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2008年03月投稿分

2008年03月31日

退職者に辞令交付

 年度末。市役所では百数十人の人たちが定年などで職場を離れていきました。一人ひとり名前をあげられませんが、議員活動の中でお世話になった人も少なくありません。これからは、そうした人たちと会う機会があまりなくなると思うとさみしい気がします。辞令交付を受けた退職者のうち、数人と偶然出会い、挨拶をかわしました。「市長さんからご苦労さんでしたと言われて胸がいっぱいになった」「明日から役所に来ないでいいといっても何かピンとこない」などの言葉を聞きました。私の従兄も退職者の一人でした。市役所にもう少し早く行けば会えたかも知れません。市の職員としての最後の姿を見られなかったのは残念でした。みなさん、ほんとうにご苦労様でした。

 さて、きょうは県立吉川高校最後の日です。わが家と学校とは直線で500メートルあるかなしでしょう、これまで学校からはチャイムや校内放送が風に乗って聞こえてきました。時々、生徒たちの声が聞こえることもありました。これからはまったく聞こえなくなる、そう思うとさびしいですね。学校関係者の方々が夕方、集まるという情報も入ってきていますが、残念ながら私の方は病院でした。

 きょうは午後から天気が崩れました。夕方、雷が鳴り、あられも降って車のフロントも道路も一時白くなりました。まだスノータイヤを履いていて良かったです。


2008年03月30日

桜も開花間近

 訪問活動をしていて気がついたのですが、ある家のソメイヨシノの花が赤いつぼみになっていました。そこのご主人によると、毎年12日頃に咲くのだそうですが、今年はそれ以前に咲くでしょう、とのことでした。車でさっと通るだけでは見えないけれど、ゆっくり目を向けると草木も緑色になりつつあることがわかります。1月中旬に緑色の葉を見せ始めたアジサイは、その後、じっとがまんの時期を過ごし、先週あたりから再び、芽を広げ始めました。いよいよ春です。


2008年03月29日

久々に日本共産党演説会

 朝、久しぶりに朝立ちの場所を変えてみました。土曜日なので、いつも楽しみにしている子どもたちとの朝の挨拶はできませんでしたが、時々、めずらしい人に会います。軽トラに乗って、クラクションを鳴らしてくれたのは、大島区の従兄の親戚で地域協議会のIさん夫婦でした。「がんばれよ。応援しているよ」の声がうれしかったですね。いつも声をかけてくださる方も、久しぶりに見る私の姿で安心したのか、「風邪ひかんかったかね」。土曜日は車が少ないのでどうしようか迷ったのですが、やはりやって良かった。

 午後からはリージョンプラザで党の演説会でした。衆院北信越ブロックの山口典久さんと武田勝利さんを迎えて、市議候補も全員そろっての演説会(画像)です。メインは山口さんの国政の話、いつものようにやさしく、わかりやすい話は惹きつけますね。話のなかには、いま注目の『週刊朝日』4月4日号の「真面目でブレない主張が新しい 志位和夫の新日本共産党宣言」も出てきました。私に与えられた時間は5分間です。3年間の市議活動のなかで感じたこと、農政の転換が必要であること、父の入院などで知ったことを生の言葉で語りました。大勢の前でしゃべるのは緊張感があります。でも、これで一気に走れそうです。


2008年03月28日

コシノコバイモ

 昨日まで議会でしたので、大急ぎでやらなければならないのは「しんぶん赤旗」の集金です。きょうは日曜版の配達をしながら30軒ほど集金できました。忙中閑あり。あるお家で、帰り際、ふと目に留まったのはコシノコバイモ(画像)です。先日の「囲む会」の場で、野に咲くコシノコバイモは種でどんどん増やせると聞いていたのですが、見てびっくりでした。花のコンテナのなかに10本前後、見事に咲いていたのです。この花を見たおかげで、きょうはいい気分でした。


2008年03月27日

3月議会最終日

 やっとというか、ついにというか、3月議会が終わりました。先月の27日からでしたから、長かったですね。毎日市役所に通うクセがついたので、明日、行かないでいると落ち着かなくなりそうです。きょうは、委員長報告、討論、採決と続きました。日本共産党議員団と同じく、新年度一般会計予算に反対した市民クラブは、仲田幹事長が討論に参加、学校給食問題で派遣業者選定に疑問があることを指摘するとともに経費削減優先の取り組みに異議をとなえました。とても丁寧な討論で感心しました。わが議員団は樋口議員が討論しました。真に必要な施策とは何かを十分検討しないで予算編成したことや、ごみ有料化予算であること、農業の担い手を一部に限定することが問題であること、学校給食民営化路線が安全、安心につながらないことなどを問題点としてあげました。シンプルでわかりやすく、やじひとつ飛びませんでした。

 夕方からは議員と部課長などで懇親会が行われました。退職する職員、引退する議員がいるので、なるべくそういう人たちと挨拶をかわそうと思いましたが、百数十人規模の懇親会ともなると思うようにいきません。ただ、くじ引きで決まったテーブルが引退する市川文一議員と一緒でしたので、十分話ができました。市川議員は先日、お連れ合いを亡くされたばかりです。「さみしいでしょう?」ときくと、「さみしいねぇ」という言葉が返ってきました。ごみの分別のことから台所仕事まで主婦のたいへんさがよく分かったとも。家に帰ったのは午後10時前でした。


2008年03月26日

『週刊朝日』最新号が面白い

 昨日、友人のKさんから、「今度の週刊朝日は面白いよ。志位委員長の派遣労働問題を取り上げた国会質問が国政を動かしたけど、真面目でブレない主張が新しい、新日本共産党宣言云々との大見出しで載っている」と教えてもらいました。そんなことを聞けば、読まないでがまんできる男ではありません。夕方、父が入院している病院の売店で購入してきて、一気に読みました。インタビューに答えた内容はなるほどと思わせることの連続です。非正規雇用の増大で年間給与200万以下の人が1000万人を超えていますが、「結婚して家庭を持って子どもを産むなど考えられない。そういう若者が何百万という単位で生まれている。『格差社会』とよく言われますが、問題の本質は『貧困』なんです」。ゴシックで書かれた部分だけでも、参考になります。先日の一般質問で取り上げたことと重なっていますし、これは多くの人たちに読んでもらいたいですね。『週刊朝日』の4月4日号は350円です。きょうは討論準備や生活相談で動きました。


2008年03月25日

文教経済常任委員会の延長戦

 文教経済常任委員会でした。10日から3日間では審査が終わらず、きょうまで持ち越したのです。当市は来年放映されるNHK大河ドラマ『天地人』の舞台となる市です。観光企画の問題では、これを意識した取り組みについて、「宣伝で他市に後れを取っているのではないか」等といった発言が相次ぎました。気になったのは、親鸞聖人関連の取り組みの弱さです。07年度の「市の観光アピール年間」では、「親鸞聖人の上越上陸800年」として取りくまれていたにもかかわらず、新年度はさっぱり。これでは持続的な取り組みにならないなと感じ、「親鸞聖人はどこへ行かれたのでしょうか」と発言しました。

 さて、きょうの注目は新水族館問題と学校給食でした。水族館については、市長と市教委が昨年10月に先送りを決断しておきながら、3月議会まで議会に報告がなかったことから、各委員はカンカン。きょうは採決後、委員長見解で「議会軽視の形は極めて遺憾」「新水族館整備について、広く市民参加による再検討を行い、その方向性を早期に明らかにすること」を求めました。学校給食については、派遣業者の選定にかかわる新事実が出たことで、質問をさせてほしいと仲田委員が申し出ました。委員会はこれを認め、休憩に入ったのですが、この休憩時間がくせものでした。再開後、委員長が改めて質問を認めるかどうか委員会に諮ったところ、賛成多数でとりあげないことになったのです。休憩時間に何があったのか、そのうち分かるでしょう。

 きょうのお昼休みは市議候補と党地区委員長を交えて、29日午後2時から開催の演説会について相談しました。会場は市内リージョンプラザです。私も一言挨拶します。ぜひご参加ください。


2008年03月24日

一般質問最終日

 きょうは一般質問の最終日でした。早津輝雄議員は最大与党の前代表で、今期限りで引退する議員のひとりです。「木浦市長の評価できることは並べきれません。(政治の場では)相反する意見が大事です。ここでは、木浦市政の問題点について本音で語りたい」と前置きして、「行財政改革の切り口が弱い」などと遠慮なく発言をしていました。私は早津議員と常任委員会が一緒ですが、今議会の同議員の発言には鋭さがありました。それにしても、市川文一、杉本敏宏、田村恒夫,、仲田紀夫の各議員もそうですが、上越市議会から去ろうとしている人たちが最後まで住民の代表としての務めを真剣に果たそうとしている姿勢は学ばなければなりません。

 明日は3月議会での最後の常任委員会審議です。私の所属している文教経済常任委員会では、新水族館の問題をめぐっての市教委の対応に批判的な声が強く、明日の審議もどういう展開になるか読みきれません。そういうなか、学校給食調理部門での派遣労働をめぐり、市教委がこの31日に退職または辞職する市職員に派遣元への就職を打診していたという新たな事実が判明しました。明日の委員会でこの問題を取り上げる動きも出てきましたので、明日は何時に帰れるかわからなくなってきました。


2008年03月23日

再び腰に違和感

 昨日ほどではないにせよ、きょうも穏やかな天気でした。このところ、平日は市議会、土日は「橋爪法一を囲む会」で、休みなしです。頑張りすぎたのか、年末に痛めた腰が再び悪化してきました。きょうもある会場で立とうとした途端、腰に違和感を覚え、だましだまし夜まで持たせました。この調子ですと、選挙までにもう一度、整体師さんにかかっておく必要がありそうです。

 お昼休み、代石神社の参道へ行ってきました。キクザキイチゲ(画像)が満開でした。ここのイチゲは色が少し赤紫であることが特徴です。お昼の暖かい日差しが花の色にも微妙な影響を与えていて、撮った写真の一枚一枚が全部違う。夜、パソコンで大きな画像にしてみると、違いがよくわかって楽しむことができます。わずか10分ほどのお昼休みでしたが、地元にこういう癒しの場所があるのはありがたいことです。

 きょう、複数の人から教えてもらいました。21日のテレビ中継、昨日の録画中継ともボリュームを最大にしても声が小さくて、何をしゃべっているかわからなかったということでした。私の時だけなのか、それとも他の人の時もそうだったのか、ちゃんと調べて、再放送などの対応をしてもらわなければなりません。委託料を払って中継をしてもらっていても、まともに見れない、聴けない放送では話になりませんから。


2008年03月22日

人も野の花もいい気分

 穏やかな天気になりました。この時期のお天道様のぬくもりは何ともいえぬ心地よさを感じさせます。こういう気分を味わっているのは、私たち人間だけではないようで、野の花たちもそうらしい。きょうは一斉に花を開いていました。「しんぶん赤旗」日曜版の配達の途中、農道上に咲くオオイヌノフグリとヒメオドリコソウ(画像)がとてもかわいいので、写真に収めました。天気は明日もよさそうです。お昼休みの時間帯に近くの里山でキクザキイチゲなどの花とデートしてこようと思っています。

 配達がほぼ終わって家に戻ったら、留守電が入っていました。「雪割草のいいのが、明日、見頃を迎えます。写真を撮りに来ませんか」というお誘いでした。きょうも、明日も新聞配達以外の時間帯は議会報告会の日程がびっしりですので、お昼前にちょっとだけおじゃましてきました。ここのお宅では、雪割草をたくさん栽培されていて、白、ピンク、赤、紫などの花が見事に咲いていました。気に入った花の中から「夕鶴」(画像)と名付けられたものを掲載しましたので、ご覧ください。雪割草の中には匂いをだすもの、葉を楽しむものもあります。もう一度、訪ねる時間をつくることができればいいのですが。

 昨日の私の一般質問を傍聴していてくださった方々の中に私のことを知っていてくださる方が何人かおられたことがきょうになってわかりました。私が質問することを知らなかった人もあったようで、「偶然、橋爪さんの質問と重なった。運が良かった」と言ってくださいました。「テレビで見るのとも迫力が全く違う。市長の緊張した様子とか、議場の雰囲気とかは傍聴しないとわからない」とも。テレビを見ていてくださった方の中には、「橋爪さんいま、テレビでやってるよ」と何人かに連絡を入れてくださった方もありました。ありがとうございました。


2008年03月21日

任期中最後の一般質問

 一般質問3日目でした。私の出番はやはり午後となりました。市議になってから、一般質問は今回で13回目です。質問は毎回、同じ雰囲気の中で進行するとはかぎりません。今回は明るい選挙推進協議会の人たちが大勢傍聴されました。これは想定外でした。その分、緊張したように思います。質問時間が30分と制限されているなかで、1回目の質問で15分を使いました。再質問は震災対策の質問で8分間を使い、現段階での被災者の状況をしっかりとつかみ、支援していく必要性を浮き彫りにできたかと思います。残りは7分、このなかで3つのテーマを質問するのは欲張りすぎでした。公立病院改革ガイドラインの質問はわずか1分間、まったく詰めることができずに終わってしまいました。

 市役所を出たのは午後6時30分を回っていました。妻を職場まで迎えに行くには遅いので、父の入院している病院で待っていてもらうことにしました。病室の近くまで行ったところ、父の歌声が聞こえてきました。月が出た出た、月が出た……。炭坑節です。妻によると、きょうは病室から月をみせたやったのだそうです。ちょうど、まん丸の月でした。父にとっては数か月ぶりのお月様です。よほどうれしかったのでしょう、何回も何回も歌を繰り返しました。

 


2008年03月20日

うまくいったか

 任期中最後の一般質問、私は明日の3番手です。午前の最後に1回目の質問をやり、昼休みになるか、昼の一番に登壇となるかは微妙なところです。きょうは市議選立候補者説明会でしたが、選挙実務を担当する人から出席してもらい、私は市役所で明日の質問準備をしました。今回は震災対策、雇用対策、広報体制、公立病院ガイドラインと盛りだくさんになりました。再質問からは一問一答ですので、個々の問題で市幹部とのやり取りをイメージし、どういう答弁を引き出すか、いろんな資料をひっぱりだしながら考えました。問題は時間配分です。重点を決め、時間がない場合は、どこを切り捨てるか。欲張りなので悩みます。

 入院中の父は昨日もきょうも上機嫌でした。どうも、きょうはお風呂に入れてもらったようです。私の顔を見るなり、ニコッと笑います。いつも顔を近づけて、父と会話をするのですが、いつも言う言葉は「おまん、顔、でっけぇなぁ」。きょうは会話がはずみました。「おまん、いくつになった?」「57、年とったなぁ」「頭の毛、白くなったなぁ」短い言葉が何回も出てきました。「きょうは、どこへ行ってきたが」と父に聞かれたので、「市議会だよ」と答えると、「そうか、うまくいったか」。たぶん、質問のことを思い浮かべているのでしょう。認知症が進んでいても、頭の中ではまだ自分の子どものことを心配している。いい親を持ちました。


2008年03月19日

一般質問2日目

 きょうも6人が登壇し、一般質問を行いました。このうちの一人は党議員団の杉本議員です。今期での引退を表明していますので、最後の一般質問になります。質問は、いま市政で大きな問題となっている学校給食民間委託と国保税値上げに焦点を当て、それらにストップをかける運動にプラスになるよう意識したものになっていました。1年目に派遣契約したものを2年目に委託契約とすることができるかという質問は、法制度上と行革という視点からの追及でした。学校給食民間委託についての新潟労働局の指導は単なるアドバイスではないことを鮮明にした展開は説得力のあるものでした。

 朝の風景は毎日変わっていきます。今朝は歩いて通学している中学生がいつもの時間に来ないので不思議に思ったいたところ、自転車でやってきました。私の前を通って、走り抜けていく姿はとても生き生きした感じで、気持の良いものでした。その姿を追っていると、歩道の脇にフキノトウがいくつも顔を出しているじゃありませんか。雪が消えて、フキノトウが出て、さらに地面にいろいろな草が生えていく。大地の動きはこれからピッチが上がります。


2008年03月18日

一般質問始まる

 任期中最後の一般質問が始まりました。今定例会の通告は24人です。これまで30人を超えることが多く、一般質問で5日間とっていましたが、今回は議運で4日間に短縮されることになりました。この結果、26日に予定されていた文教経済委員会は25日午後開催となりました。きょうの一般質問では6人が登壇しました。学校給食の食材をとりあげたのは田村武男議員です。外国産の食材使用については、先の中国産ギョウザ事件が大きな影響を与えました。食材はまず市内産、次いで県産、それでないなら国産、さらに外国産という順でさがすことになると教育長は答弁していました。

 ところで竹島県議によると、県議会は一般質問の制限をとうとう導入したといいます。その結果、竹島議員は年に2回しか一般質問できなくなるとか。住民の願いを届ける機会を削減し、行政の監視機能を弱める。県議会はひどいことをしたもんです。上越市議会は議会の民主的な運営という点ではまずまずです。一般質問は毎回できますし、対面で一問一答を認めています。今回の県議会の暴挙が県内の市町村議会に悪い影響を与えなければいいのですが。


2008年03月17日

ゴミ有料化の前に

 きょうは第3月曜日、燃やせないゴミを出す日です。区内のゴミ集積場はスキーや自転車などいつもの数倍のゴミが出されていました。きょうは4月からのゴミ有料化を前にして「燃やせないゴミ」を無料で出せる最後の日でした。ある集積場でその様子を見ていたら、一輪車を使ってゴミを3回も運んでいる人がいました。無料のうちにできるだけ出しておきたいという心理はよくわかりますが、それにしてもすごいゴミの山でしたね。

 この最後の燃やせないゴミ出しの日の状況は他所でもまったく同じでした。市役所へ行く途中の頸城区のいくつかの集積場でも「燃やせないゴミ」の山ができていました。このゴミの山には鉄類もたくさんありました。同僚議員からの情報によると、市外のある人が鉄類が大量に出されている様子を見て、「よく持っていく人がいないね」と言っていたといいます。そう言えば、ゴミ収集車は鉄類を残し、後から収集していたようです。ひょっとすれば、思いがけない収入になるかも。

 議会は総務委員会の最終日でした。一般質問の通告と関係のある部課長に対して、再度、質問の趣旨を説明する時間をつくったら、全部は傍聴できませんでした。興味深かったのは新水族博物館の議論と北陸新幹線の新駅の名称問題です。山岸議長が、「新駅の名称は全国に呼び掛けて、全国を巻き込むなかで決めていったらどうか。それを契機に上越市を知ってもらう手法もある」と述べていましたが、面白い提案でした。

 お昼休みに市役所に来ていた大島区の従兄とコーヒーを飲みながらおしゃべりをしました。雪はやっと2メートルを切って1メートル90センチになったといいます。4月に入っても1メートル以上の積雪はあるだろうから、苗代除雪の準備をしなければと言っていました。今年は県からも市からも苗代除雪に支援するという話が聞こえてきません。安塚区や牧区でも同じように苗代除雪が必要なはずです。県や市の担当者がこの日記を読んでおられたら、すぐに対応してほしいものです。


2008年03月16日

土日はフル回転

 土、日曜日は議会がない日です。地元で思い切り活動できる貴重な曜日とあってフル回転しています。きょうも「橋爪法一を囲む会」を3会場で行い、最新のデータを使って議会報告を行いました。最近の囲む会は参加者から「共産党に入った直接のきっかけは何だったのか」とか「大型車の高い運転席から見ると、どこどこの看板がじゃまで見通しがきかない」などいろんな質問や要望が出て、とても賑やかです。初参加の方もじわりじわりと増えてきています。これはうれしいですね。

 懇談会の合間に写真撮影にも出かけてきました。何を撮りに行ったかといいますと、キクザキイチゲの花です。きょうは青空も広がるいい天気になりましたので、花はちゃんと開いてくれました。毎年のことながら、代石神社の参道に咲く花はとてもきれいです。まだ、出会ったことはありませんが、アマチュアカメラマンの人たちも撮影に出かけるスポットになっているということです。きょう、撮影してきたキクザキイチゲ(画像)をご覧ください。

 夜、質問準備も兼ねて、国会中継録画を見ました。私どもの党政策委員長、小池晃議員の国会論戦は後期高齢者医療制度でした。いい質問を聞いていると、自然とリズムというか、何かが沁み込んできて自分の質問にも影響を与えます。後は、早めに眠ること。これが一番です。


2008年03月15日

キクザキイチゲもすでに開花

 マンサクの開花が昨年よりも20日遅れたことで、キクザキイチゲも20日くらい延びるだろうと勝手に思い込んでいました。昨年の開花は3日でしたが、昨晩、ある人から、「うちの庭ではもう咲いているよ」と教えてもらいました。きょうの午前、「しんぶん赤旗」日曜版の配達の途中、地元の代石神社のキクザキイチゲの群落ですでに開花していることを確認しました。あいにくの曇り空、花は閉じたままでしたが、姿から見て、数日前に開花したものと思われます。

 庭の雪消えに伴い、わが家の雪割草はほとんど全部が姿をあらわしたようです。きょうは白い雪割草の写真(画像)を撮りました。こちらも花は閉じたままですが、晴れの日にはちゃんと開いてくれるはずです。キクザキイチゲも雪割草も私の大好きな春の花、わが家の山林がある尾神ではどうなっているか、見に行きたくなりました。とはいっても、今年は例年になく多忙な3月となっています。議会に選挙準備に父の入院と3つも重なりました。尾神の山に入れるのはおそらく、4月下旬の市議選が終わってからになるでしょう。それまで、がまん、がまん。

 春がぐんと近づいたことは野の花以外でも確認できます。今朝、区内のドライバーの皆さんに朝の挨拶をしている時のことです。足元をみると、土が盛り上がって、「土の血管」が浮き出た感じになっていました。もう、お分かりでしょう、モグラが活動を始めたのです。そしてもうひとつ、白から灰色に衣替えをした野ウサギにも出合いました。暖かくなって、動物たちの動きも活発になってきましたね。


2008年03月14日

総務委員会2日目

 金曜日の議会は大忙しです。市政レポートの印刷、役所関係の「しんぶん赤旗」日曜版配達をして市役所へ。市役所へ着いたら、私の到着を待っている課長さんなどもいて、すぐには総務委員会の傍聴はできませんでした。一般質問の答弁書づくりに精を出す職員の真剣さには感心しました。どんな答弁が返ってくるか楽しみです。

 きょうの委員会、2人の女性課長の落ち着いた答弁が印象に残りました。総合事務所だよりの廃刊、市政モニター、国際交流に関する質問に丁寧に答える姿を、そばにいた副市長も安心して見ていましたね。私の方はというと、昨晩の寝不足がたたり、なかなか集中できませんでした。この日記も睡魔と闘いながら書いています。

 市政レポート1338号、掲載しました。ご笑覧ください。


2008年03月13日

一般質問内容で聞き取り調査

 きょうから総務委員会が始まりました。本当は朝から傍聴したかったのですが、きょうは一般質問の質問内容の確認ということで、午前9時から半日、関係課長などに質問の趣旨を説明しました。面白いもので、こちらでは質問事項を決めているものの、課長などと議論をする中で新たな質問項目を思いついたり、自分の頭の中の整理をすることができることがあります。また、課長とのやり取りが事実上、論戦になることもあります。私の質問では、中越沖地震対策、雇用対策、広報の在り方、公立病院改革ガイドラインをとりあげます。質問の順番は15番、たぶん、21日の午後になるでしょう。

 課長などとやりとりしている時に何度か電話がなりました。そのうちのいくつかは生活相談です。私の所属委員会が終わるのを待ってかけてくる人もいます。先送りできない問題もありますので、明日は生活相談でも動きたいと思います。


2008年03月12日

文教経済委員会3日目

 文教経済委員会を3日間の審議で終了させるのはやはり無理でした。この委員会は26日に再び開催されることになりました。教育委員会関係で半日ほど通常よりも時間がかかったことが大きな原因のひとつです。きょうのうちに終わらせようと思えば、夜9時、10時頃までかければ何とかなったかも知れませんが、疲れがある中で十分な審議はできないでしょう。残った議案は産業観光部関係の一般会計予算など3つの議案です。2週間ほど先送りされるということは、一般質問が終わってからということになります。委員の質問には新たなエネルギーが注入されるはずです。

 きょうは、昨日に引き続き農林水産部からでした。山崎委員が品目横断的経営安定対策の見直しの背景や今後の対応について質問していましたが、共感を覚える内容でした。「戦後農政の大転換」も昨年の参議院選で農家の審判をくだされ、見直しを余儀なくされました。農業の担い手の育成、確保問題に質問が集中しましたが、市の基本条例で示されている農業経営の法人化の促進、家族農業経営の活性化などに沿った方向で方針が整理されていなかったのは納得できないことでした。畜産振興対策では、酪農の危機を意識して20年度目標に、「耕種農家、畜産農家が連携して飼料供給システムの確立を図る」と掲げたものの、飼料高対策は無しでした。武藤委員が、「粗飼料対策を」と訴えたのは当然のことです。

 産業観光部関係は26日にも書きますが、きょうは、中心市街地活性化対策事業の審議の在り方をめぐってもめました。基本計画の全容が示されない中では審議できないという意見が強く出されたのです。夕方の6時少し前、委員長は、日程的に見て今日中にすべての議案を審議するのは無理と判断、委員会を閉じました。続きは26日に審議することになりました。中心市街地活性化対策事業に関する議論は白熱化しそうな気配です。


2008年03月11日

文教経済委員会2日目

 朝一番に発言して夕方7時までの間に立ったり座ったりが数十回、きょうはくたびれました。それも深い論戦に至ることなく、答弁に窮して時間がかかるケースが多かったことから、質問の「満足度」は40%くらいでした。議員というのは、住民の代表です。住民の願いが実現する答弁を引き出せないと満足度は上がりません。

 注目の民間からの派遣による学校給食調理については、やはり慎重さに欠けると思いました。学校給食の調理部門に民間業者から職員を派遣してもらうやり方は県内で初といいます。業者選定にあたっての審査表ひとつとっても、労働者派遣法に照らしてどうなのか、労働局としっかり相談してかかるべきでした。しかし、そういう詰めが弱かったことが浮き彫りになりました。県教委が1月下旬、昭和60年通知(学校給食業務の運営の合理化について)を読んで適切に、慎重にすすめるようにと言っていたことをまっすぐ受け止めていればこんなことにならなかったはずです。市教委では、「1年目は派遣、2年目からは請負」というやり方などについて労働局との間で確認を取って、今議会中に報告することを約束しました。もうひと波乱あるかも知れません。

 文教経済常任委員会は夕方4時まで教育委員会関係が続きました。その後、農林水産部に移って、新年度一般会計予算審議に入りました。明日は農林水産部の残りと産業観光部へと続きます。もう1日、しっかりと議論していきたいと思います。

 朝、家を出た時、田んぼでは霞が発生していて、とてもきれいでした。米山をバックにした写真を「私の好きな風景」に掲載しましたので、ご覧ください。


2008年03月10日

文教経済委員会1日目

 市議会が始まってから自分の委員会はまだ先という感覚でしたが、もうやってきました。やるべき課題は山のようにあって、質問準備は開会時間ぎりぎりまでしました。一般会計補正予算の審議で気になったのは、答弁側の説明責任を果たそうという姿勢の弱さです。例えば、就学援助の申請が増えた原因の分析、年度末までの見込み数値などは質問されたら手持ち資料でサッと答えるようでないといけませんね。きょうの委員会では、答弁まで時間がかかりすぎて、もたもたすることが何度もみられました。

 新水族博物館の問題は採決にも影響を与えそうな雰囲気になってきました。財政的な困難から整備検討調査をやめることにしたというのですが、その最終決断は昨年の10月にしたということが私の質問で明らかになりました。だったら、なんでいままで議会に報告しなかったのか、また12月議会でなぜ補正しなかったのか、まったく理解できませんでした。お昼休みに、いくつかの会派のみなさんと懇談したところ、このまますんなりと通すわけにはいかないという声が次々と出ました。

 一般質問の通告は夕方までに14人が出したといいます。私もすでに通告の大きな柱は決まっているのですが、細部の詰めがまだ弱く、明日通告することにしました。中越沖地震のその後の対策、公立病院改革ガイドライン、雇用対策など明日の朝までには整理したいと思います。


2008年03月09日

民意は健全

 今朝の新聞に全国世論調査の結果が載りました。興味深かったのは、景気が悪くなっているとみている人が急速に増えていること、消費税引き上げに反対が圧倒的であること、そしてもうひとつ、食料自給率を上げた方が良いと思っている人が80%を超えていることでした。最後の食料自給率については、どうすれば上げることができるかについてもアンケートがとってありました。小麦や大豆など輸入に頼る農産物の生産量を増やす(29.6%)、農業などの振興のため、公費支援を増やす(25.9%)が1番、2番にあがっていました。民意は健全ですね。

 先週の市政レポートに「次号から区内の民家に咲く雪割草を紹介します」と書きました。ところが、先週は肌寒い日が続き、なかなか咲かず、「掲載は先送りします」とせざるをえませんでした。今朝も冷え込みましたが、わが家の敷地内にある雪割草の花がようやく開き始めました(画像)。この花はわが家の山林に咲く雪割草を持ってきて植えたものです。雪割草は場所を選ぶので、植えても消えてしまうのではと心配したのですが、毎年、紫色と白い花を咲かせてくれます。今年も紫色から咲き始めました。

 市政レポート1337号を掲載しました。ご笑覧ください。


2008年03月08日

8年前の本がまだ読まれていて感激

 うれしい電話とハガキが来ました。電話の主は高崎市在住の従姉からです。伊勢崎市の従兄の家を訪ねたところ、私の『春よ来い』(同時代社)が目にとまり読んだ、いろいろな思い出が次々と浮かんできた……。従姉からは、伊勢崎市の従兄夫婦の健康状態や最近の様子も伝えてもらいました。昨年の春、山菜を採りにきたばかりだというのに体調を崩したという話を聞いて、信じられない思いでした。電話をかけてきた従姉はいつもどおり、元気な声でした。

 ハガキは高校時代の恩師から。同窓会などで何度か話はしているのですが、ハガキをもらったのは初めてです。趣味の活動で知り合った吉川区出身のYさんから私の『幸せめっけた』(恒文社)を借りて一気に読んだ。自分も幼少の頃、田舎暮らしを体験しているのでほとんどの内容が理解でき、なつかしかった、と書いてあります。この本は8年前に出したものですが、本屋になくても、こんな形でまだ読んでくださる方が広がっているのは感激でした。恩師からは「市議選がんばってください」ともありました。


2008年03月07日

おばあちゃんへのメッセージ

 市川前議長のお連れ合いの葬儀は参列者数が500人を超えたのではないでしょうか、すごい数でした。前議長の付き合いの広さ、お連れ合いの若さなどが多くの参列者につながったのだと思います。まだ67歳、突然の死ににかかわらず落ち着いて参列者にお礼を述べていた前議長の姿に感動しました。また、4人の孫さんが遺影の前に出て、小学校6年生の子が「おばあちゃんへのメッセージ」を読み上げました。孫たちが訪ねて行くと、いつも「水羊羹をつくってくれた」おばあちゃんはとても喜んだはずです。大人の弔辞に負けない、心のこもったメッセージでした。

 午後からは老人保健施設を訪ねました。どこの施設も冬場だけ預ける人たちがいますが、私が訪ねたところも例外ではありませんでした。3月中は満室で、4月にうまくいけば入れるかなというところです。胃ろうで流動食の人については入所者中何人という制限もあります。この制限もクリアーできないと入れません。3月議会が終わったら何とか入れてほしいのですが……。病院の父はきょうも機嫌は上々でした。昨日から相部屋に移ったのですが、きょうも「岸壁の母」を披露してくれました。認知症が進んでいても、大好きな歌はしっかり頭の中に入っているようです。


2008年03月06日

「風呂に入れるよ」に「いいやんべ」と父

 朝から市役所で一日中、委員会質問の準備をしました。主に教育委員会関係が中心です。学校教育現場のいくつかの問題に絞ってどういう論戦をして要求を実現していくか作戦を練りました。他会派の委員とも情報交換をし、議論をしたりしたので時間がかかりました。上越市は、予算の時でも決算の時でも、議案に関する資料は全体としてはとてもよくまとめてあります。単純な質問はほとんどする必要はありません。きょうは、県の行政機関からも資料を取り寄せ、問題を掘り下げる方法を考えました。

 夕方、妻を迎えに行き、病院経由で家に帰りました。昨日、看護師さんから「お風呂に入れますので、必要なものを持ってきておいてください」と言われたので、洗剤などを用意して届けました。「じいちゃん、今度、風呂へ入れるがだと」と声をかけたら、「そりゃ、いいやんべだ」という声が返ってきました。昨年の12月末から70日以上入っていなかったので、父にとってはビッグニュースです。風呂に入っている時の喜ぶ様子を見たくなりました。

 明日は建設企業常任委員会の最終日ですが、他の用事で動かなければならなくなりました。午前は市川前議長のお連れ合いの葬儀です。12月議会の一般質問では、足の不自由なお連れ合いと一緒に栃尾城に登った話をされていたので、どんな方かなと思っていたのですが、明日、初めてお会いすることになります。午後からは、父が入所できる老人保健施設をさがすために動きます。病院のソーシャルワーカーなどからアドバイスをもらっていますが、議会の一番忙しい時期と重なりました。


2008年03月05日

建設企業常任委員会1日目

 朝8時半。街頭での朝の挨拶を終え、小用を済ませて家に戻った時に、いつものチャイムが聞こえてきてびっくりしました。最後の卒業式を3日に終えたはずの吉川高校の始業のチャイムです。チャイムのセットを変更しわすれているのか、それともまだ、大学入試の準備などで通う生徒がいるのでしょうか。いずれにせよ、いつも聞こえていた音がこんなにもなつかしく聞こえるとは。吉川高校の閉校は3月3日ではなく、3月31日だそうです。

 さて午前は建設企業常任委員会と「学校給食を考える会」の打ち合わせ会でした。1時間ほど委員会に出て、その後は「考える会」の会議に出席しました。「考える会」では、今年度の市教委の学校給食調理業務派遣「委託」方針について、何人かの会員が見解を示し、議会の委員会でどう追及するか話し合いました。どうやら、昨年に続いて激しい議論になりそうです。午後は吉川中学校の卒業式でしたので地元に戻りました。何人か、知っている卒業生がいることもあって、その生徒たちがどんな顔をして式に臨んでいるか気になりました。吉川中学校の卒業式では、毎年、式のラストに、卒業生による「卒業記念合唱」が行われます。今年、卒業生たちが歌った歌は、『終わらない旅へ』でした。「僕の周りの すてきな笑顔を きっと忘れない 時が流れても」あたりから、生徒のすすり泣く声が聞こえました。いい歌でした。


2008年03月04日

国保税条例の委員会審議

 厚生常任委員会は3日目です。注目の国保税条例の審査が行われました。3人の委員が質問に立ちました。党議員団の樋口委員が値上げ反対の立場でいくつか質問しました。そのなかで、国民健康保険が社会保障であることを確認する発言をしていましたが、市側が「制度論の議論は(この場では)なじまない」と答えていたのには唖然としました。他の委員からは「国保税の引き下げが合併するかしないかの選択をする時の判断材料の1つになっていた。(当時の、引き下げという)政策判断は間違いだったのではないか」などという質問が出ていました。私は、市民の担税能力からいって、引き下げは妥当な判断だったと思います。問題は、この間、合併で持ち寄った基金の取り崩しだけで国保税率を上げないようにした点にあったのではないでしょうか。長岡市などは合併時に、一般会計からの特別繰り入れも行ったと聞いています。国保税値上げ条例は残念ながら賛成多数で通りました。

 夕方、妻と一緒に父を見舞いました。相変わらず、良くなったり悪くなったりの繰り返しですが、きょうは上機嫌でした。妻が「じいちゃん、歌を歌いましょう。『岸壁の母』はどうですか」と言い、誘い水をしたところ、一番の歌詞を全部歌い切りました。頭の中にしみ込んでいたのでしょうね。声も悪くはありませんでした。


2008年03月03日

最後の卒業式

 98年の歴史を持つ県立吉川高校の卒業式(画像)が行われました。今春、柿崎高校との統合が決まっているので、吉川高校としての卒業式は最後です。卒業生、保護者などのほかに、学校に係わりのあるひとたちにも案内状が出されました。卒業生は44名、在校生はいうまでもなくいません。卒業式は大きな体育館で行われました。こじんまりした卒業式ではありましたが、閉校という締めくくりにふさわしく、心に残るものでした。ただ、式場は寒かったですね。式の後半には、両腕、肩などがザワザワしてくるほどでした。

 式辞で山田校長は、「最後の3年生の最後の1年間は実に見事でした。体育祭や文化祭など例年と違った盛り上がりをみせ、成功させてきました。でもその裏には、PTA役員、同窓会のみなさん、地域のみなさんなどからの力強いご支援があったことを忘れてはなりません。みなさんは、これから本格的な旅に出ます。嵐の日も晴れの日もある。明日という日を信じて、夢と希望を持って歩み続けてほしい。吉川高校の伝統の力は雑草のような底力です。自分を必要以上に追い込めないでください。自分自身は世界にひとつです。自分自身を大切にしてください。歴史のある吉川高校の最後の卒業生であることに誇りを持って大空を羽ばたいてください」と卒業生に語りかけました。そして最後、「98年間、ご支援くださったみなさんに敬意をもって感謝申し上げます」と結びました。胸にビンビンと響く素晴らしい最後の式辞でした。

 今回は最後ですので、在校生の送る言葉がありません。卒業生の言葉ということで挨拶したのは、上野英里佳(吉川区国田)さんです。上野さんは、「1年ごとに新入生の入ってこない学校生活をさびしく感じたこともありました。1年前、3年生を送り、私たちだけになりました。不安もありましたが、周りの方々が応援して下さいました。たとえば体育祭、職員の方がグランド整備をやり、保護者の皆さんがおにぎりとトン汁の差し入れをしてくださいました。保育園児の声援もうれしかったです。最後のロードレースでは、地域の人たちがたくさん応援に出てくださいました。地域に愛された吉川高校であることを肌で感じることができました。閉校になるのはさびしくてたまりません。少人数で受けた教育は98年の教育の集大成だったと思うと頭が下がります。この先、ここで学んだことを忘れず、くじけることなく一歩一歩あゆんでいきたいと思います」とのべました。涙が出そうになりました。

 吉川高校はわが家の子どもたちもお世話になりました。現職員の中には、わが家の次男の担任の先生もおられます。卒業式の後、教務室でストーブにあたりながら、思い出話をして楽しいひと時をすごさせてもらいました。


2008年03月02日

マンサク開花

 やっと咲き始めました。わが家の牛舎の近くにあるマンサクの花(画像)です。花の開き方からみると、多分、一昨日頃開花したのだと思います。昨年は暖冬で2月8日に開花していましたが、今年は雪が少ないものの寒さが厳しく、なかなか咲いてくれませんでした。じつは先月10日過ぎからずっと観察し続けてきました。議会が始まってバタバタしている時に咲いたのでしょう。それにしても、黄色い花を見つけた時のトキメキ、恋人に会ったような気分です。

 すでに3月になっていますので、ホームページのトップ写真を入れ替えようと大乗寺の定点で尾神岳を撮影してきました。田んぼの中の雪は完全に消え、畦元の緑の草に勢いが出てきました。気になっていたのはオオイヌノフグリです。先月の上旬に紫色の小さな花を開いた後、雪が降り積もり、寒風にもさらされたはずです。雪消えまで畑に残った白菜がとろけるように、この花も溶けて無くなってしまったのではないかと心配していました。葉は確かに凍傷にあったようですが、花は無事でした。

 きょうは大潟区に住む弟がやってきて、「おおがたスポーツクラブ」のシンボルマーク(画像)を見せてくれました。同クラブは設立にあたってシンボルマークを募集したのですが、弟のデザイン画が最優秀賞に入って採用されました。上越タイムスには白黒で紹介されていましたが、カラーで作品を見たのは初めてです。ブルーは大潟の海、グリーンは松、オレンジは日本海に沈む夕陽、そしてイエローは卯の花を表したということです。ダイナミックな動きが感じられて、いい作品に仕上がっているなと思いました。

 市政レポート1336号、アップしました。ご覧ください。


2008年03月01日

春一番の後は荒れ模様

 暖かかったと思ったら、昨日、春一番が吹いたといいます。ところが、今朝は一転して荒れ模様の天候になりました。朝立ちをしていても雨が横殴りに降り、時々、傘が飛ばされそうになるくらい強い風が吹きつけました。雨の日も風の日も頑張り続けるには、応援してくださる方の励ましが一番です。きょうもクラクションや手ぶりで励ましてもらい、元気に一日の活動を続けることができました。

 きょうは「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金でした。時折激しくなる雨に悩まされながら、新聞が濡れないようにアノラックの中に入れて配達しました。ありがたいのは配達、集金の際、いろんな情報を教えてくださる方が何人もおられることです。ある読者の方からは、若者が定着する上で問題なことを具体的な実例で教えてもらいました。これは早速、3月議会でとりあげることにしました。具体的な内容は質問をしたときに明らかにしますのでお楽しみに。

 夜、弟から電話が入りました。父の容態についての最新情報です。昨日までの力のないというか、元気のない状態を脱したようだとのことでした。熱も下がったようです。


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