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2008年01月投稿分

2008年01月31日

1月の終わりに

 早いですね。ついこの間、年を越したと思ったら、もう1年の12分の1が終わるのですから。この1月は昨年同様、暖冬でした。わが家で自家用除雪機を使ったのはたったの1回です。家の周りは白くなっているものの、積雪はわずか25センチほど。大寒を過ぎてから冷え込みました。でも、雨の日もありました。私が街頭で朝の挨拶をしている場所にはアジサイが植えられています。そこの芽が少しずつふくらんできていることもわかるようになりました。

 きょうは、地元で訪問活動をした後、党地区委員会事務所、病院へと動きました。父が緊急入院してから1か月と4日目になりました。父は右の肺に痰が溜まりやすいため、一定の時間ごとに体の位置を動かしてもらっています。きょう訪ねた時には、右肺をやや下にした姿勢で横たわっていました。顔のすぐそばには枕があって、まるで人形を抱いて寝ている子どものようです。一緒に病院へ行った妻から、「おじいちゃん、明日から2月ですよ。14日になれば、おじいちゃんは81歳ですよ。がんばってくださいね」と声をかけられ、父はにっこりしてうなづきました。父の誕生日はバレンタインデーでもあります。


2008年01月30日

人間らしい暮らしのヒント

 法政大学人間環境学部の教員と学生の有志が設立したNPO法人・人間環境ネット21のニュースレターが送られてきました。今号は第5号、今月12日の川谷地区冬まつり、「さいの神」、それから、昨年11月に遊ランドで開催された「吉川ふるさと再発見ワークショップ」のことなどが載っていて、吉川区特集と言ってもよいほど吉川のことが書かれています。

 そのなかで注目したのは、年配の人も若い人も共通した「暮らしのヒント」を持ちつつあるということでした。前にも紹介したように、「吉川ふるさと再発見ワークショップ」で講演された澁澤寿一さんは、いまの暮らしには人間らしさが失われている、深刻化する地球環境問題などを考えると、いまの暮らしを見直す必要があるが、その暮らしのヒントはかつての山村の暮らしにあると訴えられました。ニュースレターでは、大学を出て3年目の星山さんが、「棚田で米をつくることから見えてくるもの」という文章を寄せ、「現地の風土に根ざした活動から見えてくるものがたくさんあります。この『見えてくるもの』が、実は今の日本にとって非常に大事なものではないか。そういう気がしてなりません」と書いています。星山さんもヒントに気づき始めたようです。

 ニュースレターを読みながら思ったのは、『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)を若い人たちにも読んでほしいなということでした。私のつたない文章はともかく、山古志の暮らしと再生を語り合った福島さんと青木さんとの対談、高橋剛さんの長岡市小国町法末集落の取り組みを読んでもらえば、「人間らしい暮らしのヒント」を具体的につかめるはずです。


2008年01月29日

市の環境基本計画(案)に注文相次ぐ

 厚生常任委員会でした。自分の所属する委員会ではないものの、市の環境基本計画(案)についての議論があるというので傍聴してきました。傍聴席にあった計画(案)は全文約60ページ、相変わらず、上越市の計画作りは力が入っているなと思いました。でも、事前に配布され、すでに読んできた委員からは、「わかりにくい。一人ひとりが何をすべきかが載っていない」「国の地球温暖化対策では企業責任があいまいだが、上越市の計画も同じではないか」など厳しい意見が続きました。

 きょうは病院へ3回行きました。市役所へ行く前に寄ったところ、熱もないのに何となく元気がありません。それが気になって、帰りに再び寄ったら、マスクをしてじっとしています。自分の肺炎だけでなく、他の感染症対策もあったのでしょうが、午前よりもさらに元気がなくなっていました。それで、妻を迎えに行ってから病院へ戻りました。熱は37.4度、少し熱が高くなってきていました。市内ではインフルエンザで休んでいる学校のクラスもあるといいます。明日は早めに行ってあげようと思います。


2008年01月28日

「民間委託」にこだわる市教委

 民間委託を推進する上越市、市教委がいま、重要視している課題の1つは学校給食調理部門の民間委託です。請負という形で市内のT食品会社と契約を結び、城北中学校で昨年4月から試行してきました。ところが、一学期に栄養職員が繁雑に現場指導したことから、新潟労働局は「恒常的に適正な請負を実施するうえで措置を要する」として指導を行いました。程度の問題はあるにせよ、このままでは、いわゆる偽装請負になるとの指摘を受けたのです。

 毎年、学校給食調理業務委託を拡大していくことを市の行革推進計画で決めていましたので、この指導は市教委のみならず、行革推進側に大きなショックを与えました。現場では栄養職員の直接指導は欠かせない。しかし、民間委託の流れは弱くしたくない。そこで、市教委が新年度、新たに打ち出してきたのが、1年目は、調理員の派遣をうけ、栄養士の直接指導の中で調理業務を行い、2年目からは、なれてもらったところで民間委託(請負)に切り替えていくという方針です。

 きょうの文教経済委員会では、労働局の指導後の対応と新年度からの方針について説明がありました。ところが、説明は、何が何でも委託拡大だという姿勢がにじみでたものでしたね。たとえば、労働者を派遣してもらい、栄養士の指導管理のもとで調理を行うのは直営ではないかという質問には、「形態からいえば直営ですが、働いている人が民間の人なので委託という表現にしました」という答えが返ってきました。保護者向け説明文書はひどいもんです。「委託の方式は?自校調理方式です。委託1年目は、調理員の派遣を受ける形で、栄養士の指導管理のもと調理業務を行います。実績をふまえ、2年目以降、委託に切り替えていく予定です」。こんな文書を保護者に配布して「学校給食の調理業務を民間に委託することについて、ご理解いただけますか」というアンケートをとったのですから、開いた口がふさがりません。

 市政レポート1331号アップしました。それから、トップページの写真も入れ替えました。きょうは冬晴れのいい天気でしたよ。


2008年01月27日

元気いっぱい、笑顔いっぱいの女性後援会

 市議選と衆院選勝利をめざす日本共産党女性後援会が市内で開催されました。私にとって女性後援会への参加は初めてです。どんな人たちが集まってくれるのかとても楽しみでした。市議選の予定候補がそれぞれ、これまでどんな活動をしてきたか、どんな政策を訴えていくのかを語りました。私は市議になってから3年しかたっていないけれども、この3年間は水害、大地震、県立柿崎病院問題、品目横断的経営安定対策など市民の暮らしや営業にかかわる重大問題が次々と起きて、そのなかで頑張ってきたことを紹介し、その後、父の入院で見えてきた医療や介護の問題点と改善の必要性を訴えました。私よりも前にしゃべった3人の市議予定候補が個性豊かに伸び伸びと語っていたので、それにつられて元気に話をしてきました(画像)。きょう、集まってくださった女性後援会の皆さんたちは明るく、頑張り屋の人たちばかりです。元気をいっぱいもらってきましたので、また、明日から頑張ることができます。


2008年01月26日

第4土曜日

 朝立ちしていると平日と土日の出勤風景が違うことがよくわかります。そして同じ土曜日でも第1、第3と第2、第4では車の走る台数に大きな差があります。今朝は第4土曜日、平日の4分の1くらいしか走っていませんでした。先週の土曜日は、「土曜日でもこんなに勤めている人がいるのか」とびっくりしましたが、今朝は静かというか、本当に少なかった。

 さて、こちらは第4土曜日となると大忙しとなります。「しんぶん赤旗」の配達と集金があるからです。集金もあると、時間は普段の何倍もかかるのは言うまでもありません。きょうは、しゃべりましたね、たくさん。父の病状をきかれ、それがいつの間にか介護の話になったり、国保税の話になったりします。選挙をめぐっての話も次々と出てきます。相手候補の組織力のすごさを教えてくれる人がいて、「前回みたいにはいかない。よっぽど頑張らないと勝てないよ」という人が何人もいました。このほかに、私が楽しみにしているのは読者の方々が育てておられる花です。きょうは数軒で鉢植えの雪割草を観察してきました。そのうちの1軒では、花が膨らみ始め、ピンクの色がちょっぴり見えていました。来週には開花すること間違いなし、落ち着かなくなってきました。

 きょうは、うれしいことがありました。区内に住む2人の方から、「しんぶん赤旗」日曜版を読みたいと連絡があったのです。たいがいは、こちらからお願いして、読んでいただくことになるのですが、今回は住民の方から直接要請されました。このうちのお一人は、友人の家で「しんぶん赤旗」日曜版と出会い、「社会のことがとてもわかりやすく書いてあるので読みたくなった」とのことでした。来週の配達の時は、この人からゆっくりと話をきかせてもらおうと思います。


2008年01月25日

長岡市議の細井さんもプロジェクター使って…

 昨日、きょうと荒れています。この間、暖冬だと書いた後にこの天候です。地吹雪も発生して、道路はアイスバーン、車はどこでものろのろ運転でした。こういう日に高田や直江津に出かけるのはためらいがちになりますが、午後から、父の入院している病院、そして妻の職場へと車を走らせました。朝立ちのため、いつもよりも1時間以上早く起き、睡眠時間はこれまでになく短くなっています。夕方、あくびばかりしていたら、妻が高田から家までの運転を代わってくれました。

 きょうは市政レポートの作成をした後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金に出ました。「その後、お父さん、どんなだね」という話だけでなく、朝立ち(街頭からの朝の挨拶)のことを心配し、激励してくださる方が増えてきました。スタートしてから1週間以上経って、挨拶をしているところを見た人だけでなく、見ていない人のところまで話が伝わり始めたようです。「こんがな荒れごとの日は風邪ひかんようにしてくんないや。まだ、これからなんだすけ」「がんばりすぎないようにね」。こうした言葉が耳に残っていたので、夕方、キンカンを買ってきました。

 夜、長岡市議の細井良雄さんのブログを見たら、プロジェクターを使って集落懇談会を始めたとありました。しかも、私の経験を参考にして取り組んだと書いてあります。うれしいですね。細井さんは、話のうまさは私よりも数段上の人です、映像を使ったときに、どんなしゃべりになっているのか見たくなりました。ブログには「器械の扱いに慣れていなかったのでちょっと手間取りましたが、下手にしゃべるより現場の写真は雄弁で内容がよく伝わったと思います」とありました。こちらもがんばらなくては。


2008年01月24日

母親との別れの切なさ

 きょうは新井議員のお母さんの葬儀でした。パーキンソン病の夫をずっと介護し、市議になった息子を支え続けてきた人でした。まだ76歳、女性の平均寿命を考えたら、早すぎる死です。喪主を務めた新井議員の挨拶は母親に対する愛情にあふれたもので、参列者の涙を誘いました。農家に嫁ぎ、苦労に苦労を重ねたお母さんは、3人の子どもを一生懸命育てます。そして70を過ぎ、顔とお腹がくっつくほど腰が曲がりました。亡くなった日も台所に立ちました。踏み台を使って、包丁でトントンとやっていたといいます。お風呂から上がるのがあまりにも遅いと風呂場の戸を開けた時、新井議員の目に入ってきたのはうつ伏せになって亡くなっている母親の姿でした。体重はわずか30キロ、同議員は初めて小さな母親を抱きしめたのでした。

 先日も知人のお母さんの葬儀がありました。息子のHさんが私にこう言いました。「いやー、親はどちらも大事だけど、母親をおくるのはつらいね」。こちらは90代でお母さんが亡くなられたのですが、いくつであっても母親というのは特別な存在なようです。きょうの葬儀が終わった時に、この話を同僚議員にしましたら、U議員は、「そうなんだよ。おれも、父親、母親と別れたけど、父親の葬儀の時には気も張っていたのか、しっかりした気持でやれた。でも、母親の時はだめだったね。あのチーンという鐘の音が心に響いて、切なかった」と語りました。私の母親は83歳、まだまだ元気です。「どこどこから、じちゃの見舞いもらったが、ちゃんとお礼をいってくれや」「ひと様に会ったら、しっかり挨拶しろ」。息子がいくつになろうと、子どもは子ども、きょうも苦笑いしながら、母の「説教」を聞きました。元気で、長生きしてくれているだけでもありがたいことです。


2008年01月23日

鉢植えの福寿草

 1年で最も寒い時期のはずなのに雪が降らないで雨が降る。ここ数日は暖かいですね。ある家を訪問したら、玄関先の鉢の中で福寿草が咲いていました。部屋の中にでも置いてあったのでしょうか、春を告げる花とはいえ、とても早い。どうあれ、今年初めて見る福寿草です。黄色の花がまぶしいくらい美しく感じられました。この調子なら、来月には雪割草の開花があるかもしれません。1年に1度は自然の中で咲く雪割草を見ないと気が済まない私です。早目に咲いてくれれば、選挙年であっても見に行けるかも。

 きょうは訪問活動の後、雑用をこなし、その後、父の所へ行ってきました。病院へは毎日行くのですが、ここ2日間ほど体温が38度を超えていて、あまり元気がありません。片方の肺に痰がたまりやすく、父の体位はそれを意識して数時間ごとに変えてもらっています。きょう訪ねた時は、右肺を下にして体を90度起こした姿勢でいました。枕を抱いて寝ている恰好は、まるで子どものようです。「じいちゃん、また来るからね」と言っても、きょうは白いグローブを上げませんでした。


2008年01月22日

国保問題学習会

 関心の高さを感じましたね、きょうの学習会は。国民健康保険税の値上げにストップをかけたいという願いを持った人たちが50人ほど集まりました。報告者は杉本市議と新潟市社会保障推進協議会事務局長の野本孝子さん。このうち野本さんは、国保制度の仕組み、国保税はなぜ高いか、国保改善運動について1時間ほど語りました。野本さんの話を聴く中で、「国保は社会保障の一環だ」「いまある制度の中でいかに負担を軽くしていくか」など基本的なことを学びなおすことができました。国保は命と暮らしを守る砦です。じっくり、ゆっくり勉強する時間がほしいと思っていただけに、きょうはとてもいい機会となりました。


2008年01月21日

風評被害

 午後1時近くになっての昼食。午前の文教経済委員会が長引いたためです。昼飯を食べながら思ったのは、佐渡汽船がこうむった風評被害というのはどんなものだったのかということでした。夏の海水浴客に関しては原発で海が汚染されているのではという心配が広がって激減しました。では佐渡汽船の場合は何だったのか。思い浮かぶことがありません。これは担当部課長にきいておくべきでした。今日の委員会では、中越沖地震による風評被害によって小木直江津航路2隻体制は維持できなくなった、だから当面、1隻体制に移行するという関係団体の合意案が議論されたのですが、この大本をきかずに終わってしまったので、もやもやした気分が残りました。

 きょう21日は月例議員懇談会で、議員全員が顔をそろえる日です。それで、他の会議もこの日に合わせて行うことが多くなっています。きょうは、午前9時から食料農業農村議員連盟の中山間地部会、午前10時から文教経済委員会と続きました。中山間地部会では、これまでの活動をまとめ、具体的な政策提起までこぎつけました。今月中には内容も公開できることと思います。文教経済委員会での質疑は佐渡汽船問題だけでなく高田、直江津の中心市街地活性化計画についても行われました。そして、午後1時半からの懇談会はさっと終了。その後は健康づくり推進課副課長による「メタボリック症候群についての勉強会」でした。健診結果やレセプトによる分析では、旧市町村ごとに食事内容が違い、そこからいろいろなデータの違いが生まれているという説明が新鮮でした。


2008年01月20日

キジたちと3ヵ所で出会う

 日曜日は平日になかなか会えない人と会える、そんな期待もあって、朝から晩まで忙しく動き回りました。天候は時折、お天道様が顔を出すといった穏やかさがありました。とてもいい気持ちでしたね。この気持は人間だけではなかったようです。きょうは、めずらしくキジたちと3ヵ所で出会いました。そのうちの1箇所はわが家の近くなんですが、路上で数羽遊んでいました。至近距離まで車で行っても逃げないところをみると、とても楽しいおしゃべりでもしていたのでしょう。山間部ではウサギの足跡(画像)をたくさん見ることができました。たぶん、昨晩は月夜だったのかな。若いカップルなのでしょうか、足跡からはじゃれあったような雰囲気が残っていました。今年はまだ、ウサギと出会っていません。そろそろ会ってもいい頃です。


2008年01月19日

千葉から従弟が見舞いに

 千葉より従弟が病院へ来てくれました。きょうは、その時間帯までに新聞配達などの仕事をこなして、待ちました。最初、直江津駅まで迎えに行くよと言っておいたのですが、大島区の従兄(母の実家)が道案内役をしてくれました。病院では、談話室の一角で近況などについて話をしました。千葉の従弟によると、最近、叔父の部下だった人に偶然会ったとのこと。両国駅か錦糸町駅の駅員さんだったのでしょう。この話を聞いて、久しぶりに亡くなった叔父のことを思い出しました。数年前、大島区の伯父を見舞いにきた時、直江津駅前の食堂に入り、一緒にお昼を食べました。その際、「兄貴が死んだら、次はおれの番だよ」と叔父は言っていたのですが、その通りになってしまいました。さみしいものです。でも、亡くなった叔父に代わって、こうして従弟が義理堅く見舞いに来てくれる、うれしいですね。

 きょうは、選挙がんばって、というメールが2通届きました。1通は、相手候補の宣伝の動きについて教えてくださる内容でした。私をどう攻めてくるかを知る上で参考になる情報提供です。助かります。もう1通は中学時代の同級生からでした。遠い、遠いところからのメールで、「昨年お盆に帰省した際、あなたの本を見つけ、読ませていただきました。子供の時の写真がとても懐かしかったです。当時の暮らしぶりからにじみでてくる家族の心情もとても懐かしく、胸が熱くなりました。最近思いついて、あなたのホームページを見つけました。尾神岳の写真や、ブログを読んで元気をもらっています。あなたのお父上は、私が小さい頃、何度か私の家へ来られたことがあります。いろり端で私の父と話し込んでおられたのを覚えています。一日も早く回復されますよう、祈っております。選挙戦がんばってくださいね」とありました。おふたりさん、ありがとう。


2008年01月18日

朝立ち2日目

 昨日から朝立ちを始めました。有権者にたいする朝の挨拶です。市議選の投票日まで100日という時点でスタートさせるつもりだったのですが、じつは足し算を間違えて102日前からのスタートになったのです。きょうは2日目、相手候補となるN氏が私の姿を見て、緊張した表情で通り過ぎました。たぶん、びっくりしたのでしょう。でも、たいしたもんです、敵も。そのまま、家に帰らずに、N氏もまた、別の場所で朝立ちを始めたのですから。1日とはいえ、こちらは朝立ちの先輩です。がんばらねば……。

 さて、きょうは朝立ちをしたのち、市政レポートの作成、「しんぶん赤旗」日曜版の配達と続きました。「春よ来い」で父の緊急入院を知っていただいたせいか、「じいちゃん、どうしたね、大丈夫かね」「看病で、おまんが倒れないようにしてくんないや」などたくさんの方から声をかけていただきました。ありがたいですね。夕方、病院へ行くと、父はぐっすり寝ていました。「じいちゃん、来たよ」と耳元で囁くと、目をぱっちり開けて、ニコッとしました。しかし、すぐにまた眠りにつきました。きょうは、父の顔のひげを剃ってやるつもりで出かけたのですが、すでに剃ってありました。誰が剃ってくれたのか。感謝です。

 午後6時半からは市職労の旗開きでした。昨年に続き、2度目の参加です。いろんな人との出会いがあり、知っている人ともこれまでにない話ができました。市職労幹部のひとりIさんとは、私のブログのことや質問の評価について聞くことができました。前から思っていたのですが、Iさんとはなんとなく心の波長が合います。きょうも漫才のような話を次々とやり、大いに笑いました。いま、ひとり、大島区田麦出身の男性から声をかけてもらいました。彼もまた、私のブログを読んでいてくれて、大島の話がたびたび出てくるのでとても楽しみだと言っていました。不思議なもので、吉川区だけでなく、大島区出身と聞いただけで親近感を覚えます。


2008年01月17日

国保問題で「よくする会」が市に要請

 大寒が近づいてきたら、ぐんと冷え込んできましたね。今朝は道路も凍って、車ものろのろ運転となりました。きょうは、午前9時から、「上越市の国保をよくする会」の国保税についての要請活動でした。12月議会で「国保の基金も底をつく。一人あたり2万円からの不足を生じるので税率の見直しが必要」との見解を市が示していたことから、一般会計からの法定外繰り入れを行ってでも値上げをしないでほしいと訴えました。応対した村山副市長の発言を聞いていて、市はこれまでにない政策的な判断をしてくれそうな感触を得ました。今後、この動きを確かなものにするため、署名活動などを急速に広げていきたいと思います。

 要請行動が終わってからすぐに病院へ行きました。父の容態が良くなっていくことを前提に、今後、どういう介護を、どこでやっていったらいいのかなどについてソーシャルワーカーの方と相談しました。母がここ1、2年の介護で相当疲れているので、何とか施設対応でとお願いしてきました。その後、吉川の包括支援センターに立ち寄り、ケアマネージャーの方と話し合い、手続きの段取りをしてきました。前段の相談では妻も付き合ってくれました。今朝は家から勤務先へ行ったのですが、介護休暇をとってあったとか。父は妻が顔を見せたら、手袋のついた手をサッとあげたそうです。一晩、誰も付いてあげなかったので、うれしかったのでしょう。


2008年01月16日

 個室から4人部屋へ

 昨日、きょうと病院から携帯電話があり、その度にドキッとしました。昨日の電話は、ある看護師さんから。父よりも病気が重い患者が入院したし、またこれからも入院する可能性があるので、個室を開けてもらえないかと私に了解を求める電話でした。父は大きな声を出したりして近くの人に迷惑をかけますが、その点、他の患者さんにがまんしてもらえるなら了解です、と答えました。父はきょうの午前、4人部屋に移りました。後でわかったのですが、昨日の時点で入院されたのは、私が知っている人のお連れ合いでした。救急車で運ばれたのですが、昨晩亡くなりました。

 きょうの電話も看護師さんからです。父の要介護度は現在4ですが、どうみても5になる、先の話になるけれどもどうするか、ケースワーカーと一緒に話し合いませんかという内容でした。電話をもらい、退院後のことまで考えられるところまでこぎつけたのかと思ったら、何か急に疲れが出てきました。考えてみれば、昨晩も病室で2時間ほどしか眠れていませんでしたから、無理のないことです。新しい部屋には父と同じように声を出す人もいました。新たな環境のなかでも、父はよく眠り続けています。夕方、妻とともに病室へ行きましたが、夜も付き添うには狭すぎると判断し、看護師さんたちにお任せして家に帰ることにしました。年末の入院以来、家族が父の付き添いをしないのは今晩が初めてとなります。


2008年01月15日

旧上越市地域への地域自治区導入、4月は無理と判断

 午前は吉川区にいることができるので、こちらにいる時にやっておくべきことをやろうと張り切りました。ところが、エクセル2007などOfficeのソフトを使いこなせなくて悪戦苦闘、とうとうやるべきことをまったくやれずにお昼になってしましました。でも、自分で苦しんだおかげで、少しは使えるようになりました。ま、こういうパソコンやソフトなどはもともと苦手ですので、一歩前進です。

 きょうの市議会は自治基本問題調査特別委員会でした。テーマは地域自治区の設置をどうするか。なかでも注目は、合併前の上越市の地域自治区をどうするかでした。市が示した基本は、合併前の上越市の区域については速やかな設置をめざすこととし、議会と議論を行った上で、市民への説明を行う。2月に臨時議会を開催し、13の地域自治区を地方自治法に基づく一般制度に移行するため、「上越市地域自治区の設置に関する条例」案を上程する、でした。

 市はこれまで、合併前上越市の区域については4月に地域自治区の導入をめざし、2度にわたる地域説明会やパブリックコメントを実施してきました。説明会についての新聞報道を見る限り、市民からの理解を得るにはまだ時間がかかるなとは思っていました。今回の4月導入は無理との判断はやむを得ないでしょう。委員会では、「まだ、この段階でふらふらしているなら、トップは何をしていたかということになる」(山岸議長)との発言もありましたが、市長がぶれているとは思いたくありません。市民合意を得るためにもう少し時間をほしい、と理解したいものです。

 きょうはお昼ごろから、冬晴れというのでしょうか、おだやかな、いい天気になりました。雪に覆われた尾神岳も一段とやさしく、きれいに見えました。もちろん、写真も撮りました。ホームページのトップ写真をごらんください。


2008年01月14日

アイスバーン

 昨日からグーンと冷えて今朝は凍りました。新聞配達をするため車を走らせたのですが、道路の路面は真っ白、凍ったところに雪が5センチほど積もっていました。以前は、こういったときに、スキーの長距離をやっている選手の人と出会ったものです。こちらはスキーの練習をするようにはいきません。カーブのところでは間違ってもブレーキを踏めない、下り坂はスピードを落として緊張した運転をしました。きょうは雪が降り続き、午後になってブルも出動しました。

 きょうは成人の日だそうです。選挙準備で動いてくれている人たちに言われて初めて気が付く私が遅れているのか、成人の日を毎年動かすことを決めた人たちがいけないのか。ひと昔前までは成人式と言えば、1月15日、さいの神もこの日の夜と決まっていました。休日を増やすために3連休を生み出すようにしたことはいいことには違いありませんが、小正月を楽しみにしていたドキドキ気分を喪失させる連休だけは変えてほしいものです。ちなみに、来年の成人の日は1月12日ですって。


2008年01月13日

08年川谷地区冬まつり

 きょうは川谷地区の冬まつりでした。午前10時に出発して、11時から旧川谷小中学校の体育館で餅つき、懇親会でした。ここでの餅つきは、杵に水をつけないで3人が次々と杵を振り下ろし、餅をつくやり方(画像)です。私も市長、法政大学OBの人とついてみました。わずか数分の餅つきですが、3人の呼吸が合わないとうまくいきませんし、体力も要ります。つき終わった餅の味は格別で、雑煮も黄粉餅もたくさんご馳走になりました。

 餅のご馳走を食べた後は恒例のサイの神行事でした。グランドには今年も巨大なサイの神がつくられ、午後1時に点火。稲藁をたっぷりつかって、しっかり締めてあったせいか、今年のサイの神は火をつけてから燃え落ちるまで、ずいぶん時間がかかりました。途中、風が吹いて、一気に燃え上がる場面(画像)が2度ほどありましたが、その度に歓声が上がりました。地元の町内会長さんがカボチャをアルミホイルに包んで火の中に入れ焼いてくださいました(画像)が、これがじつに美味かった。火が消えてからは、雪の中での競技です。私も雪を積み上げる競争に参加してみました。冬まつりでは、今年も楽しい思いをさせていただきました。

 川谷冬まつりの会場を離れたのは午後2時過ぎでした。それから三ヶ字のサイの神に飛び入りし、10分後には地元の代石のサイの神へ。ここでの材料は萱です。私の牛舎内で乾燥させてあったこともあって、一気に燃え上がりました。川谷でのカボチャのホイル焼きにヒントを得て、りんごを2個持参、同じくホイル焼きに挑戦してみました。これもカボチャに負けないくらい美味しく、みんなから、「なかなかいい味だね」とほめてもらいました。


2008年01月12日

異変?アジサイがもう芽吹いた

 びっくりしましたね。石谷という山間部の集落でアジサイが芽吹いて黄緑色になっていたのです。雪が消えたわけでもなく、これから本格的に降る時期だというのにどうするのでしょう、このアジサイ(画像)は。ここ数日の温かい気温で春が来たと錯覚したのかも知れませんが、ちょっとかわいそうですね。きょうは、フキノトウも今年初めて見つけました。こちらは出始めたとしても異変とは言えません。雪が少なければ、姿を見せて当然ですから。

 きょうは、「しんぶん赤旗」日曜版の配達をしながら、新年のあいさつをしてきました。このうち、今月から新聞を読むことになった家では、夫婦そろって出迎えてくださいました。ここの家のお父さんたちによると、昨年、関東在住の親戚の人と会ったら、私のホームページのことが話題になったといいます。尾神岳の風景や区内の出来事を書いた文章をよく読んでいてくださるとのことでした。この親戚の人というのは吉川区出身で、私も東京吉川会で一度お会いしたことがあります。Tさん、ありがとうございます。


2008年01月11日

自治基本条例案についてご意見を伺う会

 やはり休んでよかった。昨日、ゆっくり過ごして、しっかり眠ったら、きょうは実にさわやかな気分でした。やりたい仕事もピッチが上がり、順調でした。きょうは、市政レポートを作成し、その後、「しんぶん赤旗」日曜版の配達、年始回り、病院での付添と進めることができました。市政レポートは、裏面はダメかと半分あきらめていたのですが、何とか書けました。「春よ来い」は91回目、今回はあるおばあちゃんから聞いた漬け菜汁の話です。一晩寝かせて手直ししたら、明日の夜にはHPにアップできるでしょう。病院では、別の原稿書きもやりました。

 夜は、上越市自治基本条例(案)についてのご意見を伺う会が吉川コミュニティプラザでありました。参加者は総合事務所職員を含めて30人近くにもなりました。企画政策課自治推進室のメンバーがパワーポイントを使って条例策定の背景や条例のポイントについて説明したのち、質問や意見を受けるという流れで進められましたが、次々と手を挙げる人がいて大変活発でしたね。「市民投票について、請求権者総数の50分の1以上と4分の1以上に分けた理由はなにか」「盛んに協働をいうが、市が逃げ道をつくろうとしているのではないか」「条文の中に専門用語がたくさん入っている。もっと平易な言葉で書いてほしい」など何と8人もの人が質問や意見を述べたのです。

 ご意見を伺う会が終わってから、池田自治推進室長に「どうでした。吉川の会は」とききました。池田室長からは、「いや、さすがに自治基本条例をもっていたところだけあって、活発な質問や意見がたくさんでましたね。私たちも、これだけいろんな声が出ると助かります」との言葉が返ってきました。議会では特別委員会での議論がほぼ終わっていますが、「協働を言うなら、もっと底辺で生活している弱者の立場にたった文言を入れてほしい」「別に条例で定めるもので新規に制定するものは何か」など今晩の発言を聞いていて、条例審議では力を抜かずに、とことんやる構えが大切だと思いました。


2008年01月10日

思い切って、ゆっくり過ごす

 疲れをためてはいけないよ。思い切って、一日ゆっくりと過ごす日をつくった方がいい。そんなアドバイスもあって、きょうは後援会有志の人と一緒に湯につかり、食べ、昼寝をしてきました。行く途中、山の木々がうっすらと雪をかぶっていて、見事な風景を作り出していました。お風呂の中でおしゃべりをしていたところ、Sさんが「あれ、いま、見覚えのある顔が見えたよ」というので、脱衣室まで行くと、そこには上野公悦市議団事務局長の姿がありました。彼の方は仕事です。私が来ているというので、わざわざ顔を見に来てくれたのでした。この温泉施設では帰り際、従兄のお連れ合いとも偶然出会いました。「じいちゃんの看病、たいへんだね。選挙もあることだし、手伝うことあったら、遠慮なく言ってくんない」と激励してもらいました。家に戻ったのは午後5時過ぎでした。夕飯を食べ、市政レポートの作成の前に、ちょっとだけ休もうと、テレビの脇で横になったら、午後11時過ぎまで寝てしまいました。きょうは仕事をしない方がいいようです。


2008年01月09日

寝不足は危険

 昨晩は病院で2時間くらいしか眠れませんでした。新聞配達の途中、家に寄り、着替えて再び病院へ。ところが、その途中、とんでもないことをやってしまいました。運転中に運転モードに切り替えておくのを忘れ、携帯電話がブルブルと動いたので、車のスピードを落として道路わきに停まりました。停まってモシモシとやり始めたら、近くにいた車がクラクションを鳴らしたので、何事かと思いました。びっくりしましたね。私が停まった場所は、何と、T字になっている道路の信号機のある場所だったのです。寝不足の時、車を運転するのは危険であることを改めて知りました。

 午前は政治倫理検討委員会でした。市議を対象にした政治倫理条例をどうするか話し合い、議長への最終答申をまとめましたが、一般的な政治倫理基準はあっても、市議の身近に業者がいても請負辞退はしない、市議の資産公開はしないというまとめです。もし、こういう内容で条例案を作成して、パブリックコメントにかければ、市民から厳しい批判が出るでしょう。県内で最先端を行く条例ならば、胸を張れますが、これじゃ恥ずかしいというか、笑い物になるだけです。答申を受けた議長がどう対応するか、注目です。

 昼過ぎからは、長女と交代して父の付き添いを夜の7時半過ぎまでやりました。もう2週間近くお世話になっているので、病院が一日、どんな動きになるのか、よくわかります。一定の時間になると、看護師さんが回ってきます。病室掃除の人も毎日来ます。トイレ掃除の係りの人もいます。ゴミを専門に処理する人もいるようです。きょうは、エアコンのフィルターを交換する人もやってきました。病院というのは、いろんな人たちの労働によって動いているんですね。


2008年01月08日

付き添いの中で 

 病院での生活はだいぶ慣れてきました。きょうは午前中に生活相談で動き、午後から明日の午前の会議まで病院で付き添いです。父の言わんとする言葉は何度も聞くうちに、前よりは理解できるようになりました。分かる言葉は、「ばちゃ」「おかあさん」「とちゃ」など家族の呼び名の他に「小便」「牛」「ごはん」など少しずつ広がってきています。

 与えられた環境のなかで努力して覚えることがあります。これまでパソコンを使うときにはマウスなしでは何もできなかった私ですが、付き添いのなかでマウスなしでも作業ができるようになりつつあります。この調子で行くと、マウスが邪魔になるかも。病院では、やりたくてもこれまでなかなかできなかったことも少しずつやっています。そのひとつは写真整理です。整理する中で、HPの「私の好きな風景」に昨年の秋に撮影した写真を4枚掲載しました。

 この日記は市役所で書いています。今晩は家に帰りませんので、メールの返信はできません。お許しください。


2008年01月07日

ある店長さんに声をかけられ

 きょうから役所も平常に戻ります。私もそうしたいところですが、父の付き添いを中心にしながらの動きとなりました。午前9時に病院に到着。その後、10時から約1時間、議員団会議のため付き添いを弟に代わってもらい、あとは夕方まで病室にいました。ありがたいのは、父が入院している病院では携帯電話が使えることです。病室で2つの生活相談に対応することができました。これでインターネットが使用できれば最高なんですが、公衆電話でも活用しない限り無理でしょう。

 夕方、市内木田地区のあるお店に入ったら、店長さんに「橋爪さん、お茶を飲んでいきませんか」と声をかけられました。「吉川の方は雪はどうですか」と聞かれ、さてどなただろうと思いだそうとしても思い出せません。それもそのはずです。コーヒーをご馳走になりわかったのですが、まったく初対面の人でした。ただ、店長さんの方は、議会のテレビ中継で私の質問をよく見ておられ、顔を覚えていてくださったのです。「私も曲がったことは嫌いでね…」というこの店長さんからは、旧上越市選出議員の評価などいろいろな情報を教えていただきました。旧上越市内の有権者の生の声、とても新鮮でしたね。

 夜は市議選対策会議でした。父が入院という事態の中で、どういう形で選挙準備を進めていくか、相談させてもらいました。仲間の人たちからは、無理をして体を壊さないようにと言われました。ありがたいことです。


2008年01月06日

消防出初式と学校給食フェアー

 まず最初にお礼を言わなければ。きょう、家で私のHPを開いたら、アクセス数が10万回を超えていました。昨晩のうちに超えたのでしょう。訪問してくださった皆さんに心から感謝申し上げます。私のHPはいかにも素人が作ったHPという感じがすると思います。技術的に未熟なところは、日々の更新と情熱でカバーしようと努力してきました。市議としての私の活動を知ってもらうだけでなく、合併後は旧吉川町HPに代わって吉川区を知ってもらうHPにすることも意識してきました。今後ともよろしくお願いいたします。

 さて、きょうは消防出初式と学校給食フェアーがありました。私は上越地域消防事務組合議員ですので、出初式に欠席というわけにはいきません。朝早く病院を出て新聞配達を終わらせ、病院に戻り、そこから会場へ。この日記を読んでいる人もいて、同僚議員などから、父の具合はどうかと心配して声をかけていただきました。開会の直前、恒例の木遣り歌が披露されました。間近で聴いていましたので、節回しなどがよくわかり、聴き惚れました。こういう歌は私の父も大好きです。父にも聴かせてやりたいと思いました。
 
 学校給食フェアーは実行委員会の主催ですが、その中心は市職労の調理員部会のみなさんです。栄養士や調理員がどのようにして学校給食を作っているかがよくわかる取り組みで、とても勉強になります。同フェアーは今年で3回目。展示コーナーは毎年、各区が回り番で準備します。今年は吉川区の展示コーナーもありました。そこではサルナシジャムを使ったケーキが紹介されていました。めずらしいのでしょう、そこで足を止める人が多いような気がしました。

 今晩は弟に父の付き添いを代わってもらいました。これまで、病院での仮眠は病室に断熱マットを敷き、その上に長座布団を乗せ、そこに体を横にして休んでいました。慣れてきたものの、熟睡は出来ません。それだけに、今晩はゆっくり休ませてもらいます。きょうは、新年になって初めてわが家で眠ることができます。自分の家で眠れるのは最高です。


2008年01月05日

市政レポート新年号作成

 軽トラックから軽乗用車に変えて初めての冬を迎えています。同じ四輪駆動車であっても、両者にはいくつかの違いがあります。そのひとつは乗用車の方が車高が低いこと。きょうはそのことを頭に入れずドアを開けてバックしました。ところが、道路わきの固い雪を抱き込んでしまい、ドアを壊してしまいました。軽トラに乗っていたときの感で運転したのが間違いのもとでした。かなり傷めてしまいましたので、金がかかりそうです。

 今朝は日刊紙の配達のため、病院を5時45分頃に出ました。配達が終わってからは、年末に予定していた市政レポート吉川版新年号の作成に集中しました。昨晩から病院で原稿を練っておいたつもりだったのですが、原稿を寝かせる余裕がなく、作成して、すぐに印刷しました。明日になれば、また間違いに気づくのでしょうが、新聞折り込みの期限があるのでいたしかたありません。新年号には昨年を振り返り、新年の課題を思いつくままに書いてみました。「春よ来い」も久しぶりに書きました。いずれもホームページに掲載しましたので、ご笑覧ください。

 父の方は昨日、体温が38.2度まで上昇しましたが、きょうは37.1くらいまで下がったとのことです。昼間は次男と長女などが付いてくれました。これから、妻とまた病院に向かいます。


2008年01月04日

賀詞交歓会

 きょうは上越市の賀詞交歓会と吉川商工会の新年会でした。賀詞交歓会はリージョンプラザにいっぱいの人たちが集まりました。2000人くらいになったでしょうか。政治、経済、教育、その他、いろんな分野の人たちが参加していましたね。あまりにも大勢なので、どこにどなたがいるかわからなかったのですが、中学校の先生など何人かから声をかけていただきました。昨年から知り合った人、何年も会っていない人と再会できたのはうれしかったです。妻がお世話になっているお茶の先生ともあいさつを交わすことができました。

 市議のみなさんとは久しぶりの再会でした。年を越して、立候補を予定している各議員は、いよいよ選挙モードに入ってきたなという感じです。「おい、がんばっているかね。たいへんなようだね。応援に行っておまんの応援演説したいよ」保守系の思いがけない人からも激励していただきました。また、まわりの人の目も選挙を意識したものになりつつあるように思います。他党派の元議員が選挙区の違いを越えて、「応援しているよ」とわざわざ引き止めてくださる場面もありました。感謝です!

 商工会の新年会は、今年も区内の各界の人たちを集めて行われました。商工会会員のみならず、各種団体の代表が何人も参加していました。いまや、商工会が区のこうしたまとまりをつくる唯一の団体になった感があります。ここの新年会では、地元市議として挨拶もさせてもらいました。合併後4年目に入り、吉川が元気がなくなってきているという話が出ているので、総務省の「事業所、企業統計調査」で過去5年間に市内では900からの事業所が廃止し、従業員も5300人から減ったこと、第5次総合計画策定過程で市がとったアンケートでは「魅力ある都市にするには」、就労の場を確保すること、既存商店街の活性化が1位、2位を占めていることを紹介して、中小企業振興策を抜本的に強めることが大切だと訴えました。病院で寝不足が続いていて、おもうように喋れませんでしたが、話の中身は通じたようです。やれやれ。


2008年01月03日

再び体温上昇

 父の状態がまた変化しています。昨日、体温が37.9度まで上昇し、おかしいと思っていたところ、誤嚥の疑いありとの診断が下されました。一昨日から少しずつ食べ始めたゼリーがどうやら肺に入ってしまったようです。手当の結果、体温は37.4度まで下がってきたものの、まだぐったりしています。医師の説明によると、今後は鼻から胃に直接、流動食を入れるか、胃に穴をあけてチューブでそこに流し込むかしかないとのこと。困ったことになりました。

 きょうは新年の宣伝行動でした。吉川区から浦川原区に入り、午後からの活動を再開しようとしたところへ母から電話が入り、急遽、病院へ駆けつけました。小康状態が続いているので、いったん家に戻りましたが、これからまた病院です。明日からは妻も長女も勤務が始まります。私も次々と日程が入ってきていますが、割り切って、父のことを最優先にして行動したいと思っています。関係者の皆さんにはご迷惑をおかけしますが、お許しくださいますよう、お願いします。

 写真は昨日の段階での父の様子(画像)です。


2008年01月02日

日刊赤旗での品川・志位対談が面白い

 新春二日目。きょうも病院泊まりでした。朝は新聞休刊日ということもあって、午前10時過ぎまで病院にいました。時間があったので、昨日付の新聞をゆっくり読むことができました。おもしろかったというか、興味深く読んだのは、「しんぶん赤旗」日刊紙に載っていた経済同友会終身幹事の品川正治氏と共産党志位委員長の対談です。品川氏が、小泉内閣以降、新自由主義・「構造改革」という“貧乏神”によって国民生活が直撃を受けているという指摘をしたりして、2人の対談が今日の日本の資本主義の異常さをうきぼりにしていたのはとても参考になりました。

 病院から家に戻り、旧吉川町農業委員会会長のお連れ合いの葬儀に参列しました。農民運動、政治活動で活発に動いていた夫をずっと支え、働き者だったY子さんは先月末、亡くなりました。たった一晩で冷たくなってしまっていたといいます。私は何回かお邪魔し、お茶をごちそうになったことがありますが、無駄口をいうことなく、いかにも農家の“おっかちゃん”という感じの方でした。葬儀には地元集落の人だけでなく、夫のOさんの関係団体、湯人の人たちが大勢駆けつけ、家の中には入れ切れず、前庭まで参列者であふれました。ご冥福をお祈りします。

 これからまた病院です。父は回復がよくわかるようになりました。痰も少なくなって、点滴のみの治療です。きょうの段階で、流動食がとれるようになるかどうか、病院に行くのが楽しみになってきました。それでは、お休みなさい。


2008年01月01日

新しい年を迎えて

 新年は市内の病院で迎えました。妻と一緒に父を看ながらの年越しです。12時少し前に病室にやってきた若い看護師さんが「もうすぐ年明けですね」と言い、妻が「そうですね。明けますね」と応じました。長谷寺の鐘の音がテレビから聞こえてきたとき、妻は「年が明けたね。おめでとうございます」と声をかけてきました。新年で最初に言葉を交わした相手は妻です。一時は、父と一緒に年越しができないかもと思っただけに今回の年越しはいつも以上にうれしさがこみ上げてきました。

 年を越してから本格的に年賀状書きをしました。毎年、27日頃から書き始めていたのですが、今年は父の入院で書けなくなりました。それで、きょうは年賀状書きが初仕事というわけです。朝までほとんど眠らず頑張り、予定した年賀状を書き終えました。地元町内会の新年会は午前9時からです。病院から出たあと、コンビニでおにぎりとお茶を買い、車中で朝食。新年会ではお酒でなく、お茶を飲みかんべんしてもらいました。

 昼過ぎに病室に戻ると、驚きましたね。父がゼリー状の食べ物を食べようとするところだったからです。朝、担当の医師から、「ゼリーの食べ物」という話が出て以来、父の頭からゼリーが離れなくなったそうです。ほんの少ししか食べませんでしたが、大きな前進です。酸素の吸入もストップしていましたから、数時間の間に、こんなにも変化するのかと信じられない思いでした。

 さて新年は、いつ総選挙があっても不思議でない状況が続いています。市議選は4月27日と決まっています。合併に伴う定数特例を2回使うことになっていますので、今回も定数1の中で勝利を目指すたたかいとなります。アンケートや集落懇談会で有権者の声をたくさんお聞きしました。期待は高まってきましたが、相手陣営も並々ならぬ決意で挑んできています。ふるさとを守り、上越市民の命と暮らしを守るためにも絶対負けるわけにはいきません。「ホーセの見てある記」の読者のみなさん、今年もよろしくお願いします。


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