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2007年09月投稿分

2007年09月30日

久々にジャンパーを着て

 いよいよ、きょうで9月も終わり。あの猛暑はどこへ行ったのか、今朝は久しぶりにジャンパーを着ました。「しんぶん赤旗」の配達の時には暖房も入れました。日中とえ、多少は気温が上がったのでしょうが、ジャンパーを脱ぐわけにはいきませんでした。9月半ばころまで聞こえていたセミの鳴き声もまったくしなくなりました。夜も9時半を過ぎると、おそらくコオロギかなんかでしょう、静かに鳴いています。上越市役所は、クールビズはきょうまでです。10月1日から、議場では普段の服装で、と先週の各派代表者会議で言われた時は、こんなに暑いのに何でか、と抵抗感がありました。でも、この涼しさならば、明日は半袖姿ではいられないでしょう。

 きょうは夕方まで一日中、家にいました。まずは『山村集落再生の可能性』の初校のチェックです。これまでの経験から一字一句しっかり読み、漢字はどこかに必ず間違いがあるはずと、疑いの目で点検しました。「部屋を暖める」とすべきところを「部屋を温める」という間違いや、人名で、明らかに私の入力ミスが数ヶ所ありました。勝手な思い込み、パソコンの「勝手な判断」がありました。うっかりできないものです。このほか、次回の「春よ来い」の原稿書き、父の介護をしました。父はベッド生活が続き、足はすっかり細くなってしまいました。しわしわで、筋力はどんどん落ちています。きょうはトイレ行きがうまくいかず、大変な目にあいました。パンツを履き替えさせるにも、母と2人がかりでした。

 市政レポートNO1314号をアップしました。ご笑覧ください。


2007年09月29日

最後のロードレース

 「しんぶん赤旗」日曜版の配達、集金をしていたら、高校生たちが走っているところに出会いました。一人や二人ではありません。大勢が列になって走っています。学校の先生とおぼしき大人たちがT字路などで立っています。交通整理なんでしょう。これは、明らかに「校内マラソン」です。「きょうは土曜日、普通なら休みのはずなのに、何で?」と思いながら、車を走らせると、今度は原之町の十字路より少し東のところで10人くらいの大人たちが集まっているところに出くわしました。「何か事故でもあったんですか」とたずねたら、「応援です」という答えが返ってきました。さらに車を走らせ、平和橋の近くまで行くと、元吉川高校の校長先生、数学の先生までが生徒の応援をしていました。(画像はここ)

 ここまで来て、これはいつもと明らかに違うことがわかりました。車をとめて、話を聞いて、この「校内マラソン」は吉川高校の最後のロードレースで、保護者も、元職員も支援ボランティアや応援に駆けつけていることを知りました。元校長先生は軽トラに荷台を利用して給水所を設置、ウーロン茶やスポーツ飲料などを並べて、ランナーに声をかけています。「がんばれ、飲み物あるぞ、お茶がいいか、アクエリヤスがいいか」といった調子です。今回のロードレースは高校のグランドをスタートして、原之町、下町、そして下条堰近くの道を女子生徒は2回、男子生徒は3回まわるのだそうです。私が車を降りた時には、もう少しで終わりという時間でした。自転車に乗って先導している先生からは、生徒の頑張りについても教えてもらいました。「いま走っているあの子が完走してくれるかどうか一番心配していたんです。でもやってくれそうです。よかったら閉会式、観にきませんか」と声をかけてもらいました。

 グランドまで行くと、最後のランナーが入ってくる少し前でした。全校生徒、校長先生などが待っていました。そこへ、次男の担任をしてくださったT先生もこられ、校長先生や私に話かけ、「私は生徒たちに恵まれました。私は卒業式で生徒たちから感謝状をもらったんです」。数年前の卒業式の思い出話でした。そして、最後のランナーがグランドに入ってくると、生徒たちが一斉に声を出しました。「○○○、がんばれ」。閉会式では、最後のロードレースを全員が走りきったことを心に刻んでおくようにという校長先生の挨拶が感動的でした。さらに、生徒たちがボランティアでこのレースを支えてくれた親たちなどにお礼の挨拶もしました。胸が熱くなりましたね。


2007年09月28日

樋口議員に激励電話

 朝、地元の新潟日報上越版を見たら、米の仮渡し金の影響の記事が大きく載っていました。影響額35億円。昨夜、こちらで作成した市政レポートでも、このことを前面にだして書きました。ほぼ同じ内容ですので、こちらが早くなればいいなと思っていたのですが、こちらは、週刊新聞ですので、どうしようもありませんが、ニュースバリューを考えるとこうなりますね。

 さて、一般質問は3日目を迎えました。体力的には疲れがだいぶたまってきました。エレベーターで一緒になった市長も、「いやー、疲れたわ」。こちらは聞いているだけですから、答弁の主役の疲れは相当なものでしょう。きょうの質問では、わが議員団の樋口良子議員ががんばりました。後期高齢者医療制度では、資格証明書発行、住民健診などについて、いまの時点で言っておく必要のあることをしっかり主張。ごみの最終処分場問題では、地元の研究者と議員団が合同で行った調査に基づいて、「地すべり地帯であることが分かっているのに、建設しようとするのは問題だ」と展開しました。調査した内容をよく整理して質問を組み立てていたので迫力がありました。休憩時間になったら、すぐにテレビ中継を見ていた視聴者から「よかった」と電話がありました。まったく知らない人だったので、彼女も感激していました。

 本のゲラがもう出来上がってきました。電子情報で原稿を送っていますから、仕事は速くなりますが、編集者が目を通して、その上での仕事ですので、やはり速い。ルポ原稿、上越市の調査についての解説文、どちらも自分で書いた原稿なのに、トンボ(用紙のスミに付いている紙の切断箇所の印)が入っていると、とても新鮮に感じます。私の原稿はほとんど修正されていませんでした。名前、地名など再確認して、月曜日には出版社に戻すことにしています。


2007年09月27日

質問力

 一般質問2日目。きょうも登壇者は7人でした。今定例会は持ち時間を残さず使う人とそうでない人がほどよく混ざっている感じがします。この調子だと、明日も明後日も登壇者は7人でしょう。すると私の番は、10月2日の午前ということになります。

 きょうの質問では、原発問題でひとり、米価下落問題で2人が質問しました。この結果、昨日ときょうで、私の質問しようと思っていたことの半分くらい答えが出た形になりました。特に米価下落対策として、これからどうするかについては出尽くした感じです。こうした後の質問はどうするか。議員の質問力が問われます。きょうは塚田俊幸議員がお手本を示してくれました。佐渡汽船の小木・直江津航路について、昨日の飯塚議員の質問に対する答えをベースにして質問を組み立てていました。佐渡汽船側は上越市に増資のお願いをした翌日、これまでの2隻体制から1隻体制への移行を方針として明らかにしました。しかも1隻にする理由は上越市の(増資問題などでの「否定的な」)態度でした。増資の意思を示しているのに、これでは矛盾を感じたであろうと、そこに質問を集中する。明らかに、昨日のやりとりからの発展がある質問でした。これなら、質問するだけの価値があります。聴いている方も聴きがいがあります。

 きょうの最後の登壇者はわが議員団の杉本団長でした。高田測候所の跡地利用などの質問では、市から寄付を受けた国有地を使わなくなった時にどうするかについて、質問者の方で、事前に法律を調べておく、他の測候所の事例も調べる。それが答弁に反映されました。無償で上越市に譲渡されることはほぼ間違いないでしょう。また、杉本議員は、側溝の改修について東本町通りとその他について、現場の写真を持ち込み、早期改修を求めました。これらも質問力です。


2007年09月26日

脱稿

 何とか間に合いました、締め切りに。昨晩は睡眠時間が2時間です。正確に言うと布団の中に入ったのが午前3時過ぎで、2時間後には布団から抜け出して「しんぶん赤旗」日刊紙の配達に出ました。どういうわけか、布団に入っても眠れませんでした。軽い興奮状態が続いていたんだと思います。原稿は一晩寝かせただけで違って見えます。昨日に書いた「上越市の山村集落調査から見えてきたもの」という原稿は大幅に手直しし、加筆もしました。とにかく脱稿です。夕方には発泡酒350㏄と「たこ入りキムチ」を買ってきて、自分で自分をねぎらい、飲みました。『山村集落再生の可能性』(自治体研究社)は10月20日には出来上がることになりました。私が書いたものとしては3冊目(今回は共著)、楽しみです。

 きょうから市議会は一般質問です。7人が登壇し、市政のさまざまな問題をただしました。ほとんど寝ていなかったので、睡魔との闘いになるだろうと覚悟していたのですが、7人のうち4人が中越沖地震や米価引き下げ問題を取り上げたこともあって、目はしっかり開いていました。注目したことの1つは近藤議員の質問です。市の地域防災計画の中に原子力防災計画を入れるべきではないかとの質問に、市長は、「年度末までに、地域防災計画の見直しの中で、原子力防災についての記述を入れていきたい」と明言したのです。昨年12月議会の私の一般質問にたいしては、「当市においても原子力事故を想定した対策や対応マニュアルなどを整備する必要性がある。現在当市の地域防災計画策定作業を進めているので、この中に何らかの記述や方向性を示すなどの対応を含め、具体的な位置づけについて検討を指示いたしているところだ」と述べていましたから、これまでの市の方針を更に一歩進めたと評価してよいでしょう。田村武男議員の質問で市は、米の仮渡し金を1万円に引き下げたことによる市内での影響額は35億円にのぼることを明らかにしました。地域経済への影響が大きいことを改めて確認しました。


2007年09月25日

長野市議選全員当選が一面記事に

 今朝の「しんぶん赤旗」日刊紙一面に、長野市議選で日本共産党の候補者6人全員当選という記事と写真が掲載されていました。全員当選は、昨日、長野市役所のHPで確認していたのですが、写真は初めて見ました。写真に写っていたのは、現職の永井さんに代わって立候補した旧豊野町在住の佐藤久美子さんでした。彼女は旧安塚町の出身で、私が初めて町議に立候補した時にアナウンサーをやってくれた人です。もう何十年も会っていないのに、若々しいのに驚きました。良かった、良かった。次の長野市議会との交流会が楽しみです。

 3日ずつ開催されていた常任委員会はきょうが最終日でした。私の方は、生活相談と委員会傍聴、それに原稿書きの3つをこなそうというのですから、大忙しでした。生活相談はどんなに忙しくても、困った時に相談者がやってこられます。きょうも医療や介護問題での相談でしたが、具体的な事例にぶつかると、とても勉強になります。本の原稿書きの方は、議員団の仲間から一次原稿を見てもらったおかげで助かりました。杉本議員からは、「上越市の集落調査の特徴をもっと早い段階で読者に分かってもらった方がいいのでは」というアドバイスをもらい、原稿の最初の部分を思い切って書き直しました。樋口議員からはアドバイスはもらわなかったものの、私のルポを読み、くすくす笑っている彼女の姿を確認しましたので、「これなら、読んでもらえる」と確信しました。

 今晩は十五夜です。市役所から妻を職場まで迎えに行き、帰りは一緒。「きょうは十五夜なんだよ」と言われたので、月を見ると真ん丸ではありませんでした。少し欠けていても十五夜なんですね。お月さんは、時々、雲隠れしましたが、いいもんです。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、きょうは、車の窓を開けると涼しくなりました。妻の職場から家まで車で約40分かかります。普段、家ではあまり話をしないので、この時間帯が大事な夫婦の会話の時間です。


2007年09月24日

収穫の秋も終盤

 生活相談と取材・原稿書きの一日でした。9月の3連休の2度目。平場での稲刈りは大規模農家を除いてほぼ終わったようです。昨日ときょうはコンバインを洗ったり、ごみを取ったりしている光景をいくつか見ました。こうした光景に出会うと、収穫の秋も終盤だなと思います。山間部の農家で稲刈りの状況を聞いたら、今年はカモシカにやられたという言葉が返ってきました。獣害は昨年より広がりつつあります。米価下落問題はどこの農家も深刻に受けとめていますね。

 自治体研究社の『山村集落再生の可能性』の原稿書きの方も終盤です。本当は明日が締め切りですが、上越市の集落調査に関する追加分については、もう少し待ってもらえることになりました。あと一日書けば何とかなるでしょう。ただ、今週の議会の日程の中でいつその時間をとるかが問題です。明日の総務常任委員会の時か、それとも夜、少しずつ書くか。どちらを選択するにせよ、パソコンとのにらめっこはしばらく続きます。


2007年09月23日

本の原稿書き、あれこれ

 まずは連絡というか、お知らせです。東京都練馬区にお住まいの浩一さん、吉川区のおかあさんの写真をお送りしますので、メールのアドレスを教えてください。私のメールアドレスはHPのトップに掲載してありますので、よろしく。

 先日、『山村集落再生の可能性』に掲載予定の原稿を書き、出版社に送りました。急いで書いたこともあって、書かれた側の人たちはどう受けとめてくださるか気になっていました。きょうは、午前中に時間をつくり、3人の人から原稿を見てもらいました。事実関係に間違いはないか、人の名前が間違っていないか、読んで違和感を感じる点はないか、チェックしてもらいました。その結果、人の名前の順番などいくつか修正することにしました。表現も、ぎこちないところをいくつか直しました。これで一安心です。

 午後からは、上越市の『高齢化が進んでいる集落における集落機能の実態等に関する現地調査報告書』について、私なりの評価を文章にまとめる作業に入りました。題して、「上越市の○○調査から見えてきたもの」。こちらは先に書いたルポと違って、論文に近いものにしなければなりません。最近は、一般質問もメモ程度のものしか書きませんので、硬い文章になりそうで、なかなか前に進みません。気分転換にテレビのスイッチを入れたら、福田さんが自民党の総裁に選ばれ、壇上でお礼と決意の挨拶をしているところでした。総裁といえども、緊張して口のすべりがいまいちになることもあるのか、と思いながら聴きました。

 市政レポート1313号、及び『春よ来い』第84回「ラジオ深夜便」をアップしました。トップページからお入りください。


 


2007年09月22日

お彼岸残暑のなかで

 きょうもあっちっちの一日でしたね。もう9月も後半だというのにどうしたことでしょうか。午前は、パンツ一枚になって原稿書きに専念しました。午後からは「しんぶん赤旗」日曜版の配達でした。日除けのために、タオルで「あねさかぶり」をして動きました。ある70代のお母さんから、「あら、おまさん、おもしれぇ格好してなるね」と言われましたが、どう言われようと、強烈な陽射しを避けないわけにはいきません。田んぼが軟らかいと苦戦をしていた稲刈りもここに来て順調なようです。きょうは3連休の初日、あちこちでコシヒカリを刈る姿が見られました。

 ある読者の家でお茶をご馳走になっていた時、近くの林の中から聴いたことのないセミの鳴き声がしました。ミンミンゼミが終わろうとしている時の鳴き声か、私が初めて出会ったセミか。一緒にお茶を飲んでいた3人で耳を澄ませて聴き入りました。重い鳴き声でした。このセミの声を聴いたことで、しばらくセミの話で賑やかになりました。今朝のラジオで、セミとカマキリが争っている様子を見たカメラマンの話をしていたそうです。結論を言うと、勝ったのはセミの方。どうなるか冷や冷やしたというカメラマンは写真を撮るのを忘れてしまったといいます。この話を教えてくれた人も、セミがカマキリに食われてしまうと思っていたので安心したと言っていました。そして、セミもカマキリも寿命は長くないのに、争ってほしくなかったとも。

 トップページの尾神岳の写真、入れ替えました。


2007年09月21日

民主党の「次の内閣」in新潟

 きょうは午前中、総務常任委員会を傍聴してきました。質問がもっとも集中したのが行政改革です。わが党の杉本議員をはじめ、多くの議員が発言しました。吉田議員は公共事業の再評価についてふれました。まな板の上にのった白菜を包丁でさっくりとやる感じで手を動かしながら、「上越市の将来の見方はだいぶゆるい。これからの上越市にとって重要なことはこれを厳しく評価し、必要最低限にすることだ」との訴えは同感でした。いつも手で丸い輪をつくりながら話をする栗田議員、大きな声でズバリものを言う永島議員など、この委員会は個性派議員が多いですね。

 午後から、民主党の「次の内閣」in新潟に出てきました。会場となった直江津駅前のホテルハイマートは200人近い参加者と報道陣でごったがえしていました。他党のこうした会に出るのは議員生活の中でも初めてのことです。今回は農業政策公聴会と銘打って、同党の戸別所得補償政策の説明と質疑応答があるというので、参加してきましたが、民主党の支持者ばかりでなく、社民党や共産党、自民党の支持者の姿も何人も見えたのにはびっくりしました。それだけ、農業政策に対する関心が高くなっているということでしょう。

 先の参院選で民主党は、3大公約の1つに戸別所得補償制度を掲げましたが、これで農村票を獲得したことは明らかです。わが党も以前から所得補償を訴えていただけに、どこまで共通点があるのか、関心がありました。今日の説明を聞く限りでは、選別政策をやめて、すべての販売農家の所得補償をしようとしていることや中山間地域直接支払い制度の恒久化を主張しているなど評価できる点がいくつもありました。今後は、市議会の中で、農業関係の請願書などの取り扱いで民主系会派などとの共同行動を意識的に追求していきたいと思います。

 公聴会では、岡崎トミ子、増子輝彦、篠原孝議員などのスピーチをとても興味深く聞きました。とにかくユーモアとジョークの使い方がうまいのです。だいぶ鍛えられているなと思いました。会場からの発言では、稲作農家の経営の厳しさを浮き彫りにしたものにひきつけられました。「米価も1万円の時代に入った。このままだと交通事故死よりも(農業者の)自殺が多くなる」「前渡し金が引き下げられたために、10月末の支払いが670万円足りない。首っつりをしたいくらいだ」。一般質問のテーマのひとつに、米価引き下げ問題を出しておいてよかったと思いました。


2007年09月20日

手術をしないで治る可能性が大

 きょうは医者へ行く日でした。左手の短母指伸筋を痛めてからまもなく1ヶ月になろうとしていますが、医師の診断では、治るまでもう2ヵ月ほどかかりそうだということでした。親指の腫れは完全にとれました。ただ、筋は完全に切れてはいないものの、今後の治り加減によっては手術の可能性もある、その場合でも、以前に考えていたほど難しい手術とはならないそうです。まわりくどい言い方でしたが、手術をしないでも治る可能性が大きくなったということです。

 さて、議会の方ですが、きょうから総務常任委員会です。財務部からスタートし、総務部、企画・地域振興部と進みます。きょうは財務部を終わり、総務部の決算の説明まで行きました。でも、私の方は、きょうは一般質問の「質問どり」のため、ほとんど傍聴できませんでした。質問は13項目にも及んでいて、しかも抽象的な質問もいくつかあることから、時間は3時間以上かかりました。関係課の幹部と話をしていて思ったのは、今回の質問は長くなりそうだということです。私の質問は30番目です。10月1日の夕方か2日の1番目あたりになるでしょう。

 このほか、きょうは生活相談が相次ぎました。朝の5時半過ぎからはじまって、相談件数は3件、このうち2件は介護にかかわるものでした。要介護者が高齢になって、認知症が出ている、家族では面倒見切れなくなった、何とかしてほしいという内容です。話の中身を聴いていたら、私の父のことを考えました。わが家も似た状況に近づきつつあるからです。担当者との話し合いでは、つい、身を乗り出してしまい、誰が相談者かわからなくなる場面もありました。


2007年09月19日

春日山駅の近くでハサがけイネ

 妻が日中、車を使うというので、朝、妻の勤務先から高田駅まで久しぶりに歩きました。午前8時47分の電車で市役所まで行こうというわけです。急ぎ足で駅まで歩くと、電車は15分遅れ。とたんに、汗が噴出してきました。電車からは普段見ることのできない風景が目に入り、満足しました。特に春日山駅の近くで、ハサ掛けのイネがあるのにはびっくりでした。電車が止まってくれれば、デジカメでいい写真が撮れたのに残念です。

 きょうは、建設企業常任委員会3日目。一日中審議を傍聴しました。中越沖地震の後だけに、地震関係の説明や質問がはじまると、どうしても注目します。一般会計補正予算で木造住宅耐震診断支援事業では25件分の診断支援費用が追加されました。1件あたり5万円の補助です。これで足りるのかなと思うのですが、まだ個人住宅の耐震化を求める意識が低いのかも知れません。

 本城議員が水道事業会計決算で、「(決算の)数字で見ると石綿管更新計画よりも3キロメートルくらい前倒しになってあったと思われるが、今後も18年度決算を上回るペースでやっていけるか」と問い、新井議員も水道事業会計補正予算審議で「断水が長期化した柏崎市での経験からも学び、水道のブロック化などが必要ではないか」と質問していました。こうした質問を聞きながら、ガス・水道というライフラインの耐震化についてもっと勉強しなければと思いました。


2007年09月18日

昨日の続き。中学時代の友人と尾神岳で遊ぶ

 昨日のことで書き忘れたことがあります。中学時代の友人が東京からやってきたので、約3時間、尾神岳で楽しいひと時を過ごしたことです。この友人とは、毎年、お盆に一緒の時間をつくるのですが、必ず尾神岳に登っておしゃべりをして楽しんでいます。今回は見晴らし荘でソバを食べ、報尽碑、パラグライダーのスタート地点、大出口泉水周辺を散策しました。

 今回、彼はお連れ合いと一緒。それに地元の同級生も。修繕工事が終わったばかりの報尽碑を初めて訪れた同級生夫婦は、明治16年3月12日の雪崩事故に深い関心を示し、碑に手を合わせました。帰りに、雪崩の現場ではツリフネソウとジャコウソウが美しい花を咲かせていたので、お連れ合いにツリフネソウを一輪プレゼントしたところ、それから野の花が次々と目に入ったようです。ツリガネニンジンも少し咲いていました。ミズヒキ、キンミズヒキ、ゲンノショウコもたくさんあったので、東京へ持って行って植えたいと、こいでいました。最後にキツリフネを見つけた時は、みんな大喜びでした。尾神岳へ行くと、どうしても野の花三昧となってしまいます。

 パラグライダーの基地では感動的な場面に出会いました。ひとりの青年がパラグライダースクールの山本校長と一緒に初飛行する様子(画像)を見ることができたのです。吹上げてくる風が強くなってくるのを待って、迷わず「走れ!」という号令の中、スッと飛び立って行きました。私のすぐそばにいた若い女性と小さな子どもがその様子をうれしそうに見ていたので、「いまのは、お父さん?」と尋ねたら、「そうなんです」。「初めての飛行なんでしょ?」と続けたら、「はい!」。若い夫婦と子どもは高田からやってきたのだそうです。

 きょうはうれしいことが1つありました。地元の上越タイムス紙に高田ロータリーアクトクラブのみなさんが「郷土本を図書館に寄贈」という記事が載っていて、その写真の中に私の『春よ来い』(同時代社)の姿も見えたのです。ありがたいですね。さて市議会は、建設企業常任委員会2日目でした。この委員会は、「本城委員会」という言葉があるほど本城文夫議員の発言が多いのが特徴の1つです。これまでの委員会で市側がどういう答弁をしてきたかをふまえて、住宅問題などで次々質問を繰り出す。私の場合、ややもすると、過去に何を質問してきたかを忘れて質問をしてしまうケースがあるだけに、勉強になります。きょうは、若手の渡邉、松野議員も地元問題を中心に発言をしていました。


2007年09月17日

NHKラジオ深夜便

 敬老の日。吉川区内に住む70代後半のHさんとおしゃべりをしてきました。コーヒーをいただきながら、最近何をやっているかについて話をしてくださったのですが、とても興味深い話だったので、つい、長居させてもらいました。Hさんは、このところ、NHKのラジオ深夜便が気に入っているのだそうです。それも、深夜の3時ごろから始まる「にっぽんの歌こころの歌」が良いと言います。ここで紹介される曲は、戦前、戦中、戦後の歌謡曲。でも、市販されている懐かしのメロディだけでなく、レコードのB面扱いだった曲もある。アナウンサーがよく調べておいて、歌手のことや曲の紹介もやってくれる。さらには、その曲にまつわるお便りも紹介される。とても心地よいと言っておられました。びっくりしたのは、気に入った時のものはすべて録音されていることでした。本棚の片隅に、録音したMD(画像はこちら)が49個も並んでいました。もう1個でちょうど50個になるとか。
 
 Hさんが言うには、「にっぽんの歌こころの歌」を布団の中でウトウトしながら聴くのが一番。その曲の背景も自分の思い出も浮かんでくるというのです。明るくちゃ、ちょっとムードはでないけどね、そう言って聴かせてもらったのは、9月15日の放送分でした。津村謙と鈴木三重子の真夜中の夢の競演。曲は『流れの旅路』『愛ちゃんはお嫁に』 『上海帰りのリル』 など。こうした曲をバックにHさんは、いくつかの思い出を語ってくれました。吉川高校(当時は農林学校)の農場へ行こうとした時に、アメリカのグラマン戦闘機がやってきて、操縦士の顔まで見えて怖かった。黒井の空襲があった日、多分、1945年(昭和20年)5月5日、爆撃をした飛行機が原之町上空を飛んで行って、いきなり急降下したかと思ったら、ドーン、バリバリ。ガラスが揺れた。Hさんの話は今度、ゆっくり聞いてみたいと思います。


2007年09月16日

感動をもらってきました

 県内の活動家を集めて総選挙に向けた方針を徹底するための会議が三条市で行われました。日本共産党が活動者会議と呼ぶ会議です。先日行われた第5回中央委員会の報告と当面の方針について小日向県委員長が1時間半ほど語り、その後は経験交流でした。
 活動者会議では毎回いくつかの感動をもらいますが、きょうは、朝日村の貝沼さんの決意表明と上越市頸城区の上野さんの党勢拡大についての発言が特に心に残りました。貝沼さんは先日行われた村議選で無競争当選したばかりの女性です。若くして亡くなった夫の遺志を継いで村議活動をすることにした、しかも村議としての活動期間は村上市などとの合併のため、わずか半年間。短い言葉でしたが、与えられた期間を村民のために全力で頑張るという決意の中に日本共産党議員としての魂を見ました。
 上野さんはいうまでもなく市議団事務局長です。頸城区を舞台にした支部活動を語りました。市議増員選、県議選、参院選と悔しさの残る戦いを続けてきました。すごいなと思うのは、選挙に負けても、次は頑張ろうねと仲間を増やし続けていることです。昨晩も頸城区内外で著名な人を仲間に迎え入れました。私とも交流のある個性溢れる人です。それにしても上野さんのいつも前向きな発言には励まされます。頑張らなくては。

 市政レポートNO1312をアップしました。裏面もあります。


2007年09月15日

新潟市で本の編集会議

 地震で不通となっていた信越線の柿崎ー柏崎間は13日に開通しました。きょう、開通後、初めて電車に乗り、新潟まで行ってきました。行きの電車の窓からは日本海の青い海がとてもきれいに見えました。ただ、電車のスピードはいつもの半分くらいです。青海川駅周辺での減速は理解できますが、そのほかのところではなぜ減速が必要なのか、わかりませんでした。青海川以外のところでも地震の影響で線路の路盤が弱くなっているところがあるのでしょうか。説明がほしいと思いました。

 きょうの新潟行きは、にいがた自治体研究所で本の出版の打合せです。タイトルは『山村集落再生の可能性』に落着きそうです。打合せでは、自治体研究社の出版部の担当の方の司会で、山古志でのインタビュー原稿、長岡市小国町法末集落の取り組み、そして私のルポ原稿について意見交換しました。私の方はなかなか原稿が間に合わず、新潟行きのくびき野号の中でもパソコンを使い、原稿書きをしました。電車の中で原稿を書いたのは初めてです。電車の揺れはほとんど気になりませんでした。3000字くらいは書けたと思います。思った以上に書けたので、クセになりそうです。

 打ち合わせが終わったのは午後6時近くでした。その後、新潟駅に近い「魚金」というお店で懇親会をやりました。お店では魚がとても美味かったです。とくにサンマ、ハタハタがよかった。ビールは中ジョッキで3杯もいただきました。きょうは暑さがぶり返したので、どんどん飲んでしまいました。京都大学の岡田知弘教授と話すなかで、私が学生時代お世話になった横浜国立大学の中村剛治郎教授とは日本地域経済学会で一緒に仕事をされていることを知りました。世間は狭いものですね。


2007年09月14日

荒川区議会議長からお見舞い

 吉川町時代から友好関係がある東京都荒川区区議会の竹内議長さんが遠路はるばる吉川区まで地震のお見舞いに来てくださいました。大きな災害があった時に友だちが来て、大丈夫かと励ましてくれるのは心強く、ありがたいものですが、それと同じです。とてもうれしく思いました。きょうは、私も地元議員として竹内さんと一緒に行動させてもらいました。被災地を視察される様子を見ていて感心したのは、自分たちの住む荒川区で地震が起きたらどうなるかを考え、ライフライン、通信手段などがどうなったかに強い関心を示しておられたことです。大いに勉強させてもらいました。


2007年09月13日

コシヒカリと米山

 きょうは予定を変更して吉川区にとどまり、『山里再生』(自治体研究社より刊行予定)の原稿書きに精を出しました。400字詰原稿用紙で換算すれば10数枚は書いたことになるでしょう。私の場合、ひたすら書き続けるためにはコーヒーが必要です。朝から晩までに6杯くらいは飲んだのではないかな。書いてみて思ったのは、記録の大切さです。「消えた集落」という章で半入沢のことを書いたのですが、「町政レポート」で記録しておいたおかげで、19年前の悲劇(火事など)についてありありと思い出すことができ、原稿にすることができました。第一稿提出締め切りまであと1日。今晩どれだけ書けるかで間に合うかどうかが決まります。
yoneyama.JPG
 原稿書きの途中、気分転換をしました。デジカメを持って、吉川区、柿崎区内を30分ほどまわったのです。少しもやがかかっていたので、風景写真はいまひとつという感じでしたが、風景は昼間いる時でないと撮ることができません。尾神岳や米山の写真を何枚か撮りました。稲刈りの方は五百万石、コシイブキが終わって、コシヒカリの刈り取りに入る直前です。田んぼで実った稲がとてもきれいでしたので、「コシヒカリと米山」などのセットで写真を撮りました。このうちの1枚を掲載します。これは柿崎区上直海の田んぼで撮ったものです。きょうは、この他にシロバナサクラタデの花も写真に撮ることができました。これは、いつ見ても美しい。


2007年09月12日

安倍総理が辞任表明

 きょうの上越タイムスで、一昨日の文教経済委員会でのやりとりが掲載されていました。佐渡汽船の小木ー直江津航路問題では、短い文章でありながらも、質疑の内容を正確に伝えていました。佐渡汽船が中間決算短信で「上越市が航路の必要性について否定的な考えを示している」と書いたことに関して、私が修正を求めるべきだと主張したところ、村山副市長が「信頼関係を構築し、修正を求めたい」と答えたことがそのまま載っていました。きょうは午前中に山崎議員とともに竹田産業観光部長に会い、一昨日の委員会でのやりとりと新潟日報で書かれたこととの食い違いは否定しがたいものがあり、納得できない。今議会の中で事実関係をもっと詳細に明らかにするように、と求めました。近いうちに動きがあるでしょう。

 きょうの最大のニュースは何といっても安倍総理の辞任表明です。午後1時過ぎに、市民クラブの仲田議員が私たちの議員控え室にやってきて、「安倍が辞めるって、ニュースでやってるよ」と教えてくれました。そう遅くない時期に退陣間違いなしとは思っていたものの、昨日、所信表明し、きょう辞任表明とはびっくりしましたね。午後2時からの記者会見では、市議会の仕事を脇においといて、市民クラブ控え室にあるテレビを見させてもらいました。一緒に見た議員が何人もいました。なぜ、きょうの時点での辞任表明となったのか、肝心なところが曖昧なまま記者会見が終わりました。その後、トイレに行くと、保守系議員が、「俺も自民党だが、無責任すぎる」とプンプンでした。

 「ホーセの見てある記」をブログ化したのが8日でした。新たな形にした理由の1つは、読んでいてくださる方のご意見や感想なども載せられるようにしたいからでした。いっこうに反応がないなと思っていたら、きょう、2つのコメントが到着しました。初めてです。ひとつは柿崎区出身の阪神在住の人から、もうひとつは若い料理研究家から。うれしいコメントでした。


2007年09月11日

新潟日報の取材メモ

 朝、新潟日報上越版を読んで驚きました。上越支社の記者の取材メモです。佐渡汽船小木ー直江津航路問題に関して、佐渡汽船の中間決算短信が、同航路の減船理由として、「上越市が航路の必要性について否定的な考えを示している」と書いたことについて、同社の戸田社長がこの文言の正当性を力説したとあったからです。上越市に対する謝罪もしていないとあります。これは、昨日の文教経済常任委員会で市幹部が発言した内容とまったく異なります。一緒に質問した山崎議員もこれに猛反発、明日、市幹部に事実関係をただすことにしました。

 きょうは終日、市役所議員控え室で仕事をしました。他会派議員との意見交換、生活相談、マスコミ対応、原稿執筆と忙しい一日でした。夕方からは約1時間、自治基本条例づくり市民会議のワークショップの模様を傍聴してきました。同会議では条例の素案についての意見を出し合い、検討していました。この段階に来てもいろいろな意見が出てくるというのは、すばらしいことだと思います。時間があればワークショップの仲間に入れてもらいたいな、と思いました。

 トップページの尾神岳の写真、入れ替えました。黄金色の稲の姿が消えると、やはりさみしいですね。


2007年09月10日

同じ3日目でも

 きょうは文教経済委員会3日目。これが3日連続で行われるか、間に休みが入るかは質問に影響を与えます。連続した時はどうしても疲れが出てしまいます。今回は間に土日が入った。そのおかげで、すっきりした気分で質問ができました。もっとも、いい質問になるかどうかは、どれだけ質問を準備してきたかで基本的に決まります。

 農林水産部関係の議案で注目した1つは、担い手農地集積高度化促進事業分担金徴収条例です。同事業は地域で策定した面的集積促進プランに基づき、一定の要件を満たす農用地の面的集積をした団体に対して交付金を出すものです。稲作が盛んな自治体はすべて取り組むものと思っていたら、県内では、現在、上越市など7つの市町村だけでした。しかも、昨年12月までに同じように面的集積をやった団体とのバランスを考慮して交付金を受ける団体から分担金を徴収するのは上越市が最初ということです。こうした情報はきょうの委員会まで知りませんでした。新たな事業に取り組む場合は、他の市町村の取り組みについても調べておく、その必要性を改めて感じた議案でした。

 産業観光部関係の決算。商工会への補助金見直し問題、観光ホームページのあり方、佐渡汽船小木直江津航路をめぐって質問や注文をしました。観光ホームページについては、私のHPをどう充実させるかを考えている時だけに強い関心がありました。昨日、久々に見た上越観光コンベンション協会のHPや市の観光HPについて感じたことを率直に語り、充実を求めました。上越市観光の魅力をクローズアップすること、ライブの導入、訪れたお客さんの感動を紹介するなど、いくつかの提案は、ぜひ検討していただきたいものです。

 委員会が終わったら午後6時を過ぎていました。9月も半ばになり、陽が早く沈みます。暗い帰り道、車の窓ガラスを閉めておいてもアオマツムシの大合唱が聞こえてきます。季節のギヤチェンジはすっかり終わったようですね。


 


2007年09月09日

母の押し寿司

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 吉川中学校の運動会でした。会場となった中学校のグランドは地震で深い地割れもでき、砂を入れて整備して使えるようにした経過があります。生徒会長の石田望さんが開会式でのべた、「地震にもめげず準備をしてきた」といった言葉が印象に残りました。準備体操は、軽いジャンプの繰り返しから。大縄跳びでアキレス腱を切った人の話を聞いていたので、地面から足を離すのが怖く感じました。選手宣誓では、毎朝、新聞配達をしているS君の元気な声を聞きました。小さい頃から知っている生徒なので、たくましく成長したなと思いました。

 運動会は途中で失礼させてもらい、柿崎区などで生活相談です。建物の被害認定で相談してきた人は、「いろいろ悩んでいたところへ、あなた方の『支援制度の紹介』ビラが新聞折込で入ってきた。これで救われると思った」と語りました。ビラは重要なところに赤いボールペンで線が引いてありました。一部損壊と認定されたが、修理には500万円前後はかかるとか。訴える姿には切ない思いがあふれでていました。何とか助けてやりたいものです。

 午後、母が何を思ったか、押し寿司をつくってくれました。今年は母の押し寿司を食べる機会が少なくなった気がします。上越地方ではあちこちで押し寿司が売られていますが、やはり、母のものが一番です。味が違います。5個も食べてしまいました。今年は最後の押し寿司になるかも知れないと思い、デジカメで撮っておきました。いい色でしょう。


2007年09月08日

ホームページ移転

 いつも「ホーセの見てある記」を読んでいてくださる方はびっくりされたのではないでしょうか。きょう、というより今晩、私のHPを移転しました。写真など容量の大きいファイルをどんどん掲載しても同じサイトで見られるようにしたいと考えていたのですが、ようやく実現しました。それともうひとつ、移転に伴い、「ホーセの見てある記」をブログにしました。これで、読者の皆さんから気軽にコメントをいただけるようになりました。双方向型の通信への脱皮です。15日ごとにファイルをつくる面倒くささからも解放されます。
 慣れるまで、しばらくはミスもあろうかと思いますが、どうか、今後ともご愛読くださいますよう、お願いいたします。
 市政レポートNO1311をアップしました。ご笑覧ください。


2007年09月07日

文教経済常任委員会2日目

 台風がやってくるということで昨晩から今朝にかけてよく眠れませんでした。でも、新潟県はかすっただっけで終わったようです。被災されたみなさんには心からお見舞い申し上げます。

 さて、きょうは文教経済常任委員会2日目でした。昨日に続き、教育委員会関係で熱い議論が続きました。市内の26の体育施設を1つの指定管理者にまかせようという議案が今議会で出されています。これまで業務委託で管理に携わっていた人たちは常駐者だけで13人、そのほか市役所職員2人、さらに非常駐者がこれらの施設にかかわる仕事をしてきました。「全国でこんなに多くの体育施設を1つの指定管理者が受けるケースはあるのか」との問いに、「いま、わかっているのは横浜市で29施設を管理しているケースがある。あとはわからない。上越市が先進を行っているのではないか」という答えが返ってきました。確かに「行革」の先進事例となるのかも知れません。問題は市民本意のしっかりした管理ができるかどうかです。今後の動きに注目していきたいと思います。

 昨日は教育委員会関係で、きょうは農林水産部で同じ問題がとり上げられました。学校給食における地場産食材の利用率が県平均を大きく下回って、8.3%にとどまっている問題です。状況をどう打開するのか。少なくとも学校単位で納入できるようにしたらどうか、一括納入、統一献立がネックになっているのではないか、などの質問、提案が相次ぎました。私は農業振興の立場から、「そもそも地場産農産物を給食に導入するねらいは何か」の「そもそも論」をもう一度、関係機関でやるべきだと訴えました。子どもたちに農業生産についてもっと理解してもらい、できれば担い手になっていってもらいたいということが原点です。もっと地域が見える、生産現場、生産者の顔が見える形の学校給食にしてほしい。


2007年09月06日

手の怪我のことを忘れて

 きょうは私の常任委員会です。会議の前に診療所へ行ってきました。手の怪我の状況を見てもらうためです。回復の兆しがまったくなければ入院、そして手術ということでしたが、診断の結果、親指が少し動くことから、短母指伸筋が完全には切れてはいないことがわかりました。現在の補助具(親指を使わないように固定している)をつけたまま、もう2週間、様子を見ようということになりました。最悪の場合、私の委員会開会中に入院と思っていただけにホッとしました。

 きょうの委員会では、中越沖地震があったことをふまえ、地震対策を中心にすえて質問をしました。避難所と指定されている市内の学校(幼稚園含む)は78校です。このうち耐震化のできている学校はまだ49校であることが私の質問で明らかになりました。これでは大地震が発生した場合、心配ですね。
 そして、もうひとつ重大なことがわかりました。避難所として指定されている学校のうち、水を確保するための浄水設備が整備されているのは11・5%(9校)、自家発電設備があるのは2・6%(2校)、防災倉庫・備蓄倉庫があるのは10・3%(8校)にすぎなかったのです。ちなみに吉川小学校も吉川中学校もこうした設備はないとのことです。これでは、防災機能はきわめて不十分と言わざるをえません。
 学校のこうしたデータは、昨年5月に国立教育政策研究所が学校施設の防災機能に関する全国調査をしたことでまとめられました。全国では、浄水設備の整備率は27%、自家発電は14%、防災倉庫・備蓄倉庫は27%です。上越市は全国レベルからみても整備率が低い。対策強化を求めていきたいと思います。

 委員会は朝10時から夕方の6時半すぎまでかかりました。きょうはひとつ勉強になりました。発言力というのは手足にキズを負っているとにぶるということです。最初、手に力を入れぬようにと気をつかいながら発言したら、うまく言葉が出てきませんでした。でも、議論に集中してくると、指の怪我のことはすっかり忘れていました。同僚議員に、「怪我をしているんだから、手を振るなと言っているのに。それじゃ、なおらんこて」と笑われました。


2007年09月05日

比較するなら同じ条件で

 総括質疑2日目。トップバッターだった近藤議員の質疑の中で気になることがありました。ごみ有料化についての市長答弁です。市民から理解してもらえたのかという質疑に、昨年3月時点での、無作為抽出2500人からのアンケート調査では賛成43%、反対46%だったが、秋の説明会時での参加者アンケートでは65%が賛成となった。このことから、丁寧に説明した結果、一定の合意が得られたものと判断しているとの答弁がありました。これは昨日の杉本議員の質疑に対する答弁と同じですが、きょうは「まてよ」という思いがしました。数値の比較にマジックがあるのです。片方は無作為抽出アンケートの数値、もうひとつは、説明会参加者だけのアンケートなのです。そう、もうお気づきでしょう、同じ条件での比較数値ではないのです。これではいけませんね。

 きょうの総括質疑は6人でした。それぞれ持ち味のある質疑でした。市長の提案理由の説明を聞いていて、「物足りない。何かが無いな」、そう思ったという小林克美議員。新市建設計画の視点からの総括、市長の思いを問いました。市長のハートはどうであったかと訊かれたのです、豊かな発言力をお持ちの市長ですから、事務方が用意した原稿を離れて自由に語ればいいのにと思いました。首長経験者の矢野議員の質疑は市長のリーダーシップを問うものでした。行政改革大綱の目標として、効率的で効果的な行政運営の確立、実質的な単年度収支の黒字化と貯金26億円以上の維持など4つの大目標をかかげているのに実現したのは1つだけ、あとは実現できなかった。年度途中で実現が難しいということがわかれば、そこで手を打たなければならない。節目、節目での決断、リーダーシップが問われる。市長の思いは空回りをしているのではないか、そう言われた木浦市長、質疑の終わった時点では吹き出る汗をハンカチでぬぐっていました。


2007年09月04日

9月議会初日

 きょうから来月4日まで9月議会です。提案理由の説明、総括質疑などで夕方までかかりました。上越市の学校耐震化率は今年の3月末現在で63.3%ですが、杉本議員の質疑で、100%にするにはあと10年かかるとの答弁がありました。上越地域は今後30年間に大地震が発生する確率が30%、何とか計画を前倒しして早くやってほしいという杉本議員の訴えが注目されました。

 合併2年目の決算でありながら、提案理由の説明の際、合併協定書、新市建設計画の到達点についてまったくふれていないことは理解できませんでした。質問されて市長は、自治基本条例の取り組みなどいくつかのべていましたが、普段、合併したことが頭の外へ飛び出ているのかも。今議会の一般質問では、合併協定書、新市建設計画にふれた質問がたくさん出そうな雰囲気になってきました。

 議会が始まると、不思議と生活相談が多くなります。きょうも柿崎区在住の方などから建物被害認定などについての相談が相次ぎ、夕飯時は、電話が何度も鳴りました。落着いてご飯を食べられない様子を見て、家の者は「よく電話が来るね」と驚いていました。


2007年09月03日

稲刈り始まる

 吉川区で稲刈りが始まりました。総合事務所に近い下町、片田などです。私が刈り取り風景を目にしたのはきょうですが、おそらく、土日に始まったのでしょう。このホームページのトップの写真も黄色から一気に土色に変わりました。農家にとっては、収穫が最高の喜びをもたらすものですが、夏場の連日の暑さと、ここ1週間くらいの雨が品質や収穫量にどう影響したのか気になります。

 きょうは午前中、母を目医者に連れて行きました。普段でも細い目が目ヤニがどんどん出て、目が開かなくなったというのです。「どら、見せてくんない」と言って、しゃがんで、母の顔を両手ではさんでみたら、顔はくしゃくしゃ、目の周辺が台無しになっていました。眼科医の診断によれば、緑内障がかなりすすんでいて、白内障にもなっているとのことでした。まずは目ヤニを治し、それから手術になりそうです。

 母を医者に連れて行ったことで、今日の予定はだいぶ狂いました。お昼休みに党議員団会議をやり、一般質問の打合せと分担を行いました。私は震災対策と自治基本条例をメインにした質問になります。9月議会は明日から1ヶ月間です。この間に、場合によっては手の手術をやり、本の原稿も書き、選挙の準備もする、大変ハードな1ヶ月になりそうです。


2007年09月02日

元気をたくさんもらってきました

 昨日、きょうと自治体学校(横浜市などで開催)へ行ってきました。9月議会直前でもあり、議案書や資料を持参しての参加です。電車の中で、教育委員会、農林水産部関係資料を読み、質問すべき事項のチェックをしました。学校では、町田市などで小学校高学年なら読めるようなわかりやすい財政白書を市民の手でつくっているという事例、住民の人たちからの信頼度を高めていくために議会改革をどうすすめるかという話などをしっかり学んできました。9月議会での決算審査にすぐ役立つような話もありました。

 1日目のナイター企画では、朝日新聞に登場し、財政分析で全国各地からひっぱりだこの大和田一紘さんの生の話を聞くことができました。それも大和田さんのすぐ隣の席で。「自治体広報では財政について事実は書くが真実を書かないケースが多い」「隣の町との比較を入れると自分の町のことを考えるようになる」「市民が作った財政白書は、行政マンが付箋を付け、赤線をつけて読む。議員は売りに行ってもすぐ買わないが、あとでこっそり本屋で入手している」、豊かな実践例に基づく大和田さんの話に引き込まれました。

 注目の議会改革。自治体研究所の『ここから始める地方議会改革』の執筆者が何人か登場して語りました。小金井市の元議長、森戸洋子さんや鎌倉市の元市議、児島晃さんの話の中には上越市の取り組みが紹介されてびっくりしました。また、分科会で司会をした自治体研究所の竹下さんが面白い紹介をしてくださいました。北大の神原ゼミで、栗山町の議会基本条例を学生に見せ、感想を聞いたところ、「当たり前のことが書いてある」との声が返ってきたというのです。栗山町議会が示したものは、首長と議論する、住民と対話する、議員同士で議論するというごく当たり前のことです。評価していただいた上越市議会でも市民からみておかしいことはまだいくつもあります。

 きょうの朝の新聞折込で、旧吉川町議のN氏が来春の市議選に出馬することを明らかにしました。市長と対立する「確かな野党」ではダメ、市との連携を基礎にした地域づくりを。2年半前の増員選挙で吉川は大きく振り子が振れたが元に戻ると信じているとありました。私はこれまで市議会で、市長に対して良いことは良いと言い、悪いことは悪いと言うスタンスでのぞんできました。常に市民の願いをどう実現するかを考え、努力してきました。まだまだ不十分さはあるとは思いますが、住民要求実現でも議会改革でも全力をあげてきました。負けてなるものですか。


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