。父のところへは市役所からの帰り道にも寄りました。

 市役所木田事務所へは本当に久しぶりに訪れました。当選証書をもらうためと挨拶をするためです。証書をもらってからは、市役所内のあいさつ回りです。きょうで議員活動を終える杉本市議も含め、5人で各課をぐるりとまわりました。階段を上ったり下がったりしたものですから、汗をかきました。挨拶は私が代表して声を出したのですが、自分でもびっくりするほど大きな声がまだ出ます。この調子なら、10日間くらいの選挙でも大丈夫かも。あいさつ回りでは、目でお祝いのメッセージを送ってくれる人がいました。学校給食民間委託問題で一緒にやってきた市職労の委員長からは、「よかったですね。おめでとうございました」と声をかけてもらいました。


2008年04月05日

成人式

 上越市の成人式がリージョンプラザで行われました。予定時間よりも少し早く着いたら、会場前の広場は参加者でごったがえしていました。着物を着ている女性が目立ちましたね。一説によると、成人式を4月にしたのは、着物を着ても雪で汚れないようにするためだとか。普段、このようにたくさんの若い人たちを見ることがないので、若い人たちの群れのなかを歩くのは新鮮でした。

 式典はわずか30分で終わりましたが、式典前の名立太鼓(画像)、式典後の「成人の集い」における上越教育大学の学生たちによるストリートダンスは若者たちの力強さを感じさせる素晴らしいものでした。リズム感あふれる動きは、私のような年齢の者にはもう真似のできないものです。それだけに、うらやましく思いました。今回、成人式を迎えた2千数百人のなかには、私の姪もいました。すらっとして、背が高く、とても感じの良い人間に成長してくれました。ミーちゃん、おめでとう。

 昨日、撮影した花は、やはりアズマイチゲでした。ホームページの「野の花」のページに新しい花を掲載したのは本当に久しぶりです。トップページから入ってご覧ください。


2008年03月31日

退職者に辞令交付

 年度末。市役所では百数十人の人たちが定年などで職場を離れていきました。一人ひとり名前をあげられませんが、議員活動の中でお世話になった人も少なくありません。これからは、そうした人たちと会う機会があまりなくなると思うとさみしい気がします。辞令交付を受けた退職者のうち、数人と偶然出会い、挨拶をかわしました。「市長さんからご苦労さんでしたと言われて胸がいっぱいになった」「明日から役所に来ないでいいといっても何かピンとこない」などの言葉を聞きました。私の従兄も退職者の一人でした。市役所にもう少し早く行けば会えたかも知れません。市の職員としての最後の姿を見られなかったのは残念でした。みなさん、ほんとうにご苦労様でした。

 さて、きょうは県立吉川高校最後の日です。わが家と学校とは直線で500メートルあるかなしでしょう、これまで学校からはチャイムや校内放送が風に乗って聞こえてきました。時々、生徒たちの声が聞こえることもありました。これからはまったく聞こえなくなる、そう思うとさびしいですね。学校関係者の方々が夕方、集まるという情報も入ってきていますが、残念ながら私の方は病院でした。

 きょうは午後から天気が崩れました。夕方、雷が鳴り、あられも降って車のフロントも道路も一時白くなりました。まだスノータイヤを履いていて良かったです。


2008年02月25日

ソーシャルワーカーと相談

 きょうは、父の退院後の介護をどうするかで病院のソウシャルワーカーなどと相談しました。施設での介護をお願いしたいと思っていますが、簡単にことは進まないことがわかりました。特養ホームだけでなく、老健施設もなかなか入れません。また、入っても入所に伴う利用料がばかになりません。相部屋で月に14万円前後かかるそうです。昨日、友人から、「うちの場合は夫婦ふたりだったから20万円を超えた」という話を聞き、びっくりしてしまいました。

 父のところへは、市役所の行き帰りに2回行ってきました。帰りに病室を訪ねると、ゼリー状の食べ物が置いてありました。「じいちゃん、口から食べ物、食べたがか。いかったねぇ。うまかったかね」と聞くと大きくうなづきました。これで、少しでも口から食事をとれるようになればいいのですが……。きょうは、市役所でも介護に詳しい職員さんや議会関係者と介護問題について教えてもらいました。アドバイスをしてくださる方がいると、とても助かります。

 今朝の新聞で、「人手不足のためにショートスティの1ブロックをオープンできない」ところがあるという記事が目に留まりました。昨年の12月議会で、介護労働者の労働条件の悪さを指摘しましたが、人が集まらなくて施設運営できなくなってきているところもあるという現実は深刻です。市内にはいくつかの施設で人手不足が問題になってきているようなので、今後、調べて、打開の道を探っていきたいと思います。

 市政レポートNO1335、掲載しました。ご笑覧ください。


2008年02月22日

予算要望に対する回答書受け取り

 新年度予算要望書に対する市長の回答書を受け取りに市役所に出かけました。要望書は、日本共産党上越地区委員会が昨年12月に提出したものです。きょうは党市議団のメンバー全員が出席し、総務部長から回答書をもらい、その後、懇談しました。総務部長は、「いまできることを最大限盛り込んだつもりだ。市政にかかわる97項目の要望のうち、50項目についてほぼ要望通り実現していきたい。他の47項目についても早期実現は難しいが、ご要望の趣旨はわかるので検討してまいりたい」とのべました。これまで4回ほど予算要望書を提出してきましたが、要望項目全体で何項目応えたと説明があったのは初めてです。

 要望書を受け取ってすぐに家に戻りました。というのは、きょうから配布する市政レポートが未完成だったからです。約2時間かけて作成し、印刷に入ったのは午後1時でした。先週は印刷機の故障で、大潟区の南部堂まで行って印刷してきたのですが、きょうはスムーズに印刷できました。印刷機の調子がいいうちに、一般紙に折り込む分も印刷しておこうと、きょうは一気に2種類の印刷を済ませました。その後は、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金です。市議選での支持と協力のお願いをしたり、世間話をしたりしながら暗くなるまで頑張りました。予定が終わってからのひと缶の発泡酒がうまかった。


2008年02月08日

ポスター写真

 写真屋さんでの選挙ポスターのための写真撮りをようやく終えました。ひと月ほど前にお願いしていたのですが、父の入院などで先延ばしになり、ここまできてしまったのです。3年前の市議増員選挙の時に着ていたスーツは、体重が増したおかげで着れず、黒系統のスーツを着用。ネクタイは最近、一番気に入っているものをつけました。30枚ほど撮った写真を見ながら改めて思ったのは、この手の写真は顔の向き、目の方向、あごの引き具合、リラックスしているかどうかで全部違うということでした。私が選んだ一枚は、体が少し右向き、目に優しさがあるものです。

 写真が出来上がってきたら、次は印刷屋さんのところです。これもすでにお願いしてあるのですが、前回は冬の選挙、今度は春の選挙です。スーツの色も違うし、バックの色も考えなければなりません。名前やキャッチフレーズの位置もある。そんなこと印刷の専門家にまかせればいいじゃない、そう思われるでしょうが、私の場合、まず自分なりのイメージでレイアウトを作ってから担当者と話し合うようにしています。ポスターの出来上がりまで、少なくともあと10日はかかるでしょうね。

 きょうは国保税値上げ反対署名の第1次集計分の提出日でした。国保をよくする会では2月末までに1万人の署名を集めようと頑張っていますが、いまのところ、その半分まで到達しています。市長応接室での署名の提出と交渉には、会の関口荘六代表など7人が参加しました。すでに国保運営協議会に諮問する内容がほぼ確定していたのかも知れません。応対した村山副市長の口ぶりからすると、新年度の税率改定にあたって、激変緩和措置として一般会計からの法定外繰り入れをある程度は入れることがわかったものの、運動を強めないといけないなと感じました。

 午後からの国保運営協議会では、税率・税額改正の考え方が市当局から諮問されました。新年度から創設される後期高齢者医療制度によって、同制度がスタートしてからの医療費の推移の見極めが難しので、2009年度(平成21年度)にも再度見直しをする。応能割と応益割は52.75:47.25とする。注目された税率・税額改正による激変緩和措置ですが、2008年度(平成20年度)に6億2000万円、2009年度に4億3000万円を一般会計から繰り入れることが示されました。これでいくと、2008年度は、医療給付費分と後期高齢者支援金等分を合計して、一人あたりの調定額(年額)は77,854円となります。国保をよくする会の運動や世論がある程度反映したとはいうものの、本年度に比べて10,546円(15.7%増)はきつい。しかも2009年度はさらに8000円近い値上げが予定されているのです。たいへんです。


2008年01月22日

国保問題学習会

 関心の高さを感じましたね、きょうの学習会は。国民健康保険税の値上げにストップをかけたいという願いを持った人たちが50人ほど集まりました。報告者は杉本市議と新潟市社会保障推進協議会事務局長の野本孝子さん。このうち野本さんは、国保制度の仕組み、国保税はなぜ高いか、国保改善運動について1時間ほど語りました。野本さんの話を聴く中で、「国保は社会保障の一環だ」「いまある制度の中でいかに負担を軽くしていくか」など基本的なことを学びなおすことができました。国保は命と暮らしを守る砦です。じっくり、ゆっくり勉強する時間がほしいと思っていただけに、きょうはとてもいい機会となりました。


2008年01月17日

国保問題で「よくする会」が市に要請

 大寒が近づいてきたら、ぐんと冷え込んできましたね。今朝は道路も凍って、車ものろのろ運転となりました。きょうは、午前9時から、「上越市の国保をよくする会」の国保税についての要請活動でした。12月議会で「国保の基金も底をつく。一人あたり2万円からの不足を生じるので税率の見直しが必要」との見解を市が示していたことから、一般会計からの法定外繰り入れを行ってでも値上げをしないでほしいと訴えました。応対した村山副市長の発言を聞いていて、市はこれまでにない政策的な判断をしてくれそうな感触を得ました。今後、この動きを確かなものにするため、署名活動などを急速に広げていきたいと思います。

 要請行動が終わってからすぐに病院へ行きました。父の容態が良くなっていくことを前提に、今後、どういう介護を、どこでやっていったらいいのかなどについてソーシャルワーカーの方と相談しました。母がここ1、2年の介護で相当疲れているので、何とか施設対応でとお願いしてきました。その後、吉川の包括支援センターに立ち寄り、ケアマネージャーの方と話し合い、手続きの段取りをしてきました。前段の相談では妻も付き合ってくれました。今朝は家から勤務先へ行ったのですが、介護休暇をとってあったとか。父は妻が顔を見せたら、手袋のついた手をサッとあげたそうです。一晩、誰も付いてあげなかったので、うれしかったのでしょう。


2008年01月11日

自治基本条例案についてご意見を伺う会

 やはり休んでよかった。昨日、ゆっくり過ごして、しっかり眠ったら、きょうは実にさわやかな気分でした。やりたい仕事もピッチが上がり、順調でした。きょうは、市政レポートを作成し、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、年始回り、病院での付添と進めることができました。市政レポートは、裏面はダメかと半分あきらめていたのですが、何とか書けました。「春よ来い」は91回目、今回はあるおばあちゃんから聞いた漬け菜汁の話です。一晩寝かせて手直ししたら、明日の夜にはHPにアップできるでしょう。病院では、別の原稿書きもやりました。

 夜は、上越市自治基本条例(案)についてのご意見を伺う会が吉川コミュニティプラザでありました。参加者は総合事務所職員を含めて30人近くにもなりました。企画政策課自治推進室のメンバーがパワーポイントを使って条例策定の背景や条例のポイントについて説明したのち、質問や意見を受けるという流れで進められましたが、次々と手を挙げる人がいて大変活発でしたね。「市民投票について、請求権者総数の50分の1以上と4分の1以上に分けた理由はなにか」「盛んに協働をいうが、市が逃げ道をつくろうとしているのではないか」「条文の中に専門用語がたくさん入っている。もっと平易な言葉で書いてほしい」など何と8人もの人が質問や意見を述べたのです。

 ご意見を伺う会が終わってから、池田自治推進室長に「どうでした。吉川の会は」とききました。池田室長からは、「いや、さすがに自治基本条例をもっていたところだけあって、活発な質問や意見がたくさんでましたね。私たちも、これだけいろんな声が出ると助かります」との言葉が返ってきました。議会では特別委員会での議論がほぼ終わっていますが、「協働を言うなら、もっと底辺で生活している弱者の立場にたった文言を入れてほしい」「別に条例で定めるもので新規に制定するものは何か」など今晩の発言を聞いていて、条例審議では力を抜かずに、とことんやる構えが大切だと思いました。


2008年01月06日

消防出初式と学校給食フェアー

 まず最初にお礼を言わなければ。きょう、家で私のHPを開いたら、アクセス数が10万回を超えていました。昨晩のうちに超えたのでしょう。訪問してくださった皆さんに心から感謝申し上げます。私のHPはいかにも素人が作ったHPという感じがすると思います。技術的に未熟なところは、日々の更新と情熱でカバーしようと努力してきました。市議としての私の活動を知ってもらうだけでなく、合併後は旧吉川町HPに代わって吉川区を知ってもらうHPにすることも意識してきました。今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、きょうは消防出初式と学校給食フェアーがありました。私は上越地域消防事務組合議員ですので、出初式に欠席というわけにはいきません。朝早く病院を出て新聞配達を終わらせ、病院に戻り、そこから会場へ。この日記を読んでいる人もいて、同僚議員などから、父の具合はどうかと心配して声をかけていただきました。開会の直前、恒例の木遣り歌が披露されました。間近で聴いていましたので、節回しなどがよくわかり、聴き惚れました。こういう歌は私の父も大好きです。父にも聴かせてやりたいと思いました。
 
 学校給食フェアーは実行委員会の主催ですが、その中心は市職労の調理員部会のみなさんです。栄養士や調理員がどのようにして学校給食を作っているかがよくわかる取り組みで、とても勉強になります。同フェアーは今年で3回目。展示コーナーは毎年、各区が回り番で準備します。今年は吉川区の展示コーナーもありました。そこではサルナシジャムを使ったケーキが紹介されていました。めずらしいのでしょう、そこで足を止める人が多いような気がしました。

 今晩は弟に父の付き添いを代わってもらいました。これまで、病院での仮眠は病室に断熱マットを敷き、その上に長座布団を乗せ、そこに体を横にして休んでいました。慣れてきたものの、熟睡は出来ません。それだけに、今晩はゆっくり休ませてもらいます。きょうは、新年になって初めてわが家で眠ることができます。自分の家で眠れるのは最高です。


2008年01月04日

賀詞交歓会

 きょうは上越市の賀詞交歓会と吉川商工会の新年会でした。賀詞交歓会はリージョンプラザにいっぱいの人たちが集まりました。2000人くらいになったでしょうか。政治、経済、教育、その他、いろんな分野の人たちが参加していましたね。あまりにも大勢なので、どこにどなたがいるかわからなかったのですが、中学校の先生など何人かから声をかけていただきました。昨年から知り合った人、何年も会っていない人と再会できたのはうれしかったです。妻がお世話になっているお茶の先生ともあいさつを交わすことができました。

 市議のみなさんとは久しぶりの再会でした。年を越して、立候補を予定している各議員は、いよいよ選挙モードに入ってきたなという感じです。「おい、がんばっているかね。たいへんなようだね。応援に行っておまんの応援演説したいよ」保守系の思いがけない人からも激励していただきました。また、まわりの人の目も選挙を意識したものになりつつあるように思います。他党派の元議員が選挙区の違いを越えて、「応援しているよ」とわざわざ引き止めてくださる場面もありました。感謝です!

 商工会の新年会は、今年も区内の各界の人たちを集めて行われました。商工会会員のみならず、各種団体の代表が何人も参加していました。いまや、商工会が区のこうしたまとまりをつくる唯一の団体になった感があります。ここの新年会では、地元市議として挨拶もさせてもらいました。合併後4年目に入り、吉川が元気がなくなってきているという話が出ているので、総務省の「事業所、企業統計調査」で過去5年間に市内では900からの事業所が廃止し、従業員も5300人から減ったこと、第5次総合計画策定過程で市がとったアンケートでは「魅力ある都市にするには」、就労の場を確保すること、既存商店街の活性化が1位、2位を占めていることを紹介して、中小企業振興策を抜本的に強めることが大切だと訴えました。病院で寝不足が続いていて、おもうように喋れませんでしたが、話の中身は通じたようです。やれやれ。


2007年12月25日

自衛隊駐屯地で申し入れ

 昨日の話題から。クリスマスイブを意識していたわけではありませんが、昨日の夕方、吉川区の泉谷地内にある大きなイルミネーション(画像)を見てきました。数年前からテレビなどで話題となった家です。電飾美とでも言えばいいのか、萱ぶき民家の形を活かした見事なイルミネーションは今年も「健在」でした。上越市内の各地で、今年は電飾がぐんと広がりましたが、ここが元祖であり、出発点であったように思います。

 さて、きょうは午前が旧吉川町議会議長、八木一郎氏の叙勲祝賀会でした。私の父よりひとつ年上なのに、とても元気なのにはびっくりでした。腰の痛みがまだ取れないので、自席でしか交流できませんでしたが、旧町議や各種団体の役員さんたちと久しぶりに会えて、話ができたのが一番うれしかったですね。関東地方で働いている吉川区出身者の方とか消防署の幹部の人などがこの日記を毎日のように見ていてくださるという情報も寄せていただきました。

 午後からは、明日の予算要求に向けての最終チェックの会議、そして夕方には自衛隊高田駐屯地を訪れ、日米共同訓練の中止を求める要請行動に参加しました。訓練中止を求める上越地域の会の嶋田五郎会長が面会所で申し入れ文を読み上げました。平和活動での実績からくるのか威厳を感じましたね。ところで、駐屯地へは高田図書館前から歩いて行ったのですが、駐屯地の入り口の反対側には母校である高田高校があります。新築されたばかりの校舎を初めて近くから見て、ずいぶんイメージが変わったなと思いました。

 市政レポート1326号、掲載しました。ご笑覧ください。


2007年12月21日

ぎっくり腰が再発

 恐れていたことが現実になりました。ぎっくり腰が再発してしまったのです。朝、父の着替えを手伝っていたときでした。電気毛布による低温やけどで父の右足の外側が「赤めどこ」状態になっていることを長女が発見、薬を塗るというので父の体を後ろから抱き上げようとした瞬間、腰がぐずぐずとしてしまったのです。午前は車を運転して市役所へ行ったものの、午後からは、椅子から立ち上がるにも手間取るようになりました。歩いていても、腰を伸ばすことができません。困ったことになりました。

 きょうは午前に議員団会議、午後から文教経済委員会、学校給食を考える会と市教委の話し合いと続きました。文教経済委員会では佐渡汽船の小木直江津航路問題がテーマでした。新潟県と佐渡、上越両市が現在取り組んでいる航路に関する意見募集をめぐって厳しい意見が相次ぎました。2隻体制を前提にした公的資金の投入を始めた初年度に1隻または1.5隻体制案を示して意見を募集するとは何事か。案に関するデータは貧弱で、どういう運航体制に持っていこうとしているかが見え見えだ。案を示しての意見募集は中断してやり直せ。市民の税金を投入することについて、市民代表として厳しく対応するのは当然のことです。

 学校給食の民間委託をめぐっても予定の1時間をオーバーする議論となりました。既報のように、市教委は、新年度は城北中学校での民間委託(請負)は継続し、新たに4校で民間委託を目指し、初年度は労働者派遣による給食を実施し、次年度から同じ業者に民間委託(請負)させる方向性を示しています。この方向性について、「法の網をくぐって民間委託をさせるやり方はやめるべきだ」「契約は単年度契約のはず、次年度に同じ業者にまかせるということは、どんな契約をするつもりか」などという意見や質問が続きました。きょうの議論を聞いていて、新年早々から、来年度に労働者派遣で給食をやろうとしている学校の保護者説明会をやろうとしても無理だと思いました。


2007年12月20日

ベッドから落ちた父

 父の体温が37.7度まで上がり、下がったかと思えばまた上がるという状態が2日ほど続いています。市役所に出かける前に父のベッドのところに行ったところ、顔は横にしてよだれがだらりと出ています。顔全体が幾分膨らんで見えました。「大丈夫か?」と尋ねると、「大丈夫」という声が返ってきました。毎日、様子を見ている母など話では、これくらいならゆっくり休ませておけば心配いらないというので、出かけました。

 夕方、まず父の所へ行こうと玄関を開けると、母が「とちゃ、いいところに来てくれた」と言います。父がベッドから落ちて、そのまま動かせないというのです。寝ている時はたいがい足をベッドの脇に出している父ですが、この日は、そのままずり落ちてしまったのでしょう。ベッドのそばに落ちてぼけっとしている父を後ろから抱き、引き上げました。ぐいっと持ち上げたところ、いやに重たいと思ったら、父が衣装箱を手でしっかりつかんでいるではありませんか。これには、まいりました。

 市役所では議会だよりの原稿を書いたり、吉川区以外から寄せられた生活相談で動きました。また、学校給食運営委員会があるというので傍聴してきました。新潟労働局から請負について指導があったからには、運営委員会はもう一度開催し、来年度からの民間委託をどうするか検討すべきとの私の主張に応えた会議です。市教委は、来年度から民間委託を予定している4校について、初年度は労働者派遣で、慣れたら、請負に切り替えるという方針を示しました。会議はいろんな質問が出て、なかなか終わりそうのない雰囲気でしたが、会長が「来年も民間委託という方針でいく」ことを確認して終わりました。新方針については明日、市教委と学校給食を考える会で話し合います。


2007年12月19日

学校給食調理部門民間委託で新たな動き

 上越市の学校給食民間委託は新たな展開をはじめようとしています。城北中学校での調理部門民間委託が偽装請負の疑いありと報道され、12月議会でも激しい批判を浴びた結果、来年度実施予定校での保護者説明会が延期されたことは前にも書いたとおりです。その後の動きですが、きょう、非公開で教育委員会が開催されました。人事案件でもあるならば非公開はわかりますが、学校給食運営委員会が明日予定されていますから、おそらく学校給食関係の審議なのでしょう。そうだとしたら、ひどすぎます。

 こうしたなか、市職労の学校給食調理員部会全員集会が開催されました。12月議会での論戦の内容やその後の動きについて説明し、今後のたたかいの方向について話し合う集会です。学校給食を考える会所属の議員などが報告したのですが、注目したのは、市教委が民間委託の請負でなく、労働者派遣でやろうということで腹を固めたようだという点です。栄養士を1校専任とし、対応したいとしていますが、十分な実例調査もやらずに飛びつくととんでもないことになるでしょう。きょう入手した学校の保護者向け市教委ビラを見て、論戦の意欲がわいてきました。

 集会では、ベテラン調理員から、「市教委をつつくだけでなく、他(大本であるところ)をつついてほしい」との意見がありました。この点は、今後頭に入れて、論戦に臨みたいと思います。また、きょうの市職労の報告によれば、組合と市との間で確認してある職員配置基準が守られていないことも明らかになりました。問題があろうが無かろうが、学校給食は民間委託を拡大していくのだという市教委の姿勢についてはますます批判が高まっています。市教委は、新たな展開については、市議会にも報告しながらすすめていくことを約束していますので、明日の学校給食運営委員会のあと、どうするかも注視していきたいと思います。


2007年12月04日

 吉川高校の跡地利用、白紙に

 市議会での議論がまったくないのにマスコミが重視する情報があります。先日の文教経済委員会での学力テスト結果情報もそうでしたが、きょうの総務委員会でもそうなりそうなのが県立吉川高校の跡地利用問題です。

 同校の跡地利用については、既存の施設を利用して新潟工科専門学校が醸造実技実習を行う場として利用することで合意されていました。しかし、地域振興部長のきょうの報告によると、本年6月に進出計画の見直し案が提出され、実習期間が当初の通年利用から1か月程度に、生徒数も40人規模から15人規模にするなどの大幅な計画縮小案が示されたといいます。それを受け、市では、「見直し案では酒文化の伝承と醸造を中心とした専門高等教育を官民一体で推進し、吉川区の中心地の活性化を図るという当初の目的を達成することが困難である」「施設と土地を県から取得したうえで無償で新潟工科専門学校に貸与する、必要な施設整備は地域事業費約1億5500万円を投じて行うとした計画の効果は期待できない」との結論に達したといいます。そこで市と専門学校側の双方で協議した結果、10月23日に指定解除確認書を取り交わし、計画を白紙にしたということでした。また、市ではその後、同校の有効活用を検討したものの、新たな利用計画が見いだせないことから、11月15日に、新潟県教育庁に対して、跡地譲渡要望について取り下げ書を提出したそうです。残念ですが、致し方ないですね。

 今日の総務委員会では、第5次総合計画改定版の審議が一番活発でした。新市の将来都市像については市民クラブ。市政会議、共産党議員団が共同で修正案を提出しましたが、賛成少数で否決されてしまいました。提出者を代表して中郷区選出の吉田議員が合併への思いを心をこめて語りましたが、歴代の村長に申し訳ないとのべた重い決断だったという話は感動的でした。


2007年12月03日

ごみ有料化説明会

 9月議会でごみ有料化を決めた後、市役所では、市内にある820からの町内会を対象に説明会を開催しています。今晩は、私が住んでいる町内会での説明会でした。会場である町内会の公民館に行き、まずびっくりしたのは、参加者のほとんどが女性だったことです。数を調べてみたら、参加者の75%にもなっていました。「おや、きょうは女衆ばっかりだね」と言うと、「ごみ出すのは女だねかね」という声が返ってきました。ごみの分別、集積場へのごみ出し、女性がそれを担当しているケースが多いことを改めて確認しました。

 説明会には区総合事務所の市民生活グループの2人の職員が来て、ひとりは説明役、ひとりは書記の仕事をしていました。説明はわかりやすく、声がいいこともあって、参加者の中にはうなづきながら聞いている人も何人かいました。参加者が関心がぐんと高まったのは、2月から販売される新しいごみ袋が会場に回されてから。材質はバイオマスポリエチレン、古米などを原料にした植物性のものです。来年の4月から有料化の対象となる「燃やせるごみ」「燃やせないごみ」「生ごみ」の袋はそれぞれ赤、青、緑の文字で書かれ、どの袋かすぐわかるようにするそうです。「市内には外国の方が多いですから、6ヶ国語で書きます」との説明には何故かドッと笑いが起きました。「これまで有料化していた11の区の中で3つの区で下がり、8つの区でごみ袋代が上がります。吉川区は大きい袋の場合、3倍になります」との説明のときは、シーンとしましたね。

 説明が終わってからの質問時間、私の議会報告会よりも活発でした。女性の皆さん方が次々と質問を繰り出す光景は初めて見ました。しかも質問は具体的で、短い。「紙おむつのごみを出すとき、減免対象となるのはどういう人たちですか。そして申請はどうなりますか」「燃やせないごみで、30キロ以上のものは出せないのですか」「市が助成しているコンポストは町時代に一度助成してもらったことがあるけど、前に助成してもらっていても申請していいですか」「陶器の割れたものは、これまでダンボールに入れて出していたが、同じやり方で出せますか」。すごいなと思いました。

 市議会は厚生常任委員会でした。午前中は傍聴し、午後からは、他会派との打ち合わせ、生活相談などで5時過ぎまでかかりました。


2007年11月22日

原発視察そして柿崎病院後援会

 中越沖地震などですべての発電機がストップしている柏崎刈羽原発を初めて視察しました。視察したのは上越市議会のメンバー20数人。マイクロバスに乗って構内に入り、まずびっくりしたのは施設の規模の大きさです。私がいま住んでいる代石集落の田んぼ約30ヘクタールを上回る敷地に、巨大な建物がいくつもあるという感じでした。その建物の一番下の部分をよく見ると、今度の地震で敷地が沈んだことがよくわかります。説明していた東電の人は、建物はしっかりしていて、まわりの地盤が下がったと強調されていましたが、こんな被害が出るようなところになぜ建設したのかという思いがしました。建物の内部では、タービン、原子炉格納庫などを見てきました。

 午後からは県立柿崎病院後援会の懇談会でした。ここで藤森院長の講演を聴きました。院長は今春、着任したばかり。おそらく定年まで10年前後ある人かと思います。若くてバリバリのお医者さんという印象でした。健康で安心して暮らせるまちづくりをするために、病院として何をしたらいいのか。小さな病院であっても、個性を出して地域に貢献しようとしている点は好感が持てました。聴いていて、自分の身にこたえたのは肥満の話です。脳疾患、心疾患のいろんな病気のもとになっているのが肥満であることを繰り返し訴えておられました。私が昨年、一般質問で取り上げた肺炎球菌ワクチンを積極的に活用するよう提案されていたのはうれしく受け止めました。全国の病院の中で同病院は、このワクチンを打つ数が第8位となっているそうです。


2007年11月16日

地域事業費削減問題で13区議員が市長に訴え

 合併後10ヵ年にわたる新市建設計画の財政フレームが地方交付税の大幅減額や市当局の甘い見通しなどによってくずれているなかで、編入された地域から選出された議員は地域事業の減額を少しでもくいとめたいと市長に訴えました。第5次総合計画改定案で示された減額は平均で約20%の削減でした。「地域事業費は13区が合併する時の判断材料のひとつだったはず。後退する方向に見直しされるのは憤まんやるかたない」「いま中学校の校舎を造っているが、このままだと体育館までたどりつかない」「今回は29%も減額された。3人も議員がいながら何しているんだと言われている」「ある程度の見直しはやむをえないと思っているが、市道整備などができなくなるのではという不安が高まっている。財源確保に全力を」。わずか30分でしたが、12人の議員はそれぞれの区の実情に応じて必死でしたね(画像)。市長は、「市民にとって悪いことは早いうちに情報を明らかにした方がいいと判断した。不要不急のものは早くきちんと見直ししながら、財源を確保していきたい」とのべていました。なぜこういう事態になったかを市民にもっと分かりやすく説明する、財源確保に向けて市長が先頭になって頑張る、その姿が見えないと編入された地域住民の怒りが燃え上がりそうな予感がした30分でした。


2007年09月14日

荒川区議会議長からお見舞い

 吉川町時代から友好関係がある東京都荒川区区議会の竹内議長さんが遠路はるばる吉川区まで地震のお見舞いに来てくださいました。大きな災害があった時に友だちが来て、大丈夫かと励ましてくれるのは心強く、ありがたいものですが、それと同じです。とてもうれしく思いました。きょうは、私も地元議員として竹内さんと一緒に行動させてもらいました。被災地を視察される様子を見ていて感心したのは、自分たちの住む荒川区で地震が起きたらどうなるかを考え、ライフライン、通信手段などがどうなったかに強い関心を示しておられたことです。大いに勉強させてもらいました。


2007年08月29日

終日、市役所で仕事

 朝から夕方まで市役所でした。議員団の勉強会というか、意見交換会では、佐渡汽船小木直江津航路問題、震災対策などでどう主張していくか、議論しました。昨日の県党議員会議で学習した問題もあります。テーマがいくつもあり、明日も続けることになりました。

 震災復興に向け意見書をどうするかは9月議会の課題です。中越地方の自治体議会用として作成された案を元に検討してみました。柿崎区選出の議員からも出したいとの声があり、そこでも案文が出てくるものと思われます。意見書の具体的な要望内容はほぼ同じですので、早期に採択できればいいなと思います。

 きょうは新潟自治体研究所の福島さんが上越市にやってこられ、上越市の「高齢化が進んだ集落調査」について担当部長の話を聞きたいということで、私もご一緒しました。10月に発刊する『山里再生』(自治体研究社)の原稿を書くための準備の一環です。ふたりの話は上越市の調査だけでなく、長岡市の山古志の再生にまで及び、とてもためになりました。山間部に住み続けるのはそこに愛着があり、誇り、楽しみがあるからではないか。人間としての生き方にふれた2人の対話はそれだけでも本にしたくなる内容でした。


小さな町の幸せ通信