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2009年10月04日

秋晴れのなかでパラ・ハング競技

 天気が良くても風に泣かされた。きょうのパラ・ハングライダー大会は秋晴れの、気持のいい天気でした。午前9時過ぎから尾神岳に行き、しばらくの間、ティク・オフでパラグライダーの離陸の様子を見学させてもらいました(画像)。風は下界から吹き上げる風があったものの、まっすぐ下からというよりも斜め下からという感じで、しかも強かったため、離陸しようとしても横に流されてしまう人が何人もいました。

 ハングライダーは久しぶりに見ました。ティク・オフ付近に勢ぞろいした姿は空母の艦上に並んだ飛行機のようでした(画像)。こちらは飛び出すところは見ませんでしたが、飛び出して上昇気流にうまく乗って旋回しているところや、パラのランディング(着陸場)に降りる様子を見ました。本当は風を利用して8キロほど離れた総合事務所付近の着陸点めざして飛ぶことになっていたのですが、目標となる場所まで到達したのは数機だったようです。

 きょうは天気が良かったので、競技の様子を見ようとするお客さんが大勢でした。尾神岳を回るシャトルバスは満席になって乗りきれない時間帯もあったそうです。私は午前10時前からランディング(画像)の接待テントで交流させてもらいました。麦茶とトン汁のサービスはこの日も繁盛して、選手や観客のみなさんに喜んでいただけて良かったです。

 昨日、きょうと競技を見て、改めて風を利用した競技の難しさを感じました。着陸精度を競う競技では選手が飛ぶときの条件が同じことはありえず、どんなに飛行技術が優れていても風向き、強弱に左右されます。着陸寸前に土手にぶつかりそうになり恐怖を感じた選手もいましたね。それだけに丸い目印の着陸した時には大きな拍手が起きます。選手の皆さんは日頃から訓練を重ねていて、仲間意識もあります。表彰式で成績発表の際、名前が読み上げられるたびに「オーッ」という声が上がりました。これはよく知っている仲間であるからこその歓声でした。


2009年10月03日

トキめき新潟国体パラ・ハングライダー大会

 きょうから2日間、尾神岳でトキめき新潟国体のデモンストレーションとしてのスポーツ行事、パラ・ハングライダー大会が行われています。今回、参加した選手は約80人ほどです。主に県内からですが、その中には吉川区の人の姿もありました。競技は午前10時10分過ぎにスタート(画像)。途中、雨や霧のため2時間ほど中断しましたが、その後は天気も回復して、競技が続けられました。

 きょうはパラグライダーの競技だけ。今回は指定された着陸地点の目印にどれだけ近くに降りられるかを競いました。飛行中、とくに着陸地点上空の風が微妙な動きをする中で、目印近くに着陸するのは難しいと思うのですが、さすがは選手です。目印から数十センチのところに降りた人もいました。私はティクオフ(離陸場)で来賓の皆さんとともに応援、その後はランディング(着陸場)や見晴らし荘周辺で参加者の皆さんと交流しました。見晴らし荘ではざるソバも食べました。これは美味かった。パラ競技は明日も行われ、きょうの成績との合計点で順位が決まります。

 天気はきょうよりも明日の方がいいようです。明日はハングライダー競技も行われる予定です。こちらは、JAえちご上越吉川支店近くの田んぼまで飛ぶとか。ハングライダーの競技はしばらく見ていないので、こちらも楽しみです。見晴らし荘周辺では、地元の野菜、加工品、それに焼きソバなどの販売もあります。私も行きます。ぜひ顔を出してみてください。


2009年10月02日

記念ボール

 「しんぶん赤旗」の配達、集金の途中、旧県立吉川高等学校同窓会の幹部の人たちからおもしろい物を見せていただきました。同校野球部選手のサイン入り記念ボールです。それも昭和20年代から30年代にかけてのもの。内藤正信、山崎巌、佐藤道博、高橋健二など知っている人の名前もいくつかあって、じっくりと見させてもらいました(画像)

 この記念ボールを所有していたのは同校の市村保雄先生。数学の先生だったそうですが、野球部の指導をされていたのでしょう。それにしても、こういう記念になるものをよく保管されていたものです。几帳面な方でないと、こういうことはできませんね。市村先生は80歳代、高齢になられたということから、このほど同窓会に保管をお願いされたということです。

 同校の同窓会幹部の方によると、今回出てきた記念ボールは11日の越後よしかわ酒祭りの会場(吉川区の杜氏の郷前広場)で同校野球部が戦った全試合を記録したノートとともに公開するそうです。関係者の人たちは懐かしくてたまらないでしょうね。昨年の祭りでは、寮の看板、スポーツ大会の入賞カップなど記念のものを展示して注目された同窓会ですが、今回もまた話題となりそうです。


2009年09月26日

アサギマダラと再会

 トキめき新潟国体がきょうから始まりました。吉川区尾神岳では10月3日、4日の2日間、パラ・ハンググライダーのデモンストレーション競技が行われます。

 きょうは「しんぶん赤旗」日曜版配達の途中、準備状況を確認してきました。開会式会場となる遊ランド周辺ではボランティアによる草刈が行われていました。パラの練習場周辺では市道の掃除も行われていました。準備着々といった感じです。土曜日だったこともあって、パラの練習場、離陸場には大勢の人たちがいましたね。

 尾神岳に登ると、どうしても野の花に目が行きます。アキノキリンソウ、オヤマボクチ、キツリフネ、ジャコウソウなどが目に入りました。うれしかったのは旅をする蝶、アサギマダラと再会できたことです(画像)。ケナシミヤマシシウドの近くを歩いていたら、偶然、目の前に飛んできたのです。大急ぎで写真を撮りました。

 家に戻ったら悲しい知らせが入ってきました。牛を飼っていた当時、わが家と付き合いの深かった人が亡くなったというのです。まだ60代の若さです。2か月ほど前に一緒にお茶を飲んだのが最後となりました。きょうはまた、同じ区内に住む従妹のお連れ合いが入院したという知らせもありました。今年は異常です。


2009年09月13日

強風の中で

 市政レポートの配布を済ませてから久しぶりに尾神岳の市道(旧林道)を通って帰ってきました。午前から台風並みの強い風が吹いて草木が激しく揺れていましたが、車をゆっくり走らせ、秋の野の花を楽しんできました。ツリフネソウ、キツリフネ、アキノキリンソウ、ゲンノショウコ、クサボタン、タマバシロヨメナ、クルマバハグマ、ジャコウソウなどの花をたくさん見つけ、いい気分にさせてもらいました。

 10月の上旬に尾神岳で開催される国体のパラグライダー大会の準備状況も視察してきました。市道の2度目の草刈りがしてあり、心配していた遊歩道も草が刈ってあって、これで準備オーケーです。市道沿いやこの遊歩道にはヤマブドウの実もなっていました。惜しかったのはヤマボウシの実です。赤い実を楽しみにしていたのですが、先客がいました。小鳥たちです。美味しそうなところは突いて中味は無し(画像)。それでも小鳥たちは私のためにちょっぴり残しておいてくれました。

 お昼は見晴らし荘でざるそばと水ギョウザを食べてきました。強風のため、お客は少なく、従業員の人たちとおしゃべりを楽しみながら、食べました。そばは680円、やはり、尾神のそばですね。美味しかったです。秋の尾神岳、紅葉はこれから。車でお出かけの方はぜひ見晴らし荘にお立ち寄りください。平日は休み、土日だけの営業です。

 市政レポート1414号、掲載しました。トップページの写真も入れ替えました。

 


2009年08月25日

おら、もうこんだ、共産党だわね

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 きょうの私の一日はなかなか予定通りにいきませんでした。「まずは党地区委員会に寄って選挙ハガキを出す」。ちょっと寄って、すぐに移動するつもりが1時間以上もかかってしまいました。ハガキの裏面に「私からもお願いします」という欄があって、そこが空欄だったのです。このままじゃ失礼だと、ボールペンでせっせと私の名前を書きました。

 市役所では総括質疑のヒアリング、いわゆる質問取りです。担当課などが答弁書を用意するために、通告者から通告内容の趣旨をきくというものです。これも午前で終わらせて地元へ帰る予定でしたが、そうはいきませんでした。今回の質疑では初めて代表監査委員に答弁者になってもらいます。監査の仕組みなどある程度分かっているつもりでしたが、まだまだ勉強不足で、こちらから質問することが多くなりました。その結果、ここだけで、1時間も費やしたのです。そして、直江津図書館・社会教育館整備問題では、質問の主たる相手を市長にするか教育長にするかでなかなか整理がつかず、これもかなり時間を要してしまいました。結局、ヒアリングが全て終わったのは午後1時半でした。

 地元に帰ってやりたかったのは後援会ニュース配布です。からっとした天気のなかで尾神岳や米山がとてもきれいでした。何枚かの写真を撮ってから、一年以上ご無沙汰している地域に入りました。何人かの人と久しぶりの対話です。話がはずんだのはいうまでもありません。あるお母さんは、いきなり、「あらまあ、おまさん、じきじきに来てくんなったがかね」「おら、この間、年金から1万円もひっこくられた。もうこんだ、共産党だわね」。それから医者通いの話から年金、福祉と切れ目なしでした。こちらの活動も予定よりもはるかに時間オーバーしましたが、うれしかったですね。

 上の写真は吉川区下町で撮ったもの。酒米、五百万石の収穫はもうすぐです。


2009年08月22日

山村交流で実った恋

 自公政権を退場させる日まであと8日。きょうは大勢の人たちがビラ折り、配布などの仕事に精を出しました。私も「しんぶん赤旗」日曜版の配達後はみんなと合流しました。大勢で賑やかにやるのは楽しく、いいものです。

 午後3時からは川谷地区運動会、法政大学結い(ゆい)祭りです。曇り空で暑くなく、ちょうど良い天気。旧川谷小学校グランドには地元の住民、法政大学の学生とOBなどが集まり、すっかり定着したボードレース、ビン釣り、玉入れ、輪投げ、早くいっぱいレースなどを楽しみました。
 初めて参加した人たちが「どんな競技だろう」と関心を寄せる種目は、今年もビン釣り競争でした。きょうのビン釣り競争では山賀源市さんや松浦隆司さんなど地元の参加者が苦戦、初参加組が健闘しました(画像)。おもしろいものですね。来賓参加とはいえ、私も「補欠選手」、石谷・名木山チーム、岩野・川谷チームのメンバーが足りない時にはすぐ声がかかります。きょうは4種目に参加しました。

 運動会の反省会、そして法政大学結い祭はいつもと同じく楽しい交流の場となりました。主催者の人たちからは「一番忙しい時なのに悪いねぇ」と言われましたが、「こういう中山間地など一番困っている地域の人たちと心を一つにすることが大事。あっちの方(選挙)も頼むよ」とお願いしました。
 さて、きょうの結い祭でうれしい報告がありました。数年前に法政大学の学生として川谷地区にやってきて、大学を卒業してもずっと運動会やサイの神行事などに参加してくれた小林朋生さんと一恵さんが今年の5月に結婚したというのです。川谷地区との交流のなかで愛を育み、実らせたことから、きょうの結い祭では二人の結婚式の様子がスライドで紹介されました。それだけではありません。みんなの前で、大きなお盆に山盛りの赤飯をしゃもじカット(ケーキカットではなく)して(画像)、参加者にふるまわれました。さらに、祭りの終わりには結婚記念のタオルも(画像)。朋生さん、一恵さん、良かったね。

 もうひとつ、小林朋生さんは、毎回、結い祭でじゃんけんゲームを取り仕切っています。今回も法政大学の名前入りのバスタオルや湯飲みなどをゲットしようと全員が参加してのじゃんけんが彼の進行で繰り返されました。そして、2Lのシャツをじゃんけんゲームで入手したのはなんと、なんと、私でした。オレンジ色で、「HOSEI」という文字が入っています。「私もホーセです。似合うでしょう」とお礼の挨拶をしました。最後の記念撮影写真(画像)ではこのシャツを着て、写っています。


2009年08月12日

真夏の火事にびっくり

 梅雨明け宣言後初めてと言ってよいでしょう、真夏の太陽が照りつけ、気温はぐんぐん上昇しました。

 朝8時過ぎ、そろりと家を出ようかという時間に原之町で火災発生という連絡が入って、現場に急行しました。火災はSさん宅の作業場です。わが家から2分ほどでしたので、到着した時は煙が高く上がり、その後、赤い炎がグワッと広がりました。すぐそばの住宅に移りはしないかとひやひやしましたが、頸北消防署、消防団がくい止めました。現場のそばのガードレールは熱風で熱くなり、一時、触れませんでした。放水を受け、作業場から市道へ流れ出た水は水というよりも熱湯でした。指を入れることができませんでした。

 お昼過ぎからは10日に亡くなったNさんの葬儀です。Nさんは元酪農家です。酪農組合のまとめ役としてよく仲間の面倒をみてくださった人でした。30年ほど前、私が牛舎で病気を出した時にはすぐに駆けつけ、仕事を手伝ってもらいました。妻が勤務先から戻ってきた時、Nさんは、「かあちゃんが来れば治る」と言って、布団に入って寝ていた私を励ましてくれたものです。この時の話は『幸せめっけた』(恒文社)にも書きました。酪農をやめても時々わが家の牛舎にやってきては牛たちの様子を見に来て下さいました。根っからの牛飼いでした。行年77歳。Nさん、父に会ったら、おまんちの家族はみんな元気だと伝えてくださいね。

 午後からは3時間ほどかけて選挙ハガキを出す対象者名簿の整理をしました。亡くなっている人、入院した人、介護施設に入った人などがたくさんいるのにはびっくりでした。整理が何とか終わって、夕方から宛名を書いてくださる人へハガキを渡す作業を始めました。お盆休みとはいえ、仕方がありません。「もう少しがんばればよかった。惜しい結果だった」ということにならないように、みんなで頑張りたいと思います。

 トップページの写真、入れ替えました。稲の穂がはっきりとわかるかと思います。ごらんください。


2009年08月09日

地元町内会で草刈り

 お盆前にきれいにしたいところは墓場だけではありません。家の中と外、神社境内、集落内の道路と水路もそうです。

 きょうは地元町内会の草刈りが行われました。朝は7時半から。町内会で都合のついた28人が草刈機を持って参加、ため池の土手、遊歩道、水路、集落内の字道などの草刈りをしました。あいにくの雨でしたが、草刈りの時はお天道様がカンカン照りするよりもありがたい。でも30分くらい仕事をしただけで汗びっしょりとなりました。遊歩道ではミソハギが咲いていました。秋になって咲くリンドウも沢山あります。なるべく切らないように気をつけながら草刈りを進めました。

 草刈りが終わったのは午前10時過ぎ。町内会の会館で懇親会がありましたが、きょうは午後から総選挙に向けた統一行動があるのでガマン、500ccの缶ビールを一本もらって帰りました。午後からは「しんぶん赤旗」の集金とビラ配布でした。久しぶりに訪ねた集落だったこともあって、「今年は初盆でいそがしいだろね」「(共産党の)みなさん、いつも一生懸命なので感心していますよ」などとたくさんの声をかけていただき、対話がはずみました。

 夜、「東本願寺の至宝」というタイトルのDVDを観ました。真宗大谷派のある寺院のご住職からいただいたものです。今春、初めて東本願寺を訪ねていたので、興味深く観させていただきました。この映像の中には明治16年3月12日に発生した尾神岳での遭難事故のことも入っていました。おそらく、今年の3月の報尽碑のお参りのときのものでしょう、知っている人が何人もいてとても身近に感じました。


2009年08月01日

越後よしかわやったれ祭り、今年も大成功

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 たいしたものです。わがふるさとの人たちの力はすごい。第11回越後よしかわやったれ祭りは今回も大成功でした。心配した雨雲もどこかへ行き、会場である原之町商店街には山から里から祭り好きの人たちがどっと繰り出しました。人口5000人ほどの町で千数百人の人たちが集まったのです。間違いなく、やったれ祭り史上最大の人出となりました。

 この祭りのシンボルとなっているのは稲穂竿灯です。透明のペットボトルとロウソクと竹竿を使って稲穂を表現したこの竿灯、今年は実行委員会のメンバーのみなさんだけでなく、吉川小学校の児童も参加して400本を作製しました。商店街の電灯が消された時、稲穂竿灯の2000個のロウソクが見事な光の風景をつくりだしました。今年は冷夏で、戦後もっとも日照が少ないと言われています。豊作を祈念したこの祭りを契機に、ギラギラした真夏の太陽が稲に、野菜に、果樹に降り注いでくれればうれしい。

 祭りの盛り上がりは自分たちが住んでいるふるさとを良くしたいという思いが束ねられるかどうかで決まります。2か月も前からコツコツと稲穂竿灯づくりをしてきた人たちがいて、それを物心両面で支えた人たちがいました。こうした頑張りがあるから、全国で唯一の稲穂竿灯祭りができます。そして、今年も全町内会から家内安全と豊作祈願の火が集められました。秋のトキめき新潟国体の炬火も祭りの会場で灯されました(画像)。子どもたちの神輿や竿灯神輿はまた増えました。毎回増え続けています。さらに、河沢町内会の江村康成さんがチェンソーカービングで参加してくれました(画像)。チェンソーで丸太を彫刻し、作られた熊とフクロウは中央ステージ前に飾られ、これも盛り上げに貢献しましたね。

 今晩の祭りで再認識したことがあります。元気のいい祭りには音があります。生き生きした人間の声がある。ドドンガドンドン、ドドンガドン。会場では太鼓の音が参加者の心を揺さぶり続けました(画像)。子どもたちの歓声や若者たちの威勢のいい声が胸に響きました(画像)。そうそう、レコーダーを持って行けばよかったなあ。文章では伝えきれない、素晴らしい音や声をみなさんにも聴いてほしかった。


2009年07月26日

Hさんの葬儀

 同じ町内会のHさんが亡くなって、きょうは午前中、葬儀・告別式に参列してきました。Hさんはわが家のすぐ隣の人で、町議選挙では選対委員長などを務めていただき、たいへんお世話になった人です。娘さんたちはすべて嫁ぎ、Hさんはお連れ合いと二人暮らしでした。告別式が終わって、長女の方が謝辞をのべました。
 昨年から心臓を悪くし、仕事も辞め、好きな酒も制限されました。父は焼酎は酒ではないといい、毎日、焼酎を少しずつ飲んでいたようです。やめてと言っても、「やめるくらいなら死んだ方がいい」と言う頑固者でした。亡くなる前日も焼酎を2杯飲んで、そのまま帰らぬ人となりました。73歳で亡くなったのは早すぎると言ってくださる方もあります。でも、父は自分の思い通りに生きて人生を全うしたと思います。私たちは親孝行できませんでしたが、父は娘孝行でした。好きな人のところへ嫁に行くことに反対せず、好きなようにさせてくれました。お父さん、ありがとう……。
 亡くなったHさんの人柄を知る参列者はみんな涙を流しました。

 午後からは後援会ニュース配布活動に合流しました。後援会の幹部の方たちが午前中から活動を進めてくれていて、ずいぶん頑張ってくださったようです。私は街の中心部へ。久しぶりに会った人が多く、選挙のことだけでなく、「そんなに太って大丈夫か」などと声をかけていただきました。話題がどうしても私の健康状態へいってしまうので、そろそろ痩せないとだめですね。30軒ほど訪問したところで雨が激しくなりました。傘をさしていても、ズボンは下の方がびしょびしょ、靴も台無しでした。それで、その後は生活相談で動きました。


2009年07月25日

第5回ほほ笑ふれあいまつり

 一日中蒸し暑い日でした。体中がべたべたして不快だった点では、おそらくこの夏一番だったと思います。これまで、「しんぶん赤旗」配達ではクーラーなしで車を運転してきましたが、きょうの蒸し暑さはがまんができませんでした。ただ、クーラーを入れて走り、しょっちゅう乗り降りすると体がおかしくなります。胃が敏感なため、途中で休みました。

 さて、きょうは吉川区にある特養ホーム・ほほ笑のふれあいまつりでした。小雨がぱらつくあいにくの天候となりましたが、会場となった福寿荘裏の広場には入所者の家族、親戚の人、職員、ボランティアなどが集まって、よさこいソーラン踊りや地元出身演歌歌手・三島みどりショーなどを楽しみました。雨が降っていたので入所者の多くは福寿荘のなかでした。いつものように外で交流できなかったのは残念でした。

 このまつりのテーマは「ふれあい」「助け合い」です。一年に一回の夏祭りなので、この日だけはとやってくる人がいます。入所者の近所の人、友だちなどです。懐かしい人に会い、交流する。家族だけでなく、いろんな人と再会して元気がでるのでは勝手に想像していますが、入所している人にとって、この時の気分はどんなものなのでしょうか。特養ホーム3階のベランダから会場を見ている人が何人かおられました。一人は明らかに入所者の方、そばの人は家族の人だったのでしょうか、気になりました。

 三島みどりの歌はこれまで何回か聴きました。きょうは「津軽の花」からスタートし、30分くらいの公演となりました。踊りの先生でもあるだけあって、体の動きがとてもきれいでした(画像)。歌はやはり持ち歌が一番です。私の好きな「母の雪」、10年前に発売された曲ですが、「雪」という言葉が20回ほどでてきます。本人から、「雪という言葉を母と置き換えて聴いてみてください」と言われました。雪の多い故郷で育った人たちにとっては母親への懐かしい想いをかきたてられる歌です。降っていた雨もいつの間にか止んでいました。


2009年07月15日

戦没者追悼法要、そして党創立記念日統一行動

 午前の吉川区戦没者合同法要は原之町の福生寺で行われました。お御堂にさわやかな風が流れてくれればいいがと期待していたのですが、きょうはダメでした。午前から30数度の猛暑となりました。吹き出てくる汗をハンカチでぬぐい、ぬぐい、約1時間の法要です。この暑さにはまいりました。戦没者法要は今回で55回目になります。先の大戦などで、吉川区内だけでも440人が亡くなっていますが、参列者は高齢者が多くなっています。いまのうちに、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える努力をしておかねばならないと改めて思いました。法要が始まる前、市長と懇談する時間があり、市長選など選挙のことが話題となりました。

 午後からは柿崎区、吉川区で街頭宣伝行動でした。上野議員と一緒です。柿崎区での党議員の演説は久しぶりでした。市政の話ではなく、国政のことを訴えたのですが、握手を求めてくる人もいてびっくりでした。途中、平成の名水100選のひとつ、大出口泉水を訪れて水分補給をし、さらに演説を続けました。夕方の演説では、涼しくなってきたこともあって、演説を聴いていた人が次々と出てきて、まるで選挙の投票日前日のような雰囲気がありました。いまの政治を変えたい。日本共産党にがんばってもらいたい。その思いを感じることができました。


2009年07月12日

体育祭、そしてお通夜と

 きょうは吉川区の体育祭の日。親戚のお父さんのお通夜、葬儀の準備とバタバタしていたのですが、喪主さんや葬儀委員長さんなどから許可をいただいて、参加してきました。来賓として挨拶を頼まれていた関係もありますが、区内の人たちと交流できる数少ない日です、やりくりさえできれば何とか参加したかったのです。ときどき雨がポツポツと降る天候でしたが、綱引き(画像)、障害物競争など楽しい時間を過ごすことができました。

 親戚の家では夕方から納棺、お通夜と続きました。最初は知らない人が多いなと感じていましたが、食事などの際に話をすると、わが家の元の家に泊まりにきたり、遊びに来た人が何人もいて、私の祖父がキチンとしている人だったとか、誰と誰が海軍に行ったなど、昔の話をたくさん教えてもらいました。祖母がわが家の納屋から白いコメを持ってきてくれて炊いてくれたとか、「山の刺身はナス料理」と言って美味しい味付けの料理を食べさせてもらったなど、私の記憶にはない話も聞くことができました。また、親戚の周りの人たちの中には教員や外交官などをやっている人が何人もおられ、改めて教育一家だったのだなと感じた次第です。

 明日は早くから葬儀です。体育祭でも何人もの人から、「いろいろとたいへんだね、体、気をつけてくんない」と声をかけていただきました。お酒を飲む日が続くので、少しひかえないと。


2009年06月28日

総選挙の訴え、生活相談

 昨日、市役所の資産税課から相続に関する文書が届きました。市税に関する相続人代表者指定届をだしてくれという文書です。わが家はすでに私が相続することにしていますが、市役所以外のところの手続きもまだ終わっていないので、急がなければと改めて思いました。議会などの各種の会議、総選挙、市長選挙の準備と毎日いろんなことで頭を使っていると自分のことはつい後回しになってしまいます。どこかで、しっかりと時間をとってやってしまわないと……。

 きょうは日曜日、昨日までに配達ができなかった地域での「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金、総選挙での日本共産党への支持のお願いをしました。テレビなどでの報道もあって、徐々に総選挙近しという雰囲気になってきています。「小選挙区は橋本正幸さん、比例は日本共産党に」と訴えるのですが、橋本さんの名前はまだまだ浸透していません。でも、いまの政治に対する不満度は高く、「何とかしなければならないね。こんがん世の中じゃやっていかんね。頑張ってくんない」と励ましてくださいます。

 きょうはこの他、生活相談でも動きました。吉川区で来月から始まるデマンドバスの運行についてある高齢者の方から質問が寄せられました。柿崎病院へ通っているが、診療時間が終わる時間はいつも同じとは限らない、事前に予約などできない。そういう人たちのために、原之町から山直海方面に小型バスが出るというのは本当かという問い合わせでした。どこでそんな話が広まったのかわかりせんが、「私は聞いていません。たぶん聞き間違いでしょう。柿崎からなら、予約がなくても山直海方面へ行けますよ」ということを丁寧に説明したところ、やっと納得してもらえました。相続の問題でもある人から電話があり、明日動くことにしました。日曜日は議員だか市役所の職員だか区別ができなくなります。


2009年06月24日

どこへ行ってもタチアオイがきれい

 さて何から書いてよいやら。朝から吉川区、浦川原区、大島区、柿崎区、最後は高田へと飛び回りました。吉川区では総合事務所の幹部のみなさんとケーブルテレビなど当面する区内の重要課題について意見交換を行いました。昨年は㈱杜氏の郷問題、今年はスクールバス等の運行新基準づくり、来年は……。財政難の中、毎年のように大きな問題が次々と出てきています。

 浦川原区で生活相談があったので、ついでに大島区まで足を伸ばし地域協議会を傍聴してきました。たまには区外の地域協議会に出てみるもんだと思いました。いくつも勉強になることがあったからです。
 ひとつは中越大震災復興基金事業の取り組みについての大島区総合事務所本山次長の報告(画像)。私は、吉川区内では中越沖地震復興基金事業にばかり目を向けていましたが、考えてみれば中越大震災復興基金事業を使って復興につなげていくことも可能です。改めていま現在取り組むことのできる復興基金事業は何か、明日、市の防災局へ出かけて、チェックしてこようかと思います。
 二つ目。09年度の大島区地域事業の進捗状況についての報告です。これも本山次長から報告されました。各事業について、予算額、契約日、受注者、進捗状況と一覧表を作成しての説明、まず、この丁寧さに感心しました。そして今後の問題として、国の緊急経済対策に呼応して地域事業の見直し、前倒しが予想されるので、その時は地域協議会の皆さんからご意見を頂戴したいという発言がありました。これは市全体の問題です。いまから考えを整理していかなければならないと思いました。

 きょうは朝の曇り空が次第に晴天に変わり、車を走らせても気分は上々でした。とくに道沿いにあるタチアオイがきれいでした。妻の言葉を借りるならば、「タチアオイはどんよりした曇り空の下に咲くのが一番似合う」そうですが、私は晴れ上がった時の方が好きです。上越市においては、太陽光線の関係で午前は南葉山、妙高山が美しく、午後になると北部の米山、尾神岳、兜巾山が美しい。夕方、大潟区高橋新田にて撮った「タチアオイと尾神岳」(画像)、「私の好きな風景」に入れようと思います。


2009年06月22日

雨が降って

 昨日は夕方から温泉へ行ったので、日記を書けませんでした。母の具合が悪いのではと心配して電話をくださった方もありましたが、母はとても元気です。ご安心ください。温泉行きは妻のキョウダイが定年だとか還暦祝いだとかをかねて、妻の父親、母親などにゆっくり楽しんでもらうために前々から準備していたものです。私の母や板山の伯母も一緒でした。私の方で準備していって披露したのは、これまでの家族旅行のスナップ写真や次男の結婚式などの写真です。これらをプロジェクターを使って大画面で観てもらいました。

 久しぶりに昨日は雨、それもかなり強い雨が明け方に降りました。雨が降ったおかげで、昨日の消防団吉川方面隊の演習は駆けつけ放水、小型ポンプ操法の訓練以外は中学校体育館で行われました。駆けつけ放水は午前7時半から原之町の池で実施。いっせいに放水するところをカメラにおさめました(画像)。中学校の体育館で規律訓練を一緒に見ていた元消防団長のTさんは、「まとまりのある、いい訓練をする分団は昔から変わらない。伝統がある」と言っておられましたが、なるほどなと思いました。訓練が終わる頃には天気は晴れ、青い空が広がりました。

 きょうは吉川区地域協議会を傍聴してきました。協議会の中に市教委の「スクールバス等の運行新基準案」を検討する専門委員会が設置されていて、きょうはその代表がPTA役員との意見交換会の様子を報告。それを受けて、今後、吉川区地域協議会としてどう対応するか話し合いが行われました。きょうの委員の発言では、「学校統廃合の経過を踏まえて、その時の原点に立って考えるべき」「1市1制度でなくてもいいのではないか。意見書を出すべきだ」「義務教育なんで無償でいい。(このまま進むと)将来値上げもありうるのではと疑問がある」などといった声がだされました。そして具体的な対応ですが、1500円にこだわらず、できるだけ下げるんだということで、他区地域協議会と足並みをそろえる方向で努力していくことになりました。


2009年06月19日

少しでも負担を軽くしてほしい

 通学援助費・スクールバス等運行の新基準(案)をめぐって区内の小中学校PTA幹部のみなさんと地域協議会のみなさんの意見交換会に参加させてもらいました。この会合は2度目とかで、市教委の方針への疑問に答えるため、総合事務所教育文化グループ長なども参加しました。

 吉川区内の通学児童・生徒はこれまで、市のスクールバスに乗ろうが、頸北観光バスに乗ろうが無料でした。市教委は来年度からの有料化の方針を出しているものの、いくらにするかの最後の詰めはこれから。「定期券をもらっても使わないケースがある。定期券は1か月ごとにならないのか」「回数券を出すということは頭に入っていないのか」「地域バスが運行されているがこれもお金がかかるのか」「こんなことをやっているとだんだん過疎になる」。なかには、「通学費を払えなくなってもバスに乗れるようにしてほしい」という声までありました。今晩のPTAのみなさんの意見を聞いていたら、負担を少しでも軽くしてほしいという願いが伝わってきました。

 バスを利用している皆さんは来月からのバス路線等の見直し、実証運行についても具体的な注文を出しました。「山直海線だけ吉川中学校まで上がらないのはどうしてか。上げてほしい(中学校は高台にある)」「デマンドバスの予約をしていなくても総合事務所のバス停にいれば村屋方面に乗れるなら、中学生の定期券は総合事務所前までのばしてほしい」。こういう声はこれまで気が付きませんでした。細かい配慮が必要ですね。


2009年06月13日

上越市の介護労働実態調査に関心

 きょうも朝から一日中、「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達と集金でした。先月は親戚の葬儀やわが家の結婚式などがあって、月末の集金がかなり残っています。きょうは、普段、なかなか会えない人のうち何人かと連絡を取って訪問しました。久々に会った人が多く、話がはずみました。
 訪問したある人のところでは、介護の話になり、「いまの介護施設は黒字を出そうと必死になって経営努力をしているが、それは橋爪さんが議会で問題にした職員の低賃金で実現している。おかしいね」と言われました。この人は市が昨年の12月に行った介護労働実態調査にも関心を持っていて、全文を読みたいというので、市役所のHPを開いて紹介しました。
 配達の途中、先月の親戚の事故の際、使用していた4駆運搬車とほぼ同型のものに乗っている人と出会い、ゆっくりとみせてもらいました。メーカーはN製作所。運搬車は思っていた以上にがっしりしていていました。ハンドルは丸ハンドルで、普通のトラックを運転する感覚で運転できます。事故の際使っていたものは、葬儀の日にユンボを使ってひきあげてもらいましたが、ギヤーが入っていなかったといいます。ギヤーが入らず、ニュートラル状態で転落したのか、落ちた際、抜けたのか、気になりました。「新聞報道では事故現場がどういうところなのかよくわからない」という声をこれまで何人かから寄せられていますので、改めて事故現場の写真を掲載します(画像)。左の軽乗用車は私の車です。
 夕方、ちょっと貧血気味だったので、すぐにごろりとなりました。だいぶ疲れがたまっています。


2009年06月07日

市政レポート、1400号到達

 1985年6月にスタートした市政レポート(当時は町政レポート)が本日発行のもので1400号になりました。創刊から24年かかっての到達です。昨日、「しんぶん赤旗」日曜版のある読者の方とこのレポートのことで話になり、「(1400号到達)記念パーティをやるなら参加するよ」と言ってもらいました。ありがたいことです。私にとっては毎週発行の積み重ねの結果であり、これでやめるわけではないので1400号到達は単なる通過点。これまで、「しんぶん赤旗」日曜版の休刊日以外は休まず発行を続けてきました。最近は休刊日であっても作成し、発行しています。24年間も続けることがができたのは読んでくださる方々からの励ましがあったからです。心から感謝します。いまのペースで行きますと2年後には1500号となります。昨日、話した読者の方には「1500号の時には(記念パーティを)やるこて」と約束しました。今後ともご支援、ご協力、よろしくお願いします。

 さて、きょうも昨日に続いて総合事務所の地区別懇談会でした。
 竹直地区会場では、バス路線の見直しで新たな路線となる上下浜駅線についての関心が高く、駅構内(画像)まで乗り入れは可能かなどの質問が相次ぎました。総合事務所の説明では、小型バスになるかどうかを含め最終的な詰めに入っているとのことでした。
 通学バスなどの基準見直し問題、ここでも出ました。これで3会場目です。きょうの発言を聴いていて、保護者だけでなく、市民の皆さんから納得してもらうには、お金がかかっても一番いい水準で統一しないとだめだと思いました。
 吉川地区住民を対象とした会場は参加者数が少なかったものの、真剣な発言、要望が続きました。バス路線見直し問題では、「くびき駅線のダイヤで湯沢方面の電車に4分遅れで間に合わないものがある」というのがあり、注目しました。今回の見直しにあたっては、朝夕の通勤・通学での電車の乗り継ぎを最優先することがいわれていましたが、なかには電車との接続がうまくいかないケースもあることがこの人の発言でわかりました。あとで調べてみたら、平日で、バスから電車に乗る場合だけでも5件ほどあることが判明しました。なかなか難しいですね。
 昨日の日記には書きませんでしたが、昨日もきょうも市道、県道の損傷箇所の修繕を急いでほしいという要望がいくつもありました。市民の安全にかかわることですのですぐに手を打ってほしいものです。


2009年06月06日

5会場で地区別懇談会

 きょうから2日間、吉川区総合事務所の地区別懇談会です。新年度の主要事業などについての説明と懇談が主な内容です。今回は市社会福祉協議会吉川支所も参加して同協議会の事業説明もありましたので盛りだくさんとなりました。

 きょうは朝8時半から午後6時20分まで5会場で懇談会がありました。

 新年度の主要事業に関して質問が相次いだのは鳥獣被害対策でした。参加者からの発言で、カラス、サギ、イノシシ、カモシカなどの被害の広がりを感じました。サギ、イノシシの被害は中山間地、平野部関係なく広がっていて、梶、道之下、石谷の参加者から対策強化の声が上がりました。担当グループの説明では区内に2か所に捕獲用オリを設置するほか、人身被害まで出そうな危険が迫った時には、今年度からはじめた「鳥獣特別捕獲員」を派遣するとのことでした。

 全体として若い人の参加は少なかったのですが、児童生徒を持つ参加者などからスクールバスなどの通学支援制度見直しについて2会場で要望が出ました。東田中地区の会場では「橋爪議員もおられるががんばってもらいたい」、泉谷地区会場では、「スクールバス運行は学校統合の歴史的な経過がある。有料化するなんてとんでもないこと」だとの強い発言がありました。この問題は今後、この秋にかけて熱い政治課題となります。

 きょうの懇談でもっとも関心が高く、発言が多かったのは路線バスの見直し問題です。7月から初めてデマンド型運行(事前に予約して乗車する)となる山直海線(やまのうみせん)。同線を通院、買い物の交通手段として活用している人たちは源地区会場に大勢参加しました(画像)。そして日頃、こういう場で発言したこともないばあちゃんたちが、「おら、毎日、予約で電話なんかできない。忘れてしまう」「バスが毎日通っていないと安心できない」などと訴えました。デマンド型運行については丁寧過ぎるほど丁寧に、かつ分かりやすく説明し、慣れてもらわないとうまくいかないと思いました。大きな変更のある旭地区会場でも、少ない懇談時間の中で、「くびき駅線、梶に寄ってもらえないか」「鵜の浜線は確かに利用が少ないが通学に支障はないのか」などの発言がありました。この問題は来年3月末までの実証運行の中でしっかりと検討していかなければなりません。

 ところで、お昼の時間に総合事務所のメンバーのみなさんとテレビを見ていたら、「信越線、北陸線、ほくほく線、大糸線は地域の宝、みんなで守ろう」と、住民団体による信越本線沿線大行進の模様が放映されていました。直江津から妙高高原まで歩くということですが、その先頭集団に平良木議員や仲田前議員などの姿がありました。みんな、がんばってますね。


2009年05月26日

また悲報

 吉川区尾神の町内会長さん宅から電話がきたのは12時20分頃でした。わが家の親戚の井戸尻(いどんしり・屋号)の父ちゃんと母ちゃんが耕運機に乗っていて農道から川へ転落した、危ないようだからすぐに来てくれという連絡でした。ふたりを乗せた救急車が県立柿崎病院へ着いてまもなく、市役所から病院へ向かった私も到着しました。ふたりはすでに意識はなく、顔は変色、唇は紫色になっています。お腹がパンパンにはれていました。着いて5分後には死亡が確認されました。耕運機(荷台付き運搬車)と一緒に川に落ちた時、機械がふたりに覆いかぶさり、逃げ出せなかったのでしょう。溺死でした。
 
 現場(画像)は通称、「釜平(がまびろ)の橋」のすぐそばでした。私が子どもの頃、わが家の田んぼがあった近くです。今年は、この橋の近くに車をとめて何度か山菜採りをしました。私にとってはたくさん思い出が詰まった大事な場所です。まさか、そこで重大事故が起きるなんて。井戸尻の父ちゃんは一昨年、枝払いをしていた時に木から落ち、数ヶ月間にわたって入院しました。この時の転落事故については『春よ来い』第86回、「ギブスのお守り」に書いたことがあります。父ちゃんのことですから、「さあ、帰ってまんまにしようど」などと言って運転席についたことと思います。方向転換しようとした時なのか、それとも運搬車が坂道を下って橋に向かおうとした時なのか。その時、何が起きたのか、まだわかりません。いずれにせよ、運搬車は草を倒しながら川に転落していった。事故原因は徹底究明しなければなりません。二度とこういうことが起きないようにするためにも。

 ふたりは私の大事な後援会員です。夫婦ともに歌が好きで、わが家でも何回も歌ってくれたものです。市議選の時にはビラ配布、支持拡大などでどれだけ頑張ってくれたことか。今回はこれまでの支援に感謝し、私がお返しをする番です。葬儀にあたっては私が葬儀委員長です。つい先ほどまで井戸尻の家にいて、みんなで話し合いながら仕事を進めました。明日は夕方6時から「虹のホールおおがた」で通夜、葬儀は明後日の午前10時から同じ場所で行われます。

 


2009年05月24日

橋本正幸さんと一緒に「囲む会」

 ちょっと肌寒い天気となった日曜日でした。衆院新潟6区の予定候補である橋本正幸さんにも参加してもらい、「囲む会」を2会場で開催しました。いずれも小さな集落での開催でしたが、大勢集まっていただき、充実した会となりました。
 「囲む会」はどこの会場でも正式に始まるまで少なくても5分、長ければ10分ほどの時間があります。この時間帯をどうするか。きょうはこの春に撮った野の花の写真のうち24枚をひとつのファイルに入れ、スライドショーで見てもらいました。身近なスミレや珍しいサワハコベなどが入っているので、「見たことある」「何て花だね」などという声が次々と出ます。結構楽しい時間帯となりました。
 さて、本番。市政報告は私、国政についての訴えは橋本さん(画像)です。国保や介護保険など市民の暮らしに関わる問題は市政での実態をお知らせし、国政での制度改正の必要性をからませてお話しするとわかりやすくなります。たとえば国保税、上越市では1人あたり年間10万円を超えました。これを引き下げるためには、「一般会計からの繰り入れも大事ですが、年7兆円にものぼる大企業・大資産家減税をやめて、資力・財力にふさわしい負担にもどす。この一部、約4000億円を使えば1人あたり年間1万円下げることができるんです」とやる。参加された皆さんのうなずく姿が印象的でした。
 きょうの懇談では市長選、コメ政策の行方、特養ホームの増設、介護労働者の事態調査と労働条件の改善が話題になりました。橋本さんは、財源問題を説明するために小さなビラを配布して話をしていましたが、説得力がありました。

 


2009年05月23日

市長選への関心、一気に高まる

 午前は小学校の運動会でした。曇り空の下のグランドは少し寒く、持参したジャンパーを着て観戦しました。1、2年生の50メートル走の1年生の部。初めての運動会での競技に子どもたちも緊張していました。おもしろかったのは保護者の動きです。ゴール地点では保護者カメラマンがわが子の奮闘ぶりを記録しようと大勢集まります(画像)。こうした光景はわが家の子どもたちが通っていた頃(20年ほど前)にはなかったですね。
 きょうは土曜日。午後からはいつものように「しんぶん赤旗」日曜版の配達です。市長が昨日の記者会見で正式に三選不出馬の意向を表明したこともあって、行く先々で、「市長選はどうなるね」「おまんたの出番だ。がんばってくんないや」などと声がかかりました。仕事や暮らしで厳しい状況が続いているだけに関心が高いと感じました。
 きょうの新聞配達では運転席と助手席の間にニセアカシアの花を入れておいたので甘い香りが車内に漂い、快適でした(画像)。この香りをお伝えできないのが残念です。また、山間部で初めてアカネ科のクルマムグラと出合うことができました。近々、「野の花」コーナーに載せます。
 市政レポート1397号と1398号をアップしました。トップページからお入りください。


2009年05月21日

毎日、地震です

 男性陣が農作業だったということもあって、きょうの「橋爪法一を囲む会」の参加者はすべて女性でした。
 「囲む会」ではいろんな意見や要望が出てきます。議会報告が終わってからの懇談会は今回もたいへん活発でした。「7月からのバス運行では上下浜駅に行く路線が新設されるというが、電車との接続はうまくいっているか。また、バスは駅構内まで入るのか。高校生を送る自家用車が何台も行くと、バスが動けなくなるのではないか」「自分の家の近くにある道路は大型ダンプがひっきりなしに通っている。わが家は毎日、地震です。何とかならないものか」などとても具体的です。こちらもいい勉強になります。
 「囲む会」は今月はこれで4会場目。以前のように集中的に開催するのもいいですが、ひと月に数会場といった回数にするとスライドの手直しなどの時間的な余裕ができていいもんです。今月はもう2会場で開催したいと思っています。
 きょうは朝早くから市役所でした。定例の議員勉強会、きょうのテーマは議会基本条例です。事前に学習して、議員勉強会に臨みました。講師からは、「拙速であってはいけない。制度設計など、じっくりと考えて」「議員と市長が原稿を読み合うような質問はやめるべきだ。議会をどう変えていくかが大事」などの指摘がありました。今回の議会基本条例づくりについてはしっかり勉強していかないとついていけなくなりそうです。午後からは、議員有志の財政勉強会もありました。


2009年05月15日

うれしいニュース

 先週から休まずに活動を続けてきた影響がここにきて出てきたようです。二日続けて夜はバッタリ、日記の更新は朝になりました。
 昨日はまずうれしいニュースが飛び込んできました。上越地区に県立高等養護学校を創設しようと動いている人たちが、その候補場所のひとつとして旧吉川高校を考えているというのです。昨日の吉川区の住民の一番の話題はこの話だったと思います。たまたま区内のあるお店に行ったところ、「高校がなくなってさみしいだけでなく、落ち込んだ雰囲気が漂っていたが、これで明るくなる」と大喜びでした。詳しい内容はしっかりとした情報を入手次第お伝えします。
 さて、昨日は一日中、吉川区にいて細々とした「やるべきこと」をこなしました。「囲む会」のビラ印刷と配布、草刈の準備などです。そうそう、散髪にも行ってきました。刈ってもらっているときにテレビは民主党の代表選、鴻池副官房長官のことなどをワイド番組で流していました。昼間、こういうテレビを見るのは久しぶりでした。もっとも、途中でぐっすりと寝てしまいましたが。
 きょうは、これから議会です。いよいよ議会基本条例についての検討が始まります。


2009年04月25日

久しぶりの雨のなかで

 久しぶりの本格的な雨となりました。今年は雪が少なく田んぼの水不足が心配されていますので、こういう雨は歓迎です。
 きょうは「しんぶん赤旗」の配達、集金、山菜採りと忙しい日になりました。
 山菜採りは急な斜面を上り下りしたので、疲れました。小雨が降るなかでも、山菜は充分採れました。ウドのほか、蕗の茎、ワラビもありました。蕗はやわらかそうでした。そしてめずらしいものとしてはアサツキです。ぴりっと辛くておいしいものです。これで明日の集いがうまくいくかどうかは天気だけとなりました。予報はよくありません。強風と雨、昨年と全く同じパターンになりそう。がんばらなくては。
 配達集金では父のことを聞いてくださる方が何人もおられ、結構時間がかかりました。きょうの配達区域は父を知る人が多いところです。いろいろな思い出を語ってくださる方もありました。
 夜は写真探しをしました。来月予定している次男の結婚式でスライドをするらしいのですが、長女と長男のものはプロが撮ってくれたものを含めたくさんあるのですが、次男のものがきわめて少なく、私が議会報告等で掲載した写真も動員することにしました。わが家の子どもたちには、小さな頃、私が議会で保育の問題や教育の問題をとりあげた時、時々登場してもらいました。それで20数年前の写真を求めて探したということです。


2009年04月24日

テレビ取材などで山間部へ3回入る

 ちょっと寒い日になりました。炬燵はまだまだ片付けるわけにはいきません。きょうは吉川区の山間部へ3回行ってきました。
 1回目は山菜採りです。明後日の後援会の集いのために明日実施する予定でしたが、天気予報がよくないものですから、後援会事務局の人と一緒に1時間ほどウドを採ってきました。少し大きめでしたが、食べてのおいしさは短いものも長いものも変わりません。後援会員の方の中には雪の残っている地域まで出かけてコゴミを採ってきてくださった方もあります。すでにタラの芽も採ってあります。コシアブラは私の牛舎周辺にたくさんありますから、心配無用です。これで、明日、ウドがあまり採れなくても大丈夫な状態となりました。
 2回目はテレビ取材です。UX新潟テレビ21のKさんとともに2時間ほど山間部にいました。今回の取材は、上越市が2007年5月にまとめた高齢化が進んだ集落の実態調査とその後の動きについてです。この調査のきっかけとなったのが同年3月の私の一般質問でした。きょうは吉川区内で消滅した集落や荒廃が進んだ棚田などでカメラが回り(画像)、私も質問の動機、今後の対策をどう考えるかなどについてきかれました。きょう収録されたものは今月30日(木)夕方6時15分過ぎから「スーパーJチャンネルにいがた」のなかで放映される予定とのことです。ぜひご覧ください。
 3回目はボヤ騒ぎです。午後7時過ぎに最初入った情報では「建物火災発生」でしたので、びっくりして現地へ飛びました。車を走らせて現場近くに行っても火が見えなかったので、どうなっているのかと思ったのですが、幸いボヤですみました。消防や警察も入って現場から離れたのは午後9時45分頃でした。未確認情報ですが、原因はボイラーの煙突周囲が炭化していたことによるようです。気をつけなければなりません。


2009年04月23日

壇払いを終えて市政レポートづくり

 きょうの天気予報はどうだったのでしょうか、壇払いに出席してくださった方のなかから、「予報とは違っていかったね。ここんちのじいちゃんの騒ぎでは雨が降らないね」という声が聞かれました。お陰様で無事壇払いも終わりました。葬儀屋さんが明日片づけに来るそうですので、それが終われば、わが家の座敷も元通りになります。
 お斎が終わったのは午後1時過ぎでした。予定よりも少し早めでしたが、炬燵にもぐったら2時間くらい眠ってしまいました。アルコールが効いていたからです。
 目を覚ましてから、パソコンを持ち出し、市政レポートづくりをしました。今号の内容は区内路線バスの見直しについてです。すでに公共交通懇話会で見直し原案が示され、地域協議会にも説明されています。長年続いてきた定期運行が限定され、デマンド型運行に変わるところがあったり、運行ルートが変わるところもあります。吉川区の公共交通の歴史のなかで大きな転機を迎えようとしています。市政レポートでは見直し原案の内容を伝えるところに力点を置きました。ご意見がある方は早めにお寄せいただきたいと思います。
 「春よ来い」も書いてみました。まだ未完成です。父の葬儀後の動きの中で感じたことを綴ってみましたが、2回続けて父のことを書き、内容的にもセンチメンタルなところがあるので、少し時間をおいてから市政レポートやホームページに掲載したいと思っています。


2009年04月20日

「山菜料理を楽しむ会」の準備

 きょうは朝から会議の連続でした。飯山市議会の政新会のみなさんとの懇談会、議員懇談会、議員勉強会と続きました。
 議員勉強会は観光庁の大黒地域振興部長の講演です。観光をめぐるいろんなデータを示しての話は初めてでしたので興味深く聴きました。新潟県の観光客のうち、県内の客の割合がずばぬけて高いことなど数字で見るのも大事ですね。
 夜は地元後援会役員の皆さんと、「橋爪法一を囲む会」の山菜料理を楽しむ会の準備でした。2005年の春から始めた会は今回で5回目となります。今回は柏崎の重野昌平さんからきてもらい、オカリナの演奏も楽しみます。昨年は強風と雨に泣かされました。今年も天気が心配ですが、山菜採り、料理の係り、当日の司会進行など具体的な話をしました。こういう時の話というのはこれまでの会の思い出話が出たりしてとても楽しい。あとは天気が良いことを祈るだけです。


2009年04月19日

久しぶりに町田城址へ

 昨日、花輪が取り外されました。葬儀が終わってもう8日目です。弔問客も少なくなり、徐々に平常の生活に戻っていきます。二人の姪がわが家にやってきて、母を励ましてくれました。その際、昨年撮影した写真を姪たちとともに見てびっくりしました。わが家の庭のコブシは父が逝った8日に満開となりましたが、昨年もまったく同じ日に満開状態だったのです。今年のコブシは最後に残ったつぼみが花開いて、あと3日くらいで散るところまできました。時の流れの速さを感じます。
 きょうは夕方、妻とともに久しぶりに町田城址へ行ってきました。ここはいまから400年ほど前に御館の乱が起きたとき、戦いの舞台のひとつになったところです。吉川町史によると、町田城が景勝方の手に落ちたのは1579年(天正7年)3月7日となっています。吉川区内には長峰城、顕法寺城などいくつもの城址が残っていますが、私は町田城址が一番気に入っています。その理由は、敵の進入を防ぐために尾根を掘ってつくった「堀切り」の見事さにあります。天守閣のそばの「堀切り」の深さは約8メートル、幅は20メートルくらいかと思います(画像)。とにかく大きい。
 林道町田道之下線から歩いて5分。きょうは天気も良く、ゆっくり歩きました。林の中にはたくさんのチゴユリが咲いています。そして小鳥たち、とくにウグイスの鳴き声がひびきわたっていました。天守閣があったところ(画像)からは米山もきれいに見えましたよ。
 今週木曜日、父の姉妹、子どもだけでダン払いをします。これで父の関係は一段落となります。議会活動は明日から普段通り。この間、党議員団の仲間をはじめ、多くのみなさん方から助けていただきました。ありがとうございました。 


2009年04月06日

小中学校で入学式

 市立小中学校(城北中学校をのぞく)の入学式でした。私は午前に吉川小学校、午後には吉川中学校の入学式に参加しました。どちらの学校も校長先生を含めた先生が変わり、入学式の雰囲気もいままでと違っていたように思います。
 吉川小学校の一年生は30人。「あるこう あるこう わたしはげんき あるくの だいすき どんどんいこう」。『となりのトトロ』の主題歌に合わせて入場です。いつものことながら、担任の先生を先頭にして入場する姿はかわいいですね(画像)。新しい校長先生は中嶋賢一先生。地元出身のとても真面目な方です。お祝いの挨拶では、「ふたつのお願い」として、自分の命を大切にすること、友だちと仲良く過ごしてほしいと訴えられ、最後に「元気に遊び、たくさん学んで大きく成長してください」と結びました。歓迎の言葉をのべたのは関澤悠里さん、「学校には楽しい行事がたくさんあります。分からないことがあったら何でも聞いて下さい。早く慣れて楽しい学校生活を送りましょう」と呼びかけました。
 吉川中学校は40人が新一年生です。こちらはブラスバンドに迎えられ、二人ひと組ずつが行進して入場しました。新しい校長先生は青木孝史先生です。がっちりした体格ながら語る言葉はやさしく聞こえてきました。新一年生を代表して「入学の言葉」をのべた原佳実さんは友人の子どもさんです。落ち着いていて、とてもいい挨拶でした。
 きょうはほとんど地元、吉川区にいました。土曜日の事故でハンドルが重くなっていること、でこぼこ道での車の震動が直接的でおかしいことから、自動車屋さんへ行き、愛車を診てもらいました。結果は、本格的な点検が必要とのことでした。


2009年04月05日

用水路にはシジミがいっぱい

 今朝はだんだん天気が良くなって仕事日和になりました。日が照り始めると小鳥たちの鳴き声がとても賑やかです(鳴き声はこちらから)。きょうは地元集落の普請です。農道の補修、用水路の掃除などが主な仕事ですが、久しぶりにスコップを持って力仕事をしました。私の担当は昨年に続いて用水です。用水路にたまった泥や砂などをスコップでさらって外に出すのが仕事でした(画像)。昨年、たくさんのたなごやシジミと出合いました。今年はどうかなと楽しみにしていたところ、残念ながら、たなごはほとんどいませんでした。その代り、シジミ(画像)が多かったですね。それにドジョウやカワニナもいましたよ。仕事の時間は約3時間でした。スコップを使ってのしごとですから、これが限度でしょう。明日は体のあちこちが痛くなるはずです。
 午後からは上野公悦議員の後援会主催の議会報告会兼観桜会でした。議会報告が終わって、司会者が何か質問とか要望ありませんかと声をかけると、サッと手が上がりました。「あやめバスの料金が100円から200円になった。障がい者のみなさんがこのバスに乗って仕事ををしにきているが、収入は月に5000円くらい。バス代をひくとマイナスになる。なんとかしてほしい」「市道の側溝のふたが壊れた。どれくらいの負担をしなければならないのか」など次々と要望や質問が出ました。
 懇親会の方はいつものことながら、とても楽しい。弁当の他に、手づくりの料理も出て、ご馳走がいっぱい。それと、今回は初めて踊りもありました(画像)。誰かさんが言ってました。「踊り、とても色っぽくて素敵だよね」って。
 


2009年03月29日

町内会春会議

 例年、この時期になると新年度に向けた会議が続きます。きょうは地元町内会の春会議でした。新年度の役職員の手当、普請日当、祭りの当番などの係り等を決める会議です。会場は町内会の公民館ですが、ストーブが故障していて、暖房なしの会議となりました。この時期、ストーブなしはきつかった。
 この会議が終わってからは「しんぶん赤旗」の集金と生活相談でした。きょうは町史の編纂でお世話になった鈴木栄太郎さんが「源と天・地・人」というテーマで講演をされるというので楽しみにしていたのですが、開始時間前には終わらず、参加を断念しました。
 夜の早い時間帯に近くの温泉に行ったら、後援会の人にばったり出会いました。家族で夕食をとりながら温泉に入りにきたのだそうです。私の顔を見るなり、「ちゃんと休まなきゃだめだよ。疲れをとらんと…」。疲れが顔に出ていたのでしょうか。
 25日の私の一般質問のことを書いた市政レポート1390号をアップしました。再質問まで入れた編集をしたかったのですが、ちょっと時間がつくれませんでした。質問の全体は上越市議会のホームページにインターネット中継録画がありますので、そこでご覧ください。


2009年03月28日

長野市から赤旗記者が取材に

 めずらしいことに、昨日は吉川区の平場よりも市役所周辺の方が降雪量が多かった。「しんぶん赤旗」の配達・集金をしながら、こうした情報を何人か伝えたところ、「おかしな天気だすけ、5月ごろに雪が降らなきゃいいでも」などといった心配の声が返ってきました。本当に異常です。
 吉川区の山間部の降雪量は10センチほどでした。きょうは、雨でもないのに、久しぶりに長靴をはいて動き回りました。どういうわけか、私は長靴をはくと落ち着きます。
 さて、きょうは夕方、長野市からお客さんがありました。長野市駐在の赤旗記者のEさんです。Eさんは先日の私の一般質問も傍聴し、取材していかれましたが、きょうも信濃町の廃棄物最終処分場問題についての取材でした。
 Eさんからの取材の中心は今後のたたかいの方向についてでした。計画をしている業者は断念するどころか大林組などの応援を得てでも推進する構えを見せていますので、県境を越えたたたかいの輪をどう広げていくかが課題です。Eさんからは、「共産党議員席以外からも応援のヤジが飛んでいたので、この問題は保革を超えた取り組みになっていると感じた」など、傍聴した時の感想も寄せてもらいました。


2009年03月21日

パラグライダー初飛行

 きょうもまたいい天気になりました。「しんぶん赤旗」日刊紙の早朝配達から戻ると、家の周りは小鳥たちがたくさんやってきていて、賑やかな鳴き声でいっぱいでした。
 午前中は日曜版の配達でした。昨日からの連休を利用して帰省している人に何人か出会いました。小学、中学生時代の友人のYさんもそのひとりです。きょうは配達を終わらせてから少し時間をとって、吉川区在住の同級生のTさんも誘い、スカイトピア遊ランドで昼食をとり、おしゃべりを楽しみました。昼食で注文したのは『尾神御膳』(画像)です。カタクリの酢味噌和え、スイトン入りお汁、ふき味噌がよかったです。3人で外へ出たら、高田に住む同級生のKさんに偶然出会いました。今年は同級会をやろうね、と4人で話し合いました。
 昼食後は尾神岳に車で登ってきました。この時期に尾神岳に登れるなんて信じがたいのですが、これも暖冬のおかげです。上り道ではマンサクの黄色い花があちこちに咲いていました。尾神岳にはマンサクの木がこんなにも多いとは知りませんでした。パラグライダーの出発点となるところにはもう車が数台とまっていました。いずれもパラグライダー愛好者の人たちです。尾神岳での今年の初飛行だそうですが、例年よりもひと月は早いですね。風を利用して残雪のある尾神岳上空を飛ぶ姿(画像)はとても楽しそうでした。
 わずかな時間でしたが、同級生と一緒の時間はいい気分転換になりました。


2009年03月07日

貝豆としぼり酒と

 ちょっと寒い日になりました。アノラックを着て、朝から午後2時過ぎまで「しんぶん赤旗」日刊紙、日曜版の配達と集金でとびまわりました。忙しかったのですが、情報収集も兼ねて、2軒でお茶をご馳走になりました。最初のお宅ではちょうど近くの人とお茶のみの最中。テーブルの上には、この冬最後だというオータムポエムと山菜の煮物、豆などがずらりと並んでいます。そのうち、煮豆はこれまでお目にかかったことがありません。写真に撮り、インターネットで調べたら、貝豆というものでした(画像)。皮がやわらかで甘い味、ついついたくさんいただいてしまいました。
 午後3時からは㈱よしかわ杜氏の郷の新酒を楽しむ会でした。会場となったスカイトピア遊ランドには区内だけでなく、遠くは長岡市などから80人も集まりました。会場で味わったしぼりたての酒は香りもよく、とろりとして飲みやすい酒です。私は普段、酒は飲まない方なのですが、きょうはかなり飲ませてもらいました。おそらく2合くらいは飲んだでしょう。私は30数年前、東京は八王子市の造り酒屋さん(銘柄は「桑乃都」)で3か月ほど仕事をしたことがあります。きょうの酒で、フネから出たばかりのしぼりたての酒を思い出しました。


2009年03月06日

30回目を迎えた吉川中学校卒業式

 市立吉川中学校の卒業式でした。同校の卒業式は、旭中学校、源中学校などが統合して以来、今回で30回目になります。「第30回卒業式」という横断幕を見た時、浮かんだのは30数年前の統合中学校の体育館建築工事入札問題で大騒ぎになったことでした。あれから少なくとも34年は経ったということです。きょうは、男子29人、女子28人、合計57人が巣立っていきました。
 丸山辰志校長のはなむけの言葉、宮口保PTA会長のお祝いの挨拶に続いて、在校生代表の江村祐太さんがこれまでの学校生活を振り返り、1、2年生をひっぱってきてくれた卒業生の指導に感謝。その後、卒業生を代表して永井駿祐さんが巣立ちの言葉をのべました。
 永井さんもまた、これまでの学校生活の中から心に残った体育祭や校内音楽祭などについてふれました。吉川中学校の歴史の中でも初の出来事となった体育祭での紅軍、青軍同点優勝については、「卒業生の心に刻まれ、吉川中学校にあっては歴史に刻まれるものとなった。クラスの枠を超えて仲良しだった(ところがでた)結果だ」とのべました。また、音楽祭に関しては「歌えば歌うほど歌詞への思いが強くなった」ことなどを披露し、みんなで取り組んだ思い出を大切にして生きていく決意を語りました。式典に参加した人たちは、一つひとつの思い出を丁寧に紡ぎだしていく永井さんの語りにひき込まれました。
 今回の卒業生の中には吉川中学校で剣道を学びたいと他区から入学してきた生徒も入っています。これは初めてのことだと思います。大潟町中学校には体操を意識して入学する生徒もいるそうですから、部活でどんな頑張りを見せていくかは、こうしたところにも影響を与えるんですね。
 卒業式が終わってから市政レポートを印刷し、その後、市議会へと向かいました。文教経済委員会は予想以上に速いテンポで進んでいました。


2009年02月25日

資源ごみ当番

 今朝は2か月に1回まわってくる資源ごみ当番でした。私の地元町内会では2人体制で順番を決め、午前6時半から7時までに出してもらうようになっています。
 きょうはプラスチックと紙製容器包装の回収の日です。昨日の党議員団勉強会で「ごみヘルパー」について話題になっていましたが、高齢者世帯の方にはごみの分別はむずかしいことなんだと改めて思いました。たまたま一人の方が持ち込んだ「資源ごみ」が重そうなので中味をみさせてもらったところ、プラスチックのほかに普通の紙ごみなどが入っていたのです。ごみの分別、ごみ出しのヘルパーが必要なことがよくわかりました。
 いまひとつ、ごみとは全く関係ないことですが、当番をやっていてわかったことがあります。目の前にある県道の舗装の切れ目(横断している)があるところは大型車が通ると地震のような揺れが発生するのです。今朝は柿崎方面から観光バスが通過したとき、激しい揺れが起きてびっくりしてしまいました。これでは、近くに住む民家の人たちが切ながるのも無理はないと思いました。
 
 きょうは市役所へ9時までに行き、党議員団の勉強会、上越地域消防事務組合議会に出てきました。消防議会では、08年度の一般会計補正予算と09年度の一般会計予算が中心議題です。消防庁では昨年から、消防機関における新型インフルエンザ対策検討会議を立ち上げ、中間とりまとめを発表していますが、当消防事務組合の予算で初めて新型インフルエンザ対策に関する予算が計上されました。ただ、本格的な対策はこれからという感じがしました。新型インフルエンザ発生時の消防・救急体制を維持するための対策の検討は、消防・救急機関にとって喫緊の課題ですので、早期に対策を確立して中味を明らかにしてほしいものです。


2009年02月08日

山でも雪割草が咲いていた

 先日の日記で、ある家の庭に薄紫色の雪割草が咲いていたことを書きました。あれからずっと雪割草のことを考えていました。「ひょっとすると、山でも咲いているかもしれない」と気になってしょうがないのです。きょうは「しんぶん赤旗」の集金をした後、時間をつくって、山間部の雪割草群生地に行ってきました。
 標高250から300メートルくらいの低い山ですが、雪はほとんどありません。40分ほどかけてゆっくり登って目的地に着くと、ポツンポツンと小さな花が見えます。雪割草です。やはり、山でも雪割草は咲いていました。例年よりもひと月は早いでしょう。なかには花ビラが傷んだものもありましたから、1月下旬ころから咲いていたのかも知れません。このところ毎年のように雪割草を見に出かけるのですが、いつも初めて出会ったような感動をおぼえます。今年も白、薄紫、ピンクの花を確認できました。「よし、いいぞ、いいぞ」そう思いながら何枚も写真を撮りました(画像)
 きょうは午後から高田地区と頸城区で日本共産党の「新春の集い」がありました。両会場とも盛り上がっていましたね。平良木議員、上野議員ともスライドを使って議会報告をすることになっていましたので、参加者の皆さんから春を呼ぶ花、雪割草をスライドで見ていただきました。
 明日は糸魚川市で泊まりますので、日記は休みます。


2009年02月07日

山間地域に学んだ学生の論文発表会

 たいしたもんです。法政大学のふたりの学生による論文発表会のことです。旧川谷校体育館できょう、地域の人々や大学の仲間たちなど70人ほどの参加のもとで行われました(画像)
 ふたりの学生は4年生の山岸拓さんと堀内しげみさん、「聞き書きによる農業と年中行事」というテーマで昭和30年代の川谷地区の農作業のことや行事などについてスライドを使って紹介しました。聞き書きをしたふたりにとって30年代の山村の暮らしは驚きの連続だったようです。牛や馬が農家の一員として大事にあつかわれていたこと、田植えでは女性の方が植えるスピードが速いことなどを報告すると会場では、うなづく人もいました。ふたりは、田んぼの畦にまで大豆が植えられるなど、地域農業が「いい循環で回っていた」ことも知ります。また、地域の暮らしの中に「結い」がしっかりと根付いていて、支えあいの伝統があることも浮き彫りにしました。
 明るい陽射しが体育館に差し込み、スクリーンはよく見えませんでしたが、ふたりの心をこめた、丁寧な語りは会場に人たちの心をゆさぶりました(画像)。会場からは時々、拍手が起きたり、「本当のことだ」という声も出ました。発表後の感想を求められて石谷のSさんは、「自分史を聞かせていただいたような半日でした。希望が持てました」とのべましたが、地域の人たちはみんな同じ気持ちだったのではないでしょうか。
 山間部はいま、「限界集落」といわれるほど高齢化が進んでいます。しかし、その集落に入ってみれば、自然や農業を大切にし、支えあいを重視した人間らしい暮らしの原点を見出すことができます。そこに焦点をあてたふたりに拍手を送ります。ふたりの学生には注文もありました。「小さい田んぼであっても農家は田んぼごとに名前までつけて大事にしていたことを付け加えて」「いまの農業がなぜこうなったかも調べてほしい」などです。最後に、山岸さんが言いました。「発表会をして良かったです。ぼくは絶対ここをつぶさない。ここを守っていくことを約束します」。胸が熱くなりました。


2009年01月31日

雪割草がもう咲いている…

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達中に薄紫色の花が見えたので何かと思ったら、何と雪割草(オオミスミソウ)の花でした(画像)。まだ1月です。木の陰でこっそりと花を咲かせていました。吉川区内では平場と山間部に群生地があります。この花はおそらく、その一方から持ってきて植えたものでしょう。私が知っているところは山間部ですが、ひょっとすればそこでも咲いているかもしれない。そう思ったら、落ち着いていられなくなりました。
 きょうは新聞の配達だけでなく、集金もしなければならない日でした。ある家へ行ったら、知っているお客さんがおられ、「一緒にどうだね」とお茶をすすめられました。そのお客さんは俳句愛好者のHさんでした。この方と一緒にお茶を飲むのは初めてです。私の妻の俳句や短歌も読んでいてくださるとのことで、五七五の世界の興味深い話を聴かせていただきました。吉川区では山崎文治郎さんが俳句愛好者のリーダー的な存在です。Hさんは、山崎さんが数年前お連れ合いを亡くされ、その後、発表された妻恋歌がお気に入りだそうです。そのひとつをご紹介しましょう。春雨や妻追憶の蛇の目傘。


2009年01月25日

㈱よしかわ杜氏の郷問題で地区別説明会

 昨年の12月19日に新体制ができた㈱よしかわ杜氏の郷について、市役所総合事務所は本日、吉川区内3か所で地区別説明会を行いました。ちょうど、市議会の定数問題での報告会と重なりましたが、地元ですので地区別説明会に参加してきました。
 総合事務所の説明では、市が今月9日に1億2000万円の増資を行ったこと、旧役員5氏が2100万円増資後、従来からの出資分を含め2175万円を市に寄付したこと、新役員の任期は当初説明してきた今期の残任期間ではなく、定款で定められた期間(取締役は2年、監査役は4年)となることなどが報告されました。会社法の関係で、会社役員の報酬もゼロというわけにはいかないことがわかったといいます。注目のジャパン・フード&リカー・アライアンス㈱との委託契約については150万円で結び、製造や営業などに関する調査、助言、提案をしてもらうほか、6月の末までの経営改善計画の立案で仕事をしてもらうことが明らかになりました。同社がお客を新規に開拓した場合は、売上の5%を成功報酬として払うそうです。
 説明会の参加者は全体で20人ほどでしたが、「新体制は暫定か。どんな経営計画でいくのか。いままでと違ったやり方をしないと成功しない」「2度と税金投入はしてほしくない。率先して自慢できる酒を造ってほしい」「酒蔵の門はとった方がいい。道の駅、ゆったりの郷などと一体化させ、吉川の顔にもっていけたらいい」「こんどこそはという思いでやってもらいたい。地元に愛される酒を」などの声が出ました。
 ㈱よしかわ杜氏の郷問題は12月議会で終わったわけではありません。総合事務所が自治基本条例を意識しているかどうかはわかりませんが、こうした説明会をやれば、市民の生の声を聴くことが出来ますし、市民との信頼関係もできていくはずです。大事な取り組みでした。


2009年01月19日

第1回臨時市議会

 朝から各派代表者会議、臨時議会、吉川区地域協議会と続く、忙しい一日でした。
 各派代表者会議では総括質疑と一般質問のあり方について話し合われました。このなかで、いくつかの会派から総括質疑の持ち時間を一会派当たり30分にしたらどうかとか、一般質問の持ち時間を1人あたり年間で1時間にしたらどうかなど発言制限の提案が出されました。こうした提案は議会運営の「効率性」の観点から出されたものかも知れませんが、市民の負託にこたえて徹底審議することの大切さを再確認してほしいものです。私からは「発言時間の制限は議会の自殺行為。これまでの議会運営については上越市議会小史に書かれているように、改革の積み重ねの中での到達点だ。もし、さらに改革を進めるというなら、分かりやすさを追求して、本会議場でのプロジェクター使用ができるようにしてほしい」と発言しました。きょうの話し合いをふまえ、次回の会議までに各会派で検討してくることになりました。
 10時からは臨時市議会です。緊急経済対策ということで市は、2億6037万円の一般会計補正予算を提出してきました。これに対して日本共産党議員団の上野議員など4議員が総括質疑で登壇し、予算規模、今回の対策の特徴、今後の方向性などについてただしました。
 上野議員は3番手でした。これまで実態把握、雇用確保でどう動いたか、緊急経済対策の総合性、市独自の緊急雇用安定対策助成金のねらいと今後についてコンパクトに質疑を行いました。このなかで、緊急経済対策として雇用対策、中小企業支援の2つにしぼった理由について市長は、市民生活に密着し即効性がある点をあげ、「市内の循環を促し、お金が広く行き渡るものと期待している。できるかぎりの最大限の対策としてお願いした」とのべました。今回の補正で最も注目されているのは緊急雇用安定対策助成金制度です。この制度では補助対象期間が3月15日までとなっていることから、上野議員は、「年度末になってさらに離職者が増える可能性がある。その時のことを考えたら、ぜひ存続を図るべきだ」と追及しましたが、「国、県の動向を踏まえ、制度の継続、拡充を検討していきたい」との答弁がありました。
 同議員にとって総括質疑は初めてですが、これまでのキャリヤを生かした、論理性のあるいい質疑になったと思います。
 地域協議会は地元の吉川区の会議を傍聴してきました。地域事業見直しについての諮問に関する会議の傍聴は大島区に続いて2度目です。気になったことがいくつかありました。ひとつは、地域事業費についての数字です。諮問そのものには数字は書かれていませんが、資料のなかに当初の計画で示されたものより2割カットされたものが既定のものとして掲載されていたのです。また、各区の学校等の修繕費が地域事業のメニューとして当初からあったものとして扱われていました。これは、合併前からの一連の経過を知っている者としては理解できませんでした。十分な議論をしてほしいものです。


2009年01月11日

川谷冬まつりとサイの神と

 久しぶりにブルが出動しました。本格的な雪となったのは午前10時頃からです。空から雪がどんどん落ちてきて、あたりは暗くなりました。車を走行するにはライトが必要になるほどでした。そんな中を川谷地区へと車を進めました。11時開会の川谷冬まつりに参加するためです。
 川谷冬まつりに参加するのはこれで4回目ですが、会場の体育館に入って、あれっと思いました。昨年よりも地元の人が少ないのです。シズエさんは関東へ行っているし、基さんは亡くなっている。林のとうちゃんも来ていない。高齢化が一段と進んで体力が落ちたことなどから参加できない人が増えてきているのです。
 それでも今回も祭りは盛り上がりました。伝統の餅つきは三本づきです。三人でトントントンとつく音が体育館に響きました(音声はこちらをクリックしてください)。参加者の中で今年も大活躍だったのは法政大学の学生さんやOBの人たちです。準備から会場設営、その他、来賓のお茶出しまで手伝い、地元参加者の減った分を十分補ってくれました。うれしかったのは、学生の山岸さんが法政大学総長からもらったという表彰状を披露してくれたことです(画像)。同じ大学の堀内さんとともに表彰してもらったのは、川谷地区の一軒一軒を訪ねてまとめた論文だそうです。この披露の際、パッと立って二人の仕事をほめたのは木浦市長でした。市長が「こういうことこそ、地元の新聞に書いてほしい。また、ここへ帰ってきてもらいたい」とのべると、みんなニコニコでした。
 冬まつりは三部構成。餅つきと祝賀会のあとは雪上運動会、そしてサイの神と続きました。私は探し物競争でお茶と缶ビールをゲットしました。サイの神は今年も大きなものができ、記念撮影(画像)をしました。きょうは風もなく、点火したあとはゆっくりとまっすぐに燃え上がってくれました。
 私は川谷地区のサイの神に点火後まもなく、地元・代石町内会のサイの神へと急ぎました。こちらは午後3時が点火でした。昨年秋に刈り取ったカヤはわが家の牛舎内にしまってあったので、よく乾いています。勢いがあって、とてもいい燃え方をしてくれました。ボンボンという竹の割れる音もよく出ましたね(音声はこちらをクリックしてください)。みんなで酒を飲み、餅やスルメを焼いて楽しみました(画像)。最後は燃えカスで恒例となった墨塗りです。私の顔も真っ黒くされてしまいました。でもこれで、今年は健康でいられるでしょう。


2009年01月09日

新年最初の日曜版配達

 ヒラタケ採りは予想以上に体力を消耗し、昨晩はぐっすりと眠ることができました。朝早く起床。一杯のコーヒーを飲み、市政レポートづくりをしました。これで、新年になってから2枚目です。前号では数字を間違えたり、漢字の変換ミスをしたりしてしまいましたが、今号では「うっかりミス」をしないように気をつけました。次の「しんぶん赤旗」日曜版に折り込むビラは市議団ニュースと2枚の市政レポートです。配達ポストごとに新聞の部数分を印刷するのですが、今朝は印刷だけでも1時間以上かかりました。印刷後にミスが発見されませんように。
 午前中に「しんぶん赤旗」日曜版を30部ほど配達しました。日曜版の配達は新年に入って最初です。1軒1軒、声をかけながら配達してきました。どこの家でも、「雪が少なくていいやんべだね」という声が出ました。いつも声をかけてくださる家で、定額給付金のことや市内の派遣労働者のことで質問されました。この方の話のなかには私の知らない情報が時々入っており、とても助かります。午後から生活相談が2件入ったため、山間部の配達については後援会の仲間に応援を頼みました。新聞配達は明日も半日はかかります。
 夕方、父のところに寄ったところ、マスクをしていました。ちょっと元気がありません。帰りしなに、「また来るすけ、帰ってもいいかね」と呼びかけましたが、いつものように首を縦にふりません。「ダメか?」というと今度はこっくり。帰らないでくれということを父がはっきり意思表示したのは入院後初めてです。明日、明後日とスケジュールはいっぱいですが、どこかで時間をつくって見舞ってあげたいと思います。


2008年12月30日

お茶をご馳走になって

 きょうも「しんぶん赤旗」の集金活動でした。雨まじりの天候でしたが、この時期としては良い方です。午前8時半頃に家を出て、お昼も帰らず、夕方まで頑張り続けました。と書けば、お昼も食べないで頑張ったのではと思われるでしょう。それほど我慢強くありません、私は。じつは、お昼はある読者の方のところでご馳走になったのです。焼きソバとおにぎり、とてもおいしくいただきました。
 集金活動をしていると、何軒もの読者の方からお茶を誘われます。昨日も、きょうも数軒でご馳走になりました。お茶を飲んでの話題は様々です。ある家では、市政レポート最新号に載せた杉本真人の『吾亦紅(われもこう)』の話になりました。亡くなった母を想う歌ですが、この歌詞がとても気に入っているということでした。私はこの歌の歌詞で憶えているのは、「あなたに あなたに 謝りたくて」くらいなものでしたので、家に帰って調べてみました。お茶は飲んでみるものです。「親のことなど 気遣う暇に 後で恥じない 自分を生きろ」「あなたに あなたに 見ていて欲しい 髪に白髪が 混じり始めても 俺 死ぬまで あなたの子供…」。本当に良い歌詞ですね。
 お昼をいただいたのは牛飼い仲間だった家です。ここでは、偶然にも他の牛飼い仲間だった人もいて、牛の話になりました。最近のエサ高、昔の苦労話と話は尽きません。この中で、吉川区内でいまなお頑張っている2人の酪農家のうちの1人が近々やめるということを初めて聞きました。一緒にお茶を飲んだ人は、いずれも牛飼いをやめた時の切ない思い出を持っています。「今度、牛飼いだった人で、『同級会』(?)やろうよ」という話をして別れました。そういえば、来年は丑年です。
 きょうは、うれしいことに、「しんぶん赤旗」日曜版を読んでくださる方がまた増えました。


2008年12月24日

芸術活動が活発なまち

 昨日のことで、もうひとつ紹介を忘れていたことがあります。ほっとホットコンサート会場の入口に飾られたCG作品についてです。CG、コンピュータグラフィックスというのは、コンピュータを使って画像を作成すること、またはその作品のことをいいます。会場入口に飾られていたのは原之町在住の細井一貞さん制作の素敵なCG作品です。2008年度にいがたデジコングランプリ優秀賞に入った「雅‐Ⅲ」など数点の作品のうち、一点だけ写真で紹介します(画像)のでごらんください。
 細井さんは、ごキョウダイもお父さんも絵を描かれる家庭で育ってこられました。これまで教育活動のかたわらCG作品を制作、発表されてきました。私は市展に出品されたものをいくつかみさせてもらいましたが、人物画も抽象画も群を抜いています。吉川区には、音楽の分野だけでなく、他の芸術活動でも活躍されている人が多いことを感じます。うれしいですね。
 なお、細井さんの他の作品は細井さんのホームページでも公開されています。ぜひ訪問してみてください。
 
 きょうは一日中、市役所で新年度予算要望に関する文書の整理をしました。午後からは平良木議員とふたりきりの作業となりました。もうひとふんばりです。


ほっとホットコンサート

 このところ吉川人のいい調子が出てきましたね。先日、春日山町のラ・ソネで吉川区在住の山岸協慈さんがギターコンサートを成功させたことが話題になりました。次は先週の日曜日のクリスマスキラキラ大作戦です。こちらも小雨の降る中、見事に盛り上げ、「吉川区、ここにあり」とアピールしました。そして昨日の「ほっとホットコンサート」、吉川コミュニティプラザの多目的ホール満杯の観客が音楽を楽しみました。
 昨日のコンサートは吉川中学校の吹奏楽部の金管6重奏から始まりました(画像)。同部はこの夏、吹奏楽コンクール新潟県大会で金賞をとったばかり。今回は吹奏楽部の1、2年生がドヴォルザークの「4つの合唱曲」などを聴かせてくれました。演奏したのは9人ですが、そのなかに私が1月から4月にかけて辻立ちしていたときに「おはようございます」と元気に声をかけてくれた生徒が2人もいました。「がんばっているんだね」と声をかけたくなりました。
 柿崎区でこの春に結成したばかりというフォークトリオ、『あぜ道』のみなさんの歌は初めて聴きました。滝澤ちず子さんの「涙そうそう」、平田優一さんの「われもこう」、良い歌でした。しっかりとした歌声につられて一緒に歌い出しそうになる。そんな雰囲気がありました。司会者に将来の夢はときかれて「紅白歌合戦出場です」に大きな拍手が送られました。
 山岸協慈さんのギター、関澤章子さんのフルートはこれまで何度も聴いてきました。二人とも吉川区の誇る演奏者です。きょうは関澤さんの「EARTH」にすっかり魅せられました。目をつむると、宇宙に浮かぶ地球がイメージできました。
 最後はチェコから前日帰ったばかりのピアニスト、市村幸恵さんです。ショパンの「別れの曲」、ベートーベンの「月光第3楽章」を力強く弾いてくれました(画像)。チェコに行って10年になったそうですが、帰省する度に、こうして地元で演奏してくれるのはうれしい。大拍手です。
 昨日のコンサートの主催は吉川区の「夢をかなえる会」です。「音楽コンクールで金賞をとりたい」「保育士になりたい」「公務員になりたい」「紅白に出たい」。演奏者がそれぞれ自分の言葉で夢を語る場面は時々笑いもあって、とても良かったです。
 最後は参加者全員による「ふるさと」の合唱でした。ここをクリックしてお聴き下さい


2008年12月22日

今年最後の地域協議会

 朝から夕方まで市役所で過ごしました。主な仕事は、議員団ニュースの作成と新年度予算要求のまとめの作業です。議員団ニュースは、「しんぶん赤旗」日曜版の発行に合わせて編集していますが、今号は1月4日号との合併号ですので、それにふさわしい編集をしようと4人の議員の新年の抱負も入れました。新年度予算要求の方は、26日に市長に申し入れることになっています。いくつか整理が必要となっていますので、完成するのは24日にずれ込みそうです。
 夕方からは吉川区地域協議会でした。区内にある道の駅の管理はこれまでの指定管理者にまかせていましたが、来年度から直営に戻す諮問が出され、諮問どおり答申することが決まりました。市の施設は1000近くありますが、直営に戻す事例はまだ数例しかありません。今後、財政面での検討から直営に戻す事例が増えそうな気がします。この日の地域協議会では、㈱よしかわ杜氏の郷の新役員体制などの報告も行われました。
 会議が終わってから忘年会でした。今年は地域協議会にとって、改選後、いきなり大きな問題が投げかけられたこともあって、たいへんな1年となりました。会長さんが挨拶の中で、「今年の吉川区内での流行語大賞は『損失補償』でした」と振り返っておられましたが、みんなで労をねぎらい、楽しいひと時を過ごしました。


2008年12月21日

日曜日に…(2)キラキラ大作戦

 ふるさと吉川を輝かせるにはどうしたらいいか。今晩、平成6年まで旧吉川町役場庁舎があった広場で行われたクリスマス・キラキラ大作戦に参加してみて、「うーん、やるねぇ」とすっかり感心してしまいました。ツリーを飾る。孟宗竹を利用して蝋燭を並べる(画像)。屋台を出す。そうした会場に子どもたちを集めてマルバツ(○×)ゲーム、ビンゴゲームなど、楽しさいっぱいの遊びを用意する。そして最後は冬の花火です。たくさんの明かりが輝き、参加者の目も輝いていました。
 クリスマス・キラキラ大作戦は今年で4回目となります。実行委員会のみなさんが、少しでも吉川区を元気づけようと、計画・準備をしてくれました。本当は少し雪があるともっとムードは高まるはずだったのでしょうが、今年の場合はどうしようもないでしょう。今晩は生憎の小雨となりましたが、参加者はゲームやクイズで湧きました。花火の時は最高に盛り上がりましたね(画像)(音声はこちら)。参加者の中には吉川区以外からも来て下さった方々もあったようです。300人くらいは集まったように思います。
 私はこの作戦には初参加です。まず屋台でワンカップを買い、うどんを食べ、ゲームを観戦、いや参戦しました。ビンゴゲームで景品をゲットしましたから。実行委員会のメンバーのほとんどは、夏の越後よしかわやったれ祭りの時と同じです。子どもたちと楽しくゲームをやるのがじつにうまい!今晩はお酒を少しいただきながら、メンバーの皆さんとこのイベントのことやまちづくりについて語り合いました。


2008年12月20日

高橋秀雄さん逝く

 吉川区尾神の高橋秀雄さん(81歳)が亡くなり、きょう、ご自宅で告別式が行われました。
 高橋さんは私の父と同じ昭和2年生まれ。家畜商、材木の取引、それに町議会議員を6期やっておられたやご長男が郵便局長をされていたこともあって、大勢の人たちが参列しました。家の中も、前庭も人でいっぱいになりました。私が尾神地内で見てきた告別式の中では、これまでで最高の集まりでした(画像)
 わが家が牛を飼っていたことや父が集落の役員をしていたこともありますが、私も一緒に町議をさせてもらったこともあり、高橋さんとはいろいろとお付き合いをさせてもらいました。車ですれ違っても、頭を低くして挨拶される人でしたので、「挨拶は高橋さんのように」とよく言われたものです。高橋さんは面倒見の良い人でした。世話好きな人でもあり、仲人をした件数は20前後にものぼっていたように記憶しています。
 きょうは12月だというのに、青空が広がる最高の天気でした。高橋さんのご自宅から見える尾神岳周辺の景色は見事で、こんな日に旅立てるとはうらやましいかぎりです。ご長男が挨拶の中で、「自分の家から出してくれというのが父の遺言でした」と言っておられましたが、晴れた日で良かったです。それにしてもこの天気はどうしたのでしょうね。先日はキクザキイチゲが咲いたことを紹介しましたが、きょうは、オオイヌノフグリが咲いているのを見つけました(画像)


2008年12月19日

㈱よしかわ杜氏の郷の新役員決まる

 最新情報です。㈱よしかわ杜氏の郷の臨時株主総会が19日午前、吉川コミュニティプラザで行われました。議案は、募集株主の件、定款の一部変更、現役員退陣に伴う役員の選出など4件でした。
 臨時総会に出席したのは約50人で、総会での質疑はなかったとのことです。
 注目の新役員体制については総会で選出された後、役員会が開かれ、決まりました。代表取締役社長には村山秀幸氏(上越市副市長)、代表取締役専務に金沢幸彦氏(大潟区)が就任しました。また、取締役に服部武氏(JAえちご上越)、矢澤源一郎氏(吉川区)、保坂秀明氏(吉川区)の3氏が、監査役には渡辺武敏氏(安塚区)、上野英夫氏(吉川区)の2氏が就任することになりました。
 この情報を含め、市政レポート1376号をアップしました。トップページからお入りください。
 


2008年12月07日

除雪車出動

 案の定、雪は降り続き、とうとうわが家の周辺でも除雪ドーザの出番となりました。吉川区内では、先月の19日に山間部で出動しましたから、今回で2度目です。朝の4時前に除雪車の音を布団の中で聞き、「来たな」と思いました。除雪車の動く音はタイヤチェーンの音とバックする時のピッ、ピッという音が聞こえます。来年3月まで、また、この音と付き合いをすることとなりました。わが家周辺の積雪は15センチほどです(画像)
 さて、きょうは午前中、総務常任委員会審査の準備をし、午後から党地区活動者会議に参加しました。久しぶりに妙高市や糸魚川市の仲間の皆さんと会いました。旧能生町の池田さんは現職の新保さんとともに来春の市議選に立候補するとのことで、きょう挨拶されました。市民の暮らしを守る立場に立ち、しかも若さとリズム感のあるとてもいい挨拶でしたので、大きな拍手が送られました。
 夕方からは市内の八千穂地区にあるはまぐみ交流館で「保倉川放水路を考える市民懇談会」でした。主催は党市議団です。始まるまでだいぶ時間があったので、上野議員と野菜ラーメンを食べ、その後、交流館内にあるお風呂にも入りました。懇談会では放水路の河口に位置する集落の人たちが何人も参加して下さり、「国は十分な調査をやっているのか疑問だ。納得できる説明をしてほしい」「私たちは単に反対しているのではない。大学の先生を呼んで勉強もした。保倉川も見てきた。海水の流入など、放水路を造った時にいろんな問題が出てくるのではないか。100年後が心配だ」「肝心の地元町内会で1度も説明会をやっていない。国も市もこわがっている」「市議会の放水路整備促進議員連盟も地元に入ってくるべきだ」などたくさんのご意見をいただきました。参加者の皆さんには、地元町内会での説明会の開催、議員連盟への働きかけを約束して閉会しましたが、やってよかったです。
 トップページの尾神岳の写真を最新のものと入れ替えました。また、市政レポートの12月7日号も掲載しました。ごらんください。
 


2008年11月30日

4会場で議会報告会

 午前に1回、昼から2回、夜1回。きょうの議会報告会の回数です。このうち2会場で市議選時の演説会・懇談会を上回る人たちが参加してくださいました。㈱よしかわ杜氏の郷問題への関心の高まりを感じます。
 きょうは3会場で、現職の杜氏さんや元杜氏さんが参加してくださいました。この人たちからは、「今回(の増資による会社存続)は痛み止めにすぎない。何とか整理した方がいい」「会社の設立当初から先行きが見えていた。私としては伸びるはずがないと思っていた」「謙信酒祭りでは民間の酒屋の社長が先頭に立って路上で宣伝している。こういう姿勢がないといけない」など厳しい意見が相次ぎました。きょうは、こうした意見を出された人たちにひとつのお願いをしました。もし、あなたが㈱杜氏の郷で杜氏をやっておられたら、どういう手を打たれますか、3日までにぜひ教えていただきたいと。
 1会場で報告と懇談合わせて1時間半かかると想定して日程を組んだのですが、懇談会に熱が入り、2時間をオーバーするところもありました。昨日の会場でも、きょうの会場でも意見や提案が次々と出て、私とも議論になる。とても有意義な会でした。
 


2008年11月25日

商工会議所との懇談、特別委員会視察、そして地域協議会

 きょうは盛りだくさんです、書くことがいっぱいあって。今朝は8時半頃に家を出て、まず総合事務所へ。途中、平和橋を渡った時に正面に見える吉川中学校が朝日を浴びてとてもきれいに見えました。ここ数日、雨が降りパッとしない天気でしたので、今朝の田園風景はさわやかで気持のいいものでした。何枚かの風景を写真におさめ、記録しました(画像は尾神岳)。いろいろな活動をして、家に戻ったのは午後11時過ぎとなりました。

 午前11時からは上越商工会議所で懇談会です。日本共産党の緊急経済提言を中心にして染谷浩専務理事、田中孝司中小企業相談所長と懇談させていただきました。こちらは、山口典久衆院比例北陸信越ブロック比例候補、橋本正幸衆院新潟6区候補、党市議団(平良木議員は年金者組合の行事に出席)でした。
 山口さんが提言について説明したあと、染谷氏より市内の企業をめぐる状況などを報告していただきました。市内の企業でも海外に進出しているところがあること、昨年10月から始まった責任共有制度(これまで、信用保証協会が保証した事業資金の借入は、原則として、信用保証協会が借入額の100%を保証していましたが、『責任共有制度』の導入により、信用保証協会が保証する割合が借入額に対し外形上80%となりました)が大きな問題になっていることなど教えてもらいました。
 全体として私たちと考えが一致するところが多いのにはびっくりでした。話題の定額給付金問題で染谷氏は、「そんなことよりも定額減税の方が効果がある。安易な消費税の引き上げはすべきでない。中小企業予算というものを早期に実行していただきたい」とも言われました。山口さんと一緒に他団体と懇談するのは初めてでしたが、演説同様、とてもソフトな語りで学ばなければと思いました。

 午後は市議会中山間地対策特別委員会です。合併前上越市の区域にある中山間地、桑取地区を現地視察し、地元住民と懇談させてもらいました。海岸部の有間川からいきなり開拓地へ。たくわんにぴったりの大根がハサにずらりと並んでいます。ハサはいくつもあり、見事な光景でした。道路沿いには用水路があって、きれいに整備されていました。棚田もたくさんあって、天水田では代かきをして水をためています。こういう景色を見るとホッとしますね。
 標高100メートルくらいの棚田の見える場所で地元の篤農家・曽我文隆さんから地域の課題について話していただきました(画像)。農地をどう守っていくかが大きな問題だ。68歳になろうとしている私はまだ若手、あと4,5年経つとどうなるか心配だ。農業がだめになったら集落や地域がだめになる。担い手をどうするかも問題だ。私も新規就農者をひとり預かっているが、資本力もないので、育てていくのがたいへんだ。それに採算がとれるかどうかも不安だ。この辺では10アールあたり15万円ほどコストがかかる。1俵2万円くらいにならないと経営は成り立たない。6年ほど前から自分で作ったものは自分で販売しているが、こういった地区の農産物は差別化して販売しないと成り立たない。行政からもぜひ支援をしてほしい。曽我さんは消費者と直接結びついた経営をされていて、売る米の値段は農協出荷よりも2倍以上高い価格となっています。これを広めたいとも言われていました。話はリアルで、とてもわかりやすかったです。
 桑取小学校のそばにある地域のセンターでは桑取地区の町内会長さんたちや団体のリーダーの皆さんと懇談しました。ここは市議会の若手のホープ、中川議員の地元です。彼を応援した人たちの熱気が伝わってくる懇談会でした。中山間地の直接支払制度は、これまでも農道の舗装など大いに役立った。ぜひ存続させてもらいたい。都市計画の線引きの問題があって家も簡単に建てられない。何とかならないか。今年のコメの生産調整では、平均反収の低いところが増やされた気がする。市長に直接話したがすでに配分が終わっているということでだめだった。19年度の形に戻してほしい。農地・水・環境など事務手続きを簡単にしてもらいたい。次々と要望が出て、すごいエネルギーを感じました。
 きょうの現地視察は市のマイクロバスに乗って出かけました。いつものことながらバスの中は賑やかです。特別委員長に昨日入手したばかりの『限界集落と地域再生』(新潟日報事業社)を見せたら、「おれに売ってくれ」と言われ、手持ちの本がなくなってしまいました。

 きょうの夜は吉川区地域協議会です。連日のように書いている㈱よしかわ杜氏の郷問題についての審議が行われました。
 冒頭、総合事務所からこれまで取り組んできた市民説明会などの結果について報告がありました。7か所で行われた市民説明会の参加者は報道関係者を除くと135名にのぼったそうです。会場でとったアンケートの集計も発表されました。回答を寄せた人数は84名、参加者全体の62.2%でした。吉川区の地域事業費を使い増資により長期借入金を一括返済することについては、「ぜひ存続させたい」が32.9%、「やむを得ない」37.8%、「存続させたくない」22%でした。また、経営者の責任の取り方については、市とJA、会社の3者協議で、2100万円を出資し、総退陣するという方針を出していますが、これで「責任を果たしている」とする人が24.4%、「重すぎる」が12.2%、「今回の負担では不十分」50.0%となりました。経営者責任を追及する声がきびしいのが特徴です。この点について、総合事務所では、「今後、2者協議で詰めていく必要がある」とのべていました。
 審議では、市長が今回の件で地域協議会に諮問しなかったことをめぐって議論沸騰しました。「われわれはいずれ諮問があるということを前提にして勉強会をやり、要望書も出してきた。なぜ諮問しないのか」「1億2200万円を地域事業費から出すことは当初の計画段階(吉川区の地域事業費で何をやるか)では想定外だったはず。ここへきて諮問がないのはおかしい」「私も諮問はあると認識していた。(元議員など)ベテランが地域協議会委員にきているわけではないので、行き違いはあった。地域協議会って何なんだ。これでは次のなりてがいない」等の声が相次ぎました。地域協議会では、最終的に議会での審議を見据えながら、いま一度意見書を出すことを確認しました。
 きょうの会議には市民クラブ、公明党の議員、4名(私も入れて5名)が傍聴に来ていました。これから先がたいへんです。


2008年11月24日

私の一般質問が引用された本

 数か月前のことですが、高知新聞の方から電話があり、11月頃に限界集落についての本を出版するので、その中で私の市議会一般質問を引用させてほしい、との話がありました。本になったことは新潟日報のコラムで知っていました。その本をきょう入手し、関連部分を読ませてもらいました。「棚田の維持に迫る限界」という見出しで上越市のことが7ページを使って紹介されていました。その中で私の2006年3月議会での一般質問が2ページほどにわたり引用されています。私の質問は原稿なしでやっていますので、文章で見ると恥ずかしくなるようなレベルですが、それでも著者から「その質問は古里を愛する切実なものだった」と評価していただきました。この本では、上越市議会に中山間地対策特別委員会が設置されたことや市が「日常生活サポートガイドブック」を発行したことなど最新情報も書かれていて、これには驚きました。本の著者は大野晃長野大学教授です。タイトルは『限界集落と地域再生』(画像)、全国の12の地方紙の共同出版ですが、新潟県では新潟日報事業社が発行しています。ぜひご一読下さい。
 きょうは午前中、私用で飛び回り、午後からは市の㈱よしかわ杜氏の郷についての市民説明会に出席しました。参加者は22日に比べていまいちでしたが、住民意思の確認を求める強い意見や「ISOの取得を考えて計画の中に盛り込んでほしい。産業連関をきちんと分析して地域に貢献する企業に持って行くべき」など積極的な提案がいくつかありました。これで計画された7会場での説明会は終わりです。住民が大きな関心を持っているひとつのテーマでこのような連続説明会をやったことは大いに評価できます。あとは出された意見や要望をちゃんと検討して対応することが大切ですね。


天恵楽を楽しむ会

 昨日は新聞配達からはじまって議会報告会、天恵楽を楽しむ会と続きました。
 議会報告会では、㈱よしかわ杜氏の郷の再建問題についてスライドで報告し、意見交換会をやりました。前日の市民説明会同様、いくつもの提案がだされ、参考になりました。特に道の駅を含めた美しい環境整備を、の話は印象に残りました。新年度予算要望についても防犯灯設置などが出されました。これからの議会報告会では要望が増えていきます。そしてうれしいことに「しんぶん赤旗」日曜版の宣伝をしたところ、3人の人が見本紙を読ませてほしいと持ち帰ってくださいました。
 スカイトピア遊ランドで開催された㈱よしかわ杜氏の郷の酒、受賞酒を楽しむ会は正午から。今回、関東信越国税局酒類鑑評会「燗酒の部」で優秀賞に入ったのは天恵楽[特別純米酒]です。これで2年連続入賞です。この酒は全米最大の日本酒の鑑評会(第8回ジョイ・オブ・サケ)でも金賞を受賞しています。きょうは吉川区内だけでなく、区外からも大勢参加者があり、総勢70人くらいでした。議員仲間では、飯塚、小関、林の3氏と一緒でした。
 会では㈱杜氏の郷で酒づくりにかかわっている人たちやファンクラブの人たちなどと会社の今後について大いに語り合うことができました。この会を契機によしかわの酒に親しむ人が増え、広がりを作り出せればいいなと思います。
 きょうの会では酒だけでなく、料理も堪能させてもらいました。ぜんまい、各種てんぷら、たら、刺身、寿司、そして最後は尾神の手打ちソバです。モミジの赤い葉のてんぷらは初めて食べました。尾神ソバは久しぶりです。自分の生まれ故郷であるからいうのではなく、尾神ソバは最高ですね、美味しくて。
 2次会、3次会と出たので、わが家に帰ってきたのはたぶん午後8時頃かな?めずらしく酒をたっぷりと飲み、家に帰って間もなくダウンしてしまいました。


2008年11月22日

㈱よしかわ杜氏の郷問題で連続市民説明会

 きょう最後の市民説明会が終わったのは午後6時頃でした。1か所目が朝の8時半から始まった市民説明会はきょう予定した5か所をまわり切りました。説明を担当する市役所職員と5か所全部を一緒にまわったのですが、最後の会場を出た時、ひとりの市役所職員が言いました。「いやー、すごいね。ひとつひとつの会場での(市民の)声に特徴があって、吉川らしさがある」。じつは私もそう思ったのです。そしてもうひとつ、付け加えたい。市民の声を聴くことがこれほど大事だということがを実感した説明会は経験したことがありません。
 源地区、東田中地区の市民説明会では、会社再建の見通し、会社役員の経営責任の取り方、地域協議会のあり方などについて厳しい指摘が相次ぎました(画像は源地区の会場で撮影)。「酒の販売環境はいまより悪くなるかもしれない。これをどう見ているか。それを土台にして販売計画を立てるべきだ」「六角山スキーリフト廃止を諮問しながら、一方では(吉川区住民にとっては重要な)杜氏の郷問題で諮問しないのはいかがなものか。これで地域協議会は行政との両輪と言われても困る」「(会社役員が会社に貸し付けているお金を増資にまわすことを)新たに役員が出資するがごとく説明するのはやめた方がいい。きびしいところをきちんと踏まえないと協力する気になれない」などいずれの発言も重く受け止めなければならないと感じました。
 吉川地区の市民説明会、「本当にこの会社は持つのか」「あの時、2億4000万円多く出してもやめれば良かったとならないように」などといった厳しい声とともに、建設的な提案も出ました。「杜氏の郷、五百万石の郷を全国に発信する方針を。新井柿崎線は(近くに酒蔵がいくつもあり)バッカス道路だ。新潟市では酒検定をやっているが、ここでもできないものか。もっときめ細かいビジョンを出してほしい」こういう角度からの議論は大切ですね。
 提案や注文が相次いだのは竹直地区と旭地区の市民説明会です。竹直地区では若い女性が会社のやり方にずばり注文をつけました。「友達にアイスおいしいよ、と教えたものの、会社の大きな門がじゃまになって入りにくい。直売所にはもっと季節感あふれた展示の工夫を。初めて訪れた人がもう1回行きたくなるように改善してほしい」。旭地区の会場では全国鑑評会で金賞を受賞したことのある元杜氏さんたちが㈱よしかわ杜氏の郷の酒の水準をさらに引き上げていくための技術的なアドバイスを繰り広げました。
 市民説明会は24日も2会場で行われます。きょうの説明会は、市が現在考えている再建方策を説明し、質疑をうける、そして最後はアンケートで説明会の良し悪しや市の方針について参加者の声を聞くという流れになっていました。きょうは、説明会の冒頭、総合事務所長から「今回の説明会は自治基本条例に基づくものです」との言葉がありましたが、この条例の精神を改めて思い起こしながら、ずっと傍聴させてもらいました。全体として丁寧さが感じられ、市民の声をしっかりと聴こうとする姿勢があって、とても良かったです。


2008年11月16日

60歳の選手が区間新記録

 スポーツにおける感動のドラマは全国レベルの競技だけのものではありません。小さな町の競技でもあるのです。きょうの吉川区の駅伝大会、旧吉川町時代から通算で44回目となる大会でしたが、いくつものドラマがあり、選手や役員、応援の人たちの胸を打ちました。
 そのひとつは、還暦を迎えた選手が区間新記録を達成したことです。第6区、旭ランナーズの補欠選手だった木村富士男さんが急きょ出場することとなり、1,8キロを6分26秒で駆け抜けました(画像は中継所でオーストラリアからやってきた娘婿のグレッグ・ビアーさんにたすきを渡す木村さん)。これまでの区間最高記録は6分34秒でしたから、木村さんはそれを8秒上回る記録で走ったことになります。表彰式で司会の方が、「これは区間新記録です」と伝えると会場ではどよめきが起きました。毎日、こつこつと走り続けている木村さんの快走は中高年ばかりでなく、スポーツ愛好者を励ますものとなりました。
 最終区の第9区でもドラマが待っていました。骨太(チーム名)のランナーは11歳の吉藤皇子さん、中継所でタスキを引き継ぐとまもなく、数メートル先を走っていたトップの選手を抜き去りました。抜かれた選手は旭ランナーズの選手、長谷川徳夫さん(61歳)です。ところが、抜かれてから長谷川さんは驚異の粘りを見せ、20メートルくらいの差を維持しながらグランド勝負にかけます。小雨が降るなか懸命に追いかける長谷川さんと抜かれまいとスパートする吉藤さんに大きな拍手が送られました。年齢差50歳の対決、吉藤さんの勝利に終わりましたが、吉川区の駅伝の歴史に残る名勝負となりました。ちなみに、吉藤さんは区間第1位、長谷川さんは区間第3位でした(画像はゴール後の吉藤さんと長谷川さん)
 きょうの大会で私は、審判車に乗せていただき、全区間の競技を見ることができました。すばらしい大会でした。
 
 きょうは、駅伝大会で来賓として参加したのち、頸城区での議会報告会に出ました。上野議員の旺盛な日常活動を反映し、会には50人を超える人が参加してくださいました。道路や交通安全施設等に関する要望が相次ぎました。夜は、生活相談です。20代の青年に関する深刻な相談をお聞きしました。明日はまず、この相談で動かなければなりません。忙しい1週間が始まります。


2008年11月15日

チェンソーカービング作品登場

 午後2時過ぎ、河沢地内の市道を車で走っていたら、大きな看板のところに何かがあることに気付きました。看板は農地水環境事業を使って「環境にやさしい地域づくり」を宣言したもので、この間、設置されました。それだけでも、ニュースものだ、と思っていたのですが、きょうは看板のそばに素敵な「置物」が置いてあったのです。車を停めてみたら、何とチェンソーカービングじゃありませんか。夏の越後よしかわやったれ祭りで話題になったのに続いて、今度は、環境問題をアピールするものとして登場したのです。区内の看板のそばにチェンソーカービングの作品が飾られたのは初めてでしょう。それにしてもミミズクとクマ、とてもよくできています(画像)。なお、制作者は江村康成さんです。
 きょうは朝から大忙しでした。新聞配達、市政レポートの印刷、歌とコカリナのコンサート、党指導部の緊急会議と続きました。家に戻ったら、時計は午後10時半をまわっていました。


人間ドック

 昨日は午前中、人間ドックでした。体重は昨年のドックの時よりも増えているのではないかと思っていたところ、約1キロ減でした。前日、たくさん食べなかったせいかもしれません。ちょっとでも数字が落ちるとうれしいですね。でも安心できる状態ではありません。メタボの目安になる腹回りは10センチ近くもオーバーしていましたし、運動不足はコレストロール値に出ました。最低でも10分間くらいは歩いてください、休肝日は忘れずに。最後に保健指導で言われた言葉です。
 ドックから戻り、市政レポートを作成、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。そして夜は、吉川区総合事務所による㈱杜氏の郷問題の市民説明会に出席してきました。前日の党議員団の議会報告会同様、ここでも「これまで市の監査はどうだったのか」「私募債は返せるのか」「上越市が出資すると筆頭株主になる。仮に赤字になった時どうしていくのか」など質問、意見が続出しました。総合事務所では市としての方針が確定した後の30日、吉川区内3か所で説明会を開催していきたいとしています。
 ドックで下剤を飲んだら、お腹の状態が安定せず、昨晩は10時頃には眠ってしまいました。この頃、頑張りがきかなくなってきたみたいです。


2008年11月12日

このときを待っていた

 市役所へ行く時、必ず通る道に1本のイチョウの木があります。吉川区山方の敬徳寺の大イチョウです。この時期になると、いつ一番美しい黄葉になるか楽しみにしています。そして毎年、気に入った写真を撮ろうと構えているのですが、きれいに黄葉して最高の時となっても空は曇り空であるなど、なかなかいいチャンスはやってきませんでした。ところが、きょうは5年に1回あるかないかのチャンスがやってきたのです。もう説明はやめましょう。きょうの写真は「私の好きな風景」に掲載したものよりもよく撮れていますよ(画像)
 市役所では国保運営協議会を傍聴しました。12月議会提出予定の条例の一部改正や補正予算案について話し合いが行われていました。注目したのは、「その他」の事項で市が説明した国保の資格証明書の発行についてです。当市における国保加入世帯数は2万6374ですが、滞納が始まって2年くらいたっても納税相談に応じない世帯に被保険者資格証明書を出しています。その数、234世帯。このうち、子どものいる世帯数は18世帯です。被保険者資格証明書世帯では、保険診療扱いとなっても医療費は10割自己負担です。事実上、医者にかかれません。最近、「子どもが医者にかかれないことになっていいのか」という世論が高まっていますが、上越市では高校生までを対象に短期被保険者証を発行する予定であることを明らかにしました。一歩前進ではありますが、子どもの権利条例を制定した市の対応としては不十分です。党議員団で至急検討し、市当局に最善の対策を申し入れたいと思います。
 もうひとつ、きょうは市役所で興味深いビデオを見ました。先代の柳家小さん師匠と事実上の師弟関係にあった上越市在住の舞踊家との友情を描いた物語です。今年、ある民放で放映されたものだそうです。学生時代、小さん師匠のもとに飛び込んでいったものの、落語界のきまりのなかで弟子になれず、ふるさと直江津に戻って舞踊家になった青年が落語名人会を毎年地元で開催し、文化活動を推進していきます。その名人会には、毎回、小さん師匠の姿がありました。地元で金が集まらず、開催を断念しようとしたときもありました。師匠の病気が進み、医師から上越行きを強行すれば命の保証がないと言われたときも、小さん師匠は上越市にやってきました。命ある限り上越へ、弟子との約束を守るために。事実上の師弟関係にあったその人は何と現職の市議、佐藤敏さんです。胸が熱くなりました。


2008年11月07日

金曜日の資源ごみ当番

 今朝は携帯電話の目覚ましを使って起床しました。午前6時半から30分間、町内会の資源ごみ当番に遅れないようにするためです。私の地元の町内会では、水曜日と金曜日に資源ごみ当番があり、2か月に1回の割合で当番が回ってきます。前回は9月議会の最中の水曜日でした。水曜日は家庭において大量に排出されるプラスチックごみを出す曜日ですので、たくさんの人たちがやってきます。金曜日はというと、ビン類、缶類、ペットボトルです。これは、毎週大量に出ることはありません。だから、きょうは数人でした、ごみを出されたのは。きょうの当番では、アノラックを着用しました。時折、風が吹き、落ち葉が舞いました。いよいよ寒い季節到来です。

きょうは、朝のうちに市政レポートを作成、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金でした。明日は加茂市に出かけます。帰ってくるのは明後日の午前で、その日の正午には妙高市へ出発して翌日の朝、ホテルから市議会に直行します。日記は書けないかも知れません。

 


2008年11月04日

新米の 検査手伝う ご住職

 吉川区山直海(村屋)にある善立寺の前住職、山越祐英さんの葬儀が午前9時から行われ、参列してきました。山越さんはわが家とは長いお付き合いをしていただいた方です。すでに亡くなられているお連れ合いは、私の父と一緒に生命保険の仕事をされていました。そんなこともあって、私の祖父・音治郎の命日には、祐英さんにわが家に来ていただき、お経を読んでいただいていました。

 山越さんは気持のやさしい人で、世の中のすべての人を味方にしてしまうのではないかと思われるような人でした。面倒見もよく、大勢の人から親しまれていましたので、きょうの葬儀では、参列者は寺のお御堂に入れきれませんでしたね。檀家総代の蓑輪嶸さんが弔辞を読まれましたが、地域に住む人たちと暮らしをともにした様子をわかりやすく紹介されていて、いろんな思い出が浮かんできました。私が中学生だった頃、善立寺では源小中学校の先生方の宿をされていました。ある先生が下宿をされていた女性教師に惚れてしまい、恋物語が生まれたこと、祐英さんは源農協の仕事の手伝いもされていたことなど……。蓑輪さんは、源郵便局長だった山崎文治郎さんが数十年前に作られた俳句を引用されました。新米の 検査手伝う ご住職。いい句です。農協の倉庫でおだやかな表情をして仕事をされていた山越さんの姿が浮かびます。

 午後は党議員団会議でした。市議会報告の作成などで半日もかかってしまいました。予定した議会報告会用のスライド作りは明日に延期しました。よしかわ杜氏の郷問題、スクールバス問題などについて、どう報告するかを整理しないとなかなか前に進みません。

 夕方の6時半からは吉川区地域協議会と同協議会主催の市民との意見交換会に参加してきました。意見交換会はよしかわ杜氏の郷問題がテーマです。協議会委員や行政職員のほかに17人が参加しましたが、意見や質問をした人は原之町の町内会長さん1人だけ。ちょっと予想外でした。それでも、収穫がなかったわけではありません。町内会長さんの、「地域事業費から市の増資分を出すと吉川区の市民にどれだけの負担がかかってくるのか」「損失補てんした後で、また補てんすることがないようにする方策があるか」「マイナスの話もたくさん聞かれるが、協議会の皆さんは自分たちの(存続させたいという)思いをどう区内の人たちに伝えていくのか」という質問と協議会正副会長の答弁は13日に予定している党議員団の議会報告会のスライド作成の参考になりました。
 


2008年11月03日

市兵衛先生の49日法要

 「いや本当に申し訳ございません。こんなに大勢集まっていただいて……」そんな市兵衛先生の声が聞こえてくる感じがしました。地元の川谷地区の人々、源小学校時代の同僚、PTAの人たち、旧吉川町の町長、助役などが専徳寺に集まり、故中村市兵衛先生の49日法要が行われました。
 専徳寺のご住職のお経は何十回も聴いていますが、きょうのお経はいつも以上に張りがあって、お御堂に響きました。
 お経が終わって、元源小学校の教頭だった金子昭治先生が市兵衛先生の教育への思い、人柄などを数々のエピソードを交えて語ってくださいました。学校は子どもが中心、子どもがいて、地域の人たちがいて、教職員がいて学校がある。この先生の思いは、先生が作詞された源小学校児童会歌、「山百合会の歌」に盛り込まれています。元気で強く生きる子どもたち、がんばって成長する子どもたちになってほしい気持ちがよく伝わってくる詩です。この歌が出来上がった時、市兵衛先生は金子先生とともに作曲された竹内憲寿先生のところへお礼に行かれます。その時、お礼の印として持参されたのは、地元で採れた長い山芋だったといいます。京都東本願寺の再建に使う大きなケヤキ材を尾神岳中腹でソリで運んでいる際、雪崩が発生し27人が亡くなるという痛ましい事故がありました。明治10年3月12日のことです。このことをへき地教育活動に採り入れ、児童劇にして世間に広めた先生が当時の源小学校におられましたが、その時の校長が市兵衛先生でした。金子先生のお話に惹き込まれ、市兵衛先生を懐かしく思い出しました。
 きょうの法要では村屋の善立寺のご住職・山越さんも専徳寺の松村さんと一緒にお経を読まれました。山越さんのお父上が1日に亡くなられ、明日が葬儀です。そうしたなかでシャンとしてお経を読んでおられる姿にも心をうたれました。山越さんの葬儀には私も参列する予定です。


2008年10月25日

知事選結果に関心

 きょうは市政レポートの印刷をさっさとやり、朝の早い時間から「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金の予定でした。しかし、レポートの原稿を見直しはじめたところ、いくつかのおかしな文章に気づき、裏面については半分入れ替えることになってしまいました。この結果、1時間半くらい予定外の時間を使ってしまい、その分、ばたばたしました。
 「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金の際、何人かの読者から先日の知事選の結果をどう見るかについてきかれました。こちらから「この間はありがとうございました」と言ったこともありますが、「上越市はどうだったね。おまんたの考えているだけ行ったかね」などと関心を寄せてくださるのはうれしいですね。私からは「1万票を超えたのは善戦だったと思う。(県議選での)上野さんの得票も超えたしね」と答えさせてもらいました。「開票が旧市町村単位で行われればいいのにね」という声もありました。私としても、元新潟大学学長の長崎明さんを擁立して一騎打ちとなった知事選において、旧吉川町で40数パーセントを得票したことが頭にあります。あの到達点にどこまで接近できたか知りたいものですが、いまの制度ではかないません。
 配達は夕方遅くまでかかってやっと終わりました。集金はかなり残っています。明日はパンフ配布などの活動が中心ですが、集金も兼ねてがんばろうと思います。


2008年10月21日

歩いた歩いた

 めずらしく妻が車に乗って出勤しました。帰りに寄り道しなければならないところがあるというのが理由でした。おかげで私の方はテクテクです。私は、きょうは一日中、吉川区内でパンフレット配布を予定していました。配布した集落は、いつも協力者の方に配布していただいているところです。たまには私が配り、いろんな声を聞いた方がいいということで代わりました。午前、午後の合計で100軒を超える家庭に歩いて配布しました。秋晴れの中、バッグにパンフレットを入れ、対話しながら歩く。とても気持ちよく、活動しました。万歩計でもつけておれば、10000歩は軽く超えたでしょう。
 配布中に出会った人の中には、「県知事選、伸びたね。次は衆院選、がんばって」と激励してくれる人、「伸びたのかね。もう少し(票)欲しかったね」などと日曜日の結果について話す人たちが何人かいました。知事選についての関心はいまひとつでしたが、衆院選については関心が高まっている、と感じます。「小沢さんじゃ、論戦できない。共産党さんにがんばってほしい」と声をかけてきた人もいます。先日の志位委員長の予算委員会の論戦の影響はすごいですね。年配の人たちがテレビでの国会中継をじつによく見ていておられます。
 対話は政治の話だけではありません。押し花を楽しんでいる人とは、野の花をどう利用するかなどについて教えてもらいました。庭にたくさんのリンドウを咲かせている家もありました。リンドウはいまが花時です。私がときたま書く「春よ来い」について感想を寄せてくださる方も何人かありました。ありがたいことです。


2008年10月19日

吉川小学校文化祭

 市議になってから欠かさず参加している行事のひとつは吉川小学校の文化祭です。来賓として呼ばれていることもありますが、何よりも参加して楽しいし、学校での出来事を知ることができて勉強になるからです。そして、世間で流行しているにもかかわらず私が知らない世界をのぞくことができるのもありがたい。

 小学校の生活科の学習で動物を飼うところがありますが、吉川小学校でもヤギを飼い始めました。近いうちに豚もくるそうです。ヤギが来た時の感動を絵に描いた子どもがいました。ヤギの背中に3人で登って楽しそうにしています。よほど、うれしかったのでしょうね。朝顔を育てて90個もの花を咲かせた1年生たちは、音楽発表会で「手をたたきましょう」を歌いました。

 この夏、評判になった映画、「崖の上のポニョ」。2年生と器楽クラブがテーマソングを採用しました。2年生がポニョのお面をかぶり、楽しそうに歌う姿を見て、この映画が子どもたちに受け入れられたことが理解できました。2年生の歌と合奏では、竹で作った楽器が効果的な音を出しているのが印象に残りました。

 毎年感じることですが、絵も音楽発表(画像)も1学年から6学年まで、それぞれの学年の持ち味があり、どんどん成長していく様子がわかります。歌だけでなく手拍子をとり入れる。部分二部合唱をやる。完全な二部合唱にする。6年生の合奏「ラバーズコンチェルト」、二部合唱「つばさをだいて」になると力強さもあって、貫録十分でした。子どもたちは1年ごとにこれだけ成長していくのですから、われわれ大人たちもその半分のペースでも成長していかれればいいのですが、なかなかそうはいきません。

 音楽発表会でみんなが楽しみにしているのは恒例となった職員発表です。プログラムでは曲名も発表されておらず、何をやるのかみんな興味津々でした。教職員全員で「上を向いて歩こう」を歌っていったん引き揚げます。しかし、会場からは「吉川小学校はこれだけでは終わらないよ」という声が飛びます。まもなく、紙で作った鼻ヒゲをつけ教頭先生が登場。「きょうは3のつく数字と3の倍数でバカになります」と言って、数字を言うごとに顔の表情を変え、会場は爆笑の渦に。そこへ、今度は校長先生が登場し、「君は何をバカなことをやっているんだ。羞恥心はないのか(たぶん、こんな意味だったと思います)」と言って連れ戻す。そして登壇したのは若い3人の先生による、「羞恥心」の歌と踊り(画像)でした。会場からは手拍子が出て、もう最高潮でした。グループ名も歌も、私は初めて知りましたが、大流行した歌だったのですね。

 きょうも秋晴れでした。久しぶりに「私の好きな風景」に2枚の写真を掲載しました。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックして、トップページからお入りください。
 


2008年10月18日

楽しみながらできる満点健康法

 お昼の12時半頃まで「しんぶん赤旗」日曜版の配達とビラ配布をしました。昨日に負けないくらい晴れ、上天気でした。農家にとって、干したいものはいろいろあるんですね。ソバ、大豆、小豆だけでなく、イモ類なども並んでいました(画像)。家族総出で大豆落としをしている農家もありました。こうした光景は何回見てもいいものです。
 午後からはNPO法人よしかわたすけあいの「夢・スマイル広場」でした。今回はNHKの体操などでおなじみの輪嶋直幸さんの健康づくり講演です。「楽しみながらできる私の満点健康法」というテーマでの講演は、マイクなし。会場の参加者の中に入り、手を使ったり、頭を使ったりしながらの話は笑いの連続でした。10本の指を使った遊びというか体操はなかなかついて行けませんでした。右手と左手で同じものを出す時はまだいいんですが、違うと全然ダメ。まあ、せいぜい80代の人ならだれでもできるというレベルでした、私は。記憶を確かめる問いかけについてはまいりました。「昨晩何を食べましたか?今朝は?」との問いに何にも答えられなかったからです。ご飯と発泡酒は思い浮かんだのですが、おかずはさっぱり……。記憶力がここまで落ち込んでいるとは思いませんでした。一緒に出かけた妻いわく、「何という名前のおかずかわからんものを作ったもんね。適当に竹輪とか何とか言っておけばよかったのに」。
 きょうはビラ配布のおかげでたっぷり歩き、講演会で指と頭の訓練、疲れました。


2008年10月17日

イノシシそれともカモシカ?

 とうとうやってきたようです、うわさの動物たちが。わが家の牛舎周辺を歩いていたら、動物の足跡(画像)を発見しました。最初は子牛のものと錯覚しました。足跡の大きさは直径6、7センチほどで、ちょうど子牛の足跡と同じくらいだったからです。でもわが家には牛たちはもういません。となると、イノシシかカモシカだと思います。イノシシは近くの米山のふもとで農作物を荒らして大きな問題になっていますし、カモシカは吉川区の山間部だけでなく、六万部など平場の集落でも見かけたという人がいます。どちらがわが家の近所に来ようと不思議ではありません。彼らが来たのは恐らく夜でしょう。近くに糞が落ちていないかさがしましたが、ありませんでした。ま、いずれ正体は分かるでしょう。
 きょうは午前中に市政レポートを作成し、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達に出ました。一昨日、年金から後期高齢者医療保険料などが天引きされたこともあって、そのことで話しかけてくる人が何人もいました。みんな怒っているんですね。きょうはいい天気に恵まれ、何軒かの家では、小豆や大豆を落としたり(画像)、干したりしていました。


2008年10月16日

吉川区敬老会

 今年度の吉川区敬老会が長峰温泉ゆったりの郷ゲートボール場で午前10時半から行われました。吉川区になってからで数えると4回目です。
 今回から市の敬老会の参加対象者は75歳以上となりました。そのため、参加者は約280人となり、昨年と比べ150人ほど少なくなりました。例年より静かだと感じたのはそのせいでしょうか。送迎用のバスもこれまでの大型バスからマイクロバスになりました。
 式典では主催者を代表して中川副市長が挨拶しました。いつも力強い挨拶をすることで定評のある同副市長は、戦前から困難を乗り越え、地域の発展のために貢献されてきた参加者に感謝し、これからも頑張ってと激励しました。来賓代表として市議会の古澤副議長も挨拶しました。私も万歳三唱の際に一言のべさせてもらいました。昨日の日記に書いた半纏のことと、「おまんはおらちの親方だすけ、がんばって」と声をかけた時に父はほほ笑むことを例にあげ、そこには一人の人間としての価値を認めてもらえる喜びがある、という話をしました。思いつくままに語ったので、参加者の心に響いたかどうか。
 第2部のアトラクションは今回も踊りと歌が中心でした。ゆったりの郷の橋爪吉夫さんの元気な司会で、区内と糸魚川市の踊りのグループが登壇、見事な踊りを披露しました(画像)。毎回感心するのは踊る人たちの豊な表現力です。体全体で踊るのですが、目や指の動きひとつでいろんなことを表現できるものですね。歌では秋田県出身の歌手、榎春美さん(男性)が「高原列車」「達者でな」など懐かしい曲を何曲も歌い楽しませてくれました。
 昨日の午前と違い、きょうは朝から晴れ上がり、最高の日でした。敬老会が終わってからはビラ配布でした。ある集落へ行ったところ、敬老会に参加しての帰りに1軒の家でお茶を楽しんでいる6人のおばあちゃんに出会いました。そこには茄子の漬物やむかごをふかしたものが飯台の上に出ていて、私も仲間に入って楽しいひと時を過ごさせていただきました。


2008年10月15日

半纏いらないか

 一日、生活相談とビラ配布でした。ビラ配布は100軒ほど訪問したのですが、そこでまた、要望をお聞きする、そういうことが続きます。午前中はあいにくの雨、しかし、午後からは晴れ上がり、気分よく活動できました。対話ができた相手はほとんど高齢者です。近所の人たちとお茶のみをしている人たちが楽しそうでした。「半纏(はんてん)いらないか」と言ってきたのはあるおばあさん、親戚の80代の人が数着作って送ってくれたのだそうです。もらってくれる人がいると生きがいがある、との言葉が印象に残りました。
 夕方、父の様子を見てきました。昨日、いったん下がったはずなのに、再び熱があがり、リンゲルを打ってもらっていました。上がったり、下がったりの間隔が短いのが気になります。
 帰り道、月はまんまるで輝いていました。「こんなにいい月、じいちゃんに見せたいね」と妻は言いますが、見せることができるのはいまのうちかも。夜はぐんと冷え込むようになりました。


2008年10月13日

このままじゃ、おら、暮らしていかんね

 きょうもいい天気になりました。ただ朝晩は少し冷え込みます。パジャマは半袖から長袖にしました。わが家の周囲の景色も少しずつ変わりつつあります。木に絡みついたツタは赤い色になり、桜の木の葉も赤くなってきました。牛舎に至る道の周囲はセイタカアワダチソウが黄色に染めています。ミゾソバとヒメジソもがんばってきれいな花を咲かせていますが、セイタカアワダチソウの黄色に押され、なかなか目立ちません。
 さて、きょうは3連休最後の日。午前からお昼休みにかけてビラ配布をしました。県政も国政も身近なところから考える人が着実に増えてきているのを対話の中で感じます。事故米や後期高齢者医療制度は政治をいままで以上にひきつけ、政治の中身を変える必要性を浮き彫りにしてくれています。きょうも81歳だという女性が私の手を握り、「頼むでね。このままじゃ、おら、暮らしていかんね」。手はしばらく握りっぱなしでした。
 午後2時過ぎ、2日間行かなかった父の様子を見に、病院へ。夕方までビラ配布の予定でしたので気分転換も兼ねてのつもりでしたが、父は39度近い熱を出していてまったく元気がありません。帰ろうとすると「おい」という声を出します。10分くらいの予定がとうとう夕方まで付き添いました。熱は帰り際には少し下がりました。明日の朝には元気になっていてくれるでしょう。
 そうそう、大事なことをひとつ書き忘れました。午前はビラ配布前、千葉と埼玉の従弟たちがわが家を訪れ母の顔を見ていってくれました。自分たちの父親と血がつながっているキョウダイのことを心配してくれる、その気持ちがうれしい。


2008年10月10日

穀物を干す人があちこちで

 日中の最高気温27度。あまりに暑いので半袖シャツを再び着て動きました。きょうは、午前10時過ぎまで市政レポートを作成、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達を夕方までかけてやりました。天気がいい時は留守が多いのですが、きょうは、昔から「ババ殺し」と言われるような上天気でしたので、前庭などで大豆や小豆などを干している人が結構いましたね(画像は吉川区尾神地内で)
 夜は吉川区地域協議会でした。ケーブルテレビで事前に開催が知らされ、傍聴を呼び掛けていたこともあって、傍聴者は過去最高の9人にもなりました。注目の(株)杜氏の郷問題で地域協議会は、同社の存続を求める要望書を市長、市議会、JAえちご上越に提出することを決めました。要望書案の議論のなかでは、「地区住民の意見を聴く過程を経ないでいいのか」などの声もありましたが、最終的には全会一致でした。


2008年10月09日

新米

 昨日、山間部でビラ配布をしていて、新米を2升ほどいただきました。初めて田んぼでコメをつくってみたという人からです。田んぼは尾神岳のふもとにあり、水は山から湧き出ているものを利用しているとあって、どんな味か楽しみでした。
 そのコメを今朝、4合炊いて、さっそくご馳走になりました。今年、新米を食べるのは初めてです。ふっくらとして、きらきら輝いているコメ粒をながめ、炊きあがりの匂いをかぐ。口に入れてからはゆっくり噛み、味わう。おかずなしで軽く茶碗一杯を食べました(画像)。写真はフラッシュなしで撮影したものです。照明がいまいちのところで撮ったため、少し赤くなって見えますが、甘さがあり、とても美味いコメでした。
 昔ならまだ古米を食べている10月です。この時期に新米をいただくのは申し訳ないような気もしますが、うまかった。わが家のいま食べているコメは昨年とれたものです。あと30キロくらい残っていますから、新米に切り替わるのはまだしばらく先です。
 きょうも地元吉川区で活動しました。60代の農家の方が「農業についてとんでもないことを言ういまの知事じゃだめだ。農業のことがまるでわかっていない」と批判されているのが印象に残りました。


2008年10月08日

「あれー」の連続

 朝、地元町内会の役員の人から電話をもらいました。草刈の話が中心だったのですが、「今頃、竹の子出た」という情報ももらい、早速見てきました。何を勘違いしたのか、間違いなく竹の子(画像)でした。きょうも午前中、ビラ配布です。ある家を訪れた時、小さなため池に目をやったら、赤い花が咲いています。スイレンです。びっくりして、「おまんち、おもしいもん、咲いてるね」と話しかけました。その最中に、今度は近くの木から「ミーン、ミンミンミンミーン」。3日に吉川区の中心部、原之町で聞いたのが最後と思ったのですが、まだ鳴いていたのです。今年は秋の天候が安定していて、気温も高いので動植物はなかなか夏から抜けることができないのかも知れません。
 午後からは葬儀でした。青年時代、一緒に青年団活動をした仲間です。まだ62歳という若さでした。中学高校時代の同級生の人たちが大勢参列しておられました。


2008年10月07日

一日中、吉川で

 久しぶりに一日中、吉川区にいて活動しました。家庭の問題、災害対策など数件の生活相談とビラ配布が主な活動です。ありがたいことに、ビラ配布で訪問すると懐かしがって話が弾みます。テレビで質問の様子を見た、杜氏の郷はどうなるか、じいちゃんは大丈夫か、話の中で多いのはこの3つ。総括質疑で何回も登壇したこともあり、市議1期目よりもテレビで私の質問を見ていてくださる方は増えた感じがします。ある人に、「おまんがしゃべっていることはオラにもわかる。難しいことば全然ないし。がんばってくんない」とほめてもらいました。幸か不幸か知っている語彙が少なく、日常使っている言葉で語り、センテンスが短い。それが分かりやすさにつながっているらしいのです。きょうは行く先々で美味しいものもたくさんいただきました。もっと歩かないと、またまた太ることになりそうです。


2008年10月05日

越後よしかわ酒祭り、今回も大入り

 昨日の更新は午後3時過ぎでした。昼間に更新することはめったにないので、何かあったかと心配してくださった方もあったようです。理由は夜遅くまで私のパソコンから遠く離れたところにおり、更新できないことが明白だったからです。ご心配をおかけしました。
 さて、きょうは越後よしかわ酒祭りでした。天候は暑からず寒からず。曇り空だったものの、雨は落ちてこない。おかげで大入りでした。出店をされたみなさんは完売に近い状態だったのではないでしょうか。売れ行き抜群でしたね。メインの酒も、杜氏の郷の銘柄である天恵楽の純米酒、よしかわ杜氏の大吟醸がこのほど米国で行われたジョイオブサケにて金賞に入賞したこともあって、これまた大勢の購入者で賑わいました。
 お昼のオープニングセレモニーでは友好都市関係にある東京都荒川区の三島副区長さんや東京吉川会の関沢会長さん、新潟県内の酒造関係者などが登壇し、励ましの言葉をのべてくださいました。心から感謝します。来賓祝辞でびっくりしたのは荒川区三島さんの時でした。荒川区と言えば水泳平泳ぎで2つの金メダルをとった北島選手の地元です。北島選手を自慢した後、吉川でも金メダルとりましたね、とほめたのは米国での酒の金賞入賞でした。そして、三島さんは替え歌を歌い、吉川にエールを送りました。来賓祝辞で歌を歌った人を見たのは初めてです。
 酒祭りの会場は杜氏の郷の広場です。会場を回って思ったのは、吉川にはコメや野菜、農産加工品、天然のものなどが結構豊富だということです。おばけ南瓜を売っている人(画像)、山にあるアケビやツルを持ち込んで売っている人(画像)もいました。毎回、人気の餅つきは今年も人の山でした(画像)。今週閉校になった県立吉川高校同窓会の皆さんは、寮の看板、スポーツ大会の入賞カップなど記念のものを展示し、注目されました。これらは地域おこしに結び付けたいものです。会場では懐かしい人にも何人か会いました。息子たちの恩師のみなさんとは、酒の販売場でばったり。呉汁を飲みながら、思い出話や近況を語り合いました。祭りは、こういう交流ができるからいいですね。
 市政レポート1365号、「春よ来い」第99回を掲載しました。トップページからお入りください。


2008年10月03日

「思わぬ収穫」

 びっくりしました。まだミンミンゼミが鳴いていたのです。午後の4時近くだったでしょうか、吉川区の原之町商店街で聞きました。ミーンミンミンミーン。最後のミーンがものすごく長く感じました。きょうは10月で、朝は寒いくらいでしたが、日中は気温が急上昇、セミも「夏になった」と勘違いしたのかも。
 きょうは山間部で新聞配達とビラ配布活動でした。帰り道、普段通らない道を走らせたところ、「思わぬ収穫」がありました。山芋のむかご、サルナシの実、それとヤマボウシの実です(画像はサルナシとヤマボウシ)。ヤマボウシはわが家の近くにもありますが、赤い実を食べたのは今年はじめてでした。一緒だった仲間は生まれて初めて食べたらしく大喜びでした。こうなれば、アケビもと思ったのですが、これはありませんでした。
 夕方、時間をつくって病院まで行きました。父は昨日よりは少し良いようです。明日も終日、新聞配達と集金、ビラ配布です。


2008年09月28日

ゴーヤのお菓子

 とうとう上着を着ました。長袖シャツだけでは寒くてがまんできなくなったのです。暑さ寒さは彼岸まで。異常気象が続くようになっても、これだけは変わらないようです。
 きょうは午前中、山間部で「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金、午後からは父を見舞い、その後、議会の準備をしました。午前の活動では、2軒でお茶をご馳走になりました。そのうちの1軒では柿崎区へ転出された人と一緒でした。その人が持参されたというゴーヤのお菓子(画像)を初めていただきました。ゴーヤを細く切って煮て、砂糖でまぶして乾す。おそらく、そんな作り方だったのではないかと思いますが、ちょっぴり苦味があっておもしろい味のお菓子でした。くせのある味なので、好き嫌いがあるかもしれません。
 稲刈りは山間部でも最終盤を迎えています。精米した新米をトラックに載せて運ぶ光景も見られるようになりました。


2008年09月23日

話は弾み、元気もらう

 選挙への関心は確実に高まりつつあります。きょう、後援会ニュースの配布活動をしていたら、「いよいよ、後期高齢者(医療制度)も最後だね。もうひと押しだすけ、がんばってくんない」と声をかけてもらいました。知事選についての関心はいまひとつだと思ってきましたが、民主党議員の後援会に入っている人から、「泉田さん(知事)はかっこつけるけど、県民の暮らしのこととなるとひどい発言が多い」と聞かされ、実態について詳しいのでびっくりしました。
 午後からも山間部での後援会ニュース配布とポスター貼り出しでした。しばらく会っていなかったこともあって、話が弾み、一軒一軒回る時間がかかります。
 ある家では、介護の苦労話をたっぷり聞きました。ここの家のお父さんは、私の父と同じく、胃ろうの手術を受け、流動食を胃に流し込み栄養をとっています。金がかかるので自宅で面倒をみているというのですが、痰をしょっちゅう取ってやる必要があるのでたいへんだと言っておられました。3日3晩、ほとんど眠らずに介護したこともあるとのことでした。「たいへんだね」と言うと、「でも、父ちゃんに死なれたら困る。生きててもらわんと」と笑顔でした。
 会うといつもおもしろい話をして笑わせてくれるKさん。足腰がかなり弱って、ディサービスに通っています。「とうちゃん、元気かね」と言ったら、「おれよりも3つも若いくせに腰曲がって…かきくけこの『く』の字になっちまった。チンポコの頭がヘソにくっつくくらいだ」。大笑いでした。Kさんは父のことをよく知っていることもあって、父の現在の様子や昔話もしました。
 どこの家でも最後は、「がんばってくんないね。体、気いつけて」と励まされます。きょうの活動で元気エネルギーをかなりためることができました。
 そうそう、もうひとつ記録しておかなきゃ。きょうの23日になっても、ミンミンゼミがまだ鳴いていました。それと、山芋のイモゴがたくさんなっているのを見つけました。季節は夏と秋が一緒になっている感じです。


2008年09月20日

吉川区の稲刈りは全体の8割くらいまで進む

 きょうは朝から「しんぶん赤旗」日刊紙・日曜版の配達でした。県知事選、総選挙も間近ですので、会った人には支持をお願いするつもりでしたが、きょうは天気が良すぎて、何人も会えませんでした。天気は真夏に逆戻りです。気温は30度を軽く超えたのではないでしょうか。とにかく、暑くて、だるかった。
 しばらく、昼間、吉川区にいない日が続いたので、田んぼを見ると様子がずいぶん変わっています。コシヒカリの刈り取りは今週かなり進んで、黄色の稲穂でいっぱいの田んぼがまばらになってきました。吉川中学校の近くの田んぼは、吉川区でも早く田植えをする地帯ですが、ここではもう数枚しか残っていません(画像)。吉川区全体の作付面積のうちすでに8割くらい稲刈りが進んだように思います。
 きょうは稲作農家の何人かと対話をしました。肥料や農薬の高騰にもまいっているけど事故米には頭にきた、こんなことがあっては新潟米の評判が落ちる、との声が寄せられました。輸入しないでもいいミニマムアクセス米を輸入してきた政府農水省の責任も重大です。


2008年09月06日

燃料代の経営圧迫、3セクも

 きょうは土曜日。勤めに出ていて稲作をやっている人たちにとっては大事な日でした。「しんぶん赤旗」の集金に行っても稲刈りで留守が多く、なかなか進みませんでした。天気は午前中は安定していたものの、午後からは時々雨が降る状態に。田んぼで稲刈りをしている人たちは、午後からの天気には泣かされたようです。
 午後、第3セクターで仕事をしている人と会い、いまの経営状況について話を聞くことができました。景気の悪化でお客さんが年々減少していること、そのために経営側は苦労していることは承知していましたが、「今年になってからの燃料代の高騰にはまいった」という話は深刻でした。この人が務める会社では、施設で使用する燃料代だけで昨年度よりもおそらく600万円くらいは増える見込みだといいます。原油の高騰による経営悪化はいろんな分野で広がっていますが、改めて、そのすごさに驚きました。
 夕方、病院経由で妙高高原へ向かおうとしました。ところが、居眠り運転直前の状態となり断念しました。体を休めなさいということなのでしょう。


2008年08月31日

酒米・五百万石刈り取りはじまる

 昨日と違ってきょうは晴れ。30度を超える暑さとなりました。この日を待ってコンバインを動かし、刈り入れに入った農家が数軒ありました。私がコンバインを見たのは下町、片田、東寺の田んぼです。刈り取った跡を見ると、田んぼは思ったよりも乾いていたようです。
 刈り取っていた稲は酒米の五百万石です。見事に色づきました。刈り入れ前のきれいな田んぼ風景写真がほしくて撮りました。毎年のことですが、米山をバックに撮ると見事(画像)です。写真は吉川区大乗寺地内で撮影しました。
 夕方、「しんぶん赤旗」の集金で読者の方の所をまわったら、「読んだよ。みんな同じような体験しているんだね」など何人もの人から「春よ来い」の感想を寄せていただきました。発表したその日にたくさんの反応がある、こういうのは久しぶりでした。「もっと、どんどん書いて!」というありがたい声もありますが、なかなか書いている時間的余裕がないのが実情です。
 市政レポート1360号、「春よ来い」97回「姉と妹(3)」を掲載しました。左上の図をクリックしてトップページからお入りください。


2008年08月30日

室内運動会は笑いがいっぱい

 午前は防災訓練、午後は運動会、お昼休みの間に市政レポートを印刷するという大忙しの一日でした。きょうの訓練は大雨洪水警報が出ている時に震度6の地震がきたという想定でしたが、もし、現実となれば右往左往することになりそうです。土のう積み訓練などを見ながら、話題になったのは、最近の突発的な集中豪雨です。大地震の連続といい、突発的な豪雨といい、今年はこれまでと違ってきているなと感じます。それだけに日頃からの訓練が大事ですね。

 運動会は吉川区川谷地区の運動会です。あいにくの雨となり、体育館の中での競技となりましたが、盛り上がりました。運動会の開始は午後3時から。わずか1時間半ほどの運動会ですが、ボードレース、ビン釣り競争、早くいっぱいレース、飲み物レース、玉入れ、パンくい競争(画像)などの種目をやりました。私は飲み物レースで、苦手の缶チュウハイを一気飲みするはめになり、大苦戦。そのせいか、昨年うまくいったビン釣りもビリでした。そのうえ、パンくい競争で順番待ちの時に、会場にオニヤンマがすいすいとやってきたので、それを追いかけたらスッテンコロリン、爆笑の渦となってしまいました。でも、楽しかった。最高でした。

 今回もこの運動会、その後の反省会を、河田さん、小林さん、安田さん、内藤さんなど人間環境ネットの人たち、法政大学の人たちなどが地元の人たちと一緒になって支えてくれました。今年は、「I ラブマーク 吉川」と書かれたTシャツを着ての参加でした。また、やったれ祭りの実行委員の皆さんや太鼓の皆さんも昨年同様、駆けつけ応援して下さいました(画像)。こういう人たちがいるから、高齢化が進んでも地域行事を楽しむことができます。心から感謝です。法政大学関係者による「ゆい祭」、確か今回で6回目かと思いますが、これも盛り上がりました。単なる応援ではなく、自分たちも山間地集落の人たちから人間らしい労働と暮らしを学ぶ、この関係をつくってきた人たちの感謝の祭りです。祭りの最終場面で、若い人たちが次々と肩を組んで歌いました。この祭りもずっと続いてほしく思います。


2008年08月23日

地元集落の祭り

 代石と土底の祭りにゃ雨が降る。そう言い伝えられていますが、私の地元の代石(たいし)神社の祭りは、ぽつりぽつりと降るだけで何とか持ちました。
 祭りでは、昔は踊りがあり、他所の集落からもお客がありました。いまはその踊りがすっかり消えてしまい、踊りの代わりにやっていたカラオケすらやるところが少なくなりました。神主さんによる祝詞奏上などの儀式が終わってから、集会所(公民館)でお酒を飲む。それだけです。でも、同じ集落に住んでいて大勢が集まって親睦を深める大切な機会のひとつです。
 きょうはいろいろやることがありましたが、地元集落の祭りを最優先し、仲間にさせてもらいました。町内会長さんから、昨年の中越沖地震で傷んだ鳥居などが修復されたことが報告されたこともあって、地震のことや、稲の出来具合などが話題になりました。私に関しては、みなさんの最大の関心事は足の具合です。どうして手術することになったのか、どんな症状だったのか、いま、どこまで治ったのかなどいっぱい訊かれました。


2008年08月14日

同級生とお盆の交流会

 年に一度、お盆に集まって語り合う、遊ぶ。地元に住む中学校時代の同級生との交流会はすっかり定着しています。きょうは、その日。お盆に帰省している同級生にも声をかけて楽しみました。まずは吟田川(ちびたがわ)近くでイワナを食べ、ビール、ウーロン茶を飲み、近況などを語り合いました。今年は猛暑が続き、尾神岳から出る水も12度と例年よりも冷たいとか。でも、イワナの塩焼き、刺身はいつものように美味かったです。
 その後は尾神岳のパラグライダー基地まで登り、雨あがりの風景を見ました。大気中のチリがだいぶ流れ落ちて、遠くまで見通すことができました。雨で急激に冷やされた谷間からは白いものが立ち上り、とても素敵な風景がうみだされていました。野の花はこの時期、夏から秋に移行していきます。きょうの尾神岳ではツリガネニンジン、キンミズヒキ、ゲンノショウコなどの花がきれいでしたね。残念だったのは尾神岳の遊歩道を歩けなかったこと。足の具合さえよければ入ったのですが……。
 きょうは私は運転手。ウーロン茶でがまんしましたが、たまにはいいものです。


2008年08月13日

そうめん流し

 きょうからお盆です。区内の親戚やお盆前に行かなければならなかった家の何軒かを訪ねてきました。このうち、ある家では、庭でそうめん流しをやって楽しもうと、竹の準備などをされているところでした。もうすぐゆで上がるから食べていってと誘われ、ご馳走になってきました(画像)。この家では5人の孫さんが都会からやってきたばかり、そうめんを流す前から水遊びをするなどとても楽しそうでした。
 さて、夕方、というより夜、家族で墓参りに行ってきました。わが家の墓は20数年前まで住んでいた尾神岳のふもとにあります。いま住んでいるところから車で約15分ほどのところにありますが、着く少し前から雨が降ってきて、風もありました。蝋燭に火をつけてもすぐに消えてしまい、困りました。でも本当に久しぶりの雨、稲も畑の作物も大喜びしたはずです。


2008年08月10日

区内で住宅火災発生

 昨日、きょうと「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金でした。左足が本格的に膿み、医者から「安静にしているように」と言われたのに、たくさん歩いたことを反省しています。この2日間は仲間や家族の協力があったので助かりました。
 そうそう、昨日の朝、吉川区内道之下地内で住宅火災がありました。ちょうど、しんぶん配達中でした。車の前方方向に煙がもうもうと上がっているので、これは普通でないと感じましたが、案の定、火事でした。燃えた住宅はかやぶきの屋根にトタンがかぶされてあったため、消化活動は手間どりました。この住宅に住む2人は無事でした。
 数日前から撮りたいと思っていたホームページトップの写真、ようやく撮ることができました。コシヒカリが出穂した写真です。これまで、空は晴れていてもバックの尾神岳にもやがかかっていて、撮れませんでした。


2008年08月04日

中越沖地震の影響、いまも?

 市役所で原稿を書いていたら、吉川区内の市民の方から電話が入りました。電話の内容は、山間部で横井戸の水が出なくて困っている家がある、どうも昨年の中越沖地震の影響らしい、何とかしてやってほしい、というものでした。すぐに総合事務所の担当グループに連絡したところ、水を運ぶなどの緊急措置をとってもらいました。この家は昨年秋にも同様のことがあったのですが、地震によって井戸水の「水の道」がつぶされてしまったようなのです。わが家でも、牛舎の縦井戸はいまも出ません。水道があるからいいものの、水道のない地域では深刻な問題です。もし地震被害ならば、抜本的な対策をとってほしいものです。


2008年08月02日

第10回越後よしかわやったれ祭り、盛り上がりました

 中越沖地震があったために2年ぶりに行われた「越後よしかわやったれ祭り」、すごい盛り上がりでした。参加者は軽く千人を超えたのではないでしょうか。中央のステージ脇から見た感じですが、参加者の多くは子どもと若者でした。
 今回の祭りは10回目、節目の祭りでした。毎回、新たな工夫があって、参加者が増えていく。実行委員会の皆さんの努力には頭が下がります。最近ブームになってきているチェンソーカービング、俵に入った米の重量当てクイズ、米俵神輿などいずれも注目を集め、話題になりました。メインの稲穂竿灯(画像)は500基にもなりましたが、ペットボトルを使った竿灯の「根本」には刈ったばかりコシヒカリの茎が束になってまかれていました。子ども神輿は増えて7つの子供会が参加しました。これは今後、どんどん増えていく、そう思いました。
 「越後よしかわやったれ祭り」は吉川で生まれた手作りの新しい祭りです。今晩は、足の手術後、初めてアルコールを飲み、酔いました。神輿をかつぎ、練り歩く人たちの姿を稲穂竿灯のそばで見ていた時、竿灯に下げられた短冊(画像)の言葉が目に入りました。「越後よしかわやったれ祭り 私たちが大人になっても続いていますように」と書いてあるじゃありませんか。胸が熱くなりましたね。


2008年07月28日

議員団会議、そして地域協議会

 朝、妻を職場に送ってから父が入院している病院へ。きょうは朝と夕方の2度病院へ行きましたが、相変わらず熱は高いままでした。これでもう4日ほど高い熱が続いています。これまで熱があっても「大丈夫だ」と言っていた父も今回ばかりはきついらしく、「じいちゃん、たいそかね?」と訊くとゆっくりと首を縦に振ります。夕方からは再び点滴をしてもらっています。額は熱く、水枕をしてもらっいるくらいなのに、どういうわけか足や手は冷たいのでびっくりでした。

 きょうは久しぶりに議員団会議をやりました。11日に予定している農業委員会幹部の皆さんとの懇談会の準備、明日の総務委員会や11日の文教経済委員会で審議される課題にどう対応するかなど短時間で整理しました。合併前上越市の区域に地域自治区を導入する課題については、市議選後の総務委員会としては初めての本格的な議論となります。行政側の案では、来年の3月には条例の一部改正を行い、来年秋に予定されている市長選と合わせて地域協議会委員を選任したい意向です。

 夜は吉川区の地域協議会でした。新メンバーになって3回目の協議会です。「公の施設の統廃合計画(案)」に基づいて、六角山リフト、旭地域生涯学習センター(校舎棟)については来年度から廃止したいという市長の諮問について審議されました。賑やかな議論となったのは旭地域生涯学習センターです。撤去費だけでも3987万円もかかるので当面は壊さないでおくという説明に、「廃止後、確実な安全管理をしてほしい」「耐震面で問題があっても条件付きで貸出できないか」「プールはどうするのか」などの質問や要望が相次ぎました。自主審議事項のなかでは、今春閉校されたばかりの吉川高校跡地について総合事務所から説明がありました。県では利用計画がないこと、土地建物は一括処分する方針であることなどが説明されましたが、「体育館だけでも利用できないのか。もったいない」などという声があがっていました。「一括処分」にこだわると、まったく手つかずのまま推移していくことになりますが、それでいいのでしょうか。


2008年07月27日

上越地区消防大会

 上越地区の3市の消防団が集まって各種訓練を行う大会が吉川小学校のグランドで開催されました。合併前からずっと行われていた大会ですでに40数回になるといいますから、吉川区での開催は2度目かも知れませんが、1回目については、私の記憶には残っていません。団単独訓練はポンプ操法、部隊訓練の2つでしたが、地元原之町などの住民が加わっての訓練は避難訓練、救助訓練、消化訓練、炊き出しと盛りだくさんでした。AEDを使った訓練(画像)は関心が高かったですね。

 私は来賓席では消防団単独の訓練をみました。テントが張られた来賓席は最後列でした。真夏の太陽が背中に直接あたり、厳しい暑さでしたが、時折、西の野球場側からいい風が流れ込んでくれました。これはありがたかったですね。テント内は市議が20人ほど同席していて、いろいろ質問されたので、グランドが谷間の田んぼであったことなどについて説明しました。地元吉川方面隊が部隊訓練で1位の成績をおさめた時には、「いかったな」と声をかけてもらいました。また、炊き出し訓練で出されたおにぎりは、「うまいコメだ」と大好評でした。

 大会が始まる前、木原上越市消防団長と言葉を交わす機会がありました。先日の市長点検では言葉を交わす機会がつくれませんでしたが、きょうは私の地元開催ということで、短時間でしたが、話をすることができました。同団長には昨年の震災や私の地元集落で発生した行方不明事件でたいへんお世話になった経過があります。とくに行方不明事件では毎日吉川に来て心配してもらいました。お礼を述べ、近況を報告させていただきました。たいへん人懐こい方で、「なんかあれば、いつでも来ますよ」と言われたので、「来てもらうことがなければいいんですがね」と言って笑い合いました。


2008年07月14日

吉川区内の2級河川を視察

 昨日は本当に運が良かったと思います。一昨日の荒れ模様ときょうの激しい雷雨の間にさわやかな晴れがあり、そこで体育祭があったのですから。
 きょうの午前は上越地域振興局の白石地域整備部長、棚橋治水課長がこられ、吉川区内の2級河川の視察をされるということで、それに同行しました。視察箇所は玄僧川の道之下地内、吉川の東田中地内、入河沢川の河沢地内、平等寺川の泉谷地内、大出口川の泉地内などです。白石部長は東田中地内の状況を3年前にも見ておられますが、柳の木の生長のスピードが速いのにびっくり、「いまのうちだね、手を打つのは」。きょうの視察箇所の中で草木が一番大きくなっていたのは、入河沢川の河沢地内(画像)でした。「こりゃ、業者を入れないとだめだ」と言っておられました。白石部長などからは先日の合同陳情の際にも区内の河川を見ていただいています。先日視察していただいたところも、きょう視察していただいたところも、いずれの箇所も大雨になれば、水害の誘因となるところです。早急に手を打ってほしいものです。
 午後からは党議員団会議でした。第6回中央委員会総会幹部会報告を受けて、今後の活動をどうすすめていくか、議員団ニュース、市議会報告をどう編集していくかなどについて話し合いました。会議中、何度も落雷があり、激しい雨も降りました。梅雨明けはいつになるのでしょうか。


練習したチームは強い

 昨日は吉川区体育祭、くびき野地域問題研究会と続き、深夜に帰宅しました。体育祭は昨年に続き、屋外での開催となりました。一昨日までの梅雨空はどこかに行き、青空が広がりました。時折、さわやかな風がグランドに流れて、最高の体育祭日和でしたね。参加者も次第に増え、会場の吉川小学校周辺の駐車場は車でうまりました。ある町内会長さんが「例年の倍は来たね。とにかく大勢だった」と言っていました。

 体育祭では本部テントでずっと競技を見学させてもらいました。地域対抗競技は玉入れ、綱引き、大玉・小玉おくり、障害物リレー(画像)の4種目。7つの地域づくり会議のチームのなかで群を抜く強さを発揮していたのは源地域づくり会議でした。本部テントのなかでも、この強さが話題になりましたが、この日のために9日と11日の2度にわたって練習を重ねてきたのだそうです。練習には選手メンバーの100%が参加したわけでもないけど、みんなで力を合わせて勝つ訓練をしてきたチームはやはり強かった。

 夜は市民プラザでくびき野地域問題研究会の報告と講演会(画像)でした。京大の岡田知弘先生とは約1年ぶりの再会でした。岡田先生の講演テーマは合併後のまちづくりをどうすすめるかです。いつも興味深い話の展開とデータの紹介があるので引きつけられますが、今回もそうでした。「合併の動きはまだ終わっていない」「あらたな地域間格差が広がりつつある」「民間化推進政策の中で、周辺部を中心に住民の生存の危機が広がっている」などの指摘に注目しました。今後のまちづくりをどうするかについては、①まちづくりの目的を明確に、②合併に伴う必然的な影響を予め把握しておく、③失敗例から学ぶ、など5つのポイントは参考になりました。

 後援会が終わってから、直江津の居酒屋で岡田先生を囲んで何人かで懇談会をやりました。私も執筆に参加した『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)出版のご苦労さん会も兼ねての開催でした。「新潟日報の山村集落の連載ルポもよく調べて書いている」「道州制の案がいくつかでたけど、いずれの案でも新潟ははずれ」「地方新聞各社は会社の存続にもかかわる問題なので多くは道州制に反対している。新潟日報はどうなっているんだ」「町内会は自治組織なのに町内会長が市からの仕事をうけているので下請け機関化しているのではないか」など、話題は転々とし、議論が賑やかになり、お開きになったのは12時過ぎでした。


2008年07月11日

〝笑って交流〟社会参加いきいき推進大会事業

 早朝に起きて市政レポートづくりをしました。しばらく表面しか作っていなかったのですが、今回は久しぶりに表も裏面も書きました。9時半には印刷まで含めて終了させねばならないという時間制限の中での仕事でしたので、きつかったですね。記事の内容は、ほとんどこの日記をベースにして書いています。今回は自治基本条例施行記念フォーラムの様子、年金者組合の市長への申し入れなどを書きました。
 10時からは〝笑って交流〟社会参加いきいき推進大会事業に参加してきました。料理研究家の井部真理さんの「地産地消による高齢者の健康献立」という講演では、「人間の歯は草食のための臼歯が一番多い」「草食動物はやさしいが、肉食動物はおっかない」「地場産野菜の価値は採ってから早く食べられること、栄養価が違う」などの話が新鮮でした。午後からは社団法人長寿社会文化協会のインストラクターによる高齢者疑似体験とNPO運動の理論家として有名な田中尚輝さんの講演でした。高齢者疑似体験では、足、腕、目に障がいがある状態にして歩いてみました。平らな所を歩いている時はどうってことないと感じていましたが、階段を降りる時に怖さを感じました。手すりがあるかないかは重要ですね。
 このところ、わが家のファックスがうまくありません。受け付けるものと受け付けないものがあるのですが、その違いが何によるのかわかりません。来週には、いまのものとは違う機種に入れ替えてみようと思っています。

 


2008年07月09日

やまぎし農園のトマト、今年も評判上々

 どうしてこんなに甘いのか。美味いのか。長年、野菜をつくってきた農家ですら絶賛するトマトが吉川区にあります。大乗寺のやまぎし農園のトマト(画像)です。
 農薬の使用は最低限にする。苗の段階から微生物が活躍している。水分補給はひかえ、トマト本来の力を引き出すようにしている。1個1個のトマトは重く、真赤。私が耳にしているのはこれくらいですが、一度食べたら、自分の家の畑で栽培していることも忘れて買ってしまいます。
 いまや、吉川区の名物トマトとして広く知られるようになりました。きょうも、市役所のある職員さんに会ったら、「この間、吉川区の友だちからトマトをもらったけど、本当にうまいですね」と言われました。吉川区在住の人たちが土産としても使っているようです。
 やまぎし農園の電話番号及びファックス番号は、025-539-3033。
 メールアドレスはymgs@valley.ne.jp
 全国どこにでも発送しています。


2008年07月06日

タオルの出番

 とうとう今年もタオルの出番がやってきました。どこへ行くにもタオル持参、汗をふきふき、活動する。家では、首にタオルを巻いて原稿を書く。このスタイルが暑い夏を乗り切るには一番です。それにしても、きょうは暑かった。
 きょうは午前中、「しんぶん赤旗」の集金活動でした。1か月ちかくご無沙汰していた読者のみなさんのところへ顔を出したので、どこでも話がはずみ、集金はなかなか進みませんでした。
 途中、セミの鳴き声が車の中に飛び込んできました。おそらく、もっと前から鳴いていたのでしょうが、私にとっては初めて聞く夏ゼミの声でした。
 午後からは市長による消防点検でした。


2008年06月30日

直江津図書館等整備で緊急議会報告会開催へ

 午前中は議員団会議でした。直江津図書館・社会教育館整備事業についてどう対応するかの議論をする中で、緊急議会報告会(案内文)を直江津地区と高田地区、それぞれ1か所開くことにしました。主催は党議員団です。4日に臨時議会が予想されるので、3日に開催します。場所と時間は市民プラザで午後2時から、直江津のレインボーセンターで午後7時から。きょうもいろいろな意見が入ってきているので、どんな人たちが参加してくださるか楽しみです。ただ、困っているのはこの緊急議会報告会のご案内が十分できないことです。トップページに案内文のPDFファイルを掲載してあります。これを緊急に広げてくださると助かります。

 夕方からは吉川小学校において、市教委と保護者側との間で通学バス制度統一についての意見交換会(画像)がありました。保護者側からの参加者は小中学校合わせても、わずか20人ほどでしたが、参加者からは意見がいくつも出て、活発な意見交換となりました。「アンケート調査で市が全額負担すべきという声が多数となった場合、その準備の気持ちがあるか」「3キロ未満という切り方をしないことを確認できて安心した」「負担はやむをえないと思うが、たいへんにならない配慮をしてほしい」「(いまの無料は)学校統合の条件であったことを重視して無料を続けてほしい。補助を出しているとか、援助しているという考え方はおかしい。通学距離が遠いからバスに乗っているだけだ」。今回の意見交換会は1回目で、今後、地域協議会や議会で結果を報告した後、2回目を行うとのことでした。意見交換会の開催日について注文の声がありました。PTAがあるときとか、みんなが集まれる時に開いてほしい。その通りですね。吉川区の現行の制度は新上越市内でもいい水準なので、これを維持できるようにがんばりたいと思います。

 なお、合併協議では、①平成21年度までの5年間は現行どおりとし、平成22年度から新基準(距離・補助率)を作成し、適用する。②補助対象距離は上越市に統一することとし、地域事情を考慮した教育長の判断による特例を認める。③距離計算の起点は集落の中心地からとする。④スクールバスについては必要なものは継続する、となっていました。


2008年06月22日

消防演習

 上越市消防団吉川方面隊の演習の日でした。午前7時半からのかけつけ放水は原之町の場々谷池で行われました。次号の市政レポートで放水の模様を写真で紹介するつもりででかけたのですが、支度に時間がかり会場に着く10秒前に「放水やめ」。こんなことなら遠くで写真に撮ればよかった。8時50分からは吉川中学校グランドで機械器具の点検(画像)、規律訓練、ポンプ操法等の訓練です。そう暑い日でもないのに、消防団員が3人も具合を悪くしたのには驚きました。たぶん、前の日の疲れが残っていたのでしょう。

 吉川方面隊の演習は合併前の吉川町消防団の演習を引き継いで行われています。今年で4回目。町消防団時代と比べれば簡素な演習ですが、たびたび発生する地震や水害などでの頑張りが求められているだけに、こうした訓練は大事だと思います。昨年は中越沖地震とその後の行方不明者の捜索で消防団の人たちと一緒に活動しました。地域防災の最前線で若い人たちが頑張っていてくれるから、地域住民は安心して暮らすことができます。点検者や来賓の挨拶では、昨年の消防団の活躍に感謝の言葉がありました。今年は梅雨前線豪雨がやってこなければいいのですが。

 来月6日は、市役所近くの駐車場で上越市消防団の点検、そして27日には、上越地区の消防大会が吉川区で行われます。昨年お世話になった消防団長さんなどと再会できることと思います。しばらく、消防団関係で動くことが多くなりそうです。


2008年06月19日

一般質問初日は盛りだくさん

 直江津図書館・社会教育館整備事業が追加議案に盛り込まれることになりました。これは今朝の議会運営委員会で明らかになりました。具体的に言いますと、この事業の費用が計上された一般会計補正予算が24日に提案され、27日には財産取得の議案が提案されます。24日に提案される議案についての総括質疑の通告は明日まで。私は党議員団を代表して今議会で2度目の総括質疑に立ちます。場合によっては、27日に3度目の総括質疑をしなければなりません。今晩は、久しぶりに書きたいと思っていた「春よ来い」の執筆もやめて、質問準備をしました。

 きょうは一般質問の1日目でした。32歳の新人、中川幹太議員が本会議で初質問を行いました。テレビ放送にかかる負担格差解消を訴えた質問は、ほとんど原稿を見ることもなく、落ち着いて、じつに堂々としたものでした。彼の質問する姿を見ながら、私の町議としての初質問を思い出しました。当時28歳。3回できる質問を、上がったのでしょうか、2回でやめてしまったら、後の席にいた社会党(当時)の杉田惣平議員が「橋爪さん、もう1回質問できるんだよ。もったいない」と声をかけてくれたものです。中川議員の頑張りを見て、樋口議員は、「新人でなく、中人(ちゅうじん?)だね」と言っていました。ベテラン議員にも大きな影響を与えるでしょう。

 夕方、父の入院している病院へと急ぎました。午後4時頃から手術(といっても大げさなものではなく、胃に穴を開けて管で流動食を入れるようにするもの)をすることになっていたのです。妻が午後から休みをとって手術に立ち会ってくれたので、心配してはいませんでしたが、やはり気になります。胃ろうの手術は入院して2度目です。手も足もやせ細って、血管も細く、もろくなっている中で、生きていくためにはどうしても必要な手術でした。病院に着くと、「メール送ったんだけど、無事終わったよ」と妻が待っていてくれました。数日前、父が、「おい、とちゃ、(家に)帰っていっぱいやろさ」と言いました。酒をしめしたガーゼくらい、かませてあげられればいいのですが。

 病院を出てから、吉川区総合事務所へ急ぎました。「まちづくり吉川」(まちづくり団体)の呼びかけで、今後のまちづくりについての意見交換を行うことになっていたからです。私は会の終わるちょっと前に到着し、尾神岳のふもとにある遊ランドでの懇親会に出させていただきました。吉川高校同窓会の小林会長さんや東京吉川会に参加しているメンバーなどと飲みながら、吉川区の将来について楽しく語り合いました。出された料理の中に、ほうの葉に包まれた寿司(画像)がありました。先日も、ほうの葉でつつんだ赤飯を食べたばかりです。葉の匂いがなんともいえない懐かしさを感じさせてくれます。味も良かった。


2008年06月08日

地区別懇談会

 総合事務所が主催する地区別懇談会が昨日、きょうと2日間開かれました。この懇談会は旧吉川町時代から毎年行われていて、総合事務所がその伝統を守っています。その年の吉川区関係の予算などを担当グループ長が説明し、住民と懇談する。1会場あたり約1時間から1時間半をかけ、2日間で7会場回っています。私は昨日は参加できませんでしたので、きょうの3会場での懇談会(画像は東田中地区懇談会)に参加させてもらいました。住民からは、「市道の草刈は遅い。いつからやるのか」「経営安定対策の担い手要件が緩和されたということだが、説明してほしい」「市道の路面の修繕を4、5回やってもらっているが、じきにまたへこんでしまう。抜本的な対策を」「三セクの経営で損失補償の話が出ているが、休業、民間への売却などは選択肢として考えられないのか」などたくさんの質問や意見が出ました。懇談会参加者は約80人。各地でいろいろな行事があって、参加者数は少なめでしたが、こうした懇談会を開催し、住民の声を一つひとつ拾い上げていくことはとても大切なことです。

 市政レポートNO1349号を掲載しました。トップページからお入りください。左上の「小さな町の幸せ通信」をクリックすると入れます。


2008年05月27日

第1回吉川区地域協議会

 改選後初の吉川区地域協議会がありました。定数16人のうち、これまでのメンバーは5人、あとはすべて新人です。どんな雰囲気になるのかと注目しながら傍聴させてもらいました。最初の自己紹介のときから、自由に伸び伸びと語るところがあって、とてもいい感じでした。新しく選ばれた会長さんは矢沢源一郎さん、一人ひとりの意見を尊重してやっていきたいと抱負を語りました。副会長は山岸晃一さんと岩井栄子さんです。山岸さんは、「たいへんな重責を担うことになった。会長の後に付いて背中を押していきたい」、岩井さんは、「今回一番うれしかったのは女性委員が5人になったこと。副会長はしんどいと思うが、一生懸命務めさせていただく」と述べました(画像)。きょうの協議の中心は地域協議会の運営と地域協議会だよりの編集でしたが、率直な意見が次々と出て、とても活発でした。今後が楽しみです。

 きょうは久しぶりに本屋をのぞきました。目当ては岩波新書です。市内では高田の春陽館書店が岩波書店の本をバッチリそろえてあるので行きたかったのですが、時間がなく、市役所の近くで間に合わせました。目に入ったのは新刊です。『介護』(結城康博著)という新刊のサブタイトルは、「長生きはするなということか」。父のこともあり、これはぜひ読みたいと買い求めました。また、湯浅誠さんの『反貧困』は、私がいま注目している非正規労働者の問題解決のためにも買って勉強しておきたいと思いました。もう1冊はマンガです。西岸良平の『三丁目の夕日』(続映画化特別編)を求めてきました。本当は映画を見たかったのですが、時間がなく見ることが出来ませんでした。それでマンガで楽しもうというわけです。これから布団の中で読みます。

 明日は郷土料理を楽しむ会です。たまには家には帰らず、高田の町でゆっくりしたいと思います。ということで、明日の日記は休みます。


2008年05月25日

室内運動会

 雨が降っても生き生きと頑張る。きょうの吉川小学校の運動会は、雨のため、吉川体育館で行われました。グランドと違って、動き回る範囲が狭かったものの、子どもたちはその条件の中で全力で競技をやっていました。おもしろいことに、体育館という限られた空間では音が大きく聞こえます。ちょっとした溜息も、応援の言葉もしっかり聞こえます。応援合戦の時の歌声は飛行機の爆音までは行かなかったけれどすごい迫力でした。競技をしている子どもたちの姿が間近で見られるのも室内ならではです。親子騎馬戦(画像)では、目の前で帽子を取り合う姿も見ることができました。親子一緒の競技は楽しそうでした。それにしても五色綱引きレースは激しい。

 きょうは日曜日でしたが、生活相談も2件あり、忙しい日となりました。このところ、相談は高齢者の方からのものが多くなっています。高齢になって田んぼ仕事ができなくなった、何とかしたい。役所からくる手紙を読んでもよくわからない。説明してほしい。若い世代の人と同居していれば、「これは、どうすればいいがだ」と声をかけ、それで解決するケースもあるでしょう。でも、それができない。日常生活のなかではいろんなな心配や不安が出てきます。そんな時に私の顔を見れば、話をしてみたくなるのだと思います。私のような者でも役に立つなら、大いに声をかけてほしいと思います。

 市政レポートの最新号をアップしました。ご笑覧ください。市政レポートはPDFファイルで掲載していますが、開けない場合は、読みたいファイルの上にポインタを乗せ、右クリックして「対象ファイルを保存する」を選択してください。デスクトップなどにいったん保存して、そこから開くと簡単に読むことができるはずです。4月の市議選のビラなどを掲載してほしいという要望もいただいています。近いうちに後援会ニュース、民報などを載せますので、お待ちください。


2008年05月24日

久々の雨で農家は喜んだ

 午後3時頃からポツポツと落ちはじめ、夕方には降る音がするほどの雨になりました。ほんとうに久しぶりの雨です。この5月は晴れの日が続きました。行楽には良いのですが、困ったのは農家の人たちです。「畑ものをするにも雨が降ってくれないと…」「まだ代かきができない。このままだと平成6年の干ばつみたいになるんではないか。田植えできるかどうか心配だ」などといった声が聞こえてきていました。この降り方で水不足が解消されるようになるかはわかりません。明日まで降り続け、まとまった量になってくれればいいのですが。

 きょうは千葉、埼玉から従兄弟たちが父の見舞いに来てくれました(画像)。ありがたいことです。朝3時半に出て、大島区の親戚をぐるりとまわって、病院へ。父の状態は安定傾向にありますが、機嫌のいい時もあれば悪い時もあります。きょうは調子が良かったのか、うれしそうでした。従兄弟たちとは、病院の待合室で、ゆっくり話をすることができました。刷りたての市政レポート改訂版を持参したことから、印刷機のことやこの日記のことなど楽しい話が続きました。日帰りでなければ、どこかで湯につかり、ビールでも飲みながら話を続けたかったなぁ。

 ここのところ、「しんぶん赤旗」の配達はとても時間がかかります。選挙のことや、市議会の様子などで話が弾むからです。きょうは、国民年金の加入状況の確認の手紙や市役所からの布団丸洗い・乾燥の再申請手続きなどで相談してくる人が何人かいて、その対応もしました。もちろん、お茶もご馳走になりながら。山の竹の子の煮付けや沢菜(サワナと呼びます。ミズナとも言います)の粕漬けもいただきましたよ。


2008年05月22日

市道調査続行

 暑い日でしたね。特に車に乗って動いている場合は、窓を開けるか、冷房を入れるかしないとがまんできない気温の高さでした。こうしたなか、4時間ほど区内の市道を中心に見て回りました。選挙カー並みにゆっくり走り、路面状況、安全施設、修復作業が終わったところはその状況などを観察します。すでに地域から要望のあがっている場所もあります。こういうところは降りて確認することにしていますが、結構時間がかかります。きょうは路肩のひび割れ(画像)、T字路における側溝のふたの破損(画像)、歩道の陥没などを記録してきました。区内全体を回るにはもう半日くらい必要です。

 


2008年05月13日

久々にビラ配布

 朝から3集落で赤旗号外の配布をしました。ビラの中身は後期高齢者医療制度の廃止を訴えたものです。どこの家でも、「よかったね」と選挙結果を喜ぶ声を聞き、気持ちよく配布活動をすすめることができました。「おら、心配で眠らんねかった。もう共産党がどうのこうのという時代じゃないね。暮らしが一番」と言ってお茶をご馳走してくださったのはNさん、独り暮らしの方です。Nさんからは緊急通報システム、安否確認センサーを見せてもらいました。

 午後からは党県委員会川俣副委員長を講師に議員活動についての学習会を議員団でやりました。「地方議員全国会議」の報告をもとに、「議員活動論」を実践的に学ぼうと4人とも真剣でしたね。「そもそも党の議員の任務とは何か」「議員活動でぜひ頭においてほしい7つの提案」など2時間余りにわたって学習しました。川俣副委員長は福島富さんが県議だったころに県議団事務局にいた経験がある人です。「バクロの質問か、要求を具体的に前進させる質問か明確にする」「担当者からよく聞いて、答弁内容や行政の論理を事前に把握する。二の矢、三の矢を準備する」など福島元県議から学んだという質問準備の仕方や工夫の話は興味深いものでした。

 きょうは緑が美しい日でした。ビラ配布の時に偶然一緒になった社会福祉協議会の職員さんと田植えの時期の見事な景色について話をしたら、無性に風景写真を撮りたくなりました。お昼休みの時間帯に、大潟区と頸城区の田園地帯を車で走り、何枚かの気に入った写真を撮ることができました。「私の好きな風景」にそのうちの1枚を掲載しましたので、ご笑覧ください。


2008年05月10日

「しんぶん赤旗」日刊紙の学習・党活動版に上越市議選のことが掲載

 今朝は「しんぶん赤旗」日刊紙の配達当番でした。大潟区にあるポストに取りに行き、きょうは、まず、学習・党活動のページをめくりました。というのは、先の市議選についてこのページで大きく報道してもらったからです。定数1、2の選挙区でどう勝利したかをリアルに伝えてあります。この記事を書くために、赤旗記者が何日も上越市に滞在して取材していました。原稿(案)ができると、現地の党組織にもみてもらってさらに練る。そうした過程を経て掲載されたものだけに、じっくり読みました。集落懇談会の取り組みなどを飾ることなく書いてあるので、「これなら、うちでもやれる」と思っていただけるのではないでしょうか。

 さて、話はがらりと変わって、田んぼのことを少し……。吉川区ではすでに田植えが始まっています。きょうは賑やかでしたね。あちこちの田んぼで田植え機が動いていました。田植えは当初の予定よりも少し早くなっていますが、最近の高温で苗が急速に伸びていることや台風が近づいていることが影響したようです。うれしく思ったのは河沢での田植え風景です。機械に乗っている人、苗を運んでいる人、軽トラで移動している人など作業にあたっているメンバー、いずれも30前後の若い人たちばかりでした。こういう年代の人たちが田んぼ仕事をしているのを見ると、何となくホッとします。


2008年05月09日

うれしい声かけ二つも

 昨日の頑張りが体に来て、きょうは朝からぐったりでした。市政レポートの作成も思うようにはかどらず、お昼までかかってしまいました。午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金とあいさつ回りです。ある家におじゃましたところ、長野県からタケノコを採りにきたご夫婦に会いました。会ったとたんに、「いや、よかった、よかった。おめでとうございます」と声をかけていただき、びっくりしました。聞くと、私の本を読んでいてくださった方で、選挙がどうなるかと心配していたというのです。いくら吉川とかかわりのある人とはいえ、隣の県の方からも喜んでもらえるなんてうれしいかぎりです。

 きょうは演説会の弁士を頼まれました。隣の柏崎市の党組織が主催する演説会だといいます。選挙では、何人かにお手伝いをしていただきましたので、できるだけ要請にこたえようと出席の返事をしました。日時は18日、午後6時から。臨時議会の前の日ですので、議長選などの展開次第では、他会派との協議なども場合によっては必要となるかも知れません。ま、いそがしい日となるでしょうが、弁士にと声をかけていただけるだけでも幸せです。電話をかけてきた持田市議には、「演説はうまくないので、あまりあてにしないでほしい」と言ったものの、いいかげんな話もできないし、しっかりと準備をしなくては……。


2008年05月05日

強い雨風の中で「山菜料理…囲む会」

 「雨が降らなければいいが…」と朝からずっと心配していました。「焼肉と山菜と音楽を楽しみながら橋爪法一を囲む会」を計画していたからです。不安は的中、開会前から雨になり、開会後は強い雨風が吹きまくるという最悪の天気になってしまいました。でも、後援会員の人たちの頑張りはすごい。事前に雨も予想して、牛舎の車庫を会場にしつらえる。テントを張って焼肉の場所をつくる。テントの屋根に雨がたまれば、水を払う。強い風が吹けばテントを支えている竹棒を守る。そして会場内に料理を出したり、会の運営もする。後援会員のみなさんの動きを見て、「この人たちがいたから当選できた」と改めて感じました。

 山菜を食べて…囲む会は今回で4回目。毎年、いろんな人たちが来てくださいますが、今回は大潟区在住でオカリナ演奏グループに所属している石塚晴夫さんから演奏をやってもらいました。強風の中ではありましたが、なつかしい文部省唱歌や「瀬戸の花嫁」など誰もが知っている曲を聴かせてもらいました。石塚さんは高校時代からずっとお世話になっている人です。会を大きく盛り上げていただきました。いつも頑張っている後援会長さんは、初めてギターの山岸協慈さんと組んで、「イマジン9」の朗読(画像)をしてくださいました。今度、9条の会の場で、この2人で、戦争反対、憲法9条を守れと朗読をやるといいます。酒が入ったところでも聴きごたえのあるものでしたので、9条の会では盛んな拍手を受けるでしょう。

 今晩の会(画像)には大勢の会員さんたちが次々と手をあげて発言。「国体を前にして吉川区の道路の整備の不十分さが言われている。通勤道路の整備と合わせて、すぐに手をつけてほしい」「車の運転免許証の書き換え、柿崎でできるように」など要望がどんどん出てきました。これはこれまでの会には見られなかったことです。それだけ、私に対する期待が大きいということだと受け止めました。区外から駆けつけてきてくださった人も、「橋爪は絶対落とせない人だと思ってがんばってきたが、これからは橋爪さんを監視しながら応援していきたい」と激励の言葉を寄せてくださいました。ほんとうにいい会になりましたね。がんばりますとも、もちろん。


2008年05月03日

水不足を心配する声も

 晴天が続いています。きょうも「しんぶん赤旗」の配達・集金、あいさつ回りが中心でした。今年は雪が少なかったこともあり、川を流れる水量はずいぶん少なくなっています。すでに田んぼに水が入り、ほとんどの集落で代かき作業が始まっていますが、水が少なくて代ができるかどうかと心配されているところもありました。そろそろ、ひと雨ほしいですね。

 きょうは、午前中に2時間くらい時間をとって山菜採りに出かけました。明後日の「焼肉と山菜料理を食べて語る会」の準備です。ウドはすでに最盛期を過ぎていて、手ごろのものをさがすのに苦労しました。ねらいどころは雪消えの遅いところです。沢をどんどん登り、何とか材料を確保できました。採り終わってから、後援会長さんの家で美味しいうどんをご馳走になりました。

 明日は選挙疲れをとるために夫婦で遠出の予定です。自然を満喫してきたいと思っています。新緑のなかを歩き、野の花写真をたくさん撮る。料理は新鮮な海の幸を食べたい。そして適度にアルコールを体内に注入できれば、大満足なのですが。日帰りになるか、宿泊するかはまだ未定です。宿泊する場合は、日記を休みます。


2008年04月29日

全国的に注目された選挙結果

 夕方、日本共産党中央委員会のホームページを見てびっくりしました。市田書記局長が28日の国会内の記者会見で上越市議選の勝利の意義についてのべていたからです。「しんぶん赤旗」の報道では、「市田氏は、定数一の埼玉県議選西5区(ふじみ野市旧上福岡市)の再選挙で、自民、民主の候補者を抑え党候補が当選し、上越市議選では、定数一の吉川区と、定数二の頸城(くびき)区でも当選した意義を強調。国の悪政に堂々とものを言える政党・候補者でなければ、市民の暮らしも地域経済も守ることはできないことに共感が広がったと指摘しました」とあります。「この市議選で私が勝つことは、後期高齢者医療制度を廃止させる動きにつながる」と言ってきただけに、改めて、今回の勝利の重さをかみしめました。

 きょうの「しんぶん赤旗」日刊紙で(関東地域などでは昨日)、私の勝利が一面で報じられました。私の当選が一面で報道されたのは前回の市議増員選挙に続いて2度目、今回は小さな母をはじめ、一緒に頑張ってくれた面々も写真に入っているので、みんなが喜んでくれることと思います。地元紙である新潟日報では、上越地域版で、「変革への期待 鮮明に」という見出しで上野公悦さんの当選や私のことが書かれていました。昨日の当選証書授与式のあと、新聞記者が3人、私たちの議員団控室に来て、コーヒーを飲みながら懇談しましたが、そこで議案提案権獲得と議員団の姿勢について私がのべたことがそのまま上越タイムスに載りました。「新しい改革の歴史が始まる。議員同士の論戦がいよいよ始まる」と書いてもらった以上は、頑張らなくてはなりません。地元新聞がこのように注目してくれたのもうれしいことでした。

 きょうは親戚の法事でした。私を今回も推薦してくださった真宗大谷派専徳寺住職の松村公雄さんをはじめ、吉川区内の大勢の人たちと一緒でした。お酒の席では、選挙結果が最大の話題でした。「当選は信じていたけど、どうなるかと心配した。いつも早く寝る父ちゃんが、寝ないで結果を待っていた」「やっぱり日頃が大事だね。これからも頼むよ」「この次はガラガラポンだね。絶対落ちないでくんないや」などとたくさんの言葉を寄せてもらいました。吉川区外の人たちも含め、親戚筋の人たちがこんなに心配してくださる、ありがたいですね。法事ではウーロン茶で通しました。終わってから、あいさつ回りをしたかったのと、街宣車に乗っていて気になっていたエチゴルリソウの花写真(画像)を撮りたかったからです。


2008年04月27日

当選しました

 うれしいお知らせです。本日、投開票された市議選で再選(画像)されたのです。私の得票は1898票、相手候補とはちょうど300票差でした。選挙戦は、昨年の秋から事実上スタートし、約8か月にわたる闘いとなりました。全集落を対象にした懇談会の開催、100日間にも及ぶ朝立ち、選挙戦での街頭演説など多くの仲間たちが支えてくれました。心から感謝します。

 選挙は今回も定数1、一騎打ちの戦いでした。相手候補は私の町議時代の同僚で、とても頑張り屋です。「私だって、橋爪のようにできる。だから今回は保守の私に」という作戦だったのでしょうか、選挙に勝つために、ビラの発行、懇談会の開催など私がやってきたこととほとんど同じことをやりました。それだけに、有権者にはなかなか違いが見えにくかったようです。

 前回と違って今回は、相手陣営は激しい宣伝戦と組織戦を展開しました。おかげでこちらも前回を上回る取り組みを意識して行いました。告示100日前からの朝立ち、国保税値上げ反対や後期高齢者医療制度の廃止の署名運動の展開、連日の「こんばんは街頭演説会」の開催など、いい経験をつくりだしたと思っています。

 さて、明日からまた忙しい日が続きます。まずは入院している父の所へ報告に行ってきたいと思います。そしてあいさつ回りなど選挙にともなう活動を早く終わらせて、ゆっくりと温泉につかりたいですね。ここ2週間ほどの間に、ウドなどの山菜は最盛期を迎えています。山にも入りたいし、本屋ものぞいてみたい。


2008年04月18日

告示2日前

 告示2日前。こちらも相手陣営も新たなビラを発行し、すさまじいたたかいになってきました。きょうは「しんぶん赤旗」日曜版配達をしながら支持のお願いでした。ここ数ヶ月間、ほとんど休みなしで頑張ってきたことが顔に表れているのでしょうか、私の体調を心配して、「一生懸命やるのもいいけど、体こわしなんな」「まず、おまんの体大事にしてくんない」などと何人もの人たちから声をかけていただきました。体重は通常よりも2キロ減りましたが、おかげさまで元気いっぱいです。ご安心ください。


2008年04月17日

うれしい激励

 告示3日前。朝早くからうれしいことが続きました。まず、旧上越市区域内に住む友人が激励に来てくれました。相手陣営の運動情報などが伝わったようで、すごい戦になっている、何が何でも勝って再び議会に出てほしい、出来ることがあれば遠慮なく言ってほしい、と励ましてもらいました。高校、大学とも同じで私よりも3つ年下の人が橋爪支持を訴えてくれているという情報も入ってきました。この人は会社で一緒だった吉川区の人に働きかけをしていてくださるとか。ありがたいことです。

 昨日、父が入院している病院から出かけてきてほしいと連絡をもらい、きょう、久しぶりに父の所へ行ってきました。少しの時間しか一緒にいてあげることが出来ませんでしたが、時たま、ニコッと笑ってくれた様子からいえば、喜んでくれたのだと思います。最近、私よりも回数で多く父に会っている妻の口から、「じいちゃん、だいぶ弱ってきているね」と聞いていたので、手袋をはずして父の手を握ってみました。入院して間もないころのような強い握力はありません。でも、まだまだ大丈夫だと感じました。父には、次は選挙が終わってからでないと来れないよ、がんばるんだよ、と声をかけてきました。

 私の事務所は告示直前の準備でフル回転です。病院から帰ってからは、私でないとわからない事務的な仕事をいくつかやりました。腹が減っては戦は出来ぬ。最近は、運動をしているみんなと一緒に食べるご飯がとても美味いですね。きょうは、コシアブラも手に入りました。明日あたり、食べられるかも。


2008年04月16日

告示4日前

 告示4日前。街頭宣伝と市政レポートづくりで一日が終わりました。天気が続くと、花粉症が出やすいのか、きょうは目がかゆくなり、鼻がぐじゅぐじゅして困りました。動く時はティッシュペーパー持参です。週末にむけて通常よりも一日早いペースですべてをすすめ、忙しく動いていますが、後援会の幹部のみなさんからは本番に備えて適度な休養をとるようにと言われています。

 


2008年04月15日

しだれ桜も満開

 告示5日前。ある新聞記者が取材に来て、「大激戦になっていますね」。前回同様、定数1でのたたかいですが、前回の三つ巴から一騎打ちになっているという変化があり、前回を上回る活動をしないと勝てません。相手陣営の総力をあげた攻撃にたじろぐことなく、こちらは政策と実績を訴えてのたたかいです。きょうは後期高齢者医療保険の保険料が年金から初めて天引きされる日、各地で怒りの声をきく一日となりました。

 吉川区はいまソメイヨシノが満開になってから数日を経過、しだれ桜も満開になりました。先日紹介した村屋の村松家の桜は青い空の中で、滝の流れのような咲き方がじつに見事です。そして、きょう、尾神に行きましたら、尾神のしだれ桜(画像)も満開にいま一歩というところまで来ています。明日、明後日頃が見頃となるでしょう。

 昨日いただいたウドとコゴミを使って母が山菜料理を作ってくれました。春はやはり山菜料理です。野で採れた食材は新鮮で安全、味も一味違います。目で春を感じ、舌で春を味わう。選挙が終わったら、後援会の人たちが「山菜料理を楽しむ会」を計画してくれています。もう12日間、全力疾走して、勝利を味わいたいものです。


2008年04月14日

山菜の差し入れ

 告示6日前。きょうも街宣と訪問活動でした。告示が近づくにつれ、手を振ってくださる方だけでなく、家から飛び出してくる人があるなど日増しに皆さんの反応が強くなってきています。きょうは差し入れをしてくださる方が何人もありました。山間部では採ったばかりのコゴメ、ウドをくださった方もあります。ひょっとすると、自分の家の分を残さないできょう採った山菜の全部をくださったのかも知れません。ずいぶんたくさんいただいたので、事務所にいるみなさんにもおすそ分けしました。ウドはもう25センチほどに生長していました。

 後援会員の方を訪問していろいろな活動をお願いしてきましたが、ある家では、炬燵の上にハガキと手紙が置いてありました。「これ見てくんない」と言われ、差し出されたものは、介護保険料と後期高齢者医療保険料の通知です。「おらどこじゃ、年金だけが頼りなのに、こんなに引かれたんじゃたまらない」と怒っておられました。明日は年金の入金日です。年金から後期高齢者医療保険料が初めて天引きされる日です。反応はどうなるか。


2008年04月13日

道普請

 告示1週間前。忙しい一日となりました。午前中は地元集落の道普請、江さらいでした。私は用水路の掃除グループの一員としてスコップを使って泥上げです。用水路にはカラスガイとシジミがいっぱいいました。それと、初めて知ったのですが、タナゴもたくさんいて、用水路を集団で移動するときには波をたてていました。なかには婚姻色をしたオスもいました。ホームセンターなどでは、繁殖期を迎え婚姻色をしたものは一匹100円で売っているという話です。久しぶりにスコップを持って仕事をしたら疲れました。

 午後からは訪問活動と宣伝活動です。日曜日とあって、畑仕事をしている人、用水路掃除や道普請をしている人たちが大勢外にいて、たくさん激励してもらいました。ある家では、きれいな野の花が咲いているので見てほしいと言われ、庭に案内していただきました。そこに咲いていたのは、私が初めて出合ったヒゴスミレでした。純白の花と切れ目の入った葉が特徴です。一度見たら忘れない花だと思いました。また、「野の花」のページで写真を追加掲載できます。

 市政レポートNO1342を掲載しました。ご笑覧ください。


2008年04月12日

吉川区内で観桜会

 もう少し暖かければいいのに。誰もがそう思った日だったのではないでしょうか。桜は満開、あとほしいのはお日様と青い空。残念ながら、きょうはなかなかお日様は顔を見せてくれませんでした。そして風がありました。これが冷たくて、外ではアノラックを着て動く人がいるほどでした。ただ、吉川区内のソメイヨシノの花の咲き具合はこれまででも最高レベル、みんな「見事に咲いた」と感心していましたね。

 きょうは活動の合間を縫って吉川区総合事務所脇広場で行われた観桜会に参加してきました。オープニングは吉川区内のイベントでは欠かせない太鼓(画像)です。桜の木の下で、尾神岳をバックに軽快なリズムが響きました。「よさこいソーラン」のメンバーもこうしたイベントの盛り上げに力を発揮してくれます(画像)。大人もいいけど、小さな子どもたちの踊りのかわいらしさにはひかれます。テント内の各種販売コーナーで興味をもったのはサルナシ、マタタビなどのツルを材料に作成した籠、置物です。製作者の方の話を聞いたら、いつか私も挑戦してみたくなりました。

 告示まであと8日。きょうも「しんぶん赤旗」日曜版の配達と支持拡大活動に全力をあげました。留守の家が多かったものの、大勢の人たちに激励されて気分よく家に戻ってくることができました。相手陣営の活動力のすごさを強調していたある後援会員さんからは、「絶対負けないでくんないや。みんなの生活がかかっているんだから」と励ましてもらいました。


2008年04月10日

花粉症

 まいった。まいった。とうとう、花粉症にかかってしまいました。右目からの涙が止まりません。鼻水がたらたらと出て、車の運転では、脇にティッシュを載せて走っています。それにしても花粉症は突然やってきました。これまでへっちゃらだったのに、何ということでしょうか。昨日の天気でたくさんの花粉が飛んでいたのでしょうね。きょうもニュースレターの配布活動でした。雨だから、家にいる人が多いと思ったのですが、残念ながら留守の家がほとんどでした。


2008年04月09日

ニュースレター配達

 今朝も学校の先生と一緒に朝立ちです。同じオレンジ色のものを着て立っていることもあって、車のドライバーからは私の仲間が一緒に立っているように見えるかも知れません。きょうは中学校の女性教師の方と時々おしゃべりしながら挨拶を続けました。私の前を通って行く生徒の情報は、通学に関しては私の方が詳しいようで、「あの生徒は何分頃、通ります」などといった話をするとびっくりされていました。明日はどんな先生と一緒かな。

 きょうは一日中、歩いてニュースレターの配達でした。くたびれましたね。でも、そのくたびれをいやしてくれるのは、住民の皆さんが寄せてくださる声です。「じいちゃん、その後、どうしなすったね。最近、チラシに書きなんねすけ、心配してるがだ」そう声をかけてくださったのは、父と酒屋もんの出稼ぎをしたことのあるという人でした。「この間、おまんの質問、テレビで見させてもらったわね。おらの言いたいことを言ってくれている。そう思ったわね。がんばるのもいいけど、体、第一だよ」とも。『春よ来い』の愛読者だというおばあちゃんにも会いました。「おら、綴っておいて何回も読んでいるがだ」つたない文章をこんなにも大切にしてくださるなんて光栄です。

 もうひとつ疲れをいやしてくれるのは、やはり花です。里でも山間部でも野の花と出合います。きょう出合った花はニリンソウ、ワサビ、カタクリ、ナガハシスミレ、キクザキイチゲです。それと、しだれ桜が咲き始めましたね。旧吉川町役場前のもの、村屋の村松家のもの(画像)は明後日頃、満開になるように思います。それにしても見事です。


2008年04月08日

今週の朝立ちは仲間が…

 朝立ちはいつもひとりでやってきました。きょうもそうだったのですが、今週は仲間が増えます。じつは、同じ場所で小中学校の先生が交通安全指導にあたられるのです。今朝は吉川小学校の白鳥校長さんと中学校のある先生が当番でした。白鳥先生とは昨日の入学式のことから始まって、過去の入学式の思い出話、冬場の通学道路の安全度の低さなどについてゆっくり話ができました。おかげで今朝は時間の経つのを忘れるくらいでした。明日はどんな先生が来られるか楽しみです。

 きょうは10時過ぎから父の入院している病院、市役所とまわりました。病院の方は看護師長さんから電話があり、父の病棟を変えるので出かけてきてほしいと要請されたのです。介護施設に入所できるまでのしばらく間、介護を主体にした病棟で暮らすことになりますが、お風呂は週に2回入れるとか。父も「そりゃいいやんべだ」と喜ぶことでしょう。市役所では生活相談やデータの整理をしました。ここのところ、市役所にはほとんど行っていないので、行った時はやることが次々と出てきてたいへんです。

 きょうは一日中、暖かい天気でした。こうして日記を書いていてもストーブが要りません。きょうの天気でソメイヨシノの開花が一気に進みました。午前に市役所へ向かう時と帰りの時では桜の木の色が違いましたね。ソメイヨシノは4分咲きくらいまで進んだのではないでしょうか。


2008年04月07日

ウグイスの鳴き声聞く

 朝、ウグイスの鳴き声を聞きました。今年初めてです。わが家の牛舎の周りで「ホーホケキョ、ホーケキョ」と聞こえました。毎年、最初に聞く鳴き声は、「ケキョ、ケキョ」という感じだったのですが、今年のウグイスは上手です。たぶん、よそで練習してきたのだと思います。ウグイスの初鳴きを聞いたよと友人に話したら、「うちはだいぶ前から鳴いている」という言葉が返ってきましたので、まちがいないでしょう。ま、どうあれ、ウグイスの声が聞こえるのはいいもんです。

 きょうは小中学校の入学式でした。小学校では、会場の体育館へ入る途中、入場を待っている新入生たちのそばを通りました。その最前列にいたのは、秋山ひとみちゃんでした。補欠選挙で当選し、旧吉川町議を1年半務めた旧姓山本芳美さんの子どもさんです。私の顔は十分知っているはずなのに、表情が硬かったところをみると緊張していたんでしょう。式典では、白鳥校長が今年も大きな目や耳などを描いた小道具を使い、「人の話を聞く」ことの大切さなどをのべておられました。いつものこととはいえ、話上手な人だと感心しました。

 午後から行われた中学校の入学式。学校の敷地内にある桜が入学式に合わせたように開き始めていました。私の記憶では、入学式に桜が咲いているのは久しぶりのような気がします。新入生のなかには、私の住んでいる町内会の子どもが2人、従弟の子どもがひとりいました。知っている子がひとりでもいると、式もぐんと身近に感じます。従弟の子どもは幼い時から、よく知っている子どもでした。最近、あまり会わなかったせいでしょうか、きりりとしたところが出てきて、成長したなと感じました。中学生の生活は小学校の半分の長さですが、みんな3年間に驚くほど成長します。きょう、入学した40数名が3年後にどうなっているか、見るのが楽しみです。


2008年04月06日

橋爪のりかずを励ます交流集会

 「橋爪のりかずを励ます交流集会」を開いてもらいました。こういう会を開いていただいたのは、議員になってから2度目です。前回は3年前の冬、今回は春。いずれも市議選告示まで2週間ほどという時期でしたが、やはり暖かくなってからの方が大勢集まってくださいます。今回は大会議室を使っての開催でした。春会議や道普請などがあるなかで駆けつけてくださったみなさん、ありがとうございました。

 今回の交流集会には、合併前から「合併問題を考える頸北議員の会」などで一緒に活動してきた小関市議や上越市学校給食を考える会の仲田市議から応援のスピーチをしていただきました。また、13区選出の近隣の市議からも応援メッセージを寄せていただきました。日本共産党議員団以外の議員から公然と応援していただいたのは今回が初めてです。私の市議活動をどう評価しているか、当面する市政課題にどう対応するか、市議はどうあるべきかなどについて語ってもらいました。「議会で、わかりやすい論理で発言をする議員」「同じ選挙区で最もたたかいたくない人」等の言葉を吉川区内の参加者のみなさんは新鮮な気持ちで受けとめてくださったようです。

 交流集会を歌で盛り上げてくれたのは、青年団時代からの友人で農業生産組織の代表を務めている平沢さんと日野市から夫婦で吉川区にやってきてトマト栽培をやっている山岸さん(画像)。きょうは農家の仕事と思いを歌で表現してもらいました。平沢さん作詞・作曲の「百姓99」は何度聞いてもいい歌です。♪やらなきゃならない百の仕事があるから百姓 今日も百の中の一つを耕そうよ 種を蒔いて肥やしを撒いて 水をやって両手を添えて 今日も百の中の一つを耕そうよ。この歌のリズム、乗りでこれからの活動に勢いをつけることができそうです。


2008年04月04日

野の花が次々と

 きょうは一日中、「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。議会中に配達を代わってもらっていた地域にも久しぶりに行ってきました。天気が良かったこともあって、留守の家が多かったのですが、「絶対負けないでくんないね」「応援しているよ」などという激励の言葉をたくさんもらいました。野の花も次々と咲いているので市政レポート用に何枚も撮影してきました。このなかにはアズマイチゲと思われる花もありました。確認でき次第、「野の花」コーナーに掲載したいと思っています。私の好きな花の1つ、ニリンソウも開花一歩手前です。

 トップページの尾神岳の写真、4月のものをやっと撮ることができました。


2008年04月03日

町政レポート500号の合本

 15年くらい前、いまの市政レポートの前身である町政レポートが500号を迎えました。その時に、レポートの201号から500号までを合本したものを5冊ほど作成しました。そのうちの1冊(画像)はわが家にあります。残りの4冊については、1冊だけだれにあげたか記憶していますが、残りの3冊はだれにあげたのか、すっかり忘れていました。

 きょう、ある家におじゃましたところ、合本の1冊をお持ちであることが判明しました。見せてもらったところ、わら半紙の周囲が若干変色しているものの、完全な形で保存してありました。懐かしかったですね。その家のご主人は、「努力した人には努力が報いられるようにしてあげたい」と私への期待のメッセージを寄せてくださいました。

 事務所に戻り、すぐこの話をみんなにしました。そしたら、「わが家にも1冊ありますよ」という声が返ってきました。そのあとは、当時の印刷機械がどうであったかということから始まって現在の1340号に至るまでの思い出話をしました。どこへ行ったかわからないのはあと1冊、「見てある記」に書いたことが発見につながってくれるとうれしいのですが……。


2008年04月02日

「最近、ちょっとやせたね」

 一転して晴れ。きょうは上天気でした。おかげできょう予定していたビラ配布活動は計画を大きく上回る枚数をやることができました。なるべく歩くようにしたので、汗もかいて、とてもいい運動にもなりました。久しぶりに会った人からは、「最近、ちょっとやせたね」といううれしい言葉もかけてもらいました。体重を計っていませんので、実際の数値はわかりませんが、これまでずっと「また、太くなんなったねがかね」という言葉ばかり聞いていたので新鮮!感激!

 このほかにも、いろいろな情報が入ってきました。ひとつだけ書いておきましょう。先月末で退職されたある職員さん、この方は吉川区以外に住んでおられるのですが、この人のキョウダイだという人から声をかけてもらいました。退職された職員さんとは市役所の食堂で何回か言葉を交わしたことしかなかったのですが、私の議会活動やこの日記のことなどが吉川区在住のキョウダイの方に丁寧に伝えられていたので、びっくりしました。私の議会活動報告がこうしてよそからも入ってくるというのは、ありがたいです。

 きょうはスミレ(画像)と出合いました。今年初めてです。太陽の光をいっぱい浴びて、花ビラをぐっと開いた様子はとてもうれしそうでした。このほかにもヒメオドリコソウ、タネツケバナなども目に入りました。歩くと、どうしても野の花が気になります。


2008年04月01日

吉川区でもガソリン代下がる

 今朝の朝立ちは最悪でした。風が強く、時々、横殴りの雨が降る。傘を持って行ったものの、まともに開くことができず、立っているのがやっとの状態でした。何人もの人たちに頭を下げられないところをお見せしてしまったようです。1月17日の朝立ち開始以来、悪天候のため、途中で家に帰ろうかと迷ったのはきょうが初めてでした。ま、最後まで立つことができて良かった。ホッとしました。

 きょうは4月1日。市役所職員も異動して最初の日となりました。バタバタしているだろうと思ったら、総合事務所は落ち着いていましたね。住民にとっては、異動があろうがなかろうが、関係なしです。きょうも2件の生活相談がありました。そのうちの1件は生活資金の問題で、ある金融機関の職員さんの力をお借りしました。

 ガソリン代はしばらくしてから下がるものと思っていたら、宣伝カーの給油に行ってきた人の話では吉川区でもきょうから下がりました。上越市内のほとんどで下がったのでしょう。ただ、生活用品がきょうから相次ぎ値上げしましたから、差し引きマイナスかもしれません。夕方、毎晩愛飲している発泡酒を購入したところ、135円だったものが145円に値上げされていました。菓子類も前の値段を正確に記憶していないので、いくらの差になったかはわかりませんが高くなったことは確かです。

 


2008年03月23日

再び腰に違和感

 昨日ほどではないにせよ、きょうも穏やかな天気でした。このところ、平日は市議会、土日は「橋爪法一を囲む会」で、休みなしです。頑張りすぎたのか、年末に痛めた腰が再び悪化してきました。きょうもある会場で立とうとした途端、腰に違和感を覚え、だましだまし夜まで持たせました。この調子ですと、選挙までにもう一度、整体師さんにかかっておく必要がありそうです。

 お昼休み、代石神社の参道へ行ってきました。キクザキイチゲ(画像)が満開でした。ここのイチゲは色が少し赤紫であることが特徴です。お昼の暖かい日差しが花の色にも微妙な影響を与えていて、撮った写真の一枚一枚が全部違う。夜、パソコンで大きな画像にしてみると、違いがよくわかって楽しむことができます。わずか10分ほどのお昼休みでしたが、地元にこういう癒しの場所があるのはありがたいことです。

 きょう、複数の人から教えてもらいました。21日のテレビ中継、昨日の録画中継ともボリュームを最大にしても声が小さくて、何をしゃべっているかわからなかったということでした。私の時だけなのか、それとも他の人の時もそうだったのか、ちゃんと調べて、再放送などの対応をしてもらわなければなりません。委託料を払って中継をしてもらっていても、まともに見れない、聴けない放送では話になりませんから。


2008年03月22日

人も野の花もいい気分

 穏やかな天気になりました。この時期のお天道様のぬくもりは何ともいえぬ心地よさを感じさせます。こういう気分を味わっているのは、私たち人間だけではないようで、野の花たちもそうらしい。きょうは一斉に花を開いていました。「しんぶん赤旗」日曜版の配達の途中、農道上に咲くオオイヌノフグリとヒメオドリコソウ(画像)がとてもかわいいので、写真に収めました。天気は明日もよさそうです。お昼休みの時間帯に近くの里山でキクザキイチゲなどの花とデートしてこようと思っています。

 配達がほぼ終わって家に戻ったら、留守電が入っていました。「雪割草のいいのが、明日、見頃を迎えます。写真を撮りに来ませんか」というお誘いでした。きょうも、明日も新聞配達以外の時間帯は議会報告会の日程がびっしりですので、お昼前にちょっとだけおじゃましてきました。ここのお宅では、雪割草をたくさん栽培されていて、白、ピンク、赤、紫などの花が見事に咲いていました。気に入った花の中から「夕鶴」(画像)と名付けられたものを掲載しましたので、ご覧ください。雪割草の中には匂いをだすもの、葉を楽しむものもあります。もう一度、訪ねる時間をつくることができればいいのですが。

 昨日の私の一般質問を傍聴していてくださった方々の中に私のことを知っていてくださる方が何人かおられたことがきょうになってわかりました。私が質問することを知らなかった人もあったようで、「偶然、橋爪さんの質問と重なった。運が良かった」と言ってくださいました。「テレビで見るのとも迫力が全く違う。市長の緊張した様子とか、議場の雰囲気とかは傍聴しないとわからない」とも。テレビを見ていてくださった方の中には、「橋爪さんいま、テレビでやってるよ」と何人かに連絡を入れてくださった方もありました。ありがとうございました。


2008年03月19日

一般質問2日目

 きょうも6人が登壇し、一般質問を行いました。このうちの一人は党議員団の杉本議員です。今期での引退を表明していますので、最後の一般質問になります。質問は、いま市政で大きな問題となっている学校給食民間委託と国保税値上げに焦点を当て、それらにストップをかける運動にプラスになるよう意識したものになっていました。1年目に派遣契約したものを2年目に委託契約とすることができるかという質問は、法制度上と行革という視点からの追及でした。学校給食民間委託についての新潟労働局の指導は単なるアドバイスではないことを鮮明にした展開は説得力のあるものでした。

 朝の風景は毎日変わっていきます。今朝は歩いて通学している中学生がいつもの時間に来ないので不思議に思ったいたところ、自転車でやってきました。私の前を通って、走り抜けていく姿はとても生き生きした感じで、気持の良いものでした。その姿を追っていると、歩道の脇にフキノトウがいくつも顔を出しているじゃありませんか。雪が消えて、フキノトウが出て、さらに地面にいろいろな草が生えていく。大地の動きはこれからピッチが上がります。


2008年03月17日

ゴミ有料化の前に

 きょうは第3月曜日、燃やせないゴミを出す日です。区内のゴミ集積場はスキーや自転車などいつもの数倍のゴミが出されていました。きょうは4月からのゴミ有料化を前にして「燃やせないゴミ」を無料で出せる最後の日でした。ある集積場でその様子を見ていたら、一輪車を使ってゴミを3回も運んでいる人がいました。無料のうちにできるだけ出しておきたいという心理はよくわかりますが、それにしてもすごいゴミの山でしたね。

 この最後の燃やせないゴミ出しの日の状況は他所でもまったく同じでした。市役所へ行く途中の頸城区のいくつかの集積場でも「燃やせないゴミ」の山ができていました。このゴミの山には鉄類もたくさんありました。同僚議員からの情報によると、市外のある人が鉄類が大量に出されている様子を見て、「よく持っていく人がいないね」と言っていたといいます。そう言えば、ゴミ収集車は鉄類を残し、後から収集していたようです。ひょっとすれば、思いがけない収入になるかも。

 議会は総務委員会の最終日でした。一般質問の通告と関係のある部課長に対して、再度、質問の趣旨を説明する時間をつくったら、全部は傍聴できませんでした。興味深かったのは新水族博物館の議論と北陸新幹線の新駅の名称問題です。山岸議長が、「新駅の名称は全国に呼び掛けて、全国を巻き込むなかで決めていったらどうか。それを契機に上越市を知ってもらう手法もある」と述べていましたが、面白い提案でした。

 お昼休みに市役所に来ていた大島区の従兄とコーヒーを飲みながらおしゃべりをしました。雪はやっと2メートルを切って1メートル90センチになったといいます。4月に入っても1メートル以上の積雪はあるだろうから、苗代除雪の準備をしなければと言っていました。今年は県からも市からも苗代除雪に支援するという話が聞こえてきません。安塚区や牧区でも同じように苗代除雪が必要なはずです。県や市の担当者がこの日記を読んでおられたら、すぐに対応してほしいものです。


2008年03月16日

土日はフル回転

 土、日曜日は議会がない日です。地元で思い切り活動できる貴重な曜日とあってフル回転しています。きょうも「橋爪法一を囲む会」を3会場で行い、最新のデータを使って議会報告を行いました。最近の囲む会は参加者から「共産党に入った直接のきっかけは何だったのか」とか「大型車の高い運転席から見ると、どこどこの看板がじゃまで見通しがきかない」などいろんな質問や要望が出て、とても賑やかです。初参加の方もじわりじわりと増えてきています。これはうれしいですね。

 懇談会の合間に写真撮影にも出かけてきました。何を撮りに行ったかといいますと、キクザキイチゲの花です。きょうは青空も広がるいい天気になりましたので、花はちゃんと開いてくれました。毎年のことながら、代石神社の参道に咲く花はとてもきれいです。まだ、出会ったことはありませんが、アマチュアカメラマンの人たちも撮影に出かけるスポットになっているということです。きょう、撮影してきたキクザキイチゲ(画像)をご覧ください。

 夜、質問準備も兼ねて、国会中継録画を見ました。私どもの党政策委員長、小池晃議員の国会論戦は後期高齢者医療制度でした。いい質問を聞いていると、自然とリズムというか、何かが沁み込んできて自分の質問にも影響を与えます。後は、早めに眠ること。これが一番です。


2008年03月05日

建設企業常任委員会1日目

 朝8時半。街頭での朝の挨拶を終え、小用を済ませて家に戻った時に、いつものチャイムが聞こえてきてびっくりしました。最後の卒業式を3日に終えたはずの吉川高校の始業のチャイムです。チャイムのセットを変更しわすれているのか、それともまだ、大学入試の準備などで通う生徒がいるのでしょうか。いずれにせよ、いつも聞こえていた音がこんなにもなつかしく聞こえるとは。吉川高校の閉校は3月3日ではなく、3月31日だそうです。

 さて午前は建設企業常任委員会と「学校給食を考える会」の打ち合わせ会でした。1時間ほど委員会に出て、その後は「考える会」の会議に出席しました。「考える会」では、今年度の市教委の学校給食調理業務派遣「委託」方針について、何人かの会員が見解を示し、議会の委員会でどう追及するか話し合いました。どうやら、昨年に続いて激しい議論になりそうです。午後は吉川中学校の卒業式でしたので地元に戻りました。何人か、知っている卒業生がいることもあって、その生徒たちがどんな顔をして式に臨んでいるか気になりました。吉川中学校の卒業式では、毎年、式のラストに、卒業生による「卒業記念合唱」が行われます。今年、卒業生たちが歌った歌は、『終わらない旅へ』でした。「僕の周りの すてきな笑顔を きっと忘れない 時が流れても」あたりから、生徒のすすり泣く声が聞こえました。いい歌でした。


2008年03月03日

最後の卒業式

 98年の歴史を持つ県立吉川高校の卒業式(画像)が行われました。今春、柿崎高校との統合が決まっているので、吉川高校としての卒業式は最後です。卒業生、保護者などのほかに、学校に係わりのあるひとたちにも案内状が出されました。卒業生は44名、在校生はいうまでもなくいません。卒業式は大きな体育館で行われました。こじんまりした卒業式ではありましたが、閉校という締めくくりにふさわしく、心に残るものでした。ただ、式場は寒かったですね。式の後半には、両腕、肩などがザワザワしてくるほどでした。

 式辞で山田校長は、「最後の3年生の最後の1年間は実に見事でした。体育祭や文化祭など例年と違った盛り上がりをみせ、成功させてきました。でもその裏には、PTA役員、同窓会のみなさん、地域のみなさんなどからの力強いご支援があったことを忘れてはなりません。みなさんは、これから本格的な旅に出ます。嵐の日も晴れの日もある。明日という日を信じて、夢と希望を持って歩み続けてほしい。吉川高校の伝統の力は雑草のような底力です。自分を必要以上に追い込めないでください。自分自身は世界にひとつです。自分自身を大切にしてください。歴史のある吉川高校の最後の卒業生であることに誇りを持って大空を羽ばたいてください」と卒業生に語りかけました。そして最後、「98年間、ご支援くださったみなさんに敬意をもって感謝申し上げます」と結びました。胸にビンビンと響く素晴らしい最後の式辞でした。

 今回は最後ですので、在校生の送る言葉がありません。卒業生の言葉ということで挨拶したのは、上野英里佳(吉川区国田)さんです。上野さんは、「1年ごとに新入生の入ってこない学校生活をさびしく感じたこともありました。1年前、3年生を送り、私たちだけになりました。不安もありましたが、周りの方々が応援して下さいました。たとえば体育祭、職員の方がグランド整備をやり、保護者の皆さんがおにぎりとトン汁の差し入れをしてくださいました。保育園児の声援もうれしかったです。最後のロードレースでは、地域の人たちがたくさん応援に出てくださいました。地域に愛された吉川高校であることを肌で感じることができました。閉校になるのはさびしくてたまりません。少人数で受けた教育は98年の教育の集大成だったと思うと頭が下がります。この先、ここで学んだことを忘れず、くじけることなく一歩一歩あゆんでいきたいと思います」とのべました。涙が出そうになりました。

 吉川高校はわが家の子どもたちもお世話になりました。現職員の中には、わが家の次男の担任の先生もおられます。卒業式の後、教務室でストーブにあたりながら、思い出話をして楽しいひと時をすごさせてもらいました。


2008年03月01日

春一番の後は荒れ模様

 暖かかったと思ったら、昨日、春一番が吹いたといいます。ところが、今朝は一転して荒れ模様の天候になりました。朝立ちをしていても雨が横殴りに降り、時々、傘が飛ばされそうになるくらい強い風が吹きつけました。雨の日も風の日も頑張り続けるには、応援してくださる方の励ましが一番です。きょうもクラクションや手ぶりで励ましてもらい、元気に一日の活動を続けることができました。

 きょうは「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金でした。時折激しくなる雨に悩まされながら、新聞が濡れないようにアノラックの中に入れて配達しました。ありがたいのは配達、集金の際、いろんな情報を教えてくださる方が何人もおられることです。ある読者の方からは、若者が定着する上で問題なことを具体的な実例で教えてもらいました。これは早速、3月議会でとりあげることにしました。具体的な内容は質問をしたときに明らかにしますのでお楽しみに。

 夜、弟から電話が入りました。父の容態についての最新情報です。昨日までの力のないというか、元気のない状態を脱したようだとのことでした。熱も下がったようです。


2008年02月24日

強風下で新聞配達

 午前の早い時間帯、源地区で「しんぶん赤旗」の配達と集金をしました。道路は凍結していて、その上に雪が軽く積もっている状態です。車の運転では、とても緊張しました。尾神岳のすぐそばまで行くと、時々、猛吹雪がやってきて、山全体がゴーッという音を出しています。こういう尾神岳は久しぶりにみました。

 配達、集金で読者の方の家を訪ねた時には父の容態を訊く人が多く、「最近、状態が安定してきて、まもなく退院するかも」と答えると、みんな喜んでくださいます。また、市議選の情報を教えてくださる方が何人もいて、「対立候補は必死で動いているから、頑張って負けないでくんないね」「おまんの、これまでの頑張りはみんな知っているすけ、無理をしないで、とにかく体を大事にして」などと激励してもらいました。ありがたいなと思います。

 ある読者の家で、手打ちのソバをご馳走になってきました。最近、手打ちソバを食べる機会がなかったこともあって、「どうして、こんなに美味いのか」と思いました。ソバは私の好物のひとつです。きょうは、このソバを食べたおかげで、気分は上々、元気に頑張ることができました。


2008年02月22日

予算要望に対する回答書受け取り

 新年度予算要望書に対する市長の回答書を受け取りに市役所に出かけました。要望書は、日本共産党上越地区委員会が昨年12月に提出したものです。きょうは党市議団のメンバー全員が出席し、総務部長から回答書をもらい、その後、懇談しました。総務部長は、「いまできることを最大限盛り込んだつもりだ。市政にかかわる97項目の要望のうち、50項目についてほぼ要望通り実現していきたい。他の47項目についても早期実現は難しいが、ご要望の趣旨はわかるので検討してまいりたい」とのべました。これまで4回ほど予算要望書を提出してきましたが、要望項目全体で何項目応えたと説明があったのは初めてです。

 要望書を受け取ってすぐに家に戻りました。というのは、きょうから配布する市政レポートが未完成だったからです。約2時間かけて作成し、印刷に入ったのは午後1時でした。先週は印刷機の故障で、大潟区の南部堂まで行って印刷してきたのですが、きょうはスムーズに印刷できました。印刷機の調子がいいうちに、一般紙に折り込む分も印刷しておこうと、きょうは一気に2種類の印刷を済ませました。その後は、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と集金です。市議選での支持と協力のお願いをしたり、世間話をしたりしながら暗くなるまで頑張りました。予定が終わってからのひと缶の発泡酒がうまかった。


2008年02月17日

雪が降り続けて

 昨日からの雪は暖かかった今冬の中では厳しいものとなりました。とくに、きょうは一日中、降り続けていて、早く寒気がぬけてほしいと思いました。道路除雪にたいする苦情や要望は今冬は少なかったのですが、降雪が続く中で連続して寄せられています。きょうは、「きのうの夕方、県道が除雪してあったのでホッとして家に向かったが、市道に入った途端、除雪がしてなくてびっくりした。20センチ近くもあったのに、こんなことがあっていいのか」山間部に住む会社員の方に厳しい言葉で言われました。これらは明日、総合事務所に伝えておきたいと思います。

 夕方、病院へ向かい、妻とともに父を見舞いました。微熱が出ていて、少し元気がないなと思いましたが、「どうだね、具合は。大丈夫かなね」と言うと微笑みながらうなづいてくれました。病院からの帰り道、このところ、ずっとお世話になっている「門前の湯」に入ってきました。病院に近く、温泉の質もとてもいいので気に入っています。きょうはサウナにも入ってゆっくりしてきましたら、1週間の疲れがドッと出て、家への帰り道は睡魔との闘いとなりました。


2008年02月16日

支えあいの地域づくり

 「ふるさと」という言葉が懐かしさを伴って心に響くのは、そこが自分の生まれ育った場所であるからです。でも、それだけではありません。自分の記憶の中に忘れられない支えあいの体験があり、それが気持ちをやさしくしてくれることも大きいと思うのです。私の場合、「もらい風呂」がそのひとつでした。水や燃料を節約するために、近所の人が風呂を沸かした時は入らさせてもらったのです。私が子どもだった頃、こういう「支えあい」はたくさんありました。

 こうした「支えあい」がいつの間にか忘れられ、何十年も経ちました。その復活の取り組みがいま注目されています。きょう、吉川区のコミュニティプラザで聞いた新潟市の河田珪子さんの講演は、高齢化が一段と進むこれからの時代、どう生きていくかを考える上でとても勉強になりました。体が思うように動かなくなった時、買い物に行けない、役所にも行けない、自分の家の新聞すら取りに出られない。「何なにができない」ことが当たり前になっていくなかで、誰かの助けが必要になってくる。その時、隣近所の人に手を貸してと頼める関係ができているかどうか。これが地域でずっと暮らせるようにするために大事だというのです。

 講演の中で認知症の要介護者をかかえる家族の苦労が何度も語られました。家族がみんなクタクタになって介護している。隣近所の人に手を貸してと頼める関係をつくるためには日頃が大事。まず「あいさつ」をしよう。隣近所でありがたかったことを出し合ってみよう。パンツをはかせるのに手助けがいる時に、頼めるようになればしめたもの。在宅介護をやっていくには、介護保険などによる公的な支援だけでなく、「支えあいの地域づくり」も欠かせないことを浮き彫りにしたいいお話でした。

 きょうは雪がたくさん降りました。と言っても20センチくらいですが、今年の降り方の中では多い方です。夕方には小型除雪機を出動させました。この冬、2回目です。市政レポート1334号と「春よ来い」第93回、「プレゼント」を掲載しました。ご笑覧ください。


2008年02月14日

ポスター作成の打ち合わせ

 昨日に続いて、きょうも寒かったですね。道路が凍って滑りやすく、交通量の少ないところや日当たりの悪い路線はなかなか解けませんでした。2日続きで凍ったこともあって、朝早く、「○○の道路を歩いてみてください。保育所のマイクロバスは大丈夫でしょうか」とのショートメールをもらいました。確かに、現地はツルツル、危ない道になっていると感じました。

 きょうは印刷屋さんとポスター作成についての打ち合わせでした。写真屋さんからいただいた写真をもとに、どういうイメージのポスターにするか、色の配置などについてのこちら側の案を説明し、話し合った結果、季節の色というよりも公営ポスター掲示板の色を考慮して試作していただくことになりました。私の希望を入れてもらい、専門家の意見も入って、とてもいい雰囲気のものが出来そうです。来週の前半には出来上がることと思います。

 午後、写真屋さんから連絡があり、電子データを持って再び印刷屋さんへ。このお陰で、父が入院している病院へはきょう、3回足を運びました。何回も会いに行ったのは、きょうが父の誕生日であるからです(画像)。昨年、「おれ、80歳になった」と繰り返し言い、笑っていた父が81歳になりました。夕方には妻もかけつけ、父に誕生日のプレゼントをしてくれました。プレゼントといっても、「あいうえお…」のひらがなを書いた一枚の紙です。会話がよくできないので、指で文字を指してもらい、いいたいことを教えてもらおうというのがねらいです。うまくいけばいいのですが……。


2008年02月12日

家に帰りたい

 午前はKさんの葬儀でした。喪主を務めた息子さんがお礼の挨拶でのべた、「父は50年間酒造りに励んできました。一級酒造技能士として頑張ってきた父は私の誇りです」という言葉に涙が出ました。
 
 その後、たまった生活相談を解決するため、市役所等へ行きました。市役所への行き帰りの途中、父を見舞いました。髭が伸びていたので電気カミソリで剃ってやると、目を閉じて、剃りやすいように顎を伸ばしてくれます。父の言葉は入院後ほとんど聞き取れないできましたが、きょうは、はっきりと分かる言葉で、「家に帰りたい」と言いました。「わかったよ。それじゃ、早く病気を治そうね」と私から声をかけたところ、うなずきました。きょうは比較的、具合がよかったのかもしれません。

 吉川に戻ったら、先日、写真屋さんで撮ってもらったのが出来上がってきていました。やはりプロは上手です。いい写真(画像)になりました。前回の写真よりも頭がうすくなって、顔は大島区の従兄にずいぶん似てきました。


2008年02月11日

 念仏者9条の会ポスター

 昨日、きょうとビラ配布の活動をしました。単純な活動のように思えるかもしれませんが、毎回、さまざまな出合いがあって、それがこの活動を継続させるエネルギーとなります。昨日はあるお寺の玄関に入った途端、一枚のポスターが目に入ってきました。浄土真宗本願寺派の「念仏者9条の会」の憲法9条の改悪に反対するポスターです。初めて出合ったポスターで、しかも、自分の住んでいる地域に貼ってあったことから、とても感動しました。9条の会は全国で6千700を超えている(昨年10月段階)そうですが、平和を守る力は確実に広がっているんですね。昨日の「しんぶん赤旗」によると、真宗大谷派でも9条の会が設立されたとのこと、近いうちに、この会のポスターとも出合えることでしょう。


2008年02月10日

Kさん亡くなる

 朝、新聞を読んでびっくりしました。いつもお世話になっているKさんが出稼ぎ中に事故で亡くなったという記事が掲載されていたからです。私が20数年前に尾神岳のふもとから現在の代石にやってくることが決まったのは、福井県のある造り酒屋さんでした。そこに地権者の方が出稼ぎに行っておられ、話し合いの結果、現住所への移転が確定したのでした。そこの杜氏をしていたのがKさんでした。事故はその酒屋さんで起きたのです。Kさんはすでに80を超えておられますが、「吟醸酒を造るときには応援を頼まれるんだわ」と、先日会った時、笑顔で話してくださったのが最後となりました。夏場、Kさんは、軽トラに乗って毎日のようにわが家の牛舎脇の畑にやってきました。私の姿が見えると必ず声をかけてくださり、よく政治談議をしたものです。今朝、訪ねると、Kさんは夜中の1時頃に自宅に到着したということでした。永遠の眠りについたKさんの顔はおだやかでした。全国鑑評会で金賞を受賞した夢を見ておられるのかもしれません。惜しい人を亡くしました。


2008年02月09日

子どもが通らないと…

 きょうは第2土曜日です。朝立ちしていても、通る車の台数は平日の4分の1くらいでしょうか。そのなかには安塚のキューピットバレーへ行く車も10台くらいは入っていますから、ほんとうに少ない。朝立ちを始めてからまもなく1か月になりますが、集団登校する子どもたちと会い、挨拶を交わすのが楽しみです。子どもたちの数は少ないものですから、顔もほぼ覚えました。たまに、忘れものをして家に戻る子どもがいたり、休む子どもがいると心配になります。きょうは、通学の子どもたちもゼロ、ちょっぴりさみしかったですね。

 日中は「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。国保税の値上げ中止を求める署名は第1次分を昨日提出していますが、その後も、署名が寄せられています。新聞配達の際に、署名を手渡してくださる方も何人かおられました。昨日ときょうの分をたすと、署名は吉川区内の有権者の2割を超えたのではないかと思います。配達時に、「がんばってくんないや」と声をかけられることが多くなってきました。「おまんのビラは字をもっと少なくした方がいいよ。相手陣営のように、短いコメントをたくさん載せたらどうだね」などという人もいました。


2008年01月26日

第4土曜日

 朝立ちしていると平日と土日の出勤風景が違うことがよくわかります。そして同じ土曜日でも第1、第3と第2、第4では車の走る台数に大きな差があります。今朝は第4土曜日、平日の4分の1くらいしか走っていませんでした。先週の土曜日は、「土曜日でもこんなに勤めている人がいるのか」とびっくりしましたが、今朝は静かというか、本当に少なかった。

 さて、こちらは第4土曜日となると大忙しとなります。「しんぶん赤旗」の配達と集金があるからです。集金もあると、時間は普段の何倍もかかるのは言うまでもありません。きょうは、しゃべりましたね、たくさん。父の病状をきかれ、それがいつの間にか介護の話になったり、国保税の話になったりします。選挙をめぐっての話も次々と出てきます。相手候補の組織力のすごさを教えてくれる人がいて、「前回みたいにはいかない。よっぽど頑張らないと勝てないよ」という人が何人もいました。このほかに、私が楽しみにしているのは読者の方々が育てておられる花です。きょうは数軒で鉢植えの雪割草を観察してきました。そのうちの1軒では、花が膨らみ始め、ピンクの色がちょっぴり見えていました。来週には開花すること間違いなし、落ち着かなくなってきました。

 きょうは、うれしいことがありました。区内に住む2人の方から、「しんぶん赤旗」日曜版を読みたいと連絡があったのです。たいがいは、こちらからお願いして、読んでいただくことになるのですが、今回は住民の方から直接要請されました。このうちのお一人は、友人の家で「しんぶん赤旗」日曜版と出会い、「社会のことがとてもわかりやすく書いてあるので読みたくなった」とのことでした。来週の配達の時は、この人からゆっくりと話をきかせてもらおうと思います。


2008年01月25日

長岡市議の細井さんもプロジェクター使って…

 昨日、きょうと荒れています。この間、暖冬だと書いた後にこの天候です。地吹雪も発生して、道路はアイスバーン、車はどこでものろのろ運転でした。こういう日に高田や直江津に出かけるのはためらいがちになりますが、午後から、父の入院している病院、そして妻の職場へと車を走らせました。朝立ちのため、いつもよりも1時間以上早く起き、睡眠時間はこれまでになく短くなっています。夕方、あくびばかりしていたら、妻が高田から家までの運転を代わってくれました。

 きょうは市政レポートの作成をした後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金に出ました。「その後、お父さん、どんなだね」という話だけでなく、朝立ち(街頭からの朝の挨拶)のことを心配し、激励してくださる方が増えてきました。スタートしてから1週間以上経って、挨拶をしているところを見た人だけでなく、見ていない人のところまで話が伝わり始めたようです。「こんがな荒れごとの日は風邪ひかんようにしてくんないや。まだ、これからなんだすけ」「がんばりすぎないようにね」。こうした言葉が耳に残っていたので、夕方、キンカンを買ってきました。

 夜、長岡市議の細井良雄さんのブログを見たら、プロジェクターを使って集落懇談会を始めたとありました。しかも、私の経験を参考にして取り組んだと書いてあります。うれしいですね。細井さんは、話のうまさは私よりも数段上の人です、映像を使ったときに、どんなしゃべりになっているのか見たくなりました。ブログには「器械の扱いに慣れていなかったのでちょっと手間取りましたが、下手にしゃべるより現場の写真は雄弁で内容がよく伝わったと思います」とありました。こちらもがんばらなくては。


2008年01月20日

キジたちと3ヵ所で出会う

 日曜日は平日になかなか会えない人と会える、そんな期待もあって、朝から晩まで忙しく動き回りました。天候は時折、お天道様が顔を出すといった穏やかさがありました。とてもいい気持ちでしたね。この気持は人間だけではなかったようです。きょうは、めずらしくキジたちと3ヵ所で出会いました。そのうちの1箇所はわが家の近くなんですが、路上で数羽遊んでいました。至近距離まで車で行っても逃げないところをみると、とても楽しいおしゃべりでもしていたのでしょう。山間部ではウサギの足跡(画像)をたくさん見ることができました。たぶん、昨晩は月夜だったのかな。若いカップルなのでしょうか、足跡からはじゃれあったような雰囲気が残っていました。今年はまだ、ウサギと出会っていません。そろそろ会ってもいい頃です。


2008年01月13日

08年川谷地区冬まつり

 きょうは川谷地区の冬まつりでした。午前10時に出発して、11時から旧川谷小中学校の体育館で餅つき、懇親会でした。ここでの餅つきは、杵に水をつけないで3人が次々と杵を振り下ろし、餅をつくやり方(画像)です。私も市長、法政大学OBの人とついてみました。わずか数分の餅つきですが、3人の呼吸が合わないとうまくいきませんし、体力も要ります。つき終わった餅の味は格別で、雑煮も黄粉餅もたくさんご馳走になりました。

 餅のご馳走を食べた後は恒例のサイの神行事でした。グランドには今年も巨大なサイの神がつくられ、午後1時に点火。稲藁をたっぷりつかって、しっかり締めてあったせいか、今年のサイの神は火をつけてから燃え落ちるまで、ずいぶん時間がかかりました。途中、風が吹いて、一気に燃え上がる場面(画像)が2度ほどありましたが、その度に歓声が上がりました。地元の町内会長さんがカボチャをアルミホイルに包んで火の中に入れ焼いてくださいました(画像)が、これがじつに美味かった。火が消えてからは、雪の中での競技です。私も雪を積み上げる競争に参加してみました。冬まつりでは、今年も楽しい思いをさせていただきました。

 川谷冬まつりの会場を離れたのは午後2時過ぎでした。それから三ヶ字のサイの神に飛び入りし、10分後には地元の代石のサイの神へ。ここでの材料は萱です。私の牛舎内で乾燥させてあったこともあって、一気に燃え上がりました。川谷でのカボチャのホイル焼きにヒントを得て、りんごを2個持参、同じくホイル焼きに挑戦してみました。これもカボチャに負けないくらい美味しく、みんなから、「なかなかいい味だね」とほめてもらいました。


2008年01月12日

異変?アジサイがもう芽吹いた

 びっくりしましたね。石谷という山間部の集落でアジサイが芽吹いて黄緑色になっていたのです。雪が消えたわけでもなく、これから本格的に降る時期だというのにどうするのでしょう、このアジサイ(画像)は。ここ数日の温かい気温で春が来たと錯覚したのかも知れませんが、ちょっとかわいそうですね。きょうは、フキノトウも今年初めて見つけました。こちらは出始めたとしても異変とは言えません。雪が少なければ、姿を見せて当然ですから。

 きょうは、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしながら、新年のあいさつをしてきました。このうち、今月から新聞を読むことになった家では、夫婦そろって出迎えてくださいました。ここの家のお父さんたちによると、昨年、関東在住の親戚の人と会ったら、私のホームページのことが話題になったといいます。尾神岳の風景や区内の出来事を書いた文章をよく読んでいてくださるとのことでした。この親戚の人というのは吉川区出身で、私も東京吉川会で一度お会いしたことがあります。Tさん、ありがとうございます。


2008年01月11日

自治基本条例案についてご意見を伺う会

 やはり休んでよかった。昨日、ゆっくり過ごして、しっかり眠ったら、きょうは実にさわやかな気分でした。やりたい仕事もピッチが上がり、順調でした。きょうは、市政レポートを作成し、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、年始回り、病院での付添と進めることができました。市政レポートは、裏面はダメかと半分あきらめていたのですが、何とか書けました。「春よ来い」は91回目、今回はあるおばあちゃんから聞いた漬け菜汁の話です。一晩寝かせて手直ししたら、明日の夜にはHPにアップできるでしょう。病院では、別の原稿書きもやりました。

 夜は、上越市自治基本条例(案)についてのご意見を伺う会が吉川コミュニティプラザでありました。参加者は総合事務所職員を含めて30人近くにもなりました。企画政策課自治推進室のメンバーがパワーポイントを使って条例策定の背景や条例のポイントについて説明したのち、質問や意見を受けるという流れで進められましたが、次々と手を挙げる人がいて大変活発でしたね。「市民投票について、請求権者総数の50分の1以上と4分の1以上に分けた理由はなにか」「盛んに協働をいうが、市が逃げ道をつくろうとしているのではないか」「条文の中に専門用語がたくさん入っている。もっと平易な言葉で書いてほしい」など何と8人もの人が質問や意見を述べたのです。

 ご意見を伺う会が終わってから、池田自治推進室長に「どうでした。吉川の会は」とききました。池田室長からは、「いや、さすがに自治基本条例をもっていたところだけあって、活発な質問や意見がたくさんでましたね。私たちも、これだけいろんな声が出ると助かります」との言葉が返ってきました。議会では特別委員会での議論がほぼ終わっていますが、「協働を言うなら、もっと底辺で生活している弱者の立場にたった文言を入れてほしい」「別に条例で定めるもので新規に制定するものは何か」など今晩の発言を聞いていて、条例審議では力を抜かずに、とことんやる構えが大切だと思いました。


2008年01月03日

再び体温上昇

 父の状態がまた変化しています。昨日、体温が37.9度まで上昇し、おかしいと思っていたところ、誤嚥の疑いありとの診断が下されました。一昨日から少しずつ食べ始めたゼリーがどうやら肺に入ってしまったようです。手当の結果、体温は37.4度まで下がってきたものの、まだぐったりしています。医師の説明によると、今後は鼻から胃に直接、流動食を入れるか、胃に穴をあけてチューブでそこに流し込むかしかないとのこと。困ったことになりました。

 きょうは新年の宣伝行動でした。吉川区から浦川原区に入り、午後からの活動を再開しようとしたところへ母から電話が入り、急遽、病院へ駆けつけました。小康状態が続いているので、いったん家に戻りましたが、これからまた病院です。明日からは妻も長女も勤務が始まります。私も次々と日程が入ってきていますが、割り切って、父のことを最優先にして行動したいと思っています。関係者の皆さんにはご迷惑をおかけしますが、お許しくださいますよう、お願いします。

 写真は昨日の段階での父の様子(画像)です。


2008年01月02日

日刊赤旗での品川・志位対談が面白い

 新春二日目。きょうも病院泊まりでした。朝は新聞休刊日ということもあって、午前10時過ぎまで病院にいました。時間があったので、昨日付の新聞をゆっくり読むことができました。おもしろかったというか、興味深く読んだのは、「しんぶん赤旗」日刊紙に載っていた経済同友会終身幹事の品川正治氏と共産党志位委員長の対談です。品川氏が、小泉内閣以降、新自由主義・「構造改革」という“貧乏神”によって国民生活が直撃を受けているという指摘をしたりして、2人の対談が今日の日本の資本主義の異常さをうきぼりにしていたのはとても参考になりました。

 病院から家に戻り、旧吉川町農業委員会会長のお連れ合いの葬儀に参列しました。農民運動、政治活動で活発に動いていた夫をずっと支え、働き者だったY子さんは先月末、亡くなりました。たった一晩で冷たくなってしまっていたといいます。私は何回かお邪魔し、お茶をごちそうになったことがありますが、無駄口をいうことなく、いかにも農家の“おっかちゃん”という感じの方でした。葬儀には地元集落の人だけでなく、夫のOさんの関係団体、湯人の人たちが大勢駆けつけ、家の中には入れ切れず、前庭まで参列者であふれました。ご冥福をお祈りします。

 これからまた病院です。父は回復がよくわかるようになりました。痰も少なくなって、点滴のみの治療です。きょうの段階で、流動食がとれるようになるかどうか、病院に行くのが楽しみになってきました。それでは、お休みなさい。


2007年12月25日

自衛隊駐屯地で申し入れ

 昨日の話題から。クリスマスイブを意識していたわけではありませんが、昨日の夕方、吉川区の泉谷地内にある大きなイルミネーション(画像)を見てきました。数年前からテレビなどで話題となった家です。電飾美とでも言えばいいのか、萱ぶき民家の形を活かした見事なイルミネーションは今年も「健在」でした。上越市内の各地で、今年は電飾がぐんと広がりましたが、ここが元祖であり、出発点であったように思います。

 さて、きょうは午前が旧吉川町議会議長、八木一郎氏の叙勲祝賀会でした。私の父よりひとつ年上なのに、とても元気なのにはびっくりでした。腰の痛みがまだ取れないので、自席でしか交流できませんでしたが、旧町議や各種団体の役員さんたちと久しぶりに会えて、話ができたのが一番うれしかったですね。関東地方で働いている吉川区出身者の方とか消防署の幹部の人などがこの日記を毎日のように見ていてくださるという情報も寄せていただきました。

 午後からは、明日の予算要求に向けての最終チェックの会議、そして夕方には自衛隊高田駐屯地を訪れ、日米共同訓練の中止を求める要請行動に参加しました。訓練中止を求める上越地域の会の嶋田五郎会長が面会所で申し入れ文を読み上げました。平和活動での実績からくるのか威厳を感じましたね。ところで、駐屯地へは高田図書館前から歩いて行ったのですが、駐屯地の入り口の反対側には母校である高田高校があります。新築されたばかりの校舎を初めて近くから見て、ずいぶんイメージが変わったなと思いました。

 市政レポート1326号、掲載しました。ご笑覧ください。


2007年12月22日

気合いが入った花火

 腰の痛みが強くなってしまったので、「しんぶん赤旗」日曜版の配達は、私が車を運転し、後援会の人から配達の援助をしてもらいました。
 夜は原之町で商工会青年部の人たちなどが取り組むイベントに出ようとしたのですが、無理でした。食べ物も売っていて、ゲームもあり、最後は花火を上げるという話でした。会場は家から直線距離にして1Kちょっとです。ドンドーンという音がしたので、何とか外に出てみたら、大きな花火が何発も打ち上げられていました。冬の夜空の花火は格別です。きれいでした。次男は会場まで行ってみてきたとのこと、帰ってきて「いや、なかなか気合いの入った花火だった」と言っていました。まちおこしのために頑張る人たちに拍手です。


2007年12月18日

知らない顔

 日中はずっと雨でした。時々晴れてくれればいいのですが、降りっぱなしで、強く降ることもありました。こういう時は家の中での仕事であればいいなと思います。でも、きょうは久しぶりに、吉川区で一日を過ごすことができる日です。土日以外はなかなか進まない市政レポートの配布や「しんぶん赤旗」の集金に精を出しました。

 市役所木田事務所に行かないことで、いつも職場まで軽乗用車に乗せていく妻は、行きは電車、帰りは高速バスとなります。行きは電車の決まった時間ですが、帰りは職場での仕事の具合などで時間は定まりません。しかも、きょうのようにバスに乗り遅れることもあります。その時の連絡はすべて携帯のメールです。忙しい時に何回もメールがくると、「自力で通勤できないのか」と思うこともあるのですが、そこのところは妻も承知しているようで、メールの最後に絵文字でラブマークを付けてきます。絵文字というのは便利で、かつ遊び心がありますね。

 夜、気分転換をかねて幸田文の『番茶菓子』(講談社文芸文庫)をめくってみました。日曜日の新潟日報読書欄で紹介された、この本の中に入っている「雨の萩」などを読んでみたくなったからです。「雨の萩」は、雨で倒れかかっている萩の花を傘できれいに起こしながら歩く姿が目に浮かぶ素敵な短文でした。さらに読みすすんで、これは面白いと思ったのは、「知らない顔」という一文です。毎日のように鏡で見ている自分の顔でも「あまり逢ったことのない顔」がある。顔にはまったく自信のない私ですが、なぜかホッとするエッセイでした。


2007年12月09日

お茶やコーヒーもご馳走になってビラ配布

 よく持ちました。雨が降りそうでいながら、ときたまポツポツと落ちたくらいで夕方まで傘なしで過ごすことができました。山間部では雪になりそうだとの予報でしたが、吉川区では大丈夫だったようです。助かりました。

 きょうは市政レポートの配布を思いっきりやろうと決めていたのですが、ほぼ目標数配布できました。ビラ配りはポスティングではなく、声をかけて対話する方式が一番です。「テレビで質問見たよ。たいへんだね」「まだ本ある?おまんのビラ、楽しみにしているがだでね、いつも」「お父さん、その後、具合はどうだね」「側溝のこと、書いておいたけど、頼むわね」いろんな人が声をかけてくれました。お茶やコーヒーもご馳走になって、楽しい活動でした。

 昨日からきょうにかけて何人かの方が私の一般質問について電話やメールをくださいました。そのうちのひとりはMさん、初めてテレビで私の質問を見たとか。「おまんは終始一貫がんばった。ありがとう」短い言葉でしたが、大きな激励でした。


2007年12月05日

除雪車出動

 昨日から降り始めた雪は10センチを超えました。今朝は4時前には除雪車が我が家の近くの道路除雪にやってきました。毎年のことながら、この降り始めの頃は、自動車の運転にとても気を使います。市役所への所要時間はこれまでの35分から最低50分はみておかなければなりません。ただ、今朝は除雪が行き届いていて、いつもよりも5分くらい余計かかった程度ですみました。それにしても、家の周りの羽目板を弟から手つだってもらったおかげで助かりました。

 市議会はきょうから一般質問でした。宮崎、武藤議員が農業問題をとり上げたので注目しました。議場の雰囲気が一瞬変わったのは、コシヒカリBLについての泉田知事発言を武藤議員が問題にしたときでした。知事は、2005年に県などが導入したコシヒカリBL(BL米)について、「在来(のコシヒカリ)米とBL米の違いを分からないようにして売ってしまおうという戦略だった。『情報隠し』だった」(新潟日報)と述べたものですが、武藤議員は、「自分たちは(品質的には)従来と同じコシヒカリという認識だった。販売する側としては不利な発言だった」と知事発言を批判しました。市長は「(知事発言は)消費者に十分説明する中で販売していくべきだという趣旨だったと思う」と知事に気を遣った答弁をしていましたが、米の産出額が全国第4位の上越市のトップとしてもっと怒ってよかったと思いました。武藤議員はまた、最近、稲作農家から不評の「農地・水・環境保全向上対策」についてもとり上げ、生産者サイドの膨大な事務量について、「農家のためなのか国のためなのか、とても素人レベルでできる仕事ではない。監査のための書類の山にしか思えない」と鋭く批判しました。実際に農業を営む者ならではの発言は説得力がありましたね。

 ところで今朝の「上越よみうり」に『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)が写真入りで紹介されました。新聞紙上で紹介されたのは今回が最初です。私が書いたルポなどについては「過疎化が進む集落の様子が克明に描かれている」と書いていただきました。にいがた自治体研究所からの情報によりますと、新潟日報紙でも近々、この本の紹介が日曜日の「新潟の一冊」に載るということです。上越市内では春陽館書店と柿村書店の店頭に出ていますので、ぜひご一読願いたいと思います。


2007年12月04日

 吉川高校の跡地利用、白紙に

 市議会での議論がまったくないのにマスコミが重視する情報があります。先日の文教経済委員会での学力テスト結果情報もそうでしたが、きょうの総務委員会でもそうなりそうなのが県立吉川高校の跡地利用問題です。

 同校の跡地利用については、既存の施設を利用して新潟工科専門学校が醸造実技実習を行う場として利用することで合意されていました。しかし、地域振興部長のきょうの報告によると、本年6月に進出計画の見直し案が提出され、実習期間が当初の通年利用から1か月程度に、生徒数も40人規模から15人規模にするなどの大幅な計画縮小案が示されたといいます。それを受け、市では、「見直し案では酒文化の伝承と醸造を中心とした専門高等教育を官民一体で推進し、吉川区の中心地の活性化を図るという当初の目的を達成することが困難である」「施設と土地を県から取得したうえで無償で新潟工科専門学校に貸与する、必要な施設整備は地域事業費約1億5500万円を投じて行うとした計画の効果は期待できない」との結論に達したといいます。そこで市と専門学校側の双方で協議した結果、10月23日に指定解除確認書を取り交わし、計画を白紙にしたということでした。また、市ではその後、同校の有効活用を検討したものの、新たな利用計画が見いだせないことから、11月15日に、新潟県教育庁に対して、跡地譲渡要望について取り下げ書を提出したそうです。残念ですが、致し方ないですね。

 今日の総務委員会では、第5次総合計画改定版の審議が一番活発でした。新市の将来都市像については市民クラブ。市政会議、共産党議員団が共同で修正案を提出しましたが、賛成少数で否決されてしまいました。提出者を代表して中郷区選出の吉田議員が合併への思いを心をこめて語りましたが、歴代の村長に申し訳ないとのべた重い決断だったという話は感動的でした。


2007年11月19日

尾神岳に初雪

 朝、尾神岳を見たら上の方に雪がかぶっていました(画像)。昨晩、降ったのでしょうね。きょうは一日中、市役所で議員団会議でした。いよいよ、12月議会の準備です。提案理由の説明を読み、総括質疑、委員会質疑をどうするか検討しました。通園バス制度統一の条例、文化会館の指定管理者指定、直江津図書館、第5次総合計画などが中心となりそうです。明日も議員団会議をやります。


2007年11月10日

吉川高校よ、ありがとう

 吉川高校閉校記念式の日を迎えました。このところ、連日、有線放送でこの式典のことが流れていて、多くの吉川区住民がきょうの日を意識していたように思います。もちろん、私もそのひとりです。そのせいなのでしょうか、式典や惜別の会が終わって家に戻った時には何か疲れとさみしさが一体となったような気持ちになりました。学校は来年3月までは続きます。同校はわが家から直線で500メートルほどの距離にありますが、校内放送の音が時々聞こえていました。牛舎のそばの市道を部活などでランニングする生徒たちもいました。それらがまもなくプツンとなくなる。残念です。

 閉校記念式は午前9時半から。会場となった同校の体育館は在校生徒を最前列に、同窓生、元教職員、来賓など約400人の参加者でうまりました。同校が開学したのは明治43年の5月、それから来年の3月に卒業する生徒を含めて9805人の卒業生を送り出してきました。きょうの式典では、挨拶や講演などで同校の歴史と伝統を、そして卒業生たちが地域で、日本で、世界でいかに頑張ってきたかを知ることができました。そのひとつ、学校長である山田豊先生の式辞は1ヶ月も推敲されたといいます。「吉川高校は頸北の一大コミュニケーション・文化センターとしての役割を果たしてきました。いつも地域と一体となって、地域と深い交流をしながら地域に根ざした教育を展開してきました。新潟県の教育の歴史に個性あふれる学校として永遠に書きどどめられるでしょう。吉川高校よ、あなたは雨の日も風の日も雪の日も私たちをじっと見守り続けてきました。吉川高校よ、さようなら。98年間ありがとう。私たちはあなたの黄金の微笑を忘れない」。心のこもったすばらしい内容でした。

 山田先生が式辞で言われた同校の歴史と役割を各種歴史資料を存分に使って示してくださったのは、元東北大学教授の竹内昌昭さんの講演でした。パワーポイントを駆使して、農産物品評会やスキークラブの活躍(画像)など懐かしい写真や新聞資料などを映し出しての話は分かりやすく、ぐいぐいひきつけられました。私も数年前から付き合いをさせていただいていますが、とても研究熱心な方で、不明なところが出てくると、とことん調べる学者さんです。きょうの講演でもここまで調べてくださったのかと思うことが何回もありました。たとえば、日本学校農業クラブ、昭和25年11月に東京は日比谷公会堂で全国結成大会が開かれましたが、そこに参加した吉川高校の生徒は10人で、全国でもっとも多かったことを初めて知りました。そして参加者がうなったのは、校門のそばで85年間、同校の生徒を見つめ続けていた樹木、ヒマラヤシーダの話でした。この木は今年の2月の強風で傾き伐採されたのですが、その年輪(画像)の画像を示し、年輪幅に影響を与えた冷夏のことや学校の歩みを語られたのです。感動でした。

 きょうの式典、惜別の会では吉川高校との関連でお世話になった何人もの方と再会しました。『酒は風』を貸してくださった佐藤元校長、私が同校のPTA役員をやっていた時の平山元校長、醸造科の満田先生、東京吉川会で何度もお会いしている人たちなどです。たくさんの思い出話をさせてもらいました。きょうは、吉川区の歴史に残るさみしい日ではありましたが、懐かしい人たちと再会できたという点ではいい日でした。


2007年11月04日

吉川高校閉校記念碑除幕式

 6日後に閉校記念式典を迎える県立吉川高校に出かけてきました。きょうは最後の文化祭で、閉校記念碑の除幕式もありました。10時前に学校へ行くと、校門のある坂道を登りきったところにある記念碑の前にはすでに全校生徒が集結しており、閉校記念式典の実行委員会の人たちやマスコミ関係者も来ていました。それだけではありません。地元の近所の人たちやアマチュアカメラマンとして活躍しているIさんの姿もありました。閉校を惜しむ人たちが自然に集まったんですね。

 10時きっかりに、PTA会長の常山光雄さんが、「ただいまより、吉川高校閉校記念碑除幕式(画像)を行います」と宣言。続いて同校の閉校記念式典実行委員長である田中辰也同窓会長が挨拶に立ちました。「きょうはさわやかな日となり、除幕式には最適の日となりました。明治43年5月に開学して以来、本年度で98年の歴史を積み重ねてきました。この坂道を登り、下って巣立っていった人たちは9900余名になります。地域の文化、産業に貢献され、なかには世界に羽ばたいて貢献された人たちもあります。この晴れやかな歴史を閉じることになります。この記念碑は真嶋先生をはじめ大勢のみなさんの協力でできました。改めて教育の素晴らしさを感じています」。田中さんの挨拶は熱がこもっていて、同校を卒業されたすべての人たちを前に語っているような力強さと雰囲気がありました。挨拶が終わった途端、音楽が流れました。♪仰げば高し米山の 千古の雄姿天を衝く 望めば広しみこしじの…。校歌です。ジーンときました。

 さて、文化祭。どなたが準備してくれたのでしょうか、同校の歴史を振り返ることのできるコーナーがあり、そこにひきつけられてしまいました。1階にある吉川高校の「博物館」と名づけた教室です。報道資料などがたくさん展示されていました。同校が全国で唯一の「酒を造る高校」となってからのマスコミ各紙の報道はすごい量になります。醸造科をとり上げた新聞のなかには「しんぶん赤旗」日曜版(画像)もありました。この記事のコピーは醸造科で造ったお酒とともに全国に発送されたと聞いています。醸造科を取材した雑誌も多かったんですね。現代農業や教育雑誌の『エデュカス』にも写真がたくさん掲載されていました。なかには、私がよく知っている橋本紘二さんのものもあり、とても懐かしくなりました。


2007年11月03日

第3回吉川区芸能発表会

 吉川区の第3回芸能発表会でした。天気に恵まれましたが、その分、外のイベントへ人が流れたように思います。出演団体は特別出演の吉川中学校吹奏楽部の皆さんを入れて13団体、それぞれ持ち味が出ていて日頃の練習の成果を発揮できた発表となりました。今回の初出場は「オカリナアンサンブルうぐいす」(画像)です。おそろいの緑のジャケットと黒のズボンがとてもお似合いでした。少し緊張感が漂っていたものの、うれしそうに腰を振りながら初の演奏を楽しむ人もいて、いいムードでした。演奏は「いつも何度でも」からはじまり3曲、ラストは秋にふさわしく「もみじ」を二重奏しました。司会者からは、「赤く色づいた山々が浮かびました。あったかい演奏でしたね」とコメントがありました。

 私が来賓として参加したのは一昨年からです。今回を含め3回とも、はじめから終わりまで観させていただきました。毎回、いろいろな発見があります。今回は、踊りは舞踊であろうがレクダンスであろうが、指の使い方がうまい人の踊りはひと味違うと思いました。人差し指一本をゆっくり動かす、10本の指全体をさっと伸ばす。これだけでも、やわらかな色っぽさを出したり、情熱溢れるムードがつくれるんですね。もうひとつ、笑顔です。レクダンスを踊っているメンバーの中で、柿崎区在住のひとりの女性の笑顔が自然で、とてもいい雰囲気をかもしだしていました。この人はグループのリーダーかな。


2007年10月31日

うれしい反応

 朝晩の冷え込みが強くなって、紅葉も一気に進んだように感じます。わが家の周辺もカラフルになってきました。特に、山芋の葉の黄色とヤマウルシの赤が一緒に作り出す景色は見事です。こうした中、民家や周辺にある園芸種のキク(画像)も最盛期を迎えています。きょうは、ある家から赤や黄色、ピンクなどのキクをたくさんもらってきました。この家では小さな花のキクだけで0.5アールほど作って、楽しんでおられました。いいもんですね。

 きょうは市政レポートに関してうれしい反応を耳にすることができました。最新号の裏面に書いた「いもご」を読んで、「いもご入りご飯」を炊いてみたという人がいたのです。しかも2人も。その内のひとりは自分の家の周りにある自然の「いもご」をとってきて、少々の塩と酒も入れて炊いてみたと言います。最近、改めて確認したのは、同じ「いもご」でも畑でつくる自然薯の「いもご」よりも自然にある「いもご」の方が色つやが合って、美味しそうだということです。わが家でも今朝は「いもご入りご飯」(画像は私が炊いた「いもご入りご飯」)を炊きました。今秋に入って3度目になります。


2007年10月29日

遺影の笑顔

 私が長年住んでいた集落でひとり暮らしの人が亡くなり、きょうがその人の葬儀でした。子どもさんは目が不自由で、奥さんとは20年ほど前に離縁されていた方です。まじめで仕事熱心な方で、地域では信頼されていましたが、家庭的には恵まれないという不運の人でした。このまま人生を終わることになればあまりにもかわいそうだ、と誰もが思っていました。病気が悪化して長くは生きられないということが分かって、誰かが動いてくださったのでしょうか、3ヶ月ほど前、2人の子どもさん、それに別れた奥さんも加わって「お別れ会」を開いたとのことでした。そして、きょうの葬儀、遺族席にはその3人の姿がありました。お母さんの肩につかまり焼香した子どもさん、自席に座った時の目はうるんでいました。子どもさんはおそらく40代でしょう、お父さんと同じく大きくてがっしりとした大人に成長していました。最後の最後に来て家族がひとつになった、故人はうれしかったにちがいありません。遺影の笑顔がとても素敵でした。


2007年10月28日

ハグラウリの漬物

 10月、11月の日曜日は休日と呼べるような日があるかどうか。おそらく1年の中で最もイベントが集中する月なのではないでしょうか。きょうは「しんぶん赤旗」の集金、民主商工会の商工カーニバル、地元集落の収穫祭と続きました。
 
 集金の際、1軒のお宅で、「お茶飲んでいらんねかね」と声をかけていただき、ご馳走になってきました。お茶をご馳走になる時、最近の一番の関心は、漬物です。どんな漬物が出てくるのか、とても楽しみなのです。きょうは「ハグラウリの漬物」(画像)とミョウガの漬物を食べさせてもらいました。前者の実は比較的薄く、見たことのあるウリですが、「ハグラウリ」という名前は初めて聞きました。少しこりこりしたところがあって、いい味でした。漬物を食べると食べ物の話だけでなく、いろんな話につながっていきます。

 上越民主商工会がきょうのような商工カーニバルに取り組んだのは初めてではなかったでしょうか。天気が良かったこともあって、会場となった上越北厚生会館はとても賑わっていました。各ブースにはいろんな商品、展示品が並んでいて、私は果物、パンを買ってきました。1杯450円のラーメン屋さんは大繁盛、一時は30分待たないと食べられないほどだったとか。吉川区の会員さんたちは、包丁とぎでがんばっていました。

 市政レポートは先週、アップしたつもりだったのですが、どういうわけかうまくいきませんでした。今回は大丈夫のようです。1317号1318号をアップしましたのでご笑覧ください。


2007年10月27日

雨の中での配達と対話

 台風の影響でしょうか、昨日もきょうも雨、そのおかげで「しんぶん赤旗」の配達がたいへんでした。百数十軒を回るのに、車の乗り降りする度に傘をさしたり、閉じたりというのはとてもやっかいです。帽子をかぶり、新聞は懐に入れて濡らさないようにしながら配りました。きょうは月末でもあるので、集金も兼ねながらの配達です。結構、大勢のみなさんと対話をすることができました。

 きょうの対話の中で出てきたことの1つは農業政策についてです。米価の下落対策で何とかせよという世論が高まってきて、福田政権がこれまでの自民党の農業政策の見直しに着手したことに、何人もの人たちが関心を持っていました。最近、日本共産党が、「国民のたたかいが政治を動かす激動の時代に入った」と指摘していますが、農家のみなさんも諦めからたたかいへ、気持ちが少しずつ動き始めていることを実感しました。

 先週の市政レポートで『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)の宣伝をしたところ、思わぬところから注文が続いています。きょう、電話をかけてきてくださった2人の方はいずれも平場在住の方です。どうして読みたくなったのかまで詳しくはお聞きしませんでしたが、私が書いているということ、吉川区の人が登場することだけで読んでみたくなる人がいるというのはありがたいことです。この本の宣伝をしたら、前に出した本はないかという問い合わせも1件ありました。


2007年10月24日

大学院生と尾神岳へ

 きょうは京都から大学院生のMさんがやってきました。目的は上越市の地域自治区と地域協議会について、編入された自治体の議員はどうみているかをききたいということでした。空は真っ青。紅葉は進みつつある。こういう時に建物の中でじっとしているのはごめんです。できるだけ青い空の近くまで行きたい。山に入りたい。上越市がこういう仕組みをつくったかを目で見て考えるには絶好の場所があるよと、尾神岳へ誘いました。

 尾神岳はヤマウルシやカエデなどが紅葉し、ナナカマドが赤い実をキラキラ輝かせていました(画像はここ)。もう1週間も経てば、紅葉は最もいい時期を迎えるなと感じてきました。2人で展望台まで上がり、そこから上越全体の説明をしました。973平方キロの面積というのはどれくらいか、新上越市は中山間地をたくさんかかえた市であることなどを目で確認してもらいました。昨日、合併前の上越市の議員から理論面で教えてもらったというMさんですが、「こういうフィールドワークもいいですね。地域自治区と地域協議会をつくった理由が分かりました」と語っていました。

 Mさんはわが家の末っ子よりも若く23歳。親子ほど離れた歳でいながら、山に入れば、私と同じことを考えていたのには驚きました。アキノキリンソウ、オヤマボクチ、ノコンギク、ツルリンドウなどを教えると、きれいだと言ってはデジカメに撮っていました。また、「いもご」(ムカゴ)にも強い関心を示し、「これは美味い。酒のつまみにぴったりですね」。私も、尾神岳に登って話をしたおかげで、「いもご」やサルナシの実をたくさん採ることができました。明日か明後日は今年2回目の「いもご入りご飯」を炊くことになるでしょう。


2007年10月21日

2007吉川小学校音楽発表会

 時間にすればわずか2時間。でもこの2時間のための準備の時間は数倍かかっているにちがいない。そう思ったのはきょうの吉川小学校音楽発表会でした。

 学年ごとに目標をもち、聴衆に何を訴えるかをしっかり決めて練習したのでしょう。どの学年も持ち味があって、楽しませてもらいました。例えば1年生、入学して半年になります。「あるこ あるこ わたしは元気…」の曲が流れる中、大きく手を振り、足も上下させながら舞台へ。なれない学校生活の中に楽しさを見つけて元気よく頑張っている様子を歌と言葉で示してくれました。ヤギを飼うことにして子どもたちが校長先生のところにお願いに行くと、先生は、「みんなお世話できるかな…。よし、飼ってもいいぞ」。ヤギのぬいぐるみも登場させての歌は「なかよしやぎさんのマーチ」でした。

 元気にのびのびと。「ヘーイ ヘイ ヘイ ヘイ ヘイ」。とても元気な4年生たちでした。彼らが歌の前に言った言葉は短く、体育館に響きました。吉川の上流の水はとてもきれい。山から見る眺めは最高。吉川の水は尾神岳から生まれるんだよ。気球に乗って見てみよう。そして彼らが歌った歌は、「時には大空に旅してみたくなるものさ…」で始まる「気球に乗ってどこまでも」でした。

 総合学習で米づくりを学んだ5年生。今年はもち米を作ったそうです。「見つけよう 感じよう」という文字が壇上のスクリーンに浮かびます。担任の先生が背筋をすっと伸ばしてタクトをふり、子どもたちが歌ったのは「地球の息吹」でした。スライドではコメづくりの様子の映像を映し出しながら、「田植えの時から収穫のことを考えてニコニコしてしまいました」「5回の開墾と代かき がんばりました」などと子どもたちが学んだ時の思い出や感動を語りました。

 毎年、聴衆をわかせるのは職員の発表(画像はここ)です。今回は「千の風になって」を歌ったあと、ひょっとすると、合唱だけで終わったのかもと思わせるほど次の出し物が出て来るまで時間がかかりました。保護者の中には、「これで終わったら、懇親会は荒れるよ」という声まで出ました。やっと準備が出来て、職員さんが出てくると会場から歓声があがりました。エクササイズです。私もそうなんですが、校長先生のワンテンポ遅い動作、先生たちのおどけた仕草、そしてブリッジにみんなの目が注がれました。最後は、子どもたちも一緒に動くほどのりましたね。


2007年10月18日

19年度吉川区敬老会

 きょうは吉川区の敬老会でした。会場のゆったりの郷ゲートボール場に集まったのは約480人(対象者は1319人)です。参加者数はほぼ昨年並みでした。主催者を代表して中川周一副市長が挨拶し、市議会の古澤弘副議長が来賓として挨拶をしました。昨年の敬老会で市長が高齢者のデータを並べたところ、「ホーッ」という雰囲気になりましたが、きょうの副市長の挨拶でもそうでした。上越市内の100歳以上の人数は72人。吉川区内で今回、米寿を迎えた人は25人、白寿を迎えた人は1人。この数字が示されると会場は関心度100%になりましたね。みんな、健康で長生きしたい。それが一番の関心事なのです。

 式典が終わって第2部はアトラクション。昨年と同じく、ゆったりの郷が運営してのアトラクションとなりました。司会はこのほど内孫ができたばかりの橋爪吉夫さんです。舞台に登場するメンバーのことをよく調べておいて、「さー、この次は、天国の父ちゃんに見せたい。その思いで鹿島京子さん率いる源山ゆり会のみなさんによる『出世太鼓』でございます」「化粧も髪も直しました。普段よりきれいになりました。さあ、踊りの最後です。○○会のみなさんによる『男の夜明け』です」。(画像はここ)ユーモアもまじえての紹介は好評でした。アトラクションのメインは区内のグループによる踊り、市内で頑張る歌手による懐かしのメロディ、そして、ゆったりの郷の従業員による歌のメドレーでした。飛び入りで田尻の上野一さんが新潟県民歌を熱唱されましたが、来年から敬老会参加者の登場が増えるかも知れません。

 きょうの敬老会では普段、あまり会えない人と交流できました。この日記に書いた「最後のロードレース」を友人からファックスで送ってもらったというTさんもその1人です。「行事があったその翌日には記事になっているんだから驚いた。文章も次の展開がどうなるか気になるいい文章だったね。ただ、その後出た『最後のロードレース』(「春よ来い」85回)は背広を着た文章になっていたね」。こういう率直な感想をのべてもらうと、とても参考になります。


2007年10月14日

母の実家で法要

 吉川区第3回(通算43回目)駅伝と大島区の伯父と伯母の法要が重なりました。駅伝は30数年前からずっと関心を持ち続けてきたイベントです。きょうは、来賓としての案内もいただいていましたので、開会式で挨拶をして、法要に向かう途中、2区で応援しました。距離が短いこともあって、2区は1区とともに、スピード勝負、みんないい走りをしていましたね。大下の中継地点では大勢の人たちが応援に出ていました。天候は曇り時々晴れ。私が乗ったタクシーの運転手さんは、快晴よりもこの方が走りやすいと言っていましたが、ひょっとするとこの人も若かりし頃は駅伝ランナーだったのかも知れません。

 法要は母の実家で行われました。父の介護で動きがとれないので無理でしたが、本来なら母も出かけたかったはずです。伯父が亡くなったのは6年前の1月、伯母は昨年の10月でした。時の流れの速さを感じました。2人のお坊さんのお経を聴きながら、たびたび見たのは伯父と伯母の写真です。仏壇の上の方に掲げられていて、伯父の写真は白黒、伯母はカラーと色の違いはありましたが、2人ともおだやかな表情をしているのが印象に残りました。伯父が亡くなってからしばらくして伯母を訪ねた時、伯母が「オラもいつ逝ってもいいんだがね」と言っていたことを思い出しました。2人とも天国で仲良くしているような写真でした。

 法要が終わって、お坊さんが興味深い話をしてくださいました。宮沢賢治の短編、『やまなし』を紹介しながら、いのちの継続性について語ってくださったのです。川底にいるカニの子どもたちが水面を見つめていると、やまなしが流れてきたのか、落ちてきたのか、子ガニたちをびっくりさせます。お父さんガニが一緒にこのなしを追いかけ、最後は熟させて自然に酒になるのを待つ。その酒をいただくことは、やまなしの命をいただくことだと。人間も多くの命を引き継ぎながら生きている。そんなお話だったように思います。この話を聴いた後、お斎の席で、従兄が「ここにいる子は、母が亡くなって1週間後に生まれた子です」と孫を紹介してくれました。その子の顔をよく見てみると、何となく伯母に似ているところがあるような気がしました。おもしろいものです。

 お斎の席では、いろいろな情報交換が出来ました。お坊さんのうち1人は、京都で大学教授をやっておられる方ですが、私のHPで5月27日の池田勇諦さんの講演について読んでいてくださり、真宗大谷派と平和、憲法9条のかかわりについて教えてくださいました。埼玉県在住のUさんは元教育長さん、社会教育の場で、私の『幸せめっけた』『春よ来い』の中の話を題材に使っていると語りかけてこられました。特に「ナシ泥棒」はいい題材になるとか。この「ホーセの見てある記」を毎日、見てくれている従弟たちからも情報をいくつも寄せてもらいました。「たまに誤字があるけど、疲れているんだろうと思って」「尾神岳の報尽碑に行きたくなった」。みんな、うれしい情報でした。


2007年10月07日

第10回越後よしかわ酒まつり

 誰でも、10年たったらこうなりたい、こうしたいという思いがあるのではないでしょうか。吉川の酒まつりがきょうで、10回目となりました。この祭りを通じて、吉川のことをもっと知ってもらえるように。もっと大勢の人たちとも交流をしたい。できれば、これをバネに地域を活性化させたい。そんな思いがあったはずです。幸い、昨年に続いて好天に恵まれ、本当に大勢の人たちで賑わいました。来賓として一緒になったKさんとは、少なくとも2000人、いや3000人は来てくださったのではなかろうか、と話しました。テントの中から人の流れを見ていても知らない人がずいぶんお客として参加してくれたように思います。ある人の話によれば、電車で出かけてきた人たちもいるそうですから、うれしい。会場へのアクセスは、最寄の駅からどうすれば会場に行けるかもお知らせしてと注文もされました。

 sakematuri071071.JPG10回目の酒まつりは震災後初のまつりとなりました。8月上旬に予定されていた越後よしかわやったれ祭りが中止されたからです。来賓の挨拶はすべて震災のお見舞いの言葉で始まりました。東京荒川区の三嶋副区長さんの挨拶、同区との交流は20年になりますが、「いつも荒川の祭りでは吉川区からお酒をいただいています。酒のお返しに水というのは申し訳ないような気もしますが、地震では直ちに水をお持ちしました」。給水車を派遣してくださった有難さが、この話でよみがえりました。東京吉川会の関沢会長も地震当日のエピソードを語ってくださいました。「吉川会の会合が終わってすぐに実家に電話しました。子どもたちがお父さんたちは温泉に行っていると言います。それなら、たいしたことないな、と思ったら、自分の家の風呂に入れないから温泉に入りに行っていたんですね」。会長さんらしいユーモアを交えての温かい挨拶でした。

 祭りでは、日頃、なかなか会えない人たちとも会うことができました。左手に親指を固定する補助具をいまだにつけているものですから、指の怪我の説明を何十回もしました。次は父の具合を訊いて来る人が多く、父の病状も大勢の人たちに話しました。来年春の市議選のことを心配して声をかけてくださる方もたくさんありました。「絶対負けるな」「がんばってくんない」この言葉をたくさんいただきました。きょうの祭りで、多くの方から励ましをいただきました。心から感謝します。

市政レポートNO1315アップしました。ご笑覧ください。


2007年10月06日

シラネセンキュウが咲いている

 今回の「春よ来い」は先日の吉川高校の最後のロードレースのことを書きました。この日記にも書いたのですが、初めて書くつもりで文章にしました。ところが、文章の最後がなかなか決まらず、今朝の印刷時に大幅に修正しました。そして、ホームページに掲載する段階になって、さらに修正しました。文章は生き物です。明日になれば、また変わっているかも知れません。昨日の市政レポートの裏面で読まれた方はホームページに掲載したものも、ぜひご覧になってください。

 きょうは一日のうち、殆んどの時間を吉川区で動き、「しんぶん赤旗」の配達、集金をしました。先月下旬は議会などで忙しくて、ほとんど集金出来なかったので、楽々しました。ある家で、声をかけたら、「おらもいるがど。入んない」と、そこの家でお茶を飲んでいたKさんに誘われました。同郷の人同士でお茶飲みをしていたところへ、もう一人、同郷の人間が加わったものですから、その後のことは言うまでもありません。父の具合や昔の話、さらには市議会の一般質問のテレビ中継にまで話は及びました。

DSC07285.JPG 山間部では道草をしました。シラネセンキュウが目にとまり、何枚かをデジカメに撮りました。ミゾソバもきれいなピンク色をしていました。それと、朝、日刊紙の配達の時に、ある読者の家でクルマバハグマの花を見つけました。もう時期的には遅いのですが、それでも、線香花火がパチパチやっている感じで花が開いていました。この花を確認したことがある林の中に入って、こちらも数枚、写真に撮ることに成功しました。今年は会えないと思っていただけに、うれしかったです。


2007年09月29日

最後のロードレース

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金をしていたら、高校生たちが走っているところに出会いました。一人や二人ではありません。大勢が列になって走っています。学校の先生とおぼしき大人たちがT字路などで立っています。交通整理なんでしょう。これは、明らかに「校内マラソン」です。「きょうは土曜日、普通なら休みのはずなのに、何で?」と思いながら、車を走らせると、今度は原之町の十字路より少し東のところで10人くらいの大人たちが集まっているところに出くわしました。「何か事故でもあったんですか」とたずねたら、「応援です」という答えが返ってきました。さらに車を走らせ、平和橋の近くまで行くと、元吉川高校の校長先生、数学の先生までが生徒の応援をしていました。(画像はここ)

 ここまで来て、これはいつもと明らかに違うことがわかりました。車をとめて、話を聞いて、この「校内マラソン」は吉川高校の最後のロードレースで、保護者も、元職員も支援ボランティアや応援に駆けつけていることを知りました。元校長先生は軽トラに荷台を利用して給水所を設置、ウーロン茶やスポーツ飲料などを並べて、ランナーに声をかけています。「がんばれ、飲み物あるぞ、お茶がいいか、アクエリヤスがいいか」といった調子です。今回のロードレースは高校のグランドをスタートして、原之町、下町、そして下条堰近くの道を女子生徒は2回、男子生徒は3回まわるのだそうです。私が車を降りた時には、もう少しで終わりという時間でした。自転車に乗って先導している先生からは、生徒の頑張りについても教えてもらいました。「いま走っているあの子が完走してくれるかどうか一番心配していたんです。でもやってくれそうです。よかったら閉会式、観にきませんか」と声をかけてもらいました。

 グランドまで行くと、最後のランナーが入ってくる少し前でした。全校生徒、校長先生などが待っていました。そこへ、次男の担任をしてくださったT先生もこられ、校長先生や私に話かけ、「私は生徒たちに恵まれました。私は卒業式で生徒たちから感謝状をもらったんです」。数年前の卒業式の思い出話でした。そして、最後のランナーがグランドに入ってくると、生徒たちが一斉に声を出しました。「○○○、がんばれ」。閉会式では、最後のロードレースを全員が走りきったことを心に刻んでおくようにという校長先生の挨拶が感動的でした。さらに、生徒たちがボランティアでこのレースを支えてくれた親たちなどにお礼の挨拶もしました。胸が熱くなりましたね。


2007年09月24日

収穫の秋も終盤

 生活相談と取材・原稿書きの一日でした。9月の3連休の2度目。平場での稲刈りは大規模農家を除いてほぼ終わったようです。昨日ときょうはコンバインを洗ったり、ごみを取ったりしている光景をいくつか見ました。こうした光景に出会うと、収穫の秋も終盤だなと思います。山間部の農家で稲刈りの状況を聞いたら、今年はカモシカにやられたという言葉が返ってきました。獣害は昨年より広がりつつあります。米価下落問題はどこの農家も深刻に受けとめていますね。

 自治体研究社の『山村集落再生の可能性』の原稿書きの方も終盤です。本当は明日が締め切りですが、上越市の集落調査に関する追加分については、もう少し待ってもらえることになりました。あと一日書けば何とかなるでしょう。ただ、今週の議会の日程の中でいつその時間をとるかが問題です。明日の総務常任委員会の時か、それとも夜、少しずつ書くか。どちらを選択するにせよ、パソコンとのにらめっこはしばらく続きます。


2007年09月23日

本の原稿書き、あれこれ

 まずは連絡というか、お知らせです。東京都練馬区にお住まいの浩一さん、吉川区のおかあさんの写真をお送りしますので、メールのアドレスを教えてください。私のメールアドレスはHPのトップに掲載してありますので、よろしく。

 先日、『山村集落再生の可能性』に掲載予定の原稿を書き、出版社に送りました。急いで書いたこともあって、書かれた側の人たちはどう受けとめてくださるか気になっていました。きょうは、午前中に時間をつくり、3人の人から原稿を見てもらいました。事実関係に間違いはないか、人の名前が間違っていないか、読んで違和感を感じる点はないか、チェックしてもらいました。その結果、人の名前の順番などいくつか修正することにしました。表現も、ぎこちないところをいくつか直しました。これで一安心です。

 午後からは、上越市の『高齢化が進んでいる集落における集落機能の実態等に関する現地調査報告書』について、私なりの評価を文章にまとめる作業に入りました。題して、「上越市の○○調査から見えてきたもの」。こちらは先に書いたルポと違って、論文に近いものにしなければなりません。最近は、一般質問もメモ程度のものしか書きませんので、硬い文章になりそうで、なかなか前に進みません。気分転換にテレビのスイッチを入れたら、福田さんが自民党の総裁に選ばれ、壇上でお礼と決意の挨拶をしているところでした。総裁といえども、緊張して口のすべりがいまいちになることもあるのか、と思いながら聴きました。

 市政レポート1313号、及び『春よ来い』第84回「ラジオ深夜便」をアップしました。トップページからお入りください。


 


2007年09月22日

お彼岸残暑のなかで

 きょうもあっちっちの一日でしたね。もう9月も後半だというのにどうしたことでしょうか。午前は、パンツ一枚になって原稿書きに専念しました。午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。日除けのために、タオルで「あねさかぶり」をして動きました。ある70代のお母さんから、「あら、おまさん、おもしれぇ格好してなるね」と言われましたが、どう言われようと、強烈な陽射しを避けないわけにはいきません。田んぼが軟らかいと苦戦をしていた稲刈りもここに来て順調なようです。きょうは3連休の初日、あちこちでコシヒカリを刈る姿が見られました。

 ある読者の家でお茶をご馳走になっていた時、近くの林の中から聴いたことのないセミの鳴き声がしました。ミンミンゼミが終わろうとしている時の鳴き声か、私が初めて出会ったセミか。一緒にお茶を飲んでいた3人で耳を澄ませて聴き入りました。重い鳴き声でした。このセミの声を聴いたことで、しばらくセミの話で賑やかになりました。今朝のラジオで、セミとカマキリが争っている様子を見たカメラマンの話をしていたそうです。結論を言うと、勝ったのはセミの方。どうなるか冷や冷やしたというカメラマンは写真を撮るのを忘れてしまったといいます。この話を教えてくれた人も、セミがカマキリに食われてしまうと思っていたので安心したと言っていました。そして、セミもカマキリも寿命は長くないのに、争ってほしくなかったとも。

 トップページの尾神岳の写真、入れ替えました。


2007年09月19日

春日山駅の近くでハサがけイネ

 妻が日中、車を使うというので、朝、妻の勤務先から高田駅まで久しぶりに歩きました。午前8時47分の電車で市役所まで行こうというわけです。急ぎ足で駅まで歩くと、電車は15分遅れ。とたんに、汗が噴出してきました。電車からは普段見ることのできない風景が目に入り、満足しました。特に春日山駅の近くで、ハサ掛けのイネがあるのにはびっくりでした。電車が止まってくれれば、デジカメでいい写真が撮れたのに残念です。

 きょうは、建設企業常任委員会3日目。一日中審議を傍聴しました。中越沖地震の後だけに、地震関係の説明や質問がはじまると、どうしても注目します。一般会計補正予算で木造住宅耐震診断支援事業では25件分の診断支援費用が追加されました。1件あたり5万円の補助です。これで足りるのかなと思うのですが、まだ個人住宅の耐震化を求める意識が低いのかも知れません。

 本城議員が水道事業会計決算で、「(決算の)数字で見ると石綿管更新計画よりも3キロメートルくらい前倒しになってあったと思われるが、今後も18年度決算を上回るペースでやっていけるか」と問い、新井議員も水道事業会計補正予算審議で「断水が長期化した柏崎市での経験からも学び、水道のブロック化などが必要ではないか」と質問していました。こうした質問を聞きながら、ガス・水道というライフラインの耐震化についてもっと勉強しなければと思いました。


2007年09月17日

NHKラジオ深夜便

 敬老の日。吉川区内に住む70代後半のHさんとおしゃべりをしてきました。コーヒーをいただきながら、最近何をやっているかについて話をしてくださったのですが、とても興味深い話だったので、つい、長居させてもらいました。Hさんは、このところ、NHKのラジオ深夜便が気に入っているのだそうです。それも、深夜の3時ごろから始まる「にっぽんの歌こころの歌」が良いと言います。ここで紹介される曲は、戦前、戦中、戦後の歌謡曲。でも、市販されている懐かしのメロディだけでなく、レコードのB面扱いだった曲もある。アナウンサーがよく調べておいて、歌手のことや曲の紹介もやってくれる。さらには、その曲にまつわるお便りも紹介される。とても心地よいと言っておられました。びっくりしたのは、気に入った時のものはすべて録音されていることでした。本棚の片隅に、録音したMD(画像はこちら)が49個も並んでいました。もう1個でちょうど50個になるとか。
 
 Hさんが言うには、「にっぽんの歌こころの歌」を布団の中でウトウトしながら聴くのが一番。その曲の背景も自分の思い出も浮かんでくるというのです。明るくちゃ、ちょっとムードはでないけどね、そう言って聴かせてもらったのは、9月15日の放送分でした。津村謙と鈴木三重子の真夜中の夢の競演。曲は『流れの旅路』『愛ちゃんはお嫁に』 『上海帰りのリル』 など。こうした曲をバックにHさんは、いくつかの思い出を語ってくれました。吉川高校(当時は農林学校)の農場へ行こうとした時に、アメリカのグラマン戦闘機がやってきて、操縦士の顔まで見えて怖かった。黒井の空襲があった日、多分、1945年(昭和20年)5月5日、爆撃をした飛行機が原之町上空を飛んで行って、いきなり急降下したかと思ったら、ドーン、バリバリ。ガラスが揺れた。Hさんの話は今度、ゆっくり聞いてみたいと思います。


2007年09月14日

荒川区議会議長からお見舞い

 吉川町時代から友好関係がある東京都荒川区区議会の竹内議長さんが遠路はるばる吉川区まで地震のお見舞いに来てくださいました。大きな災害があった時に友だちが来て、大丈夫かと励ましてくれるのは心強く、ありがたいものですが、それと同じです。とてもうれしく思いました。きょうは、私も地元議員として竹内さんと一緒に行動させてもらいました。被災地を視察される様子を見ていて感心したのは、自分たちの住む荒川区で地震が起きたらどうなるかを考え、ライフライン、通信手段などがどうなったかに強い関心を示しておられたことです。大いに勉強させてもらいました。


2007年09月03日

稲刈り始まる

 吉川区で稲刈りが始まりました。総合事務所に近い下町、片田などです。私が刈り取り風景を目にしたのはきょうですが、おそらく、土日に始まったのでしょう。このホームページのトップの写真も黄色から一気に土色に変わりました。農家にとっては、収穫が最高の喜びをもたらすものですが、夏場の連日の暑さと、ここ1週間くらいの雨が品質や収穫量にどう影響したのか気になります。

 きょうは午前中、母を目医者に連れて行きました。普段でも細い目が目ヤニがどんどん出て、目が開かなくなったというのです。「どら、見せてくんない」と言って、しゃがんで、母の顔を両手ではさんでみたら、顔はくしゃくしゃ、目の周辺が台無しになっていました。眼科医の診断によれば、緑内障がかなりすすんでいて、白内障にもなっているとのことでした。まずは目ヤニを治し、それから手術になりそうです。

 母を医者に連れて行ったことで、今日の予定はだいぶ狂いました。お昼休みに党議員団会議をやり、一般質問の打合せと分担を行いました。私は震災対策と自治基本条例をメインにした質問になります。9月議会は明日から1ヶ月間です。この間に、場合によっては手の手術をやり、本の原稿も書き、選挙の準備もする、大変ハードな1ヶ月になりそうです。


2007年08月30日

まだまだ安心できない

 「しんぶん赤旗」日刊紙を配達中のこと、河沢町内会の公民館のところにたくさんの人たちがいるので、何事かとビックリしました。聞くと、午前3時頃、地すべりセンサーが反応して3世帯の住民が公民館に避難したということでした。3世帯は地震の際、裏山に地割れができて避難したという経過があります。調査の結果、今回は木の枝が折れてセンサーにあたり反応したもので、地割れが広がったり、滑ったりしたものではないということでした。まあ、良かったです。でも、雨でも降れば何が起こるか分からない、まだまだ安心できないよ、というシグナルだったように思います。

 きょうは午前に柿崎区の屋内水泳プールを党議員団で視察してきました。子どもが小学生の頃、何回も利用させてもらった施設ですが、ほとんど変わっていませんでした。プールサイドの監視台はプールサイドではあっても事務室の窓際にくっついていました。高さは約1.7メートル。異常を発見した時、事務室にいた監視員がプールに飛び込んだのもわかる気がしました。事務室からもプール内は9割方見えることもわかりました。プールは誰も泳いでいない時と泳いでいる人がいるかで、そして大勢が泳いでいるかどうかで水面も底もずいぶん違って見えます。浮き輪があったり、ビーチボールがあったりするだけでも異常が発見しにくくなることがよく理解できました。死角を極力少なくすることに意識的に取り組む必要があると思いました。

 プールの視察後、吉川診療所へ行ってきました。じつは25日、法政大学の学生やOBでつくる人間環境ネット21の皆さんとお酒を飲んでとても楽しいひと時を過ごしたのですが、その際、ちょっとしたミスで左手親指を痛めてしまいました。なかなか痛みがとれないので診てもらったところ、短母指伸筋(たんぼししんきん)が切れた可能性があるということでした。極めてめずらしい怪我だそうです。1週間後に再診し、良くなりそうもないということになると入院して手術する必要ありとの医師の判断でした。うまくいって全治6週間といいます。ちょうど9月議会の真最中、困ったことになりました。


2007年08月25日

川谷地区運動会、今回も楽しく

 運動会はこんなにも楽しいものか。川谷地区の運動会に参加するたびにそう思います。きょうは午後3時から同地区の運動会でした。地元に住む人、平場へ出た人、法政大学の学生、同大学の人間環境ネットの人たち約80人が、協力して運動会を盛り上げ、大いに笑い、楽しみ、秋に向けて元気をつけました。

 ここの運動会は吉川区内でももっとも高齢化しているところでの運動会です。毎年、地元住民が年をとっていく中で、外部から来た学生など若い人たちが支えてくれるので、続けることができます。種目はダンボールの紙を使ったボードレース、ジュースやビールなどを早く飲み干し、ゴールする競争、瓶釣り競争、玉入れ、パン食い競争などです。この運動会は来賓も頻繁に出場しなければなりません。マスコミの人も最初は取材していますが、そのうち、完全に「選手」になります。

 私は開会式の挨拶で、「きょうの運動会で2キロやせたいと思います」とのべました。参加した種目は「早くいっぱいレース」、瓶釣り競争など3種目。この他、写真撮影でグランド内をたくさん歩きました。でもその後の反省会、さらに、それが終わってからは法政大学などが主催する結祭(ゆいさい)でがっちり飲んだので目標は達成できませんでした。結祭は地元商工会青年部の人たちが今年も応援参加してくれてとても賑やかでした。写真は結祭の時のものです。


2007年08月14日

「たれ」で食べ物を楽しむ

 猛暑が続いています。うだるような暑さの中を動くのは体にこたえるので、午前中はめずらしく室内にこもって党創立85周年記念講演記録を読みました。一番印象に残ったのは、不破哲三さんの講演のなかの「『政治対決の弁証法』の現段階」です。支配勢力の日本共産党締め出し作戦の現段階のやり方は「日本の政党戦線を無理やり『二大政党』の流れにはめこもうというという型の作戦である。まじめに国民の利益を考え、国民の利益を追求すれば、必ず大企業・財界の横暴とアメリカへの従属という二つの障害にぶつかる。これを取り除こうと思えば、日本共産党の政策に必ず接近してくる。日頃から、こうした大局観を持ってがんばらないといけないなと思いました。

 午後3時からはNPO法人「よしかわたすけあい」の夏まつりでした。当初、7月に予定していたのだそうですが、地震もあって出来なくなったとか。こじんまりとした焼肉を楽しむ会といった感じのまつりでした。ブルーシートを張って、真夏の太陽を避けようとしたものの、強烈な暑さにはまいりましたね。でも、料理研究家の井部真理さんが直接出向いておいしい「たれ」を作ってくださったこともあって、ひと味違う焼肉を楽しむことができました。ゴマも入った子ども用の「たれ」とリンゴなどの入った大人用の「たれ」、「たれ」で食べ物を楽しむ点が新鮮でした。また、ブルーベリー、小豆などが入ったかき氷も最高でした。それともうひとつ、遊びです。ジャンケンゲーム、布でできた子どものおもちゃを数人でキャッチボールするなどの極めて単純な遊びがこんなにも楽しいとは思いませんでした。大人も子どもも、もう夢中でした。


小さな町の幸せ通信